第五章 第九話 ~闇の中の少女・2~
全域がついに大陸会議の管理下に入り、大きく治安が改善されたキングダム。
しかし、荒れ果てた街区は未だに人気が無い。それも当然だろう。人は群れるものなのだ。そうでなくても、生活に必要な品々を手に入れるためには、人が集まっている街区に住むのが一番である。
だが、人気がない街区だからこそ、好んで住み着く者たちもいた。
流石に軍が治安維持のため日に数度の巡回を行っているので、犯罪者――そう呼んで良いだろう――が住み着くことはなかったが、問題さえ起こしていなければ素性が怪しい者はそこかしこに住み着いていた。
ある朝。そんな者たちが住み着いている建物の一室。
「で、精霊王について、何か分かったのか?」
「いや。さっぱりだな。冒険者ギルドで話を聞いても、めぼしい情報など全く出てこない」
「だが、この世界の謎を解き明かす鍵にはなるだろう」
そんな会話が為されていた。
ただ、ほとんどのプレイヤーにはその会話の中身はまず分からないだろう。何しろ、ドイツ語だ。
「となると、やはり精霊の筺とやらを探すしかないのか」
しばしの沈黙の後、そう言葉を発したのは、ブロンドの長い顎髭を紐で簡単に括った男――クレメンスだった。
数ヶ月前まで遥か北の町、ベルにいた彼は、数人の仲間達と共にキングダムにまでやってきていた。そして、あれこれと情報収集を始めた矢先、冒険者ギルドで精霊の筺の探索クエストが出されたのである。
その内容を知ったクレメンス達は、その実物を探す傍ら、さらなる情報収集に勤しんでいたのである。
もっとも、他の冒険者達を出し抜きたい彼らは、少人数ということもあり、まともな探索などしてはいなかった。
「だが、その外見も特徴も分かっていない。……よくこんなので探す気になるものだと思うがな」
これは黒髪に銀の糸の様な白髪が交じった男――トレントの言葉だった。その鋭い目線に睨まれた――本人に睨んでいるという自覚はない――クレメンスは思わず身じろいでしまう。いつまで経っても慣れないのだ。
「それでも、俺達もそれを探さざるを得ないだろう。精霊王を手に入れるためにな」
「精霊王、ね。やっぱり、私たちが想像してる通りのものなのかしら?」
そう言ったのは、黒いローブに合うのか合わないのか……ピンクの髪を背中まで伸ばした女性だった。名をシリルという。先の方を束ねたリボンを揺らしながら、水色の瞳には興味の色が強く浮かんでいる。
「そうであることを祈ろう。少なくとも、この世界に精霊は存在する。ならば、な」
トレントの言葉に、シリルは「そうね」と短く答えた。
「とりあえず、今日もいつも通りに動くか」
窓から外を眺めつつ、クレメンスはそう言った。
「そうだな。また、適当なパーティを追跡してみるとしよう」
「私もそうさせて貰うわ。……モグラじゃあるまいし、気が滅入るんだけどね」
3人は互いに頷くと、その言葉を実行に移すべく、部屋から出て行ったのだった。
場面は変わる。
グランス達がギンジロウから幽霊の目撃情報を聞いてきた翌日。
「そろそろ最初のポイントだよ」
闇の中、そう言ったのは先頭を行くリリー。その左手には幽霊の目撃場所が書き込まれたマップがあった。右手にはランタンを持っていて、両手は塞がった格好となっている。
「思ったより、遠かったのう」
リリーの右に控えたディアナがそう言うと、
「地下だから、距離感とか時間感覚とか、狂ってんだろ」
とクライスト。
実際、レック達が最初に調べに向かったのは6番街区の地下である。宿と同じ街区なので宿を出てから時間はそれほど経っていないはずだった。
だが、ランタンの明かりだけでは通路の長さすら分からない。太陽が出ていない地下では時間も分からない。感覚が狂って当然と言えば当然であった。
「実際には、まだ11時になってへんで」
ランタンを片手にそう言ったのはマージンである。
昨日の晩、宿の食堂で、気分転換したいから幽霊探索の初日くらいは同行すると言い出したのである。
「よく時間が分かるな」
やはりランタンを片手にグランスが感心すると、
「腹時計や」
マージンの即答に、仲間達は呆れて良いのか感心して良いのか、微妙な空気が流れるが、
「……冗談や冗談。これのおかげや」
そう言ってマージンが何か四角い箱を取り出して見せた。
「そう言えば、さっきからちらほら出し入れしてたな。なんなんだ?」
興味深そうにクライストが覗き込むと、
「時計や」
「「「………………ええええ!?」」」
ワンテンポ遅れてどや顔のマージンの言葉を理解した仲間達が一斉に叫んだ。
「どこで手に入れた!?」
「ってか、いつ手に入れた!?」
口々に詰め寄ってくる仲間達を宥めながら、
「みんなが地下通路探索してる間にな。鍛冶の息抜きで時々ええもん探して店回っとったんや。そんときにな」
とマージンは説明する。
「見せて見せて!」
そう言ってマージンから時計――らしき箱を受け取ったリリーだったが、先にそれを見ていたクライスト共々、首を傾げることになってしまった。
「何だこれ。どうやって見るんだよ」
「数字も針もないよね……?」
「どれどれ……確かに時計には見えんのう……」
リリーからそれを受け取ったディアナも首を傾げる。
「言われても時計には見えない、ね」
「だな」
「ですね」
それをしっかり確認した仲間達も次々と頷く。
「で、どの辺が時計なんだ?」
改めてクライストが訊くと、
「あー……正確にはタイマーみたいなもんやねんけどな」
そう言いながら、レックから箱を受け取ったマージンが説明を始める。
「ゼンマイ巻いとくとな、ここの円盤がゆっくり回るんや」
そう言いながらマージンは箱の側面に張り付いていた円盤を指した。仲間達が目を凝らすと、その円盤には一本だけ線が引かれているのが見えた。更によく見ると、円盤の周囲には一定間隔で短い線が引かれている。
「で、この円盤がどれくらい回ったかで、どれくらい時間が経ったか分かるゆう寸法や」
その説明で分かった様な分からない様な仲間達。そもそも、レック達はタイマーも時計もその仕組みを全く考えたことがないので、ピンとこないのである。
ただ、重要なのは使えるか使えないかのその一点。その事に思い当たったグランスが、
「精度は確かなのか?」
「あー……残念ながら一日で10分20分は平気でずれるらしいで。おまけにこのサイズやしな。実用性は……まあ、お察しや」
ポリポリと頭を掻きながらマージンは答えた。
「それでも無いよりはマシ、だな」
「じゃのう。……出来れば、もっと小さいと嬉しいがのう」
ディアナの言葉に、仲間達は苦笑した。
「しかし、それじゃ当分時計っぽくなりそうにないよな」
マージンの時計騒動で止まっていた足をレック達が動かし始めてすぐ、クライストが残念そうに言う。
「だよね。あと一年とか二年とかかかるのかな?」
「かもな。俺には分からねぇけどな」
そんな風にレックとクライストが話していると、
「そろそろ静かに。意味はないかも知れんが、な」
目的地が近いことを思い出したグランスにそう止められた。
それで慌ててレックとクライストも口を紡ぐ。
グランスの言う様に、意味があるかどうかも分からない。だが、雑談をしていて幽霊を見逃したとか、逃げられたとか、多分ないが隙を突かれて襲われた、では話にならない。
「リリー、何か見えるか?」
グランスの言葉に、リリーは首を振った。幽霊ではないはずだと説明を受けているので、その身体に余計な震えは見られない。
「ランタンの明かりが邪魔になることはないはずだが……消してみるか?」
「いや、それは止めた方がよいじゃろう。何かあっても逆に動けんからのう」
グランスの提案をディアナはそう止めた。
全部の明かりを消してしまうと、再度ランタンに火を灯すのは結構苦労しそうだったこともある。そもそも、真っ暗になってはこの近辺を探索しに歩き回ることも出来ない。
「ランタンを1つか2つ消すのは?」
「1つ2つ点いておるのも、3つ4つ点いておるのも大差ない気がするのう」
もっともである。
結局、ランタンを消すことはせず、レック達は周辺を歩き回って幽霊かも知れない女の子の姿を探した。
が。
「見つかりませんね……」
「そうだな」
目撃情報があった場所を中心に探すこと20分。
途中から二手に分かれて探してみたものの、結局は空振りに終わってしまった。
「まだ大して探してねぇけど、どうする?」
クライストの言葉に、仲間達の視線は自然とグランスへと集まった。こういった時はグランスの決定に任せるのがすっかり習慣になってしまっている。
「今日の予定はここともう一カ所だけだ。もう少し調べていっても時間に余裕はあるな」
元々幽霊の目撃例すら少ないのである。それを同じ場所とは言え20分程度歩き回ったくらいで見つけられるようなら、ギンジロウの調査で見つかっていてもおかしくない。
「今度はもう少し丁寧に調べてみるか。壁とかに何かの仕掛けがないかとか、な」
どういう仕掛けを探すべきかは分からないが、とりあえず丁寧に調べてみるというグランスの意見に仲間達は特に反対はしなかった。
しかし。
今度は3組に分かれて探すこと一時間。
「……やっぱり、そう簡単には見つからないよね」
「そんなもんや。ま、元々ダメ元みたいなもんやしな」
再び空振りに終わり、流石に疲れた様子のレックに、大した疲れも見せずにマージンがそう言った。
今、レック達は地下通路の各所にある部屋の1つに集まって少し遅めの昼食を摂っていた。
「どうする?まだ、この辺り探すのか?」
「いや。他の場所でも何も見つからなければ、改めて調べ直せばいい。簡単に見つかるならと思ったが、これ以上時間をかけるならその前に一通り見て回っても良いだろう」
何の意味があるのか部屋に転がっていた椅子に腰を下ろし、クライストとグランスがそんな会話をしている。
ちなみに、グランスの戦斧は壁に立てかけられていた。今日はマージンも一緒に来ているので、預かっておいて貰うことが出来ず、持ってきているのである。これはレックも同じで、今日はグレートソードを持ってきていた。
「となると次は……前の場所じゃな」
ディアナが言ったのは、前にリリーが女の子を目撃した場所のことである。今騒がれている幽霊と同じものだろうと言うことで、行ってみることになっていた。
「確か、4番街区だったよな?」
「そうだな。一度、上に上がった方が早いだろうな」
流石に6番街区から4番街区まで地下を移動するのは骨が折れる。グランスの言葉に、仲間達に否やはなかった。
食事を終えた一行は、予定通り一度地上に出た。涼しい地下にずっといたところを、一日で一番暑い時間帯に外に出てきたレック達は装備のせいで多少汗ばみながらも、4番街区へと向かう。
途中、すれ違った者たちも皆、半袖やらなんやら涼しげな格好をしていた。ただ、冒険者風のプレイヤー達は防具まで脱ぎ捨てるわけにはいかず、レック達同様に服に汗を滲ませていた。
「さて、どの辺から探すべきかのう?」
4番街区の入り口から再び地下通路に潜ったところで、レック達は足を止めた。
「確か前は一層目で見かけたんだっけ?」
「うん、そうだったよね~」
レックに肯定の返事を返すリリー。
「それで、その後4層目まで追いかけたんだっけ?」
「そうそう。でも、途中で悲鳴が聞こえて、消えちゃったよね」
「らしいね」
リリーと違って見えていなかったレックは、そう答えるしかなかった。
「それじゃ、その時の順番で歩いてみるか」
グランスの言葉に仲間達も同意し、まずはリリーが女の子を見かけた場所へと歩き出す。と言っても、3番街区地下への道順を辿っていくだけであるが。
歩き始めて数分。
「リリーよ、何か見えたかのう?」
「ん~……全然」
先頭を並んで歩くディアナとリリー。
「そろそろ二層目じゃがのう……」
前は一層目で見かけていただけに、これは外れかとレック達の間に失望感が広がる。
だが、
「とりあえず、姿を見失ったところまでは行ってみよう」
というグランスの言葉に、レック達は足を動かし続けた。
そして、二層目に下り……何事もなく三層目に達する。
「そう言えば……」
4層目への階段が近づいた頃、一行の中程にいたレックがふと声を上げた。
仲間達は足を止めることなく、レックの方へと注意をやる。
「リリーの時は随分長いこと姿を見せてた訳だけどさ。他の人たちの時はどうなんだろう?」
そんな疑問に、
「そう言えば……その辺のことは思いつかなかったな」
「追いかけてみたとか、ついていったという話は聞いてへんな」
グランスは知らなかった様だが、噂話を集めていたマージンが代わりにそう答えた。
「つまり、すぐ消えちゃったって事?」
「いやー……その場で暫くいたのかも知れへんな」
とは言え、よく分からない。
「多分、わいらみたいに暫く後を追いかけたってのはないやろうけどな」
マージンはレックにそう曖昧に答えた。
「私たちだけ、追いかけることが出来たということかの?」
「さぁ……?」
興味深そうに訊いてきたディアナに、勿論レックは答えることは出来なかった。
「ま、それだったらそれで、リリーの前にならもう一回出てくる可能性が高いんじゃねぇか?」
「だと楽なんだがな」
そう言って、クライストの楽観論をグランスが戒める。
そんな話をしている間にも一行は4層目の階段に辿り着き、早速下り始めた。
「……マージン?」
「……あ、いや。何でもあらへん」
ふとレックが気がつくと、最後尾を歩いていたマージンが階段の手前で立ち止まっていた。何か、後ろの方を気にしている、そんな感じだった。が、レックに声をかけられて、すぐに追いかけてくる。
「ちょっと、ぼーっとしとっただけや」
そんなマージンの言葉に、レックはそんなこともあるかと大して気にも止めなかった。
やがて、全員が4層目まで下り終わり、3番街区地下への道を歩き出した。
『あ…た……………………ね?』
そんな中、先頭を歩いていたリリーはふと足を止めた。
「どうしたのじゃ?」
「えと……気のせいかな?」
誰かが呼んだ様な気がしたのだが、仲間達を見ても誰もリリーを呼んだ気配はなかった。
首を傾げつつ、再びリリーは歩き出す。
その後から、仲間達も歩いて行く。
『また……』
その声が聞こえた時、リリーは今度こそ確かにそれを聞いた。
『来たんですね?』
その声は仲間の誰のものでもない。
その事を悟ったリリーの足がすくみ、思わず立ち止まる。
「さっきからどうしたのじゃ?」
今度こそ、リリーの挙動を怪しく思ったディアナがリリーを覗き込もうとした。
既に身体が固まりかけていたリリーは、もう一度声が聞こえたら、ディアナにしがみついてしまう、何故かそう妙な確信を抱いていた。
だが、幸いそうはならなかった。
声が聞こえることはなく、その代わり、通路の先に、水色のワンピースを着た女の子の姿がふわりと現れる。
その姿を見た瞬間、幽霊への恐怖が不思議と溶け去っていくのをリリーは感じた。
その女の子が幽霊かどうかではなく、ただ、自分に害を為すことはない。その事を感じたからだった。
「リリー?」
通路の先で穏やかな笑みを浮かべ、こちらに視線を送るとくるりと向きを変えた女の子に見とれていたリリーは、仲間に呼ばれ、ハッと正気に返った。
「どうかしたのか?」
そう訊いてきたグランスにリリーは頷きで答えると、
「ついてきて」
そう言って、通路の先に消えた女の子を追いかけ始めた。折角見つけたのだ。見失うことはない。
「見えたみたいやな。さっさと追いかけた方がええな」
そんなマージンの声に、レック達も何が起きたのかを理解し、互いに目配せすると急いでリリーの後を追う。
迷い無く地下通路を進んでいくリリーは走っているわけでもないのに速かった。
そんなリリーに先導されつつ、
「まだ、マッピング済みの範囲か?」
「……はい。4層目にいる間は心配ない、と思います」
グランスとミネアがそんな会話を交わす。
「5層目に行くことがあったら、どうだ?」
「……精度を期待しないなら、何とか出来ると思います」
ちゃんとマッピングを行うなら、定期的に立ち止まって距離を測り、曲がり角ではその角度を丁寧に書き込んでいく。だが、リリーに立ち止まる様子がない以上、今はそこまで出来なかった。ただ、帰り道に困ることはない、グランスはミネアの返事からそう判断していた。
「まだ、見えておるのか?」
ディアナが先頭を行くリリーにそう声をかけると、
「うん。……ギリギリな感じもするけど……待っててくれる感じもする」
リリーは通路の先へと向けていた視線をディアナへと遣り、そう答えた。
実際、女の子の姿は常に通路の先にあった。しかし、見失った様に思えても、その場所にまで行くと、また先の方に姿を現す。だからこそ、待っててくれる、見失うことはない、そんな風にリリーは感じていた。
「ふむ……やはり……イベント……だと思うかの?」
「分かんない」
女の子が何なのか。見えている今ならリリーも何か分かるかも知れないと思ったディアナは、リリーにそれを訊こうとして寸前で止めた。横から見るに、今のリリーは幽霊への恐怖を感じてはいない。
イベントであれ何であれ、退屈な地下通路探索では得られないはずの刺激なのだ。なら、余計な一言で今の状況を台無しにしてしまう必要はなかった。
ただ、気になることはある。
「どこへ向かっておるのじゃろうのう……」
「う~ん……。ごめん、分かんないよ」
リリーのその返事で諦めたディアナは、黙ってついていくことに決めた。
「思ったより早く当たりを引いたよな」
「そやな。そう何度も付き合えへんから、正直助かるわ」
一行の最後尾でそんなことを話しているのはクライストとマージンだった。
「当たりは当たりだけど……この後どうなるかな?」
二人にそう言ったのはレックである。
イベント――かどうか分からないが――と言えば大抵は戦闘に直結する。小説や漫画、ゲームではそれが常道なので、レックとしては気になっているのだった。
「あー……どうなるんだろうな?」
分からないと答えたのがクライストで、
「ゲームやったら、あれこれあった後にボス戦やな」
そう答えたのは、レックと同じくゲームに脳みそを冒されているらしいマージンだった。
「死なないで済む程度なら良いんだけどね」
「そやな。準備もしとらんし、出来れば途中で戻りたいところやな」
マージンの言うとおり、エネミーが見つかったことのない地下通路で行動するということで、レック達の装備はかなり軽装である。少なくとも、戦闘に備えた万全の装備とは言い難い。今考えると、随分迂闊だった。
「そうか……その可能性も考慮しないといけないな」
そんなレックとマージンの会話を聞いていたのか、レック達の前でグランスがそう口にした。
尤も、準備は確かに万全ではないが、それは消耗品に限った話であって、装備の方はそうでもない。
マージンに預けていた装備は全て返ってきているし、防具の方もしっかりしたやつが、レックのアイテムボックスに全員分が詰め込まれている。
歩きながら暫く考えていたグランスだったが、最低限の備えはしておくことにしたらしい。
「レック、全員の防具を出してくれ。歩きながらでも装備できる分は着けておこう」
戦闘の可能性を考えていたレックとしては反対する理由はない。
歩きながらでも簡単に着けられるということで、グローブを1つずつ取り出しては、仲間に渡していく。
「え?付け替えるの?」
「念のためじゃな」
先頭を行くリリーとディアナも、驚きながらも、今まで身につけていたグローブをはずし、レックから渡されたグローブに交換していく。
「焼け石に水って感じだけどな」
クライストの言葉通りかも知れないと、仲間達は思いつつ、それでも少しはマシだとも考える。
「できれば、途中で休憩できたら良いんだがな」
グランスはそう言ったが、リリーにしか見えない女の子がそう気を遣ってくれるとは思えない。
期待は出来ないな、とグランスが口にしようとした時、
「3番街区に入りました……ここまでは、前と同じ道、ですね」
マップを確認していたミネアがそう言った。
「やはり、どこかに誘導しようとしている、ということかのう?」
「どこにかは……分かるか?」
「分かるなら苦労しないと思うよ?」
一瞬だけ後ろを歩いている自分に目を遣ったリリーのその答えに、やはりついていくしかないかとグランスは考えた。
「とりあえず、ミネア。マッピングの用意を」
マッピングが為されていないエリアに入り込んだ時の事を考え、そう指示を出した。
しかし、その意味はなかった。
というのも、
「……このまま行くと、行き止まりです」
リリーにしか見えない女の子に誘導された蒼い月の一行が、4層目から更に下りることなく歩き続けていると、ある角を曲がって間もなく、マップを確認していたミネアがそう言いだした。
「え?間違いじゃないの?」
「いえ……確かに行き止まりです」
ミネアはそう言って、リリーにマップを渡して確認させる。
「この先には何も無いはず、なんだよな?」
「ああ、そのはずだ」
クライストにグランスはそう答える。
何かあったらミネアが持っているマップにもちゃんと書かれているはずだった。しかし、何も書かれていない。ならば、少なくともこの先には何も見つかっていないはずだった。
ただ、それは言い換えると見つかっていないだけであって、何も無いことの証明にはならない。
だから、グランスは言葉を続ける。
「だが、先に来た連中が見つけられなかった何かがあるのかも知れない。行ってみても損はないだろう」
その言葉にそれもそうかと仲間達も納得し、更に歩を進める。
そうして少し進んだところで、
「あっ?」
「どうした?」
短く声を上げ、走り出したリリーに声をかけ、仲間達もその後を追いかける。
リリーはというとすぐに止まって、ランタンの弱い光で通路に面した扉の1つを見つめていた。通路の行き止まりまで行くことになるのかと思っていた仲間達は割と拍子抜け、である。
「どうした?」
追いついてきたグランスが改めてそう訊くと、
「この辺で姿が消えたから、ここに入っていったと思うんだけど……」
自信なさげにリリーは答えた。
その言葉で扉を見たグランスは、リリーが自信なさげに言った理由を察する。
「開け閉めされた音はせなんだのう」
ディアナの言うとおり、今は閉まっているその扉が開け閉めされたなら、確実にそれなりの音がしそうだった。しかし、誰一人そんな音は耳にしていない。
「ま、開けてみたらええんとちゃうか?」
気楽に言ったのはマージンである。
確かに、扉を前にして悩んでいても仕方ない。女の子がこの部屋に入っていったというなら、開けて中をリリーが確認すれば済む話であった。
「それもそうだな。……何か飛び出してきたりしないだろうな?」
一応、5層目まで探索が進みつつある今でも、地下通路で何らかのエネミーが確認されたという話はない。この部屋もミネアが持っているマップに載っている以上、一度は確認されているはずだし、少なくともその時には何もいなかったはずであった。
だが、念のためグランスは扉に耳をつけ、中の様子を探る。リリーにしか見えない女の子がここに入っていったというなら、何か変わっているかも知れない。
「……何も聞こえないな」
そのグランスの言葉に、入れ替わる様にレックとクライストが扉に耳をつける。
「……だな」
「聞こえないね」
「なら、後は開けてみるしかないか?」
「引き返すっちゅう手もあるで?」
そのマージンの言葉に、グランスは少し考えた後、
「マージンの言うとおりだが……どうする?」
それに対する答えは、
「万全を期すなら戻った方が良いと思います。けど……」
「どこまでが万全か分からぬしのう」
「今を逃したら、次は無いかも知れねぇな」
ということで扉を開けてみることになった。レックとリリーもそれで良いらしく頷いている。
そんな仲間達の意見を聞いたグランスは、
「よし。開けてみようか。クライスト、頼むぞ」
ナックルという武器の都合上、扉から間合いが取れないクライストを選んだ。レック、グランス、マージン、ディアナが扉を取り囲んで各々の武器を構える。ミネアとリリーはランタンを持って明かりを守る。
全員の準備が出来たことを確認したグランスが合図を送ると、クライストが僅かに頷いて、ゆっくりと扉を開ける。
「「…………」」
緊張の一瞬。
しかし、扉がギギギイイィィ……と開いて……
「何も出てこないな」
ホッとした様なグランスが視線で合図すると、マージンがリリーからランタンを受け取り、ツーハンドソードの鞘の先につるす。そして、そのまま部屋の中にそっと差し入れ、
「何もおらへん、な」
ランタンの光は決して明るいとは言えないが、それでも部屋の中に何もいないことを確認する。
一気に緊張が解ける。
「リリー、何もいないか?」
マージンに続いて部屋に入ったグランスの言葉を受け、ミネアに付き添われたリリーが部屋に入った。そして、広いとは言い難い部屋の中を軽く見回し、
「……うん。何もいないよ」
そう言ってホッと息を吐いた。
「ってことは、見失ったってことか?」
「そういうことじゃろうな」
遅れて部屋に入ってきたクライストとディアナが残念そうに言う。
「ということは……これで終わりですか?」
そう言ったミネアもどこか残念そうなのは、仲間達の気のせいではないはずだ。
「いや、一応この部屋も少し調べてみよう。この部屋に連れてくるのが目的だったというなら、何かあるはずだ」
グランスのその言葉に、仲間達は部屋を調べ始める。
部屋は壁も床も天井も継ぎ目一つ無い巨大な岩を平らに削った物が使われていた。そこに幾つかの家具が転がっているだけである。
そんな大して広くもない部屋では、調べることなど殆ど無い。
「何にもねぇな」
「そうじゃな」
クライストとディアナがあっという間に脱落し、
「……椅子とかにも怪しいところはありませんね」
何かヒントになる様なことが書かれていないかと調べていたミネアもそう言う。
「壁にも怪しい継ぎ目なんかは……ないな」
一通り壁を調べていたグランスとリリーも何も見つけられなかったようだ。
「床も……怪しいところはないよ」
最後に、レックも肩を落としながらそう報告する。
それでがっかりした様に思い思いに椅子に腰を下ろすレック達。
ただ、そんな中、一人だけ壁を熱心に調べている仲間がいた。
「マージンは、何か見つかったか?」
クライストがそう声をかけると、
「ん。ちょい待ってな。この辺がちょっとな」
そう言いながら、壁をツーハンドソードの柄でコンコンと叩いている。
「そこには確か何も無かったと思ったんだが」
「確かに、継ぎ目とかはあらへんけどな……」
グランスの言葉にも、壁を叩きながら行ったり来たり。
そんな行動を仲間達に見守られている中、マージンは一カ所で立ち止まると、グランスの方へと振り返った。
「旦那、ちょっと戦斧でここの壁叩き壊してくれへんか?」
「何かあるのか?」
興味深く見守っていたグランスは、マージンに訊きながら、その壁の前に立つ。
「ほんの少しだけやけどな。音が違うんや。多分、この向こうに空洞があると思うで」
そんなマージンの答えに仲間達は沸き返った。まだ続きがあるなら、無駄足ではなかったのかも知れないのだ。
そんな仲間達を黙らせ、グランスはマージンの言葉を確かめるべく、慎重に周囲の壁を拳で叩いて回る。
「……確かに、音が違う気がするな」
暫くしてグランスはそう言ったが、まだ自信は持てていなかった。
「なら、武器で少し叩いてみたらええ。手やと軽すぎて音がちょっと足らん気がするで」
マージンに言われ、今度は戦斧の柄で壁を叩いてみるグランス。
その様子を仲間達は息を飲んで見守っていた。
「……確かに、違う、な」
そのグランスの言葉に、クライストが親指を立てて喜ぶ。他の仲間達も笑顔になっていた。が、
「だが、壁を壊したりして、崩れたりはしないのか?」
そんなグランスの言葉に、興奮が一気に冷めてしまう。
確かに、迂闊に壁を壊せば、天井が崩れ落ちてきて、生き埋めになってしまうかも知れない。いくら何でもそれはない。
だが、マージンは自信ありげに、
「それはあらへん」
そう断定した。
「何故断定できる?」
「部屋の四隅に柱がはいっとる。それで天井を支える構造になっとるんや。やから、壁を壊したところで、天井は落ちてこおへん」
マージンの言葉に、仲間達が部屋の四隅を調べると、確かに丸い石の柱が埋め込まれていた。
「なるほどな……だが、この岩の壁、壊せるのか?」
天井が落ちてこないということに納得はしたが、岩にしか見えない壁を簡単に壊せるとはグランスは思わなかった。
「多分、身体強化で叩いてやれば壊せるで。……ここの壁だけ砂岩ぽいしな」
マージンがそう言いながら、ツーハンドソードの刃先で壁をひっかくと、僅かだが確かにさらさらと粉がこぼれ落ちていく。
「……確かに、この脆さなら壊せそうだな」
グランスはそう言うと、壁へと向き直った。
だが、それでもまだ壁を壊したら天井が崩れ落ちてくるのではないか、という懸念は消えない。
「いきなり叩き壊す……しかないのか?」
「いや……少しずつ削っていっても穴は開くやろうけど、時間もかかるで」
確かに、マージンの言うとおりではあるが、それでもやはり危険は犯すべきではなかった。
代わりにマージンの持っているツーハンドソードに目を遣り、
「いきなり叩き壊すのは無しだ。代わりに、それで壁を貫通させてみてくれないか?」
とグランスは提案した。
その言葉にマージンは、
「ふむ。それもありやな」
そう言うと、ツーハンドソードを一振りし、壁から数歩離れたところで突きの姿勢をとった。
続いて身体強化を発動。
グランスが壁の側を離れるのを待つ。
他の仲間達はというと、部屋の入り口に集まってマージンを見守っていた。
「……やってくれ」
グランスの言葉にマージンは軽く頷くと、一度大きく深呼吸する。
そして、一気に床を蹴って壁へと突撃していった。
次の瞬間、サクッというやけに軽い音がした。
そして、グランス達の目の前には、鍔まで壁に突き刺さったツーハンドソードとそれをしっかりと握るマージンの姿が入ったのだった。
「……なんや、えらい手応えが無かったな」
そう言いながら、マージンは壁に突き刺さったツーハンドソードをいとも簡単に抜き取り、もう一度壁へと突き刺す。
穴が開いていないところに突き刺したにもかかわらず、いとも簡単にツーハンドソードは突き刺さってしまった。
「……何というか、拍子抜けだな」
マージンがツーハンドソードを壁に刺し直すのを見ていたグランスは、そう言うしかなかった。
だが、向こう側に確かに空洞が開いていて、おまけに思ったより簡単に穴が開けられそうなのは喜ぶべき事でもある。
「レックもマージンを手伝って、穴を開けてみてくれないか?」
「ん。やってみる」
マージンがサクサクと壁にツーハンドソードを指しまくっているのを見ていたレックは、自分もやってみれると言うことで早速グレートソードを抜き放ち、マージンと並んで壁へと突き立ててみた。
サクッ
あっさり刺さる。身体強化すら要らない。
「めちゃくちゃ柔らかいね」
「やろ?」
思った以上に易々と刺さったことに驚きながらも、何となく面白くてレックは壁にグレートソードを突き刺しまくった。
しばらくすると二人がかりで剣を刺しまくられた壁はあっさりぼろぼろになり、崩れる様に穴が開いた。
奥には真っ暗な通路が口を開けていた。
「何があるのか……行ってみるか」
グランスの言葉に仲間達は頷く。
リリー曰く、女の子の姿は隠されていた通路の先には見えていない。
その事を聞いたグランスは、先頭を行くリリーの左右にレックとクライストを並ばせた。殿をグランスとマージンが守り、真ん中をディアナとミネアが歩く。
そんな隊形で歩き出した一行だったが、その隠し通路ははっきり言って短かった。
「なんか、あそこ、明かりが見えるよ?」
というリリーの言葉に、
「だね。何かあるね」
とレックが頷く。
ほんの数分歩いただけで、通路の先の方の壁が明るく光に照らされているのが見えた。
「一応、エネミーはいないと思うがリリーは下がれ」
戦闘を警戒して、グランスがそう指示を出す。
リリーは不満そうではあったが、尤もな指示ではあったのですぐに隊列の真ん中にまで下がった。
尤も、この警戒もまた無駄に終わった。
「……サークル・ゲートか?」
光が漏れてくる通路の角から、顔だけ出して先を覗き込んだクライストが驚いた様にそう口にする。
「本当にサークル・ゲートだな」
同じように角から顔だけ出してそれを確認したグランスは、特に危険はないと見て取ると、
「危険は無さそうだな……行くぞ」
その指示に従って、再び隊形を組み直して前進を再開したレック達は、すぐにサークル・ゲートの元に辿り着いた。
「動いておるのう」
前にうっかり飛び込んでしまったサークル・ゲートの事を思い出しながら、ディアナがそう言った。
さして広くもない装飾1つない部屋の中央に設置されたサークル・ゲート。その中央に安置された巨大な石が青い光を放っていた。通路にまで漏れ出ていたのはその光だった。
サークル・ゲートが設置された部屋に入ったレック達は、サークル・ゲートを取り囲む様に立っていた。
「リリーが見た女の子というのは……ここへ連れてきたかったんでしょうか?」
「そうかも知れないな」
ミネアの言葉にグランスは静かに答える。
「どうしたらいいのかな?」
「わいに訊かれてもなぁ……」
レックに訊かれ、困った様なマージン。
「あたしとしては、入ってみたいけど……」
そう言いだしたリリーはしかし前科一犯ということもあり、強くは主張できないでいた。
「一応、光ってる間は向こうに行ってもすぐに戻ってこれるんやけどな」
「光が消えてしまえば、戻って来れなくなるということか」
グランスの確認する様な言葉にマージンは頷く。
「前のようにレックが魔力を注げば動くのじゃろう?」
「でも、かなり時間かかるぜ」
せめてすぐ戻ってこれるならいいのだが、そうでないならサークル・ゲートに踏み込むのは躊躇せざるを得ない。
だが、
「サークル・ゲートにエネミーは侵入できないんだし、そんなに危険じゃないんじゃないかな?」
前に見つけたサークル・ゲートでの出来事を思い出しながら、レックが言うと、
「それもそうじゃな。ならば、行ってみるだけ行ってみて、危険そうならそのまま引き返してくればよいかのう」
とディアナ。
他の仲間達も、好奇心はあるわけで、危険があまりないというなら、サークル・ゲートに入って転移してみることに簡単に気持ちは傾きつつあった。
「レックだけで魔力の注入とやらはできるのか?」
「ちょっと高いところにあったから……もう一人必要かな。肩車して欲しいし」
グランスの問いに一人では無理だと答えるレック。
「なら、クライストかマージンには一緒にサークル・ゲートに入って貰った方が良さそうだな」
そこでクライストとマージンに視線を遣り、それからサークル・ゲートを見たグランスは結論を出す。
「クライスト、一緒に行ってやってくれ。それと……一人か二人はこっちにも残しておいた方が良いか?……チャットの方は……使えるな」
前回ばらばらになりかけた時と違って、クランチャットが使えることを確認する。
(レックとクライストは確定として、2つに分かれて行動するかどうかだな……あっちで何かあれば助けを呼べる様にしておいた方が良いが、サークル・ゲートは比較的安全な様だし……)
つらつら考えたグランスだったが、結局、マップを1つしか持ってきていないことなどを考えると、リスクもないのに下手に分けても大変なだけだと結論を出した。
「全員であっちに行ってみるか。順番はレックとクライストが最初だ。その後は順番に入っていこう」
グランスのその言葉に、留守番役にされるかもと思っていたレックとクライストを除く仲間達の表情が明るくなる。
「では、行こうか」
グランスのその言葉で、まずはレックとクライストがサークル・ゲートに足を踏み入れ、中央の光っている石の上に上がった。そして、次の瞬間、二人の姿がかき消える。
「じゃ、次はあたしね!」
そう言ってリリーがサークル・ゲートに飛び込んでいき、その姿もかき消える。
続いて、ディアナがさっさと転移していき、
「……少し楽しみです」
その言葉と共にミネアも転移していった。
「マージン、そろそろ行かないのか?」
最後に入るつもりのグランスが、そう声をかけると、
「ん。なら、先に行かしてもらうわ」
そう言い残してマージンも転移していく。
そうして仲間達が全員サークル・ゲートの中に姿を消したことを確認したグランスも、サークル・ゲートへと足を踏み入れた。