第一章 第四話 ~蒼い月、ギルドハウスにて~
「兎に角、俺個人としては、最悪を想定した行動を取っておいた方がいいと思う」
ディアナの発言で一気に重たくなった空気を何とかしようとしたわけでもないだろうが、グランスが何とか口を開いた。その直前、ディアナを睨み付けるのも忘れない。
「助けが来るなら、何をしていても助かる。だが、最悪のケースだったとき、動いていなかったら状況はもっと悪くなるからな」
理由を述べ、グランスは再び口を閉じた。
正直、今の状況で他の仲間達に動けとはとても言えない。最悪、一人だけでも動く覚悟は出来つつあった。が、
「私はグランスに賛成じゃな。グランスの理由ももっともじゃし……」
ディアナはそこでちらりとミネアとリリーを見て、
「なにより、気が紛れる。何もせずにおると、不安に押しつぶされてしまうかもしれんしの」
そう言われても、なかなか割り切れないのが人間というものだろうか。残る4人はなかなか口も開かず、時々お互いを見ては、口を開きかけ、また閉じていた。
しかしやがて、
「俺も動くぜ。確かにここに俺たちを閉じ込めやがった運営を許す気はねえ。
でも、人形みたいにじっとしてるなんて冗談じゃねえ!
なんとしてでもここを出てやる!やつらの思惑通りになってたまるかよ!」
クライストはそう言って、テーブルをバンッと叩いた。
それで吹っ切れたのか、
「僕も動くよ。クライストの言うとおりだ。それにじっとしてても何も始まらない」
とレックが続き、
「そうだね……あたしも……うん、頑張るよ」
まだ元気はないものの、リリーも頷いた。
そして、ミネアも、
「わたしも……あの……よろしくお願いします」
と、初めて一緒に行動した時みたいな挨拶をしたのだった。
助けが来るか来ないかはおいておいて、とりあえず、動いてみることで全員が同意した後、
「で、グランス。とりあえず、どう動くんだ?」
と、クライストがいつもの調子でグランスに訊いた。
「ん。それだがな……」
しかし、グランスは歯切れ悪く言葉を切ると、ディアナとリリーに視線をやって、何か考え込んだ。
「む?どうしたのじゃ?」
ディアナに訊かれ、
「やむを得んか」
と呟くと、
「リリー、ディアナの胸に触ってみてくれ」
と爆弾発言を投下した。
「「「ええええええ~~~~!?」」」
ちょっと前の空気が吹き飛ぶ勢いで叫ぶ一同。
レックやクライストは思わず立ち上がってしまって、その勢いで椅子を吹っ飛ばしている。ミネアは叫びこそしなかったが、顔が真っ赤になって硬直しているし、ディアナですら一瞬固まっていた。
「ちょ、グランス!どーゆーこと!?」
バンッと机をぶっ叩いて真っ赤になったリリーが問い詰めると、グランスも己の失言に気づいたのか、慌てたように、
「あ、いや、違うんだ!」
と両手を振って否定する。
「何が違うのよ!!」
「いや、そういうスケベな意味ではなくてな……」
「スケベじゃなかったら、何のためじゃ?」
限りなく冷たい視線を送るディアナ。もっとも、本人以外の全員が氷のような視線でグランスを見ていたのだが。
それに気づいたのか気づいてないのか、あるいは慌てる必要はないと思ったのか、グランスは咳払いをして冷静さを取り戻すと、
「端末のコマンドから設定が消えているのは知ってるな?」
「それが何よ~?」
まだ、皆の視線は冷たい。
「その中に、セキュリティがあった。そして、セキュリティの内容は……」
そこまでグランスが言ったところで、仲間達もグランスが言いたいことを理解したらしい。
「ブラックリストやプレイヤーキルの許認可、そしてセクハラ設定があった」
「つまり、それらのシステムによる保護が消えたのではないかということかの?」
グランスの台詞を先取りしたディアナに、グランスは頷いた。
「確かに、それは確認しとかなきゃまずいな」
「ですね」
事態を把握した仲間達も頷く。
「にしてもよ?いきなりあたしにディアナの胸を触れって……グランスってば意外に変態だったんだ……」
リリーがじと目でグランスを睨むと、
「すまん。説明を先にするべきだった」
グランスは素直に頭を下げた。こういう時は男は弱いというのを、彼はよく知っている。
「ま、仕方ないか」
リリーは席を立ってディアナの隣に移動した。
「む、しかし、心の準備というものがじゃな……」
初々しい少女のように頬を染めるディアナだったが、
「いや、そこまでやられると、わざとらしすぎる」
というクライストの突っ込みで、
「つまらんのう。もうちょっと、ドキドキしてみても罰が当たったりはすまいよ」
と、あっさり開き直った。
「ま、やってみるがよい」
そう立ち上がって、ローブに隠れて普段は分からないものの、どちらかというと大きめの胸を張った。
「じゃ……」
ゴクリとつばを飲み込んで、何故か両手を伸ばすリリー。
片手だけでいいんじゃないかという突っ込みは、微妙にエロティックな光景(主にリリーの表情が)を前にして、グランスですらも忘れていた。
ふにっ
と、リリーの両手がディアナの胸に食い込む。
「む……」
さすがのディアナも今度は本当にちょっと恥ずかしそうだ。
ふにふにむにむに……
そして、揉む。何故か揉む。
「んっ……」
微妙にディアナが顔を逸らし……
「リリーさん、そこまでです」
真っ赤になったミネアが、いつの間にかリリーの背後に移動していて、ぐいっとリリーをディアナから引きはがした。
「「「ほうっ……」」」
ため息が漏れる一同。
「ごほんっ」
咳払いがした方に視線をやると、やはり赤くなったグランスが、
「あー、やっぱりハラスメント保護消えているな」
ディアナとリリーの方を見ないようにしながら、そう言った。
「と言うことは、PK保護なども消えておるのかのう?」
「ああ、多分な……ってディアナ、何をしてる?」
ディアナの方に一瞬視線をやったグランスは、自らが見た光景に、思わず椅子ごと後ずさった。
「なに。PK保護が消えているかどうか試すだけじゃ」
ディアナはにっこり微笑むと、グランスの脳天に大きく振り上げていた杖を思いっきり振り下ろした。
残る男性陣――レックとクライストが思わず目を背けた直後、
ボゴンッ
視線を戻したレック達が見たものは、テーブルに突っ伏したグランスだった。
「兎に角、システム保護が消えている以上、ディアナ、ミネア、リリーは個人行動は控えた方がいいな。というか、女性陣だけでの行動自体を控えてくれ」
さすがに仲間内で一番頑丈だと目されているだけあって、ディアナの一撃からすぐに復活して早々、グランスはそう言いだした。
「えっと、どーゆーこと?」
すぐには理解できなかったのか、リリーが問い返す。
「今は他のプレイヤーはショックで大人しくしているが、今後は混乱が起きるかもしれないからな。システム保護が消えているから、その混乱に乗じて、性的ないたずら目的でちょっかいを出してくる奴らがいてもおかしくない」
「あ……」
そのグランスの説明でやっと理解したのか、リリーは両腕で自らの身体を抱え込みながら、頷いた。
「そういうことだから、各自、気をつけてくれ。クライストとレックも、女性陣だけで出歩かせないように注意してくれ」
「「分かった」」
グランスの言葉に、レックとクライストも頷いた。
「それから、この後の行動だが、まずは情報収集から始めたい。あの時、この町で何が起きたのかとか、他のプレイヤーがどうするつもりなのかとか、いろいろ知っておくべき事がある」
その手のややこしそうなことは大体グランスに任せておけばいいと思っている仲間達は、グランスの提案にも特に異見を差し挟まない。
「かといって女性だけでここの留守番を頼むのも何だしな。レックに女性陣の護衛を任せて、英語も出来る俺とクライストで町の連中から話を聞いてこようと思うんだが、クライスト頼めるか?」
「ああ、いいぜ。気晴らしにはならないだろうけどな」
気乗りしない感じで、クライストは頷いた。
ちなみに、公式にはジ・アナザーにおける公用語というのは決められていない。公用語を決めてしまうと、それを話せない人にはプレイ資格がないような印象が出来てしまうためだとイデア社は説明している。
しかし、実際には英語が事実上の公用語として利用されていた。英語を話せないプレイヤーも決して少なくはないのだが、使えるプレイヤーがもっとも多い言語が自然と公用語の地位を確保した形である。
グランスとクライストが町にいるプレイヤー達から話を聞きに出かけた後、蒼い月のギルドハウスに残されたレック達4人は手持ち無沙汰になっていた。その象徴が、
「う~、暇だよ~」
と、テーブルに突っ伏して足をジタバタさせているリリーだった。
それを見かねたわけでもないだろうが、ミネアはあることをふと思い出した。
「そう言えば、マージンさんはどうしてるのでしょう?」
「出かける前に、グランスが連絡を取ろうとしておったようじゃがのう。連絡が付かないと言っておったから、ジ・アナザーにログインしておらぬのではないか?」
グランス達が出かける前に、使える連絡手段の確認をしてみたが、フレンドメッセージの他、全ネットワーク共通のメールサービスも使えなくなっていた。平たく言えば、同一ギルドメンバー同士のギルドメッセージ以外の連絡手段は全て絶たれていた。つまりは、ジ・アナザーにログインしているプレイヤーであっても、ギルドメンバー以外とは連絡が取れない。ましてや、ジ・アナザーにログインすらしていないプレイヤーとは、である。
「ちょっと寂しいですけど、閉じ込められずに済んだ知り合いがいるってのは、喜ぶべき事でしょうか」
しみじみとミネアが呟く。
「マージンは良かれ悪かれ、騒がしかったからね」
レックが頷くと、
「ああ、あまり噂話はせんほうが良かろうよ。噂をすれば何とやらと言うじゃろう?」
と言いつつ、ディアナもマージンが騒がしかった点については否定しなかった。
「じゃ、噂をガンガンすればマージンも来るって事よね!」
「いや、被害者を増やしてどうするのじゃ……」
確かに仲間が多い方が心強いのは分かるが、とディアナは心の中で付け加える。
「でも、ログインできるんでしょうか?」
ふと、思いついたようにミネアが言った言葉だったが、
「そう言えば……そうじゃな」
その可能性を誰も考えていなかったことに、レック達は気づいた。
「確かにログアウトはできん。じゃが、ログインは別かもしれんのう」
「ってことは、今からログインしてくる被害者が増えるかもしれない、ってこと?」
「ログインが出来たらそうなる可能性は高いのう。もっとも、私たちにそれを防ぐことはできんがの」
外部と連絡が付かない以上、ログアウトできなくなるからログインするな!という警告を発信することは出来ない。この非日常を心のどこかで楽しんでいるディアナも、被害者が増えればいいとまでは思っていなかったが、どうしようもなかった。
「まあ、誰かログインして来ちゃったら、リアルでの状況を聞けるのじゃが……」
「こんなことになってる所に、呑気にログインしてくるようじゃ、何にも知らないんじゃないかな?」
というレックの言葉に、皆、ため息をついた。せめて、新たな犠牲者がログインしてこないことを祈るばかりである。
レック達が何となく視線をやった先には、部屋の一画に確保されたログイン用のスペースがあった。
ジ・アナザーに限らず、MMOがVRMMOになったときに問題になったのが、ログインである。
VR――仮想現実――である以上、プレイヤーは原則としてそこにあるもの全てに触れることができる。これはつまり、アイテムやら他のプレイヤーやらがある空間に、他のアイテムやプレイヤーが重複して存在することは出来てはならないということである。
その制限がもっとも問題になったのが、プレイヤーのログインである。何しろ、ポンッとアバターが出現する。そこに何かあったりすると、ログインしたプレイヤーかそこにあったものかのいずれかが強制的にずらされる。周辺がアイテムやプレイヤーで混み合っていると、その際に玉突き事故が起こる可能性が高い。それを避けるために、室内などでは何も置かないログインスペースを確保することが推奨されていた。
「って、光ってない?」
レックが言うまでもなく、仲間達は既にそれに気づいていた。
たまたま見ていたそのタイミングで、ログインスペースの床に光る魔方陣が現れたのだ。この魔方陣は誰かがそこにログインしてくる直前に現れるものなので、
「や、みんな、元気しとった?」
と、よく知った顔が呑気に挨拶してきたときには、レック達は既に如何にも「あーあ、やっちゃった」という顔になっていた。
新たにログインしてきたプレイヤーも、すぐにそれに気づいたのか、
「あれ?みんな、どうかしたん?」
と首をかしげた。
背中に背負った巨大なツーハンドソード。青いジャケットにやはり青いジーパン。そして、焦げ茶色の髪と黒い瞳のアバター。蒼い月の最後の一人、マージンである。蒼い月のメンバーのほとんどが日本人である中、唯一のアメリカ人でもあった。最も、流暢に微妙な関西弁を操るため、そうと認識されることはほとんどない。
「いや、ホントに来ちゃったなってね」
驚きだか呆れだかを振り払おうと、頭を振りながらレックが答える。
「ん?なんか、来ちゃまずかったんか?」
マージンは背中の剣を下ろして近くの椅子に立てかけると、その椅子にさっさと腰を下ろした。
「まー……」
誰が説明したものかと、素早く視線を交わし合うレック達4人。
「なんやなんや?ってゆーか、アップデートはどないなったん?旦那とクライストがおらんけどどうしたんや?」
事情が飲み込めずに、それでもアップデートについて訊こうとするあたり、アップデートへの関心は高かったらしい。
「そのことについて何だけど……」
結局、説明役になったレックが、重たい口を開き、それでも出来る限り明るい口調で、
「ログアウトできなくなっちゃった」
リリーあたりなら、最後に「てへっ」と言って舌を出してみせるのもありかもしれないなと思いつつ、レックにはさすがにそこまでは出来なかった。
「……ログアウトできなくなった?」
何のことか理解できてない様子のマージンに、
「端末でコマンド確認したらいいよ」
と、促す。
まだ混乱気味ながらも、マージンは言われたとおりに端末を取り出し、コマンドを表示させ、
「なんじゃこりゃあああぁぁぁぁぁ!!」
と叫びながら、
「マジか!マジなんか!!」
と、ぐりぐりと端末を操作する。
「無い。マジで無い。ログアウトコマンドがどこにもあらへん!!」
凹むより先に、やかましく騒ぎ出したマージンに、いつも通りだな、と仲間達は生暖かい視線を送った。まあ、今更くらい空気を再現されてもイヤではあったが。
「どーなってんのや、これ!」
ずずずいっと詰め寄ってきたマージンを、
「何でこっちに詰め寄るのじゃ」
と、ディアナが押し返す。
「どうせ近づくなら女の子の方がええやんか」
そう返したマージンの様子に、「ショックを受けても全然変わらなかったな」と仲間達の視線はよりいっそう生暖かくなった。
それに気づいたのかどうか知らないが、マージンは元通り椅子に座ると、
「で、どうしてこうなったんか、分かる限りでえーから、説明してもらえんか?」
と改めて説明を求めた。
「ははぁ~ん。運営の仕業ゆうんは見当ついとるけど、なんでこないなことをしでかしたかゆうんは、まだ分かっとらんのやな」
レックの説明を聞いて、マージンはうんうん頷いた。
「じゃ、その何たらゆう魔王をしばき倒したらログアウトできるんちゃうんか?」
「それが出来るようなら誰も苦労せんじゃろう」
「それもそやなぁ。強さどころか、どこにいるかも分からんしな」
そこで少し黙ったかと思うと、マージンはすぐに口を開いた。
「で、これからどうするって旦那はゆーてはった?」
「とりあえず、他のプレイヤーの話を聞いてから、決めるって言ってたっけ?」
「まあ、そうするしかないやろなぁ。っていうか、旦那とクライストの二人だけでそれやっとるんか?なして全員でやらんのや?」
マージンの疑問に、そう言えば説明し忘れていたなとレックが口を開く前に、
「ハラスメント防止やプレイヤーキル防止のシステム保護が消えておるのじゃ。それで女性は無闇に彷徨かぬ方がよいとグランスが言っておった」
と、ディアナが説明した。
「なるほどなぁ。一理あるわな。ま、そういうことなら、わいも旦那達の帰りを待たせて貰うわ」
そう言って、少し動きを止めたかと思うと、
「うっは!離席コマンドも無くなっとるやんか!」
当たり前と言えば当たり前のことに、今更気づいて騒ぎ出す。
「離席と言えば、アバターを残して事実上リアルに戻るということじゃからな」
「あー、それもそうやな。全く、面倒やなぁ」
そう頭を振ったマージンに、ディアナは訊きたいことがあったことを思い出した。
「話は変わるのじゃがな。マージンよ」
その口調に、真剣な臭いでもかぎ取ったのか、
「なんや?」
と聞き返したマージンの背筋はピンと伸びていた。
「2つほど訊きたいことがあるのじゃが、よいか?」
「答えられることなら構わんで?」
レックが説明をしている間は、窓から外を覗いていたリリーとミネアも、ディアナが訊こうとしていることが大事な話だと思ったのか、いつの間にか戻ってきて聞き耳を立てていた。
「そうか。1つめじゃがな。ぬしがここにログインする前、掲示板などで変わった話など出ておらんかったか?」
「あー、なんかあったわ」
マージンの返事に、色めき立つレック達。
「アップデート終了予定時刻間近に、仰山プレイヤーが接続を切られたとかゆうてな。掲示板が片っ端からお祭り騒ぎになっとったわ」
そうマージンが言ったところで、
「その話、俺たちも聞かせて貰いたいんだが」
いつの間にか帰ってきていたグランスがそう言った。
「というか、マージンも来ちまったのかよ」
と、クライストも帰ってきており、グランスの後ろで頭をかいていた。
「よ、旦那。クライスト。なーんか、大変なことになっとるやんか」
巻き込まれた自覚がいまいち無いのか、軽い挨拶を送るマージン。
「おかえりー」
「ああ、今帰った」
挨拶をしながら、疲れた様子で部屋に入ってくると、グランスもクライストも空いていた椅子に適当に腰を下ろした。
「しかし、お前まで来てしまうとはな」
グランスは椅子に座って一息つく間もなく、マージンに視線をやった。
「しゃーないやん。まさか、こないな事になっとるなんて、思いもせなんだんやし」
両手を軽く挙げて、「まいった」のポーズを取るマージン。
「そうだな」
グランスは軽く頷くと、
「俺たちもいくつか新しい話を聞いてきたんだが、こっちでは何を話していたんだ?」
と、ディアナに訊いた。
「状況をマージンに説明しておったの。で、それが終わってマージンに1つ2つ質問をしようとしておったところじゃ」
「その話の途中に俺たちが帰ってきたわけか」
「うむ。とりあえず、ログイン前のリアルの様子を聞き始めたところじゃったのう」
ディアナの言葉を聞いて、グランスはマージンに視線を戻した。
「では、マージン。先にそちらの話をしてくれ。その後にこちらの話をしたほうが、分かり易い気がするからな」
「そやな。話の腰を折られたまんまっちゅーのも、なんや、落ち着かんしな」
とマージンは頷き、説明を始めた。
「ほんまなら、わいもな、アップデート終了前にログインするはずやってんけどな。ちょっと仮眠とってから思たら寝過ぎてしもうてなぁ。
で、起きて時間見て慌ててログインしようとしたんやけど、その前に掲示板も覗いとこうか思うてな。覗いたらびびったわ。
どこもかしこも大荒れに荒れとるやんか。
で、目を通してみたらビックリや。アップデート終了直前に接続切られたゆうプレイヤーが仰山おるんやわ」
「ちょっと待て。さっきも言っていたが、接続を切られただと?」
口を挟んできたグランスに、マージンは「そうや」と頷いた。
「嘘はゆうとらんで?」
と言うマージンに、少し何か考える風を見せたグランスだったが、すぐに「続けてくれ」と再開を促した。
「そんなやから、イデア社に苦情殺到……したとは思うけど、どうなったかは知らん。
とにかく、てっきりジ・アナザーが落ちたんかと思うたんやけどな。掲示板には自分だけ落とされて、ダチはまだログインしてるってな書き込みも結構あったんや。
ま、それでわいも試しにログインしてみようか思うたわけやな。ログインできへんいう書き込みも仰山あったけどな。物は試しっちゅーやつや。
ログインしたら、出られへんようになっとったけどな」
説明を終えて、「わっはっは」とマージンはやけくそ気味に笑った(ように見えた)。
「他に変わったことはなかったのう?」
マージンの話を頭の中で整理していたのか、話が終わってからワンテンポ遅れて、ディアナが質問を飛ばす。
「いんや。特に無かった気がするで」
すると、次はグランスが、
「フォーマル・アバターも追い出されたのか?」
「フォーマルかどうかは分からんけどな。ざっと見た感じ、仕事中に追い出された連中も仰山おったようやな」
「ふむ……」
と、考え込んだグランスに、
「何か思い当たることでもあるのかの?」
ディアナが訊いた。
「そうだな。今の話と関係がありそうだし、これだけは先に教えておこうか」
クライストと頷きあってから、グランスはそう言った。
「魔王が出てくる前に、何というか、世界が歪んだというか軋んだというか、あっただろう?」
そこで何人かが頷くのを待ってから、
「それと同時に、相当数のプレイヤーが消えたらしい。半分くらいは消えたんじゃないかと聞いたな」
「それは俺も聞いた。保証するぜ」
「それがつまり、接続を切られたプレイヤーではないかという訳じゃな?」
「ああ。魔王とやらに攫われたことにでもなっているのかと思っていたが、マージンの話を聞く限り、強制切断されただけのようだな」
「となると、ここに閉じ込められるか追い出されるか……その判断基準が気になってくるのう」
「そうだな。ところで、ディアナの質問とやらはもう終わりか?」 逸れかけていた話をグランスに引き戻され、
「おお、そうじゃったな」
ディアナは手をぽんと打つと、マージンの方に向き直り、
「おぬし、イデア社から受けた仕事をしておるそうじゃな?」
それで、グランスを除く全員がハッとなる。
イデア社のアップデートが今回の元凶であることは、ここにいる誰もが疑っていない。そこに、イデア社の仕事をしていたという人間がいるわけだから、事情を知っているのではないかと疑うのは当然のことだった。
無論、マージンもそれには気づいたらしい。
「あー、残念やけどそっちの役には立てそうにもないわ」
周りの視線が険呑な物になるのにも構わず先にそう断ると、誰かが口を挟もうとする前に言葉を続ける。
「確かにイデア社からプログラムを作る仕事、受けとるけどな。なんちゅーか、こう、すっごい断片的でな。正直、何作らされとるのか、さっぱり分からんのや」
「プログラムって中身そのものでしょ?じゃ、分かるんじゃないの?」
リリーの質問に苦笑しながら、マージンは説明を付け加える。
「プログラムゆーてもな、わいが作ってたんは、そのほんの一部に過ぎん。言うなれば、でっかい機械の歯車を1つだけ作ってたみたいなもんや。
組み立てれば何するもんなんか分かる。そやけど、一部品だけから全体像を掴むんは、無理なんや。
ま、あそこの会社、ごっつい秘密主義やさかいな。仕事ゆうてもいっつもそんなんやで」
「はぁ……」
残念ながら、リリーはすぐには理解しきれなかったらしい。
「要するに、下請けにも今回のアップデート内容が分かるような情報は教えていないということだな」
グランスが要約して、やっと全員が頷いた。雰囲気が柔らかくなったのを確認して、
「では、今度は俺たちの番だな」
と口を開く。
「まず単なる確認だが、やはり魔王が現れてからは、ログアウトできたプレイヤーはいないらしいな」
これは既に分かっていたことなので、特に誰も反応しない。
「それから、マージンの話の途中にも言ったが、魔王が現れる前の世界が一瞬軋んだ……やはりこの表現が一番しっくり来るな。まあ、世界が軋んだ時に、相当数のプレイヤーが消えている。サーカスに限らず、あちこちの町でそうなってるらしいな。ただ、これはマージンの話から考えて、強制的にログアウトさせられたと思っていいだろう。
で、この強制ログアウトに基準があるんじゃないかとディアナも言っていたが、1つ、それに関係していそうな話がある」
全員の目に興味が浮かんだが、グランスの話を聞く方を優先して、誰も口は開かなかった。
「残ったプレイヤーの日本人の割合がかなり高い。少なくとも半分以上、俺が見てきたプレイヤーに限れば、9割以上が日本人だった」
「それは……興味深いのう」
と好奇心を示すディアナ。
「じゃ、何?日本人だけ選んで閉じ込められたって事?」
リリーは憤懣やるかたないといった感じだ。
「落ち着け、リリー。日本人以外のプレイヤーも何人か確認できている。だから、『日本人を閉じ込めた』訳じゃない。俺は、単に日本人がクリアしやすい条件で閉じ込めるプレイヤーを決めたんじゃないかと思ってる」
「一応、俺もグランスに賛成だぜ」
と、クライストが軽く手を挙げた。
「ってゆうか、わいも日本人ちゃうしな」
ぼそっとマージンが突っ込み、「ああ、そういえば」とリリーも納得した。
「まあ、基準がそうなんじゃないかというのは根拠は無いに等しい。今のところ有力な仮説というだけだ。気にしすぎないでくれ」
「うん、分かったわ」
グランスの言葉に、リリーもとりあえず大人しくなった。
「それから、フォレスト・ツリーが動き始めている」
「フォレスト・ツリーが?」
レックの言葉にグランスは頷いた。
フォレスト・ツリーとはサーカスを含むいくつかの町を興し、管理している中規模ギルドである。町の管理はまとまった人数が必要になるため、ジ・アナザーの町は原則、1つあるいは複数のギルドが集まって管理をしていた。
「確かに、あそこは日本人のメンバーが多かったが、もう動き出しておるのか?」
「あれだけ人数が多ければ、動き出すのがいてもおかしくないということだろう。ちょっと立ち寄って話を聞いてきたが、メンバーが落ち着けば今夜にでも今後の方針について話し合いをするらしい。今後、行動を共にするつもりで、それに参加しないかと、誘われた」
「それは、魅力的な話じゃな」
「ああ。正直、俺たちだけでは出来ないことも多いからな。彼らと行動を共に出来るなら、助かることも多いはずだ」
「じゃ、フォレスト・ツリーと一緒に動くの?」
「いや、それは今からみんなで話し合おうと思っている。実際、誘われたときも返事は保留させて貰った。後でもう一度顔を出す約束はしてきたがな」
グランスはリリーにそう答え、
「とりあえず、俺とクライストが聞いてきた話はここまでだ。特に質問がないなら、今後の方針について話し合いたいが、どうだ?」
「んー、特にないな」
「わたしもありません」
「閉じ込められた基準はちょっと気になるがの。まだ情報が少なすぎるからのう」
質問がないことを確認し、グランスは再び口を開いた。
「じゃあ、これからどうするべきかだな。それに関わる話を先に少ししておく。
まず食料だが、サーカスには大した備蓄がない。強制ログアウトさせられたプレイヤーが相当数いたとはいえ、この町の場所が場所だからな。フォレスト・ツリーが把握してる限りでは、持って二週間というところだそうだ。これは俺の考えだが、今後、この町まで食料が届く保証はどこにもない。つまり、ジ・アナザーから出られないことを想定して動くならば、食料がちゃんと確保できる町まで移動しなくてはならんだろう」
そこまでグランスが説明したところで、レックが手を挙げた。
「ちょっと質問いいかな?」
「何だ?」
「ここって所詮仮想空間だよね?食べなくても別に死なないと思うけど?」
という至極真っ当な質問に、
「ああ。死ぬぞ?」
と、グランスはあっさり返した。「へ?」と呆気にとられる何人かの顔を見ながら、
「同じようなことを言って、実際に試したヤツがいたんだがな。しっかり餓死していたな。意識朦朧ってのは無かったが、空腹のあまり力が出ないってのまでしっかり再現されていたな」
「そう言えば、そもそも今死んだらどうなるのじゃろうな?いつもなら、神殿に幽霊で飛んで蘇生して貰うか、仲間が死体を運んで神殿で蘇生して貰うかじゃが」
ディアナの台詞に、全員がかなり真剣に考え込んだ。
確かに、普段なら死んでも蘇生できる。しかし、ここまで異常な状況となると……死んでも蘇生できない可能性を無視することは出来なかった。
「あ、でも、死んだらログアウトできるかも?」
「じゃ、死んでみるかの?」
思いつきを口に出したリリーは、あっさりディアナに撃沈させられた。
とてもじゃないが、死というのが怖くて試せない。死んでも蘇生できる、あるいはログアウトできるならいい。しかし、今はどこにもそんな保証はなかった。その事実に気がつき、この間までのアバターの死がどれだけ気楽な物だったか、レック達は今更ながら思い知らされていた。
「兎に角、死ぬのは絶対避けるくらいのつもりの方が良さそうだな」
グランスのその言葉に、全員が大きく頷いた。
「それから次の話だが、ここから移動するとなると、馬は使えないと思っておいた方がいい」
「なんで?」
訊いてきたレックを見ながら、
「馬の絶対数が少なすぎるからだ。かなりのプレイヤーが落とされたと言っても、この町だけでも2~300人程度は残ってるみたいだしな。それに対して馬は30頭ほどしかいない。下手に手を出すと、他のプレイヤーと揉めることになるだろうな」
と、グランスは説明した。
「となると、クラックスまで徒歩になるのかの。徒歩だと丸二日ほどかかると思うのじゃが、どうじゃ?」
「大体そんなもんじゃねーの?」
「人数次第ではもっとかかりそうじゃのう……」
うんざりしたディアナを見ながら、グランスは話を戻した。
「あと、魔王の『我が僕共に刈り取られたささやかなる前菜』という言葉も気になる。大体何を意味するか見当はつくんだが……」
とグランスが顔を顰めると、ディアナも、
「如何にも襲撃がありそうな台詞じゃからな」
と渋い顔をした。それを聞いて、残るメンバーも全員顔を顰める羽目になった。
「まあ、しておくべき話はそのくらいだ。次は俺たちがどうするべきかという話だ」
皆の顔が真剣になったのを見ながら、
「平たく言えば、フォレスト・ツリーと一緒に行動するか、俺たちだけで行動するか、だな」
グランスは考えられる2つの選択肢を示し、一度口を閉ざした。仲間達が考える時間が必要だ。
「フォレスト・ツリーと一緒に行動したらどうなるのかな?」
「安全とか?」
「食糧の確保も楽になるんじゃねえか?」
「でも、人が多いのは……苦手です」
レックの言葉を皮切りに、仲間達はぼつぼつと思ったことを口に出し始めた。
「自由に動けなくなる気はするのう」
「どうして?」
「集団に属して何らかの役割を負えば、そうなるじゃろう?」
「でも、どーせ、俺たちだけじゃ手が回んねえ事も多いしな」
そんな感じで、どちらかというとフォレスト・ツリーと一緒に行動する方向で最初から話し合いは進んだ。デメリットもいくつか挙げられはしたものの、それは予め納得し、覚悟しておくためのものだった。
「では、俺たちはフォレスト・ツリーと行動を共にするということで、返事をしてくる」
フォレスト・ツリーへの合流が決まった後、グランスは仲間達にそう告げると、クライストを連れて出かけていった。