第九章 第四話 ~森の中の町~
鳥たちが起き出して鳴き始める。
そんな、まだ外が薄暗い早朝。
ほとんど真っ暗と言ってもいい板張りの廊下を人影が1つ、足音を殺して歩いて行く。抜き足差し足忍び足、である。
時折、床の板が小さな悲鳴を上げては、その人影はビクッと動きを止める。そして、目前に迫りつつある目的地――一枚の扉の向こうにいるはずの誰かが、起きていないか気配を探る。そして、お目当ての人物がまだ目覚めていないことを確認すると、再びゆっくりと歩き始めるのだった。
扉の前に着いた人影は、慎重に、音を立てないようにゆっくり扉を開ける。蝶番には油を差してあるので、それが大きな音を立てたりはしないが、それでも慎重に事を運ぶ。
やがて、十分に開いた扉からするりと室内に侵入した小柄な人影は――僅かな身体の凹凸を見る限り少女のようだ――窓際に置かれたベッドへとゆっくりと忍び寄る。
既に外は明るくなり始めていて、窓からの光でベッドに寝ている黒髪の少年の寝顔が少女にはしっかりと見て取れた。
規則正しく寝息を立てている少年の寝顔を見つめること暫し。
少女はにんまりと笑うと、おもむろに空中に飛び上がった。
その着地点は言うまでもなく、少年のお腹の上になる――はずだったのだが、どうやら感づかれてしまったらしい。
「っ!!」
最後の瞬間に気を緩めてしまった少女の殺気でも感じたのか、今の今まで寝ていた少年は目を見開くよりも先にベッドの上で横に転がり――
ずでんっ
なかなか派手な音と共に、床の上に墜落したのだった。
「あはははっ!落ちちゃダメじゃん!」
ベッドの上に膝から着地した少女が、オレンジ色の髪を揺らしながら爆笑している。
その様子を恨めしそうに見ながら、黒髪黒目の少年は強かに打ち付けた頭をさすりさすり、立ち上がった。
「落ちるも何も、このベッドが狭いんだよ。ニキも分かってるでしょ?」
「え~?何のことかな~?ボク、分かんな~い」
少年に糾弾されても、ニキと呼ばれた少女はそうすっとぼけた。
そんな彼女の様子に少年はため息を吐いた。
実のところ、ニキがまだ寝ている少年に攻撃を仕掛けたのはこれが初めてではない。どころか、少年がここに来てから2週間近くが経つが、既に7回目になるのだ。さっき直前に目が覚めたのも、そこまでしょっちゅうやられているから、身体がニキの気配を覚えてしまったというのが大きい。ついでに言うと、その都度ニキに苦情を言っているのだが、全く聞き入れてもらえていないのも、既に日常になりつつあった。
エミリオ曰く、「ニキにすっかり気に入られたんですね」との事。控えめに言ってもニキは十分すぎるほどの美少女なので、中の人のことを考えなければ、彼女に気に入られてるというのは不快どころか嬉しいことなのだが、ともすれば怪我を伴うような激しすぎるスキンシップ――というより攻撃的なじゃれつきは勘弁してほしいところだった。
「それで、何の用?」
気を取り直した少年がそう訊くと、
「レックと一緒に朝ご飯食べようと思って。エミリオも一緒だよ!」
そう、シタッと音がしそうな勢いで右手を上げて用件を述べると、「待ってるからね~!」と言い残して、ニキは部屋を飛び出していった。
その背中を見送ったレックは、まずはベッドを整え直し、パジャマを着替える。そして、ニキに遅れること数分で、朝食の場へと向かった。
「やあ。思っていたより遅かったですね」
椅子に座ったまま片手を上げて食堂に着いたレックを迎えたのは、赤い髪に緑の目が印象的な褐色肌の少年――エミリオだった。
だが、レックの視線はエミリオを通過してその隣に座っていた白髪の男へと向かった。普通なら白髪に赤い瞳だと危険な匂いが漂いそうなものだが、穏和かつどこか疲れた表情のせいで警戒心を抱く方が難しそうだった。
そんなレックの視線に気づいたわけでもないだろうが、エミリオが早速白髪の男の紹介を始める。
「こちらはエスター。僕たちのクランのサブマスターです。と言っても、マスターはほとんど仕事しませんから、事実上のマスターと言っても過言ではありませんね。
そして、そちらがレック。サビエルが拾ってきた迷子です」
「えっと、お世話になってます。レックです」
「エスターです。どうぞ、ゆっくりしていってください」
エミリオに紹介された二人は、そう言って握手を交わした。その一瞬、エスターの目が僅かに細められた。ニキしか気づかなかったが。
「ゆっくりと言っても……出来れば、早く仲間たちの所に戻りたいんですけど……」
目が覚めてからでも二週間。いろいろと理由を付けて足止めされているレックは、偉い人であるらしいエスターに会えたことを幸いに、そう言ってみた。
しかし、エスターが難しい顔で返したのは、
「そうですね。前向きに検討したいところですが……一応ここは隠れ里のようなものなので、その場所を知ってしまったあなたを快く送り出すようなことは難しいのです」
という、エミリオから何度も聞かされた説明だった。
エミリオ曰く、彼らとはかなり仲が良くないクランがいくつかあるらしい。PKも可能になってしまった今の状況下で彼らにこの場所を知られると、良くないことが起きるかも知れないのだそうだ。
なので本来なら部外者を招き入れるようなことはしないのだが、流石にレックの場合は放っておくと命に関わりかねないと判断し、連れ帰ってきたのだとか。
ただ、目覚めたレックの扱いについては結構頭を悩ませたらしい。情報を漏らさないように口止めするのも無理がある。かといって口封じなどしては助けた意味がない。エミリオたちの間で議論は紛糾し、未だに結論が出ていないのだった。
幸い、レックとしてはワイバーンを何とか倒せたことは覚えているので、仲間たちの無事は確信していた。だから、その点では心配していない。
とはいえ、仲間たちは心配してくれているはずなので、どうにかして無事を伝えたい。だが、何故かクランチャットで連絡を付けることが出来ない。
クランチャットを勧めてくれたエミリオに訊いてみたところ、クランチャットは互いにある程度近くないと連絡が付かないようになっていると教えられた。
「多分、君の仲間たちは100km程度は離れた場所にいるのでしょう」
それを聞いたレックは、せいぜい川に落ちて流された程度でそんなに距離が空くものなのかと驚き、次に自分が無事だったことに驚いたのだった。
そんなことを思い出しかけていたレックの耳に、エスターが続けた言葉が飛び込んできた。
「とりあえず、結論が出るまでここにはいてもらいます。ただ、あなたが仲間たちを心配する気持ちも分かります。近くの町に買い物に出かける仲間たちに、それとなくあなたの無事を噂として流してもらうように頼んでおきましょう。冒険者ギルドの耳に入れば、きっとあなたの仲間にまで無事が伝わるでしょう」
そう言ったエスターの目に込められていた真摯さに、レックは安堵の息を吐きながら頷いた。
食事も終わり部屋へと帰るレックを見送った後、エスターとエミリオはレックを住まわせている建物を出た。
「それで、エスターは彼をどう見ました?」
「確かに興味深い人材です」
食事の間に交わされた雑談を思い出しつつ、エスターは答える。
「あれだけの魔力を持ちつつ、しかし魔術師ではない。日本人なのでしょうが、それにしてもあれだけの人材をどこの結社も気づいていなかったというのは……世の中は広いですね」
あのレックという少年が保有する魔力は、エスターたちにとってあまりにも魅力的だった。実験に使うにしろ後継者として育てるにしろ、である。言い換えれば、エスターたちにしろ他の魔術結社にしろ、彼を見つけた時点でなんとしてでも囲い込んでいておかしくないのだ。
それが結局、あの事件が起きるまでは誰も気づいていなかったというのだから、本当に世界は広いとしか言いようがない。いや、誰も気づいてなかったわけでもないだろう。
「イデア社は気づいていたかも知れませんが」
エスターがそう付け加えたように、この世界を作っているイデア社なら、ログインするユーザ全員の情報を手に入れることは容易い。それで放置していたというのであれば、
「……イデア社は彼に何かをさせる気なのでしょうね」
そう推測を口にしたエスターに、エミリオが笑いかける。
「エスターもやはりその結論に達しますか」
「他にどう考えろと言うのですか。ただ、そうであれば、いつまでも彼をここに引き留めておくのは良くないでしょうね」
そう言いながら、エスターは今後について思考を巡らせる。
正直、彼をここから送り出すのは難しいことではない。目隠しをして方向感覚や位置感覚を奪った上で少し離れた町まで送り届ければ済む話なのだ。加えて、話した感じでは彼は性格にも問題はなさそうだった。ちゃんと言い含めておけば、自分からエスター達のことを話してしまうこともないと見ていい。
つまり、エスター達がレックを足止めしている理由は別にあるのだった。
何の手も打たずにレックを送り出した場合、彼の周りで起きるであろう様々な出来事を見逃してしまう恐れが高かった。それは、好奇心を満たすことを至上目的とするレイゲンフォルテに属する者として、断じて許せることではない。
何しろ、イデア社が彼に期待している役割は何となく見当が付いている。――魔王を打倒する勇者だろうと。
魔王を打倒するのがこのジ・アナザーという世界の目的なのだが、この世界における人間の力はあまりにも弱い。他のVRMMOではプレイヤーたちは人間離れした力を容易に得られるのだが、ジ・アナザーにおいてはいくら鍛えたプレイヤーであっても魔術を使わない限りは概ね常識的な範囲にとどまっていた。逆に言えば、魔王打倒するには魔術とそれを行使できるだけの魔力が必須だということである。しかも、相手は仮にも魔王を名乗る存在である。生半可な魔力では到底足りないことも容易に予想できた。
だが、それだけの魔力を持つ人間などこれまでいないと思われていた。故に、レイゲンフォルテではイデア社が何をしたいのかさっぱり分からなかった。しかし、あのレックという少年の魔力なら魔王にも届くだろう。
それに気づいたからこそ、サビエルはあの少年を拾ってきたのだろうし、エミリオも彼を生かしておいたのだろう。
いずれにしても、あの少年が魔王を打倒して何が起きるのか。実に興味がそそられる。
だが、別の問題もあった。レックという少年は弱すぎるのである。
確かに彼の魔力はレイゲンフォルテの全員が束になっても敵わないほどのものだが、全く使いこなせていないとエミリオから聞いていた。あのままでは、魔王を倒すまでにどれほどの時間がかかるか分かったものではない。エスターたちは気の長い方だが、好奇心が出来る限り早く満たされるに越したことはなかった。
「……とりあえず、どうにかして彼を鍛えないといけませんね」
エスターの言葉にエミリオが頷いた。このあたりは、好奇心優先の――しかし頭の回転は悪くない――変人ばかりが集まったレイゲンフォルテならではである。行動原理が似ているので、互いの考えも理解しやすいし、同意も取り付けやすいのだ。
「魔力の割に身体強化が弱すぎます。武器も生半可な物では彼の力について行けないでしょうから、出来ればそれに耐える武器も用意したいところです。それとは別に物理攻撃が効かない相手への対策として、ショートエンチャントくらいは叩き込むべきでしょう。あと、治癒魔術は使えるようですが防御はさっぱりのようですし……」
そう言いながら、エミリオはレックにやらせる特訓だかなんだかを指折り数えていく。
その様子を見ていたエスターにはレックのこれからの苦労が目に見えるようで、苦笑するしかなかった。
「そちらは任せます。あと、彼の仲間の行き先をこちらで探すからとでも言って、早まって飛び出していかないようにしておいてください」
「思ったより早く見つかったら?」
「彼が使えるようになるまでは、まだ見つかってないと言っておけばいいです」
罪悪感の欠片も見られない表情で、エスターは言い切った。悪意はないが善意もない。あくまでも自分たちの好奇心に素直なだけなので質が悪い。尤も、レイゲンフォルテにそれを止めるような人間は誰もいない。それどころか、
「後は、彼を送り出した後に誰を彼に付けるか、ですね。あるいは、彼の方からこちらに定期的に連絡するように仕込むことが出来ればいいのですが……」
「エミリオ。仕込むとか猿じゃあるまいし……本音がだだ漏れですよ?」
「ああ、これは失礼しました」
エミリオはそう言ってエスターに軽く頭を下げたが、その顔が笑っていては意味がない。尤も、エスターにそれを気にする素振りはなかった。
「とりあえず、その辺りのことはこちらで考えます。エミリオは彼を育てることに集中してください」
「そうですね。何人か借りても?」
「構いません。私の方からも皆に協力するように伝えておきます」
「スパルタでも?」
「壊れなければいいです。お任せします」
そんな良からぬ相談が行われているとも知らず、部屋に戻ったレックはニキから今日の予定を聞かされていた。
「午前中は表通りの家の掃除だね。人が住んでないからって手を抜いたらダメだよ?働かざる者喰うべからずって言うでしょ?
それが終わったら、昼からは体力作りと剣の特訓!生存率を上げるためには、少しでも強くならないとね!」
途中、ニキが働いているところ見たこと無いんだけど?などと突っ込みたいところがあったものの、そこはぐっと堪えたレック。ほぼいつも通りの予定に、素直に頷いた。
ちなみに掃除と言っても大してやることはない。
人が住んでいないのだから基本的にゴミも埃もほとんど出ないのである。
空き家の窓を開けて空気を入れ換えると、勝手に入り込んだ蜘蛛が張った巣を取っ払い、隅の方に転がっている虫の死体を片付ける。
「……こんな虫まで再現して、芸が細かいよねぇ」
思わずレックの口から漏れた愚痴を耳にしたニキが、一瞬物言いたげな表情になったりするが、虫の死体を箒で掃き集めていたレックは気づかなかった。
そして昼食時。
「レック、もっと強くなりたいと思いませんか?」
珍しくレックと一緒に昼食をとっていたエミリオが、そんなことを言い出した。
だが、真っ先に反応したのはレックではなかった。
「えっ?」
そんな声を出してしまったニキの元に二人分の視線が集まり、顔を赤くしたニキが両手を振りながら慌てて、
「何でもない何でもない!」
と繰り返した。
その様子は明らかに何でも無くないのだが、追求するのも意地が悪いだろうとレックは視線をエミリオに戻し、
「もっと強く?」
どういう事か聞き返した。
「言葉通りですよ。私たちが見たところ、君はもっと強くなれます。ならば、このくだらないゲームを終わらせるためにもっと強くなりませんか?という事です」
この現実と化し、人が死ぬ世界のどこがくだらないのか。レックは一瞬そう思ったが、エミリオの話し方はこの二週間、いつもこんな感じだったことを思いだし、余計な突っ込みは堪えた。
代わりに口から出た言葉は、
「僕はどこまで強くなれるんですか?」
それに対するエミリオは即答だった。
「望む限り、どこまでも」
流石にそんな夢物語のような言葉を今更信じてしまうほど、レックも子供ではなかった。
望む限りどこまでも強くなれるというなら、レッドドラゴンを単騎で撃破できるような猛者共が何人も現れて、とっくの昔に魔王を倒してしまっているはずだからだ。しかし、現実にはそうはなっていない。
だから、
「そんなことあるわけないじゃないですか」
レックがそう答えたのも無理はなかった。
尤も、自分の言葉をあっさり否定されてエミリオが気分を害したかというとそんなこともない。むしろ、エミリオにとっては想定していた答えの1つに過ぎなかった。
「そうですね。しかし、君がもっと強くなれるというのは本当ですよ。少なくとも、私たちには君に教えられることがいくつもあります」
エミリオはそこで言葉を切って、レックの様子を窺った。そして、レックが興味だけはそそられていることを確認し、言葉を続ける。
「例えば剣術。ニキとの練習を見ている限り、君の剣は我流に過ぎません。誰かにきちんと教えてもらったことはないでしょう?」
「うん、まあ、そうです」
「きちんと剣を習い、技を身につけたなら、それだけで強くなれます。素人には斬れない物でも、達人には斬れる。今まで、剣がはじかれて悔しい思いをしたことはありませんか?」
そう言われてレックの脳裏には、いろいろなエネミーが思い浮かんだ。何とかはなってきたものの、確かに鱗だの外皮だのを斬ることが出来ていれば、もっと楽に倒せた相手は少なくない。
そんなレックの様子を観察していたエミリオは、返事が無くとも自分の言葉が当たっていたことを察し、微かに笑みを浮かべた。
「ならば、ここにいる間に基本だけでも身につけてみませんか?」
そう言われて、レックは悩んだ。
足止めこそされているが、出来れば長居する気はないのだ。いろいろ教えてくれることには魅力を感じるが、本格的な習い事なんてしていては仲間達の元に戻るのが遅れてしまう。
尤も、実のところどうしたらいいのかレックには妙案など全くなかったりする。おまけに、これだけ世話になった人たちに迷惑をかけたくないので、無理にここを脱出するという選択肢はレックには無い。
なので、ここを離れる妙案を思いつくまではどうにもならないのだが、それはそれというやつである。
そんな悩めるレックを見ていたエミリオは、もう一押しするためにエスターの案を出すことにした。
「エスターが帰り際に言っていました。君の仲間達の行方も追ってみると。片手間かも知れませんが、君が一人で当てもなく探すよりはずっといいはずです。その情報が入るまでだけでもいいです。ここで訓練をしながら待ってみませんか?」
そうしてレックは陥落した。
この時、エミリオの口の端に浮かんでいた笑みを見逃したのは、レックにとって良かったのか悪かったのか。
翌朝。
ニキに連れられ、レックは前の晩にエミリオに指定された場所にやってきていた。町の外れに広がるちょっとした空き地である。
空き地には既に一人の男が二振りの木剣を用意して待っていた。一振りは右肩に担ぎ、もう一振りは地面に突き立てている。
「おー。久しぶりだな!」
ラフな格好でそう言ってきた男の姿に、レックは見覚えがあった。意識を取り戻した後、立て続けに何人かと会ったのだが、その中でも一番印象が強かった相手である。何しろ、
「お久しぶりです、サビエルさん。その節はありがとうございました」
そう言いながら、川辺で倒れていた自分を拾ってきてくれたというサビエルに挨拶をした。
「ああ。おまえさんが元気そうだな。拾ってきた甲斐もあったってもんだ」
そう言ってガハハと笑うサビエルに、
「サビエール!」
と、ニキがじゃれつくように飛びかかり、
「うわっと。おまえさんも相変わらずだな」
右手の木剣で軽くいなされていた。
そうして挨拶も済んだところで、サビエルが居住まいを正した。
「さて、もう分かってると思うが、今日からおまえさんの剣を見ることになった。ビシバシ行くからな。覚悟しろよ?」
「はい!」
「ボクもはいっ!」
「いや、ニキ。おまえさんは剣なんて使わんだろ」
呆れたようにサビエルが言うが、
「レックと一緒がいいの!」
と言い張るニキにあっさり折れていた。と言うより、いちいち相手にしなかったという方が正しいのかも知れないが。その横でレックが微妙に赤くなっていたのは余談である。
「まあ、まずはおまえさんの腕前を見せてもらう」
そう言ってサビエルが放ってきた木剣をレックは受け取った。
「簡単な打ち合いをするって事ですか?」
「そうだな。ただし、身体強化とかは無しな。木剣が折れちまう」
「はい」
レックが頷くと、二人は互いに木剣を構えた。
片手剣サイズだが盾はないのでサビエルは剣を両手で構えている。対するレックは右手だけで剣を持ち、左手は添えるだけだった。
「ボクは!?ボクは!?」
横からニキが叫んでくるが、
「おまえさんは後な」
とサビエルはまともに相手にしない。その扱いがどうにも慣れているような気がするレックだったが、今は目の前のサビエルの木剣に集中する。
そんなレックの構えを見たサビエルは、
「我流とは聞いていたが……流石にそこそこ様にはなってるな」
そう言うと、一気にレックの懐へと飛び込んできた。
「速っ?!」
顔面目がけて突き出されてきた木剣をレックが右に躱すと、サビエルはレックの剣を持つ手を狙って木剣を振り下ろしてくる。
レックは慌ててそれを受け止めようとするも、間に合わずにあっという間に木剣を叩き落とされてしまった。
「痛たた……」
伝わってきた衝撃で手が痺れているレックに、
「初撃を避けたのはいいが、避け方とかなってないな。構えだけはまともに見えたんだがなぁ……」
頭をかきながらサビエルがそう声をかけた。
「サビエルさんが速すぎるんです。身体強化使ったんですか?」
不満げにレックがそう言うと、サビエルはあっさり首を振った。
「いんや。鍛え方の問題とか、あとはやっぱ素人とベテランの差だろうな」
そう言うと、元いた位置にまで戻っていき、
「さ、もう一回だ。おまえさんの実力に目処が付くまで、何回かやるぞ」
そう言ってレックにも剣を構えさせた。
そして数分後。
地面に転がって肩で息をしているレックを見下ろしながらサビエルは、
「大体の実力は分かった。ちと基礎体力に不安が残るから、その辺を鍛えつつ型を仕込んでいくか」
そう今後の方針を決めた。
「基礎体力って……身体強化で何とか出来るんじゃ……ないですか?」
「アホか。日常の訓練で身体強化なんか使ってたら、訓練の効果が激減するだろうが」
息も絶え絶えに訊いたレックにサビエルはあっさりそう答えた。
「そういうわけだからな。最低限訓練についてこれるだけの体力も作っていくぞ」
そのサビエルの宣言に、これは大変そうだとレックは思ったのだった。
そして午後。
午前中にサビエルにたっぷりとしごかれ体力を使い果たしたレックだったが、午後は午後で別の訓練が予定されていた。ちなみに、レックと一緒に基礎訓練をしていたはずのニキはピンピンしていたりして、レックは微妙に凹んでいたりする。
「さて、午後の訓練は私が担当します。ある程度基礎が出来たら、また別の誰かに代わってもらいますが」
そう言ったのはエミリオである。
何でも、レイゲンフォルテでは『魔王降臨』以前からいくつもの祭壇を見つけており、かなりの数の魔術を知っているのだという。
祭壇を使わなくても魔術を覚えられるのかという疑問がレックにはあったのだが、エミリオには一笑に付された。
「魔術とは単なるスキルに過ぎません。祭壇を使えば簡単に習得できますが、他のスキルと同様、修練を繰り返すことでも習得できるのですよ」
それを聞いたとき、レックは何とも言えないもやもやとした何かを感じたのだが、その感じをしっかりと掴み理解するだけの時間をエミリオは与えてくれなかった。
「既に魔術をいくつか覚えているなら分かるでしょうが、魔術の基本は魔力操作と術式です。君にはまずは徹底的に魔力操作の訓練を行ってもらいます」
その言葉に新しい魔術を覚えられると期待していたレックは不満を隠しきれなかった。
「新しい魔術は教えてくれないんですか?」
そう言ったレックは次の瞬間、エミリオに氷点下の視線を向けられ己の失敗を悟った。そして案の定、エミリオから毒舌が飛んでくる。
「君は馬鹿ですか?基本もなっていないまま魔術など扱えば、暴発するのですよ?暴発させた本人である君が死ぬのは勝手ですが、周りも巻き込むつもりですか?それ以前に自殺したい人間を助けた記憶などありませんよ?」
ニキ曰く、これでエミリオには悪意も害意も敵意もないというのだから驚きである。一方で、最初の頃に比べるとエミリオの毒舌にも随分慣れてきたなと思うレックだった。
さて、ニキの言うとおり悪意も害意もないエミリオの毒舌はすぐに終わった。レックをどうこうしようというわけでもないので、当然とも言える。
「さて、魔力操作の鍛錬ですが、まずは基本的なところからやってもらいましょう」
エミリオはそう言うと両手で輪っかを作った。
「こうして輪を作り、それに沿って魔力を動かしてください。最初は時計回りに、慣れてきたら逆回りに」
レックもそれを真似て両手で輪っかを作った。そして魔力を動かしてみる。
「……こんなので訓練になるんですか?」
スムーズに流れる魔力を感じながら、レックはエミリオにそう訊いてみた。
「基本をしっかりしておかないと危ないですからね。それに最初は円だけですが、すぐに三角や四角やもっと複雑な形で魔力を動かしてもらいます。いずれは神経を集中しなくても文字をなぞるように魔力を動かせるようになってもらいます」
それを聞き、レックは身体強化や治癒魔術での魔力の動かし方を思い出した。確かにあの2つは魔力の動かし方がかなり細かく複雑だった。正直、祭壇で感覚に直接覚え込ませられなければ、あの通りに魔力を動かすのは無理だったろう。
ただ、そう考えると新しい魔術を覚えられるのかという不安も出てくる。他の魔術も複雑な魔力操作を必要とされるのであれば、魔力で文字をなぞる程度のことなど児戯にも等しい難易度でしかないのだ。
「……祭壇で覚えた方が早くないですか?」
思わずぽろりとそんな本音が漏れる。それに対するエミリオの返事は相変わらずきついものだった。
「やはり君は馬鹿なのですね。この世界における祭壇の配置を考えてみなさい。祭壇に行くだけでも下手すれば月単位の時間がかかるのです。いくつも魔術を覚えるなら、地道に訓練した方が早いのですよ」
「いくつも?」
レックが聞き返すとエミリオは頷いた。
「私たちが覚えている魔術を全てとは言いませんが、君と相性の良さそうなものや役に立ちそうなものをいくつか選んであります。時間が許す限り、君にはそれらを身につけてもらう予定です」
そこまで説明したエミリオはレックをじろりと睨んだ。
「魔力が止まっています。おしゃべりする暇があるなら、魔力をちゃんと動かしてください」
その様子に、サビエルとは別の意味でエミリオは鬼教官だとレックは思ったのだった。
その晩。
やたらと多い魔力量のおかげか、午後の訓練でレックがため込んだ疲労は精神的なものだけで済んだ。尤も、次々に飛んでくるエミリオの指示と毒舌、それに慣れない形での魔力操作のおかげで精神的な疲労は相当なものだったりする。
「はふ……」
ベッドに倒れ込んだレックはあっという間に睡魔にとらわれた。
そして、
(明日から……ついていける……かな……)
そんな思考を残して、レックの意識は闇に沈んだのだった。