第十八章 第四話
昼下がりのガバメント、正確にはその一角を構成するアメリカの軍事訓練施設。その敷地を西に向けて歩く奇妙な一団があった。どこが奇妙かというと、整列して歩いているように見えて微妙に隊列が崩れているところ、だろうか。
まあ、この集団の正体は簡単で、
「なんか、大事になっちゃいましたね……」
「わいらだけで移動すると目立つらしいでな。護衛ってことでいろいろつけてくれたんや」
そんなアカリとマージンの会話からも分かるように、蒼い月と風間に頼まれて蒼い月を敷地の外まで護衛する一団というわけである。
「蒼い月だけで移動したら目立つなんてもんじゃない。多少の偽装はしないと、すぐに見つかって捕まるよ」
とは、マージンとリリーからさっさと出発するという話を聞いた風間の台詞である。
そのときに風間が提案してきたことは2つ。1つは兵士の服装を着ることで、もう1つは風間と懇意にしている大佐のところの兵士達と行動することだった。
そんなわけで、些か大事になった蒼い月の移動だったが、今のところうまくいっているらしく、特に足止めを食らうことなく西門へと向かえていた。可能であれば、メトロポリス側になる東門から出たかったのだが、蒼い月がいなくなったことがばれたら、真っ先に東門が押さえられるだろうということと、何より西門の方が少しだけ近いため、西門を目指しているのだが。
『もう少しペースを上げたいが、大丈夫か?』
そうマージンに声をかけてきたのは、ジェフリー・スタイン大尉だった。風間が懇意にしている大佐の部下の一人である。マージンに声をかけたのは、マージン以外は英語が話せない、ということになっているからだったが。
それはさておき、マージンからジェフリーの質問を聞いた仲間達は、アカリ以外問題ないという返事だった。リリーは身体強化は使えなくても、何年も旅をしているのは伊達ではなく、それなりの体力がついていたし、エイジに至っては最初からミネアが抱えて歩いていた。勿論、子供の姿は非常に目立つので、荷物っぽく偽装はしていたが。
「ごめんなさい。ちゃんと使いこなせてれば……」
そう言いながらアカリが撫でたのは、右手の中指にはめられた指輪だった。マージンお手製の魔導具で、その効果は低レベルの身体強化である。
ただ、魔導具を使うのは簡単ではない。少なくとも魔力を感じることができて、それを魔導具に流し込むくらいはできないと駄目なのだ。実際、マージンからポンと指輪を渡されたアカリはそれを使うことが全くできなかった。
「気にすんな。とっとと渡してなかったマージンが悪い」
「いや、それ、作るん結構手間かかるんやけど……」
何やらマージンがしていた言い訳はあっさり無視されたが、
「まー……ちょいと面倒やけど、わいの魔力で起動しよか」
仲間達はその台詞は流石に無視できなかった。
「え? そんなこと、できるの?」
「職人の必須技能や」
驚くリリーにマージンがどや顔で答えた。なんでも、作った魔導具の動作確認に必要になることがあるからだとか説明する。
(いや、まあ、分かるけど……分かるんだけど……)
そうモヤモヤしているのはレックだった。
ちなみに、マージンがやろうと言い出したことはたいした難易度でもないので、レックにもできる。だが、どうしてできるのかと訊かれても、理由を答えられないのだ。
「あっ……」
そんな感じでレックがモヤモヤしている間に、マージンがアカリの手を取って、指輪に魔力を流し込んでいた。声を上げたのは、それを羨ましそうに見ているリリーで、
「ヒューヒュー!」
周りで見ていたジェフリーの部下達が口笛を吹きながら囃し立て、
『貴様ら、静かにしろ!』
と、ジェフリーに怒られていた。尤も、ジェフリーの怒りの矛先は部下だけではなく、部下達が騒ぎ立てた元凶にも当然向かった。
『おまえ達も、こんな時にいちゃつくな。放り出すぞ』
『ああ、そう見えたか。済まない。一人、ペースを上げるのがつらそうなのがいたから、ちょっと呪いをかけたんだ』
『呪い?』
マージンの言葉にジェフリーは一瞬訝しげな表情を見せ、それからすぐに何かに思い当たったらしい。
『ああ、魔術ってやつか。こっちにはそんな便利なものもあったな』
魔術がゲームの中だけのものだと信じているらしいジェフリーの言葉に、マージンは微かに苦笑すると、
『まあ、これで少しはペースを上げられるはずだ』
『そうだな。後3km弱。30分で抜けるぞ』
真っ先に東門が押さえられるだろうとは言え、すぐに他の門にも上の手が回るのは誰でも簡単に予想できることだった。
それでも、まずはこの敷地から抜け出さなくてはならない。何しろ、この敷地は頑丈かつ10mもの高さの壁で周囲を囲まれているのだ。門が通れなくなる前にここから出てしまわないと、後が大変なのは目に見えていた。
『30分で間に合うと思うか?』
『いつ、上が気がつくかだ』
マージンが起動させた魔導具の力でアカリのペースも上がり、それに伴って全体の進行速度も上がったところで、マージンがジェフリーに声をかけた。
『何もなければ、早くても夕方くらいまでは気づかないだろうが、敷地の中には上の目も多い。そろそろバレてるだろうな』
建物が密集している地域を抜け、倉庫やら格納庫やらが散在している地域を早足で歩きながら、ジェフリーはそう答えた。
『ということは、後はあちらの通信能力次第、か』
いくら広い敷地だからといって、クランチャットの有効範囲に匹敵するほどの広さはない。だから、クランチャットを使われたら一発でアウトなのだが、幸いなことに、ガバメントではクランチャットはほとんど使われていなかった。というのも、ここで訓練を行っている部隊にとって、現実に存在しない通信手段は訓練の妨げにしかならないと考えられていたからだ。そのため、事務方でしかクランチャットは使われていなかった。
おまけに、
『通信機器もエネルギーが切れかけているからな。多分、大丈夫だろう』
というジェフリーの言葉通り、通信機器が使われる心配もほとんどなかった。何しろ、片方だけ起動しても、通信先がエネルギー消費を抑えるために電源を切っていたら意味がないのである。定時連絡も実際に人が走り回っている以上、先に連絡が行く可能性はほとんどなかった。
ただ、それでも急がなくて良い理由にはならない。何しろ、ここの敷地にはまだ動く乗り物が幾つもあるのである。万が一それらを使われてしまえば、通信機器が使えるかどうか以前の問題になるのだった。
尤も、結論から言うと、ほぼ全て杞憂に終わった。西門に吐くまで何も起きなかったし、西門からもジェフリーの権限であっさり出ることができたからだ。
ただ、問題がないわけでもなかった。
『上も気づいたらしい。訓練を兼ねた追っ手がかかるんじゃないかと大佐は予想してるな』
西門を出て少し行ったところ、定時連絡を終えたジェフリーがそう言ったのだった。
「で、どうするかや」
「どうするかも何も、逃げるしかないよね。追いつかれて交戦とか……避けたいんだけど」
とりあえず距離を少しでも稼ぐべく西へと向かいながら、レック達は相談していた。エイジは流石にミネアが抱えていたが、アカリは身体強化にまだ慣れていないこともあって、一旦身体強化を解除していた。もう少ししたらまたマージンに身体強化を発動させてもらう予定だったが。
「マージンが言いたいのは、逃げる方角のことではないのかのう」
「そうそう、それや。何も考えずに馬鹿正直にメトロポリス目指したら、多分、あっさり見つかるで」
「それは……そうだね」
レック達が今いるメトロポリスの西側に広がる地域には街がない。というのも、南西方面に偏ってはいるが、かなりの範囲にわたって各国の軍事訓練施設が点在しているからだ。実際、風間に見せてもらった地図では、メトロポリス以外だと、一番近い街でも現在地から200km近く離れていた。
となると、追っ手もメトロポリス方面を優先的に調べるだろう。ここからメトロポリスまでには身を隠せない地形が少なくないことも考えると、メトロポリスを目指せばすぐ見つかってしまうというのは、簡単に想像できた。
「となると選択肢は多くねぇな。ってか、選択の余地自体、ねぇんじゃねぇか?」
「別の街を目指すか、遠回りしてメトロポリスに戻るかくらいはあるで。ネタ選択肢でええなら、このまま中央山脈に向かうってのもあるしな」
「中央山脈はねぇな」
「うむ。ないのう」
うまくいけば竜というこの上ない移動手段が手に入るが、そこまでの距離と現地の危険性を考えると、このまま突っ込む選択肢はあり得なかった。
ただ、一行はあることを見落としていた。
「中央山脈はないとしても、メトロポリスに戻る理由って何かあったっけ?」
「そりゃー……」
レックの言葉にクライストが何か答えようとして言葉に詰まった。他の仲間達も頭をひねっているが、何も思いつかないらしい。
「……食料は?」
「僕のアイテムボックスにまだ十分あるね」
ちなみに、食料以外の消耗品も似たような状況である。仮に無かったとしても、メトロポリスでどこまで補給できるかが怪しかった。
「体洗うのも、その辺の川の方がマシだったしな……」
メトロポリスにも雨は降るため、飲み水まで困るようなことはなかったが、それでも風呂やシャワーができるほどの水は無かった。
「寝床くらいかのう……」
ベッドなどの耐久性がある家具だけは困らなかったことを思い出し、ディアナが呟いた。が、それもメトロポリスによらなくてはいけない理由にはならない。
結果、
「メトロポリス、戻らなくていいみたいだな……」
クライストがそう結論を呟くまで、さしたる時間はかからなかった。
「っちゅうことは、このまま北に向かって、適当なとこで北東に進路変更ってとこ?」
「それでよいじゃろうな。道に迷わねば、と条件が付くがのう」
「メトロポリスを越えて、1つか2つは街もスルーした方がええやろうしな」
そうしないと、本格的に追われていた場合、簡単に見つかってしまうからとマージンは言った。
ただ、そうなると道なき道を進むことになり、言い換えるといつぞやのクライストのように行き先を見失うことになりかねないわけで。
「じゃあ、時々リーフに乗って上空から周辺を確認した方が良いかな?」
「ふむ。頼めるかのう?」
偵察を提案したレックに、ディアナがそう頼んだ。
「後はどこで北に進路変えるかやけど……」
そう言いながら後ろを向いたマージンに、何人かが釣られて後ろを向き、マージンの言いたいことを察した。
「本当に追っ手が来るなら、丸見えのところで方向転換はしたくないね……」
レックの言葉も無理はない。もう西門は見えなくなっているとは言え、まだ西門から数kmしか離れていないのだ。おまけに、この辺りには身を隠せるような遮蔽物も少なかった。例によって、木々が燃料として片っ端から伐採されてしまっているからである。
「どっちにしても、もう少し距離は稼いだ方が良いし、リーフ呼んで、アカリとリリー運んでもらおうか?」
原則、メトロポリスではリーフのことは秘密にするつもりだったため、逃げるにしても今までリーフの力は借りていなかったが、そろそろ良いんじゃないかとレックは言った。
「そうしたいところやけどな。望遠鏡の類いは普通に使えるはずや。門の辺りから兵士がこっち監視しとったら、降りてくるリーフ、丸見えやで?」
「あー……もう少し離れてからの方が良いかな?」
「そやな。それまでは、アカリには悪いけど、もっかい身体強化使うとこか」
そんなマージンの言葉に、アカリがビクリとした。元々あまり鍛えてなかった上に、初めて身体強化を経験したこともあり、かなりきつかったのだ。が、万が一を考えると拒否することもできず。
「……分かりました。お願いします」
一行は一旦足を止め、複雑そうな表情になったリリーとレックの目の前で、マージンがアカリが指につけていた魔導具に魔力を流し込み、身体強化を再度発動させたのだった。
さて、時間は少し戻る。
「逃げられただと!?」
その報告を聞いた次官の一人、ショーン・ヘインズに怒鳴られ、報告を持ってきた事務員の男はビクリと身を震わせた。
「監視は何をしていた! 説明できる者をすぐに連れてこい!」
机を叩きながら怒鳴り散らすショーンの様子にため息を堪えつつ、白髪交じりの次官ガウェイン・オードックは口を開いた。
「ショーン、落ち着きたまえ。懇切丁寧に状況の説明などさせていては、その間に逃げた者達が手が届かないほど遠くに行ってしまうのではないかね」
「っ……確かにそうだ。なら、追っ手を出さなくては!」
そう言って、ショーンが叫んだ命令の後に、ガウェインは2つ、命令を追加した。
「あと、手遅れかも知れないが各門の封鎖を。連絡には馬を使うことを許可する。それからやはり状況の説明は必要だろう。後で良いから、説明できる者をここに連れてくるように」
その命令も受け、事務員の男が部屋を出て行くと、ガウェインはやれやれとクッションの効いた椅子の背もたれに体を埋めた。それと同時に今まで黙っていた他の次官達が口を開き始めた。
「それにしても、こうもあっさり逃げ出すとは……やはり風間の仕業か?」
「見張りも見逃したのだ。風間が何もしていないわけがなかろう」
「呼びつけて、この場で締め上げたらどうだ?」
「やめておけ。ここに呼び出した程度で、口が軽くなるなら苦労はせんよ」
少々面倒な意見が出るたび、ガウェインは止めに入る。が、それ以外は基本的に放置である。いちいち口を挟んでいては、きりが無いのだから。
それよりも、ガウェインとしては逃げたという冒険者達を捕捉できるかどうかの方が気になっていた。正確には、冒険者達が連れていたという子供が気になっていた。
(キングダムでは子供が生まれているという話は聞いていたが……その正体が分からない。手が届くところにいるなら、是非とも調べてみたいものだが……)
何しろ、ここは仮想現実なのだ。そして、ほとんどのことを仮想現実で体験できるとは言え、絶対に不可能なことも幾つかあった。その1つが子供を作ることである。
妊娠や出産を経験するだけなら不可能ではない。勿論、経験した人間の精神にあまりよくない影響を与えるケースが多発したため、医者の指導の下でしか経験することは禁止されていたが、それでも不可能ではなかった。それどころか、男性に妊娠や出産を経験させることで、女性の負担について考えさせる方法として確立すらされていた。
だが、子供を作ることそのものはできなかった。理由は簡単で、仮想現実にいる人間は全て現実世界にいる人間のアバターでしかないからだった。逆に言えば、たとえ人の姿形をしていたとしても、人間が操作しているアバター以外は単なる人形、NPCに過ぎないのだ。
では、仮に仮想現実で子供が生まれたとして、その子供は何なのか。それが現実世界の誰かのアバターであるのであれば、それはその誰かのアバターであって、子供を作ったことにはならない。逆に、誰のアバターでもないのであれば、その子供はNPCでしかない。
勿論、NPCでもいいから仮想現実で子供が欲しいという人間は少数派だが存在した。だが、ペット程度ならいざ知らず、NPCを人間として扱うことに関しては倫理面での問題があまりに大きく、どこの国でも法律によって禁止されていた。
さて、それでは今、キングダムで生まれているという子供達の正体、言い換えればその中身は何なのか。
(NPCだろうとは思うが……)
それでも、人間の子供と区別が付かない成長をしているという話を聞いたガウェインは、途轍もなく興味を引かれていた。
そんなことを考えている間に、どうやら追跡部隊の準備ができて、そのまま出発したらしい。他の次官達がどうでも良い議論を交わしていたところに、先ほどとは別の事務員が報告にやってきた。
「総勢50人か。まあ、妥当な規模だろうな」
いくら冒険者が強いといえども、こちらは銃火器で武装した正規兵の部隊である。戦力としては過剰に思われたが、追跡にはそれなりに人手がいるのだ。50人もいるのはそれが理由だろうと次官達は納得した。
(それよりも考えるべきは、本当に追跡する必要があるかどうかなのだが……。まあ、下手に指摘して追跡が取りやめになっても勿体ないからな)
ガウェインがそんなことを考えている間にも事務員は淡々と報告を続けていた。
「最後の定時連絡でも、彼らが門を通ったという連絡はありません。ただ、既にここの敷地を出ている可能性も考慮すると、追加で150人程度追跡に投入したいと、スモールウッド中佐から要望が来ています」
「150? つまり全部で200人ということか?」
「それは……少し多くないか?」
想定外の人数を投入したいという要請に次官達が眉をひそめ、そのまま却下しようとしたとき、
「敷地を出ていないと分かれば、その時点で人数を減らせばよかろう。後手に回った以上、下手にケチらん方がよいと思うが?」
他の次官が人数を減らせと言い出す前に、ガウェインは慌てて言葉を発した。根拠が曖昧な命令は、ひっくり返すのも大変なのだ。
幸い、他の次官達は大して考えていたわけでもないらしく、ガウェインの意見は反対にも遭わず、さらっと通った。
そして、報告と要請を持ってきた事務員はというと、ホッとした様子で部屋を退出していった。
もう、後はこの部屋にいる次官達にできることなど1つもない。そのことをよく知っているガウェインは、冒険者達を無事捕まえられることを祈ったのだった。
「思ったより早かったか」
次官達の命令で一部の部隊が動き始めたことを聞いた風間は、自分の部屋の窓から慌ただしさが増した訓練施設の中を眺めていた。見える範囲での動きから判断すると、門の封鎖くらいはするつもりなのだろうと見て取れた。
(まあ、封鎖までするとなると、追跡部隊も出すだろうな)
そうでなければ、門を封鎖することすらしないだろう。が、風間の予想では既にレック達は西門を通過しているはずだった。仮にまだだったとしても、伝令が西門に着く頃にはとっくに訓練施設の敷地を出ているはずだった。
「後は蒼い月の運次第、かな? まあ、分の悪い賭けじゃないんだし、大丈夫だろうけどね」
尤も、追跡部隊を仕切ることになった人物の名前を風間が知っていれば、そこまで呑気な台詞は出てこなかったのだろうが。
その頃、次官達から蒼い月の追跡命令を受けた部隊の指揮を執ることになったエイドリアン・スモールウッド中佐は、装備を調えながら気になる報告を耳にしていた。
「オーシャンのところの連中が西門の方に向かっていただと?」
リドベック・オーシャン大佐。エイドリアンからすれば十分に有能だと言える彼の唯一の欠点は、彼は次官達に目の敵にされている風間と仲がいいことだった。
(件の冒険者達は風間が連れてきたという話だったな)
それとこのタイミングで大した用事も無いであろう西門へ向かっていたというリドベックの部隊。それだけで彼らが何をしていたかなど簡単に想像できるというものだった。
ただ、問題もあった。
「1時間も前の情報か」
情報の伝達速度があまりに遅いのは前々から気になっていたが、いざこうして動く必要がでてみると、やはり問題だった。言うまでも無く、1時間も後れをとってしまえば、追跡では途轍もなく不利になるのだから。
とは言え、向かった方向が分かっただけでも大分マシだったし、おそらく門の封鎖が間に合わなかったことが分かったのも大きな収穫だった。
「一応、門の封鎖は明日の朝まで行うように通達しろ。追跡は西門から行う。念のため東門からも出すが、そっちは外れだろうから分隊2つでいい。後は全員西門に集めろ。軽装で、だ。馬の準備もしておけ。俺もすぐに動く」
目の前で命令を待っている部下達にそう命令を飛ばすと、一通り装備を身につけ終えたエイドリアン自身も待機していた部屋を出て、厩舎へと向かった。
目撃された時間と場所を考えると、追跡対象はとっくに西門を出てしまっているだろう。ここから西門までの距離は軽く5kmはあることを考えると少々厳しいところだが、相手が徒歩というなら、こちらは馬を使えばそれなりに距離を詰めることは可能なはずだった。
唯一の問題は、追跡部隊の人数分の馬がいないことだが、それも大きな問題にはならないとエイドリアンは考えていた。別に戦いに行くわけではないのだ。目標の捕捉と部隊間の連絡だけに使うのであれば、20頭もいればなんとかなる。万が一を考えてのツーマンセルは外せないため、二騎一組での運用になるが、それでも10組あればかなり手広く追跡できるからだ。
(しかし、何か命令があるとすれば、メトロポリスの方だと思っていたが……まさか、数人の冒険者の追跡任務とはな……)
そんな風に追跡の手順を考えながら厩舎に着いたエイドリアンは、準備ができていた馬を連れ、西門へと向かったのだった。その際、後から補給部隊が追いかけてくるように手配するのも忘れなかったのは言うまでもない。
なお、メトロポリスの状況はというと。
一言で言うと悪化の一途を辿っていた。
「これ、もうどうにもならないんじゃないかい?」
「でしょうね。さっさと逃げないと、被害は広がる一方でしょう」
とある超高層建築の屋上では、数人の男女が1000m以上も下の地上を眺めながら、のんびりと会話を交わしていた。
その視線の先では、数十体のゾンビが新たな被害者をその仲間へと引きずり込んだところだった。顔や腹に大きな穴を開けたまま立ち上がった被害者は、新たな生け贄を求めて、自らに大穴を開けたゾンビ達と一緒に歩き出していた。
「外なら昼間はあれも活動できないでしょうが、超高層建築のせいで地上にまともに日光が届いていませんからね」
「ま、ボク達には関係ないけどね。それとも手、出してみる?」
ニキの言葉にエスターは首を振った。
「私たちは観測者です。仲間を助けるためなら兎に角、指示もないのに余計なことはしませんよ」
エスターの言葉に、当然だというようにそこにいた全員が頷き、
「とは言え……エルファンスラクの膝元がゾンビまみれなのは、気分が良いものではありませんが」
エスターが続けたその言葉に、やはり全員が苦笑した。そして、その笑いが収まるのを待って、エスターはもう一言発した。
「まあ、そのうち彼も引っ越しを考えているようですし、放っておきましょう」
「そうだな、ここはそれでいいと思うよ。後はレックの方だけど、どうする気だい?」
「レックはこのまま放っておいてもいい気もしますが……サビエルに少々悪い気もするんですよねぇ」
エミリオの言葉に、エスターは少々困った様子を見せた。
実のところ、レックの行動を観察し続けることは確定している。今も、ここにいないマルコがこっそり後をつけているはずだった。
ただ、このまま連絡を絶ってしまうことに、何も感じないわけにもいかなかった。なんだかんだで、サビエルの記憶と知識を受け継いでいるレックには、多少の仲間意識も残っていたからだ。
とは言え、元々まともに連絡など取り合っていないということを思いだし、
「……あちらから連絡してくるまでは放っておきましょう」
などという、割と投げやりな方針を打ち出したのだった。