第三章 第十話 ~魔物来襲~
暗闇の中、シャイツは逃げていた。
明かりとなるランタンは既に無く、何も見えない闇の中で頻繁に壁にぶつかり、何かに蹴躓き、そのせいであちこちに怪我をしていたがその傷みなど感じる事もなく、ひたすら逃げていた。
最初は恐怖から、あれに見つかりたくないという一心で抑えていた愚痴も、今はただ単に疲労故に出なくなっていた。
代わりに頭の中は、何でこんな事になったのかという疑問で一杯だった。どうやって生き残るかなどという考えても仕方ないことはチリほども残ってはいない。
(いちいち地下通路で待ち伏せなんてしようとしていなければ……こんな事にはなってなかったんだっ!!あいつらだ!あいつらのせいだ!!)
――時間は少し遡る。
「ほんとに来るんッスカ?」
誰かがそう言った。
ランタンの明かりも消した闇の中、シャイツに率いられたダイナマイツサンダーのメンバー約30人は、地下通路第三層にて息を殺してじっとしていた。正確には、レック達が再び地下通路を通ってやってくるのを待っていた。
左手をぼろぼろにされたシャイツは、勿論、復讐を考えていた。そのためには、連中を捕まえなくてはいけない。
何らかの目的があって侵入してきたあの連中は、まだ目的を果たせていないだろうから、もう一度来るだろうと考えていた。しかし、グレンが橋から4番街区に殴り込もうとしている以上、地上からは来れないだろう。なら、地下通路で罠を張って待ち構えよう。そう考えたのである。
「来ないなら来るまで待つだけだ」
シャイツは疑問をぶつけてきた手下の頭を軽く叩き、黙らせる。
とは言え、
(……もう少し冷静に考えるべきだった)
頭の中ではそう考えていた。
実際、連中にとっても危険な目に遭ったのだ。そんな昨日の今日で、のこのこやってくるほどおめでたい連中かどうか。
冷静に考えれば、見張りだけ付けておいて、何かあってから動いても良かったのだ。
かといって、今更手ぶらで引き返すのも癪である。例え手ぶらであっても、数時間程度は待ち伏せたかった。あるいは、4番街区地下通路への侵入と探索を行うなりして、何らかの成果を持って帰るのもいいだろう。
まあ、どちらにしても、しばらくはここで待ち伏せる。3番街区にしろ2番街区にしろ、彼らの持っていた地図に従って地上を目指すなら、ここは通らざるを得ない。
警戒はしているだろうが、最初に銃弾の一発も撃ち込んで混乱させれば、後はこっちの思うがままだ、そうシャイツは考えていた。
最初、それが来た時、気づいた者はいなかった。
殺された本人ですら、自らの首が地面のぶつかった衝撃でやっと気づいたのである。
「おい、今のは何の音だ?」
ゴトンという音に振り返った仲間達だったが、当然何も見えないし、返事もない。
「さあ?おい、サブロー。分かるか?」
「いや……」
そう言っている間にもまた、ゴトンと音がする。
「?」
音に遅れて自分にかかってきた生暖かい液体の臭いを嗅ぎ、
「……血の臭い?」
誰かがそう言った。
その時には既に三度何かが落ちる音がして、一帯には濃厚な血の臭いが漂い始めていた。
何か、やばい事が起こっている。それをその場にいた全員が悟るのに時間は要らなかった。
もっとも、
「明かりだ!明かりを付けろ!!」
待ち伏せどころではない事に気づいたシャイツがそう叫んだ時には既に遅かった。
一行の後ろにいたはずのメンバーは既にことごとく地面に倒れ、今また、新たな犠牲者の前に大きな爪を振りかざしたそれが立っていた。
だが、微かな明かりでは、それの全貌は到底分からなかった。あまりに黒いそれは、ランタンの明かりの下でも周囲の闇と同化していたのだ。ただ、赤く縦に裂けた瞳とランタンの光を反射して光る爪だけが、よく見えた。
明かりに晒された事を気にする風もなく、それは爪を振り下ろし、自分の目の前で起きている事を理解できていなかったメンバーの喉をいとも容易く掻き切る。
喉から噴き出した血を、口を大きく開けて一口飲むと、新たな犠牲者の前に移動し、再び首を斬る。それにとって、その行為は単なる作業でしか無く、それ故に見る者に残虐性を感じさせなかったからだろうか。
事態を把握したシャイツが、
「まずいっ!逃げろ!今すぐ逃げろ!!」
そう叫ぶに至ってようやく、生き残っていた全員が動き出した。
恐怖を認識し、真っ先に出たのは悲鳴。
何人かが逃げ出そうとするも、それは動く獲物から順に襲いかかっていったため、仲間を盾にして逃げ出したシャイツ以外は誰一人としてその爪から逃れる事は出来なかった。
なけなしの明かりは持っていたメンバーがあっさり落としてしまい、現場はすぐに闇に包まれる。
そして、暗闇の中で今度こそ逃げる事すら出来なくなったメンバーの悲鳴をBGMに、それは彼らを一人ずつ斬り殺していったのだった。
「はあっ……はあっ……」
どのくらい走っただろうか。
息も切れ切れになり、これ以上走り続けることが出来なくなったシャイツは、ついに足を止め、壁に背を付けてもたれかかった。
(ここまで来たら、流石に逃げ切れただろう)
そう考えると、まださっきの恐怖は完全には抜けきってはいないが、多少は心のゆとりも出てくるというものだ。
もっとも、今に関してはそれは逆効果だったかも知れないが。
(いや、ちょっと待て……ここはどこだ?出口はどっちだ!?)
息が整っていたら叫んでいたかも知れない。
だが、今の状況はある意味当然のものであった。
何も見えない暗闇の中を、ひたすら走っていたのだ。どの道を走ってきたのかなど分からない。どれだけ走ったかも分からない。おまけに明かりも無い。
あれの恐怖から逃げ切れたと思ったが、今シャイツは、別の恐怖に捕らわれようとしていた。だから、物音がしたとき、警戒するべきだったのに、安堵が先に立ってしまったのも仕方ない事だったのだろう。
「あ……?が……??」
それが、シャイツが残した最後の言葉だった。
心臓を貫いた爪がすっと抜かれると、次の瞬間、シャイツの首は宙に舞っていた。
そして、やがて暗闇の中、聞く者もいないままに咀嚼音だけが響き始めていた。
さて、ここで再び時間は遡る。
レック達を待ち伏せていたシャイツ達を襲ったモノが、地下通路に侵入する前にまで。
「まさかキングダムにまで現れるなんて予想外だよね」
空を見上げながら、ホエールは困った顔をするしかなかった。
その視線の先には、空を舞う黒い影。
視線を下ろせば、先ほどから悲鳴と怒号が渦巻いているクックキー中央大橋。先ほどそこに一体の魔物だか魔獣だかが降り立ち、軍の兵士達が必死にその足止めをしているところだった。
少し前まで軍と交戦していたダイナマイツサンダーは、隊列の中央に魔獣――グリフォンっぽいしホエールはそう判断した――による魔法攻撃とそれに続く突撃を受け、多数の死傷者を出した挙げ句に大混乱に陥り、今では軍によって保護される立場へと成り下がっていた。
流石にダイナマイツサンダーを率いていたグレンはパニックを起こすことなく、立ち向かっていった。しかし、パニックを起こした手下共にもみくちゃにされているところにグリフォンの一撃を食らい、吹っ飛ばされてきたところを兵士達に拘束されたというか、保護されたというか……
「いやいや、呑気に観戦してる場合じゃないね」
そう言って、グリフォンのところへ向かおうとしたホエールの元に、一人の兵士が走り寄ってきた。
「ホエール中将!他の街区でも魔物の襲撃が確認されています。出来れば、応援をよこして欲しいということです」
その報告に、ホエールも思わずしかめっ面になる。
「ここだけじゃないんだ?……城門の外はどうなってるのかな?」
「はい。城門の外から攻めてくる気配はないとのことですが……」
個人端末を操作し、クランチャットを確認して、兵士はそう答えた。
「他のところも多分、空から降りてきたんだよね?」
「そのように連絡を受けています」
「……あれみたいに、上空にまだ留まってるのがいるのかな?」
そう言ったホエールの指さす先の空を舞う魔物を見た兵士は、クランチャットで他の場所の状況を問い合わせ、
「そのようです。上空に現れた魔物のうち、実際に降りてきたのはまだ一部に留まっているようです」
「ふむ……」
どうしたものかと考え込む。
これまでの魔物による町への襲撃については、それなりにまとめられたレポートが作成されており、各街の防衛担当者はそれの最新版に常に目を通すように言われていた。当然、ホエールもしっかり読んでいる。
その中でも重要なのが、襲撃してきたエネミー全てが戦闘に参加するわけではない事だった。どちらかが全滅するまで戦い続けるのではなく、必ずあっちが撤退を始めるのである。
(問題は上空のあれが降りてくるかどうかだけど……)
撤退基準が分からない以上、最悪のケースを想定して動くしかなかった。
正確には、襲撃を主導している魔物を倒せばエネミー達が撤退するのは分かっているのだが、キングダムは広すぎてどこに頭となる魔物がいるのか、探すのにも時間がかかりすぎる。
「この場にいる兵力のうち8割を他の街区への応援に回す!非戦闘系プレイヤーの保護を最優先に!」
とりあえず、非戦闘プレイヤーの保護を優先しても、自分さえいればこの場は崩れる事はないと考え、ホエールはそう命令を下した。その命令を受け、速やかにこの場に残る小隊と街の防衛に回る小隊が決定される。
「じゃ、僕はグリフォンの相手をするよ」
防衛に回る小隊が新しい動きを見せ始める前に、部下達にそう告げて、ホエールは橋の上で暴れているグリフォンの元へと向かった。弓での足止めは既に失敗に終わり、兵士達は槍や剣で必死に応戦している。いくら鎧を装備しているとはいえ、このまま放っておけば死人が無駄に増えかねない。そうなる前に、この場で一番強い自分がグリフォンの相手をするべきだった。
そして、似たような魔獣の襲撃はクックキー中央大橋だけではなかった。大陸会議が支配している4~6番街区でも空からの襲撃を受けていたし、そのほかの勢力が支配している街区でも同様だった。
ただ、各街区を支配している勢力が、このような襲撃が起きうる事を予想していたかどうかで、状況は大きく違っていた。
「急いで近くの建物に逃げ込め!!」
5番街区の商店が密集しているエリアに魔獣が舞い降りてきた時、当然のようにその場は大混乱に陥った。だが、巡回に当たっていた兵士のその叫びによって、混乱しながらも戦闘能力を持たないプレイヤー達は我先にと手近の建物に避難した。
無論、そのままでは魔獣グリフォンが建物に入り込みかねない。巡回に当たっていた兵士達のグループは、すぐにクランチャットで応援を呼ぶと、建物の隙間からグリフォンの注意を引きつけていた。
軍が警備していた他の街区でも何カ所かで魔獣が舞い降りたものの、同様に巡回の兵士達が場の混乱を収め、魔獣の注意を引きつける事で、魔獣が舞い降りた際に食い殺された数人を除けば、被害はほとんど出ていなかった。
同様に、被害が少なかったのが、エドバドが支配していた10番11番街区である。
エドバドは暴力による支配を試みる一方で、支配対象となるプレイヤーの流出を抑えるために、無駄な略奪や暴力を禁じていた。同時に治安の維持にも熱心であり、各所に見張りを置いていたことが、今回は功を奏したと言える。
「あれ、なんだ?」
ふと上空を見上げた見張りの一人が、そう声を上げ、数秒後にはそれが鳥などではない事を察した。
彼からクランチャットで報告を受けたエドバド首領グロッサリアは、出入りしている商人達から仕入れていた情報を元に、魔獣の襲撃だと判断。すぐに全住人に避難命令を発し、エドバドの構成員の中でも非常事態に備えて特に鍛えていたメンバー達に迎撃を指示していた。
一方で、1番12番街区を支配していたクラッカーズはそこまで用意周到ではなかった。
そもそも、『魔王降臨』直後からあまり後先考えずに暴れ、エドバドや大陸会議の支配街区に相当数のプレイヤーが流出。最近になってやっと、暴れるだけではダメだと気づき始めた矢先だったため、まともに対応できていなかった。その結果、
「助けてくれ!!」
「頼む!入れてくれ!!!」
「ひぃぃぃ!!!」
外に出ていたクラッカーズメンバーを含むプレイヤー達は、魔獣の襲撃により大混乱に陥っていた。そして、
「クソッ!来るな!あれがこっちに来るだろうが!!」
「邪魔だ!死ね!!」
「おまえが餌になればいいんだよ!!」
魔獣による直接の被害よりも、混乱の中で生じたプレイヤー同士の暴力による被害が拡大しつつあった。
そしてある意味被害が少なかったのが、ダイナマイツサンダーと夜露死苦連合の支配する3番4番街区と7番8番街区である。
元々、両者のあまりの非道さに相当数のプレイヤーが逃げ出した後だった上、残っているプレイヤーも彼らを恐れ、ほとんど外を出歩いたりはしていなかった。
一方で、ダイナマイツサンダーと夜露死苦連合の構成員達の中でも呑気に外を出歩いていた者たちは、当然のように魔獣に襲われ、為す術無く殺されていったのだが、この犠牲に一般プレイヤー達は喜びこそすれ、一切同情はしなかった。
地下通路から出てきたレック達もまた、地上に降りてきていた魔獣の一体との戦闘に突入していた。
建物の中に隠れていても良かったが、放っておくと建物の中にまで魔獣が入り込んで、プレイヤーを食い殺しそうだったので見過ごすわけにも行かず、やむを得ず、である。
既にグリフォンの翼には何本もの矢と十数発もの銃弾が撃ち込まれ、飛ぶのもままならない。せめて距離を取ろうとグリフォンが試みると、ミネアとクライストがそれぞれの弓と銃で魔獣を攻撃し、足止めする。
その間にグランス、マージン、レックが距離を詰め、次々に武器を振るうが、グランスとマージンの武器はその重量故に攻撃の大半が易々と躱されてしまう。レックの方は逆に爪と嘴での牽制を喰らって、なかなか攻撃を当てる事が出来ない。
それでも、3人の波状攻撃のせいでグリフォンは誰か一人を集中して攻撃する事も出来ず、逆に時々当たるレック達の武器で、ちまちまとダメージが蓄積していた。
「すごいな……」
その様子を見ていたフレッドは感嘆しきりである。
フレッド自身も冒険者として活動していた経験もあるが、中級冒険者になる前に『魔王降臨』が起き、軍に入ったため、グリフォンのような魔獣と戦った経験はなかった。
ちなみに、ディアナとリリーは槍やら棍やらにまだ慣れてないという事もあって、ミネアとクライストの護衛である。もっとも、上空を飛び交っている魔獣達に動きがあれば、前衛の3人に即座に知らせる役目も負っていた。
「痛っ!!」
左の二の腕をグリフォンの嘴がかすめたレックの前に、
「大丈夫か!?」
そう言いながら、グランスが出てきてグリフォンの爪を戦斧で弾き返す。
「ちょっと深い。少し下がってもいいかな?」
かすめただけとは言え、グリフォンの破壊力は大きかったらしく、レックは骨に届きそうな傷を負っていた。
グランスは頷くと、
「ミネア、レックに治癒魔法を頼む!マージン、レックが戻ってくるまで持ちこたえるぞ!」
そう叫んで、レックを追撃しようとしていたグリフォンめがけて戦斧を振り下ろすが、あっさりと避けられてしまった。
しかし、そのタイミングで銃声が鳴り響き、グリフォンの毛が周囲に飛び散る。
「はあっ!!」
クライストの援護で一瞬動きを止めたグリフォンの脇腹を狙ってマージンが振るったツーハンドソードは、その翼に大きく食い込んだ。
「ギイィィィ!!」
流石に堪らず大きな鳴き声を上げるグリフォン。しかし、ただでさえ銃弾と矢で傷ついていた翼は、完全に飛翔能力を失い、逃げる事もままならない。
ただ、もう一撃を入れようとしたマージンは、怒り狂ったグリフォンが嘴で反撃してきたため、とっさに避けていた。
その瞬間、グランスの正面に無防備に伸びたグリフォンの首が晒される。
「おおおおおぉぉぉぉぉ!!」
今度は下から振り上げる形で、戦斧をグリフォンの首へと叩き付けるグランス。
寸前、マージンに攻撃を避けられたグリフォンの首がグランスの方へと向き直るが、タイミングを見計らっていたかのようにクライストがその顔を狙撃する。
その銃弾は嘴に当たり逸れてしまったが、その衝撃で一瞬グリフォンがふらついた隙を逃さず、グランスの戦斧がその首へと食い込んだ。
「ギィィィィ…………!!」
首筋の傷から大量の血を流しながら、それでもまだグランスに爪を突き立てようとしたグリフォン。しかし、今度はマージンに反対側から首を切りつけられてしまった。
流石に耐えきれず、どうと倒れ伏すグリフォンの巨体を眺めながら、
「やったか」
流石に疲れた様子のグランスに、
「そうやな。流石に魔獣クラスはまだ結構つらいわ」
とツーハンドソードを杖代わりにしているマージン。
途中、戦線離脱する羽目になってしまったレックは、
「やっぱり、武器が小さいと戦いづらいな」
その怪我は既にミネアによって完治させられていた。
「とりあえず、他の魔獣が降りてくるような事はないようじゃな……他の地区にはまだおるかも知れんが」
戦闘には参加していなかったが、ディアナも上空の魔獣への警戒からやはり疲れた様子を見せていた。
そんなレック達の様子を見ていたフレッドだったが、思い出したように個人端末を操作し、クランチャットで他の街区との連絡を試みる。
その様子を見ていたグランスは、
「他はどうなってるんだ?」
「似たようなものだ。一部では何とか撃破できたようだが、まだそうできてない場所も多い」
フレッドは厳しい表情でそう答える。
それを聞いたグランスは、空を見上げ、
「飛んでるあいつらが降りてこないなら、随分気が楽になるんだが……」
そう呟いた。するとクライストが、
「俺達は魔物の襲撃とか初めてだからよく分からねぇんだけどさ。イベントみたいなもんなんだろ?終了条件みたいなのは分かってねぇのか?」
「上からは特に聞かされていないな。ただ、どちらかが全滅するどころか、大抵の場合はある程度の被害が出た時点で、エネミーは去っていくらしい」
「つまり、あれが全部降りてくる心配はしなくていいってことか?」
空を見上げたクライストに、フレッドは「多分な」と頷くと、
「とりあえず、俺は軍に合流する。君たちはどうするつもりだ?」
そうグランス達に訊いてきた。
「そうだな。少しくらいは手伝っておきたいところだが……」
そう、グランスが視線をやると、
「ぎりぎり何とか出来そうだし、僕は賛成するよ」
「まあ、反対する理由はないのう」
「やっぱり、助け合いは大事……です」
「あたしは出番無かったから、ノーコメントでお願い」
賛成が5で棄権が1だった。
それを確認したグランスは、フレッドに向き直ると、
「そういうことだ。俺達も同行させて貰おう。多少は力になれるはずだ」
「……ああ。よろしく頼む!」
フレッドがそう差しだした手を、グランスはしっかりと握った。
「これは、少しまずいね……」
左腿に負った大きな裂傷など素知らぬ風に、ホエールは頭を掻いた。
予定通り、橋に降りてきていたグリフォンは倒せたものの、戦っている途中にもう一頭グリフォンが舞い降りてきたのが良くなかった。それも何とか倒したものの、そのせいで決して小さくない被害が味方に出てしまった。
死亡した兵士の人数はまだ少ないものの、ポーションを与えたところで長くは持たないだろう兵士が少なくない。無事な兵士の方が圧倒的に多いとは言え、素直に敵の撃破を喜べる状況ではなかった。
ホエール自身、足を服の袖で縛ってはいるものの、今のままではそのまま失血死してもおかしくない。
「ホエール中将、座って下さい。立ったままでは出血が余計酷くなります!」
そう言ってきた部下の言葉に従い、ホエールは自分の血で赤く染まっていた地面に腰を下ろした。途中、足の傷が疼いて少々顰めっ面になってしまった。
「ポーションの在庫はもう無いのかな?」
「っ……申し訳ありません。まさかこのような事態になるとは予想もせず、持ってきていた分は使い果たしてしまいました。今、取りに行かせてはいますが……」
無念そうに報告してくる部下を止め、ホエールは目を閉じる。
出血の影響か、少々頭がぼんやりしてきている。どうも、足を縛って出血を抑えるには、服の袖では役不足だったらしい。
(ああ、それに、こんなに沢山の部下を死なせてしまうのか)
ホエールにとっては、沢山の部下が死んでしまう事も十分つらかった。
顔を見知ってる相手が死んでいく。二度と会えなくなる。リアルでは身近に感じる事が出来なかった死というものは、ここではあまりにも身近でつらいものだった。
それでも、仲間達を守りたいと思って、戦う事を選び、頑張ってきたはずだったのだが……
などと考えていると、急に辺りが騒がしくなった。
重たくなってきていた瞳をこじ開けると、橋の方でなにやら騒ぎが起きているようだ。
何事かと訊く前に、様子を見に行っていたらしい部下が一人、神官っぽい金髪の優男を引きずるように連れてきた。
その神官がホエール――というよりもその周りの地面に広がっている血だまりを見て顔を顰める様を見て、
(ああ、お経を上げに来たんだな……)
などと、思いっきり宗教を取り違えたような事を考えていると、
「お願いします!この人は大事な人なんです!是非とも助けて下さい!!」
と猛烈な勢いで部下が神官に頭を下げている。
「分かったから、ちょっと静かにしていてくれ」
神官はそう言って部下を黙らせると、血だまりに膝を付け、ホエールの方へと手を伸ばしてきた。
彼の真っ白なローブが自分の流した血で汚れてしまう事に罪悪感を覚えながらも、何となく目を閉じるホエール。すぐに耳に聞き慣れない歌のような言葉が聞こえてきた。
その静かだが落ち着く歌はホエールの心にゆっくりと染み込んできた。が、すぐに終わってしまう。
だが、残念だと思う間はなかった。
「!?」
そこにある事さえ忘れていた左足の怪我の痛みが、急激に退いていく。そのことに驚愕して目を開けると、神官の男がホエールの傷口から手を離し、立ち上がるところだった。
「これで死にはしないだろ。じゃ、俺は他の連中の怪我を見てくる。後は任せるぜ」
そう言い残して、さっさと他の兵士のところへと立ち去ってしまう。
その様子を見送ったホエールの頭は、まだぼーっとしていたが、左足の怪我がほとんど治っているのは何となく分かっていた。だから、部下に訊いた。
「今のは……何なの?」
「フレッドが地下通路探索に雇った冒険者だそうです。治癒魔法が使えるというので、中将の怪我を治してくれと頼み込んだのです」
安心のあまり、泣きそうな顔になっていた部下の説明を聞き、ホエールは、
「そうか……フレッドの、ね」
確かに、最近、治癒魔法の祭壇が再発見され、使い手が続々と――と言っても、冒険者の一部に限られていたが――生まれている事は聞いていた。だから、部下の説明はすんなりと納得できた。
「今、彼と彼の仲間達が重傷者に治癒魔法をかけて回ってくれています。人数が多いので、怪我を完治させるのは諦めないといけないそうですが……」
「死にかけていた部下が一人でも多く助かるなら、それでいい」
部下の説明を遮り、ホエールはそう答えた。
どうやら失われた血液が完全に戻るとまではいかなかったらしいが、立ち上がる事は出来そうだと立ち上がる。周囲の様子を見回すと、確かに兵士と違う装備をした冒険者らしきプレイヤーが何人か歩き回っているのが見て取れた。
それから間もなく……と言っても、30分くらいは過ぎただろうか。
「疲……れた……」
地面の上に潰れているのはマージン。
だが、蒼い月の他のメンバーも、グランスとディアナとリリーを除けば、皆疲れ切って、地面に座り込んだり、突っ伏したりしていた。
周囲を軍の兵士達に包囲されてはいるが、これは魔獣達に対する護衛であって、蒼い月を拘束しようとしているわけではなかった。
グリフォン2頭との戦闘で軍が大量の重傷者を出し、あまつさえキングダムにおける最高指揮官まで死にかけていた。そこに、フレッドに連れられてやってきたのが蒼い月だった。
何人ものプレイヤーが死んでいて、さらに数十人ものプレイヤーが死にかけている。そんな惨状を見たレック達は、フレッドを通じて無事な兵士達に魔獣への警戒と対処を頼むと、レック、クライスト、マージン、ミネアの4人で重傷者に片っ端から治癒魔法をかけて回ったのである。
流石に人数が人数だったため、全員を完治させようとするとレック達の魔力だか体力だかが足りない恐れがあった。そのため、一人一人にかけた治癒魔法は半端なものとなってしまい、痣やら擦り傷やら切り傷やらが残ったままだったが、かなりの人数が死なずに済んだ。
というわけで、仲間達を助けて貰った兵士達が、疲れて動けなくなったレック達の護衛を買って出たのである。
「まあ、戦うより直接人を助けられたんだから、よしとするのじゃな」
地面に仰向けに転がっているクライストをつつきながら、ディアナが言う。
そのクライストはというと、いつもは真っ白なローブが兵士達の血を吸って真っ赤に染まってしまっていた。これは、治癒魔法をかけて回っていた他の3人も似たり寄ったりで、すごい血の臭いを漂わせていたりする。
だが、人を助けて回った証だからだろう。気が弱いミネアですら、その血の臭いで気分が悪くなっている様子は見られなかった。――疲れ果ててはいたが。
「どうやら、襲撃も終わりのようだな……」
軍の兵士達と一緒に、疲れ果てたレック達を守るべく立っていたグランスの言葉に仲間達が空を見上げると、先ほどまで空を飛び交っていた魔獣達の影はいつしかまばらになっていた。
周囲の兵士達もそれに気づいたのか、雰囲気が随分軽くなってきている。もっとも、まだ警戒を解かないあたりに、しっかり訓練されている気配が伺えた。
「夜まで続かなくて良かったよ……これで、今夜は落ち着いて眠れそう」
「そう……ですね……」
何とか地面に倒れ込むのを踏みとどまっているレックとミネアも、安心したように息を吐く。
それに対して些か複雑そうな顔になっているのがリリーだった。
何しろ、3番街区でのグリフォン戦でも、ここでの治療行為でも、実質あまり役に立っていない。戦闘が終わったのは嬉しいものの、微妙に素直に喜べなかった。
そんなリリーが少し俯き加減になっていると、
「あー、気にせんでええで?今日役に立たなかったなら、明日役に立てばええんや」
リリーの側で潰れているマージンから、そんな声が聞こえてきた。
「えっと、気にしてる訳じゃないんだけど……」
そう言ってみたものの、リリーとしては役に立たなかった事を気にしているのは事実だった。だから、マージンの慰めっぽい言葉で少し気が楽になった気はしたものの、まだ気が重かった。
のだが、
「そうか?なら、ええんやけどな。まー、今日は索敵の出番なかったもんなー……」
マージンのその言葉で、確かにいつも役に立ってないわけじゃない事を少し思い出した。それでやっと少し気分が軽くなる。
「……ありがと」
小さく呟いたその言葉がマージンに届いたかどうか。
気になったリリーが地面を見ると、そこでは疲れ果てたマージンがいつの間にか寝息を立てていた。
そのことに、リリーがちょっとだけ腹を立てていると、周りの兵士達の壁が急に割れた。
「む?」
マージンと同じように、意識を失ってしまったらしいクライストをつついていたディアナが、立ち上がる。
見ると、兵士達の間を通って、一人のプレイヤー――正確には他の兵士の肩を借りていたので二人――がやってくるところだった。
ふらふらしながらやってきた黒髪黒目、ついでに中肉中背の典型的な日本人の外見を備えたそのプレイヤーの装備を見たグランスが驚いたように、
「中将か。まさか軍の幹部がいたとは驚きだ」
と言うと、軍の中将――ホエールは笑みを浮かべ、
「部下だけに全部を任せて、自分は安全地帯から出る事はないというのは、銀竜騎団のやり方じゃないんだよ」
そう言って、肩を借りていた部下から離れる。
すぐにふらついて、それでも何とかバランスを取ったその顔色は、お世辞にも良くなかった。
「一応、僕も死にかけていたからね。そこの彼に助けて貰ったから、お礼を言いたかったんだけど……」
ホエールはそう言いながら、地面で眠りこけているクライストに視線をやった。
「まあ、個人的な事は、彼が起きているときに改めてお礼に伺うよ。今は兵士達の命を預かる上司として、お礼を言いに来たんだ」
そう言うと、姿勢を正し、
「キングダム支部を預かっているホエールだよ。階級は中将。先ほどは君たちのおかげで、多くの部下の命が助かった。礼を言うよ。ありがとう」
ホエールがそう言い終わるとすぐに、周りの兵士達からパチパチと拍手が始まった。その拍手はすぐにその場にいた兵士達全員に伝播し、皆が蒼い月への感謝を込めた拍手をし始めたのだった。
いつの間にか、空からは黒い影が全て消えていた。