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ジ・アナザー  作者: sularis
第四章 霊峰へ
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第四章 閑話 ~キングダムでのレインの休暇?~

 大陸会議直属軍キングダム支部の司令官執務室という大仰な名前の割には些か貧相な部屋で、ホエールは昔ながらの友人と顔を合わせていた。

「君がこっちに来るなんて、珍しいよね。というか、『魔王降臨』の後だと初めてなんじゃないかな?」

 ソファに腰掛けたホエールの正面には、金髪青眼の優男がホエールと同じようにソファに腰掛けていた。ただ、くつろいではいてもその眼差しは鋭い。大陸会議副議長にて軍の総司令官。元は銀竜騎団団長でもあるレインだった。

「まあ、忙しかったからな。こっちに来る余裕がなかったのさ」

 レインはそう言いながら、ソファに挟まれたテーブルの上に用意されていた紅茶を一口口に含む。

「もっとも、今回も公用なわけだがな」

「ああ、会議の本拠地をこっちに移す下見かな?」

「そうなるな。とは言え、その話は本決まりでもないし、本当なら俺が来る予定ではなかったんだが……こうも状況が大きく変わってしまってはな」


 レインが言ったのは、一月と少し前にキングダムであった一連の騒動とそれに続く勢力図の激変の事である。

 ダイナマイツサンダーとの正面衝突とそれに続く魔獣の襲撃――魔物が確認されなかったため、そう呼ばれていた――で、キングダムの勢力図は大きく変わってしまった。

 2、3番街区を支配していたダイナマイツサンダーが壊滅したことは分かっていたが、7、8番街区を支配していた夜露死苦連合もいつの間にか崩壊してしまっていた。一方で、9、10番街区を支配しているエドバドからは大陸会議と友好関係を結ぶ、ないしは区長として認めてもらえるなら支配下に入っても良いとの話が持ちかけられている。

 大陸会議の副議長の座にあるレインがわざわざやってきたのは、このエドバドとの交渉のためというのが大きい。無論、今までキングダムにおける大陸会議の最高責任者であったホエールから、限界を訴えられていた事も決して小さくはなかったが。


「まぁ……いろいろあったからねぇ」

「その割には、おまえ、思っていたよりも元気そうだがな」

「いやー。一度は死にかけたんだよ?」

 そう言って疲れている様子など全く見せないまま、ケラケラと笑うホエールに、

「……笑って言うような事ではないと思うがな。まあ、おまえが死ななくて良かった。蒼い月と言ったか?彼らには感謝の言葉もないな」

 レインは心の底からそう思っていた。


 素人の集まりだろうが何だろうが、軍と呼ばれる組織を率いているレインは、既に何十人、何百人というプレイヤーの死を見てきていた。その中には、銀竜騎団でそれなりに親しくしていたプレイヤーも含まれている。

 軍などというもののトップに立つ事を了承したからには、プレイヤーの死を受け止める覚悟をしてはいたものの、それでも親しい友人の死は堪えるものだった。だからこそ、銀竜騎団の創設メンバーの一人でもあるホエールが死にかけたという話に、レインは心底肝を冷やしたのだった。


「そうだね。僕個人としてもまだまだ感謝はし足りないからね。出来れば、何かあった時には彼らに便宜を図ってあげてもらえると嬉しいかな」

「そうだな。問題が起きない範囲であれば、心がけておこう」

 そう答えると、レインは一気に紅茶を飲み干し、用件を切り出す事にした。久しぶりに友人と直接会えて雑談に興じてしまったが、遊びに来たわけではないのである。

「さて、ここからしばらくは真面目な話だ。幾つか訊きたい事はあるが……」

 そこで一度言葉を切り、優先順位を確認する。個人的に興味があっても、軍の部下に任せておけばいい仕事も沢山あるのである。

「まずは、エドバドだな。交渉の場所や日時は決まったのか?」


 クランチャットであるいは連絡を受けていたかも知れないが、軍の中核を担う銀竜騎団のそれは膨大な情報が流れ続けている。情報交換を優先するために雑談を禁止して尚、担当者を置かねばクランチャットの情報を見逃す事が多いほどである。

 まさか軍の総司令官たるレインが日がな一日クランチャットとにらめっこをするわけにも行かず、普段は側にチャット監視担当者を置いているのだが、キングダムへ来るにあたってラスベガスの担当者は置いてこざるを得なかった。

 結果、ここ数日はクランチャットで情報が流れていても、レインはその大半を見逃しているはずだった。


 そんなレインの事情は察していたのか、ホエールはすぐに答える。

「場所はこちらが統治している街区でいいってさ。だから、ここでやることになったよ。日付は明後日に設定しておいたよ」

「随分と聞き分けがいいな……ほんとにチンピラの集まりなのか?」

 レインが首をかしげると、

「エドバドは他の集団とは毛色が違うみたいだね。確かに構成員の大半はチンピラみたいなものだけど、グロッサリアを始めとする幹部達は違うみたいだね。支配と統治の違いが分かってるみたいだよ」

 笑いながらホエールはそう答えた。

「なるほどな……。略奪してばかりでは、支配対象がすぐになくなってしまうからな。ちゃんと面倒も見ているという事か」

「それだけに、今回の申し出に裏があるんじゃないかって思ってる部下もいるんだけどね。レインはどう思う?」

「俺に訊かれてもな。エドバドについてはおまえの方が詳しいだろうが」

 レインが苦虫を噛み潰したような顔になる。

「そうだけどね……ちょっとレインの意見も訊いてみたかったんだよ。まあ、いいか」

 ホエールは特に残念そうな様子も見せずに紅茶を一口飲むと、

「僕個人の意見としては、大きな裏はないと思う。キングダム大陸にいるプレイヤーの半分以上をまとめている大陸会議に睨まれれば、いつかは潰される。だから、そうなる前に敵対関係を解消して、今の地位を守ろうとしてるんだろうね」

 その言葉に、レインは微妙な引っかかりを覚えた。

「大きな裏はないって事は、小さな裏はあるって事か?」

「あるかもしれない、だね。エドバドの支配街区の様子を聞く限り、彼らは決して馬鹿じゃない。それに統治というのは意外に手間がかかるものだけど、それを辛抱強くやってもいる。伊達や酔狂でやってるわけじゃないということだよね。多分、権力を持つ事に興味があるのか、執着してるのか……。それなら、より上の権力を目指していてもおかしくないと思わないかい?」

 何やら小難しい話になって、レインはイヤそうな顔になったが、大陸会議で揉まれた経験もあり理解だけは出来た。つまり、

「交渉の席におまえも同席させるが、おまえに任せれば楽が出来そうだな」

 ということである。

「え?レインがやるんじゃないの?」

「いや、俺の仕事は方針を決めて、その責任を負う事だけだ。実際に動くのは部下の仕事だ」

 その言葉にホエールの口があんぐりと開くのを、レインは面白そうに見ていた。

 しばらくして立ち直ったホエールの抗議を全て流して諦めさせたレインは、7、8番街区の接収作業や兵士の配備状況、キングダムの経済状況――ピーコに多少は勉強しろとうるさく言われていた――などについて、恨めしそうに睨んでくるホエールから説明を受け、片っ端から了承していく。どうせ細かいところは聞いても分からないのと、銀竜騎団の友人達の事は信用しているので、問題ないと思っている。実際、問題が起きた事は今まで無かった。

 それら、優先順位の高い報告や話を終えた後、ホエールが一枚の紙切れをテーブルの上に置いた。

「後はこれの報告をしておかないとね……正直、どう扱っていいか困ってるんだよ」

「おまえがか?」

 困り果てたホエールの様子に、珍しい事もあるものだとその紙を手に取ったレインだったが、そこに書かれていた内容に目を通し終わるまでもなく、レイン自身の表情も険しさと困惑の両方を浮かべるという器用な状態になっていた。

 その紙に書かれていたのは、公立図書館の地下書庫の件である。無論、レック達が見つけたあの本の事も書かれている。

「これは……本当なのか?」

 紙に書かれていたのは、公立図書館に地下区画があり、そこに大量の蔵書が隠されていた事、そこにあったジ・アナザーの魔法について書かれた本の著者がキングダム大陸の霊峰に隠れ住んでいる事、しかし彼を見つけるためには人づてに彼の事やその本の事を聞いたプレイヤーでは駄目な事である。

「僕もこの目で確認したから間違いないよ。ただ、本の持ち出しはゴーレムに止められて出来なかった」

「まあ……持ち出しできたら、無くなりそうだしな」

 レインは持ち出せなかった事については、特に疑問を持たなかった。むしろ、その本の重要性が強調されている気がしたほどである。

「問題は、この本の著者の正体だな。それと、人づてに聞いたプレイヤーでは探せないという事か……。いたずらなら笑い飛ばせるところだが……」

「それを言うなら、『魔王降臨』そのものがたちの悪い悪戯だよ。それに、どっちにしても僕達にこれを疑うという選択肢はない。違うかい?」

 そのホエールの言葉にレインは頷かざるを得なかった。

「仕様が一切公開されなかった魔法について詳しく知っているという事は、イデア社かそこにかなり近い人間ということだからな。是非とも接触して、情報を得たいところだ」

「僕も同じ結論だよ。ただ、彼を見つけるための条件が問題なんだ。書いてある事が本当なら、人づてにこの話を聞いてしまった時点で、彼を捜す資格を失ってしまう。一般プレイヤーにそんな条件を設定する真似は出来ないだろうけど、イデア社に近い人間なら出来てもおかしくないよね」

「ああ……つまり、この事を知っている者の大半はアウトだな。最初に見つけて報告してきた者しか使えないという事か……同行させるのはどうなんだろうな?」

「大規模集団での同行は無理だろうね。それを許したら、この条件が意味を無くしてしまうよ。少人数でも自信はないな」

「となると、自力で見つけてくれるプレイヤーを増やして、彼らでパーティを組んで貰うしかないわけだが……」

「積極的に、図書館の事を周知するわけにも行かないんだよね」

 ホエールの言葉の意味するところを察し、レインは唸るしかなかった。そして、ホエールが何故自分に話を伝えたのかも何となく察していた。

 そんなレインに対し、ホエールはすぐに自分の考えを説明し始める。

「兎に角、噂の形でこの話が広まると、探しに行けるプレイヤーが激減してしまうよ。だから、厳しい情報統制を敷かなくちゃいけない。しかも、理由を説明しなくてもみんなが従ってくれないと困る。隠してる理由を知ってしまった時点で、そのプレイヤーはアウトだからね。可能なら、図書館に出入りするプレイヤーも増やしたいんだけど……」

「何というか、全部ピーコに任せてしまった方が良いだろうな。俺達の手には余りそうだ」

 レインは早々に考える事を放棄してしまった。どっちにしても、自分は頭を使うより最後は体力勝負の方が得意だという事をよく理解しているレインである。

「うん、それで頼むよ。必要なら説明は僕からするから」



 その翌朝。エドバドとの交渉を明日に控え、この日一日、レインはキングダム各所の視察という名の休暇を取っていた。

 大陸会議のメンバー、それも副議長にして軍の総司令官という立場は多忙極まりない。レインとしては、他にもやるべき事が山積しており休んでなどいられないと言ったのだが、ホエールに無理矢理休みを押し付けられた。見張りとして私服の女性士官を二人貼り付けられるほどの念の入れようである。

 やむを得ず休暇を取る事に同意はしたものの、せめて各所の視察くらいはということで、女性二人を侍らせてのキングダム周遊となった。そう女好きでもないレインとしては、あまり気乗りしなかったものの、「じゃあ、男を二人左右に侍らせるかい?」と言われては受け入れざるを得なかった。もっとも、「両手に花だね、羨ましいよ」などとほざいたホエールは一発殴っておいたが。


「今日はどうしますか?」

 中央通りを歩きながら、そう訊いてきたのはレインの右側を陣取っているセリア大尉。水色のショートカットの――外見は――少女である。

「まずは図書館だな。件の本とやらを見てみたい」

 今日同行する二人は、例の話も知っているという事なので、レインは気軽にそう答えた。もっとも、周囲の人間にうっかり聞かれないように、後半は声を抑えたが。

「分かりました」

 セリアは無愛想にそう答えると、あっさり口をつぐんでしまう。いわゆる、無表情無感情キャラというヤツだろうか。

(すぐに会話が切れてしまって、大変そうだな)

 女好きとまでは行かなくても、レインも健全な男である。やはり、美少女――最近は、中身があまり気にならなくなってきていた――相手に会話が切れたままというのは、些か以上に居心地が悪そうだった。

 もっとも、今日は居心地が悪くなる心配はないかも知れない。何故なら、

「レインさんって、本も読まれるんですか!?」

 左側からそう言って、きらきらとした視線を飛ばしてくるエリカ中尉がいるからだ。ダークブラウンの髪を後ろでまとめ、ボリュームたっぷりのポニーテイルを実現している元気そうな女の子である。

 ――ちなみに、ジ・アナザーでわざわざ年を食ったアバターを使うプレイヤーはほとんどいなかったため、ほとんどのプレイヤーの外見は15~25歳である。念のため。

「いや、あまり読まない方だが……流石に例の本には興味を持たざるを得ないだろう」

「そうですよね!やっぱり、本を読むより身体動かしてた方が楽しいですよね!!」

 エリカの答えに微妙に違和感を覚えるレイン。

(いや待て。例の本の事はスルーなのか?)

 機嫌が悪いとまではいかないものの、無表情の鉄面皮を通すつもりらしいセリアも問題だが、どうやらエリカも微妙に爆弾のような気がしてくるレイン。

「私が軍に入ったのって、身体を思いっきり動かせるからなんですよ!冒険者も良かったんですけどね。あっちは福祉みたいなものありませんし」

 元気よくしゃべり続けるエリカ。

(福祉って何だ、福祉って!)

 そう心の中でツッコミを入れるも、相槌を打つ以外にレインには何も出来ない。

 まだ、合流して間もないが、今日一日このペースで話し続けられると、流石に堪えるかも知れない。とは言え、どうする事も出来ず、

(まあ、無言のまま歩き回るよりはマシか)

 そう考えて諦めようとした時、

「エリカ。少し黙りなさい」

 一瞬、誰が言ったのか分からないほどに低い声がしたかと思うと、命じられた当のエリカの口が一瞬でハマグリよりも堅く閉じられた。

 何事かとレインが戸惑っていると、

「申し訳ありません。エリカは少々おしゃべりが過ぎますので」

 目があったセリアがそう頭を下げてきた。

「エリカがレインさんの監……案内役を買って出たのはいいのですが、おしゃべりが過ぎるのではないかと心配されまして……」

「ああ……なるほど」

 さっきまでのエリカの様子を思い出しながら、頷くレイン。そのエリカの様子はと見てみると、ガクガクブルブルと震えている。

 その様子に思う事があり、レインは訊いてみる事にした。

「ひょっとして、俺の案内役は本当はエリカだけだったのか?」

「はい」

 二人の階級とさっきの事を考えると、もう、結論は1つしかない。

(セリアはエリカのお目付役、か)

 それも鬼上司の類だろうとレインは見当を付ける。

 どうやら、今日の視察は心休まるものとはなりそうにもなかった。



 レイン達が2番街区の公立図書館に着いたのは、午前10時頃だった。

 公的な施設であり、今となっては重要施設でもあるため、形だけでも置かれている――ゴーレムがいればプレイヤーの警備兵に意味はない――警備兵達にねぎらいの言葉をかけ、レイン達は図書館へと入った。

「思っていたより人がいないな」

 入り口近くの読書スペースまでやってきたレインの視界に入ったのは、テーブルについて本を読んでいるプレイヤーの姿だった。ただ、その数は5人にも満たない。

「他にも読書スペースはあります。実用書や小説・漫画のエリアの読書スペースにはもっと人が集まっています」

 小声でそう解説してくれたのはセリアだった。

 エリカはと言うと……堅く口を閉ざし、さらにその上から両手で押さえ込むという念の入れようである。

(何があったんだ……)

 レインはあまりの様子にそう思ったものの、世の中には聞かない方がいい事というものもある。

「他のところも一通り回ってみようか」

 読書しているプレイヤー達の邪魔をしないように、小声で二人にそう告げ、レインは別のコーナーへと足を運んだ。


 次に来たのは実用書エリアの読書スペースだった。

「ここにいるのはやはり、生産者が多いのか?」

 やはり思ったより人数は少なかったが、さっきの読書スペースと違って、テーブルの上に何冊もの本を積み上げている利用者が多いので、レインはひそひそとセリアにそう訊いてみた。

「多分そうだと。いちいち訊いてみれば分かるはずですが、邪魔ですよね」

 やはりひそひそ声でそう答えるセリア。

 エリカは……相変わらずである。


「ここは……人が多いな……」

 図書館の中だからこそざわついてはいないものの、驚くほどに人が多かったのが小説エリアの読書コーナーである。とは言え、混雑していると言うほどではなくせいぜい20人もいない。

「娯楽に飢えていたのでしょう。やっと安全にここに来れるようになって、今まで来れなかった分、殺到してきているのだと思います。魔獣襲撃の後始末も終わりましたし」

「……貸し出しはしてるのか?」

「いえ。持ち出ししようとすると、ゴーレムに退館を止められます」

 本を借りられるものなら何冊か借りていって、今夜読んでみたかったレインだったが、無理と聞いて少し残念だった。

「エリア間なら基本的に持ち運び自由ですので、空いている読書コーナーで読む事は出来ます」

 まあ、宿に借りて帰れないならあまり意味はない。

 ちなみに、漫画コーナーは文字通り大盛況だったが、本の奪い合いでもしていたのか、自動人形(オートマタ)に首根っこを掴まれ、引きずられているプレイヤーが何人かいた。


 そしてレイン達が最後にやってきたのが、例の地下区画である。

 元々小説や漫画のように人が集まりやすいエリアから離れた、人目に付きづらい場所に入り口があるためか、誰もいなかった。それとなく入り口付近で見張りについている私服の兵士に訊いても、ほとんど誰も来ないらしい。

「いいのか悪いのか分からないな」

 薄暗い階段を下り、部屋の入り口に立ったレインがそうぼやいたが、横に付いてきているセリアもエリカも何も言わなかった。

「あっちには行けないのか?」

 部屋に入る前に、ふと左手に延びる廊下が気になったレインが訊くと、

「ゴーレムに阻まれます」

 と短いセリアの答え。つまり、無理らしい。

「そうか」

 レインも短く答えると、古ぼけた扉をゆっくりと開いた。

「書庫という割には……本がないな」

 入ってみて最初の感想がそれである。

「ええ。ここには十数冊しかありません。しかも、ルーン文字で書かれていて読めない本が大半です」

「ルーン文字で?」

 驚いたレインの言葉に、セリアは頷きで返した。

 ジ・アナザーは世界中の人間がプレイヤーとしてログインしていたのだから、別に日本語以外で書かれた本があるだけなら驚くには値しない。しかし、読み書きできる人間がいるかどうかも怪しい文字となると、流石に驚きを隠せなかった。

 試しに何冊かページを捲ってみると、確かにそれっぽい文字が延々と並んでいる。たまに魔方陣っぽい図形が書かれたりしているが……

「これ、解読できるのか?」

「興味はありますが、やってみない事には何とも」

 一冊の本を手にとったセリアの言葉に、ピーコに人を派遣して貰うかとレインは頭の片隅で考えていた。軍という戦闘集団に相応しい仕事でもないわけだし。

「それよりも、これが例の本です。問題の文章は後書きに書かれています」

「そうか」

 セリアが差し出してきた本を受け取り、レインは早速ページを開く。

 確かにこの本だけは日本語で書かれていた。どうも魔法について延々と書かれているらしく、そちらも興味深いところだが、レインはさっさと本の後ろの方までページを捲っていった。

「ここが後書きか」

 内容に目を通すと、ホエールから聞かされたとおりの事が確かに書かれている。

「……もう俺達は、この霊峰の隠者に会う事は出来ないだろうな」

「霊峰の……隠者?」

 ため息混じりにはき出されたレインの言葉に、セリアが首をかしげた。

「いや、この人物の事を何と呼んでいるか知らなかったから、そう言っただけだ。気にしなくていい」

「そうですか……でも、隠者という言葉はいいですね」

 セリアは無表情ながらも気に入ったらしい。ちなみに、セリアの視線から無言の圧力でも受けたのか、エリカも首をぶんぶんと縦に振っていた。

「こちらの世界で隠れるようにしているイデア社の関係者は他にもいるかも知れません。ちょっとした隠語にもなってますし、公式の用語としてホエール中将に提案してみます」

 そのことについては、特に異論もないのでレインは軽く頷くと、別の考えを口にする。

「ここの本を写すことはできるのか?読みたい人間にいちいちここまで来させるのも大変だと思うんだが」

 その言葉にはセリアも少し考え込む様子を見せる。が、

「やってみないと分かりません。本そのものはこの部屋からすら持ち出せませんが」

「そうか。早めにやってみてくれ。『ふたこぶらくだ』にいろいろ頼むにしても、写した分を持ち出せると随分楽になるだろうからな」

 レインのその言葉に、セリアは分かりましたと頷いた。



 図書館を出たレイン達が次に向かった目的地は、地下通路であった。無論、ここは少し中を歩いてみるだけで、探検する気はさらさら無い。

「こんな建物の地下室に出入り口があるなんてな。何故、今まで気づかれなかったんだ?」

 正午少し前に入り口についたレインはそう驚いた。

「今でこそこのように出入りできますが、『魔王降臨』以前は出入りできなかったんです」

 初めて聞くその話に、自分が受けていた報告はかなり抜けてるところがあるんじゃないかとレインは思った。

 そのレインの考えは正解だったりする。軍のトップであるレインのところには膨大な情報が集まる。当然レインの負担も多いわけで……その負担を減らすために、レインのところに回される情報は意図的に細部が省かれたり、下の方の判断だけで処理できる案件についてはそもそも報告が上げられない事すらままあった。

「地下通路の探索はまだ始まっていないんだな?」

「ええ。まだ準備中ですね……エリカ、そろそろ手を口から離してもいいですよ」

 セリアのそんな許可が下りて、エリカはやっと口から手を離した。途中、手が疲れたのか数分おきに右手と左手を入れ替えながら口を押さえていたのは、余談である。

「大尉、ここの探索って軍も参加するんですか?」

 手を離して早々、目をきらきら光らせながらセリアにそう訊くエリカ。

 途端に無表情ながらもさらに冷たくなった視線でセリアはエリカを睨み付ける。

「エリカ。支部の集会では何度もそのことについて説明しているはずですが?」

 その視線に耐えきれず、ブルブルと震えながらエリカはレインの後ろに隠れてしまった。

 もっとも、レインの前でそれ以上キングダム駐留部隊の恥を見せる事もないと考えたのか、セリアは隠れたエリカを追い詰める真似はしなかった。

 建物の地下室に入ると、ここにも見張りの兵士が置かれていた。彼らはレインを見て一瞬警戒の色を浮かべたが、セリアとエリカを確認するとすぐに緊張を解いた。

 彼らに軽く挨拶をして、代わりにランタンを受け取って薄暗い地下に入ると、

「申し訳ありません。総司令官の顔を知らない兵士もいるのです」

 開口一番にセリアがそうレインに謝ってきた。

「構わないさ。写真も何もないんだ。会った事のない人間の顔なんて知らない方が普通だろう」

 むしろレインとしては別に気になる事があったので、そちらを訊いてみる。

「あの兵士達、君たちを見て笑いかけていたようだが、親しいのか?」

 その問いかけには、今までレインの言葉には無表情ながらも丁寧に応じていたセリアはすぐには答えなかった。暗すぎてよく分からないが、動きが微妙にぎこちなくなっている……そんな感じはある。

 代わりにレインに答えたのは、

「私たち、有名人ですから!」

 エリカだった。

「有名人?」

 レインが首を傾げていると、

「エリカ、ちょっと待ちなさい……!」

 慌てたようにセリアが止めに入る。もっとも時既に遅しで、

「セリア大尉と毎日鬼ごっこしてるから、有名なんですよ!」

「…………」

 どうやら、知らなくていい事だったらしい。

 レインは我知らず眉間に皺を寄せ、今聞いた事を記憶から削除する事に決めた。周りから見ている分には楽しいかも知れないが、責任者になるかも知れない立場としては、知らない方がいいに違いない。

 ちなみに、地下通路の視察はセリアがエリカに教育的指導をたっぷり施した後、すぐに終わった。

 警備兵から借りてきたランタン程度では地下はあまりに暗く、相当歩き回らなければ視察にならないが、そこまでの時間もとれないから逆にすぐに終わらせたのである。

「主要通路には明かりを置く計画も一応あります」

 セリアのその話は、レインも小耳には挟んでいた。



 地下通路を出たレイン達は、そのまま5番街区へと戻った。流石に昼を過ぎてお腹が空いてきたのだが、昼食の用意はしていなかった。ので、店で食べようとしても2、3番街区にまともな店はなかった。ダイナマイツサンダーのせいである。

 そしてセリアとエリカのオススメで入った店がピザリアンという店だった。その名の通り、ピザメインのイタリアンレストランである。

「旨かったな」

 ぺろりとミックスピザ一枚を平らげたレインは満足そうにそう言った。

「なんだかんだ言っても、この街は大陸最大の農地を抱えてますから食材は豊富です」

 そう答えたのは、レインの正面に座り、エリカと二人で一枚のピザを食べたセリアである。

 ちなみに、半分ずつに分けたのは食べられないからではない。むしろ、セリアとエリカにとって、この店のピザなら2枚くらいは軽く入る。

 二人で分けた最大の理由は……太るから、だった。


 女性にとっては恐ろしい事に、『魔王降臨』以降の変化の一つとして、仮想現実であるこの世界でも肥満が再現されるようになっていた。食べた量に見合うだけの運動をしなければ、太ってしまうのである。

 『魔王降臨』直後はストレス解消のためにケーキなどをやけ食いする女性プレイヤーが目立った。無論、そんな事がいつまでも続くわけもなく、大半のプレイヤーの食生活は1~2ヶ月ほどで元に戻ったのだが……戻らなかったプレイヤーもいるし、仮想現実では肥満の心配はないからと元々甘い物を欲望の赴くままに食べまくっていたプレイヤーもいた。

 そんな彼女たち――一部、彼たち――が異常に気づいたのは『魔王降臨』から四ヶ月ほどの事だった。それまでどれだけ食べようともスリムな体型を維持し続けていた彼女たちは、ある日友人達から指摘されたのだった。

「太ったんじゃない?」と。

 その後の彼女たちの混乱と嘆き様は言うまでもあるまい。

 無論、このことは他の女性達にとっても人ごとではなく、直ちに全商業系クランの情報網を通じて大陸中に伝達され、実際に弛みつつあった女性プレイヤー達の体型の自発的な引き締めが各地で行われた。

 なお余談ではあるが、女性達の食事量が激減した事で大陸全体の食糧事情にかなりの余裕が出来たりもした。


「農地と言っても、周辺の農地全てを大陸会議で管理できている訳じゃないだろう?」

 レインの言葉にセリアは頷くと、

「エドバドやクラッカーズもかなりの広さの農地を確保しています。合わせると大陸会議が確保している分に匹敵する面積でしょうか」

「……よく小競り合いが起きないな」

「エドバドは元々大陸会議と事を構えるつもりはなかったようですから。クラッカーズも下手に争えば農地が荒れるとエドバドから諭されていましたから」

 流石に、食料確保の重要さはどこでも一緒らしい。下手に暴れて食料生産が止まると、争いで勝っても意味がないのだ。

 小競り合いすら起きていない事は知っていたが、その理由までは聞かされていなかったレインは、その説明で十分納得できた。

「まあ、プレイヤー間での争いが少ないのはいい事だな」

 レインが呟くと、セリアもエリカも頷いた。

 その後、いつまでも店のテーブルを占領しているわけにもいかず、レイン達はキングダムの街へと繰り出した。あちこちの店を覗きながら、しかし武器や防具の品揃えには不満たらたらである。

 レインがその不満を試しに漏らしてみると、

「キングダム周辺には雑魚しかいませんでしたからね」

 何を分かりきった事をと言わんばかりに、セリアは冷たく答えた。

 一方で、それ以外の商品はラスベガスよりも充実していた。

「単に暮らすだけなら、この街が一番良さそうだな」

 ラスベガスでは手に入らず諦めていた小物を見つけ、ほくほく顔でレインがそう言うと、

「当然ですね」

 と短くセリアが答えた。その顔は何となく嬉しそうで、

「セリア大尉はキングダムが好きなんですよ。何年もプレイしているのに、離れた事無いって言うんです」

 エリカがレインに、その理由をこっそり耳打ちした。

 無論、めざとく見つけたセリアがエリカに制裁を加えようとし、しかしそれに感づいたエリカが逃げる方が一瞬早かった。

 大通りを逃げ回るエリカとそれを追い回すセリア。それでもレインから離れすぎないのは……ぎりぎり案内人の役目を覚えているのだろうか。

 追いかけっこをしている二人をどこか微笑ましい気持ちで見ていたレインは、どうやら二人とはぐれる事は無さそうだと、一人散策を再開したのだった。



 ちなみに、翌日のエドバドとの交渉はホエールの予想通り、すんなりまとまった。

 元々エドバドは一般プレイヤーに危害が及ぶような大きな問題を起こした事はない。そのため、9~11番街区のプレイヤー達もエドバドに反感を持っているわけでもない。となると、エドバドにはそのまま統治を続けて貰った方が混乱が少ない。

 と言うわけで、エドバドは事実上大陸会議の管轄下に置かれ、大陸会議傘下の一組織となることで話は決着した。いずれ、キングダム全体の統治組織を組み直すまではそのままである。

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