第四章 第二話 ~ユフォルと山道~
キングダムを出たレック達は、予定通りにラスベガスを経てエラクリットまで馬車を利用し、徒歩でユフォルへ向かった。
唯一予定通りでなかったのは、あまりの馬車の振動に悲鳴を上げたレック達の身体を休ませるため、ラスベガスで二泊、エラクリットに三泊もしてしまった事くらいだろう。レックが治癒魔法で馬車から受けたダメージを癒すことを思いついたが、あまり効果はなかった。
ちなみに、あまりの振動の酷さには他の馬車の乗客からも苦情が出ていたらしく、ラスベガスからは開発中のサスペンション付きの馬車になっていた。もっとも、これと治癒魔法がなければレック達は途中で馬車から降りていたに違いなかった。
そして、今、レック達は初めて霧雨の降るユフォルの町へと足を踏み入れた。
「聞いちゃいたけど、こぢんまりした町だな」
ユフォルに入ってのクライストの第一声がそれで、
「でも、人は多いよ」
というレックの言葉通り、悪天候にもかかわらず人は多かった。通り沿いに並んだ露店は、どこも賑わっている。おかげで、ミネアがグランスの後ろに隠れ気味になってしまっていた。
今、ユフォルの町は『魔王降臨』後に大陸会議が場所を公開した身体強化魔法の祭壇を目指すプレイヤーで賑わっていた。
元々は、山肌に作られた小規模な町である。
ラスベガスへの道を除けば、他の町に繋がる道もなく、周囲の山々で採れる鉱石目当てのプレイヤー以外は来る事もほとんどなかったため、発展の余地がなかったのである。
しかし、東に聳え立つマスキア山に身体強化魔法の祭壇があると公表されてからは一転、多くのプレイヤーが訪れるようになっていた。
魔法の祭壇に着いても、必ずしも魔法を使えるようにはならないということが、大陸会議から発表されていた。しかし、身体強化魔法は習得できるプレイヤーの割合が8割近くとかなり高く、また基礎能力の底上げは相手に出来るエネミーの幅を広げると同時に、プレイヤーの死亡率を下げる事が出来るため、治癒魔法と並んで人気の祭壇となっていた。
「やはり、身体強化魔法目当ての冒険者が集まっているのだろうな」
通りを歩いているプレイヤー達の装備を見たグランスが、そう言う。
しかし、グランスの言葉を聞いた仲間達がノンビリと彼らの装備を確認する前に、
「とりあえず、早めに宿に入りたいのう。雨も降っておるし、落ち着いてここ数日の旅の垢を落としたいからのう」
とディアナが言い出した。
言われてみれば、その辺を歩いているプレイヤーの装備確認などより、宿の確保の方が重要事項だと仲間達は納得し、宿探しを始めた。
しかし、ラスベガスや途中の宿場町で聞いていたとおり、どこの宿も満室で、最後の一軒で何とか大部屋を一部屋だけ確保する事が出来たのだった。
無論、女性陣は落ち着かない。
「クライストやマージンと同じ部屋というのは……不安を感じるのう……」
部屋に入ったディアナが早速文句を垂れる。
「いやいやいや。外で寝ろっちゅうんかい!?ってか、グランスとレックはオーケーなんか!?」
「グランスは紳士的じゃからのう。それに最悪……」
ディアナはちらりとミネアに視線をやり、
「ということじゃから、問題あるまい」
「あー……」
ディアナの視線で、何を言いたかったか察して納得するマージン。
「で、レックは何でいいんだ?」
クライストに訊かれると、
「まだまだお子様じゃしのう。……それにそこまでの甲斐性もあるまいて」
ちなみに、流石にレック本人も同じ部屋にいるので、後半はディアナも声を落とした。
「喜んでええのか、泣くべきなんか、分からへんな……」
クライストと二人、微妙な顔をしているマージン。
そんな二人の様子を見て、
「まあ、半分くらいは冗談じゃ。部屋から追い出したりはせんよ」
とカラカラ笑うディアナに、
「半分はマジなんだな……」
クライストとマージンは恨めしげな視線を向けていた。
ちなみに、男女同室という事で挙動不審になっているのが二、三人いたりもする。
そんな中、グランスが、
「ゴホン」
と咳払いを一つして仲間達の注意を集めた。
「嫌だろうが何だろうが、今後もあるかも知れないことだし慣れてくれ。幸か不幸かトイレや風呂は、共用のものしかない。つまり、この部屋では着替えだけ注意すればいいわけだ。……全員、不幸な事故が起きないように気をつけてくれ」
「不幸な事故と言うより嬉しい事故になりそうな者もおる気がするがのう……」
ジト目でクライストとマージンを見つめるディアナだったが、
「……逆もあり得るだろう。それに、覗いたら覗いたで粛正されそうだしな。そうなったら、結局は不幸な結末という事だ」
呆れたようなグランスの言葉に、その逆のパターンを想像したのか、
「……気をつける事にしよう」
と素直に引き下がった。
「まあ、二、三日ほどここに泊まって疲れを取る予定だ。今日はさっさと風呂にでも入って来てくれ」
グランスのその言葉で、女性陣は待ってましたとばかりに風呂に入る準備をして――と言っても、アイテムボックスに着替えなどのめぼしい物は入っているので、そのまま部屋から出て行った。
残された男性陣も、霧雨で濡れていた事もあり、食事の前に一っ風呂浴びる事にして部屋を出た。
その夜、レック達がユフォルに着いたとき、まだ霧雨程度だった雨は、本格的に降り始めた。そして、時折小雨になったりはするものの、一向に止む気配も見せないまま三日が過ぎた。
あまりにも退屈な時間を持て余したレック達は、時折宿から出て通り沿いに並んでいる店を冷やかしに行ったりするものの、大した雨具も持っていないため、雨に濡れるのを嫌って宿に引きこもり気味になっていた。グランスとマージンだけは、山の中にある祭壇まで行くために必要になりそうな準備のために、連日露天を回ったりギルド支部に行ったりしていた。
「いつになったら、止むんだろう」
部屋の窓から昼過ぎとは思えないほどに暗い外の景色を眺め、レックがぼそりと呟いた。レックに限らず、同じ台詞が昨日から何度も呟かれているせいか、仲間達はもう慣れたものである。
「この雨のせいで足止めされてるのは、俺達だけじゃないようだがな」
一日に一度は冒険者ギルドのユフォル支部――この町にもちゃんとあった――に顔を出しては、状況を確認しているグランスが言うと、クライストが、
「雨の中の野宿なんて誰もしたくねぇからな」
その言葉には全員が賛意を示した。
既に、『魔王降臨』から半年以上旅をしているのである。ログアウトできていた頃は気が向いたときだけやれば良かった――気が向かなければ街道から逸れたところでログアウトすれば良かった――野宿も数え切れないほどしている。当然、雨の中の野宿という実に最低な経験も何度かしていた。
「まあ、降り出す前に出発していた者たちはお気の毒様ということじゃのう」
ディアナの言葉に、その運の悪い連中の事を想像してしまったミネアの表情が少し沈んだものになった。
「ぼちぼち連中も帰ってきているみたいだな。……帰ってくる日の部屋の予約を忘れた連中が、ギルドの建物に屯していたぞ」
実際にその様子を見てきたグランスの言葉に、
「揉め事のニオイがするなー」
とマージンが呟いた。
「既に揉めた後だったな。とりあえず、ギルド支部の幾つかの部屋を雑魚寝用に開放する事で、落ち着いたそうだ」
それを考えると、今のレック達の状況はかなりマシであった。が、レックは別の事が気になった。
「戻ってくる事になったら、僕達の分の部屋もなかったりして……」
ぽつりと言うと、
「それは困るよ」
「問題じゃのう……」
リリーとディアナが嫌そうな顔になる。だが、
「余程の事がない限り、戻って来おへんと思うけどな」
というマージンの一言で、それもそうかと元に戻った。
レックも、
「そうだね。元々霊峰に行くのが目的だしね」
と頷いた。
しかし、代わりに微妙な表情になったのが、グランスである。
「霊峰の地図がないのは痛いな」
グランスの考えている事は、その一言でほとんど全部である。
正確には、霊峰に住まうエネミーも問題であるが、地図がないというのはそれ以上の問題だった。
「結局、手に入りませんでしたね」
というミネアの言葉通りというか、そもそも見つける事が出来なかったのである。
理由としては、霊峰に立ち入るプレイヤーが少なかった事が挙げられるだろう。未踏の地とまではいかないが、最寄りの町――どころかベースキャンプからでも百kmは離れているのである。当然と言えば当然の事であった。
「まあ、長期戦は覚悟の上だ。食料もかなりの量を現地調達しないといけないだろうな」
グランスの言った食料の現地調達とは、狩りをするという事である。木の実などがあればそれも集めるが、おそらくはエネミーなり動物なり魚なりを捕ることになる。
出来ればアイテムボックスに必要な食料を詰め込んで行きたいところだが、入るのはせいぜい一~二週間分といったところで、とてもではないが月単位の食料など入らない。腐る腐らない以前の問題であった。
もっとも、そのあたりの事はとうに分かっていた事なので、エルトラータを発つ前に、食料や狩りで必要になる道具などの必需品は大体買い揃えてあった。エルトラータで手に入らなかった物や買い忘れた物があったので、グランスとマージンがユフォルの露天を回ったりはしたが。
「食べ物もだけど、お風呂も当分おさらばだね……」
リリーの言葉に、女性陣がゲンナリする。
川などがあれば多少身体の汚れを落とす事は出来るが、それでもサッパリするにはほど遠い。
どうにも最近は、こまめに身体を洗わないと汗以外でも汚れるらしく、野宿が続くなどして何日か風呂に入れない日が続くと、宿の風呂に先に入った仲間――主に女性陣――が、後から風呂に入る仲間達――主に男性陣――の臭いに顔を顰める事があった。
せめてもの救いは、全員で一緒に臭くなれば意外に気づかないという点なのだが……やはり、女性にとっては気休めでしかない。
「目的のためには我慢せざるをないのじゃがのう……」
頭では理解しているし受け入れてもいるが、やはり納得は出来ていないディアナが、リリーに同調してぼやいた。
「香水は買ってありますから、それで何とかしましょう……」
香水で臭いを誤魔化そうというわけだが……毎日お風呂に入るなりシャワーを浴びるなりで身体を清潔に保っていた現代人にとっては、気休めでしかなかった。
だが、それでも愚痴っていても仕方ない事も確かなので、とりあえず女性陣の愚痴はミネアのフォローですぐに収まった。
とはいうものの、特にやる事もなく、雨でテンションも下がり気味では碌でもない事ばかり考えるわけで。不安と不満のぶちまけ大会がだらだらと夕食時まで続いたのだった。
後日グランス曰く、「よくあれで喧嘩とか仲間割れとか起きなかったものだ」である。マージン曰く、「喧嘩するのも面倒だったんやろ」ではあるが。
そして、翌日。
夜半についに長雨が止み、朝から気持ちのいい青空が広がっていた。
まだ日も昇らないうちから起き出したマージンに叩き起こされ、さっさと出発することにしたレック達蒼い月は、グランスとマージンが用意していたリュックを背負い、他のプレイヤー達に先んじてユフォルを発った。
ユフォルから身体強化魔法の祭壇までの道はひたすら山道である。ユフォルを出てからしばらくは木々に囲まれた森の中の道の地面は、昨夜までの雨で半ば水浸しどころか、まだ少し水が流れている有様であった。
しかしそれでも、よく晴れた青空と小鳥たちの元気な鳴き声は、ここ数日の雨で鬱屈したレック達の気分を大いに盛り上げてくれた。
「やっぱ、天気は晴れてるのが一番いいな!」
そう言ったクライストだけでなく、いつも大人しいミネアでさえも、今日ははしゃいでいる雰囲気があった。
流石に水たまりは避けているが、地面の状態が悪いのも誰も気にしていない。
祭壇までの道筋を確認するべく出していた地図――ギルドで売っていた――を仕舞いながら、グランスも、
「これなら距離が稼げそうだな」
と嬉しそうである。
ただ、はしゃいでいても誰一人警戒は怠らない。
流石にユフォルのすぐ近くでエネミーに襲われる事は滅多にないし、祭壇までの道も相当な数の冒険者達が往復していた事もあり、めぼしいエネミーは狩り尽くされた後であるので、大した危険はない。
だが、それでも万が一を考えて警戒しておかないと、その万が一が起きて死んでからでは遅いのだ。大怪我をしたプレイヤーどころか、キングダムの魔獣襲撃戦ではプレイヤーの死体すら見たレック達は、無意識の中でもそう考えるようになっていた。
実際には、虫系の小型エネミーに襲われたりもしたものの、レック達の歩みは順調だった。
昼過ぎには宿屋で作ってもらっておいた弁当――アイテムボックスには入らなかったので、夕飯と一緒にエラクリットで買ったリュックに入れていた――を食べ、先へと進む。
「身体強化って、どんなのかな~?」
「単純に考えると、筋力の増加かのう」
「……マッチョ?」
それまで楽しそうだったリリーだが、ディアナの台詞で顔が思いっきり引きつった。
「いや、キングダムでホエールが使うのを見たが、外見は変わらなかったぞ」
一行の先頭で二人の会話を聞いていたグランスが補足を入れると、リリーの表情はあからさまにホッとしたものに変わった。実はグランスの隣でもミネアの表情がころころ変わっていたのだが、グランスは気づいていなかったりする。
代わりに、
「で、やっぱり力が強くなるの?」
「ああ、そうだな。ホエールは筋力が倍くらいにはなると言っていたな」
と、リリーの質問に呑気に答えている。
「とゆうことは、レックもグレートソード使えるようになるかも知れへんな」
「かも知れないね」
隣を歩いていたマージンに言われ、レックは背中に背負ったグレートソードに手をやった。
最初はグランスに持っていて貰ったグレートソードだが、最近は体力が付いたのか、背負ったまま動く事にそれほど不自由を感じなくなってきた事もあって、レックが自分で背負うようになっていた。
「俺にはあんま恩恵無さそうだな」
クライストは少しつまらなさそうである。
実際、クライストの武器である銃の威力は、火薬の量、銃本体と弾の形状の3つで決まってしまう。クライストの力が強くなったところで、破壊力が変わる事はない。
「いや。恩恵はあるじゃろう?」
「マジか?」
ディアナの言葉にクライストが思わず聞き返すと、
「逃げ足が速くなるかも知れんのう」
「…………いや、あまりありがたくないぞ、それ」
からかわれただけだった。
「クライストさん、私も同じですから……」
やはり飛び道具のミネアがフォローする。
弓の威力もまた、弓の弦の強さだとか矢の形状だとかで決まるため、使用者の力の強さは関係ない。力が強ければより強力な弓を扱えるようにはなるのだが、そのためには新しい弓を手に入れる必要があるので、身体強化魔法を覚えても、当分ミネアの攻撃力に反映される事はなかった。
とはいえ、クライストの火力が上がるわけでもない。当然、テンションも上がらないのだが、
「ま、飛び道具はすぐには恩恵あらへんけどな。ごっついの使えるようになるやろうから、全く恩恵無しって訳でもあらへんで」
というマージンの台詞で、
「……それまで我慢ってことか」
と何とか気分を取り戻しはした。
「しかし、筋力アップだけというのも、つまらんのう……」
物足りないらしいディアナがぼやくと、ホエールの身体強化魔法を実際に見たレックが、
「ちなみに、個人差も大きいらしいけど、視力とか聴力もアップするみたいだよ」
「索敵に使えそうだね~」
索敵を買って出る事が多いリリーが楽になるかなと言う。
もっとも、そもそも身体強化魔法を習得できなければ意味がないので、レック達の会話は捕らぬ狸の何とやら……なのだが、敢えて気にする者はいなかった。
そんな感じで会話しながら歩いていると、
「誰か来るな」
グランスの言葉に前方を見渡したレック達は、確かに木々の間に人影を見つけた。
「あっちから来るという事は、祭壇からの帰りってことか」
「魔法、覚えられたのかな?」
「かも知れないが……機嫌は良くないかも知れんな」
グランスの言葉にレックは首をかしげたが、ディアナやクライストは気づいたらしい。
「雨の中を歩いたり野宿したりすればのう……」
「ああ……」
ディアナの言葉で、レックだけではなくリリーやミネアもそれもそうかと納得した。
ユフォルと祭壇の間には雨宿りできるような場所は無い。つまり、今前方から来る彼らは、ここ数日の雨の中で確実に苦労してきたのである。
「挨拶は兎に角、余計な事を言わないようには気をつけた方がよいじゃろうな」
迂闊な事を言って、揉めても碌な事はない。ディアナの言葉に、仲間達は素直に頷いた。
そうこうしている間にも、祭壇から帰ってきたと覚しきパーティとの距離は着実に縮んでいた。グランスが見つけたときには木々の間にちらちら見えているだけだった人影は、今や遮る木もなく、しっかりと視認できるようになっていた。
「5人か」
相手の人数を数えたクライストがそう口にする。
何となくレック達は緊張し、自然と口数も減っていた。無いとは思うが、万が一交戦状態にでも陥れば、身体強化魔法を覚えてきた相手では勝ち目がないから……という理由が大きい。
さらに距離が縮まると、相手の様子もだいぶ分かってくる。
雨が止んで半日ということもあり、流石に濡れ鼠の集団などではない。天気がいいせいか、思ったより機嫌も良さそうである。おまけに、
「女の子ばっかしやなー」
というマージンの言葉通り――ちなみに、マージンはその言葉で女性陣から冷たい視線を浴びる羽目になった――、装備を見る限り5人全員が女性アバターだった。
女性だけのパーティというのは、男性プレイヤーからのハラスメントなどの問題もあり、元々多くない。まして、『魔王降臨』以降の治安の悪化を考えれば、非常に珍しいとも言えた。
ただ、そのおかげでレック達の緊張は随分と和らいだ。
やがて、全員が(中身は兎に角外見は)若い美少女のその集団と、互いに軽く会釈をしながらすれ違う。
そして、双方の距離がそこそこ――会話の声が届かないくらい空いてやっと、レック達は息を吐いた。
「あっちも緊張していたな」
「あの外見ではのう……苦労も多いのじゃろうな」
グランスの言葉に、頷きながらディアナがそう言った。
他の仲間達も相槌だけは打っている。
「地味な外見にしておけば良かったと思ってるかも知れへんな」
マージンのその言葉に、蒼い月の女性陣は心の中で少しだけだが頷いていた。
それからも何組かのパーティとすれ違いながら、レック達は山道を歩き続けた。流石に何度もすれ違っていると、慣れてきていちいち緊張もしなくなる。
夕方には地面も乾いていたので、その日レック達は道の側で野宿した。正確には、これから一月近くは野宿が続く予定である。
翌日も朝から晩までひたすら歩き続け、さらに翌日の昼過ぎ。ある音が森の中を進むレック達の耳に聞こえるようになっていた。
「どっかから、水音が聞こえるね」
いち早くそれに気づいたレックがそう言うと、仲間達も足を止め、耳を澄ます。
「そうだね。この音は……川が流れてるのかな」
レックほどではないものの、割と耳がいいリリーは、仲間達の足音が絶えた事ですぐに気づいた。
鬱蒼と茂っている……にはやや物足りない感じもする森の中、鳥の鳴き声に混じって、黒い土が剥き出しになった道の先の方から微かな水音が確かに聞こえていた。
「となると……今はこのあたりか」
いつの間にか地図を取り出し、グランスは現在位置を確認していた。
仲間達が覗き込むと、「この辺だろう」と道が川にぶつかる手前のところを指で示す。
「やっと1/3か。先は長いな」
クライストがそう言うと、
「予定通りという事だ」
そう答えて、グランスは地図を仕舞う。
ただ、水音が聞こえてきたのでてっきり川が近いと思ったのは、少しばかり間違いだったらしい。
思ったよりも長い距離を歩いた挙げ句、やっと川にまで辿り着いたレック達は、勘違いした理由を知る事となった。
「……大増水してるね」
「だな」
「落ちたら、そのまま海まで流されそ……」
順に、道の端っこから10mは下にある谷底の川を覗き込むようにして確認したレック、クライスト、リリーの台詞である。あまりにも激しい水音のせいで、大声を出さないと仲間達に声が聞こえないという有様だった。
地図に拠れば、ここからしばらくこの谷川に沿って道が続いているのだが、道と川の高低差は10mもあった。当然、途中は切り立った崖である。
そんな高いところから覗き込むのは怖いからと、ミネアは辞退し、グランス、マージン、ディアナはちょっと見ただけで状況を把握して、無難にさっさと道の反対側、森がある側へとすっこんだ。
先の三人は、怖い物見たさもあるのか、単純に高所恐怖症などの感覚が麻痺しているのか、まじまじと覗き込んでいる。
ちなみに、増水していると判断した根拠は、やたらと荒れ狂っていることもなのだが、水流が濁流と化していたことが大きい。川の水は増水でもしていない限り、青や緑の色がついていることはあってもそれなりに透き通っているものなのだ。
巨岩が流されていく……ような光景は見られなかったものの、幅10m近いの川の岸を削り取ろうかとする勢いの水流は、見ていてちょっとした恐怖すら覚えるほどだった。
放っておくといつまでも荒れ狂う川を見ていかねない三人に声をかけ、グランス達は歩き出す。
ゴオゴオという凄まじい音のため、ただでさえ少なかった会話も殆ど無いままに、レック達が一時間も歩いた頃だろうか。
「あの橋を渡るわけだな」
正面に見えてきた橋を見て、地図を取り出して確認したグランスがそう言った。
近くまで寄ってみると、その橋はお世辞にも立派な物とは言えなかった。二本の巨大な丸太を向こうの崖の上まで渡し、その間に2mほどの板を張り、手すりを付けただけの簡素な物である。
「意外に揺れるな……」
橋の上に乗ってみたグランスが、感想を告げる。その言葉に、ミネアが怯えた様子を見せ、ディアナがその背中をさすっていた。
「グランス、ミネアと一緒に渡ってやってくれんかのう」
「ん?ああ、構わないぞ」
ディアナに声をかけられたグランスは橋の上から戻ってくるとミネアの手を取った。
「あっ……」
ミネアが赤面すると、
「俺が付いてるから心配するな」
という台詞でますますミネアを赤面させ、
「高所恐怖症なのは恥ずかしい事じゃないしな」
と続けた言葉に呆れたディアナに、後頭部をひっぱたかれた。
「何をする!」
流石に叫んだグランスだったが、
「いいから、さっさと渡ってしまえ」
と冷たく返され、ミネアをエスコートしながらゆっくりと渡っていった。
ディアナとクライストもそれに続いて橋を渡り始めたが、クライストがふと下流側に視線をやると、少し離れたところから橋の下を覗き込んでいるマージンが見えた。
「マージン、何してるんだ?」
その言葉でマージンは顔を上げると、
「橋が大丈夫かどうかちょっと気になったんや」
と言った後、ぶつぶつと何か言ったが仲間達には聞き取れなかった。
何か気になる事がある様子ではあるものの、仲間達を待たせるわけにもいかないためか、マージンは首を捻りながら橋のところへと戻ってきた。
それを見たレックとリリーが橋を渡り始め、その2mほど後からマージンも橋を渡り始める。
そして、マージンが橋の中程まで渡った時。
ゴンッ……ギシッ……
何か重たい物がぶつかったような音が響いたかと思うと、橋が大きく軋んだ。
途端に、マージンの顔が一気に厳しくなり、
「レック!リリー!走れ!!」
その叫び声を聞いた二人は、何事かとマージンの方を振り向いた。
ギシッ……ギギギギギギ……
橋がもう一度軋みを上げ、そして今度はその音が止むことなく続く。
「……!!まずいぞ!!早くこっちに走ってこい!」
向こう岸から橋の様子を見ていたクライストが大声を張り上げる。
そこに含まれた焦りと、鳴り止まない橋の軋みに流石にレックとリリーも慌てたように走り出した。それに一歩遅れてマージンも続く。
今や橋は明らかに傾き始め、急速に崩壊しつつあった。
そんな中、まずはレックがかろうじて向こう側のしっかりした地面にまで辿り着く。
続いてリリーが地面へと跳ぼうとした時には既に橋は完全に崩れかけていた。本人達も気づいていなかったが、レックが跳ぶためにかけた負荷に耐えきれずに、一気に崩壊が加速したのである。
「きゃああああああ!!!」
寸秒の差で足場を失い、跳ぶ事も出来ずに黄色い悲鳴を上げるリリー。
しかし、その悲鳴は不意に止んだ。
目を逸らしかけた仲間達が見ると、リリーのすぐ後ろを走っていたマージンがリリーの服の首根っこをひっつかみ、一緒に仲間達がいる道へ向かって跳び上がってきていた。
「ぎりぎりセーフ……!」
安全な地面にまで辿り着き、リリーを下ろしたマージンは、膝の力が抜けたように地面にへたり込んだ。下ろされたリリーも恐怖と安堵の落差でへたり込んでいるので、二人仲良く、である。
二人がもう駄目かと思っていた仲間達も、一斉に大きく安堵のため息をつく。
しばらくの間、力が抜けて誰一人として動かなかった。そんな中、真っ先に動き出したのはやはりグランスだった。
「とりあえず、全員無事で良かった。でだ。ここは落ち着かないから、もう少し谷から離れてから休まないか?」
その言葉に仲間達は一も二もなく頷く。
幸い誰一人として犠牲が出なかったとは言え、今は轟音を立てる激流から早く離れたかったのだった。
「というわけで、ユフォルには帰るに帰れなくなったわけだが……」
激流の轟音が聞こえないほどに谷川から離れた森の中で、改めて腰を下ろして休む仲間達に、グランスはそう切り出した。
「橋が落ちてしまったのではのう……」
しみじみとそうこぼすディアナ。
あの谷は道から谷底までの落差が10mもある上に、その両側が険しい崖で上り下りも出来そうにない。川が増水しているのは、数日も待てば水かさも減って渡れるようになるにしても、落差の問題はどうにもならなかった。
「身体強化魔法でジャンプ力が増せば、跳んで渡れるかも知れへんけどなー」
「助走できないと、無理だろう」
マージンの言葉は、即座にグランスが否定した。
「どちらにしても、祭壇を目指す以外の案はないと思うが……どうだ?」
グランスの言葉に、まだ精神的ダメージから立ち直れていない三人――ミネア、レック、リリー――を除く仲間達が頷いた。
「で、なんで、橋がいきなり落ちたんだ?」
方針が決まると、クライストがさっきから頭の中にあった疑問を口に出す。その視線は、橋の下を覗き込んでいたマージンへと向けられていた。
流石にこの話題には関心があったのか、ぐったりしている三人も視線をマージンへと向ける。
「橋が軋み始める前、何か重たい物がぶつかる音がしとった」
クライストの視線を受けて、マージンは思い出すように口を開く。
「多分、上流から岩か何かが流されてきたんが、ぶつかったんやろうな」
「それで橋が崩れたと言う訳か?」
「原因の一部は多分そうやと思うわ」
グランスの言葉に頷きながら、マージンはそう答えた。
すると、今度はディアナが首をかしげる。
「ふむ。ここはVRMMOの中じゃぞ?リアルのように、地形が変わったりするものなのかのう?」
その言葉に、マージンが驚いた。
「知らんかったんか……?」
しかし、今度はそれで仲間達の方が大きく驚く。
「いや、何をだ?」
「……はぁ。ほんまに、知らんかったんやな。てっきり、知っとるもんやと思っとったわ」
驚く仲間達を横目にため息をつくと、マージンは説明を始めた。
「ジ・アナザーは他のVRMMOとちゃう。限りなくリアルに近い仮想現実や。VRゆうても、普通は表面的な範囲しか再現されとらん。けどな、ジ・アナザーは物の内部、現象のメカニズムまで極力再現されとる。生き物の中身は流石に再現されとらんかったけどな」
「つまり……どういう事だ?」
理解が追いつかない様子にクライスト。もっとも、他の仲間達もよく理解できていない様子であった。
「生き物を除く現象は基本的に全て再現され得るんや。……自然災害も何もかもな」
「しかし、今までそんな話は聞いた事はないぞ?」
グランスが反論を試みるが、
「温暖な気候に設定されとったからな。たまに洪水や山火事は起きとったみたいやけどな」
「あれって、イベントじゃなかったのか?」
「わいの知っとる限り、イベントとして起こすまでもあらへん。条件が揃えば勝手に起きる現象や」
クライストの言葉を、マージンは一言で切り捨てた。
「じゃが、そんな細かいところは普通のプレイヤーは知らないんじゃないのかのう?」
続いてディアナが反論を試みる。
「いや。わいが言いたいのはジ・アナザーの内部仕様の話やない。表面的に見える話や。……雨が降った時、地面を雨水が流れるやろ?その時、雨水が地面を削ってるのに、気づいとったか?」
「「あ……」」
レックとミネアにはどうやら心当たりがあったらしい。
「そう言う事や。雨で地面の表面が削られるなら、濁流で川岸が削られたり、土砂崩れが起きる事もあるんや。あまりに酷い時はデータいじって修正するんやけどな」
どうやら、修正作業もした事があるようである。
「だから、橋の下を確認してたんだな?」
「そうや。……もっとも、岩が流れてきてぶつかるのは完全に予想外やったわ。あれがなかったら、崩れたりするはずは無かってんけどな」
クライストの言葉に頷いた後、首を振るマージン。
「ふむ……。なら、マージン。1つ質問があるんだが、いいか?」
少し考えた後、グランスはそう言った。
「構わへんで」
「なら……今のこの世界は、|どのくらいリアルを再現している(・・・・・・・・・・・・・・・)と思う?」
「……難しい質問やな」
言葉通り、グランスの質問を聞いたマージンの顔は、かなり厳しくなっていた。
仲間達はすぐにはその質問の意図が分からなかったものの、ディアナは何か気づいたらしく、すぐに真剣な表情になってマージンの答えを待つ。
「……生物・無生物まとめて想像を絶する範囲での再現が成されててもおかしくないやろうな。正直、風邪を引いても驚かん。……現在の計算機の演算能力では不可能としか思えへんけどな」
「いや、ちょっと待て。VRMMOで風邪を引くって……」
「あり得るかも知れんのう……」
クライストの言葉を遮り、ディアナがそう言った。
「ジ・アナザーのサービスを提供しておるコンピュータがどんな物なのかは知らん。しかし、生理現象まで再現されておるのじゃ。あり得んとは言えまいよ。エネミーや動物の内臓も再現されておるしの。私たちの|内臓も機能と一緒に再現されておる(・・・・・・・・・・・・・・・・)可能性は否定するべきでは無かろうよ」
想像だにしていなかった可能性に、それを理解できた仲間達の表情は重くなった。
しかし、マージンはというと、普段通りである。何故なら、
「まー、中身は兎に角、見かけは限りなくリアルやったんや。とっくにリアルみたいに生活しとるわけやし、今更何か変わるわけでもあらへん。気にするだけ無駄やろ。……イデア社の連中の考えとることなんて、プレイヤーに分かりっこあらへんしな」
と至極尤もな台詞を吐いた。
それを聞き、仲間達も息を吐き、重くなっていた空気もすっと軽くなった。
「それもそうか。要するに、リアルだと思って、行動すればいいだけだもんな」
「うむ。今までより少し注意する点が増えただけじゃな」
それを見ていたマージンとグランスが思うのは、「この仲間達は適応力が高いな」ということだった。
そんな内心は押し隠し、
「まあ、その通りだな。イデア社の連中の考えは気になるが、知る術など無いし、要するに今まで通り行動すればいいか」
グランスがそう宣言して、仲間達もそれに頷いた。
そこにレックが、
「しかし、魔法はどういう扱いなのかな?」
そう一言漏らす。
「そう言えばそうじゃのう……リアルに魔法などないからのう」
ディアナが少し首をかしげるが、
「リアリティと魔法は別だと思うよ。だって、魔法のないファンタジーって面白くないよね?」
というリリーの言葉の方が説得力はあった。
仮想現実であるからこそリアリティを追求する事と、そこに現実には存在しない要素を加える事の間に、確かに矛盾はない。ただ、バランスを取るのが難しくなるだけの事だった。
そう考えると、
「んー、そうだね。気にしたら負けだね」
レックも素直に頷く事が出来た。