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ジ・アナザー  作者: sularis
第一章 魔王降臨と閉じ込められたプレイヤー達
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第一章 第七話 ~サーカスからの撤退~

 サーカスの立派とは言い難い中央通り。その役場前には既に出発準備が整った18台の馬車と、それを取り囲むようにして400人を越える、サーカスにいたほぼ全てのプレイヤーが集まっていた。

 世界が軋んだ日。通称、『魔王降臨』から一週間が経ち、直後は300人に満たない人数しかサーカスにいなかったプレイヤーは、フロンティア方面からの撤退組を吸収することで、その人数を大きく増やしていた。

 また、『魔王降臨』直後は呆けていたプレイヤー達も、フォレスト・ツリーの「サーカスを放棄し大きな町に合流する」という宣言の前には動かざるを得ず(誰だって少人数で放置されたくはない)、結果として、多くのプレイヤーが元通り……とまでは行かなくとも、それなりに元気を取り戻していた。

 他の町では混乱の中で、自暴自棄から自殺に走ったプレイヤーもいたようだが、サーカスではフォレスト・ツリーが速やかに方針を決定し、発表したことで、自棄になるプレイヤーが少なかったのも大きかった。


 その彼らが、妙にざわついている。緊張している。

 その理由は、彼らの注意が向いている役場にあった。

 彼らの視線の先にいるフォレスト・ツリーのメンバーの表情が硬いのである。加えてメンバーの何人かが、集まっていたプレイヤー達の中から十名ほどを慌てて役場の中に連れて行ったっきり、出てきていない。

 予期せぬ何かが起きたのではないか、そう推測するには十分な状況だった。

 レック達、蒼い月のメンバーからも一人、グランスがフォレスト・ツリーのメンバーに呼ばれ、役場の会議室にいた。同じように呼ばれたプレイヤー達は、いずれも避難準備に積極的に関わっていたか、フロンティアから引き上げてきたギルドの代表格のプレイヤーばかりだった。


「エラクリットが襲撃を受けた」

 会議室に集まったメンバーに、フォレスト・ツリー、サーカス支部長――通称、町長――コンラッドがそう告げた。髪の色と同じ紺色の瞳からはかなりの疲労と苦悩が見て取れる。

 予め話を聞いていたフォレスト・ツリーのメンバー以外は、すぐにはその言葉を飲み込めなかった。やがて、コンラッドの言葉をやっとの事で理解したプレイヤーが問いかける。

「襲撃って、誰にだ?」

 その質問の正解は、会議室に集められた半分以上のプレイヤーの頭の中にすぐに浮かんだ。そして、それを肯定するかのように、

「凶獣、魔獣の類の大群だ。ただし、魔物に率いられた、な」

 苦々しくコンラッドが告げる。

「被害状況は?」

 何とか冷静さを保ちながら訊ねるグランス。

「残念ながら不明だ。あそこは我々フォレスト・ツリーの管理している町ではないからな。管理ギルドが機能不全に陥っているせいで、一般プレイヤーからの断片的な情報しか入ってこないんだ。ただ……死者も出ているらしい」

 死者が出ている……その言葉に、誰かがゴクリとつばを飲み込む音が、妙に大きく会議室に響いた。


 『魔王降臨』――世界が軋み、プレイヤーがジ・アナザーに閉じ込められた日は、いつの間にかそう呼ばれるようになっていた――の前は、ジ・アナザーにおける死は大した物ではなかった。所詮ゲームなので、ペナルティはあるものの、いくらでも蘇生可能であったのだ。

 しかし、『魔王降臨』の後、死者の蘇生は確認されていない。正確には、死亡した直後なら宝具によって蘇生させることが可能であることは確認されていた。だが、それ以外のケースでは、死んだプレイヤーのアバターは数時間ほどで消滅し、ジ・アナザーの世界から消滅する。

 リアルに戻ったのだという意見もあるが、リアルの状態が分からず、助けも来ない状態では、何の確証もない。

 ただ、死への、そして死んだ後の未知への恐怖だけが、確かにあった。


「撃退は出来たのか?」

「ああ。ただ、あそこを管理している公認ギルドの機能不全に加え、魔物の襲撃だ。相当に混乱しているようだし、状況が把握できているプレイヤーなどいないのだろうな」

 コンラッドの誰かへの答えに、その場にいた皆が「それはそうだろう」と思った。それだけ、公認ギルドの役割は大きいのだ。

「兎に角だ。状況が変わった。このままナスカスまで避難するべきなのかどうか。改めて検討しなくてはならない」

 コンラッドの言葉に皆が無言のうちに頷いた。

「要するに、ここにいた方が安全か、大きな町に合流した方が安全かってことだな」

「そうだ」

 誰かの言葉にコンラッドが頷いたのを合図に、皆が自分の意見を述べ始める。

「こんな小さな町じゃ、モンスターの大群に襲われたらひとたまりもないぜ」

「でかい町の方が、魔物のターゲットになりやすいんじゃないのか?」

「大きい町の方が戦力も充実してるはずだ」

「町の規模に合わせて、襲ってくる魔物の数も増えるって事はないのか?」

「やっぱ、魔王が降臨したからか?魔王の指示なのか?」

「タイミング的に、それしか考えられない」

「小さい町の方が襲われる危険が低いのか?」

「目立つのは大きい町だろう」

 喧々諤々の意見噴出だったが、いっこうにまとまる気配はない。情報が少なすぎるのだから、当然と言えば当然だった。

 しかし、

「ちょっと待て」

 と、サーカスに元からいたプレイヤー達の不毛な論争は、フロンティア組の一人、ギルド「辺境の槍」のマスターのユージによって遮られた。黒い髪を後ろになでつけ、軽装鎧をまとったアバターのプレイヤーである。勿論、背中にはギルドの名前通りに槍を背負っていた。

「物資の流通について忘れてないか?」

「物資?」

 一瞬、何のことか分からなかったプレイヤーもいたようだが、その後のユージの説明で、全員が理解した。

「知っての通り、俺たちはフロンティアからの撤退組だ。確かにフロンティアでもプレイヤーが大量に消えた。だが、それが撤退してきた理由じゃない。撤退してきたのは、武器や防具、食料やポーションといったアイテムが補給できなくなったからだ。

 この町でもそれが起こる可能性はどうなんだ?」

 ユージに訊かれ、コンラッドは、

「生産系や流通系のギルドも過半数が機能不全に陥っている。つまり、この町まで必要物資が届かなくなっている可能性は高い。事実、この一週間は食料すら届いていない」

 と、静かに答えた。そして、それはこの場での議論の結論をもたらす言葉でもあった。

 食糧が尽きれば餓死するしかない。武器が無くなれば、魔物が襲ってきても戦えない。つまり、物資が輸送されてこない町ではプレイヤーは生き残れない。

「結論は出たな」

 静かになったプレイヤー達を見て、ユージが言った。

 その言葉に頷くと、コンラッドは宣言した。

「では、予定通り、サーカスは放棄。トルーズを経由してナスカスまで避難する。皆さん、そのつもりで今しばらく、我々に協力して頂きたい」

 この言葉には、会議室に集められた全員が力強く頷いた。



 とは言え、プレイヤー達がサーカスを離れたのは昼を過ぎてからだった。

 さすがに魔物の襲撃という事実を隠しておく訳にはいかないということで、出発前にコンラッドが説明をしたところ、案の定、小さくはない混乱が起き、それの収拾に時間を取られてしまったのだ。日本語が理解できないプレイヤー達の説明もしなくてはならなかったのも大きい。


「んー、こういうのって新鮮!」

 サーカスを離れて間もなく。リリーは大きく伸びをした。

「今までもキャラバンとかはあったがのう。ここまで大規模なのは後にも先にもそうそうないじゃろうな」

「キャラバンってより、遠足って感じもしないでもないけどな」

 ディアナに軽口で返すクライスト。

「ふむ。確かに馬車が18台に護衛が400人のキャラバンはさすがにないのう……」


 クライストとディアナ、二人の言葉通り、400メートル近くに伸びたサーカスからの避難隊の列は、ほとんどがプレイヤーで占められていた。ただ、キャラバンと違い、荷馬車が少ししかないため、遠足という感じも否めない。唯一ディアナの言葉で正確ではないところがあったとすれば、プレイヤーの集団は生産者や商人といった非戦闘系プレイヤーを含んでいるため、護衛として戦えるプレイヤーの実数は300人程度だという所だろうか。


 『魔王降臨』以降、フロンティアからの撤退組を除くほとんどのプレイヤーが町を出るのは初めてだった。

 街道の周辺は、左手に草原が、右手には山の麓から続く森が広がっている。幸い、好天に恵まれたこともあって、街道の風景や草原を渡る風の匂いは、鬱々としていたプレイヤー達の気持ちを明るくさせてくれた。

 そのためか、仲間同士のたわいもない雑談があちこちで散見された。ただ、知り合いの大半が消え、ジ・アナザーで少数派となってしまった日本人以外のプレイヤー達はそうもいかない。


 ギルドに所属している外国人プレイヤーも多かったのだが、そのギルドのメンバーがほとんど消えてしまったのでは、ギルドが無くなったも同じ。事実上のソロプレイヤーになってしまっていた。

 準備期間中に臨時日本語教室が開催されていたものの、まだまだ日本語で会話できるには至ってはいなかった。で、集団の中では浮くことになるくらいならと、彼らは移動中も日本語の勉強を行うことになっていた。ただし、これには万が一魔物の襲撃があった場合の対策という意味も含まれている。

 魔物の襲撃があった場合は、フォレスト・ツリーが組み上げた臨時の指揮系統の下で冒険者達が迎撃に当たることになっていたが、指揮系統で使用される言語は、使用者の多い日本語と決められていた。しかしそれでは、日本語を理解できない外国人プレイヤーがばらばらに集団の中に混じっていると、役に立たないどころか足手まといになる。そこで、いざという時には日本語で出された指示を英語で彼らに伝え、戦力として機能させるためにも、日本語と英語、両方が扱えるプレイヤーによる日本語教室という形で、外国人プレイヤーを一カ所に集めておくことになったのである。


 というわけで、避難隊の隊列の末尾では……

「警戒態勢!……Be on alert!」

「「「ケイカイタイセイ!Be on alert!」」」

「One more!」

「「「ケイカイタイセイ!Be on alert!」」」

 蒼い月から教師役として引っ張り出されたマージンが、日本語とその意味を英語で叫ぶと、周りの外国人プレイヤーがそれを復唱する。

「2時の方角!……The direction at 2 o'clock!」

「「「ニジノホウガク!The direction at 2 o'clock!」」」

「One more!」

「「「ニジノホウガク!The direction at 2 o'clock!」」」


 臨時の生徒達を教えながら、マージンはげんなりしていた。予め分かっていたこととはいえ、町の外でまで日本語を教えるというのは楽しい……とは言い難い。

 しかも、今日の日本語教室は、教師役がかなり少なかった。というのも、英語も日本語も出来るプレイヤーは、ギルドマスターなどまとめ役的な立場の人間が多い。襲撃を警戒しながら移動している今は、彼らは自分のギルドの仲間達と行動を共にしていた。


(せめて、女子がもっとおればやる気もでるんやけどなぁ)

 心の中でぼやいてみるが、実際の彼の生徒はほとんどが男性だった。

(何が悲しゅうて、男の世話なんぞせなあかんねん)

 その点、蒼い月には女の子もちゃんといて、彼女たち(約一名除く)のきゃっきゃした声を聞きながら、風景を楽しみ、どうでもいい雑談を楽しんでいれば良かった。

(あ~、せめてクライストも引きずってくるべきやったわ)

 蒼い月の戦力を減らすわけにはいかないと、あっちに残ることになったクライストの顔を思い出すと余計にテンションが下がる。

「馬車を守れ!……Save the wagons!」

「「「バシャヲマモレ!Save the wagons!」」」

「One more!」

「「「バシャヲマモレ!Save the wagons!」」」

 戦闘時に必要になりそうな言葉を選んで、生徒達に繰り返させながら、マージンのテンションはますます下がっていった。



 隊列の中央付近にある馬車隊先頭の馬車の御者台では、コンラッドがやっと一息ついていた。サーカスを出発するまで、まともに休めなかったのである。一応睡眠は取っていたが、避難計画やら今後の不安やらでまともに寝れていたとは言い難い。

「コンラッド、大丈夫?」

 そう言いながら、左から冷たいお茶を差し出したのは自称秘書のユッコだった。肩まで伸ばしたストレートの明るい茶色の髪。濃い茶色の瞳には心配そうな色が揺れている。

「ありがとう。魔物の襲撃とかでもない限り、トルーズに着くまではやることもないし、ゆっくり休めそうだ」

 ユッコから受けとったお茶をすすり、ほーっと息を吐く。

(ほんと、ここのところ忙しかったからな)

 サーカスだけではなく、他の町の状況の把握に始まり、避難計画の主導、その際に持って行く物資の選定などなど、事務仕事だけで死ねそうなほど忙しかった。

 その成果の1つの隊列を見ながら、もう一口お茶をすする。


 避難隊の隊列の構成は、戦闘系ギルドのメンバーの意見も取り入れながらまとめたものだ。

 隊列が長くなると、襲撃の際の戦線も伸びてしまい、何かしら守りきれなくなる恐れがある。なので、どれだけ隊列を短くするかが最大の問題だった。しかし、サーカスから最も近い町トルーズへの街道は、幅5メートルもない。可能ならば馬車を二列縦隊にしたかったのだが、諦めざるを得なかった。結果、それだけで隊列が100メートルほど伸びてしまったのは残念極まりない。

 更に、避難隊の隊列は馬車隊を中心として非戦闘員を配置し、その前後に冒険者達を配置した。特に、前方にはフロンティアからの撤退組を配置し、街道付近の脅威の排除を頼んである。他の冒険者達は、襲撃があった場合、馬車隊を守るために左右に移動してくれる手はずだ。

 連絡をスムーズに行うためには、フォレスト・ツリーのメンバーを前後の冒険者グループの中の有力集団――つまりは人数の多いギルド――に張り付かせてある。最も、緊急時には笛を鳴らすことで、隊列の全プレイヤーに、幾つかの合図は伝えられるようにしてあった。


(多少の凶獣・魔獣の類は戦闘系ギルドだけで問題ないだろうしな)

 コンラッドとしては、少人数で対応できる事態ならば事後報告さえ貰えればいい。元々が少人数の寄せ集めで、大規模集団戦に慣れていないプレイヤーばかりなのだ。下手に集団として動かすよりは、各自の判断で動いて貰った方がいいはずだ。

 どちらにしても、今、コンラッドに出来ること、するべき事は全く無いように思われた。

(よし)

 状況は特に問題がなさそうだと確信し、

「しばらく寝る。何かあったら起こしてくれ」

 と、持っていた手綱をユッコに預け、コンラッドは夢の世界へと旅立った。もっとも、貯まりに貯まった疲労のせいで、夢など見ないかも知れないが。



「しばらく、うちのコンラッドは寝るそうです」

 ギルドメッセージを受けとったスティーヴンは、申し訳なさそうに隣で馬に揺られていたユージにそう伝えた。

「そうか。まあ、疲れているだろうしな」

 スティーヴンに何か文句を言おうとしたらしいギルドメンバーを片手で制し、スティーヴンにそう答えながら、ユージはサーカスに入ったときのコンラッドを思い出した。


 ユージ達フロンティア撤退組がサーカスに入ったのは、『魔王降臨』から四日後のことだった。

 フロンティアキャンプでも多くのプレイヤーが消え、閉じ込められたプレイヤー達は呆然としたものの、不定期に襲ってくる凶獣・魔獣への対処もあり、ほとんどのプレイヤーの立ち直りはむしろ早かった。そして、立ち直るとすぐに、キャンプというあまりに不安定な拠点から撤退することを無言のうちに決定し、半ば強行軍の形でサーカスにまで戻ってきたのだった。

 彼らが着いたときには、サーカスでも既に撤退準備が始まっており、とるものもとりあえず、ユージ達フロンティア撤退組のリーダー格数名でコンラッドに挨拶をしに行った。そこで見たのは、撤退計画の指揮やら外部の情報収集やらフォレスト・ツリー幹部としての話し合いやらで忙殺されかけている一人のプレイヤーの姿だった。


 確かにギルドマスターとしてユージ自身もかなり忙しかったが、あれを知っている身としては、後は俺たちに任せて休んでくれと素直に言える。

「最初から俺たちだけで何とかなる状況なら、勝手に動いていいことになってるしな。そんなに恐縮しなくていいさ。撤退準備でまともに眠れていない町長さんにはよろしく言っておいてくれ」

 と、隣で小さくなっているスティーヴンに言った。周りのメンバーが事情を飲み込めるように、さりげなく説明も入れてみた。

 晴れ渡った天気のおかげか空気も澄んでいて、馬の上からなら草原の中を走っている街道のかなり先まで見通せる。右手が森になっているとはいえ、100メートルから200メートルほどは離れているし、少なくとも、不意打ちにも近い形で襲撃される心配は無さそうだった。


 ちなみに、ユージ達辺境の槍のメンバーだけは、馬を割り当てられている。

 元々、馬車を引く18頭を除いて11頭の馬が余っていた。遊ばせておくのも勿体ないが、一部のプレイヤーだけ馬で移動させても本隊が徒歩である以上、避難隊の移動速度の面では何のメリットもない。

 そこで、騎乗戦闘もこなせる強力なプレイヤーに馬を割り当て、有事には防衛上の穴を機動力で塞いで貰うことになった。その役目が、辺境の槍に回ってきた、それだけのことである。


「ま、馬に乗るのが役得だけで済めばそれに越したことはないけどな」

 ユージの軽口に、周囲からは「確かに」「そりゃそうだ」と同意する声が次々に上がる。

 そんな仲間達の様子を見ながらも、ユージは完全に気を緩めることはしなかった。草原の中をのんびり……ではないが、歩いている隊列ほど目立つ物はないのだから。



「マージンはちゃんと臨時教師やってるのかな?」

「一人だけ別行動のメンバーがいるのは、ちょっと気になりますね」

「あいつは結構しぶといからな。何かあっても心配はいらないだろう」

 レックとミネアの心配?を気にもかけないグランスの言葉に、

「それもそうか」

「そうですね」

 レックもミネアも気にはしていたが、大きな集団の中にいることもあって、実のところは大した心配はしていなかった。どちらかというと、黙々と歩いているのに飽きてきたので、会話のネタにしただけだったりもする。

「でも、日本語教室ですか。楽しそうですね」

 マージンが聞いたら代わってくれと言い出しそうな台詞を吐くミネアに、

「いや、あれはあれで大変だった」

 と、準備期間中、暇を見つけては臨時教師として顔を出す羽目になっていたグランスが答える。

「生徒も熱心なんだがな。覚えるのが早いヤツと遅いヤツがごちゃ混ぜになってるからな」

 どういう苦労をしたのか、苦虫を噛み潰したような顔になるグランス。

「そういうものですか?」

「そういうものだ」

 そして再び会話が途切れる。

 蒼い月姦し4人組は一人は日本語教室にすっぱ抜かれていたものの、残り3人でも十分わいわい姦しく、レック達の後ろでしゃべり続けている。どちらかというと大人しい部類に入るレックやミネアは、彼らのおしゃべりに付いていくのを早々に諦め、最近はリーダーと呼ばれるのも諦めつつあるグランスと一緒に歩いていた。

 ただ、いくら大人しいとは言え、無言が好きなわけでもない。

「明日の夕方にはトルーズに入れるんだっけ?」

「順調にいけばそうなるな。余程の遅れでもない限り、明日は強行軍でトルーズまで行く予定だがな」

 レックの質問に、フォレスト・ツリーを中心とした避難計画の話し合いに参加していたグランスが答える。


 サーカスとトルーズの間の距離は直線距離にして60kmちょっと。街道沿いに歩いたときの距離はもう少し長くなるが、今日明日9時間くらいずつ歩けば、問題なく到着できる距離だった。


「トルーズで一泊した後、問題がないようならそのままナスカスまで移動する。この避難隊はそこで一度解散することになってるな」

「そっか」

 エラクリットからサーカスに来る前に通過しただけの町の様子を思い出しながら、レックは答えた。

 はっきり言って、大した規模の町ではなかった。ただし、サーカスや今目指しているトルーズと違い、小さいながらも町の周囲には防壁が築かれ、防衛面ではサーカスやトルーズよりも遙かにしっかりしていたと記憶している。

 そこまで考え、ふと思い出したことをグランスに訊いてみる。

「そう言えば、エラクリットはどうなってるの?」

 出発の間際にエラクリットが襲われたという話は聞いたものの、その後はやいのやいのと大騒ぎになって、細かい説明は結局聞いていない気がした。ミネアも思い出したのか、

「気になりますね」

「俺も詳しくは知らないが、大きな被害は出たらしいな。負傷者だけじゃなくて、死人まで出たらしい」

 死人が出たという言葉で、レックとミネアの顔が強ばった。

「幸い、撃退には成功したらしいが、公認ギルドが機能していないこともあって、徐々に治安が悪くなってるらしい。フォレスト・ツリーとしては、可能ならばエラクリットにまで乗り込んで、何とかするつもりらしいな」

「何とか出来るのでしょうか?」

 不安そうなミネアの頭をぽんぽんと叩いて、

「そのための戦力をナスカスで編成して、送り込むつもりらしい。辺境の槍の連中は、それに協力すると明言していたな」

「僕たちは?」

「俺個人としては、混乱が早く収まるに越したことはないと思っているからな。俺たちが協力することで、早く状況が落ち着くなら協力する選択肢もあり得るな」

「じゃ、ナスカスに着いた後はエラクリットって訳だな」

 いつの間にか、後ろにいた3人もこっちの話に耳を澄ましていたらしく、クライストが割り込んできた。

「ああ、懐かしのエラクリット。という訳じゃな」

「だねー。こないだまでいたってゆーのに、もう、懐かしいよ」

 続けてディアナとリリーも割り込んでくる。

「まだエラクリットに行くとは決まってないぞ?状況があまりにも悪くて危険だと判断したら、俺としては止めざるを得ない」

 真剣な顔で話すグランスに、

「その程度でびびってたら、ダメだろ」

 口調は軽かったが、その一瞬だけ、クライストの表情も真剣なものだった。すぐにいつも通りに戻ったため、レック以外の誰もが気づくことはなかったが。

(何だろう、今の顔……)

 そう思ったレックが、クライストに訊こうかなと思った瞬間だった。


 ピィィィィィーーーーー!!


 コンラッド達がいるはずの馬車の方から、鋭い笛の音が聞こえてきた。

 瞬く間に周囲に緊張が走り、隊列全体が前進を停止する。

 予め決められていた符号では、笛の音1つは「敵発見、戦闘準備に入れ」だ。

 続けてすぐに、避難隊の隊列の各所に配置されていたフォレスト・ツリーの連絡員が、

「敵集団はゴブリン10体以下。右前方の森の中から出現。ギルド『サザビーズ』が対応する」

 と、ギルドメッセージを受けとって、大声で叫ぶ。

 それを聞いて、レック達も、その周囲のプレイヤー達も力を抜いた。どうやら、通常のエンカウントらしい。ならば、ほとんどの冒険者達の出番はない。



 ゴブリンは人型の亜人種だ。極めて好戦的で、人間を見るとすぐさま襲いかかってくる。ただ、力こそ人間よりやや強いものの、動きはそれほど早くない。武装はしていないか、していても大抵は大したものではないので、初心者でもない限り、まず負けることはない。敢えて言うなら、集団で行動しているので数に注意といったところだが、連携を取りながら攻撃をしてくるわけでもないので、パーティを組んだ冒険者にとっては脅威ではない。


 フロンティアからの撤退組の1つであるサザビーズにとって、ゴブリンは勿論雑魚である。戦闘自体には何の不安もない。なので、『魔王降臨』後の初戦闘としては悪くない。

 こちらへ駆けてくるゴブリンの集団を見ながら、サザビーズのマスター、ニコラウスはそんなことを考えていた。

 何しろ、死んだらそれで終わりなのである。

 戦闘が死の恐怖と隣り合わせになった以上、死の恐怖に慣れていかなければならない。かといって、すぐに今まで通りに動けるとは思えないので、十分格下の相手と戦って、少しずつ慣れていくべきだと考えていた。

「みんな、覚悟はいいか!」

 ゴブリン相手ならまず死人は出ないだろう。それでも、念のため、仲間達の気合いを入れ直す。

「「「おーーー!」」」

 仲間達の声に満足し、

「隊列に近づけすぎると、俺たちを迂回するのが出てくるかも知れないからな。少し離れたところで迎え撃つぞ!」

 そのニコラウスの指示に従って、14名のサザビーズメンバーが前進を開始した。

 別に軍隊というわけでもないので装備はばらばらだが、既にいつもの戦闘隊形になっている。といっても、特に奇をてらった物ではなく、戦士や剣士、騎士が前衛を務め、弓師が後衛から援護する、冒険の際の基本隊形だ。隊形の中央には虎の子のヒーラーがいて、怪我をした仲間にいつでも回復魔法をかけられるように待機している。

「左右に少し広がった方がいいんじゃないのか?」

 仲間からの提案に、ニコラウスはゴブリン達との距離を測りながら、

「そうだな、少し広がろう」

 と、許可を出す。

 それと共に隊列の前衛が少しばかり左右に広がった。

「このあたりでいいか」

 隊列から100メートル近く離れたところで、ニコラウスは仲間達に停止を指示した。

 駆けてくるゴブリン達との距離はあと100メートルもない。指示を出すまでもなく、サザビーズのメンバーは全員が自分の武器を構え、衝突を待つ。

 幸い、ゴブリン達はサザビーズを脅威として回避するようなこともなく、まっすぐ突っ込んできた。しかしその動きはあまりに単調すぎた。弓の射程に入るとすぐ、矢に射貫かれ、2体のゴブリンが集団から脱落した。即死はしなかったようだが、すぐに後続のゴブリンに踏みつけられ、結局は戦闘不能になっていた。

 それでも7体のゴブリンは前進を続け、そして、サザビーズと接触、戦闘が始まった。とは言っても、あまりにも力量差がありすぎた。

 最初に接触したサザビーズのメンバーは、ゴブリンが振り下ろした棍棒を左の盾で易々と受け止め、右手の剣でゴブリンの喉を突き、一撃で絶命させた。

 盾を持っていないメンバーも、何も考えてないかのように振り回される棍棒を避け、ゴブリンの首や脇腹を切り裂いていく。

 ただ……

「うわっ!なんだこれ!!」

「マジかよ!」

 ゴブリンを倒したメンバー達は、予想外の事態に慌てふためいた。

 返り血である。


 流血はあまりにもゲームが生々しくなるため、実装されていないはずだった。つまり、敵を切り倒そうが何をしようが、ジ・アナザーでは戦闘行為によって血を見ることはない。


 そのため、斬り殺したゴブリンからの大量の返り血を浴びたサザビーズのメンバー達は生理的な嫌悪感と混乱に襲われたのである。ただ、それは本来致命的とも言える隙だったのだが、相手を一撃で行動不能に出来ていたため、今回は事なきを得た。

 少し遅れてゴブリンを倒したメンバーは、多少の動揺を抱えたまま戦うことになったが、幸い大きな傷を負った者はいなかった。

 ただ、大量の返り血を浴びたメンバーの精神状態は、お世辞にも平静とは言えなかった。

「なんだよこれ……」

 瞬く間に戦闘事態は終わったものの呆然とする仲間を見ながら、ニコラウス自身も唖然としていた。一体、何が起きたのか。見れば分かる。だが、感情が理解を拒否しようとしていた。

「落ち着け!」

 そんなニコラウス達サザビーズメンバーに、大きな声が投げかけられた。

 ハッと振り返った彼らの目に写ったのは、馬に乗った辺境の槍のユージだった。

 無論、ユージも全く動揺していなかったわけではない。しかし、戦闘の当事者でなかったため、いきなり間近で出血を見ずに済んだ分だけ、ニコラウス達よりは冷静さを保てていた。

「まず、返り血を浴びた装備を外せ!アイテムボックスから水を取り出して、洗うんだ!」

 本来ならギルドが違うユージの命令に、サザビーズのメンバーが従う理由はなかった。しかし、軽い錯乱状態にあって何をすればいいか見失いかけていた彼らは、その命令を簡単に受け入れていた。

 もたもたと装備を外し、血を洗い流し始めた彼らを見守っていたユージは、後ろから近づく足音に振り返った。

「これは……一体なんですか?」

 血の気が引いたスティーヴンに、自分も似たような顔色なのだろうなと思いながらユージは、

「見たとおりだろう。敵を切ったら血が出た。それだけだ」

 その言葉に少し考え込む様子を見せた後、

「仕様変更の一つ、ですか?」

「だろうな」

 スティーヴンが出した結論に、ユージも頷く。

「はた迷惑な仕様変更だ。これは慣れるまでは刺激が強すぎるぞ」

「つまり?」

「今まで通りの実力を発揮できなくなるってことさ。とにかく、一度話し合う必要があるな。町長を呼んでくれ」



 ユッコに起こされたコンラッドは、寝ぼけていたのもあって些か機嫌が悪かった。彼女から報告を聞いても、実体験として経験していない彼には、いまいちピンと来なかった。

 しかし、ユージの指示で辺境の槍のメンバーに連れられ、戦闘現場に立って、眠気も機嫌の悪さも全部吹き飛んだ。

 かろうじて血を洗い流し、落ち着きも取り戻したサザビーズのメンバーは兎に角、ゴブリン達の死体は、未だ彼ら自身の血の海に浮かんでいたのだから。

「確かにこれはまずいな」

 ユージから説明を受けたコンラッドの第一声がそれであった。

 いくら強いプレイヤーであっても、返り血を浴びたりして錯乱すれば、敵にあっさり殺されかねない。すぐさま対策を考える必要があるというユージの意見はもっともな物だった。

「あの死体はいつ消える?」

「仕様変更がなければ、10分ってところか。……見せる気か?」

 質問の意図を察したユージに、コンラッドは、

「慣れるためにはアリだと思うが……どうだ?」

「見て気分のいい物じゃないがな。何人かしばらく使えなくなるかも知れないぞ」

「戦闘中に役立たずになるよりはマシだと思うが」

「……一理あるな」

 ユージの同意を得て、コンラッドはギルドメッセージで、冒険者を順番に、こちらに寄越すように指示を飛ばした。


 最初にやってきたのは隊列前衛のフロンティア組からだった。すぐにやってきた彼らは、既に何が起きたのかを分かっているようだった。

 怖い物見たさの野次馬がおっかなびっくりやって来た……そんな様子の彼らを笑う余裕は、コンラッドにもユージにもなかった。

「気分が悪くなりすぎない程度にしっかり見ろ。そして慣れろ。これが仕様変更だ」

 フォレスト・ツリーの指示で入れ替わり立ち替わりやってくる冒険者達に、ユージはそれだけを言い続けた。

 吐いたり、ふらふらっと倒れてしまった冒険者もいた。その様子を見ながら、

(思ったよりダメな連中が多そうだな……人ごとじゃないがな)

 ユージはこれからの戦闘の厄介さを思い、一人嘆息した。



 ただ、誰にとっても幸いなことに、翌日にトルーズに入るまで、大きな被害が出るような大規模戦闘はなかった。小規模な遭遇戦は何回かあったが、それは避難隊の冒険者達に、流血表現に慣れさせるいい機会となっただけであった。

 プレイヤーも怪我をすると出血する……のが判明したのは余談である。

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