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ジ・アナザー  作者: sularis
第七章 仮想現実
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第七章 第六話 ~剥がれる世界~

 場所はキングダム大陸会議本部の大会議室。

「それでは、会議を始めます」

 いつも通り、ピーコの言葉で大陸会議が始まった。

 議長であるはずのエルトラータは基本的にお飾りなので、最近は単に座っているだけのことも多い。よくあれで居眠りしないのは大したものだというのが、会議参加者の間の共通認識の1つとなっている。

「報告からですが……まずは冒険者ギルドの方から幾つかあるとのことですので、ギンジロウ、お願いします」

「ああ、そうだな。1つはもう話は聞いていると思うけど、水の精霊王の件だ。湖まで行けるのが二人ほど出た。他の連中と同じようにいくらかの支援を行う予定だが、今のところめぼしい実績がないからな。それに見合っただけの支援を行っている。

 もう1つもそれ絡みなんだが、件の蒼い月がキングダムに戻ってきててな。確証はないものの、魔力が大きい者だけが通り抜けられるんじゃないかって話をしてくれた。証拠も無ければ検証も出来ない話だけどな」

 ギンジロウの話に議場がざわめく。

「その魔力云々って話は信用できるのか?」

 顎髭をいじりながら冒険者クラン『ダイアモンド・スピア』のマスター、バスターがそう聞き返し、何人かから白い目を向けられた。

「バスター。ギンジロウが言ったでしょう。証拠も何もないと」

 ピーコの冷たい視線を浴び、バスターが思わず固まる。そんないつもの光景に、会議の参加者達は苦笑するのみだった。

 ピーコ本人もいつものことなので、バスターからはすぐに視線を外し、ギンジロウへと移す。

「ところでギンジロウ。今言った魔力というのは、私たちが単純に想像するものでいいのですか?」

「そうだな。魔法を使うのに必要な力ってことでいいみたいだ」

「なら、その話が本当なら、魔力が多いプレイヤーを探し出す役には立つかも知れませんね」

 とは言ったものの、ピーコは余りアテにしていない。本当に使えるのかどうかという疑問もそうだが、そもそも魔術を使える者が少ないのに魔力が多い者を探しても役に立たないからだ。

 魔術の祭壇の位置を公開するようになって、確かに何らかの魔術を使える者は増えた。それでも、冒険者達ですら数人に一人程度しか魔術を使えないし、それ以外ではまず使える者はいない。結果、魔術を実際に使える者は10人に一人いるかいないか程度であり、それも大した魔術は使えないという状況だった。

 そんなわけで、ピーコはその報告はとりあえず横に置いておき、次の報告を促す。

「後は蒼い月からちょっとしたシステムクエストらしき報告が上がってるな」

 ギンジロウが口にしたシステムクエストという単語で、再び議場がざわつく。

「マジか!?」

「どんなのだ!?」

 何人かが思わず立ち上がるが、しかし、ピーコが手を叩く音でハッとなって椅子に座った。

 少し考えれば、放って置いてもギンジロウが詳しく説明するだろうことは明らかであり、それにも関わらず待てなかったというのは、イデア社が提供するシステムクエストへの期待の大きさによる。

 それでもそれなりに落ち着いた議場を見て、ギンジロウは説明を再開した。

「ペルの東の湿地にファイアボールの祭壇があるのは知ってるな?そこにリザードマンが集落を作っていたそうだ。そして、その中央に巨大な蛇が陣取っていて、それを退治したところ、リザードマンに感謝の証として、一枚のメダルを貰ったそうだ。なんでも、そのメダルがあれば世界中のリザードマンからも襲われなくなるらしい」

 ギンジロウの説明が終わる頃には、思ったより話が小さかったこともあり、一部から失望のため息が漏れるほどだった。ただそれでも、注目すべき情報であることには変わりがない。

「リザードマンとの友好関係か。同じように他の亜人型エネミーとも友好関係が結べたりするのか?」

「さあな。……ピーコはどう思う?」

 ギンジロウはパンカスの質問にそう答え、そのままピーコへと話を振った。

「可能性があることは間違いないでしょう。上手くやれば、彼らの妨害を受けることなく探索や輸送を行えるかもしれないと考えると、実に魅力的ですね」

「ふむ。確かにな。ゴブリン程度でも大量に彷徨かれると邪魔になる。それが襲ってこなくなるだけでも、随分助かるか」

 そのような経験があるのか、パンカスはそう頷いた。

「ところでさ、そのクエストとやらは何回でも受けられるものなのかねぇ?」

 そう訊いたのはケイである。今日はいつもに輪を掛けて、どこの舞子だという様相であるが、今更誰も気にはしていなかった。

「むう、それは問題だな」

「流石に蒼い月もそれは知らなかったね」

 ケイの質問に唸る参加者達。だが、ある程度予想は出来た。

「……無理でしょうね」

 あっさりとピーコが結論を口にする。

「今までにボス討伐は時々ありましたが、倒されたボスエネミーが復活した事例は今までにありません。その蛇がボスエネミーだった場合、もう駄目でしょう」

「だよな~」

 今回もそうだろうと予想が付くだけに、何人かの参加者は肩を落とし、机に突っ伏していた。

 尤も、全員がそう言うわけでもなく、

「まあ、他の種族で別のクエストが起きるかも知れない。注意はしておいてもいいだろう」

 とレインから前向きな意見も出てきた。

「そうですね。少し探してみるのはいいかもしれません」

「なら、冒険者ギルドの方でクエストに出しておくか?」

 ピーコの言葉を受けてギンジロウがそう言うと、

「それも手だが……蒼い月が手に入れたというメダルは、他人に譲渡できる代物なのか?」

 とレインが確認するようにギンジロウに訊ねる。

「どうだろうな。譲渡不能なアイテムは見たことがないが、譲渡すると効果がなくなる可能性はある。それなら事実上譲渡不可能と言っていいだろうな」

「となると、下手な冒険者の手に渡ると、宝の持ち腐れになりかねないな。……1つしか入手できないとしてだが」

 そんなレインの予想を聞いて、確かになとギンジロウは頷いた。

「なら、まずは大陸会議傘下のクランにのみ情報を流すか」

「なんだか、談合っぽいねぇ……」

 ギンジロウの提案にケイがそうチャチャを入れたが、別に反対というわけでもないらしい。

 他の参加者達も、どこの馬の骨とも知れない冒険者が手に入れて死蔵してしまうよりはと、賛成に回った。

 こうして報告から出てきた議案がそのまま決定され、次の報告へと移る。

「新しい魔法の祭壇の発見だが、こっちはさっぱりだな。死に戻りが出来た以前なら兎に角、今となっちゃ無理は出来ないからな。サークル・ゲートの調査の方も然りだ」

 淡々と進むギンジロウの報告には、先ほどまでのような目を惹く成果はない。

「地下通路も今のところ人手が減ってしまって、停滞気味だな。相変わらず、エネミーも何もない。ただ、どんどん深くなっていくだけだ」

 そんな感じでギンジロウの報告が終わると、次はケイからキングダム大陸全体の流通状況についての報告である。

「順調って言いたいけどねえ。やっぱり、キングダムから遠い場所までは物資がちゃんと届いてないよ。そもそも、端っこの方の町だと消耗品を届けてもそれに見合うだけの利益が無いからさ。赤字覚悟のボランティアになってるんだよねえ」

 今のところは何とかやっているが、公益サービスとして割り切って予算を付けない限り、いつかは破綻するとケイは言う。

「いっその事、町を放棄した方がいいかもしれないねえ」

 そんなケイの提案にギンジロウが噛み付く。

「しかし、探索を進める上では必要だ。拠点から離れれば離れるほど探索はしづらくなるからな」

 どちらも尤もな意見だけに、参加者達も頭を悩ませ、その意見も割れる。ゲームのままであればギンジロウの意見を取っておけばいいのだが、無責任な判断が死人を出してしまう可能性もあるだけに、難しい問題と化していた。

 喧々囂々とはほど遠い議論が延々と続き、出た結論は、

「重点探索地域を指定し、それ以外の地域の町は撤収。重点探索地域の町に集中投資を行う。重点探索地域は定期的に切り替える。これでいいですね?」

 というものだった。一般冒険者や撤収対象となる町の住人の意見を聞く必要があるという声もあったが、配慮のしすぎで首が回らなくなってからでは遅いのだという意見には納得せざるを得ず、せめて反対者を真面目に説得するということで落ち着いた。

 その後も幾つかの報告と、それへの対処が話し合われ、決定されていく。

 そして数時間が過ぎ、

「そう言えば、冒険者ギルドの方のランク制導入はどうなっていますか?」

 報告がなかったことを思い出し、ピーコがギンジロウに尋ねた。

「あー、停滞中。決まってないこともあるんだが、問題もあって」

「問題ですか?」

「ああ。そうだな、一言で言うとランクの偽装にどう対処するか、だな」

 そうして、ギンジロウは現在考えられているランク制度について説明をしていく。

 それによると、ギンジロウ達の案ではランクは3種類ある。

 1つ目は戦力ランク。要するにどれだけの強さを持つかと言うことである。討伐系など、戦闘を伴うクエストを受注する際に重視される。

 2つ目は生存力ランク。クエストによっては街から離れた場所で何日も過ごさなくてはいけない。そう言った時に生き延びる力である。例え強い魔獣を倒す力があっても、毒キノコを食べて倒れる人もいるというわけである。

 3つ目が信用度ランク。要するにどれだけ信頼して仕事を頼めるかということである。採集クエストで粗悪品を納品したり、輸送以来で荷物を盗んだりする冒険者が後を絶たない。酷い冒険者からは冒険者カードを取り上げることもあるのだが、最初から実績を積み上げた冒険者に頼むことで、被害を事前に防止しようということである。

 多少複雑とは言え、そこまでは良い。

 問題は、そのランクの情報をどう管理するか。そして、カードの偽造や書き換えをどうやって防ぐかが問題となっていた。

 今ですら、犯罪歴のある冒険者が自らのカードを書き換えたり偽造したりしているのである。その対策を取らなくては、折角のランク制も使い物にならないのだった。

「手間が増えるが、情報そのものはギルドの方で管理すればいい。問題はカードの方なんだよなー」

 何しろ人間の手で直接作っている代物である。透かしや模様の細かさなどを工夫することで偽造や書き換えをある程度防いではいるのだが、それでも技術力のある人間の手にかかれば、偽造も書き換えもし放題であった。

「そうですね……。確かにそれは問題です」

 ピーコはそう言うと、鍛冶系クラン『鍛冶屋のスミス』のマスターであるクレシア、そしてケイへと視線を向けた。

「この問題は私たちが担当した方が良さそうです。後で少し残って貰えますか?」

「そうだねえ。あたし達にも関係あるし、協力させてもらうよ」

「ま、他に出来るやつらがいないんじゃ仕方ないな」

 ピーコの要請に、ケイとクレシアが頷き、この件はとりあえずそう言うことになった。

 ちなみに、最後に酒場の件についての報告がピーコからあったのだが、今のところ酔っぱらいが起こした喧嘩の他に特に問題もなく、あっさりとした報告で終わったのだった。



 会議も終わり、その日の晩。

「お疲れ様」

「ええ。今日も大変でした。でも、手は抜けませんから」

 エルトラータの部屋で、エルトラータとピーコは(さかずき)を傾けていた。

「そうだね」

 エルトラータはそうとだけ答えた。ピーコのためにも、このプライベートの時間に仕事の話をするのは最小限にするべきだ。

 代わりに、別のことを訊いてみる。

「ところで、体調はどうなのかな?この間、少し崩していただろう?」

「ええ。でも、もう大丈夫です。最近は食欲も出てきて、元気いっぱいですよ?」

「それは良かった」

 そうエルトラータは微笑んだが、同時に別のことが気になった。

 訊くべきか訊かざるべきか。

 だが結局、この日は訊くことを避けた。誰だって、恋人の機嫌を損ねたくはない。そして、女性に体重や体型のことを訊けば、機嫌を損ねてしまうのは間違いないのだから。

 だから、「少しお腹が出てきたんじゃない?」とは訊けなかったのだった。


 さて、更に夜も更けて、深夜。


「まさかとは思っていましたけど、やっぱり、少し太ってきてますね……。運動不足でしょうか」

 エルトラータが寝息を立て始めたのを確認したピーコはベッドを抜け出し、鏡の前で自らの裸体を確認する。

 ピーコは少し出てきた自らのお腹を撫でながら、明日からは食事がどんなに美味しくても我慢しよう。そう誓った。

 尤も、実は食事制限をしたところで意味はない。全くない。



 それから更に数日後のことである。

「何かしら?」

 廊下を凄まじい勢いで誰かが走ってやってくる。

 危ないから走るなと厳命しているはずなのにとピーコが眉をしかめていると、バーンという音がしそうな勢いで、執務室の扉が開かれた。

 そこにいたのは、

「……ミランダ?」

 ふたこぶらくだでマスター代行として職務をこなしているはずのミランダだった。

「どうしたんですか?そんなに慌てて」

 隣の建物からほんの少しの距離を走ってきただけにしては、見事なまでに息切れしている信頼できる片腕にして親友を見ながら、ピーコは首を傾げた。

「はぁっ……はぁっ……いいから、扉……閉めて……」

 ミランダの様子に疑問を感じながらも、ピーコはミランダの言葉通り、執務室の扉を閉める。その時、驚いたような顔をしてミランダを見ている警備兵に、気にしなくても良いと言っておく。

「それで、そんなに慌ててどうしたんですか?」

 執務室に備え付けられているポットから冷たいお茶をコップに入れ、今頃汗が噴き出してきたミランダへと渡す。

「はぁっ……はぁっ……ありがとう……」

 ミランダはピーコから受け取ったお茶を一気に飲み干し、少し落ち着いたようである。

 ゆっくりと深呼吸を繰り返すと、後ろの扉がしっかり閉まっているかどうかを確認する。

 その様子にピーコは再び首を傾げるも、すぐに説明してくれるだろうと素直に待っていた。

「ちょっと、とんでもない報告が入ってきてね……。それで飛んできたんだけど」

「とんでもない報告、ですか?」

 ミランダの目に、隠しても隠しきれない不安を見て取り、ピーコもまた不安を募らせる。

「ああ、そうさ。聞いて驚かないでよ?って言っても絶対無理か」

 ミランダはそう言って首を振ると、

「絶対大声を出さないようにして欲しいんだ。口を固く閉じて、両手で蓋もして」

 念には念を入れた指示。ピーコはそれにますますどんな報告だろうと不安と疑問が募るが、まずはミランダに言われたとおりに口を塞いだ。

「じゃ、いいね。先に言っておくけど、本当に大事件なんだ。一応、ふたこぶらくだの方には箝口令を出してきたけど。でも、すぐに露見することだし、何かしないといけないなら、すぐに動かないとまずいと思うよ」

 口をしっかり塞いでいるピーコは、それに頷いて了承の意を伝える。

 それを見たミランダはまだ何か言いたげな様子だったが、これ以上は蛇足だと感じたのだろう。

 大きく息を吸い、そして吐く。

 そして、ピーコの耳元に顔を近づけて、小さな声で、自分が受けた報告の内容をピーコへと伝えた。

「!!!!??」

 その瞬間、口を塞いでいて尚、ピーコの声から悲鳴が漏れかけた。

 その顔は驚愕に染まり、まん丸に見開かれた目でミランダを凝視する。

「残念ながら、本当らしいんだ。既に何人か確認に向かわせてある……。ねえ、ピーコには何が起きてるか……分かってたらそんなに混乱しないよね……」

 落ち着きを取り戻して見えるミランダだったが、その内心はまだまだ混乱したままだった。ピーコがさっきミランダの目に見て取った不安は、理解できない事態に対するものだったのだ。

 尤も、今のピーコはミランダ以上に混乱していて、そんなことに気づく余裕はない。

 だが、あることには気づいた、気づいてしまった。

 ピーコは慌てて自分のお腹に手を当て、そして何度かゆっくりと撫でてみる。

 そうして思い出されるのは1~2ヶ月前のこと。妙に吐き気がして、何度も吐いた。代わりに、酸っぱいものが妙に美味しく感じられた気がする。

 最近はというと妙に食事が美味しくて、体重も少し増えた気がする。

 そんなピーコを見て頭の上に疑問符を浮かべていたミランダも、何かに気づいたらしい。

「ピーコ……あんた、まさか……」

 急速に広がる理解の色。

 だが、ピーコにはその続きは必要なかった。

 自分でちゃんと理解してしまったからだ。


 ……妊娠してしまったのだと。




 さて、場面は変わる。

「これで、監視システムの完全停止が確認されましたね」

 プリンタから打ち出された書類を片手に、部下の女性がそう報告してくるのを彼は眺めていた。

「チャットシステムも、旧来のシステムは完全に停止しています。また、メビウスループも……」

「要するに、順調にイグドラシルへと制御が移されているわけだ」

「……そうなりますね」

 報告を遮るように口を挟んだ彼を睨み付けるように、部下の女性は彼を見た。

 その視線に込められている非難を感じ取り、彼はため息を吐く。

「……はぁ。君は真面目すぎるよ。どうせ、僕達が何もしなくてもイグドラシルが全部やってくれるんだ。終了していくだけのシステムを監視するなんて、馬鹿らしいと思わないかい?」

「イグドラシル側での起動確認もありますし、そもそも万が一ということもあります。このプロジェクトは絶対に失敗は許されない以上、常に全力を尽くすべきです」

「……僕達の全力なんて、焼け石にかける水滴にすらならない気がするけどねぇ」

 生真面目な部下にもう一度ため息を吐きながら、彼は自分の目の前に浮かんでいる仮想ディスプレイを眺めた。

 そこにはジ・アナザーを支えてきた各種システムの稼働状況が時々刻々と表示されている。

 だが、そのうちの幾つかは既に灰色になって活動停止を表していたし、完全にイグドラシルに制御が移行したシステムに至っては、表示すら消えている。

 隣の仮想ディスプレイへと視線を移すと、そちらではイグドラシルで稼働し始めたシステムがリストアップされていた。目下の所、全て正常。尤も、異常が出たところで彼に為す術はない。せいぜい上に連絡する位なのだが、上にも何も出来ないことは彼もよく知っていた。

 要するに、本当に見ているだけなのである。何か起きてもするべきこと以前に、出来ることがないのだ。彼が馬鹿らしいと思うのも無理はない。

 とは言え、彼の性格上、暇なのは決して悪いことではなかった。

「流石に次の精霊王の解放まではしばらくあるよね」

 ぶっちゃけ、やることなど殆ど無い今の職場で、これから暫くどうやって時間を潰すか彼は悩み、正面に立っていた部下の女性へと視線を遣ると、

「どう?今夜夜景でも見ながら、食事でも?」

 その戯れ言の結果は、両方の頬にできた真っ赤な紅葉であった。



 一方、シャックレールではクラウスが目の前に広がる光景に、難しい顔をしていた。その隣では、セリスも美しい眉を顰め、ついでに可愛らしい鼻をほっそりした指でつまんでいる。

「とりあえず、こうなった理由を聞かせて貰えるかしら?」

「……そっちが気になるのかい。まあいいけど、大体見たら分かる気もするんだけどねえ」

 元々食堂か何かに使われていたと覚しき建物の一階。その十分な広さを誇る部屋の床の上には、男女を問わず、何人もの人間が転がっていた。

 それだけなら、セリスが眉を顰めることもなかっただろう。いや、顰めてはいただろうが、そこに嫌悪の色が混じることはなかったに違いない。

 床の上に転がっているのは、鼾をかいている人間だけではなかった。何本もの空き瓶が転がっていた。

 文字通り、その中身は空であるのだが、何が入っていたかは今この空間に漂う独特の臭いだけで十分に分かるだろう。

「どう見ても、誰かが酒を用意して、みんながそれを飲んで潰れた後にしか見えないわ」

 そう言いながらクラウスに向けられた視線は、「どうせあなたが用意したんでしょう」と詰問するかのようだった。

 普段ならそれに苦笑で答えるところだが、今のクラウスはそんな気にはなれなかった。

「まあ、否定はしないね。買ってきてくれるように頼んだのは事実だ」

 そう言いながら、アイテムボックスからキープしておいた瓶を1つ取り出す。

「あなたも飲む気なの?」

 不機嫌度50%増しと言った具合のセリスの声に、クラウスは頷いた。

「僕自身はあまり好きじゃないけれどね。こうなった以上確認する必要があるのさ」

 そう言いながら、無事なグラスを2つ取ってきて、テーブルの上に置く。ついでに倒れていた椅子も2つ拾ってきて、その片方に腰を下ろした。

「君も一杯、どうだい?」

 注ぎながらクラウスが訊くと、

「……一杯は要らないわ。でも、一口だけちょうだい」

 いくら換気をしても、倒れている仲間達の口から次々とアルコール臭が吐き出され続ける現状では、いっその事、自分も少し飲んだ方が臭いが気にならなくなるだろう。セリスはそう判断したのだった。

 空いている椅子に腰掛け、中途半端に中身が入ったグラスを揺らす。

「僕は2~3杯ほど飲まないといけないかな……」

 そう言いながら、クラウスは最初の一杯をぐいっと一気に飲み干した。

「できれば、それから暫く雑談にでも付き合って欲しいんだけど?」

「……気は進まないわね」

 セリスはそう言いながらも拒絶はしない。

 グラスの中身を空ける時、クラウスが凄くイヤそうな顔をしていたのを見ていた。どうやらアルコールが好きじゃないというのは本当らしい。にもかかわらず、何杯も飲むという。その理由に興味があったのだ。

「しかし、久しぶりのアルコールとは言え……見事に皆撃沈したものだね」

「全くだわ。これで風邪を引いても自業自得ね」

「きついご意見、ありがとう。きっとみんなも泣いて喜ぶよ」

 そう言いながら、クラウスは空にしたグラスに次を注ぐ。

 その様子を見ながら、セリスも杯を傾けた。

「それで、これもあなたの実験なの?」

「どうだろうね、とぼやかしたいところだけど……」

 クラウスはそう言いながら、死屍累々の眼前の光景を一瞥し、

「君にくらいは教えておいてもいいね。そう、実験だ」

「そう」

 セリスはそう相槌を打ったが、目の前の光景はどう見ても酔っぱらい共が夢の後であって、実験には見えなかった。だが、クラウスの頭の中はどうにもよく分からないことが多いので、そういうモノなのだろうと納得しておくことにする。

 ただ、どうにもならない不満もあった。

「……もうちょっと美味しいお酒は手に入らなかったのかしら?」

 思わずセリスが零したその言葉に、クラウスがニヤリと笑う。

「酒飲みは嫌いじゃないのかい?」

「……嫌いとは言ってないわ」

 油断したかとセリスは後悔するが、既に手遅れ。幸いなことに、クラウスはそれ以上突いてくる気はなかったらしいが。

「まあ、こんなカクテルの出来損ないみたいなものしか手に入らなかったみたいだよ」

 そう言いながら、クラウスは再びグラスを一気に空けた。

「……正直、僕としてはこんなものを倒れるまで飲む彼らの気持ちはよく分からないな」

「不本意ながら、それは同意するわ」

 セリスもグラスを空にすると、クラウスへと押しやった。

「ん?もう少し飲むのかい?」

「一口だけじゃ、臭い消しにならなかったもの」

「なるほどね」

 クラウスは特に追求することもなく、自分のグラスを満たした後、セリスのグラスにも少しカクテルを注ぐ。

「……流石に空きっ腹にアルコールは効くね」

「そこまで再現しなくてもいいと思うけど、元々そういうものでしょう?」

「……そうだね」

 クラウスはそう答えると、ふと問答でもしてみようかと思いつく。

「セリスは、この世界は何のために存在すると思う?」

「それを調べるのが私たちの目的でしょう?」

「そうだね。だから、予想で良い。聞かせてくれないかな?」

 クラウスのその言葉に、セリスは少しカクテルで口を湿らせる。

「真理への道。あるいは神の模倣」

 その口から出てきた言葉は、ある種の模範解答だった。

 だが、クラウスは首を振った。

「ならば、プレイヤーを閉じ込める必要はないはずだよ。本当に神を目指すというなら、むしろプレイヤーなどは邪魔者でしかない」

「……モルモットじゃないの?」

「にしては数が多すぎる。数十万もモルモットは要らないよ」

「それじゃ、あなたの考えはどうなのかしら?」

 セリスの言葉に、クラウスは少し考える。

 確かにセリスとは違った予想はしている。だが、それが正しいとは思えない部分もまだあるのだ。

「どうしたの?」

「……いや。まだ僕の考えは言うべき時は来ていないね」

「自信がないのね」

「その通り。自分で満足できない解答など、人にはとても言えないよ」

 そのクラウスの答えに、しかしセリスは機嫌を損ねた様子はなかった。

「まあ、いいわ。久しぶりにお酒を飲めて気分が良いから許してあげる。感謝しなさいよ?」

「……そうするよ」

 苦笑しながらそう答え、クラウスはその事に気づいた。

 ――自分は酔っている。


 セリスが去った後、クラウスもまた研究所へと戻っていた。

 その表情は、アルコールを摂取した人間のものにしてはあまりにも険しい。

 椅子にどっかと腰を下ろすと、アイテムボックスからノートを取り出し、ページをぱらぱらと捲る。

 そうして、目的のページを見つけると、机の上からペンを取り、唯一太字で書かれていた項目にYESとチェックを付けた。

 暫く自分の書いたそのチェックを睨み付けていたクラウスは、ペンを机の上に放り出し、ついでにノートも放り出した。放り出されたノートが机の上の怪しげな器具にぶつかり、幾つかを床の上に叩き落としてしまったが、クラウスは気にする余裕もない。

 背もたれにもたれ掛かると天井を仰ぎ、目を閉じ、両手で顔を覆った。

 その脳裏を駆け巡るのはここ数ヶ月の実験結果の数々。

 あり得ないほどに微細なレベルで再現された様々な生物。

 魔術もまた現実世界と区別が付かないレベルで再現されていた。それこそ、意図的に失敗するようにした魔術がやはり失敗するほどにまで。

 そして、マルコが行使した生物探査の魔術。あれは生命全てが持っている魂の存在を感知する。尤も、魂以外の何かを感知するようにこの世界が構築されているなら、確固たる証拠となり得ない。

 だが、アルコールで酔うというのは、決定的な証拠だった。

 ブレインプロキシを介した現実世界の肉体で思考をしている限り、ここでアルコールを摂取しても酔うことなどあり得ない。言い換えれば、アルコールで酔うためには思考主体がこの世界に存在しなくてはならない。

 それは、自分たちが現実世界からこの世界へ接続しているのではなく、こちらの世界に移動してきてしまっていることを意味している。

 食いしばった口から漏れたのはたった一言。


「……ここは…………ではないのだな」


 クラウスのその声は、室内の闇へと吸い込まれ、静寂を乱すには至らなかった。

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