第四章 第三話 ~祭壇の祠~
橋の崩壊をかろうじて免れた翌日。
身体強化魔法の祭壇を目指して歩き続けていたレック達の周囲は、いつしか灌木と草しか見かけなくなっていた。後ろを振り返れば、彼方に森らしき緑は見えるが、うっすら漂う霧に隠され、はっきりとは視認できない。
そんな中、レックは昨日から気になっていた事を口に出した。
「さっぱり、他の人たちとすれ違わないね」
「言われてみればそうだな」
そう言ったクライストも、他の仲間達も頷いている。
一人グランスだけが、
「雨の前に出発した連中とは全部すれ違ったんだろうな。降り出した後は出発した連中もいなかったようだしな」
言われてみると、確かにそうである。
「……ちょっと、寂しいですね」
ミネアがぽつりと呟く。
「どうしてじゃ?」
「だって、霊峰から帰ってくるまで、当分人と会う事無いでしょうし……」
ディアナにミネアが返した言葉に、仲間達もそのことに思い当たった。
これから、最低でも一月。場合によると何ヶ月も仲間以外の人と会う事はなくなるのだ。そう考えると、少し心細い。
だが、
「ま、予定より二日早くそうなっちまっただけの事だ」
「やな。それに、一人っちゅうわけでもあらへんしな」
見かけだけかも知れないが、気楽そうなクライストとマージンの台詞で、重くなりかけた空気は霧散していった。
そんな感じで時折会話を交わしつつ、レック達は山道を進んでいく。
「鹿がいるな」
ぽつりと漏れたクライストの視線を仲間達が追うと、確かに鹿らしい動物の影が岩陰に隠れるのが見えた。
「アイテムボックスがもう少し空いていれば、狩るところなんだがな」
と言うグランスの言葉が意味するのは、今は鹿を狩っても食料として持って行く事は出来ないという事だった。
ちなみに、女性陣の感想は違ったようで、
「動物を見たら、即狩るとか……野蛮だね」
「うむ。あの毛皮を愛でるという発想はないのかのう」
リリーとディアナにチクチクといびられたグランスが、助けを求めて仲間達を見回すが、とばっちりを食らいたくない男性陣は全員目を逸らし、ミネアも、
「…………」
ほんの少しの間、グランスを目を合わせたかと思うと、目を逸らしてしまった。
ただ、流石に悪いとは思ったのか、孤立無援になってしまってどことなくしょぼくれた感じの漂うグランスの横に、ぴたりと張り付いてはいたが。
道は緩やかな上り坂が多いが、時々急な上り坂になったり、下り坂が続いたりもする。土が剥き出しの地面は、小石が大量に転がっていて、少々歩きづらかった。
そのせいでレック達が思っていたより疲れがたまりでもしたのか、その日は早めに休む事になった。
辺りから拾い集めてきた小枝などで作った小さなたき火を囲み、夕食を済ませるともうする事もない。日が落ちてしばらくすると辺りは宵闇に包まれ、月が出るまでの間、星明かりだけでは地面も満足に見えない。
普段なら見張りに一人残してさっさと寝るところだが、今夜のレック達はすぐには寝られそうもなかった。
その理由は簡単で、
「いよいよ明日だね」
「ああ。今度こそは俺も覚えられると嬉しいんだがな」
「大丈夫です。きっと覚えられます」
「あたしも、楽しみだよ!」
という寝袋に潜り込んだままの会話で分かるように、つまりは明日には着く予定の祭壇で、魔法を覚えるのが楽しみで興奮していたのである。
「……子供だな」
「じゃのう……」
こちらはこちらで、明らかに興奮しているレックやグランスを子供扱いしているが、端から見ていると本人達も興奮していて眠れないのは丸わかりであった。
ちなみに、今夜最初の見張り役のマージンは、少し離れたところから呆れ顔でその様子を見ていた。その頭の中では、
(こんな調子なら、わいは寝てしもうても、問題あらへんなぁ……寝てまおうか……?)
役目を放棄するかどうか、真剣に考えていた。
とはいえ、疲れが溜まっていたから早めに休む事にしたのは伊達ではなかった。
眠気に耐えながら、ぼーっとしていたマージンが気がつくと、いつの間にか仲間達は寝息を立てていた。
(あー、これやと、さすがに寝るわけにもいかんなー……)
自分で軽く頬を叩き、立ち上がる。座ったままだと、いつ眠気に負けてもおかしくなかったからだ。事実、マージンはいつ仲間達が睡魔に捕まったのか、気づいていなかった。
たき火は既に消え、周囲はさっきよりも暗くなっている。しかし、中途半端に明るい物がなくなった事で、周囲の様子を把握するには却って都合が良くなっていた。
とは言え、そうそうエネミーが襲ってくるわけでもない。
森の中ではフクロウだかなんだかの鳴き声や遠くからオオカミの遠吠えが聞こえてきたりもしていたが、森から離れたここではそんなものはほとんど聞こえない。
風も静かなので、周辺の灌木や草が風に靡くざわめきもほとんどなかった。
エネミーの脅威さえなければ、実に落ち着く状況だと言える。
そんな中、マージンの耳に微かな物音が聞こえた。
音がした方に首だけ振り向くと、仲間が一人、寝袋から這い出してきていた。
「……リリー?」
影の大きさと形からそう判断したマージンが声をかけると、きょろきょろと首を回していたその人影は、マージンの方へと歩いてきた。
「なんか、真っ暗だね」
おっかなびっくり歩いてきたリリーの第一声は、寝ている仲間達を気にしてか、小声だった。
「月が出とらんからな」
マージンがそう言うと、その横に並んだリリーは空を見上げ、
「ん。そうだね」
短く答える。
そして落ちる沈黙。
静寂が好きなマージンはどうでも良かったが、どうもリリーは落ち着かないらしい。なので、マージンは気になっていた事を聞いてみる事にした。
といっても、
「何か、わいに用か?」
というごく単純なものだったが。
だが、それでリリーは踏ん切りが付いたらしい。
「えっとね、昨日の事だけど……まだ、ちゃんとお礼言ってなかったかなって」
そう言われて、マージンが記憶を掘り返してみると、確かにリリーからお礼を言って貰った記憶はどこにもなかった。もっとも、
「ま、仲間やしな。持ちつ持たれつや」
という言葉通り、マージンは全く気にしてなかったのだが。
「ん。でも、それじゃあたしが納得できないから。……助けてくれてありがと」
「なら、どういたしまして」
あっさりとした返事がマージンから返ると、そこで再び言葉が途切れ、宵闇に相応しい静けさが辺りを支配する。
その静寂を破ったのは、今度はリリーだった。
「じゃ、お礼も言ったし、もう寝るね」
「ああ、おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
そう言って、自らの寝袋に戻ったリリーは、月明かりすらなかった事に感謝しながら、ゆっくりと瞼を下ろした。
翌日の午後。
この日も朝から山道を歩き続けた蒼い月一同は、いよいよ祭壇まであと少しと迫っていた。
昨日から相も変わらず、周辺は低木と草くらいしか生えていなかった。ただ、多くの冒険者に踏み固められた道には草一本生えていなかったが。
「予定通りに進んでいれば、あと1kmも無いはずだな」
曲がりくねった山道を進みながら、地図を確認したグランスが仲間達にそう告げる。
「やっとか……」
五日間歩き続けた距離は100kmを超える。その大半が山道だった事を考えれば、いくら旅慣れているとは言え、クライストの疲れがにじみ出すような声も納得できるというものだ。
「ここの祭壇は祠の中にあるという話じゃが……まだ見えんのかのう?」
「周囲を岩に囲まれているらしいからな。かなり近づかないと祠すら見えんだろうな」
ディアナの問いかけに、グランスはそう答えた。
「祠を囲んでる岩くらいは見えないかな?」
「ああ、それくらいならそろそろ見えるかも知れんな」
続いてのレックの言葉に、グランスはそう返す。
「にしても、暇やな。ここまでエネミーが狩り尽くされとるとは思わなんだわ」
両手を頭の後ろで組み、呑気にぼやくマージンに、
「そんな事を言うておると、余計なものに襲われるかも知れんのう?ゲームではフラグを立てるとか言うのじゃったか?」
どこからか仕入れてきた怪しげな知識を、ディアナが開陳する。
「今の場合やと、祠に何か住み着いとったりするんやな?」
「うむ。そうなるのう」
そうしてマージンとディアナが、ハッハッハと笑っているのを見たクライストとレックは、
「いや、それはあんま嬉しくないから。笑い事でもないから」
「本当にそうなったらどうするんだよ……」
とぼやきながら、ため息をつく。
「でも、少しは警戒しておいても、いいかもしれませんね」
すっかりグランスの横が定位置になったミネアがそう言うと、
「そだね。あたし、ちょっと様子を見てこようか?」
と、リリーが偵察を申し出た。
グランスはそれにちょっと思案してから、
「そうだな。祠を囲む岩が見えるところまで行ったら少し休憩を入れよう。その間に頼めるか?」
「ん。任せといて」
リリーはそう言って笑顔を見せた。
それからすぐに祠を囲んでいるはずの岩が見え始める。
「じゃあ、ここで少し休憩を入れる。リリー、頼んだぞ」
グランスの指示で仲間達が休憩を取るために腰を下ろす中、リリーの姿は祠の方へと消えていった。
「できれば、休憩せずに一気に行きたかったね」
リリーの姿が見えなくなるまで目で追っていたレックがそう言うと、
「本当に何かいたら、少しでも疲れを取っておいた方がいいのは間違いないだろうからな」
「うむ。余計な危険は避けるに越した事はないじゃろうな」
とグランス、ディアナが慎重意見を述べる。
無論、その意見に対して反論などあろうはずもない。
「そうだね」
レックが短く答えると、
「……リリーがもう帰ってきましたよ?」
ミネアが予想外に早いリリーの帰りに気づいた。
そのリリーはというと、めんどくさそうな顔になっていた。
「何かおったんやな」
その表情の意味するところを正確にマージンが読み取ると、
「マージン、おぬしが余計なフラグを立てるからじゃ」
と、ディアナがフラグネタを再燃させる。
そんな事を言い合っている間に戻ってきたリリーに、グランスが訊く。
「何がいた?」
「……オークメイジとウォリアー。ウォリアーは二体いたよ。後は分かんない」
そうリリーが偵察結果を報告すると、仲間達の顔は一気に真剣なものへと変わった。
「メイジにウォリアー二体か……面倒な構成だな」
グランスの言葉に仲間達も頷く。
オークメイジはその名の通り、魔法を使う。それほど威力のあるものは使えないものの、直撃すればかなりのダメージは免れ得ない。ただし、防御が薄いので弓などで魔法を牽制しながら、近接武器で戦えば簡単に倒せる相手である。
一方、ウォリアーは魔法などは一切使わないが、重量級の装備に身を固めた近接タイプのオークである。そのため、弓などの遠隔系の武器ではダメージを与えづらく、近接武器でも装備の隙間を狙うか、グランスやマージンの重量がある武器で防具ごと叩き潰す以外はあまり効果がない。
いずれも単体ならレック達の敵ではないのだが、集団戦となると一気に難易度が上がる。特に、ウォリアーがメイジを守る壁になる形での連携などされようものなら、倒すのにどれだけ時間がかかるか、被害が出るか分からない。
グランスの言ったように実に面倒な構成であった。
「まだ、気づかれてはいないな?」
その言葉にリリーが頷くのを確認すると、グランスは一息ついた。
「なら、作戦を練る時間はあるな」
蒼い月の仲間達はそれなりに長いつきあいなので、行き当たりばったりでもそこそこの連携はとれる。しかし、やはり予め戦い方を決めておくに越した事はない。
「俺としてはまず、メイジを倒してからウォリアーを相手にするのがいいと思うが」
グランスがそう切り出すと、
「まあ、妥当な順番じゃろうな」
「だな」
仲間達はあっさり頷いた。
相手方の最大の火力であると同時に、一番脆いメイジを狙うのは定石と言える。
「クライスト、一発で射殺できるか?」
「距離次第だが、アテにしない方がいいぜ」
「確かに、気づかれずにそこまで近づくのは難しいか」
クライストの持っている銃は射撃用のそれではない。近距離でなら兎に角、それ以上の距離での精密射撃などは到底望めなかった。
「となると……リリー。後ろから回り込めるか?」
「出来ると思うけど……石ころくらいは落ちちゃいそうだし、気づかれずには難しいと思うよ?」
「その辺は俺達の方で相手の注意を引きつけておくしかないな」
グランスがそう言うと、ディアナが、
「つまり、私たちが囮になって注意を引きつけておる間に、リリーにメイジを殺らせるわけじゃな?」
そう確認を取る。
「ああ。正面突破でメイジに迫るのは難しそうだしな。ウォリアーとメイジを引きはがせば、何とかなるだろう」
「そうだね。気づかれずに近づければ、メイジだけなら何とか出来るよ」
リリーの言葉にグランスは頷き、
「リリーがある程度近づいた時点で、俺達がオーク達に姿を見せ、挑発する。うまく釣れたら、リリーにメイジをやって貰う」
すると、今度はクライストが手を挙げ、
「全部釣れたらどうする?」
「確かにメイジに延々と追い回されるのは御免被るな」
グランスは顔を顰めた。障害物が間にあるならいいのだが、森の中でもないここでは常に障害物を間に挟んで動けるとは思えなかった。
「伏兵を張っておくしかないな。メイジまで釣れた場合は、後ろから不意打ちをかけて貰う。メイジが釣れなかったとしても、挟み撃ち出来るだろう」
「なら、その伏兵は俺だな。それと出来れば……」
「分かってる。クライストにはマージンについて貰う」
「ああ。俺はそれでいいぜ」
「ん。了解や」
クライストとマージンが頷くと、今度はレックが口を挟んだ。
「エネミーが3体だけじゃなかったら?奥からもっと出てきたら、まずいんじゃ?」
その言葉で、リリーがメイジを倒した直後に奥から他のオークが出てくるところを仲間達は想像してみて、
「……かなりやばいな」
クライストがそう呟いた。
「……だね。あたし、まだ死にたくないよ?」
一番危険に晒されるリリーは一瞬身震いした。
「だな。済まない。少し気が急いていたかも知れん」
グランスは軽く頭を振った。
「すぐ倒すのは諦めて、しばらく祠の様子を見張るか。オークが3体だけかどうか見極めてから攻撃を仕掛けた方がいいだろう」
祭壇に着くまでの時間は余計にかかるが、ここは安全策を採るべきだった。祠の中にもオークがいた場合、不意打ちを食らって誰かが死んでしまってもおかしくなかったのである。
レック達は、とりあえず明日の朝まで祠を見張り、エネミーの戦力を把握してから改めて攻め方を決める事にした。
ただし、オークがいる近くで一晩を過ごすのである。念のため、少し道を引き返した上で明るいうちに夕食を済ませた。暗くなってから火を焚くと、それだけで目立ってしまう。
後は4時間交代で祠の見張りとキャンプの見張りをこなす事になった。
そして何事もなく翌朝。
「結局、あれで全部だったっぽいな」
久しぶりに本格的に警戒しながら一夜を過ごしたせいか、眠たそうな声でクライストが言う。
その隣ではレックとマージンが仲良く欠伸をしていた。
現在、蒼い月ご一行は冷たい朝食の真っ最中である。
「一晩無駄に過ごしてしまったような気もするのう……」
眠そうではあるが、流石に欠伸は堪えながらディアナ。
「ですけど、やっぱり、念には念を入れておきたいですね」
「だな」
隣に座ったミネアの言葉に、グランスは頷いた。
「とは言え、見逃しも否定は出来ないな。基本は昨日のままで、リリーには少し様子を見た上でメイジを始末して貰えばいいか?」
祠は内部に魔法と覚しき光源があるのか、夜も入り口付近は明るかった。そのおかげで、暗くて見えなかったという事はなかったのだが、見張りの交代の時などには目を離している時間もあったので、見逃しもあり得た。
なので出てきたグランスの言葉に、今度はレックも頷く。
「だね。中に隠れていても、僕達との戦闘が始まれば出てくるだろうし」
「祠自体はそれほど広いものじゃないからな。戦闘が始まってほんとに少しだけ待てばいいだろう」
「とはいえ、祠の中から魔法を撃たれたりする可能性も考えても良さそうじゃのう」
グランスの言葉に、別の可能性をディアナが指摘する。
「そうだな。しかしそれは、祠の入り口に迂闊に近づかなければいいだろう。出来れば、早い段階で中を覗いて安全を確認しておきたいところだが……」
「メイジを始末した後でいいなら、あたしが見とくよ~」
とこれはリリーが引き受けた。
それで話し合うべき内容が尽きた事を確認すると、
「では、ウォリアーには俺とマージンが前面に出て当たる。もっとも、マージンはクライストと一緒に伏兵になって貰うから、場合によっては俺一人でウォリアー二体を抑える事になるな。そうなったら、レックとディアナは俺のサポートを頼む。リリーは上から回り込んで、隙を見てメイジを始末してくれ。後は各個撃破だ。細かいところは臨機応変に頼むぞ」
グランスの言葉に、仲間達は今度こそ頷いた。
祠に向かう道の左側はちょっとした崖になっていた。その崖の上には低木なども割と生えているため、崖の上に何かが潜んでいても、すぐ下の道からは注意して見ない限りまず気づく事はない。
その崖の上を通って祠の上に移動するために、リリーは崖をよじ登っていった。そこから祠の上へと、道から離れた崖の上を身を潜めながら進んでいく。その姿は低木などに隠され、レック達のところからですら、リリーの姿はかろうじて確認できる程度である。
一方、伏兵になるクライストとマージンは、道の途中に突き出している岩の陰に身を潜めていた。メイジが釣れたかどうかは、囮になるレック達が教えてくれる予定だ。
そして、レックを含む他の仲間達は祠が見える場所にまで移動していた。もっとも、リリーが祠に十分近づく前に気づかれても困るので、道が左に大きく曲がっているカーブの手前に身を隠している。そこからオークを監視しながら、崖の上のリリーが祠に近づくのをひたすら待っていた。
「うーん、何度見ても二足歩行する豚……だね」
身を隠しながらオークを観察しているレックは、思わずそう漏らした。
「いや、本物の豚はもっと可愛いものじゃと聞くがのう?」
確かに、オークの顔には動物に見られるように可愛らしさは微塵もなく、口の両端から大きく上へ突き出している牙といい、醜く寄った皺といい、おぞましさが先に立つものだった。
そんなのが何枚かの金属板を紐で身体にくくりつけたような鎧を身にまとい、曲がりくねった棍棒を抱えているのがオークウォリアー。その奥には、中から腹回りの肉で大きく押し上げられたぼろぼろの布をまとい、捩れた棒を持っているのがオークメイジが見えていた。
正直、あまりまじまじと見ていたいものではない。なので、ミネアは既に少し身を退いていて、オークの監視とリリーの場所の観察は、レックとグランスが続けていた。
やがて、リリーが祠まで10mほどの距離に到達するのが二人の目に見えた。
作戦開始、である。
「行くぞ……!」
グランスが抑えた声で合図を出すと、レック達は一斉に崖の陰から、オーク達に向かって姿を晒した。ついでにミネアが矢を放つというおまけ付きである。
「グ?ブギョアアァァァ!」
勿論、ミネアが放った矢はオークウォリアーの鎧に当たってぽてっと地面に落ちたが、挑発効果は抜群だった。
オーク達は意味不明の叫び声を上げると、一斉にレック達に向かって走り出した。メイジもウォリアーの陰に隠れるようにしながら、しっかり突撃してくる。
「メイジも釣れたぞ!!」
伏兵をしているクライストとマージンに合図を出すと、ミネアがもう一本だけ矢を放った。単なる挑発なので、後から回収できそうな場所を狙っていたりするが、脳みそが足りていないオークへの挑発としては十分な効果を上げていた。
「ブアアァァァァァ!!」
到底豚には似てもにつかない叫び声を上げながら、より一層興奮して武器を振り回し、レック達へと突撃してくる。
その距離が20mを切ったと見るや、レック達はミネアを先頭に、グランスを殿にする形で反対方向へと逃げ始めた。
多少知能が高い相手なら、この時点でおかしいと感づいて追いかけてくるのを止めるが、亜人種に分類されるエネミーの中でも知能が低い方から数えた方が早いオークは疑問など持つ事はない。例え、魔法を使えるオークメイジであってもだ。
「そろそろ来るぞ!」
レック達がクライストとマージンが隠れている岩の横を通り過ぎる際、二人に声をかける事もグランスは忘れないが、オーク達の走る足音は十分に騒々しかった。
そして、レック達に続いて、オーク達がクライスト達の隠れている岩の横を通り過ぎて僅かに数秒後。
パアァァァァン!!
銃声が鳴り響いたかと思うと、オークメイジが地面に倒れ伏した。無論、クライストの銃撃の成果である。
とは言え、頭部を狙ったわけでもないその一撃は、胴体の厚い脂肪に阻まれ、オークメイジを即死や行動不能に陥らせたわけではない。オークメイジはもがきながらも立ち上がろうとする。
しかし、そのことを予め予想していたマージンが、すかさず飛びかかり、大きく振り上げていたツーハンドソードをオークメイジに全力で叩き付けた。
「ゴッ……」
その一撃で右肩から背中の中心までを大きく切り裂かれ、大量の血を吹き出しながら、今度こそオークメイジも絶命した。
無論、マージンはそんな事を確認している暇はない。
オークメイジの内臓がこぼれるのも構わずにツーハンドソードをその死体から抜き取ると、銃声に反応してこちらを振り返り、(多分)怒りの表情を浮かべたオークウォリアーが横薙ぎに振り抜こうとしていた棍棒を食い止める。
「む」
その勢いに圧され足が地面の上を滑るが、マージンはそれでも何とか棍棒の一撃を受けきった。
無論、それで安堵はしていられない。
もう一体のオークウォリアーも既にマージンに向かってきていた。
計二体のオークウォリアーの棍棒を受け流し、時には弾き飛ばしながら、マージンは一歩、また一歩圧されていく。連携も何もない攻撃であっても、一対二というのはそれだけ不利なのだ。
このままの状態が続けば、マージンが棍棒の餌食になるのは時間の問題であった。しかし、勿論そんな事にはならない。
「おおおおぉぉぉぉぉ!!」
裂帛の気合いに一体のオークウォリアーが振り向こうとした時には既に遅かった。
メイジが仕留められ、ウォリアーが反転してマージンに襲いかかるや否や、やはり戻ってきていたグランスが大きく振りかぶった戦斧をオークウォリアーの頭上に思いっきり振り下ろしていたのである。
一撃目は棍棒で何とか凌いだウォリアーだったが、それで棍棒は真っ二つになってしまった。
勿論、短くなったからと言って気にするような脳みそをオークが持ち合わせているわけではない。だが、短くなったそれはもはや身を守る役は果たせなかった。
続いて駆け込んできたレックが突き出してきたロングソードが、粗末な鎧の隙間からオークウォリアーの身体に深々と食い込んでいく。
無論、オークはその程度で死んでしまうような柔な生き物ではないが、次のグランスの一撃に反応する事は出来ずに、腕ごと左の肩を切り落とされてしまった。こうなると流石のオークも何も出来ない。
グランスは戦斧をもう一振りしてオークの首を落とすと、オークの身体から剣を抜き取ったレックと共にマージンとやり合っているもう一体のオークウォリアーの元へと向かう。
しかし、こちらも既にケリが付きつつあった。
元々、グランスやマージンは一対一ならオークウォリアーと正面からやり合うのに十分な力を持っている。そこに、ディアナの槍による援護が加われば、結果は言わずもがなだった。
ディアナに槍で後ろから何度も突かれ、それを振り払おうとして幾度もマージンに隙を見せた結果、こちらのオークウォリアーも腕や身体にいくつもの大きな傷を負っていた。そして、動きが鈍ったウォリアーはもはやマージンの攻撃を受け止めるだけの力は残っていなかった。
「これで終いや」
その一言と共に大きく振り抜かれたツーハンドソードは、それを受けた棍棒ごとオークウォリアーの首を斬り飛ばしていた。
「結局あたしの出番無かったけど、全部倒せたみたいだね~」
その声に仲間達が振り返ると、リリーがいつの間にか戻ってきていた。
「うわっ……すっごい返り血……」
ウォリアーとゼロ距離で戦っていたグランス、レック、マージンの三人を見て、リリーは少しばかり眉を顰めた。が、戦うエネミーによっては時々ある事なので、今更それ以上の反応はない。
「祠の方はどうだった?」
「ん。中まで確認してきたけど、何にもいなかったよ。……それより、血、拭いたら?」
そうリリーに言われ、返り血を浴びた三人はアイテムボックスから布を取り出し、拭けるところだけでも拭いていく。
『魔王降臨』直後は割と短時間で死体と共に消えていた血も、今では数日経ってもまだ残っているようになっており、単なるゲームだった時と違い、返り血をちゃんと拭くための布を持ち歩くようになっていた。
実際には血塗れと言うほど浴びたわけでもなかったので、いくらか血の跡を残しつつも、拭き終わった三人は随分とサッパリしていた。が、マージンはオークウォリアーの死体を見ながら、何か考えている。
「死体がどうかしたのかのう?」
意図的に死体を見ないようにしているリリーやミネアと違い、平然とマージンが見ている死体に目をやりながら、ディアナが訊くと、
「いやな。ウォリアーが装備しとった金属、回収しといたら後で何かに使えんかな思うてな」
死体の惨状に目をつぶれば、随分とちゃっかりした答えが返ってきた。元々、ジ・アナザーではエネミーの死体から使えそうな部位や所持アイテムを回収する習慣があるため、特に驚く事でもなかったが。
いそいそと死体から金属の回収を始めたマージンを余所に、ミネアは矢の回収へと向かった。グランスも同行する。
他の仲間達は、さすがに死体の横に立ったままというのもイヤだったのか、少し離れたところからマージンを見ていた。もっとも、会話の内容はそのことではない。
「なんで、祠にオークがいたんだろう?」
「そーいやそうだな。数日前まで他の冒険者連中が来ていたわけだから……いなかったはずだよな」
レックが口にした疑問に、クライストも首をかしげる。
「元々、冒険者達がいたからこそ、流れてきたエネミーも駆除されておったのじゃろう?たまたま、冒険者がいない時に流れてきただけではないかのう」
ディアナのその言葉に矛盾はなかったが、何となくしっくり来ないレック達だった。しかし、作業が終了したマージンがほくほく顔で戻ってきてその話はそこで終わってしまった。
レック達はそのままグランスとミネアが先行している祠へと向かい、二人と合流して中に入る。
昨夜の時点で分かっていた事ではあるが、奥行き5mほどの祠の通路は、壁自体が微かに発光しているのか、ほんのりとした明るさに包まれていた。
通路を抜けると一辺4mほどの小部屋があり、そこに身体強化魔法の祭壇が設置されていた。
人の腰くらいまでの高さの石で出来た祭壇は、治癒魔法のそれとは異なり、四角い形をしていた。ただし、途中で一度細くなっていたり、表面に不可思議な文字だか文様だか分からないものがびっしりと刻まれている点は同じだった。
「ふむ。前に見た治癒魔法の祭壇と少し形が違うのう……?」
祭壇の周りを一周したディアナがそう呟く。
「雰囲気はそっくりだけどね」
一緒に回っていたレックがそう答える。
他の仲間達も、祭壇の周りを一周したりはしなかったが、興味深そうに観察している点は同じだった。
とは言え、観察するためにここに来たのではない。
「眺めるのは後にして、まずは覚えられるかどうかやってみよう」
グランスのその言葉に、リリーと少し遅れてディアナが手を挙げた。
「はいはいはいはい!あたしからやる!!」
「治癒魔法は結局駄目じゃったからのう。順番を譲って貰っても構わんの?」
ディアナは確認口調ではあったが、実際には命令っぽかった。
治癒魔法を覚えている4人とて、まだまだ魔法への目新しさが無くなっているわけではない。なので、後に回される事に不満がないわけでもなかったが、揉めてまで先に祭壇に挑戦しようという者はいなかった。
「では、俺も便乗させて貰うか」
リリーやディアナと同じく、結局治癒魔法を覚える事が出来なかったグランスも、祭壇に歩み寄る。
「やり方は……前と同じかの?」
そう言いながら、ディアナは静かに祭壇に片手を乗せる。
それを見たグランスとリリーも同じように手を乗せ、そして目を閉じた。
治癒魔法の祭壇の時の経験があるためか、前のように何度もやり直すことなく、すぐにリリーとディアナの周囲にかなり薄い光のもやが浮かび上がる。それと同時に、リリーとディアナは全身を走る力の流れを感じた。何回も話を聞いていたグランスの周囲にもまた、リリーとディアナには少し遅れたものの、光のもやが現れていた。
それを見ていた仲間達から僅かに感嘆の声が上がるが、その光景はすぐに終わってしまった。
光が消えたのと同時に、祭壇に手を乗せていた三人も終わったと感じたのか、静かに目を開けた。
「……なるほど、こういう感覚だったのか」
最初にそう口を開いたのは、治癒魔法の祭壇では祭壇が反応すらしてくれなかったグランスである。
「うむ。しかし、祭壇が反応したからと言って、魔法が使えるとは限らんのじゃがのう……」
ディアナのその言葉に、結局治癒魔法を使えるようにならなかったリリーがうんうんと頷いた。
「ま、試してみたらええやん」
という気楽なマージンの言葉に頷くと、早速ディアナはさっきの感覚の再現を試みる。少し遅れて、リリーとグランスも目を閉じ、さっきの感覚を思い出そうとしていた。
そんな三人が四苦八苦しているのを横目に、残る4人が祭壇に近づき、手を乗せた。
彼らが目を閉じ、精神の集中を行い始めると、すぐにさっきのディアナ達と同じような光景が現れ、そしてすぐに消える。
「とりあえず、今回は全員祭壇が反応したみたいだな」
一足先に目を開けていたクライストがそう言うと、
「まあ、八割のプレイヤーが使えるようになるって話だからね」
とレック。
その横では、早くもミネアが静かに身体強化魔法の発動を試みていた。
クライストとレック、マージンもミネアに続いて目を閉じるが……何も起こったようには見えない。
しばらくして、マージンが目を開け、
「なあなあ、レック。これ、端から見てて使ってるって分かるもんなんか?」
「他の人から見たら分からないよ。本人には感覚的には分かるみたいだけど」
目を閉じて魔法の発動に挑戦しながらそう答えたレックは、次の瞬間、フッと身体が軽くなるような感触を覚えた。続いて、身体中に漲る力を感じる。
「んっ……」
思わず目を開け、自分の手を、腕を、身体を見るが、特に変わったところがあるようには思えない。
おまけに、目を開けて感覚の再現を止めてしまった途端、身体中から一気に力が抜けてしまっていた。
もう一度挑戦する前に、レックが仲間達を見回すと、ミネアも同じような失敗をしてしまったらしい。レックと目があうと、ミネアは微かに苦笑を浮かべ、再び目を閉じて精神集中を始めていた。レックもすぐに目を閉じて、精神を集中させる。
「む……」
次に声を出したのは、ディアナだった。
ただ、レックやミネアと違い、それを感じたディアナは恐る恐る目を開け……しかし、すぐにがっかりしたような表情を浮かべた。レックやミネアと同じく、気を緩めた途端、身体中に漲っていた力強さが消えてしまったのである。
ただ、それでもどうやら発動できそうだという感覚は掴めたのか、少し首をかしげながらも、再び目を閉じて集中し始めた。
そんな具合で、成功しそうになっては、精神集中が解けて魔法も解けて、再び目を閉じては精神集中を試みる。
グランスでさえも、何か感じるところはあったのか、レックやミネア、ディアナと同じような行動を繰り返していた。
ただ、仲間達と違った様子を見せていたのが二人いた。
マージンとリリーである。
もっとも、マージンの方は仲間達と違うとは言え、静かに目を閉じているだけである。レックやディアナが声を出した時に少し目を開けたものの、声を上げた仲間達の様子に思うところでもあったのか、それ以降は仲間達のように戸惑うわけでもなく、ただ、静かに精神を集中させている。それだけだった。
一方で、リリーの様子は全く違っていた。目を閉じたリリーの顔には、焦りとも、悔しさとも、諦めともとれるものが浮かんでいた。つまりは、一度も成功しそうな感覚がないのである。
何度感覚を再現しようとしてみても、あれだけはっきりと覚えている感覚が、指の隙間からこぼれ落ちていく水のように、いくら再現しようとしても、リリーの精神からすっと零れ、崩れていく。
時々目を開けて様子を窺うと、他の仲間達はうまくいっているのか、リリーのような表情を浮かべている者は誰もいなかった。
治癒魔法の時は、ディアナとグランスも結局魔法を使う事が出来なかった。だから、まだ落ち着いていられた。しかし、「今度も使えるようにならないのが自分だけかもしれない」と考えると、前のように落ち着いている事は出来そうにもなかった。
何度も何度も深呼吸をして、必死に落ち着きを取り戻し、感覚の再現を試みる。しかし、全くうまくいかない。行きそうな気配さえない。
そんな中、仲間達の声がリリーの耳に飛び込んできた。
「これ、維持するの難しいね……止めるとすぐに力が抜けるみたいだ」
「だな。……まともに使えるようになるまで、かなり時間がかかるな」
「そうじゃな。当分は練習あるのみじゃのう」
どうやら仲間達も、うまく扱えてはいないらしい。
ただ、それでも決してリリーの心が落ち着く事はなかった。
仲間達は「発動は出来ている」のである。その段階で既に躓いているリリーとは状況が全く違っていた。
「流石に銃を握りつぶしたりするほどにはならないみたいだな……」
「わたしも……これくらいなら弓は潰れないと思いますけど、引きすぎて壊す事はあるかも知れません」
「ん~、これやともうちょい剣を頑丈にせんと、持たんことあるかも知れんなぁ……」
このマージンの言葉が聞こえた時点で、リリーは完全に諦めた。自分には魔法が使えないのだと。
それでも、みっともなく泣き喚く気にはならなかった。それくらいのプライドは持ち合わせている。
「リリーはどうじゃった?」
リリーが目を開けた事に気づいたディアナにそう訊かれ、
「ん。これもあたしには合わなかったみたい」
無理だった、ではなく、合わなかった、と言った辺り、リリー本人も気づいていないかも知れないが、魔法が使えそうにもない事を認めたくない気持ちが残っていたのだろう。
「む、そうじゃったか……」
リリーの答えを聞いて、途端に申し訳なさそうな態度になるディアナ。その様子にも僅かながらとは言え、苛立ちを覚える程度には、リリーの気持ちもささくれ立っていた。
そんなリリーの内心に気づいているのかいないのか。その日、強化魔法の練習も兼ねて祠で一泊していく事にした仲間達は、リリーとの距離を掴みかねていた。
魔法が一人だけ使えない事を慰めるべきなのかどうか。
リリーにすら分からないのだから、仲間達にも分かるはずもない。
かといって、誰も気心の知れた仲間達と今更別れる気にもならなかった。
そして、誰にとっても微妙に居心地の悪いまま、夜を迎えた。
「やっぱり、眠れませんか?」
祠の入り口で、今夜の見張りを買って出たリリーが、やっと一人の時間を持てて一息ついていると、後ろからそう声をかけられた。
「……ミネアか。何の用?」
リリーは振り返るまでもなく、後ろに来たミネアにそう尋ねる。
「特に何も、と言えば嘘になりますね」
そう言いながら、ミネアはリリーの横に座った。
「多分、半分はリリーが思ってるとおりのことです。でも、半分は違うんですよ」
ミネアはリリーの顔を見るでもなく、静かに答える。
「……そ」
リリーとしては、特に聞きたいわけでもない。むしろ、あまり聞きたくはなかった。だから、そう答えただけで、ミネアの用をそれ以上追求する事はしなかった。
「……わたし、話をするために来たんじゃないんです。敢えて言うなら、今夜はリリーと一緒にいたいなと思って来ただけですから」
ミネアも、それだけ言うと、口を閉ざした。
そのまま二人とも口を開かず、沈黙が降りる。ただすることと言えば、空の星を眺めたり、遙か彼方に見える暗い山の影を見つめたり。
それだけだったが、リリーは何となく落ち着いていた。劣等感とか嫉妬とか、仲間達といるとどうしても感じてしまう。それでも、やっぱり一人は寂しかったのだから。今はちゃんと自覚できていた。
だから、口には出さなかったけれど、心の中で、
(ありがとう)
そうミネアにお礼を言う。
それで張り詰めてきた気が抜けてしまったのだろう。
リリーの意識はそのまま闇に飲まれていった。