第六章 第八話 ~ケルン襲撃2~
「……なんか騒がしいな」
広場に面する建物の1つ。その二階の窓から外を覗きながら、空色の髪に緑の眼を持つ青年がそう言った。
「異常事態?」
椅子の上で腰まで届く銀色の髪を揺らしながら、青年の方へ青い瞳を向けたのは、まだ幼ささえ残る美しい少女だった。その服装も彼女に相応しく、黒のゴシックドレスである。
「分からないけど……狭い町だ。ここまで飛び火する可能性は考えておいていいだろうね」
青年はそう言うと、部屋に転がしていたバスタードソードを取り上げる。
「出るの?」
「うん。何が起きているのか確認しておかないと、巻き込まれたくはない」
青年の言葉に少女も椅子に立てかけておいた自らの杖を手に取り、椅子から降りた。
「可能性としては、何者か……おそらくはエネミーの襲撃」
「なるほど。確かにそれが一番可能性がありそうだね」
少女の言葉に青年は苦笑しながら、そう答え、
「なら、さっさと逃げようか。今朝来たばっかりだけど」
「そうする」
二人揃って階段を下り始めた時に、それは起こった。
ドガアアアァァァァァンン……
突然響き渡る轟音。
「近いぞ!?」
青年はそう叫び、階段を駆け下りた。建物から飛び出そうとして思いとどまり、扉を少しだけ開けて外の様子を窺う。そうして目に飛び込んできたのは、ケルンを囲む防壁を粉砕し、広場に突入してきた3頭の巨大なイノシシの姿だった。
「別口か?にしても、建物の中も安全じゃないな」
最初に起きていた騒ぎの元と同じなのかどうかの判断はさておき、木っ端微塵になった防壁を見て、青年は建物も簡単に粉砕されるだろうと推測する。
「危険?」
「そうだね。……裏口が無いのが恨めしいよ」
追いついてきた少女に、青年はそう愚痴る。
建物の中に留まるのは危険だが、建物を出るにはイノシシがいる広場に面した扉を通るしかない。
「窓」
「……いや、そんな時間は無さそうだ」
実に魅力的な少女の提案だったが、広場から逃げ出そうとする者たちに狙いを定め、突撃を開始したイノシシ達。その一頭の進路が自分たちのいる建物を直撃しかねないことを見て取った青年は、少女を脇に抱え上げた。
「行くよ!」
そう言うと、少女の返答を待たずに扉を開け放ち、イノシシに追い回される者たちの悲鳴が響き渡る外に飛び出す。
そして、すぐさま方向転換し、広場から出る小道へと飛び込もうとした。
が、
「来る」
淡々とした少女の声。それで青年は、目的の小道に飛び込むのを諦めざるを得なかった。
実際、その直後に逃げ込もうとしていた小道に、体長4mを越す巨大なイノシシが突入し、その身体がかすった左右の建物が轟音と共に崩壊する。どうやら、青年達の姿を認め、途中でコースの修正を行ったらしい。
「戦う?」
「しかないだろう。……攻撃魔術は使わないこと。悪目立ちはしたくない」
「了解」
こんな時でも平然としている少女に、青年は苦笑しながら、その身体を地面に下ろす。
それと同時に少女は呪文の詠唱を始める。その選択は、電撃を利用した麻痺系魔術――エレニード・ファステン。あらかじめ指定した場所に掛けておくと、その上を通ったものを、電撃で麻痺させる魔術である。電撃は地面から対象の体内に直接流し込まれるため、一見かなり地味である。
少女の詠唱はすぐに終わり、イノシシが突入していった先ほどの小道の出口に魔術を掛ける。
果たしてその効果は絶大で、小道から勢いよく出てきたイノシシが、バシン!という音共に動きを止めたかと思うと、そのまま地面に倒れ込んでいった。
「……逃げるか?」
あまりの呆気なさに、青年が思わずそう呟いたが、
「否定。追いかけられると厄介」
確かに、建物をものともせずに粉砕するような相手から、この大して広くもないケルンで逃げるのは少々無理があった。下手すれば一時間もかからずに、ケルン全てが瓦礫の山になりかねない。
青年は逃げるのはあっさり諦め、代わりに少女の魔術で麻痺して痙攣まで起こしているイノシシへと、バスタードソードを片手に近づいた。
そして、身体強化を発動させ、イノシシの肋骨の隙間からその心臓を串刺しにする。
「まずは一頭か」
噴き出す血を浴びないように注意しつつ、バスタードソードを抜きとる。そして、広場を振り返れば、イノシシによる破壊が繰り広げられていた。
一頭は広場の片隅に止められていた馬車の列に突っ込んだらしく、馬車は全て、近くの建物もろとも木っ端微塵の瓦礫の山と化している。もう一頭も逃げ惑うケルンの人間達を追い回しながら、建物に突っ込んだらしい。今まさに、崩れ落ちた瓦礫の山の中からその姿を現したところだった。
広場の中程には、逃げ損ねたのだろう人間が、何人か倒れている。
他の人間達は既に広場から逃げ去ったらしい。動くものはイノシシ以外に見受けられなかった。
「これなら、多少派手なことも出来る、か?」
青年はそう考えたが、すぐに首を振って否定した。建物の影から見ているものがいないとも限らない。
幸い、イノシシたちはまだ青年と少女に気づいた気配はない。姿が見えているイノシシも、頭に被った大量の瓦礫から巻き起こる粉塵で、まともにものは見えていないはずだった。
「エセス。逃げるよ」
青年に呼ばれ、少女――エセスが駆け寄ってくる。
「目的は果たせていないけど……目立つ前に逃げないとね」
そう言うと、イノシシの視界が回復する前にと、青年とエセスと呼ばれた少女はケルンの町並みに姿を消した。
尤も、青年達の心配は無駄だったかも知れない。
広場の真ん中まで戻ってきた2頭のイノシシは、仲間の死体には目もくれなかった。代わりに周囲を見回すと、幾つかの建物に身体をすりつけ、ついでに牙でほじくり返し、それで満足したらしい。そのまま大人しく去っていったのだった。
さて、その頃。
武器を取りに宿に戻ったディアナとリリーは、部屋に入るのを一瞬躊躇した。言わずもがな、二人っきりになったグランスとミネアが何をしているか。想像してしまったためである。
尤も、これは杞憂に終わった。
「……戻ってきていたのか」
とりあえずノックをしようとディアナが手を上げた瞬間、ガチャリと開いた扉の向こうから、グランスが驚いたような顔を覗かせる。その服装に乱れがないところからみて、二人でゆっくり過ごしていただけのようだった。
「騒がしいですけど……何かあったんですか?」
そう言ってミネアも顔を覗かせる。その手には既に武器が握られているところから見て、良くない事が起きているらしいとは察しているようだ。
「そうだな。それに何故二人だけ帰ってきた?クライスト達はどうしたんだ?」
「エネミーの襲撃じゃ。私とリリーは武器を持っておらなんだからの。取りに来たのじゃ」
怪訝そうなグランスだったが、そんなディアナの説明を聞いて一気に顔を引き締めた。
「そう言うことか」
そう言いながら、ディアナとリリーを部屋に通し、武器を手に取らせる。
「案内してくれ。すぐに援護に向かうぞ」
そうして、グランス達が宿を出た直後のことだった。
「ああ!ちょうど良かった!」
その声に振り向けば、グランス達も見覚えのある男が息を切らして立っていた。
「ワッペンの所の?」
「そうですそうです!彼に言われて、あなたたちを探しに来たんですよ!!」
そう言った男は、何かに追い詰められているような表情をしていた。
それが気にならないと言えば、嘘になる。だが、グランス達はそれ以上に優先するべき事があった。
「悪いがこっちも急いでるんだ。後にしてくれないか?」
グランスはそう言ったが、男は激しく首を振った。
「そうはいきません!こっちにすぐに来てくれないと、全滅するかも知れないんです!」
その言葉に、グランス達は思わず互いに顔を見合わせた。
ちなみに、馬車は既に完膚無きまでに破壊されているのだが、後ろを一顧だにせず走ってきた男は、その事はまだ知らない。
「ディアナ、レック達がいる方向はどっちだ?」
「あっちじゃ。……ワッペン達のいる方向とは違うのじゃがのう」
ディアナの答えに、グランスは思わず舌打ちした。
状況から判断して、ワッペン達も広場でエネミーに襲撃されているのだろう。しかも、レック達はまた違う場所で戦っている。
これではレック達を取ればワッペン達を見捨てることになるし、ワッペン達を取れば仲間を見捨てることになる。
かといって悩んでいる暇もない。が、情報も足りない。
「ディアナ。クライスト達の方は手が足りると思うか?」
「5頭ほどおったからのう。一対一に持ち込むにしても、後二人は欲しいはずじゃ」
それでグランスは決断した。
「俺がワッペン達の所に行く。おまえ達はクライスト達に合流して、エネミーを倒し終わったらすぐに来てくれ」
そんなグランスの判断を聞いた男が叫ぶ。
「ちょ!?全員で来てくれないんですか!?」
「俺の仲間達も襲われてるんだ。見捨てる訳にはいかない!」
グランスはそう言うと、視線でディアナ達に合図を送る。
それを受けたディアナ達は、
「……すぐにそちらに向かうからの。死ぬではないぞ!」
そう言い残して、レック達の方へと走っていった。
それを見送る時間も惜しいと言わんばかりに、グランスは男に言う。
「俺達も急ぐぞ。案内しろ」
「……間に合わなかったら恨むからな」
不満げに吐き捨てながらも、男はグランスを先導して走り出した。
尤も、既にこの時点で十分手遅れだったとは言える。
「……嘘だろ……?」
グランスを連れ、ワッペン達のいる広場に戻った男の最初の台詞がそれだった。
広場の周囲の建物は粉々に砕かれ、瓦礫の山と化している。
地面に敷き詰められた石畳もそこかしこで大きく割れ、下の土が顔を出していた。
広場の端に止めてあった馬車も、当然無事ではない。建物もろともに砕かれ、馬車があったと分かるのは、馬車に使われていた幌が半分瓦礫の下敷きになりながらも、ばさばさと風に靡いていたからだった。
一方で、不思議なものもあった。
崩れた建物の手前で死んでいる巨大なイノシシである。
それを見た男は完全に固まっていたが、グランスが堂々としているせいか、逃げ出すには至らない。
「誰かが倒したのか?」
ぴくりとも動かないので死んでいるのは間違いないだろう。だが、倒したと覚しきプレイヤーの姿がない。グランスとしては首を傾げるしかなかった。
だが、イノシシが速やかに倒されたおかげなのだろう。広場に転がる死体は、意外と少なかった。
「……死体が少ないな」
「!!?」
グランスの後ろで震えていた男もそれでやっとそちらに気が向いたのか、キョロキョロと見る影もなく破壊された広場を見回す。
グランスの言ったとおり、地面に倒れているのは僅かに4人だけである。崩れた建物の下敷きになっている者もいるかも知れないが、それにしても少ない。
まあ、それはイノシシが速やかに倒されたおかげなのだろうと納得して、グランスは倒れているプレイヤーが生きているのかどうか、確認することにした。
死んでいるイノシシ以外にエネミーがいないとは限らない。のだが、グランスの見るところ、周囲に既にエネミーの気配はなかった。
ホッと息を吐きつつ、倒れている人影の1つへとグランスは歩き出す。慌てて男が後ろから着いてくるのが感じられた。
歩きながらふと視線を向けると、広場に面している防壁が大きく破壊されているのが見えた。
(確かあの辺には、門もあったはずだが……)
勿論、今ではそんなものはどこにも見受けられない。防壁もろともに粉砕されたと見るべきだろう。そうして、広場を荒らしたエネミーはそこから入ってきたのだろう。
そんなことを考えている間に、グランスと男は、倒れているプレイヤー、その一人の元へと着いていた。
「レベンツ!!レベンツ!!!!」
グランスの後ろをおっかなびっくりついてきていた男が、倒れている男の名前を何度も呼びながら、その身体を激しく揺さぶる。グランスも見たことのある顔だった。商隊のメンバーである。だが、レベンツと呼ばれた男が目を開ける気配はなかった。
すぐに男もその事を察したのだろう。レベンツの身体を揺さぶることを止めると、抱きつくようにして泣き出した。
やりきれない気持ちでその様子を見ていたグランス。
そのグランスの懐で、個人端末がクランチャットの着信を告げた。確認すると、ディアナからだった。広場にいると返信して、端末をしまう。
そのまま、倒れている他のプレイヤーが無事かどうか確認して回ったが、結果は、
「ダメか……」
最後の一人の横に膝を突き、反応がないことを確認し、グランスは首を振った。キングダムで少なからぬプレイヤーの死体を見てきたせいか、取り乱したりはしない。だが、それでもやりきれないものは残る。
「……グランスさん」
名前を呼ばれ振り返ると、いつの間にか、そこには悲しみを浮かべたワッペンが立っていた。少し視線をずらすと、無事な建物の影に、ロック達の姿も見える。
「無事だったのか」
グランスはワッペン達を見て安心したが、ワッペンの仲間がやられていることもあり、それは顔に出さないようにする。
「ええ。でも、あの通り。レベンツがやられたよ」
案の定、悲しげにワッペンがそう言う。
「……あっちのは?」
「あっちはここの町の人だよ。真っ先にやられたんだ」
そうして、ワッペンは説明を始めた。
それによると、エネミーの襲撃はいきなりのことだったらしい。
ワッペン達が明日の出発に備え、広場の片隅で馬車の点検や荷物の確認を行っていると、突然轟音が広場に響き渡った。
広場やその近くにいた全員が音のした防壁の方を見ると、そこにはもうもうと立ちこめる砂煙。そして、その中から巨大なイノシシが姿を現した。
そこに居合わせた者たちは一瞬、何が起きたのか理解できなかったが、イノシシが突撃してきたことで、皆正気に戻った。いや、停止していた思考が混乱しただけかも知れない。
兎に角、動き始めた彼らがしたことはただ一つ。その場からの逃亡だった。
周囲の様子を、仲間の様子を気にする暇もない。
ただ、ひたすらに逃げ、しかし200mと行かないうちに息が上がって、スピードが緩む。そうして、早くも物音がしなくなっていることに気づき、おっかなびっくり恐る恐る仲間達と共に様子を見に戻ってきたのだという。
「……なら、あれを倒したやつは見てないんだな」
話を一通り聞いたグランスは、そう言ってイノシシの死体を指さした。
「あれ?……なっ!?」
グランスの視線の先を辿ったワッペンは、一瞬硬直する。
「……あれ、死んでるよね?」
「ああ。まず間違いなくな」
グランスはそう言ったが、ワッペンはまだ震えている。余程怖かったと見える。
「ふむ……」
ワッペンの様子を見たグランスは、戦斧を片手にイノシシの死体へと近づいた。
勿論、死体なのだから動いたりはしないのだが……グランスも全く緊張しなかったと言えば、嘘になるだろう。ワッペンには死んでいると言ったが、まだ確認はしていなかったのだから。
なので、イノシシに近づいてもやはり動かなかった時は、心のどこかで少し安堵していた。
この時点で、グランスはイノシシが死んでいることをほぼ確信していた。だが、周りはまだそうではない。
遠巻きにワッペン達やケルンの住民達が見守る中、グランスは戦斧を大きく振り上げ……そして、イノシシの首めがけて振り下ろした。
呆気なく落ちるイノシシの首。断面から血がどろりと垂れる。
それを見ていた周囲から、安堵のため息がほうっと漏れた。流石に、首が落ちてまで動くエネミーは――アンデッド系を除けば――まずいないから、これでまず死んだだろうと安心できたわけである。
「グランス!無事だったか!」
戦斧に付いた血を拭き取り終わったグランスの耳に、クライストの声が聞こえた。
「ああ。そっちも……無事そうだな」
声の方へと目を遣ると、仲間達が歩いてくるのが見えた。尤も、途中までは走ってきたのか、息は荒かったが。
ただ、ミネアとリリーが見あたらず、一瞬グランスは不安を感じた。しかし、仲間達の顔は明るい。どうやら、用事か何かで置いてきたのだろう。
「ちょっと手こずったけどな。何とか、無事に終わったぜ。ってか、こっちも酷いな」
ぼろぼろになった広場を見回して、クライストが言う。途中でプレイヤーの死体に気づき、その顔が歪んでいた。
「そっちはどうだったんだ?」
「私たちが戻った時には、全て終わっておったのう」
結局、出番がなかったディアナがそう答える。
「建物はかなり壊されたけど、誰も死ななかった、かな?」
レックの語尾が少しおかしい。
「確認できてないのか?」
「建物の中に人がいたら分からない。ミネアとリリーが残って確認に当たってるよ」
それで二人がこちらに来ていない理由が分かって、改めてグランスはホッとした。
「反対側からも襲われたんだね」
そう言ったのは、いつの間にかやってきていたワッペンである。
グランスが気がつくと、ロック達やケルンの住民達もやってきていて、イノシシが死んだか確かめていた。
「ああ。おかげで、あっちの門も周りの建物ごと木っ端微塵だぜ」
「そう。こっちは見ての通りだよ」
そこでワッペンは一度言葉を切り、
「……仲間も一人、やられてしまった」
それを聞き、レック達の動きが止まった。既に知っていたグランスは、僅かに顔を背けた。
他人であっても、人が死ぬというのはそれだけで重い。それが顔見知りであるなら、言わずもがなであった。
しばらくの沈黙の後、ディアナが口を開いた。
「誰がやられたのじゃ?」
「レベンツ」
「……顔、見てきても良いか?」
クライストの言葉に、ワッペンは無言で頷いた。
その晩。
崩れた建物の下敷きになった住民の捜索――幸い、誰もいなかった――などを終え、ワッペン達商隊メンバーと、レック達は宿の食堂に集まっていた。
「今日はいろいろあって大変だった。レベンツのことは残念だけど……この街の人達と一緒の葬儀になると思う」
弱いランプの明かりの下、ワッペンの言葉に集まっていた一同は無言で頷いた。
「町長さんとも話をしたけど、葬儀は明日。埋葬は防壁の内側に墓地を作って、そこに土葬という形になるそうだよ」
墓地がなかったというのは、今までに死人が出なかったというわけではない。単に、死体を回収できなかっただけのことである。
「それが終わって、町の片付けを少し手伝ったら、ペルに戻る……と言いたいところだけど、暫くここに滞在することになるよ。場合によると一~二ヶ月」
その期間の長さに、不満の声が漏れる……かと思いきや、静かなままだった。仲間の死がまだ堪えているということなのだろう。
そんな一同を見ながら、ワッペンは説明を続ける。
なんでも、クランチャットでペルに滞在していたクランメンバーと連絡を取ったらしい。出来ればキングダムと直接連絡を取りたかったが、最近、遠すぎるとチャットが使えなくなっているのだった――レック達には初耳だったりするのだが。
それで、そこから更にクランチャットの伝言が繰り返され、キングダムと連絡がついた。そうして、近日中にペルから支援隊が送られ、防壁などの修理を行うこと、キングダムからもケルンの防衛用に軍が送られることが知らされたのだそうだ。
ちなみに、今まではペル近辺には、言葉や住民感情という理由から、軍はほとんど派遣されていなかった。だが、今回のことで防衛力が必要なことを痛感した町長他多数がが、軍の派遣を熱望したのである。
「そう言うわけで、我々は当分ケルンに留まる。実際には、ペルからの支援隊が到着し次第キングダムに戻って良いそうだから、長くて2週間だと思うよ」
それを聞いて、グランス達は不謹慎ながらも少しホッとした。打倒魔王という目的があるのに、何ヶ月も1つの町に拘束されたくはないのである。
それからの話は、それまでの間、どうやってケルンで過ごすか――つまりは、防壁の修理であるとか、墓地の造成であるとか、そんな説明だけだった。
数分ほどでそれも終わると、ワッペンの合図で解散となる。
商隊のメンバーは、誰も食事は摂ろうとしなかった。だが、グランス達はそこまで落ち込んだわけでもないので、不謹慎かもと思いつつもお腹は空いている。
とは言え、
「食事は出てきそうにないけど……食事するのかい?」
最後に声を掛けてきたワッペンが言ったように、食堂で何か作ってもらうのは期待できそうになかった。
ケルンは人口300人程度の小さな町なのである。そこで何人かでも死人が出たとなれば、それだけで大騒ぎ。全員が互いに顔見知り……とまではいかなくても、死んだ者が知り合いだったと言われても驚くには値しない。
実際、死んだプレイヤーの一人は宿の主人の友人だったとかで、宿の人間は今誰もいなかった。なので、
「厨房を使う許可はもらってある。大丈夫だ」
と言うことで、ディアナが軽く何か作る予定になっていた。
「そう。僕も食欲はないから、先に失礼するよ」
ワッペンはそう言い残すと、自らの部屋へと消えていった。
さて、現在のケルンの人口はおおよそ300人ほど。しかし、『魔王降臨』以前の人口はそれよりもかなり多かった。ということは、現在のケルンにはかなりの数の空き家があることになる。
実際、巨大イノシシが突撃して壊れた建物が多かったにもかかわらず、それによる死人どころか怪我人すら出なかったのは、その大半が空き家だったからなのだ。
そんなケルンを管理する公認クランは現在存在しない。その為か、ほとんど全ての建物が誰でも自由に出入りできる状態になっていた。
イノシシを一頭だけ倒し、さっさと姿をくらませた青年と人形の如き美少女のエセスの二人は、再びそんな空き家の1つに潜り込んでいた。
「思ったより、被害が少なかったみたいだね」
「想定外」
「全くだよ。まあ、おかげでこの町から逃げ出さずに済んだわけだけど」
それに対するエセスの答えはなかった。興味がないことに対してはいつもこんな感じなので、すっかり慣れている青年は特に何も思わない。
二人は今、明かりもつけず、窓から町の様子を眺めていた。明かりをつけないのは、空き家に明かりが点いていたらここに不審者がいますよと教えるようなものだからである。
昼間、あんな事があったためか、夜に外を出歩く人影は全くない。
「反対側に来たイノシシを倒した連中の顔、拝みたかったんだけどね」
「残念」
エセスはそう言ったが、その表情は全くそんなことを言っていない。……無表情なだけだろうが。
「商隊についてきた護衛って話だから、もしかするとお目当ての連中かも知れないし」
「確認する」
「そうだね。また、エセスには留守番してもらって、顔を見てくるかな」
「……不満」
エセスはそう言うが、青年は彼女を連れ歩くつもりは全くなかった。何しろ、ゴシックドレスを着た美少女など、目立つことこの上ない。昼間、広場の建物から逃げ出した時は、周囲もそれどころじゃ無かったから良かっただけなのだ。実際、二人がケルンに入る時も、人が起き出す前の早朝に、防壁を乗り越えて侵入している。
「……せめて、目立たない服を着ることを承知してくれたらね」
その言葉に、無言を返すエセス。その表情にも変化は見られないが、長い付き合いである青年には、彼女が拗ねていることがよく分かった。
エセスは何故か、ゴシックドレスのような、趣味は悪くないものの、目立つ服しか着ようとしない。時々はそのポリシーを曲げて欲しいと青年は思うのだった。
「さて、ホントに当たりだったら、どうするかな……」
拗ねてしまったエセスからの意見は期待せず、青年は呟く。
フランから受けている指示は、『彼ら』の顔と名前を確認すること。だが、可能ならば、もう一歩踏み込んでおきたいと考えていた。何しろ、この馬鹿みたいに広いジ・アナザーの世界では、情報があったとしても、お目当ての人間と遭遇するのはかなり難しい。ならば、商隊の護衛とやらがお目当ての『彼ら』だった場合、好機を逃すのはかなり勿体ないことなのだ。
だが同時に、目立つような事や迂闊な接触は避けるようにとも言われている。
青年は暫く、そんなことをあれこれ考えていたが、良い考えなど浮かぶわけもない。
「…………あ~、やめやめ!一眠りしてから考えよう!」
「無駄な労力」
「エセス。そこは突っ込まなくて良い」
拗ねていても、いや、拗ねているからこそ余計に、エセスは毒を吐いた。それに微妙にウンザリしながら、青年は今宵の寝床へと移動する。
「……床の上の方がマシかな」
ベッドの感触を確かめ、青年はぼやいた。一年以上も手入れされていないそれは、固く、冷たく、快適な眠りをむしろ妨げてくれそうな代物と化していた。
「悪夢推奨」
そう言ったエセスは、アイテムボックスからマントを取り出し、並べた椅子の上に広げるところだった。
「……俺もそうするか」
そうは言ったものの、既に椅子は残っていない。青年は結局、最初の予定通り床の上にマントを広げ、その上に寝ることにしたのだった。
「……蒼い月」
「ああ。そうだといいな」
眠りに落ちる直前、エセスが漏らした『彼ら』の名前に、青年は軽く相槌を打ったのだった。