第七章 第四話 ~リザードマンのメダル~
焚き火がパチパチと音を立てながら燃えている。
周囲は既に暗く、化け物蛇によって潰された粗末な小屋の数々の様子は、既に地面に蟠る闇としてしか認識できなくなりつつあった。
「星は綺麗なんだけどね」
夕食も終え、地面に寝っ転がったレックがそう言うと、
「そろそろ、どこかの誰かが星座を作っても良い気がするがのう」
と、レックの言葉に夜空を見上げたディアナが、にやけ顔で言う。
離れたところではマージンが、
「ほんまに金属そのものやなぁ」
などと言いながら、化け物蛇の死体から熱心に鱗を剥いでいた。曰く、特に変わった金属ではないそうだが、武器や防具の材料として持って帰れるだけ持って帰りたいとのこと。尤も、剥ぎ取りには苦労しているようで、まだ百数十枚しか取れていない様子であった。
一方、他の仲間達はというと、概ねレックやディアナ同様にくつろいでいる。わざわざ食事の後にまで、死体からの剥ぎ取りと言うグロテスクな作業を、やるつもりも見るつもりもないと言うことである。
そんな焚き火の側でくつろいでいる一人、グランスがボソリと口を開いた。
「結局、ここの攻撃魔術を覚えられたのは二人だけだったな」
「そう、ですね」
いつものように隣に陣取っているミネアが頷く。
化け物蛇の息の根が止まっていることを確認したレック達は、しばしの休憩の後、いつも通り全員が祭壇に手を乗せ、魔術の習得を試みた。しかし、ディアナを除いて祭壇が反応したのはマージンただ一人。
「前衛が攻撃魔術覚えてどーするよ」
と言うクライストの言葉には、全員が頷くほかなかった。
その後は、ボスキャラっぽい化け物蛇の死体から素材の剥ぎ取りを行ったり、リザードマンの集落の小屋を見て回ったり――碌な物はなかった――しているうちに、太陽も真上を大きく回ってしまった。乾いた地面の少なさを考えると今から出発しても、夜休む場所を見つけられないのではないかと言うことで、蛇のせいでもぬけの殻になったリザードマンの集落で一夜を明かすことになったのである。
「私としては、満足じゃがのう」
そう言ったのは、あれから一発、炎の魔術を――火事になるので空に向けて――試し撃ちしたディアナである。『魔王降臨』以前は諦め気味であったものの、元々魔法使い志望であった彼女にとって、念願の攻撃魔術を手に入れたことはかなり嬉しいことだったようで、ずっと顔がにやけていた。
「これで、リリーにだけ大きな顔はさせぬぞ」
「む。受けて立つよ!」
ディアナからライバル認定を受け、リリーがすちゃっと身構え、
「何しとるねん」
「あ、終わった?」
鱗を剥ぎ取り尽くすことを諦めて戻ってきたマージンに、そう声をかけた。
「終わったと言うより、終わらせた、やな。キリ無いわ……」
「あははは。お疲れ~」
「うむ。ご苦労じゃったの」
リリーとディアナからかけられた労いの言葉に軽く手を上げて応えたマージンは、焚き火の側でドサリと転がった。
「にしても、随分頑張ってたけど、あの鱗、何かあるのか?」
「あんだけ硬かったし、もしかしたら、くらいには思っとったんやけどなぁ……外れやったなぁ」
隣にいたクライストに訊かれ、マージンはそう答える。
「オリハルコンとかミスリルとかか?」
察してそう訊いてきたクライストに、マージンは無言で頷いた。
ファンタジーRPGや小説でよく出てくるオリハルコンだのミスリルだのであるが、ジ・アナザーには噂はあっても実在は未だ確認されていない。
キングダム大陸とメトロポリス大陸を繋ぐエリアに陣取っていたレッドドラゴンが討伐された時に手に入るかもと騒がれたのだが、実際には他のRPGではお馴染みのマジックアイテムすら手に入らなかったことは有名である。
魔法はあるけどアイテムはない。
それがジ・アナザーにおけるプレイヤーの共通認識となっていた。
だからこそ、
「そんなんある訳ねぇだろ。あったらとっくに見つかってるって」
とクライストが呆れたのも無理はない話だった。
尤も、マージンはそれで納得したわけでもなく、
「ん~。『魔王降臨』の後、随分仕様が変わっとるから、ひょっとしたら思うたんやけどな」
などとぶつぶつ言っている。
それを見かねたのかグランスが、
「あれば嬉しいが、あるかどうかも分からない物を探すのは少々きついぞ」
と口を開く。
「そやけどなぁ……生産系の夢やねん……」
味方がいないことに、どんよりと沈むマージン。
よくある設定ではオリハルコンは最も硬くしなやかな金属であり、それで作られた武器や防具もまた最上級の一品となる。ミスリルは強度でこそオリハルコンに遠く及ばないが、魔力を帯びやすく、それで作られた武器はゴーストのような非実体をも切り裂き、それで作られた防具は魔法に対して強い耐性を持つとされる。
実在さえ確認されているのであれば、是非とも手に入れたい素材ではあるが――それを探すことを目的にしてしまうわけにもいかなかった。
「……まあ、見つかったという話があれば、探しに行くのも吝かではないな」
妙に落ち込んだ様子のマージンを見て、罪悪感でも感じたのか、グランスはそう言った。
「だよねー」
さりげなく便乗するリリー。
「伝説の金属と言えば、ダマスカス鋼とかヒヒイロカネなどもあるのう」
「ダマスカス鋼は製法が失われただけで、実在する金属やな。ヒヒイロカネはらしき物はあっても実在が確認されたとは言えへんから、伝説って言えるやろな」
話題転換を図ったディアナに、マージンが食いつく。しかも、妙に詳しい。
「ダマスカス鋼はインドの方に起源があってな……」
とうんちくを語り始め、仲間達がそれにふむふむと頷いている。尤も、本で読んだ程度の知識では量も知れていて、すぐに終わったのだが。
それでも、マージンの機嫌は直ったらしいので良しとした仲間達であった。
その後も雑談が続いたり、ちょっとしたゲームをしたり、この後の予定を話し合ったりしているうちに、一人また一人と眠気を感じ、横になっていく。
やがて、見張り役にグランスを残し、全員が眠りについた。
そして、深夜。
「レック……レック……」
「ん……うう……ん」
「起きたか。見張りの時間やで」
マージンに身体を揺さぶられ、寝ぼけ眼をこするレック。
「もう、そんな時間?」
「ってか、わいも眠いんや。後は頼むで」
そう言って、レックが起きたのを見届けると、マージンはあっという間に横になって寝息を立て始める。
その姿を見ながら、レックは頭を振り残っていた眠気を追い払った。
焚き火は既に消え、化け物蛇から住人(?)が逃げ出した後の集落はとても静かだった。仲間達の寝息と上空を駆け抜けていく風の音だけが、暗闇に染み渡っていく。
時刻は――時計も何も無いので分からないが、深夜くらいだろう。さっきまで眠っていたのでそこまで眠気は感じないが、座ったりすれば眠気に襲われるのは間違いない。
かといって、ただ突っ立っているのもあれなので、レックは周囲を少し歩くことにした。勿論、仲間達の姿が十分確認できる範囲で、である。
土を踏む音を微かに響かせながら、昼間に倒した化け物蛇の死体の周囲を回る。
化け物蛇の大きさは、動かなくなった死体だとよく分かる。人間などまとめて何人でも飲み込めそうな大きさに、改めて驚愕する。
化け物蛇の金属っぽい鱗は微かな星明かりを反射し、僅かに輝いていた。一部の鱗をマージンによって剥がされ、その下の肉が露出しているはずだが、幸いなことに暗くてよく見えない。同じように、潰れた頭も見えないのは悪いことではないはずだ。
「……魔術かぁ。僕も攻撃魔術とか覚えてみたいな」
蛇の死体を見ていて、昼間の戦闘でにディアナが使った炎の魔術を思い出し、レックはそう呟く。尤も、ここの祭壇がレックに反応しなかった時点で、当分は攻撃魔術が使えないことが確定しているのだが。
「……せめて、もっと丈夫な武器は必要だね」
レックはそう独りごち、化け物蛇の死体から離れた。
続いてレックは潰れた小屋の間を歩いて行く。街にあるようなもっと丈夫な建物なら、蛇がぶつかったくらいで全壊などということはなかったのだろう。だが、丸太と草で出来たリザードマンの小屋はどう見ても頑丈とはほど遠い。
そんな潰れた小屋の間を歩いている時のことだった。
(?)
正面で何かが動いた。そんな気がした。
のんびりした気分はすぐさま吹き飛び、アイテムボックスからロングソードを取り出すと、前方の小屋の影を注視する。そこに何かいるように見えたのだ。
じりじりと小屋に近づいていく。
その途中のことだった。
「!!」
周囲に不意に大きな影が幾つも湧いた。
「リザードマン!!」
勢いよく振り下ろされた棍棒を後ろ飛びに避け、ロングソードを抜き放つ。武器のリーチとしては些か物足りないが、今更グレートソードに代える暇はない。
そんな自分の選択ミスを悔んでいる暇も勿論無かった。
初撃を躱されたリザードマンとは別のリザードマンが、すぐに棍棒を振りかざしてきているのだ。
だが、それが振り下ろされることはなかった。
「待って!!」
妙にキィキィと甲高い声がして、リザードマン達は動きを止めた。その様子に何事かと驚きつつ、レックは距離を取る。
「確かめたいことがあるんだ。みんな、少し下がって」
再び甲高い声がすると、驚くべきことにリザードマンが一斉に棍棒を下ろし、声のした方へと下がっていく。
「……誰?」
レックの誰何にすぐに答えはなかった。
「…………」
ただ、無言で悩んでいる気配だけが伝わってくる。敵意は……感じられなかった。
「誰?」
レックはもう一度誰何する。
「……君、人間だよね?」
今度は反応があった。尤も、答えではなく、質問の形だったが。
「……そうだけど、誰?」
「……答えるけど、その前にいきなり攻撃しないって、予の話を聞いてくれるって約束して欲しいんだ」
あまりにも妙なお願いに、レックは首を傾げるが、拒否する理由もない。
「いいよ」
素直に頷くと、闇の向こうから安堵の気配が伝わってくる。
「……今から姿を見せるけど……驚かないでよ?」
「うん」
レックが頷くと、ゆっくりと土を踏む軽い音が聞こえてきた。そして、レックの目の前に小さな影が現れる。
それを見たレックは、驚きを隠せなかった。
「リザードマン!?」
思わず鞘に戻していたロングソードに手が伸びそうになり、何とか思いとどまる。
それを見ていた小さいリザードマンは、ホッとため息を吐いた。
「良かった。何とか話はできそう、だね」
エネミーであるはずのリザードマンが喋っている。その事実をまだ理解できていないレックの耳に、新たな言葉が飛び込んでくる。
「予に名前は……無いけど、種族なら答えられるよ。予の種族はリザードマンロード。この湿地に住む全てのリザードマンを支配する者だよ」
その言葉は果たしてレックの耳に――いや、脳に届いていたのだろうか。
待つこと数十秒。余りに反応がないことに不安になったのか、
「ねえ?君、聞いてた?」
リザードマンロードと名乗った小さいリザードマンが、そう確認する。
それでやっと、
「え?あ?うん?」
レックは再起動を果たした。が、まだ驚きと混乱が顔に張り付いている。
その様子を見て、どうやらさっきの台詞は聞いて貰えていなかったと判断したのだろう。
「もう一度自己紹介するよ?予はリザードマンロード。この湿地に住む全てのリザードマンを支配する者だよ」
「リザードマン……ロード?」
今度は何とか聞いていたらしいレックがそう聞き返すと、
「そう。その通り」
表情からは読み取れないが、何となく嬉しそうな声で頷くリザードマンロード。その様子は……かなり子供っぽい。
「とりあえず、少し待って……」
まだ混乱から抜けきっていないレックは、何とかそれだけの台詞を絞り出した。
リザードマンロードという種族がいるのは分かった。それがリザードマンの上に立っていることも良い。妙に小さいのは気になるが、それもまあいいとしよう。
しかし、しかしである。
エネミーが喋っている。それも、会話が成立している。そんな話は一度も聞いたことがなかった。
だが、待てよ、とも思う。前例がないだけで技術的に不可能ではないことも事実だった。数少ないNPCであるゴーレム達の一部とは元々簡単な会話程度なら成立していた。そもそも、現実世界では人間とそれなりに会話できる機械も少なくなかったではないか。
ならば、目の前のこともそれほど驚くべきことではないのだろうと、レックは納得したのである。
「うん。待っててくれてありがとう。それで、どんな用件?」
混乱が収まったレックは早速用件を聞くことにした。どう考えてもこれはイベントとかクエストの類である。ならば、単におしゃべりをしに来たなんてこともないだろう。
「用件はね、お礼を言いたくて。君たちには沢山仲間を殺された。でも、それ以上にあの蛇を倒してくれたことは素直に嬉しいんだ」
思いもかけない内容に、再びレックの頭が混乱しそうになり――とりあえず、理解するのは後回しすることにした。
「正直、眷属を沢山殺されたことは愉快じゃないよ。でも、僕達が先に襲いかかったわけだし、君たちも身を守るためだったんだろうから、仕方ないことだとも思うんだ。そう考えれば、あの蛇を倒してくれたことは素直に感謝できるんだ」
そう言いながら、リザードマンロードは懐からメダルを取りだした。
「だから、君に、君たちにお礼がしたい。でも、これを渡す前に1つだけ約束、してくれないかな?」
「約束?」
「うん、そう」
リザードマンロードは小さい頭を上下させ、言葉を続けた。
「今後、決してリザードマンを攻撃しないで欲しい。先に襲われた時に身を守るためなら仕方ないけど、それ以外では何もしていないリザードマンを攻撃することはしないで欲しいんだ」
何とも妙な要求にレックは首を傾げたが、要約すれば不戦条約みたいなもののようである。
「要するに、敵対関係を解消しようってこと?」
念のための確認に、リザードマンロードは満足そうに頷いた。
そう聞くと、なかなか悪くない話にも思える。
そもそも、ジ・アナザーは経験値制などではないので、エネミーを多く倒したからと言って強くなれるわけでもない。リザードマンの素材や所持品を奪えなくなるのは少し勿体ない気もするが、言い換えればそれだけとも言える。むしろ、リザードマンに攻撃されなくなることで、この湿地を隅々まで安全に探索できる気がする。
とそこで、
「それは、ここの湿地のリザードマンとだけかな?」
ふと気になったことを確認してみると、
「いや。世界中どこのリザードマンとも、だよ。このメダルはリザードマンの盟友の証。このメダルを見せれば、世界中どこのリザードマンにも攻撃されることはなくなるよ。何もしていないリザードマンを殺したりしたら、勝手に壊れちゃうけどね」
それを聞いてレックは決めた。
「そう。なら約束するよ。リザードマンを攻撃しない。盟友となるって」
世界中の全てのリザードマンと敵対関係が解消されれば、リザードマンに守られている場所があっても、安全に入れるようになるだろう。そのメリットは決して小さくなさそうだった。
「そう。それは嬉しいよ」
満足そうに頷くリザードマンロード。そのままゆっくりとレックの元に歩み寄り、レックが出した掌の上に、メダルをそっと置いた。
「この時より、このメダルを持つ君は、君たちは、僕達リザードマンの永遠の友となる。決してその事を忘れないで」
そう言うとくるりと向きを変え、離れたところで待っていたリザードマン達の元へと戻った。
その背中を見送るレックへと、
「それじゃ、これでお別れだよ。僕達が集落に戻るのは早くても明後日になりそうだからね。君たちはそんなに長く滞在しないだろう?」
「そうだね。明日には街に戻る予定だよ」
レックがそう答えると、リザードマンロードは微かに笑った。
「用事があるならまた来ると良いよ。その時には敵じゃなくて友として歓迎させて貰うから」
そう言い残し、彼はリザードマン達を連れて闇の奥へと歩き去っていった。
翌朝。
昨夜叩き起こした時には、緊急性がなかったために興味より眠気が勝り、そのままずるずると眠りこけてしまった仲間達に、レックは改めて説明する羽目になっていた。
「なるほど……リザードマンとの盟友関係か」
「世界中のリザードマンに襲われなくなると言うのは、便利そうじゃのう」
改めて話を聞いた仲間達は、会話が成立していたリザードマンロードのことよりも、メダルの方に興味が行ったらしい。レックから受け取ったメダルを回しながら、まじまじと見ている。
夜は分からなかったが、金属製のメダルは青銅で作られているらしく、青っぽい色をしている。片方の面には二本の剣が交差している上にリザードマンの顔と覚しきものが彫られており、もう片方の面にはイデア社のロゴが彫りつけられていた。それに気づいた時のレック同様、それを見た仲間達もしっかり顔を顰めていたが、アイテムに罪はない。
「リザードマンは数で来るからな。いちいち相手にしなくて済むなら、分布している地域での探索がずっとはかどりそうだ」
「でもよ、それ、ちゃんと効果あるのか?」
素直に喜ぶ仲間達の中で、懐疑的なのはクライストである。
尤も、
「効果がなければ、その時改めて戦えば済む話だ。一応、どこかで確認はしておいた方が良いだろうが、あって助かることはあってもなくて困ることはないだろう」
「そりゃそうか」
と、グランスの説明であっさり納得していたが。
「できれば、ここにいるリザードマン達で少し効果を確かめたかったが……戻ってくるのは明日か」
「そう言ってたよ」
「明日までここにおる気には……ならへんなぁ」
「別に、帰る途中に出会うリザードマンで試してもよいじゃろう?戻ってくるまで待つ必要もあるまい」
そんなこんなで、予定通りペルへと戻ることがあっさり決定し、簡単な朝食の後、レック達は未だ無人のリザードマンの集落を発ったのだった。