第四章 第五話 ~魔術師ロイド~
突如現れたその男の言葉を、寝起きのレック達が理解するのにはしばらくの時間を要した。
そして、理解すると同時に、
「……!!」
飛びかかろうとしたクライストの腕をマージンがしっかりと捕まえていた。
「放せ!!」
そう、腕を激しく振ってマージンを振り払おうとしているクライストに、
「まー、待ちや。力尽くでいっても、まず無駄やで?わいらの予想通りなら、襲いかかったところで防ぐ方法100通りは持っとるはずや」
マージンはそう諭す。
そう静かに告げられた言葉に、クライストほどではないものの、警戒心とそれ以上の敵意を剥き出しにしかけていた仲間達の頭は冷静さを取り戻した。
「ふむ……良い判断だな。確かにそこの彼の言うとおり、もし私に襲いかかっていれば、一瞬で消し炭に……とは言わないが、気絶くらいはして貰うつもりだった」
そう言った影そのものの男の周囲に、僅かながら電撃が光った。
「それも魔法ってわけやな?」
「その通り。私はこれでも魔術師の端くれだ。大した魔術も使えない相手にそうそう後れを取る事はない」
圧倒的優位にいる自信なのか、男はマージンの言葉をあっさりと肯定する。
「魔術師な。『魔王降臨』以前にいたプレイヤーが自称しとったのとは別物みたいやな?」
「……何が言いたい?」
マージンの言葉に、余裕は崩さないものの、男の声は訝しげなものになった。
「いや、訊きたい事があるだけや。あんたがイデア社の社員乃至関係者かどうかをな?」
「なるほど。その事か。……確かに私もイデア社の社員の一人と言えるだろうな」
「……っ!貴様っ!!」
男の答えに、再びクライストが暴れ始めるが、身体強化を使ったマージンの拘束は簡単にはほどけない。むしろ、今暴れるのは得策ではない、その点にだけは納得したグランスとレックもクライストを抑える側に回った。
その様子を見ていた男が、
「どうやら彼には眠っていて貰った方が落ち着いて話が出来そうだな」
そう言って指を鳴らすと、グランス達が抑えていたクライストの身体から一気に力が抜けた。
「何をした!?」
グランスが叫ぶも、迂闊に男に掴み掛からないだけの冷静さは残っていたようだ。
一方のレックは、男の言葉から何をしたかいち早く察し、クライストの呼吸を確かめ、
「……大丈夫。寝てるだけだよ」
そう、グランスを宥める。
「その通り。眠って貰っただけだ。理由もなく君たちを傷つける事は禁止されているのでね」
その言葉に、特に興奮している様子もなく、警戒はしているものの冷静さを保っているディアナが、
「私たちを傷つける事を禁止されておるとは、どのような理由でかのう?」
興味深げにそう訊いた。
「その理由は私も知らされていないな。残念ながら、こう見えても下っ端でね」
男はそう言って両手をわざとらしく挙げて見せた。
「何しろ、君たちを導くために、君たちと同じように閉じ込められている身だ。不自由極まりない」
「「閉じ込められている!?」」
男のその言葉には、流石にレック達も驚いた。イデア社の社員だと本人が認めた時以上に、である。
「その通り。どこも下っ端はつらいものだな」
そう言った男だったが、言葉とは裏腹にその口調はどこかわざとらしかった。
そして、未だ驚愕に固まっているレック達に向かって言葉を続ける。
「とりあえず、あれやこれやと聞きたい事もあるだろうが、少し場所を変えないか?ここから暫く歩いたところに、私が住んでいる隠れ家がある。そこで話そうではないか」
しかし、その言葉でとりあえず思考を再開したレック達の顔は、ある仲間の方へと向いた。
暗くてよく見えないながらも、男もレック達の間に流れた妙な雰囲気に気がつく。
「……どうしたのかね?……あ」
レックとグランスに身体を掴まれたまま――マージンは既に手を放していた――クライストが寝息を立てていた。
男――ロイドと名乗った――がレック達を案内したのは、レック達が野宿していた場所から8km近くも離れた、周囲を森に囲まれたところだった。
そこまでの移動は馬も何もない以上徒歩だったわけだが、クライストを起こすと、ロイドに再び掴み掛かる恐れもあるため、クライストはグランスが背負う事になった。
歩き続けている間、クライストは寝ているしグランスはそのくらいストを背負っているしという事で、レック達はエネミーの襲撃を気にかけていた。しかし、
「エネミー除けの結界があるから襲ってくる事はない」
というロイドの言葉通り、襲われる気配すらないまま、東の空が明るくなり始める頃、目的地へと到着した。
途中、ロイドには幾つかの質問をして、どちらかというとロイドも被害者っぽく思えてきたレック達は、いつの間にか敵意や警戒心が薄れてきていた。
「ちょっと大きいが……普通だな」
「うむ。普通のログハウスじゃな」
グランスとディアナの言葉通り、ロイドに案内されてきた彼らの前には大きめの高床式のログハウスがあった。周りには畑が広がっており、さらにその周囲にを役に立つとは思えないほど低い木の柵が囲っている。
「こんなんだと、すぐ見つかってもおかしくなかった気がするけど……」
「それはないな。この周辺には人除けと隠蔽の結界が張ってある。私が許可を出さなければ、近寄ることも見つけることも出来ないだろう」
黒いローブ姿だった――少し明るくなってきてやっとそのことが分かった――ロイドはレックにそう説明すると、さっさとログハウスの玄関への階段を上った。そこで一度後ろを振り返ってレック達が立ち止まっているのを見つけ、
「何をしている。早く入るがいい」
そう急かし、自分はさっさと扉の向こうへと姿を消した。
レック達は互いに顔を見合わすと、今更害意も何もないだろうとロイドの後を追い、ログハウスへと入った。
ログハウスの中は、玄関から廊下を見る限り、外見を裏切ることなく広かった。
奥へ続く廊下の両脇にはいくつもの扉が並び、数多くの部屋がある事が伺える。廊下へ進まず、玄関から右へと行くと食堂らしき大きなテーブルが置かれた部屋があるのが見えた。左にも大きな部屋があるが、こちらは居間のようだ。
「奥に寝室がある。眠ってしまっている者たちはそちらに寝かせてくるといい」
ロイドの言葉に、グランスとマージンが顔を見合わせる。
グランスの背中には未だ眠りこけているクライストが背負われていたが、実はマージンの背中にも一人背負われていた。見張りで起きていたリリーである。
流石に一睡もしていなかったためか、このログハウスまでの道の途中で、歩きながら寝始めてしまったのである。リリーは少し恥ずかしがっていたが結局眠気には勝てず、今はマージンの背中をベッドにしていた。ちなみに、最初はレックがリリーを負んぶしようかと言っていたのだが、人を一人背負って歩き続けるだけの体力がないからと却下された。
ロイドの言葉を受けて、グランスとマージンが奥へ向かおうとすると、すれ違いざまに顔を顰めたロイドに二人は呼び止められた。
「君たち……随分と臭うな。寝ている二人は仕方ないとしても、まずは身体を洗いたまえ。ついでに着替えも用意するから……そっちの3人。ちょっとこっちに来たまえ」
確かに、ここ一月、レック達は身体や服をまともに洗えていない。身体は時々川の水で洗ってはいたが、着替えもないのに服を洗う事は出来なかった。
グランスとマージンがクライストとリリーをベッドに寝かせに行っている間に、レック、ディアナ、ミネアの3人はロイドに連れられて別の部屋から人数分の着替えとタオルを取ってきていた。
そのまま、ロイドに追い立てられるようにして男性陣から順に浴室へと向かった。これにはディアナとミネアから不満の声が上がったが、後から入れば時間を気にせずゆっくりできるとグランスに言われて納得していた。
風呂から出たレック達はそのまま、
「寝ぼけて回転が悪くなった頭では、訊きたい事も満足に訊けまい。しっかり寝てきたまえ」
そんな言葉と共にロイドに寝室へと追い立てられた。汚れた服を洗う洗わないは起きた後に考えろとのこと。
「ほう……ベッドじゃな。これはありがたいのう」
お風呂上がりのいい匂いをさせているディアナが廊下から寝室を覗き込んて言ったとおり、ロイドに教えられた廊下の奥の行き止まりには2つの寝室があり、それぞれに4つずつのベッドが用意されていた。
「しかし、流石にクライストとリリーを同じ部屋に寝かせているのはどうかと思うがのう?」
ディアナとミネアのじと目に、
「あ~……すまなかった」
「やな。気づかなんだわ」
二人を運び込んだグランスとマージンは言い訳もせずに素直に間違いを認めた。
「にしても、導くとか言ってたけど……泊まり前提なんだね」
レックが微妙に感心したような、呆れたような声でそう漏らす。
「こんな山の奥ですし……泊まれるなら助かります」
とは小さくなっている男性二人から視線を外したミネアである。
ベッド数もいい感じだったので、部屋割りは右の部屋に男性陣、左の部屋に女性陣と即決まった。左の部屋にリリーと一緒に寝かされていたクライストが右の部屋に移されると、女性陣の部屋の扉がパタンと閉められる。
「俺達も寝るか」
グランスの言葉に、レックとマージンもベッドを確保してそそくさと横になり、本人達が思っていた以上にあっさり意識を手放した。
久しぶりのベッドでついつい寝すぎてしまったのか、レックが起きたのは既に日も落ちようとしている時間帯だった。
「…………あれ?」
起きた後、ここ一月近くあり得なかった感触に軽く混乱したものの、すぐに早朝のことを思い出す。そのまま部屋を見回すと、隣のベッドではクライストがまだ寝息を立てていたが、グランスとマージンの姿は既に見えなかった。
「二人はもう起きたのかな」
そう言いつつベッドを降りたレックのお腹が鳴り、空腹を訴えてきた。
アイテムボックスから干し肉を取り出そうとして、
「……?いいにおいがする」
どこからか漂ってきた美味しそうな匂いに、その手を止め、部屋の扉を開けた。それと同時に一気に強くなる匂い。
その匂いに釣られるようにレックが食堂まで足を運ぶと、
「お?目ぇ覚めたんやな。夕飯ができとるで」
レックに気づいたマージンが声をかけてきた。
レックが食堂とそこに繋がる厨房を見回すと、食堂のテーブルにはマージンの他にグランスも既に着いており、厨房にはエプロンを着けたディアナの姿があった。ミネアとリリーはというと、ディアナが仕上げた料理をテーブルの上にせっせと運んでいる。
「寝坊しちゃったかな?」
手伝った方がいいのか悩みながら、しかしレックの口から出た言葉はそれだった。
「俺もさっき起きたばかりだからな。ディアナやマージンは随分早く起きたようだが……」
そう言ったグランスの視線の先ではマージンが、
「早かったゆうても、昼過ぎまで寝てもうたけどな。やっぱ、地面の上と違うてベッドの上やとよう眠れすぎるわ」
と苦笑していた。
「そうだな。それはそうとして、さっさと適当な席に着け。手伝いは要らないそうだ。というか、怒られた」
マージンの言葉に相槌を打ったグランスは、レックにそう言う。女性陣の手伝いをするべきかと悩んでいたレックは、それで安心して近くの席に着き、そしてある事に気づいた。
「ロイドは?」
この家の主である彼の姿が見えないのでそう訊くと、
「書斎に籠もって、何か読んどったで。食事が出来たら呼んでくれとか言うとったな」
「すぐにでもいろいろ訊きたかったのだがな。ばらばらに説明を繰り返すのは大変だと言われるとな」
マージンとグランスがそう答える。
「でも、そろそろ呼んできてもいいと思います」
スープが入れられた皿を運んできたミネアがそう言った。広くもない食堂だから、レック達の会話は勿論女性陣も聞いていたわけである。
「じゃ、僕が……」
ミネアの言葉を聞いてレックが立ち上がろうとしたところで、
「待て待て。書斎がどの部屋か知らんやろ」
手をひらひらとさせるマージンに止められた。
レックは確かにどの部屋がどうなってるのか知らなかった。ちょっと恥ずかしくなって中腰のまま固まっていたレックだったが、
「わいも一緒に行くわ」
とやってきたマージンに肩をポンと叩かれ、一緒に書斎へと向かった。
ロイドの書斎は玄関を挟んで食堂と反対の左側にある居間の奥にあった。
「廊下にも扉があるんやけど、本棚で埋もれて使えへんのや」
とは、居間から書斎に通じる扉をノックしながらのマージンの言葉である。
中からくぐもってよく聞き取れない返事がすると、マージンはあっさり扉を開けた。
(今の、開けるなって返事だったらどうするんだろ?)
とレックが思うほどに、あっさりとである。
しかし、そんなレックの戸惑いや疑問に気づかぬ風に、マージンはさっさと書斎の中へと入ってしまう。
慌てて後について入ったレックは、一瞬その部屋の状態に開いた口が塞がらなくなった。
部屋の様子を一言で言えば本の山脈である。
本棚に入りきらず、2mほどの高さにも積み上げられた本の山がそこかしこに林立している。のみならず、何カ所かは案の定とでも言うべきか、山が崩れて丘を形作っていた。
「……食事が出来たのか?」
呆然としているレックは、その声でやっと我に返った。
「そうや。あと、あんさんが魔法で眠らせたクライスト以外は全員起きたで」
どうやら一度ここに入った事があるらしいマージンは部屋の有様に驚く事もなく、本の山脈の向こうに向かって、そう声をかけている。
「そうか。なら、すぐに行くとしよう。クライストというのか?彼にかけた睡魔の魔術も解除しなくてはならないしな」
ロイドはそう言うと、すぐにレック達の前に姿を見せた。
少なくともレックが初めて見た彼の姿は、典型的な中肉中背の日本人だった。長めの髪は左右に分けられているくらいで、大した特徴もない。
「えーと……この部屋、すごいね」
どう声をかけていいか分からず、思わずそんな事を言ってしまったレックに、ロイドは首を傾げると、
「そうか?単に片付けが出来ていないだけだと思うが」
意味が分からないという様子だ。
それを見ていたマージンに、
「ほら。さっさと行くで。クライスト起こすなら、早よせんと食事が冷えてまうわ」
と急かされ、ロイドは「ああ、そうだな」と答えながら、すたすたと寝室へと向かった。
寝室に着くと、ロイドはまだ寝息を立てているクライストの様子を確認した。
「彼の意識がはっきりする前に私は食堂に退散させて貰うから、彼を説得するなり取り押さえるなりは任せる」
顔を上げたロイドのその言葉に、レックとマージンが無言で頷く。ロイドと初めて会ったときのことを考えれば、それくらいはやるべきだった。
レック達が頷いたのを確認したロイドは、視線をクライストに戻すと、
「では……」
そう言って指を鳴らした。
途端に、クライストが大きく身じろぎする。
その様子にレックとマージンが注意を奪われている間に、
「後は頼んだぞ」
そう言ってロイドはさっさと食堂へと行ってしまった。
するとそれを待っていたかのように、
「う~ん……」
クライストがベッドの上で大きく伸びをして、目を開ける。
「ん~……なんか、よく寝た気がするな」
そう言いながら、欠伸をするクライストに、
「ここ、どこか分かる?」
そうレックが声をかけた。
「ん?」
レックに訊かれ、部屋の中をキョロキョロと見回すクライスト。
「確か、山ん中で野宿してたはずだよな?近くに街なんて無かったはずだし……どういうことだ?」
クライストはそう言いながら、しきりに首を傾げる。
「まあ、追々説明するとして……まずは、何があっても暴れないって約束して欲しいんだけど」
レックのその言葉に怪訝そうな表情を浮かべながらも、クライストは頷いた。
「暴れても状況は良くならないからね?何があっても大人しくしててね?」
執拗なまでに確認してくるレックに、クライストは流石に疑問を抑えきれなくなったのか、
「分かった。分かったから、ここがどこなのか教えてくれないか?」
ベッドの縁に腰掛ける形で起き上がり、レックとマージンを交互に見た。
レックはマージンと視線を合わせ、マージンが頷くのを見ると、すぐにクライストへと向き直った。
「僕達が探していた人物の家だよ。これから、彼に話を聞く事になってる。だから、まずは大人しくしていて欲しいんだ」
「俺達が探していた……?」
レックの言葉を聞いたクライストは、そう返して、そしてバッと立ち上がった。
「「たんまたんま!冷静に冷静に!!」」
慌ててそう声をかけるレックとマージン。
しかし、あっという間に興奮状態に陥ったクライストは聞く耳を持たない。
「あいつはどこだ!俺達をこんなところに閉じ込めやがって!!」
そう言って部屋を飛び出そうとして、
「ぐふっ……!」
レックが止める間もなくマージンに思いっきり腹を殴られた。
「レックが暴れるな言うたやろ。そもそも、やっこさんな、下っ端過ぎて何もでけんみたいやで?」
渋そうな顔でクライストの横にしゃがみ込み、そう説明すると、マージンは自分が殴ったクライストの腹に手を当てて、治癒魔法を詠唱した。
「マージン……何しやがる」
腹の痛みが消えたクライストは立ち上がると、苛立ちに満ちた目でマージンを睨み付けた。しかし、もう部屋を飛び出そうとはしなかった。
「話が出来る形で止める必要があったんや。あのまま突っ込んでいったら、また眠らされて同じ事の繰り返しになりそうやったしな」
クライストの攻撃的な視線も気にせずにのうのうと説明するマージン。
そのあまりのマイペースっぷりにクライストも少し頭が冷えたのか、
「……少しくらいは説明してもらえるんだろうな?」
クライストのその言葉に、マージンはすんなり頷く。
その様子にはらはらしながら横から見ていたレックが、ホッとしていた。
「とりあえず、彼の言葉を信じるなら、彼自身にはわいらをログアウトさせることは出来へん。本人も閉じ込められとって、出れんとか言うとるしな」
マージンのその言葉に、クライストは視線をレックにやった。その視線に気づいたレックは、マージンの言葉を肯定するように頷く。
「それが本当かどうか、力尽くで確かめるのはアリだろう?」
視線をマージンに戻したクライストは、苛立ちを隠すつもりもないのか、強い語調でそう言う。
しかしマージンは慌てない。
「下っ端でもイデア社社員や。運営管理側の人間やで?一般プレイヤーにどうこう出来る思うか?」
過去にサービスが提供されてきた無数のMMOを見ても、管理側のキャラクターやアバターを一般プレイヤーが害せた試しは一度もない。それ故に、マージンの言葉は説得力があった。
クライストもその点は認めざるを得なかった。それでも、納得できるかどうかは別問題である。
「なら……どうすりゃいいんだよ!?」
クライストは思わずマージンに詰め寄り、レックに引き留められた。
「まー……相手が話してくれる分くらいは聞いても罰は当たらんやろ。というか、管理者相手やと、その手のひらの上で踊るしかあらへんのやけどな」
そう言ったマージンの表情は達観してしまった様子であり、それを見たクライストは何か感じたのか、ベッドに座り込んでしまった。
「クライスト?」
「……しばらく一人にしてくれ」
レックは声をかけたものの、そう言われてしまった。マージンはと見ると、首を軽く振って、
「一人にしてやり」
そう言って、さっさと部屋を出ていった。
レックはそれを見送ると、クライストをもう一度見る。そして、すぐにマージンの後を追った。
食堂にレックとマージンが戻ると、
「クライストはどうした?」
いるはずの仲間が一人いない事に対して、疑問を覚えたグランスがそう訊いてきた。
「目は覚ましたけどな。しばらく一人になりたい言うとったわ」
「ふむ……仕方ないな。では、せっかくの食事が冷えても何だし、先に食べさせて貰うとするか」
「そうじゃな。クライストの分は残してあるからの。冷えるじゃろうが」
グランスの言葉にディアナも賛成する。
どこか心配そうな様子を見せていたミネアやリリーも、
「いつこっちに来るか分からないじゃろう」
というディアナの言葉で先に食べる事にした。
ちなみに、ロイドは先に勝手に食べ始め、時々「旨いな」とか「久しぶりだ」とか言っていた。男の本に埋もれた一人暮らしでは、まともな食事など摂っていなかったのだろう。
もっとも、ここしばらくまともな食事を摂っていなかったのはレック達も同じだった。野宿続きで狩りで確保した肉を焼いて食べるだけという食事ばかりだったのだ。ログハウスの周りの畑から取ってきたばかりでみずみずしい野菜だの果物だのは久しぶりであるし、肉にしても焼くのではなく煮込んだものはやはり久しぶりだった。
皆が食事に夢中になり、食べ終わるまで誰も一言も発さなかった。
そして、ディアナが食後のお茶を淹れ、ミネアとリリーがそれを皆の前に並べ、自分たちも席に戻った。
グランスはそれを確認すると、改めてロイドの方に向き直った。
「さて、食事も済んだ事だし、いろいろ話を聞かせて貰いたいんだが?」
その言葉に、猫舌なのかお茶にフーフー息を吹きかけて冷まそうとしていたロイドが、グランスの方に視線をやった。そして、手に持っていたお茶の入ったカップをテーブルに置く。
「いいだろう。その為に君たちをここに連れてきたのだからな」
そう頷いて、言葉を続ける。
「だが、あらかじめ言っておこう。朝も言ったように、私は所詮下っ端だ。最初から知らされていない事も多いし、知っていても話してはならないと定められている事もある」
「その命令を破るとどうなるのじゃ?」
「殺されるかも知れないな」
興味本位で訊いたディアナに、ロイドはさらっととんでもない答えを返した。
「殺される?」
「ああ。殺されるかも知れないな」
思わず聞き返したグランスに、ロイドはひょうひょうとそう答えた。
「自社の社員をか?そんな事があり得るのか?」
「あり得るあり得ない以前に、許されるようなことでは無いと思うがのう」
呆然としかけたグランスの後に、ディアナがそう続けた。
「それでも、そういう組織だからありえるとだけ言っておこう……もっとも、そのことについてこれ以上話すと、何かに抵触してしまいかねない。他の話に変えて貰おうか」
ロイドはそう言って別の質問にしたまえと言うと、お茶を一口すすった。
レック達としても、それで納得できたわけではないが、無理に聞き出すと相手が殺されてしまうかも知れないというのでは、流石に躊躇せざるを得なかった。それに、聞きたい事は他にも山ほどある。
「では、一番の関心事から訊こう。……俺達はログアウトできるのか?」
「そうだな。現実世界に戻る事は可能だ。あの魔王を倒せば、だが」
グランスの問いに、落ち着いて答えるロイド。
「それ以外の方法では?」
「私が聞かされている限り、無いな」
想像はしていたが、そのロイドの答えにレック達は少しばかり気落ちした。
だが、グランスによる質問は続く。
「おまえでもプレイヤーを戻す事は出来ないのか?」
「出来ないな。上層部になら出来る者もいるかも知れないが、私には不可能だ」
「その上層部の人間とやらに会う手段はあるのか?」
「ないな。余程の重要人物からの呼び出しであれば応じるかも知れないが、君たちはそうではあるまい?ああ、言っておくが私でも呼び出しには応じてもらえないからな」
ロイドはあっさりと八方ふさがりである事を明言した。
それでグランスは口を閉ざす。その表情は分かっていた事とは言え改めて突きつけられた事実に、流石に重くなっていた。
しばしの間が空き、次に口を開いたのはディアナだった。
「では……私たちの身体はどうなっておるのじゃ?もう、リアルの時間でも三ヶ月以上、寝たきりになっておるはずじゃが?」
重い空気を醸し出していた仲間達も、これには興味があった。というか、関心を持たざるを得なかった。何しろ、どうやら死んではいないらしいと言う以上の事がサッパリ分かっていないのである。気にならない方がおかしかった。
ただ一人、レックだけがディアナの質問を耳にして身体を僅かに強ばらせたが、それに気づいた者はいなかった。
そんなレック達の様子を見ながら、ロイドは答える。
「それについては、心配する必要はないと言われている」
そのあまりにも素っ気ない回答に、ディアナ達の視線がきつくなるが、ロイドは肩をすくめ、
「残念ながら、私もそれ以上の事は聞かされていないのだ。むしろ、私の方がどうなっているのか知りたいくらいだな」
「本当に何も知らないのか?」
グランスの威圧するような訊き方にも、
「知らない。イデア社は社員に対しても最大限の機密保持を行っていてね。知らなくても仕事に差し支えのない情報は与えられないのだよ」
と、セキュリティ上の常識とも言えるような返事をした。
「ふむ。しかし、それではここに来た意味が全くないのう」
ディアナのその言葉に、レック達も何となく同じような思いを抱く。
「おぬしは一体何のためにここに配されたのじゃ?」
「それが一番いい質問だな。私に与えられた役割は、プレイヤー達に為すべき事の幾つかを伝えることだ。それと、魔術の手ほどきだな」
ディアナの言葉に、待っていましたと言わんばかりの笑みを浮かべ、ロイドはそう答えた。
「為すべき事?魔王を倒すために必要なヒントって事?」
リリーがそうオウム返しに訊くと、
「その通りだ。通常のRPGと異なり、ジ・アナザーではNPCによるヒントは期待できない。そこで、私のような者が各地に配置され、プレイヤーを導くようになっているのだ」
ちょっと訊くと親切設計ではあるが、そもそもこういう事態に陥れているのも同じイデア社なので、レック達の間には微妙な空気が漂う事となってしまった。
「そのヒントとやらも気になるところじゃが……その前にもう1つ訊いておきたい事があるのう」
「もう1つ、か。大体予想はつく」
ディアナの言葉にロイドは渋い顔でそう言った。もっとも、予想が付いているのはロイドだけではなく、レックと仲間達もだった。
「イデア社がこのような事をしでかした目的じゃな。知っておるなら是非とも教えて貰いたいのじゃが?」
そのディアナの質問に、ロイドは息を一つ吐いて、口を開いた。
「残念ながらそれも知らされてはいない。それを知る事は個人的な目標ではあるのだがな」
その答えはレック達には十分予想済みのものだった。ディアナの質問はレック達全員が是非とも知りたいと思っていた事ではあるものの、今朝からの繰り返されたやりとりの中で既に諦めていた事でもある。
そんなわけで今更特にショックを受けた様子もないレック達を見ながら、ロイドは改めて口を開いた。
「では、めぼしい質問は終わりかな?」
そう言ってレック達の顔を見回し、質問が出ない事を確認しようとして、
「いや、もう1つある」
グランスに遮られた。
「何かな?」
特に気分を害すでもなくそう言ったロイドに、淡々とグランスは質問をぶつけた。
「大したことじゃない。ここにいる間、何か思う事があったら自由に訊いてもいいのか?ということだ」
「ああ……そう言う事か。構わないとも。答えられる範囲では答えよう」
ロイドのその言葉に、グランスは一つ頷き、ロイドが始めようとしていた話を促した。
「では、私からの話だな。言ってしまえば君たちに与えるヒントとなるわけだ。私自身が知っている事に限りもあるし、制限もかかっているから話せない事もあるが、魔王を倒す上では大いに役立つはずだ」
淡々と話すロイド。
それに対し、レック達はさっきまで以上に真剣な顔になっていた。さっきまでのやりとりでは結局何も分からなかったに等しいが、これから話される事は間違いなく、魔王を倒し、現実に戻るために必要な事だろうから。
そんなレック達の視線を集めながら、ロイドは言葉を続ける。
「まず、魔王がいる場所は、君たちが中央大陸と呼んでいる場所だ。詳しい場所は私も知らないが、探すのに何年もかかるような事はないようにしてあるとは聞いている」
最初の話は、プレイヤーの間で既に予想されていた事についてだった。だが、今までは確証がなかった事を考えると、具体的な目標として設定できるのは大きい。
しかし、疑問もあった。
「ちょっといいかのう?」
「何かな?」
片手を軽く上げたディアナに、ロイドは話を中断した。
「中央大陸にはどう渡るのじゃ?」
「なるほどな。まだ海を渡れるほどの船が出来ていなかったか」
そう言いつつ、ロイドはちょっと考え込む様子を見せた。
正確には大型帆船くらいはあるのだが、海に潜む強力なエネミーに襲われるとひとたまりもないのである。
「まあ、船が無くとも何とかなるような方法があったはずだ。サークル・ゲートとか言ったか」
次にロイドの口から出てきたのはそんな言葉だった。
「ああ……あれか」
使い勝手が悪いという話しか聞かないサークル・ゲートの事を思い出し、レック達は渋い顔をした。その顔は、
「どのサークル・ゲートがどこに繋がっているのかは、知らない。その辺りはプレイヤーの方で調べてくれ」
というロイドの言葉でますます渋くなり、
「さて、今の話はプレイヤーの方でもある程度予想が付いていた事だろうが、次の話を耳にするのはプレイヤーの中では君たちが初めてになるな」
これで再び真剣なものに戻った。
「この世界には精霊王と呼ばれる存在が置かれている。……精霊が何かというのは改めて説明する必要はないな?」
ロイドが口にした精霊王という言葉にテンションが上がりながらも、レック達は無言で頷いた。
「なら話を続けよう。精霊王と呼ばれるくらいだから、当然その力は絶大だ。契約を交わし、味方とする事が出来れば、ドラゴンをも凌駕するその力を借りる事が出来る。だが、『魔王降臨』までは堅く封印されていた」
ロイドはここで一度言葉を切って、レック達の理解を待つ。
ちなみに、この僅かな時間の間、精霊王だのドラゴンだのと何やら立派な単語を聞いて無駄にテンションが上がっていたレック達の頭の中で、火の巨人やら大怪鳥やらがドラゴンと怪獣大決戦を繰り広げていたりするが……余談である。
そして、少しの間を挟んでロイドは話を続けた。
「私の聞かされている話では、精霊王を封じている封印は『魔王降臨』の際にプレイヤーの手によって解く事が出来るほどに弱くなっているはずだ。その封印を解く事が出来れば、精霊王の力を借りる事が出来るようになるだろう。そうすれば、魔王と戦う上で大きな力となるはずだ」
この言葉に、グランス達の口からはついに感嘆の声が漏れた。無論、全員ではなかった。
「それは助かるけど、肝心の魔王とやらの強さはどの程度のものなの?」
そう言ったのは、感嘆の声を漏らさなかったレックである。
そして、レックのこの質問を聞いて、仲間達も一気に静まりかえった。精霊王がどれだけ強いか知らないが、魔王を一蹴できるだけの力でないなら、それで全てを解決できるわけではない。
「それについては、私も詳しくは聞かされていない。ただ、個人的な感想でいいのなら、聞くか?」
ロイドのその言葉にレック達が頷くと、
「個人的な意見だが、仮にも魔王はラスボスだ。精霊王よりも弱いという事はないだろうな」
その言葉に、レック達はそれもそうかとあまり嬉しくもない納得をしてしまった。たまに途中で手に入れる武器やら召喚獣やらが強すぎてラスボスが雑魚になるゲームもあるが、普通のゲームではそんな事はないわけで。
それで空気が重くなりかけたが、
「ま、それでも手に入れへんよりはマシなんやろ?」
「その通りだ」
マージンの言葉をロイドが肯定すると、仲間達の顔に明るさが戻ってきた。
「それで、その精霊王の封印の場所は教えてもらえるんだろうな?」
「今はすぐ全部は無理だが、1つだけなら」
グランスの言葉にロイドはそう答えた。
「1つだけ?いくつもあるのか」
「5つある。うち4つまでは条件を満たしていれば、プレイヤーに教えていって良い事になっている」
「条件か。どんな条件なのかは訊いても無駄なんだろうな?」
グランスの言葉をロイドは無言で肯定した。
「残りの1つはどうなのじゃ?」
「残念ながら私も知らない」
今更本当かどうか疑うのは無駄な手間でしかないと諦めているディアナは、それであっさり引き下がった。
「しかしそれでも、今は1つは教えてもらえるのだろう?なら、その場所を聞こうか」
グランスがそう言って視線をディアナからロイドに戻すと、仲間達の視線もロイドに集中した。
そして、
「いいだろう。精霊の筺……精霊王を封じているもののことだが、その1つはキングダムにある。大陸ではなく、シティの方だな」
というあまりと言えばあまりの言葉に、何人かの口が開いたままになってしまった。
「キングダムって……また戻れって事……?」
疲れたようなリリーの言葉に、
「そういうことでしょうね……」
ミネアがそう返す。
そんな感じの仲間達の中で、いち早く立ち直った(?)ディアナが、
「精霊の筺とはなんじゃ?」
と、ロイドが口にした聞き慣れない単語について質問する。
「さっきも言ったように、精霊王を封じているもののことだ。形は分からないが、封じられている精霊王の力が溢れ出していると聞く。見ればおそらく分かるだろう。あと、封印以外の機能もあると聞いているが……詳細は封印を解く事が出来れば、精霊王に聞いた方が早いだろうな」
「思ったより役に立たん案内人じゃのう……」
ディアナのその言葉は、ロイドにスルーされた。
「その封印とやらは、どうやれば解ける?」
「精霊使いの素質を持つ者が触れて、封印が解けるように念じればいいと聞いている。さほど難しい話でもあるまい」
グランスの質問にロイドは簡単な事だろうと答えたが、またも出てきた聞き慣れない単語に、
「その精霊使いって?」
思わずレックが質問する。だが、脊髄反射で言ってしまった質問だっただけに、ロイドにレックの考えは伝わらず、
「ああ、知らないのか?精霊との相性が極めて良く、精霊を自由に使役できる者の事だ」
言われなくても想像できるような答えが返ってきた。なので、レックは改めて質問する。
「それは何となく想像付くけど……なんて言うかな。訓練すればなれるのか?とか、素質持ってる人ってどうやって探すのか?とかが聞きたいんだけど」
「なるほど。そういう事か。では答えよう。ある程度は訓練でどうにか出来るだろうが、精霊の筺の封印を解き、精霊王と契約できるほどとなると、最初から高い素質を持っていなくてはならないな。……もっとも、幸いな事に君たちはそんなプレイヤーを捜す必要はないようだが」
前半の言葉で如何にも面倒そうな顔になりかけていたレック達だったが、最後に付け加えられた一言に揃って首を傾げる事になった。
その様子を見たロイドは少し驚いた様子を見せたかと思うと、すぐに何やら納得したように軽く頷き、
「そうか。君たちは魔術やそれに類する事柄についての知識が根本的に無いのだな。それで気づいていなかったのか」
「確かにそうだが……探す必要はないとはどういう事だ?」
半分答えは分かっているながらも、グランスがそう訊く。
そんなグランスを見て、それからその仲間達を見て、ロイドは口を開いた。
「私が見たところだが、そこの彼女が精霊使いとして高い素質を持っているようだからな」
そう言いながらロイドが指さした先にいたのは、
「え?あたし?」
驚いたように目を見開くリリーだった。