第七章 第三話 ~大蛇との激闘~
「エレニード・ファステン!」
エセスの呪文が完成すると共に、押し寄せてきていたリザードマンの群れの足下に青白い光が走り、その光の直撃を喰らったリザードマン達が次々に地面に倒れ伏す。
地面が十二分にぬかるんでいるせいか、いつも以上の効果範囲である。それでも、倒れたのはエセスと青年の周囲に押し寄せてきているリザードマン達のごく一部に過ぎない。
「逃げ場がないほど押し寄せてくるってどういう事だ!?」
青年が叫ぶと、
「ロマリオ、援護頑張る」
いつも通りの淡々とした調子で、エセスが言う。
「分かってるよ!」
そう言いながらロマリオは、地面に倒れた仲間をも踏みつけて押し寄せてくるリザードマンを、次々と切り倒していく。
その間に再びエセスが呪文を完成させ、数十匹単位でリザードマンに電撃を浴びせ、麻痺させる。
それを繰り返すこと5回。
「どうにかなったな……」
流石に肩で息をしているロマリオに、
「半分も倒せていない」
と、こちらはいつも通りのエセス。
流石に湿地でいつも通りの服装とは行かなかったのか、スカートの代わりにジーパン、リボン付きブーツの代わりに長靴と、それなりの格好になっている。
「どういう訳か、俺達のことなんて見てなかったからな」
「怯えてた」
「そうだな。何かから逃げてきたって感じだったが……」
「蒼い月?」
小首を傾げてそう訊ねてくるエセスに、
「それはないだろう」
とロマリオは首を振った。
彼ら――もう、蒼い月だと勝手に呼んでいた――に続いて、二人も湿地に入った。途中、水の精霊を介した索敵を行っていることに気づいて十分な距離を取る羽目になったが、逆のそのおかげで、濃い霧の中でも蒼い月を見失うことなく、尾行を続けていた。
で、夜になったので蒼い月の場所だけ確かめて、ロマリオとエセスも乾いた地面を探し出して休んでいたところ、いきなり大量のリザードマンが押し寄せてきて、逃げる間もなくその波に飲み込まれたのだった。
幸い、リザードマン達は二人に襲いかかってきたのではなく、単に彼らの進路状にいたから襲われただけ――というのが、二人の見解というわけである。
「まあ、明日になれば分かる、かも知れないさ。……今日はもう一度休める場所を探さないといけないみたいだけどね」
「ここはもうダメ」
実際、二人の周囲にはまだ痙攣しているのから既にぴくりとも動かなくなったのまで、無数のリザードマンが倒れており、その血の臭いも濃厚だった。それだけでも休むのには十分に不適当な環境だが、加えて麻痺しているだけのリザードマンも相当数残っていることを考えると、さっさとこの場を離れた方がいいのは確かだった。
「……蒼い月。彼らが変なことに巻き込まれてなければいいのだけど」
そんなことがあったのは、レック達がリザードマンの集落で化け物蛇を見つける前の晩のことだった。勿論、ロマリオの呟きは見事に叶わなかったのであるが。
場面はリザードマン――は一匹も残っていないが――の集落の真ん中に戻る。
祭壇を取り囲む広場。
その中央の祭壇を取り囲むようにして、大人がやっと抱えられるほどに太い胴体を持った巨大な蛇がくつろいでいる。とぐろを巻いているため、その蛇の全長はぱっと見では分からない。だが、
「どう見ても、10mや20mじゃきかねぇよな?」
「40mあると言われても信じられるのう……」
「少なくとも、雨の森にいたやつよりはずっとでかいな」
という具合に、間違いなく化け物サイズである。
首の周りには鬣のように凶悪な突起が何本も突き出ている。その長さも蛇の身体に見合ったサイズで、大体1m程度はあるだろう。長いものなら2mはあるようだ。
全身もやたら角張った鱗に覆われており、トゲが生えていないとは言え、実に凶悪な形状である。しかも、その鱗はいずれも金属で出来ているかのような銀色の光沢を放ち、見ただけで生半可な攻撃は通じないと感じさせられる。
その瞳はまさしく真紅。縦に裂けた虹彩の奥には黒が詰まっていて、その瞳に睨まれれば大抵のモノはそれだけで動けなくなってしまうだろう。ただ幸いなことに、蛇は寝ているのだろう。その瞳は今のところ、何者をも映し出してはいないようであるが。
「……とりあえず、気づかれる前に離れるぞ」
聞こえるかどうかギリギリに声量を絞ったグランスの指示に、仲間達は一も二もなく頷いた。明らかに、どうにか出来るレベルを超えている。
そうして、出来る限り音を立てず、蛇に気づかれないようにその場を離れようとするレック達。
しかし……世の中には起きて欲しくないことほどよく起きる、というジンクスが確かに存在するらしい。
その場を離れるべき方向転換したレック達の後ろで、蛇の舌がチロチロと――と言っても1m以上の長さがあるが――口から出てきた。
その舌が引っ込んで数秒。……再びチロチロと舌が出てくる。
さて、一般的に蛇というのは視力があまりよろしくない。代わりに嗅覚がよく発達していると言われる。そして、蛇が匂いを感じ取る方法というのが、舌をチロチロすることである。これにより、舌に張り付いた空気中の匂いを口の中に取り込み、そこで匂いを感じ取るのである。
つまり、化け物蛇は確かに今、周囲の匂いをかぎ取っているのである。
尤もそれだけならば、遠目に蛇を見てさっさと逃げだそうとしているレック達にとっては、大した問題ではなかっただろう。
だが、レック達にとっては不運なことに微かな風が吹いており、レック達から見て風下に蛇がいたとなると――話は変わってくる。
蛇がもう一度舌をチロチロと出す。
それから間もなく、蛇の瞳に光が宿る。
続いて、ゆっくりと頭を持ち上げ、その瞳は確かにレック達の姿を捕らえていた。
「……何の音だ?」
金属同士がこすれ合うような音に、グランスが首を傾げる。
「僕じゃないよ?」
鎧と剣がこすれ遭うような音だったので、仲間達の視線を集めたレックが、すかさず否定する。
「っちゅーか、後ろから聞こえてきたような気がする……んや……けど……」
台詞の途中で後ろを向いたマージンがそう言って、固まった。
「何か……」
「「「…………」」」
マージンの視線を追いかけたクライストの言葉も途中で途切れ、他の仲間達に至っては最初から声も出ない。
地上数mもの高さにまで持ち上げられた鎌首を見たならば、それも当然の反応と言えるだろう。
一行の様子を窺い爛々とぎらつく瞳には、明らかな空腹の色が見える。
「ありゃ、わいらを喰うつもりやな」
「そんな事を言ってる場合か!?」
どこかおどけた調子のマージンに、グランスが怒鳴る。最早、こそこそしている意味もない。
「周囲は湿地じゃ!追われたら逃げ切れぬぞ!」
ディアナの言葉で、仲間達は逃げるという選択肢を諦めざるを得ないことを悟った。
「リリー!魔術は効くと思うか!?」
「試してみないと分かんない!」
リリーはそう答えたが、リザードマンの鱗程度なら兎に角、金属のようにも見える蛇の鱗を貫ける自信は、リリーにはなかった。
「ってか、来るぞ!!」
そのクライストの叫び声と共に、真っ赤な口を大きく開けた蛇が十数mの距離を一気に詰めて襲いかかってきた。
既に身体強化を発動していたレック達は、全力でその場から飛び退く。リリーだけはディアナが脇に抱えて逃げていたが。
凄まじい音共に、レック達が飛び退いた後の地面に化け物蛇の頭が突っ込み、大量の土砂が飛び散った。
「やむを得ん!このままやるぞ!攻撃が通じなかったやつは、牽制か逃げに専念しろ!!」
グランスの叫び声と共に、まずはレックとマージンが化け物蛇へと斬りかかった。
「おおぉぉぉぉ!!」
裂帛の気合いと共に、頭を上げようとしていた化け物蛇の首筋へとグレートソードとツーハンドソードが振り下ろされ……
ッギイィィィィィンンン……
見た目通りの堅さを持つ鱗に、いとも簡単に弾き返されてしまった。尤も、蛇の方も再度頭を地面に突っ込ませる羽目にはなっている。
「ちょ!無傷!?」
「そうみたいやな!!」
一撃を加え、さっさと離脱したレックとマージンは、自分たちの攻撃が蛇に負傷を与えていないことを知り、驚愕の叫びを上げた。
とは言え、
「武器が壊れへんように手加減とかしとる余裕はあらへんな!」
「そうみたいだけど……これ以上の力で斬りつけたら、ホントに壊れるよ!?……っと!」
どうやら、まだ全力ではなかったようでもある。尤も、彼らの言葉通り、武器が壊れてしまえば身も蓋もないのであるが。
台詞の途中で蛇の突撃を受けたレックが大きく飛び退き、再び地面に突っ込んだ蛇が大量の土砂をまき散らす。
「なら、俺がやろう!」
そう叫び、グランスが全力で戦斧を化け物蛇の胴体の中程の、銀色の鱗に叩き付けた。
流石にこれには蛇の鱗も耐えきれなかったらしく、何枚もの鱗が割れ、戦斧は蛇の身体へと食い込んだ。だが、せいぜい数cmと言った程度である。
「これだけか!?」
あまりにも浅い怪我しか負わせられなかったことに、グランスは驚きを隠せない。
尤も、これで蛇の注意がグランスに向いてしまった――かと思いきや、その顔目がけて矢が飛んできた。
勿論、固い鱗に当たって何の効果もなかったのだが、注意を惹くくらいの効果はあったらしい。化け物蛇の視線がミネアへと向き、
「ひゃっ!!」
凶悪な視線を受けたミネアが一瞬すくみ上がり、そのまま身体強化のパワーで後ろへと飛び退いた。
尤も、
「させるか!!」
そう叫びながら、グランスがもう一度化け物蛇の身体に戦斧を叩き付けたため、蛇がミネアへと襲いかかることはなかったが。
「はっ!」
再び蛇がグランスに注意を向けた隙を突き、クライストがその拳で蛇の鱗を打つ。
凄まじい金属音と共に、しかし蛇の鱗にはヒビが入っただけだった。
一方、クライストの方はと言うと、
「ったたたた……」
鱗のでこぼこを足場にして蛇の背中へと駆け上がり、軽く手を振っていた。相当硬かったらしい。
「なんて硬さだよ、まったく」
そう言いながら、蛇の背中を駆け……
「ちっ!?」
クライストに気づいた蛇が、異物を排除するべく自分の身体ごと噛み付いてきた攻撃から慌てて身を躱して飛び降りる。
しかし、それはそれで蛇に大きな隙が出来る。
「今っ!」
その隙を逃さず、先ほどグランスが鱗を割った場所にマージンが一気に肉薄し、全く同じ場所を狙ってツーハンドソードを振り抜いた。
流石に既に鱗が割れていただけあって、今度は弾き返されることもなく、ツーハンドソードが蛇の身体へと大きく食い込み、鮮血が吹き出す。
しかし、蛇からしてみたらかすり傷程度なのだろう。特に痛みを感じた様子はない。
それでも、不快なことは不快なのだろう。
蛇は大きく口を開け、マージン目がけて襲いかかる。
尤も、あまりに直線的なその攻撃を躱すことは、身体強化さえ使えれば大して難しいことではない。
「そんなん当たらんでっ!!」
マージンは易々と蛇の突撃を回避する。
とは言え、レック達に決して余裕があるわけでもなかった。
「この調子だと、倒す前にこっちの体力が尽きるな」
前衛他3名ほど素早く動けないグランスが、一撃を入れるタイミングを見計らいながら、そう言う。
「それは否定出来ない……ねっ」
無傷の鱗を斬りつけ弾き返されたレックが、蛇の身体を蹴りつけて大きく距離を取りながら、そう答える。
「なら、頭狙うか?」
尾の方を狙って殴りつけていたクライストが大声でそう訊くと、
「あるいは首か脊髄だな」
グランスがそう答える。
「ってか、わいばっか、追い回されとるんやけど!?」
会話に入れず、マージンが叫ぶ。
事実、クライストとレックは既に脅威ではないと見なしたのか、蛇は最後に傷を抉ったマージンをさっきから追い回し始めていた。
その巻き添えで、周辺にあったリザードマンの貧相な小屋はことごとく押し潰され始めている。
尤も、逃げ回っているマージンにはまだまだ余裕があるようだが。
「でも、あれじゃ頭は狙いづらいよ?」
蛇の進路から身を躱しながら、レックが言うと、
「……確かにな」
グランスもそれは認める。
頭を叩き潰せば、大抵のクリーチャーはそれだけで致命傷となる。だが、そもそも化け物蛇の頭はその巨大さに見合って大きく動き回り、近寄ることすら難しい。
「脊髄潰して、半分だけでも動きを止めるか?」
尾への攻撃はし易いがあまり意味が無く、その上にマージンを追いかけている蛇の尾もどんどん移動するため、面倒になったのかクライストもグランスとレックに合流する。
尤も、クライストの提案にグランスとレックはあまりいい顔をしなかった。と言うのも、蛇の鱗は背骨のあるあたりが一番頑丈に見えるからだ。
「お~た~す~け~~!!」
彼らの視線の先では、無事な小屋の間を逃げ惑うマージンと、それを追い回す蛇がいる。その蛇の身体が擦った小屋は敢えなく粉砕され、どんどん無事な小屋が減っていっていた。
ちなみに、ミネアとディアナ、リリーはかなり遠くからそれを見るに留まっている。近寄っても何も出来ないこともあるが、どうにも、逃げるマージンに相当余裕があるように見えるのである。
実際、身体強化を使っていればもっと速く走り続けられることを、仲間達は知っていた。だからこそ、今のマージンは敢えて囮として時間を稼いでくれているのだと――本人の意志は兎に角――考えているのである。
尤も、いつまでもそうしているわけにも行かない。体力や魔力にも限界というものがある。
「やむを得ん。まずは、背骨を狙っていくか」
グランスの言葉にクライストが頷き、レックも頷こうとして――ある物が目に入った。
「ちょっと待って。確か、ここの祭壇って、攻撃魔術、だよね?」
その言葉に、引き留められて怪訝な顔をしていたグランスとクライストがハッとする。
グランスはそのまま何か考えるように、蛇に追いかけられているマージンへと視線を遣り、それから祭壇へと視線を向けた。
「試してみる価値はあるな。だが、一度あれの囮は誰か代わった方がいいだろう……レック、頼めるか?」
身体強化の持続時間を考えたグランスに頼まれ、
「そうだね。やってみる」
レックはそう言って、マージンを追いかけている蛇へと向かっていった。
その際、ふと思い出して、アイテムボックスに入れっぱなしにしていたケルンの瓦礫を取り出しておく。全力を出したら武器が持たないとは言え、粉砕前提のこれなら遠慮無く叩き付けられる。
そうして、グランス達からある程度距離を取ったレックは、十分に狙いを定め、全力で重さ10kgはあろうかという瓦礫を、マージンを追い回している蛇目がけて投げつけた。
その威力は、レックの足下の地面が大きく抉れたこと以上に、胴体に瓦礫の直撃を喰らった蛇が一瞬動きを止め、のみならず瓦礫が直撃したあたりが1m以上も押されたことで分かるだろう。
「……なんつー威力だ」
「……だな」
呆れたようにそう口にするクライストとグランス。
「ぶっちゃけ、レックに石か何か投げさせとけば、蛇倒せるんじゃねぇか?」
クライストはそう言ったが、投げるのに手頃な物などそうそう落ちているわけでもない。何より、蛇はさほどダメージを受けたようには見えなかった。
「……とりあえず、ミネア達と合流するぞ」
蛇が予定通りレックを追い回し始めたのを見て、グランスはそう言った。――蛇のスピードが先ほどより落ちている気がするのは、とりあえず見なかったことにする。
「どうしたのじゃ?」
安全圏――蛇がその気になったらアウトだが――からレックが蛇に追われる様を見ていた女性陣は、やってきたグランスとクライストにそう声をかけた。
「このままではこちらの体力が尽きる方が早そうだからな。で、あれを使ってみようという意見が出た」
ディアナに問われたグランスは、そう、祭壇を指し示した。
「なるほどのう……あれが攻撃魔術の祭壇というなら、やってみる価値はあるかも知れんのう」
「でも、暫く無防備になります……よね?」
感心したようにディアナが言う隣では、ミネアが不安そうにそう指摘する。
「その間は俺達が守る。一人だけなら、他の全員が護衛なり囮なりになれば、何とでも出来るだろう……あんな感じにな」
そう言いながら、グランスは蛇を引きつけながら逃げ回っているレックを指さした。
「尤も、祭壇に誰か近づいたら、蛇がそれに反応する可能性はある。その辺りだけは注意する必要があるが……どうだ?」
「私はやってみたいのう。何より、一度も攻撃に参加せずに終わるのは面白くないではないか」
「わたしは……後でいいですか?」
グランスに訊かれ、迷わず答えるディアナに対し、ミネアはまだ迷っているようだった。
「……あたしは無駄だろうから、やめとく」
と、リリーは最初から投げていたが。
「なら、ミネアはリリーを守りながらこの辺にいてくれ」
グランスの指示にミネアとリリーが頷き、
「なら、行くとするかのう」
そう言って祭壇目指して走り出したディアナを、グランスとクライストが追いかけた。
そんな彼らの姿を、遠巻きに観察している二人組がいた。
「……彼らだけであれを倒せると思うか?」
「無理」
ロマリオの問いかけに、エセスは即答する。
「あの祭壇に込められた魔術次第ではどうだ?」
「……運次第。使いこなせないかも知れない」
エセスの答えにロマリオは黙考し、
「なら、俺達が助けたら?」
「勝てないこともない」
「ふむ……」
しかし、おいそれと助けに入るわけにも行かない。今後とも彼らの後をついて回るというのなら、下手に顔を覚えられるような真似はしたくないし、何より相応の魔術を使う必要がある。例えば、まだ習得できる祭壇が見つかっていないような魔術を、である。
そんな事情があるので、フラン達との相談もなく、勝手に彼らを助けることはできなかった。
「正直、助けたい気持ちはあるんだけど……」
リヴォルドの理念からすれば見殺しというのは避けたいが、自分たちの首を絞めてまで……というのは流石にない。そうでなくとも今はアステスと行動を共にしているので、下手なことはできないのだ。
「助ける?」
ロマリオが悩んでいることを察したのか、エセスがそう訊いてくる。そんなエセスに苦笑を送りながら、ロマリオはクランチャットで指示を仰ぐべく、個人端末を取り出し……
「!!?」
次の瞬間、辺りが完全な暗闇に閉ざされていた。
慌てて辺りを見回すが何も見えない。ただ、視界の端に自分の身体が映るだけである。
(何者かの攻撃か!?)
そう思ったが、それにしては何の前兆もなかった。
(となると……これだけのことを出来るのは、イデア社……か?)
この世界を創り上げたイデア社なら、今ロマリオが経験しているような状況を作り出すことも可能だろうと、目星を付ける。
だが、
(見つかるような真似はしていないはずだけどな)
尤も、そんな推測に意味はない。
今、一番可能性が高い状況を想定し、念のためそれ以外の可能性も想定しつつ、対策を練る。と言っても、様子を見ることしか出来そうにないが。
(そう言えば……エセスはどこだ?)
いきなりの状況に軽く混乱し、いつも一緒にいるエセスがどうしているか確認することを、ロマリオはすっかり忘れてしまっていた。
声を出してエセスを呼ぶ前に暗闇の中を両手で探ってみるが、何も触った感触がない。地面すら、である。
(別空間への転移?それとも、精神攻撃の類か?)
今、自分が何をされているのか。それの把握にまずは努めようとする。エセスのことは心配だが、下手に声を出せば状況がより悪化するかも知れないのだ。
そう現状把握に努めようとしているロマリオの耳に、ふと何かの音が聞こえてきた。
(これは……爆発音!?)
身構えるロマリオの周囲に、揺らぎながらオレンジ色に染まった像がゆっくりと現れる。
(……燃えている?)
しかし全く熱は感じない。その事で、今見えている光景はただの映像であり、今ここで起きている出来事ではないことを知る。
映像では、街が燃えていた。無数の建物は炎に包まれ、葉を生い茂らせていたはずの木々もまた、激しく炎を吹き上げている。
地面に数え切れないほど倒れているのは人間、だろうか。
真っ黒に焦げているもの、ばらばらに引き裂かれているものが大半だが、まだ辛うじて原形を留めている死体もあり、そこから目の前の地面を埋め尽くすそれらが、全て人間の死体だと否応なしに理解させられた。
よく見ると、建物もただ燃えているだけではない。
全ての建物のガラスはことごとく割れ、それだけではなく頑丈な壁や柱さえも、無数の傷が付き、時には大きく抉り取られ、ひび割れていた。
建物の壁面に飾られた街灯や旗、彫刻へと視線を向けると、そこには吐き気を催すような飾りが付いていた。
真っ二つに割られた人の頭だったり、自らの腸につり下げられた首つり死体だったり、顔をくり抜かれた幼子だったり、切り取られた四肢を大きく引き裂かれた腹から生えるように詰め込まれた少女だったり、全身の皮を剥ぎ取られ代わりに鳥の羽を隙間無く突き刺された少年だったり、旗を吊していたポールに全身を貫かれ旗の代わりに揺れている若い女性だったり、全身の骨を抜かれその骨で壁に貼り付けられた青年だったり……
なかなかに酷い死体を見てきたこともあるロマリオでさえ、吐き気を感じるほどの死体が、燃えている建物の壁面で燃えることなく晒されている。
何故か目を閉じても見え続ける光景に、ロマリオはせめて視線を逸らそうと空を見上げ――そこにも見るべきではないモノを見る。
まず、青いはずの空が赤紫に染まっている。色など無いはずの雲は禍々しい赤い光を放ちながら、急速に天を覆い尽くすべく広がり続けている。
勿論、そこを飛ぶ影が真っ当な鳥や虫やコウモリであるはずがない。
大きさも形も全く統一性を感じさせない無数の影は、代わりにひたすらに禍々しさを撒き散らしている。そこには生けるものへの祝福ではなく、呪いしか感じられない。
空を見上げることも諦めたロマリオは、再び視線を戻し、今度は小さすぎて見えないはずの遠くへと向ける。
だが、これも失敗だった。
燃える建物や木々に邪魔されて見えないはずの遙か彼方には、恐怖と絶望の黒い固まりが見える。
それを見た瞬間、ロマリオは何かを理解し、絶叫を上げた。
――その筈だった。
ロマリオ自身の耳にすら届かなかった絶叫は、代わりにロマリオが見ていた全ての光景を消し去った。
「はぁっ……はぁっ……」
全身から汗を滝のように流しながら、肩で荒く息をする。
そうして、勝手に頭の中で再生されようとする先ほどの光景を、必死に頭を振って思い出さないようにしていると、暫くして呼吸だけは落ち着いてきた。
先ほど見たあれが何だったのか、何者が見せたのか。それだけは分からない。
ただ、在ってはならない光景だということだけは強く感じていた。
そう感じた瞬間、
『ならば、我に従え』
ロマリオの頭の中に声が響いた。
「何者だ!?」
思わず声を出してしまったが、どう考えても相手の掌の上だ。今更、声を出す程度で問題など起きようはずもない。
いや、今のロマリオにはそんな計算などする余裕は最初から無かった。
先ほど見せつけられた映像。それに対する圧倒的な恐怖。それを忘れるためなら、何でもしたに違いない。それが今は、謎の声に対する誰何だったに過ぎない。
だから、自分の叫ぶような誰何に、答えがあるかどうかなどロマリオは期待していなかった。
『……我は予言者である』
答えが返ってきた時に拍子抜けしなかった、と言えば嘘になるだろう。
「おまえがさっきの光景を見せたのか!?」
その問いには答えは返ってこなかった。だが、どこかで何かが頷く気配は感じられた。それが答えと言うことなのだろう。
だから、ロマリオは予言者を名乗る声に感情をぶつけ始めた。
何故あんなものを見せたのか。
何故俺なのか。
あれはそもそも何なのか。
これからあんなことが起きるというのか。
問いかけという形で吐き出された感情に、声がいちいち答えることはなかった。ただ、黙って聞いている気配だけが伝わってきていた。が、
「……あれから逃れる術はないのか!!?」
その問いに気配が変わった。
『我にその力を貸すがいい』
「どういうことだ!」
『我はあれに対処せねばならぬ。その為の力が必要だ』
叫ぶようなロマリオの問いかけに、予言者はそう答えた。
一瞬、激情のままに断ろうとするロマリオ。しかし、僅かに残った理性が、何より先ほどの恐怖がそれはダメだと訴えかける。
「……分かった」
苦悩はすぐに終わる。恐怖の圧倒的勝利故に。
そして、ロマリオが頷いた瞬間から、ロマリオが感じていた恐怖は急速に抑え込まれ始めた。
(精神魔術……なのか?)
瞬く間に平静を取り戻したロマリオは、驚愕を持って今経験したばかりのことを確かめる。だが、それ以上思考を進めるより先に、予言者が言葉を発した。
『今、おまえが監視している者たちは勇者の種の1つ。可能な限りでよい。裏に表に、彼らを助けるのだ』
「勇者……?」
思いも寄らない単語に、ロマリオはジ・アナザーに出現した魔王を思い出す。
(……つまり、あの魔王が全ての元凶、と言うことか)
それに、あの魔王を作ったであろうイデア社も付け加えることを忘れない。
そうしているうちに、予言者の気配は消えていた。そして、ロマリオの意識も遠ざかり――
「ロマリオ?」
エセスに名前を呼ばれ、ロマリオは意識を取り戻した。
(今のは……?)
周囲を軽く見回すと、暗闇に閉じ込められる前と全く同じ状況である。つまり、自分はずっとここに同じ姿勢でいた、ということになる。
呼吸も脈拍も一切の乱れはない。
そもそも、目の前で首を傾げているエセスの様子からして、表面上は何事もなかったようだと察せられる。時間も――ほとんど経っていないだろう。
どうやら、少しぼうっとしていたようだとロマリオは判断し、巨大な化け物蛇と戦っているレック達へと視線を向ける。
「……助けないとまずい、かな?」
「まだしばらくは負けない」
エセスの言葉にその通りだと頷き、ロマリオは個人端末でフラン達に連絡を取る。
すぐに帰ってきた返事は……
「姿を見られないように少し助けてやれ、だってさ」
自分の判断と同じ指示が帰ってきたことに安堵しながら、ロマリオは端末をしまった。
「麻痺させる?」
エセスに訊かれ、ロマリオは少し思案する。
あの化け物蛇に止めを一気に刺すことは……自分たちでも難しい。幸い、動きを止めてやりさえすれば、彼らなら止めを刺すだけの力はある。
そう判断し、ロマリオは先ほどのエセスの問いに首肯した。
「ただし、出来れば助力は知られたくない。タイミングは間違えないで」
ロマリオのその言葉に、エセスは頷きで返した。
「それでは、ディアナ。頼んだぞ」
「うむ」
グランスの言葉に、祭壇に手を乗せ目を閉じるディアナ。
その周囲を、グランス、クライスト、そして少し遅れてやってきたマージンが取り囲む。
「蛇が来おへんかって助かったわ」
「全くだ。……レックには負担をかけているがな」
グランスは面倒なケースとして、誰かが祭壇で魔術の習得を試みようとしたら化け物蛇がその邪魔に来る可能性も考慮に入れていたのだが、どうやら杞憂に終わったらしい。まだ早いと分かっていながらも、安堵のため息が出てしまう。
尤も、まだまだ問題は多い。
例えば、
「ディアナがこのまま覚えられたらそれで良いけどな。ダメならどうする?」
「別の誰かに試して貰うしかないな。俺とリリーは無駄だから、クライストがやってみるか?」
「分かった。そうしよう」
尤も、この心配も杞憂に終わる。
三人に守られて祭壇に精神を集中させているディアナの周囲に、魔術の習得が行われている証拠である光が出現したからだ。
それからすぐに光はディアナに吸い込まれていき、
「……ふむ。情報通りじゃのう」
とディアナが目を開けた。
「威力とか魔力消費量は分かるか?」
「どっちも使ってみねば分からぬのう……一度、発動手前まで持っていってみれば、消費魔力は見当が付くはずじゃ」
「そうか。なら、早速だが試してみてくれ……場所は少し変えておくか」
ディアナの練習も含め、何となく祭壇の周囲からは離れておこうと感じたグランスがそう言う。
その言葉に従い、祭壇から少しだけ離れた所まで移動するディアナ達。
「巨大な炎の球を作り、それを相手にぶつけて焼き払うようじゃ。近くにおると仲間も巻き込みかねぬのう」
移動中にそんな説明をディアナから聞き、ついでに相手が動いていると命中率も心配だと言われ、グランスはマージンとクライストに指示を出す。
「動きを止めるのは、さっきみたいにレックに瓦礫か何かを蛇にぶつけて貰おう。だから、二人がレックの代わりに囮になって蛇に追いかけられていてくれ」
「そうだな」
「分かったで」
すぐさま飛び出していくクライストとマージン。
それを見たディアナは即座に詠唱を開始する。化け物蛇に使う前に、一度発動寸前でキャンセルすること前提で練習しておこうという訳である。
それをグランスが見守っていると、ミネアとリリーもやってきた。
「うまく覚えられたみたいだね~」
そう言ってやってきたリリーを見て、グランスはふと思いついたことを口にする。
「レックに瓦礫を投げつけて貰って蛇の足止めをするつもりなんだが……リリーもタイミングを合わせて一撃入れてくれないか?出来る限り確実に足を止めたい」
「…………ちょっと距離が開くから、あんまりアテにしないでよ?」
どうやら精霊と相談していたらしく、リリーは少し遅れてそう答えた。
「ああ、充分だ」
グランスはそう答え、視線を蛇へと向ける。
既に周囲の小屋はほとんど全てが薙ぎ倒され、瓦礫の山と化していた。木と草でできているので、実によく燃えそうである。グランスは火事にならないだろうなと今更ながら不安になったが、幸い周囲は湿地であり、逃げる場所には困らないはずだった。
何故か二人揃って素手で殴りつけているクライストとマージンに、やがて蛇の関心が向いたらしい。レックを追いかける足を緩め――蛇だけに足など無いが――、またしてもマージンを追いかけ始めていた。
10分近くに及ぶ追いかけっこから解放されたレックは、クライストに何か言われたらしい。蛇の注意が完全にマージンに行っていることを確認すると、急いでグランス達の方へとやってきた。
「炎の攻撃魔術使ってみるって?」
追いかけられている間に、すっかり蛇への恐怖心が無くなってしまったらしいレックは、むしろ初めて見る魔術への興味で明らかにわくわくしていた。
「ああ。……で、ディアナ。どうだ?」
「うむ。こちらは何とかなりそうじゃ」
その答えにグランスは頷くと、レックに視線を戻した。
「ディアナの魔術を当てるために少し蛇の動きが止まった方がいいんだが、さっきみたいに何かぶつけて蛇の動きを止めてもらえるか?」
「うん、分かった」
アイテムボックスから、まだ幾つかある瓦礫の1つを取り出し、レックが頷く。
「頼む。あと、リリーの精霊魔術もタイミングを合わせてぶつけるんだが……」
「それはあたしの方で合わせるから、だいじょ~ぶ」
グランスの言いたいことを察し、リリーがそう答える。
最後に、
「ディアナはいけそうか?」
「うむ。問題あるまい」
ディアナが自信満々に答え、全ての準備は整った。
そして、ディアナの詠唱が始まる」
「原初なる力 全ての源 始まりの種よ
汝、全てを生み出し 全てを終わらせる力なり……」
レックが瓦礫を構えてマージンを追い回している蛇へと狙いを定め、リリーが入れ物に入った水を自らの右手にかける。その水は地面にこぼれ落ちることなく、リリーの手に纏わり付くようにしてたゆたっていた。
マージンはというと、ディアナ達が準備を始めたことにしっかり気づいているらしい。
そして、彼らは知らないが、離れたところからレック達を観察していたロマリオとエセスも、レック達が何かすると察して準備を始めていた。
やがて、ディアナの詠唱も終わりに近づき、それを察したグランスが大声を上げた。
「マージン!!」
その声に反応し、ディアナ達から近すぎず遠すぎずの場所に蛇を誘導してくるマージン。
リリーが右手に纏わせていた水を地面に下ろし、蛇目がけて走らせる。
レックも、グランスが頷いたのを確認し、蛇目がけて瓦礫を投擲する。
その威力は先ほどと同じく絶大……のはずだったが、
「マジ!?」
蛇は二度も同じ手を喰らってはくれなかった。瓦礫が飛んでくるのに気づいたのか、身体をうねらせ、器用に瓦礫をいなしてしまう。そうして、瓦礫が飛んできた方向へと視線を遣り、ディアナの頭上に浮かぶ1mほどの炎球に気づいてしまった。
一瞬呆然とするレック達だったが次の瞬間、地面が爆発したかのように、蛇の身体が少しだけだが宙に浮き上がった。
周囲に散らばる水しぶきが煌めく。リリーの仕業である。
「ディアナ!!」
すかさずグランスが合図を出し、ディアナが宙に浮き自由に動けなくなった化け物蛇へと魔術を放った。
マージンは既にどこかへと逃げている。
そして、
ッオオオオォォォォォ…………ンンン……
逃げようのない化け物蛇を、炎球が直撃し、大量の炎を撒き散らした。
「うわっちちちちち!!」
数十mの距離を取っていたはずのレック達の所まで飛んできた炎にレックとクライストが慌てふためく。
グランスはと言うとミネアの前に立ち、飛んできた炎の欠片から守っていた。
リリーはと言うと、手持ちの水で薄い水の膜を張って、それで炎を防いだらしい。
ディアナ本人は……何も無かったようである。
「凄いやん」
そう言って、どこからとも無くマージンが戻ってくる。炎からはしっかり逃げ切ったようで、見事に無傷だった。
やがて、レック達の見ている前で炎も消え……
「う~ん……五体満足やな。最初から足も手もないけどな」
「とは言っても、動いてはいないね」
「……痙攣しているようには見えるがな」
鱗に焦げ目一つ付かず、転がっている蛇の巨体がレック達の目の前に晒された。その事にレック達は一瞬警戒するも、ダメージはあったのか、完全に蛇の動きが止まっていることに安堵する。
「生きているようだし、今のうちに止めを刺すぞ。さっきの瓦礫を避けた動きから見て、次に元気に動き出されたらディアナを狙いかねん」
グランスの指示に仲間達は頷くと、男性陣で蛇へと近寄った。
「……ホントにまだ生きてるね」
痙攣している化け物蛇を見て、呆れたようにレックが言う。
「とりあえず、頭潰すか?」
「硬すぎへんか?両目潰して、そこから脳みそまで剣を刺すか、口を開けてそこから刺すかした方がええんちゃうか?」
なかなかえぐい提案をした者がいるが、化け物蛇の鱗の硬さを考えれば妥当な提案だと仲間達は認めざるを得なかった。
尤も、目は丸っこい上にそれなりに硬い透明な何かで覆われており、うまく貫けそうにもない。
結局、クライストとレックが蛇の口を無理矢理開け、そこにグランスが戦斧を思いっきり叩き込むことになった。
流石に鱗の無い口の中は柔らかく、蛇の下あごが一撃でほとんど切り落とされる。辛うじて、表面の鱗で繋がっている……そんな感じである。
噴き出す血に辟易しながら蛇の頭を裏返し、上あごだけになった所にもう一度グランスが戦斧を叩き付ける。再び戦斧は大きく食い込み、蛇の脳を破壊した。
「何とかなったな……」
グランスが疲れながらも、本当に安堵したようにそう言ったのだった。
「あれで良かった?」
「ああ。どうやら気づかれてないみたいだしね。あの大蛇も無事に倒せたみたいだし、満点だ」
そう言うロマリオに頭を撫でられ、エセスは無表情ながらもどこか満足そうである。
そんなロマリオは笑顔の裏で、先ほどのことをまだ考えていた。
(予言者……何者か知らないけど……フラン達に伝えるのはまだ早いか?)
あれが夢だとは思っていない。ならば、仲間に対して厄介そうな秘密など抱えるべきではないのだが、一緒にいるエセスに接触していないところから見て、迂闊に話すべきことではないと分かる。
ただ、予言者の正体も目的も、どうにも情報が少なすぎて何も言えない。
(……まあ、俺達の目的に反しない間は、言うことを聞いておいてみるか)
ロマリオは今は考えるだけ無駄だと判断し、そう決めたのだった。