第六章 第三話 ~北の町で~
「と言うわけで、ほとんど引きこもり同然になってる件について」
ペルの宿屋の一室でそう宣ったのは、リリーである。
そして、同じ部屋に集まった蒼い月の仲間達からやる気のない拍手がパチパチと湧き起こる。
ペルに到着して4日目の夕方のことだった。
ワッペンやロックの商隊の護衛は結局ペルまで続いた。馬車での移動はやはり早く、一月以上かかると見込んでいた距離が半分程度で済んだのは行幸だった。
だが、そこからが問題だった。
ペルには未だ日本語を扱えるプレイヤーがほとんどいなかったのだ。
冒険者ギルドなどはあるのだが、全部が全部、ドイツ語プレイヤー向けで日本語など通じない。
数少ない日本語が通じるプレイヤーもまた、キングダムとの連絡や日本語圏との商いに忙しく、レック達の相手をする余裕など無かった。
英語の普及率も日本語よりはマシという程度で、どちらかというと役に立たない場所が多すぎる。
そんな中、眠りの魔術の祭壇に向かう前にグランスの武器を新調するとかで、唯一ドイツ語を話せるマージンが連日鍛冶場に籠もっているため、周囲との意思疎通もままならず、レック達は宿屋に引きこもっているのだった。
「まあ……予想はしていたが、流石にストレスが溜まるな」
「おぬしはいいではないか。マージンについて何度か鍛冶場まで行っておろう」
「そうそう。俺達は正真正銘の引きこもりだぜ?」
「食事の時に食堂に下りていくくらいだよね。散歩もしづらいし」
何のことはない、愚痴大会である。
「でも、今日中には武器が出来るんですよね?」
「一応その予定だけど……今朝、マージンに訊いてみたら、目を逸らしてたよ~?」
不吉なリリーの言葉に、部屋に下りる沈黙。
そんな中、居心地悪そうにしている仲間をクライストは発見した。
視線を遣ると、ふいっと視線を逸らす。
「……グランス。マージンに何を言った?」
その言葉で仲間達の視線がグランスに集中する。
漫画等なら間違いなく冷や汗がだらだらと流れそうなグランスの様子に、仲間達はグランスが余計な事をしたか言ったなと確信した。
「グランス?」
いつもはグランスにあまあまな視線しか向けないミネアでさえ、声と視線が何となく冷たい。
他の仲間が向ける視線は言わずもがな、である。
そんな空気に平然と耐えられる人間がそうそういるわけもなく。
「済まん!」
一分と持たずに、グランスは屈服したのだった。
そのグランスの説明を聞き、仲間達は一斉にため息を吐き、恨みがましい視線をグランスに送りつける。
「つまりは、レックのような盾を欲しいと、マージンに言ってしもうて、マージンがそれも作ることになったという事じゃな?」
「ああ。実は既に新しい武器は出来ている」
グランスはそう言うと、アイテムボックスからそれを取り出した。いわゆる片手剣であるが、鍔が妙に大きく、柄まで大きく覆っている。その表面に無数の襞があるのは何のためだろうか。刀身もかなりの肉厚で、根本の方では厚さが3cm以上もある。そして何のためか、その辺りでは刃が丸められ、代わりに深さ数mmほどの溝が刻まれていた。
「奇妙な剣じゃのう」
それを手に取ったディアナが、角度を変えながら調べてみて、そう感想を漏らす。
「マージンなりに考えたディフェンダーだそうだ。一応攻撃力はあるが、相手の攻撃を受け止めることを重視してみたんだそうだ」
「なるほどな。しかし、随分早くできたんだな」
「キングダムであれこれ試行錯誤したおかげだと言っていたな。あの時は両手武器を考えていてうまくいかなかったそうだが」
クライストの言葉に、グランスはそう答えた。
「で。マージンの作業は何日延びたんだ?」
吹雪が見えそうなクライストの笑顔に、グランスは怯えながら、
「明日いっぱいで終わる……だそうだ」
そう答えるのが精一杯だった。
その翌々日は、鍛冶場籠もりが一段落したマージンを通訳として同行させ、レック達はペルの散策でやっとストレスを解消できた。グランスは財布として連れ回されたのだが……『魔王降臨』以降、蒼い月では全員分まとめてお金を管理していたので、あまり意味はない。どちらかというと、仲間達の気分の問題だったようである。
そして、更にその翌日。
眠りの魔術の祭壇へ向かうために準備を進めていたレック達を、夕方、ワッペンが宿まで訪ねてきた。
「少し、時間良いかな?」
護衛と雇い主という関係であれ、しばらくの間一緒に旅をしたためか、ワッペンの口調はすっかり砕けている。
「ああ、構わないが……どうかしたのか?」
グランスの言葉に、ワッペンは軽く頷いた。
「大した用事じゃないんだけどね」
そう言いながら、レック達の様子を軽く見て取り、
「これはダメかな」
と小さく呟いた。
とは言え、グランス達に聞こえないほどの声量でもなく、ワッペンの呟きを聞き取ったグランスは、
「聞くだけ聞いてみよう」
そう話を促した。
「ああ、ありがとう。……実は君たちのこの後の予定を聞きたくてね」
そうしてワッペンが言うには、ペル周辺に幾つか街が残っていて、それらを回りたい。だが、護衛として雇う冒険者達のアテがないとのこと。
「何人かはいると思ったんだけどね。言葉が通じる冒険者は今はあらかた出払っていて、当分帰ってこないらしいんだよ」
と、困ったようにワッペンが言う。
「つまりは、護衛を頼みたいということか」
「まあ、そうなるね」
ワッペンの言葉に、グランスは「ふむ」と考え込む。
ワッペンには気の毒だが、ペルの北西にあるという眠りの魔術の祭壇を目指す予定なのだ。数日くらいなら出発が遅れても構わない気もするが、ワッペンの話を聞く限り、最短でも半月。長ければ一月以上も護衛で拘束されてしまう。
かといって、顔見知りが困っているのを見て見ぬ振りをするのも気が引ける。
「どうしたものかな」
そう言いながらグランスが仲間達に視線を遣ると、
「ルート次第ではないかのう。互いの目的地が近いなら、私たちの目的を果たすまで、途中の街で少し待ってもらうなりできるじゃろう」
と、ディアナが言う。
確かにそれなら、護衛を受けられないこともない。むしろ、馬車に乗って移動できる分、いろいろと楽な旅が出来そうだった。グランスはそう判断し、
「と言うことだ。どういうルートなのか教えてもらえないか?」
「ああ。おやすいご用だよ」
そう言いながら、アイテムボックスから一枚の地図を取り出し、テーブルの上に置いた。
それをレック達が囲むように見ている中、ワッペンは、
「ここがペル。予定ではこう行って……」
と指で予定しているルートをなぞっていく。途中、3つほどの街を経由するコースである。
「そして、ここを通ってペルに戻ってくる予定だよ。大体、それぞれの街に滞在するのが3~5日程度を見込んでるから、戻ってくるのは大体三週間後になるかな」
そのコースを見て行けそうだと判断し、グランスは改めて仲間達に問いかける。
「どうやらディアナの案が行けそうだが……どうだ?」
「いいんじゃねぇか?」
「問題ないんじゃない?」
「僕も良いと思う」
仲間達も問題ないと、賛成する。後は、
「となると、ここだな」
グランスは地図の上、街の1つを指さした。ペルから北西におよそ80kmの地点にある街である。
ワッペンはすかさずその街の名前を読み取る。
「ケルンで数日待てばいいのかな?」
「数日……いや、もう少しかかるかも知れん。余裕を持たせて二週間ほどみて欲しいが」
「二週間……か。他の街の滞在日数を最低限まで削るだけじゃ、厳しいな」
とは言え、それでこの話を無かったことにする訳にもいかないのがワッペンの立場である。
「今日は一度戻って、仲間達と相談してくるよ。明日の朝にまた来るけど、それでいいかな?」
「ああ、それで構わない。明日はまだ一日この街にいるつもりだからな」
グランスがそう答えると、ワッペンはホッとしたように、
「それじゃ、今日はこれで失礼するよ。出来れば一緒に旅が出来ると嬉しいよ」
そう言いながら、帰っていった。
ちなみに、その翌朝。
もう一度やってきたワッペンに、ケルンで二週間待ってもいいから護衛を受けて欲しいと頼まれ、レック達はまたワッペン達の商隊の護衛をすることになったのだった。
その二日後、レック達はワッペン達の商隊と共にペルを後にした。とはいえ、予定通り行けば遅くとも6週間後には戻ってくるはずである。
「商品の輸送はここの連中に任せてもいいんじゃないのか?」
「基本的にはそうしてる。ただ、たまには自分たちの目で現地を見ておいたほうがいいというのが、上の方の考えなのさ」
商隊の先頭でガタゴトと音を立てる馬車に揺られながら、グランスとロックが話をしている。
ペルまでの道と違って、ペルとその周辺の街を繋ぐ道はちゃんと整備されているとは言い難い。馬車が行った後にできた深い轍などはそのまんま放置されているし、地面から石が顔を出していても、相当大きくなければこれまた放置されている。おかげで、耐えられないほどではないものの、ペルまでの道に比べると随分馬車の振動が酷くなっていた。
尤も、あまり気にすると却って酔ったりするので、レック達も極力気にしないことに決めていた。
「この辺はまだまだ治安が良くないのか?」
「いや、意外とそんなことはないぞ。ペルに来たのはまだ二回目だが、割と落ち着いているな。いや、行方不明者が出ているとかいう話は聞いたことがあるな」
グランスの問いに、ロックは物騒だかそうじゃないのか分かりかねる話をし始めた。
「街の外でエネミーにやられたとかじゃないのか?」
「それはないな。何しろ、街から出ないはずの連中だったらしいからな。だから、上の方はプレイヤーの仕業だと見ていたんだが……」
「見ていたんだが?」
「三ヶ月くらい前から、ピタリと止んだそうだ。そうでなければ、ペルに着いてからも護衛を頼んでいたさ」
そんなロックの言葉に、それもそうかとグランスは納得する。自分たちの耳に今まで入らなかったのも、既に収束した事だったからだろう。
とは言え、やはり現実よりも治安はよろしくないのだと、改めて自分に言い聞かせる。気をつけないと、時々油断しているのではないか、と思わないでもない。
意外に穏やかな時間が流れている商隊の先頭馬車とは裏腹に、真ん中の馬車では非常事態が起きつつあった。
今回はレック、マージン、リリーが真ん中の馬車に乗っているのだが、ペルに着くまでの馬車があまり揺れなかったので油断したのだろう。前にユフォルに向かった時に乗った馬車では起きなかった事態が起きていた。
「マージン、大丈夫?」
レックがそう声をかけると、荷台の後ろで潰れているマージンの頭が僅かに上下する。
現実なら酔い止めの薬もあるのだが――尤も、乗り物酔いするほど揺れる乗り物など最初から無いが――生憎仮想世界に過ぎないジ・アナザーにはそんな便利なものはない。
レックとリリーに背中をさすられつつ、マージンが地面に肥料をまくまでの時間は着実に迫りつつあった。
「……このて……いど……で……リアル……じゃ……よわへ……んか……ったのに……」
時折そんなことを言っているが、酔いながら言われても微妙でしかない。
ふと、レックが顔を上げると、後続の馬車の御者台の上で、商隊のメンバーが苦笑しているのが見て取れた。
ただ、こちらの馬車との距離が妙に空いているのは……レックの気のせいではなかったはずだ。
そんなちょっとしたトラブルや、エネミーによる襲撃もあったが、商隊は予定されていたルートを順調に進んだ。そして、10日後の正午過ぎに、商隊は鬱蒼と茂る針葉樹の森に囲まれた街、ケルンに到着した。
「それでは、明日出発かな?」
「ああ。折角街で身体を休められるんだ。おかげで準備は万端だし、今日はゆっくり休むさ」
ケルンの街の中心にある広場に止まった馬車から降り、ワッペンとグランスはそう話していた。
『魔王降臨』直後は混乱し、一時はあちこちの街で治安の悪化が叫ばれたが、最近はどこも治安が落ち着いてきている。なので、街の中にいる間は護衛も必要ないということで、明日にでもレック達は眠りの魔術の祭壇を目指す予定だった。
「自分たちは予定通り二週間、この街に滞在するつもりだ。出来れば早く帰ってきて欲しいけどね」
「目的地との距離を考えれば、多分大丈夫だとは思うがな」
ワッペンにグランスはそう答える。
「その目的地がどこなのか、結局教えてもらえなかったのは残念だよ」
「情報をくれた相手から口止めされているからな。本人のことも含めて言うわけにはいかないな」
「まあ……それは仕方ないね。君たちがそんなに口が軽いとは思ってないからね」
「ああ」
そんな感じで二人が話していると、馬車や商隊メンバーの様子を見て回っていたロックがやってきた。
「おまえ達ともここで一端お別れだな」
「ああ。だが二週間後にはまた会えるはずだ」
「そうじゃないと困るな。他の護衛を手配するにも、この街ではかなり厳しい」
ロックの言うとおり、ケルンでは街の防衛戦力以上の冒険者などの戦えるプレイヤーはおらず、商隊の護衛を雇うことは難しかった。何しろ、ケルンは現在のキングダムにおけるプレイヤー勢力圏の端の方にある。自給自足を目指すなど地味な生活で満足できないなら、他の街に行くしかない。そして、戦えるだけの力を身につけているプレイヤーは、大抵そんな生活に満足できないものなのだ。
「まあ、生きて帰ってこい。死んだら許さん」
「言われるまでもない。勿論、そのつもりだ」
そう言って、ロックが差し出した手をグランスはしっかり握った。
「では、俺達は役場に行くからここでお別れだ。明日の朝ここを発つというなら、また会うかも知れないが……多分二週間後だな」
街に着いた直後の商隊は兎に角忙しい。
まず、役場に行って運んできた商品のリストを提出することになっている。また、次に来た時に運んできて欲しいものや、今売りたい物のリストなどを受け取ったりもする。
それが終わっても、商隊はすぐには休めない。ここはまだ広場と言うことで商隊を狙う買い物客の姿は殆ど無いが、役場の前には既に人だかりが出来ているはずだった。そう、運んできた商品を買いに住民が殺到するのだ。実際、前の街でも予定していた商品の7割が街に着いた当日に売れている。
グランス達がここで馬車から降りたのは、それに巻き込まれないためなのである。グランス達が今日はまだケルンにいると言っても、商隊の方が忙しすぎれば、互いに顔を合わすとは考えにくかった。
「そうだな。二週間後にまた会おう」
グランスはそう答えると、ロックと同じように手を出してきていたワッペンとがっしり握手を交わす。
グランスと握手を終えたロックはと言うと、クライストやマージンとも握手を交わしていた。女性陣では、ディアナしか握手に応じていなかったが。
そうして一時の別れの挨拶を終え、ガタゴト音を立てる馬車に乗って役場の方へと去っていく商隊を見送り、グランス達はこの街唯一の宿へと向かった。商隊は役場の一室で寝泊まりするらしいので、宿で顔を合わせることもない。
敢えて言うなら、宿屋の人間も期待できない宿泊客より商隊が運んできた商品が良かったのか、宿屋が空っぽだったのは計算違いだった。
幸いと言うべきか、困ったことにと言うべきか、、宿の主人は日が落ちて間もなく帰ってきた。
そのあまりにもぼろぼろな様子に驚いたレック達と、宿泊客が来たことに驚いた宿の主人と。どっちの驚きの方が大きかったのかは定かではない。
客が来たら驚くような宿でどうやって食べていっているのか、レック達はかなり気になった。で、マージンが聞いてみたところ、冒険者ギルドから維持するための最低限の金が給付されているとのこと。冒険者支援の一環らしい。
ちなみに、宿にはレック達に出せるだけの食材が無く、宿の主人が慌てて食材を買いに走ったのは余談である。
おまけに、宿泊客が来ないせいか、部屋はそれなりに整っていたものの、手入れはほとんどされていなかったらしい。ベッドは固い上にヒンヤリしているわ、そもそもその辺中にうっすら埃が積もっているわ……
「いっそのこと、締め切って誰も出入りしてへんかったら、埃は積もらへんねんけどな」
どうでも良い豆知識をぼやくようにマージンが披露する。
「どういうことじゃ?」
疲れたようなディアナが聞き返すと、
「埃が積もるんは、空中に埃が舞っとるからや。やけど、締め切って誰も出入りせえへんかったら、そもそも空気中に埃が舞うことがあらへんやろ?つまり、締め切って人が出入りせん部屋は、最後に閉められた時以上に埃が積もることはあらへんのや」
かなりどうでも良い雑学である。
というか、
「埃まで再現しなくても良いと思うんだけどね……」
というレックの言葉の方に、仲間達は頷いた。
今までにも妙にリアリティーにこだわって、どうでも良いところまで現実に近づけられているジ・アナザーである。今更埃が再現されていたところで、呆れこそすれ、驚くことはなかった。
ただ、言えていることもある。
「野宿の方が快適……だったかも知れませんね」
ミネアのそれは、言わない約束だった。
とは言っても、今更である。
結局、この日はそのまま宿で一夜を過ごしたが、そんなこんなでレック達の疲れが取れることはなかったのであった。