第五章 閑話 ~問題が尽きない大陸会議~
「キングダムに来てからは初めての会議になりますね」
そう言ったのは焦げ茶のウェーブがかかった髪が肩まで届く、黒い瞳の女性――ふたこぶらくだのマスター、ピーコだった。
その言葉通り、今回の会議はラスベガスではなくキングダムで開かれていた。プレイヤータウンと異なり、プレイヤーが自由に建物を建築できるわけではないので、大陸会議の拠点としての使い勝手を疑問視する声もあった。しかし、当面の課題の中には、キングダムに拠点を置いておいた方が対処しやすいものが幾つもあったのである。
長方形に並べられた机とそこに着いた大陸会議のメンバーを上座から見渡したピーコは、慣れない部屋での会議にちょっとした新鮮みを覚えながらも、頭の中で今日の議題やら報告案件やらを整理していた。
「引っ越しのおかげで、随分間が開いた気がするがな」
ピーコとは議長席を挟んで反対側にいる金髪碧眼の優男、大陸会議副議長にして銀竜騎団元団長、大陸会議直轄軍元帥――本人の抵抗もむなしく、すっかりそれで定着した――のレインだった。
「仕方ありません。これでも随分急いだ方なのです。……チャットの問題もありますし」
ため息を吐きながらピーコがそう答えた。
実際、この会議室の準備もかなり急いだため、元々部屋に置かれていた棚やらテーブルやらいろんな家具が、部屋の隅っこに積み上げられていたりもする。
「チャットと言えば、原因は分かったのかい?」
そう言ったのは、火のついていないキセルを揺らしている女性だった。結い上げられたしっとりした黒髪と最近のお気に入りの和服がよくマッチしている彼女は、ティーパーティーのマスターのケイだった。
それを受けてピーコは、
「今日の議題にはそれも含まれます。幾つか議題がありますが、質問があったチャットの問題から始めましょうか」
そう言って、会議の参加者達に手元の資料を見るように促した。
一斉に紙を捲る音が静かとも言える室内を埋め尽くし、すぐに止む。
「ご存じの通り、最近、クランチャットに問題が生じています。具体的には、多い時は一日一度、少なくとも週に二~三回程度の頻度で不定期に機能を停止します。停止時間は短い時でも十数分、長い時には数時間にも及びます。これにより、連絡網にかなりの影響が出ているのは、ここにいる方々ならよくご存じでしょう」
そのピーコの言葉に、ピーコとレインに挟まれた議長席に座って目を閉じている黒髪の男、議長エルトラータがうむと頷く。それだけで何故かさわやかな空気が流れる気がするのは、流石にピーコの気のせいだろうが。
「思ったよりもこれに伴う混乱は少ないのですが、とは言え異常事態です。大陸会議の方にも一般プレイヤーから少なくない質問が寄せられています。が、正直に申しまして、原因は全く分かっていません」
途中、「一般プレイヤーって……」とか「異常事態と言われても……」などと小声でひそひそぼやいた参加者がいたようだが、ピーコは無視した。
ぼやいた本人達も、ピーコの言いたいことは分かっているのか、それ以上は何も言わない。というか、ピーコに聞こえていることすら気づいていないだろう。ピーコは自分の耳が人一倍良く聞こえることを自覚していた。
「推測される原因とかもないのか?」
そう言ったのはギンジロウ。冒険者ギルドのマスター――という名の責任者――をやっている大陸会議メンバーだ。大陸会議の中でもチャット関連の質問や苦情を一番よく受けているのは冒険者ギルドなので、気になるのだろう。
「推測で良ければ、幾つか挙げられます。でも、証明することは出来ません」
「それでも構わない、と言ったら教えてくれるのかい?」
「拒否するほどの理由はありません」
ギンジロウにそう答えると、ピーコは考えられる原因を幾つか挙げ始めた。役に立つかどうかは別として、何かあった時のために出来る限りの自体を想定し、対策を用意するなり覚悟だけでも決めておこうという考えからだ。とは言え、
「大きく分けると可能性は2つに分かれます。つまり、イデア社が意図した事なのか、意図しないトラブルなのか。そして、そこまでしか分かりません」
ピーコにもまだ、そうとしか言えなかった。ただ、付け加えるべき事はある。
「ただし、トラブルの可能性は低いと思われます。根拠はありませんが、イデア社がチャットというささやかなシステムのトラブルを直すのに、そんなに時間がかかるとは考えられません」
もっとも、そうは言ったものの、実際の根拠は全く別の所にあった。碌な予想が出てこない実にイヤな根拠だったが。
ただ、ピーコがそんなことを考えていると知らないギンジロウにはそれで十分だったらしい。
「要するに、これはイデア社の仕業で……事態が急変する可能性は低いのか?」
「事態がどうなっていくかは、分かりませんが、可能性は高いとは考えていません」
あの『魔王降臨』の例もある。イデア社が碌でもないことを思いつけば、とんでもない事態は起き得る。だが、一方で『魔王降臨』以降、プレイヤー達の行動以外で事態の変化というのは無いと言って良かった。
「まあ、それならそれでいい。そう説明できれば、騒ぐ連中が少しは減るだろうし」
ギンジロウが引っ込み、他のメンバーも隣同士で小声で話し合っていたりはするが、特に声を上げてまで言いたいことはないらしい。ピーコはホッとした。今日は相談して決めないといけないこととか、いろいろあるのだ。早く済むに越したことはない。
「それでは、先に報告を全て済ませます。まず、図書館で見つかった例の本の件ですが、これについてはギンジロウからお願いできますか?」
ピーコにそう頼まれ、引っ込んだばかりのギンジロウは頭を掻きながら、
「何で俺の担当なのかが解せないところはあるんだが……」
とぼやきつつ、報告を始めた。
「現時点の状況から説明するなら、例の本を見つけたのは今のところやっと5パーティ、14人だな。彼らの仲間を含めても30人に届かないと言ったところか。一応、霊峰に向かうなら宿代や馬車の運賃などはギルドが負担すると伝えてはあるんだが、まだ、2パーティ11人しか向かってないな」
その報告に、既に内容を知っていたエルトラータ、ピーコ、レインの3人を除く全員から失望の呻きが漏れた。
「それでは、当分隠者は見つからないんじゃないのか?」
そう言ったのは冒険者クラン『ダイアモンド・スピア』のマスターのバスターだった。精悍な外見に見合ったあごひげを引っ張りながらの発言だった。
「かといって、大々的にどうこうできる問題でもないだろう。人に言われることなくあの本を手に取らないと、隠者に会えないというだから」
ギンジロウのその言葉に、大陸会議の面々は渋々頷いた。
既にここにいる全員は、レインに案内され、例の本を直接確認しているのである。ギンジロウの言うように大したことは出来ない、するべきではないという点においては、意見の一致を見ていた。
「どうにも、もどかしいねぇ……。どうしょうもないんだろうけどさ」
ケイがしみじみとそう言い、それに追従して何人かが「だよなあ」とぼやく。この件についての話はそれで終わりとなった。まさしく、どうしようもないのだから。
「それでは次は、予算の報告です。これは私から直接報告します」
例によって進行役を務めるピーコが、そう言って報告を始めた。再び、議場となっている室内に紙を捲る音がわき起こる。
「正直言って、赤字です。今のところは、当初に集まった寄付金のおかげで何とかなっていますが、建物の賃料だけでは大陸会議の活動費を賄いきれていません」
それを聞いた大陸会議の面々から、またもや呻き声が聞こえた。
ちなみに、プレイヤータウンの建物は、そこを管理している公認ギルドに賃料を支払って借りる形になっている。そして、その賃料こそが大陸会議の最大の収入源となっていた。
しかし、足りない。
到底足りない。
そもそも、軍という巨大組織を維持する人件費だけでかなりの出費を強いられているのである。かといって、魔王討伐という最終目標を考えると、迂闊に軍を縮小することは出来なかった。
「それで、手元の資料にあるように、幾つかの収入源の候補を考えてみました。出来ればこの場で意見をまとめ、1つか2つは実行に移したいと考えています」
ピーコの言葉で大陸会議の面々が見た資料には、
・賃料の値上げ
・各種施設の利用料徴収
・売買に伴う税の徴収
などなど、一般プレイヤーの負担が増えるような項目ばかりが並んでいた。
「これは流石にまずいんじゃないかい?」
キセルで資料をぽんぽんと叩きながらケイが言うと、「そうだそうだ」と賛同の声が幾つも上がった。下手に一般プレイヤーの反発を買いすぎると、大陸会議が機能しなくなる恐れもあった。
「無論、分かっています。そもそも、現在のジ・アナザーにおける経済構造自体に少し無理があるのです」
ケイの言葉にピーコはそう頷くと、資料の次のページを見るように促した。
「本来、社会は生産と消費のバランスが取れていなくてはなりません。しかし、キングダム大陸にいる推定プレイヤー数30万前後に対し、軍の規模は4万を大きく超えています。この軍に属しているプレイヤーは一切の生産活動を行わず、ただ消費するだけです。言ってしまえば、5人の一般プレイヤーで一人の兵士を支える計算になりますので、まともにやれば相当な負担になって当然です」
ピーコはそう説明したが、残念ながら理解できたのは半数にも満たなかった。ただ、普段からお金の話をすることが多い商業・生産系クランのマスター達は理解できていた。
「バランスが崩れてるんだな。つまり、軍を縮小するか、軍を支えるプレイヤーを増やすか。どっちかが必要って事だな」
そう言ったのは、農業系クラン『カレーライス』のマスター、ロナルドだった。背中まで伸ばしたオレンジの髪をいじりながら、青い目で資料を睨み付けている。
「しかし、どっちも厳しいんじゃないかい?」
同じようにふたこぶらくだの経理陣が計算したその資料を見ながら、ケイがそう言った。
「プレイヤーの数は増やせないしねぇ……。軍も縮小する訳にはいかない、よねぇ」
キセルをくるくる回しながら悩むケイ。
他の面々も、理解できている者たちは皆難しい顔をしていた。理解できていない者たちも、いつも通り空気を読んで、悩んでいる振りだけはしている。
そんな中、レインが口を開いた。
「それに関しては、あまり気乗りはしないが案が1つある」
一斉にレインに視線が集中する。
「要するに、軍に生産性がないから問題なわけだ。何らかの生産活動にも従事させれば、随分緩和されるんじゃないか?」
些か微妙とも思える案だったが、大陸会議のメンバーは「下手に一般プレイヤーの負担を増やすよりは……」と真剣に考え始め、すぐにどうだこうだと議論が始まった。ただ、かなり前向きに検討されている様子だった。
その様子を見ながら、レインは内心苦笑していた。
(これでまた、ピーコの案が1つ通りそうだな)
実はレインが出した案は、ピーコから聞かされたものだったりする。ただ、ピーコからあらかじめ案を提示されたエルトラータが、何でもかんでもピーコやふたこぶらくだの案ばかりだと後々面倒なことになりそうだと懸念し、レインの案として出すことになったのだった。
やがて、レインが出した案を了承するということで話はまとまり、兵士という労働力をどこに振り分けるかということについては、農作物の生産に優先的に回すことで決着した。ロナルドとエルガン――別の農業系クランのマスターである――の二人が、食料の増産を求めたからである。なんでも、貯蔵されていた穀類などで今までは持ちこたえていたが、そろそろ増産しないとまずいと話し合っていたところだったらしい。
こうして問題が1つ片付き、次の報告へと話が移った。
もっとも、乗り合い馬車の振動が酷すぎたので、板バネでサスペンションを付けてみたというのは「あっそ」という反応だけであっさり終わってしまった。
キングダムの統治については、エドバドに続き1、12番街区を支配していたクラッカーズも大陸会議の傘下に入ることで決着がついたことがレインから報告された。「クラッカーズが無能なら、体よく飼い殺しにしてしまえばいいでしょう」とは、クラッカーズの能力を疑った会議メンバーに対して、ピーコが言い放った台詞である。
ただ、これでキングダム全域が大陸会議の管轄下に入り、やっと落ち着きを取り戻した。キングダム大陸の全ての町が平和な状態になるには当分かかるが、最大にしてプレイヤー活動の中心となる街が落ち着いたことで、大陸会議の目標の1つはクリアされた。
ちなみに、キングダム全域の地下に張り巡らされている地下通路の探索も、これでやっと本格的に乗り出せることになった。ギンジロウ曰く、一ヶ月で上層部の地図を完成させてみせるとのこと。
ただ、
「それで、全体像の把握はいつ頃終わりますか?」
「いや、地下何階まであるか分からないし」
「地下からエネミーがぞろぞろ出てこない保証はあるんですか?出てきた時の対策は?」
「いや、探索が進んでないから分からないし」
「さっきから分からない分からないばかりですね」
「…………」
ピーコは事実を淡々と述べているだけで、責めているつもりが全くないのは、誰もがよく理解している。しているのだが、何となく会議の他のメンバーがギンジロウに同情してしまった瞬間だった。
ちなみに、ギンジロウが黙り込んでしまった後、エルトラータに何かひそひそと耳打ちされたピーコも、眉をしかめて何か考え込んでいた。よくあることなので気になった会議のメンバーがレインに訊いてみたところ、もうちょっと柔らかく言えないかと言っているらしい。
次に報告されたのは銃器の問題だった。
「現時点では、知名度の低さと製作難度の高さからほとんど出回っていないな。だが、下手に大量に出回ると治安にはマイナスの効果しかない。今のうちに何らかの規制をしておきたいんだが」
治安維持も軍の担当だということで、レインがそう報告、提案する。
治安の面でマイナスだというのは、配られた資料でも現実に起きた一般社会での銃の乱射事件が列挙され、詳しく説明されていた。
「みんなが銃を持っていると、簡単に事件を起こせるよねぇ」
指先でキセルを回しながら、ケイが言うと、
「自分の身を守るために必要ではないのか?」
と戦闘系クラン『アヴァロン』のマスター、パンカスが宣う。いつも着ている鎧は、流石に会議の時は軽鎧に替わっていたりする。
「現実なら、銃がなければ銃犯罪から身を守る必要すらないと言い切れるんだけどな」
とはギンジロウ。
「エネミーなんてモノがいて、それに殺されたらそれでおしまいって世界じゃ、そうそう否定も難しいな」
「街中でも、魔物の襲撃があるもんねぇ」
ギンジロウの言葉に、ケイも頷く。
それから暫く話し合いが続いたが、なかなかいい案は出ない。
結局、この件については各自が持ち帰ってアイデアを練り、次の会議で改めて話し合うことになった。
そして次に出たのがメトロポリスの現状報告である。全く行き来が出来ないカントリー大陸と異なり、メトロポリス大陸はキングダム大陸と地続きになっている。そこで、ピーコやケイはそれぞれのクランから何人かを選んで、メトロポリスに派遣し、状況を調査させていたのである。
「結論から言いますと……あっちは最悪の状況です」
そんなピーコの言葉に、全員が思いっきり顔を顰める中、ピーコだけが淡々と説明を続けていく。
「そもそもメトロポリスでは、生産活動がまともに行われていませんでした。周辺のプレイヤータウンでの生産に頼っていた構造です。また、戦闘をこなせるプレイヤーの割合も相当低いです。
つまり、メトロポリスは周辺のプレイヤータウンから食料など必要な物資を運び込まないといけないのですが、周辺のプレイヤータウンでも生産者が激減し、さらに輸送に当たってエネミーからそれを護衛する人手が足りず、慢性的な食糧不足を引き起こしています。既に餓死者も出てしまっているようです」
餓死という言葉に思わず呻き声が上がる。仮想現実での餓死などそう簡単に想像出来ないが、碌でもない死に方であることだけは間違いのだ。
「また、あちらで日常的に使うことが出来ていた機器のほとんどが機能を停止しています。原因はすぐには分からなかったようですが、電力不足ではないかと報告してきています」
「ちょっと待て。仮想現実で稼働する機械が電力不足で停止するって、何の冗談だ?」
そうピーコの説明を遮ったのはバスターだった。
だが、同じような疑問を持ったメンバーは他にもいた。彼らはピーコの説明を信じられないといった顔をしていた。
それに対しピーコはあっさりと、
「そうですね。私もまだ半信半疑です」
と認めた。
メトロポリスはジ・アナザーにおいてエントランス・ゲートがある3つの都市のうちの1つである。その最大の特色は、発達した科学技術による現実並の生活水準であり、事実、『魔王降臨』迄はメトロポリスでの活動は現実世界のそれとほとんど変わらなかった。
各種機械群によって高度に衣食住が保証された快適な住環境。シャワーなどの水回りは当然のこと、夜になれば部屋には明かりがともり、朝になれば目覚ましアラームが鳴り響く。
部屋にいても外部の情報を入手するのに困ることもない。最新情報だけではなく、音楽や映画、小説や漫画といった娯楽情報も対価さえ払えば、メトロポリス利用者全員に配布される情報端末――キングダムやカントリーで活動するプレイヤーに配布される個人端末よりも遥かに高機能――で容易に手に入る。
部屋を出てもその快適さは保証される。都市の隅々まで張り巡らされた移動手段は、個人単位の乗り物という形で実現されており、その気になれば部屋を出てから目的地まで、数歩程度しか歩かなくて済んだりもする。
物資も豊かで、最低限の物はイデア社が都市のサービスの一部として十分な量を提供していた。また、ジ・アナザー内部の通貨を現実のお金に換金できる制度があったため、メトロポリスの周辺で生産し、持ち込むプレイヤーが多数いた。そのおかげで、イデア社が提供していない物資でもメトロポリスでは容易に手に入れることが出来た。
平たく言えば、お金さえ何とか出来れば現実と同じように、あるいは現実以上に、何一つ不自由することなく過ごせる都市なのである。そのお金も、フォーマルアバターでちょっと活動するだけならほとんど必要なかった。
だが、そのようなプレイヤーの活動を支えていた機械類が全て止まってしまったというのである。エネルギー問題など一切何も考える必要のない仮想現実で。
そして、それは高度に機械化された現代文明を模倣した、メトロポリスという都市の機能停止を意味していた。
「しかし、現実世界では電力などのエネルギーを必要とするはずの機器は動いていないとのことです。試しにコンセントで感電できるかどうか試してみたようですが、何も感じなかったと報告してきていますね。例外はバッテリーで動作する機器で、それらはバッテリーが干上がるまでは動いたそうです」
ピーコが続ける説明に対して、懐疑派が何か言おうとするが、先にケイが手を挙げそれを制止した。
「正直、信じらんないのは分かる。私もそうだからね。でも、原因は話し合ったところで分かるもんじゃないだろう?幾つかの機器は持って帰ってくるように指示を出してあるから、それが届いてから原因はゆっくり考えようじゃないか。今は、あっちの機械類がほとんど全部麻痺してるって事実だけ受け入れとくれよ」
その言葉に、電力云々という説明に疑問を持っていたメンバー達も、動かなくなったという事実だけは受け入れるべきだととりあえず大人しくなった。
代わりに、文明の利器に囲まれていた生活で、それらが一斉に動かなくなった状況を想像したのか、
「じゃあ、すごい混乱してるんじゃないのか?」
とロナルド。
「そうですね。ただ、混乱ではなく、混沌のようですが。残っているプレイヤー達は状況には順応したようです。まともな秩序や道徳があるかどうかは別として」
「マジか……」
そう呟いたのは誰だったか。
だが、誰の脳裏にもメトロポリスの現状が浮かび上がっていた。弱肉強食。PK上等。欲しい物があれば力尽くで奪え。
「ただ、あらゆる先端機器が動かなくなったのは幸いだったかも知れないと、報告してきています。光線銃などの凶器になり得るものもほとんど全部使えなくなりましたから」
その言葉に、会議のメンバーの脳裏に浮かんでいた惨状が少しだけマシなものへと修正された。
「とりあえず、調査メンバーも身の危険を感じるとのことで、メトロポリスでの調査はそれくらいしかできていません。後は周辺のプレイヤータウンをもう一度、少し見てから戻ってくる予定です」
「……すぐにでも救援とか出した方がいいんじゃないか?」
そう言ったのはエルガン。他にもロナルドとか何人かが同じ意見らしく、上座に座るピーコ達を見ていた。
しかし、レインが首を振った。
「残念ながら、無理だ。あっちの人口規模についても資料に書いてあると思うが、少なく見積もってもメトロポリスだけで20万。最大40万ものプレイヤーがいるんだ。それに対してこっちはキングダム大陸全体で30万程度。しかも、まだそんなに余裕がある状態じゃない。下手な救援は共倒れにしかならない」
苦々しそうにそう説明する。
「それでは見殺しにするのか?」
「……少なくとも拙速だけはまずい。我々の一存で、キングダムにいるプレイヤーに犠牲を強いるわけにもいかないだろう」
その言葉に、エルガンも黙り込む。
困っている人を助けたい。それは確かなのだが、そのために他の人を犠牲にしてもいいとは思えないからだ。
「とは言え……」
重くなった空気の中、口を開いたのは議長のエルトラータだった。普段は実務能力の高いピーコとレインに挟まれて、議論に口を出してくることも少ないので、これには会議の面々も少々驚いた。あくまでも少々、であるが。
「出来れば、一人でも多くのプレイヤーを救いたいのも確かです。共倒れにならない救援策もきっとあるはずです。そのつもりでの議論をお願いしてもいいでしょうか?」
静かな会議室の中、エルトラータの声が淡々と響き渡った。
そして、その内容にまずはエルガンが、そして苦しそうな顔をしていた他の面々も次々と喜色を浮かべる。
「では、その方向でお願いします」
どうやら賛成してもらえそうだとホッとしたのか、エルトラータは軽く会釈をすると、再び議長席の置物になった。
「ということですので、まずは案を出して下さい。とは言っても、すぐは難しいですか?」
エルトラータが置物に戻り、ピーコが進行役として発言する。
「そりゃね。すぐに思いつくような解決策はそうそうないだろうさ」
「だが、あまりのんびりはしていたくないな……」
そんな声が飛び交う。
「では、予定では二週間後に次の会議を開く予定でしたが、前倒しして明日か明後日にもう一度集まりませんか?それまでに一度各自持ち帰って検討をお願いできますか?」
ピーコの言葉に、それが妥当だろうという声が相次ぐ。
銃と言いメトロポリス救援といい、難しい問題だけに思いつきだけでは議論も出来ない。会議のメンバー達は各々が率いるクランの仲間達と相談し案を作成。二日後にもう一度会議を開いて議論することとなった。
もっとも、メトロポリスの実情は、彼らの印象と随分違う方向へと進みつつあったのだが、今は余談である。
その後も小さい報告が続く。
途中、クランチャットの話題が再燃し、完全に機能停止する可能性とその時の対策についても話が及んだ。これについては、昔ながらの早馬とか伝書鳩とか手旗信号とかが議題に上ったが、いずれも一長一短で、結局お持ち帰り案件になってしまった。
そして、最後の報告をする時がやってきた。
こればかりは流石にピーコも口の中が乾きそうになる。
そんなピーコの様子に気づいたのか、テーブルの影でエルトラータがピーコの手にそっと自分のそれを重ねた。
ピーコは一瞬驚いたが、そんな素振りを他のメンバーに見せることはない。ただ、レインの位置からはしっかり見えていたらしく、レインの口元が軽く笑った――ピーコはそんな気がした。
「それでは、最後の報告です」
「え?」
「もう終わりじゃないのか?」
配られた資料に書かれてあった事については報告も議論も一通り済んだだけに、やっと解散か、と気を緩め始めていた者も、早く戻ってクランで議論だ、と息巻いていた者も、まだ終わりではなかったのかと一様に驚きを隠さない。
今からピーコが話す内容を知っているケイだけは、泰然自若と構えていたが。
「資料を作り、配布するに当たって、それに関わる方々にも知られたくない事というのはあるのです」
ピーコは資料に今から話すことを書かなかった理由をそう説明し、同時に重要なことだと暗に臭わせる。
それを察した何人かは、表情を引き締め、ピーコが口にするであろう碌でもないことに備えた。残りの面々も、大陸会議のメンバーだけはあって、大人しくピーコの次の言葉を待つ。
その様子を確認したピーコは、隣に座っているエルトラータに視線を遣った。その視線に気づいたエルトラータが頷くと、ピーコは自らのアイテムボックスから、慎重に一本の瓶を取り出した。
会議のメンバーの興味深げな視線が瓶に集中したところで、ピーコは口を開く。
「これは、いわゆる酒です」
そこで一度言葉を切り、居並ぶメンバーの様子を窺う。
果たして、そこにはピーコが予想していたとおり、ピーコの言葉が理解できない顔が並んでいた。まあ、仕方ないところではある。
ジ・アナザーにも一応酒と呼ばれるものは存在していた。勿論、酔うことなど出来ないので、雰囲気を楽しむだけのための物であったが。
あの一言では、何も知らなければ、そうとしか思わないだろう。
だから、ピーコは言葉を続けた。
「味だけの酒ではありません。飲めば、ちゃんと酔います」
この言葉で、会議のメンバーの拍子抜けした顔が、何が何だか理解できないといった顔に変わった。
そこで、ピーコはケイに合図を送る。
合図を受け取ったケイは、アイテムボックスから人数分のグラスを取り出すと、続いてピーコが出したのと同じ瓶も取り出し、栓を開ける。
それと同時に会議室の中にアルコールの匂いが漂い始めた。
「いや、ちょっと待て。大事な話なんだろう?なのに飲むってのか?」
その匂いで思考が戻ってきたのか、ギンジロウがケイとピーコを交互に見ながら、そう責めるように言う。
「こればかりは飲んで貰わないと、話が進みません」
ピーコがそう返す間にも、ケイは手際よくグラスに酒を注ぎ、それを全員の前に並べていった。
「奢ってくれるというのなら、遠慮はしないがな」
そう言ってパンカスはグラスを手に取り、ぐいっと一気に飲み干した。
「……一気に飲むのはお勧めできなかったのですが」
止める間もなく飲み干してしまったパンカスに、呆れたようにピーコはそう言った。
「ちまちま飲むのは好きじゃないからな。まあ、不味かったが」
「……まあ、いい見本になりますか」
「見本、だと?」
「ええ」
首を傾げるパンカスに、短く答えながら、ピーコ自身もケイが置いていったグラスを傾け、一口だけ口にする。
「確かに……美味しくありませんね」
「所詮、密造酒だからね。味よりアルコール優先ってことだろうね」
顔を顰めたピーコに、苦笑しながら答えたケイは、自分でも一口飲んでみて、「うわ、ホントに不味いね」と顔を顰めた。
「ちょっと待て。アルコールと言わなかったか?」
ケイの言葉を聞き逃さず、エルガンが声を上げる。
「ああ、そう言ったけどどうかしたかい?」
「どうもなにも……仮想現実にアルコールなんてあるわけないだろう」
エルガンの言葉に、ケイはフッと悩ましげに笑うと、
「だから、飲んでみて貰いたいのさ。まずいだけで、毒は入ってないから飲んでみなよ」
そう言って、顔を顰めながらもグラスに注がれた酒を飲み干した。
エルガンはまだ何か言いたげだったが、それでもとりあえず言われたとおり、グラスに口を付ける。
「……ホントに不味いな」
少し口に含んでそう言った後、ごくごくと一気に飲み干し、
「さあ、これで何が分かるんだ?」
グラスを机の上に置き、ケイとピーコにそう問いかけた。
「ちょうど会議のおかげで、皆さんのお腹は空いているはずですから……数分もすれば分かりますね」
「そうだね。この量なら、余程弱くない限り、話は出来るだろうね」
「何か、これを飲めば酔っぱらってしまうように話しているように聞こえるんだが……気のせいか?」
ピーコとケイの話を聞き、ギンジロウがグラスを揺らす。
「気のせいでも何でもなく、そう言ってるのです。……パンカスはそろそろ回ってきたみたいですね」
そう言ってピーコが指さした先を見た会議の面々は驚いた。
「んあ?」
いつの間にか真っ赤になったパンカスがふらふらしていたのだ。
「これは……いや、しかし……」
どう見ても酔っぱらっているように見えるが、まだ、仮想現実の常識に捕らわれているメンバー達は、ピーコとケイの言葉を信じ切れていない。
だから、
「こればかりは、飲んで自分の身体で体験して貰わないと分かりません」
というピーコの言葉に、次々と覚悟を決めて、鼻をつまむようにしてグラスに入った酒を飲み干していった。
そして、待つこと数分。
「……確かにこれは酔ってるな」
「ああ……認めざるを得ない。どういう原理かは知らないが……」
一部、アルコールに弱すぎた者を除いて、いい感じにほろ酔い状態になった面々は、ピーコ達の言葉を信じざるを得なくなっていた。
身体がふらつくだけなら、そういう錯覚を体験させられているのだと反論できる。しかし、気分が高揚したり、普段は思いもしないようなことが頭の中に浮かんできたりと、|ブレインプロキシ(BP)では実現できない本物の酔いの感覚の前に、酔っていることを認めざるを得なかった。
「偽物の酒だけだと飲んだ気にはならなかったが、これはいいな」
そう言いながら、お変わりはないのかと聞いてくるメンバーもいたりしたが、
「酒に酔うという事実について、幾つかの可能性と、今後どうするかについての話を終わるまでは、待って下さい」
そう、ピーコとケイは拒絶した。本気で酔われては、話し合いも何も出来なくなってしまう。
渋々と頷くパンカスやバスターを見ながら、ピーコはふたこぶらくだとティーパーティのごく一部の人間で検討した各種可能性の説明を始める。
「まず、1つ目がBPに私たちが知らない機能があり、それによって酩酊状態が作り出されたというものです」
ピーコ達としてはこの可能性が一番好ましかったのだが、実際にはないだろうという結論に落ち着いてしまっていた。その理由は、
「しかし、BPは体内に埋め込み神経を走る電気信号を直接操作するというその性質上、各種機関によって徹底的な検査が行われており、その検査をパスした物しか使われていないはずです」
酩酊状態を作り出すためには、体内にアルコールを注入するか、あるいは脳の感情や思考などを司る領域に直接干渉しなくては再現できない。しかし、そんな危険な機能を持った物を全人類に埋め込むことなど許容されるはずもなかった。
「つまり、この1つ目の可能性は無いと言っていいでしょう」
ピーコがそう言って、1つ目の可能性を否定しても会議の面々からはめぼしい反応は出てこない。ほろ酔い状態にあるのだから、ある意味当然ではあるのだが。
とは言え、変に騒がれるよりはマシなので、ピーコは内心ホッとしつつ、2つ目の可能性を提示する。
「あるいは、現実世界からここを観測している何者かがいて、我々の身体にアルコールを注入している可能性もあります」
こればかりははっきり言って、怖気が走る。今でも考えたくない可能性だった。
さっきの話には「ほー」とか「へー」とかしか反応しなかったメンバーも、この話には流石に大きく反応した。
「つまり、現実の身体もろとも、いいように閉じ込められてるって事か!?」
大きな声で叫んだのはロナルドだった。
だが、ピーコは首を振る。何人かで検討を重ねた結果、この2つ目の可能性もほぼあり得ないだろうという話になったのだ。というのも、
「ジ・アナザーに閉じ込められたプレイヤーは世界中に散らばっていて、その数は数十万を優に超えます。しかも、自宅でログインしていた方もいれば、職場で休憩時間に息抜きにこっそりログインしていた方もいます。その全てを回収し、管理しきれるかというと……出来たとしても、社会問題になってすぐさま破綻するのが目に見えています。
かといって、私たちの身体が病院などで守られているなら、私たちがアルコールを口にするタイミングで侵入し、アルコールを注射することなど、現実的ではありません」
よってこの可能性もないのだと、ピーコは説明する。
国家そのものが企んだことなら、ある程度は何とかなるだろう。しかし、数十万もの人を巻き込むような真似を、世間に知られずに行えるのは余程の強権国家に限られる。少なくとも、日本という国で、何ヶ月にもわたってその事が露呈しないなど、考えにくいことだった。
そうして、残された可能性は、いずれも妄想の類ばかり。
そもそも現実だと思っていたあっちこそが夢で、今いるこここそが本当の現実なのだとか、現実の自分たちはちゃんと目覚めていて、今ここにいる自分たちはコンピュータの中に再現された仮想人格なのだとか。あるいは精神だけ異世界に召喚されたのだとかいう、ファンタジーそのものの意見もあった。
あまりにも突拍子もなさ過ぎて、どう扱ったらいいのか分からないものばかりである。ただ、言い出した本人達も信じている様子は殆どなかった。
しかし、あるいはその中に正解があるのではないか。そう、このことについて話し合った時に誰かが言っていた。
その事を笑って否定したかったが、ピーコには出来なかった。いや、ケイにもレインにもエルトラータにも出来なかった。誰にも出来なかった。
そして、それは今説明を受けた大陸会議の面々にも言えることだった。
一言で言うならば、今の状況は合理的な説明が極めて困難なのだ。ただ、今まで思っていたほど甘い状況ではないらしい。それだけが確かなことだった。