第四章 第四話 ~霊峰にて~
「くそっ!」
そう短く叫ぶと、クライストは慌ててその場を飛び退く。
直後にクライストがいた場所に着弾した巨大な氷の固まりが、そのまま衝撃で粉砕され、未だ空中にあったクライストを襲った。
鋭利なそれはクライストをその服ごといとも簡単に切り裂き、クライストの周囲に血しぶきが舞った。
「クライストっ!」
誰かが思わず叫ぶが、幸いな事に見かけよりもクライストの怪我は軽かったらしく、自分の足で地面に着地した。どうやら、大きさも重量も大幅に減じられた単なる氷の破片には、大怪我をさせるだけの威力はなかったらしい。
一方で、クライストに打撃を与えた魔法は、放った側にも大きな隙を作っていた。
「ぐおおおおお!!」
クライストの事は気にかかるものの、今、もっとも優先しなくてはならないこと――襲ってきた魔獣を倒すために、巨大な戦斧を振り上げたグランスが、魔獣の首筋めがけて飛びかかっていく。
無論、そんな大声を出せば、魔獣に気づかれるのは当然の事。
魔獣は氷の獣毛で覆われた巨大な頭部をグランスに向けると、軽く10m近くも跳躍してグランスから距離を取り、魔法を放とうと準備を始める。
だが、次の瞬間、
「ガオォォ!?」
後ろから飛び出してきたマージンに右の脇腹を大きく傷つけられ、赤い血しぶきが飛び散った。
すぐさま、自分を傷つけたマージンをその鋭い爪で斬り殺そうとするが、魔獣が目を離してしまったグランスが戦斧を振り回して、左の後ろ足の腱に一撃を入れた。
「浅い!!」
魔獣の全身を覆う氷の獣毛に阻まれ、一撃で足を切断しようとしていたグランスの目論見は外れてしまった。
しかし、
「もう一発!!」
グランスに続いて追いついてきたレックが、グレートソードを同じ場所に叩き付けるに及んで、魔獣の左の後ろ足の腱は今度こそ大きく傷ついた。
「グウオォォォォ!!」
怒りの声を上げる魔獣だが、もはや左の後ろ足は使えない。
そこへ、反対側から再びマージンが斬りかかろうとして、のたうち回る魔獣が振り回す爪から、慌てて逃げていく。
「もう、逃げてもいいのではないかのう?」
少し離れたところから観戦していたディアナ――槍で斬りつけたものの、氷の獣毛に阻まれて役に立たなかった――が大声でそう言うと、
「飢えた獣相手をここまで怒らせたんだ!逃げると逆効果かも知れん!!」
グランスがそう返す。
ちなみに、ミネアとリリーも必要があれば援護に入るつもりではあるが、今、レック達が戦っている全身を氷の獣毛で覆われた5m近くもある巨大な白狼相手にはダメージを与える事が出来ないので、手を出さずに観戦している。ミネアだけは、先ほどダメージを受けたクライストの治療に当たっていたが。
痛みのあまりのたうち回る魔獣に、レックとマージンは武器の間合いの広さを生かして、少しずつ傷を増やしていく。もっとも、迂闊に相手の爪などに武器が当たれば、それだけで武器を弾き飛ばされてしまうので、慎重を期しているが。
とは言え、そんな攻撃で、満足なダメージが与えられるわけもない。
むしろ、暴れ回る魔獣が弾き飛ばした石を避け損ねたり、ぎりぎりで魔獣の爪を躱しきれなかったりで、魔獣を取り囲む三人にも着実に傷が増えていっていた。
そこに、
「うし……もう大丈夫だ」
と、ミネアの治癒魔法でめぼしい怪我が大体治ったクライストが立ち上がって、戦闘に復帰する。
射線を確保し、魔獣の頭部めがけて、次々と弾を撃つ。
無論、その程度でダメージが与えられるような相手ではないが、鼻や目に直撃すればかなりのダメージが期待できるし、そもそも魔獣としても、足の怪我より顔に高速でぶつかってくる銃弾の方が脅威である。
クライストの銃撃から顔を守るために、ただ暴れ回るのを止め、しかし、その隙をレック達が見逃すはずもない。
グランスが魔獣のもう一方の後ろ足を狙って戦斧を振り回すと、レックとマージンは両側から魔獣の首を狙って斬りつける。
無論、魔獣としても易々と斬られるつもりもなく、レックよりワンテンポ早く動いたマージンへ向かって大きく口を開け、噛み付こうとするが、後ろ足が自由にならないため、首だけを向けたのが失敗だった。
魔獣が首をマージンへと向けた事で、反対側のレックには無防備な首筋がさらけ出される。
「ハアッ!!」
裂帛の気合いと共に魔獣の首筋にグレートソードを食い込ませるレック。
ひときわ大きい魔獣の悲鳴と共に、大量の血が首に出来た切り傷から周りへと飛び散っていく。
もう、それだけで失血死が確定するほどの怪我を魔獣が負った事を確認したレック達は、グランスの指示で防御重視の戦い方へと切り替えた。
言ってしまえば、少し距離を置いたところから牽制さえしていれば、相手は勝手に弱って死んでくれるのである。無理をする事はない。
実際、それから3分と経たないうちに、魔獣の動きは大きく鈍った。念のため、さらに数分待って魔獣が動きを止めてから、ディアナの槍で突っついて死んでいるのを確認し、やっとレック達は武器を収めた。
「こいつ、解体したら何か採れへんかな?」
そう言いながら魔獣の爪や毛皮を確認していたマージンに、
「分からん。だが、あまりここにいたくはないな」
グランスはそう答えた。
実際問題、この魔獣の血の臭いを嗅いで、いつ余計な物が現れるか分かったものではない。そんな連中との連戦を避けるためにも、さっさと移動するべきだった。
「じゃ、爪と毛を少しだけ貰っていくわ」
グランスの言葉を聞き、マージンは魔獣の身体の中でも血で汚れていない部分を選ぶと、ナイフで少しだけ毛を切り取ってアイテムボックスに詰め込んだ。爪はすぐに取れそうになかったので、結局諦める羽目になっていた。
レック達が身体強化魔法の祭壇で魔法を習得してから、既に三週間近く過ぎていた。
当初、身体強化魔法を使えるようになれば、山を歩き回るのに役に立つかも知れないと考えていたレック達だったが、結局その目論見は外れた。
理由の1つはリリーである。
結局、リリーは身体強化魔法を使う事は出来なかった。幸い、直後こそ大きく凹んでいたリリーも、仲間達に支えられて今では元通り快活に振る舞っている。
そして理由はもう1つある。
身体強化魔法は意識して術式――元々感覚と呼んでいたが、マージンがださいからとこの言い方を提案したところ、あっさり定着した――を維持しなくてはならない。そのこと自体は割とすぐに何とかなったのだが、問題は魔力の消費――当初は単なる疲労かと思われていたが、普通の疲労ではなかったので、ファンタジーっぽく魔力の使いすぎだろうとされた――である。
身体強化の術式を維持し続けていると、どうやら魔力をガンガン消費してしまうのか、30分と持たずにばててしまうのである。一度そうなると、結構な休憩時間を取らないと回復しない。そのため、身体強化魔法を使い続けて移動距離を伸ばすという当初の目論見は完全に外れてしまった。
そのおかげで、一人だけ魔法を使えないリリーが心の中でこっそり安心したのは余談である。
そういう事情で、レック達は結局、身体強化魔法無しで霊峰の探索を続けていた。無論、戦闘や普通は上り下りできない場所では身体強化魔法を使っているのだが。
白狼を倒した後、500mほど離れた岩場でレック達は休憩を取っていた。
仲間達が負っていた大小の傷は全て治癒魔法で治し終わり、自分たちや白狼の血も拭ける箇所は拭いてある。血の臭いに釣られて変な物が寄ってくる事があるので、出来れば血が付いてしまった服も着替えた方がいいのだが、生憎とそこまでの着替えはなかった。
「ううううう……寒っ!」
毛布をひっかぶって、先ほどの戦闘で破れた服を縫っていたクライストはそう言ってくしゃみをした。
今いる場所は霊峰の1つ。その中腹である。
標高は身体強化魔法の祭壇があった辺りより少し高いくらいで、おかげでまともな木はほとんど生えていない。おまけに気温も低い。
そんなところで服を脱げば当然寒いわけだが、着替えなんて一着持っているかどうかのレック達にしてみれば、着ている服が破れたら即補修するのが常識だった。放っておけばすぐにダメになって着れなくなってしまうのだ。いくら何でも裸で歩きたくはない。
「まあ……さっさと終わらせようよ」
そう言ったレックも、毛布を被って針仕事の真っ最中である。
ちなみに、戦闘に参加したグランスとマージンも服が破れていたが、二人は既に服の縫い直しは既に終わっていた。……グランスの分はミネアがやっていたが。
そのグランスの服もマージンの服も既につぎはぎだらけである。正確には、現在針をチクチクやっているレックの服もであった。この三人はもっぱら前衛で戦うので、エネミーや狩りの獲物からの攻撃で服が傷みまくっているのである。おかげで、補修用の布は一応持ってきていたが足りなくなってしまい、着替えをばらす羽目になっていた。
「この辺りはやはりエネミーが強いのう……」
男性陣の針仕事を見ながらそう言ったディアナを含む、後衛女性陣の服はそれほど酷い状態ではない。何カ所かの継ぎがあるだけである。
「身体強化がなければ、即引き返さないとダメでしたね」
「そうだな」
ミネアの言葉にグランスが頷く。
実際、霊峰に分布しているエネミーの強さは、これまで蒼い月が戦ってきたエネミーよりも明らかに格上だった。サイズは兎に角、パワー、スピードといった運動能力が桁違いなのである。以前のレック達であれば、戦闘の度に重傷者か死人が出ていてもおかしくはなかった。
それほどまでに強いエネミーと蒼い月が渡り合えてきているのは、やはり身体強化魔法のおかげだろう。時間制限がある上に、筋力や視力、聴力などが2倍程度に強化されるだけなのだが、攻守共に威力を発揮するため、侮れる物ではない。レックに至っては、身体強化の最中に限るとは言え、エネミーのサイズによってはグレートソードを武器として振り回すようになった事もあり、パーティの火力は大幅に増加していた。
「でも、そろそろ三週間でしょ?いつになったら見つかるんだろね?」
意図したわけではないが、話題の転換を図ったのは見張りをしていたリリーである。
「そうだね。予定してたのが一ヶ月だから……そろそろ一度街に戻る?」
最後の箇所を縫い終わり、糸を切ったレックのその言葉にマージンが、
「そうやな~。そろそろいろいろ補充せなあかんしな」
「やばいのか?」
グランスが訊くとマージンはとりあえず首を振って、
「まだ余裕はあるで。でも、余裕が無くなってからやと、何か起きたらアウトやろ」
「ふむ……」
マージンの言葉には一理あるものの、霊峰までの道のりを考えると一日でも長く探索を続けたいグランスは、仲間達――特に消費が激しそうなミネアとクライストを順番に見やると、
「消耗品はあとどのくらい持つ?」
と訊いた。
「俺はまだ持つぜ。今のペースなら後二週間は余裕だな」
銃だけではなく、ナックルを使った戦闘も織り交ぜる事でクライストは銃弾の節約を図っていた。
「わたしはあと一週間くらいでしょうか……そうしたら、後は帰りの分しか残りません」
ミネアも、出来る限り矢を回収し、矢が壊れても鏃だけ付け替える事で最大限持たせてきた。
「わいは一週間……弱やな」
ついでに一番短い日数を返したのはマージンだった。とは言え、マージンの消耗の早さは見積もりが甘かったと言うより、マージンにそれだけ負担が回っていたからなので、文句は出なかった。――そろそろ、一度街に帰りたいと全員が思っていた事もある。
彼ら全員の答えを聞いたグランスは、すぐに、
「なら、あと二日くらいにしておくか。帰りにも余裕が必要だろう」
と答えを出した。
その翌日の夜。
その日もここ最近と何も変わらず、エネミーとの接触は避けながらも、ひたすら歩きまわっていた。無論、何も変わらなかったのだから、目的の物も見つけられてはいない。
とは言え、当初は倦怠感が漂っていた毎晩のキャンプも、3週間も続くといろいろ慣れてしまっていて、いつもの日常と化しているはずだった……が、
「明後日はいよいよ一度戻るんだなー」
クライストが微妙にだれている。だれているのに、微妙にそわそわと落ち着きがない、器用な状態になっていた。
「まだ気は抜くな。この間とか、やばかっただろう」
グランスは数日前にキャンプが襲われたときのことを挙げて釘を刺しながら、周りに明かりが漏れないよう、石で囲った小さな焚き火に枯れ枝を放り込む。
低木もまばらなこの辺りでは、ちょっとした明かりでも遠くから見えてしまう。注意が欠かせなかった。
「まー……随分戦い慣れた気がするけどね」
レックは夕方に狩ってきたウサギっぽい何か――その愛らしい外見に女性陣からは非難囂々であった――を焼いた肉を囓りながらそう言った。
「確かにな。だが、それでも油断大敵だ。ここの連中の一撃は当たり所が悪ければ致命傷にもなり得るんだからな」
「旦那は平気そうやけどな」
そう余計なツッコミを入れたマージンに、無言で鉄拳を落とし、グランスは新しく焼けた肉をディアナに渡す。
渋々受け取る振りをしたディアナは、それでもお腹が空いていたのか、すぐにそれにかぶりつき、
「流石に、グランスとて一撃を貰ったらやばいじゃろう」
と言った。その隣ではミネアが、たちの悪い冗談を言うなと言わんばかりにマージンを睨み付けている。
「でも、おかげで前よりすっかり回避とか受け流しが上手くなった気がするね」
グランスに押し付けられたウサギの肉と睨めっこをしながら、リリー。
実際、いくら身体強化をしているとはいえ、生身の肉体の強度がそう上がるものでもない。身体強化を過信していた当初にレックやマージンが大怪我をして、そのことに気づいたレック達は前より相手の攻撃をまともに受けないで済むように、丁寧に戦うようになっていた。
「受け止めるだけの力があっても、武器が壊れたら意味がないからね」
リリーの言葉を受けて、レックがそう返す。
レックやマージンの大剣は確かに頑丈ではあるのだが、グランスの戦斧ならいざ知らず、あまり負担をかけすぎると刃が欠けたり、折れ曲がったり、最悪ぽっきり折れるんじゃないかとマージンは心配していた。そして、そうなったら修理なんて出来ないからと、マージンは仲間達に正面から敵の攻撃を受け止めないように、口を酸っぱくして繰り返していたのであった。
さて、そんな感じで続いていた会話の話題は、食事を終えた頃にはレック達が探している物の事へと移っていった。
「結局、目的の物がどんな外見なのか、全く分からないのは問題だと思うわけだよ」
クライストの言葉にうんうんと頷く仲間達。
「人が住めるような建物ではあるのじゃろうがのう」
「意外に洞窟みたいなところに住んでたりして……」
ディアナの言葉にリリーがそう突っ込むと、
「洞窟に住んでるとか……どこの魔獣やねん」
曲がりなりにも魔法について本を書いた人物は魔法使いに違いなく、魔法使いは古ぼけた小屋か怪しげな塔に住んでいるものだと、マージンが力説する。
「先入観塗れじゃのう……」
呆れたようなディアナの言葉に、女性陣が頷くが、
「一応、中世風ファンタジーのイメージなら、的外れでもないだろう」
とグランスがマージンを擁護したために、あっさり一人離反者が出てしまった。
そんな様子を見ながらレックが口を開く。
「でも、大きな建物でも目印にしないと、とてもじゃないけどこの広い霊峰を、こんな少人数で調べ上げる事なんて出来ないよ」
「まー……あんな事を書いてあったくらいだしな。見つけるまで何年もかけさせるつもりとか……」
無いだろう、と続けようとしたクライストの言葉は途中で切れて、
「いや、こんな事するような連中だ。何考えててもおかしくねぇか」
そう言い直した。
正直、数十万人にも及ぶプレイヤーを仮想現実に閉じ込めた会社の事である。その社員を含め、何を考えているかなど理解できそうな気はしなかった。
そのせいで、微妙にしんみりしそうになった場に、マージンが爆弾を放り込む。
「というか、運営サイドの人間なら、こうして探しとるわいらをしっかり観察しとったりしてなー」
「「「……………………」」」
「…………ありそうだな、それ」
絶句する仲間達の中で、クライストがかろうじて口を開いた。
「なら、文句を言えば何とかなったりする?」
「リリー、それは短絡思考というものじゃ」
ディアナが首を振りながらそう告げ、
「ディアナの言うとおりだな。観察できていたなら、助けを求めるプレイヤーや、ここで死んでいったプレイヤーに何らかの手が差しのべられていたはずだ。そんな話がない以上、楽観することはしないほうがいい」
グランスもディアナを支持した。
「観察されてようがされてまいが、やる事に変わりはない」
そうグランスが締め括った。
「そうだね。でも、思ったんだけどさ。探すのに何年もかけるべきかどうかは、考えてみてもいいんじゃないかな?」
グランスの言葉から一息置いて、レックはそう提案した。
「確かにのう……見つかるかどうかも分からぬ探索を何年も続ける価値があるかどうか……今後も続けるかどうかは考えた方がよいかもしれん」
「そりゃそうだな。見つからなかったらいつまでもここで足踏みだ。期限はきっといた方がいいだろうぜ」
レックの言葉に、ディアナとクライストが賛意を示す。
「ふむ。それもそうだな。だが、それについては街に戻ってからにしないか?ゆっくり話し合うような場所じゃないだろう、ここは」
そのグランスの言葉には、仲間達も同意せざるを得なかった。
「では、その話題はここで打ち切ろう」
グランスの言葉と共に焚き火を囲むレック達の話題はまた別の物へと変わっていく。
やがて見張りのリリーを一人残して、仲間達は眠りについた。
治癒魔法だけではなく身体強化魔法も使えるようにならなかったリリーは、未だに仲間達に対して役に立てていないという思いが残っていた。その為、こうして見張りに立つ事が多かった。
毛布にくるまって眠る仲間達を見ながら、もうすっかり慣れた夜の闇の孤独に包まれ、リリーは周囲に注意を払い続ける。
仲間達が寝静まってしまえば、森から離れた今の場所では、大きな音などもはや何も聞こえてこない。
勿論、時折遠くから鳥や獣の鳴き声が聞こえてきたりする他は、そう何かがあるわけでもない。たまに風に吹かれた低木の葉擦れの音が聞こえてきたり、微妙なバランスを保っていた石がどこかで転げ落ちる音も聞こえてくるが、それだけと言えばそれだけだった。
暗い宵闇の中を、一つの影が歩いて行く。
森から離れ、低木がまばらに生えているだけの山肌をその人影は音もなく歩いて行く。
やがて目的の物を見つけた人影は、歩みを止める。
そして、しばし思案した後、足下にあった一本の枝を踏み折った。
静かな一人の時間の中、リリーはいろいろな事を考えるのが日課になりつつあった。
ジ・アナザーの事。『魔王降臨』の事。魔法の事や、今探している人物の事。たまにはリアルの事も含まれていたが、あまり考えなくなっている事にリリーは気づいていない。代わりに、仲間達と過ごした日々や、明日からの事をよく考えるようになっていた。中でも特に……
そこでリリーは考えを止め、一気に警戒レベルを跳ね上げた。
(今の音、枯れ枝が折れる音だったけど……踏んで折られたような音だった)
微かに聞こえてきたパキンという音について、瞬時にそう判断する。それはつまり、何者かが近くを歩いているという事だった。
(プレイヤーが歩いてる可能性はほとんどないから……)
消去法でいくと、良くてエネミーに該当しない野生|(?)動物。悪くてエネミーそのものになってしまう。
(みんなを起こさなきゃ……)
ゆっくりと仲間達の方を振り返ろうとしたリリーはそこで動きを止めてしまった。
「っ!!?」
消えてしまっていた焚き火を挟んだ反対側にいつの間にか立っていた黒い人影に、声にならない叫びを上げ、腰に下げていた短剣を瞬時に抜き放つ。
そして誰何の声を上げようとしたところで、先にその人影が声を発した。
「そんなに警戒する必要はない。私を探しに来たのだろう?」
その静かな男の声の言葉が意味するところを、警戒していたリリーはすぐには掴み損ね、ワンテンポ遅れて理解し、
「……まさかっ!!」
仲間達が目を覚ましてしまうような大声で叫んだ。
そんなリリーの様子に、その人影は笑ったかのように身体を揺らすと、
「君たちはあの魔術書を読んだのだろう?そう、私があれを書いた魔術師だ」
リリーの大声に何事かと目を覚ましたばかりの仲間達が、状況を良く理解できずにぼんやりしている中、その男はそう告げた。