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ジ・アナザー  作者: sularis
第十八章 メトロポリスを離れて
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第十八章 第二話

 夏の強い日差しで地上はちょっとしたサウナのような暑さになっていた。むき出しの地面は卵焼きを焼ける程の熱さになり、地面を覆っている植物ですらほかほかになっていた。

 そんな暑さの中を十数人の人影が黙々と移動していた。メトロポリスを出てきたレック達蒼い月と、レック達を先導している風間達である。

 時折空を見上げては、雲の欠片すら見当たらないことにウンザリしているのは、薄紫のローブで全身を覆ったディアナだった。

 その横でリリーはローブで日差しを遮ってすらいないというのに、平然としていた。勿論、リリーが熱さに強いのではなく、水の精霊と風の精霊の力を使って自身の周囲だけ涼しくすることに成功しているだけだったりする。仲間達にとっては残念なことに、もう少し練習しないとリリー本人以外にその恩恵を分け与えることは出来そうにないのが問題か。

 他の仲間達はというと、レックですら滝に様に汗を流しながら歩き続けていた。尤も、長時間歩き続けるだけの体力がまだ無いエイジを抱えているのも原因だろうが。

「あと、どのくらい歩けばいいんだ?」

「このペースだと夕方くらいになるかな」

 水筒から水を補給しながら、風間はクライストに答えた。

「こんなに暑いなら、夜に移動した方が良かったんじゃないか?」

「夜だとちょっと無事に辿り着く自信が無いんだよねぇ……」

 どういうことか気になったクライストだったが、改めて聞き直すだけの気力が既に残っていなかった。

「にしても、この暑さは異常だぜ……」

「それには同意するよ。こんな暑さは初めてだ」

 水筒の水をグビリとやりながらのクライストのぼやきに、風間もウンザリしたように呟いた。

「せめて木陰でもあればマシなんだけどねぇ……」

 風間はそう言ったが、メトロポリスの周囲に木陰を作れる程のサイズの木は一本もなかった。全て燃料として切り倒されてしまったからである。

「昼くらいまで歩けば、多少は木が残ってるから、そこまでの辛抱かな……」

 そう言ったところで、風間は先ほどからずっと気になっていたことをクライストに尋ねてみることにした。

「ところで、マージンとリリーって暑さに強いのかな?」

「いや、そんなことはねぇはずだが……マージン?」

 クライストも、リリーについては精霊魔術で一人だけ涼を確保していることを知っていたが、マージンについてはそんなことはないはずだと、そちらへ視線を向け、

「……汗、かいてねぇな?」

 他の仲間達と同じようにローブを頭から被っていたので今まで気づかなかったが、風間と同じ疑問を抱えることになった。

 正直、わざわざ確認しに行くのも億劫だったが、ひょっとしたらという期待もあって、クライストはマージンの隣まで移動した。勿論、マージンの右側にはリリーがいたのでその反対側に、である。

「マージン、どうして汗かいてねぇんだ?」

「……ばれてもうたか」

 クライストの質問に、マージンは気まずそうにそう言うと、風間達の方を気にしつつ、

「……試験中の魔導具使っとるからな」

「どんなんだ?」

「個人用クーラーやな」

「……聞いてねぇぞ、おい」

「言うてへんからな」

 この暑さで少々気が短くなっていたクライストは思わずマージンに掴みかかりたくなり、辛うじて思いとどまった。

 それでも、きちっと説明はしてもらおうと睨み付けると、マージンは溜息を吐きながら小声で説明をし始めた。

「昨日の晩、作ったばっかりなんや。ただ、性能とか欠点とかまだ分かっとらんから、人に渡すんはちょっと不安でな」

「で、どうだったんだよ?」

「ちょっと、常用するんは厳しいわ。魔力の消費が思ったより多いねん。1時間くらいやったらええけど、丸一日使ったら相当魔力減ってまうで」

「おまえは大丈夫なのか?」

「こんなんでも魔力は多い方やからな。問題あらへん。後はレックとリリーも問題ないはずやけど」

「……俺はどうだと思う?」

「今からでも夕方までは持たへんやろな」

 マージンのその答えに、ちょっとばかり期待していたクライストはがっくりと肩を落とした。が、

「ま、大体の感じは分かったで、もうちょい出力上げよか。それで、わいの隣くらいまでやったら少しやけど涼しくなるはずや」

「マジか! 恩に着るぜ」

「回路の強度的にもそれくらいが限界やけどな。……レックもそんなわけやから、わいの後ろ辺り歩くとええで」

 クライストとの会話のついでにマージンがそう言うと、聞き耳を立てていたことに気づかれていたことにレックが少し恥ずかしそうにしながらも、抱えているエイジが暑さでへばってしまっている以上、マージンの申し出を受ける以外の選択肢はなかった。

「お……随分涼しくなったな」

 どうやらすぐにマージンが魔導具の出力を上げたらしく、隣を歩いていたクライストはマージンの方から漂ってくる冷気に一息つき、そこであることに気がついた。

「そういや、風間にばれても良いのか?」

「魔術と魔導具、区別できる思うか?」

「あー……なるほどな」

 そこで風間の方に視線をやったクライストは、風間がペースを少し落として列の後ろへと移動してきているのに気がついた。

「何やら話が弾んでるみたいだけど、マージンが汗を掻かない秘密は分かったのかな?」

「あー、まあな」

 視線をやった先でマージンが頷いたのを確認したクライストがそう答えると、マージン本人が答えた。

「ちょいとした魔術使ってみてるねん」

「へえ。どんな魔術を?」

「個人用クーラーやな」

「それはまた便利な……。ひょっとして、他にも便利な魔術があったりしないかい?」

「否定はせぇへん」

「……使い方、教えてもらうことは……出来ないんだろうね」

「言葉で説明して使えるようになるんやったら、誰も苦労せぇへんわな」

「そりゃそうだ」

 残念そうな表情をしつつも、風間は素直に頷いた。

 実際、マージン達の身柄をワッツハイムから引き受けた後、少しばかり魔術の使い方をディアナから教えてもらったのだが、風間もその部下も誰一人として全く理解できず、当然、魔術を使うことも出来なかったのだ。その経験を踏まえれば、納得せざるを得なかった。

 それでマージンが魔導具で使っている魔術についての話はあっさりと終わったが、マージンの近くにいると少しだけだが冷気が流れてくることに気づいた風間がクライストの隣から離れることは、結局目的地に着くその時までなかったのだった。



 その日の夕方。

 予定通り、風間の言う研究所とやらについたレック達は、軽く汗を流した後は、風間の部下に案内された部屋で一息ついていた。

 ちなみに風間本人はやらないといけないことが山積みになっているとかで、研究所についてすぐにどこかに行ってしまっていた。明日までは戻ってこないらしい。

「しっかし、研究所って言っても、軍事施設の一部かよ」

 シンプルなデザインな椅子に腰を下ろしたクライストが言ったとおり、研究所は明らかにどこぞの国の軍事施設だと分かる施設群の一角にあった。

 この施設の敷地に入ってからはこの建物までは両側を大柄な兵士と覚しき男達に塞がれていたとはいえ、その隙間からいろいろ見えたのだ。それは例えば、装甲車っぽい車両であったり、ミサイルっぽい何かであったり。

 風間の言葉を信じるなら、この施設は10km四方の広さがあるらしい。それ以上広くするのは、一般プレイヤーの立ち入り禁止区域が広がりすぎるとのことで、イデア社が拒否したとかなんとか。

 これが一国だけの話ならもっと広い土地を確保できたのだろうが、風間が属している国以外にも十数カ国がジ・アナザー内部に訓練用の軍事施設を設けようとしたために、今の広さが限界になったらしい。

「訓練用の施設と言っても、周辺に緩衝地帯がそれなりの広さ、必要だからね。全部の国の訓練施設と緩衝地帯をあわせたら、メトロポリス・シティよりも広いらしいよ」

 風間はそう言っていたが、正直、あまり実感の湧かない話ではあった。

「うむ。じゃが、ここもエネルギーは切れておるのじゃな」

 そう言いながら天井を見上げたディアナの視線の先では、光を失った電灯が天井に埋め込まれていた。

 これも風間が予め言っていたことである。

 エネルギーが切れたのはメトロポリスだけの話ではない。仮想現実ではエネルギーのことなど考えなくても動作していたあらゆる機械は、『魔王降臨』の後から一切動かなくなっていた。数少ない例外がバッテリー内蔵で動作する機械とか、きちんとエネルギー源が用意されている機械である。

 だが、そんなものは趣味と言われても仕方ないような極一部を除けば存在すらしていなかったわけで。

 それはこの研究所でも同様だった。

 ただ、幸いなことに超高層建築に覆い尽くされ、地上にまともに光が届かないメトロポリスとは違い、この研究所では曇りガラスがはめ込まれた窓からの光で、今のところ夕方でも部屋はそれなりに明るかった。夜はそうはいかないだろうが。

「一応、照明の魔導具はあるで?」

「それはまだ使わない方が良いと思う」

 レックの言葉に、マージンは「さよか」と答えると出すだけ出していた魔導具をあっさりとアイテムボックスに放り込んだ。

「ま、どうせ明日の朝までは何もあらへんのや。適当に腹ごしらえだけして、寝てしまおうや」

 そう言うとマージンは、部屋に並べられたベッドの1つに倒れ込んだ。

「腹ごしらえと言えば、食事は出てくるのかのう……?」

「一応、風間の客扱いになってれば、何か出てくるって思うんだけど……」

 レックはそうは言ったが、あまり自信はなさそうだった。風間も食事のことだけは何も言っていなかったのだ。

 かといって、この部屋から勝手に出てうろうろするのは止めてくれと、案内してくれた風間の部下からは言われていた。もうほとんど意味はないが、これでも一国が所有するはずの施設なのだ。ここでそれなりの地位にいる風間の判断で連れてこられた客人とは言え、部外者が勝手に彷徨いてはもめ事の種になりかねないとのことだった。

 とは言え、このまま朝まで放置されても少々困るのも事実な訳で。

「誰か部屋の外にいないかな~?」

 リリーがそう言って扉を開け、ひょいっと廊下に顔を出すのを誰も止めなかった。

 ちなみにその結果はすぐに分かった。

「ぶー……」

 口を尖らせながら、すぐにリリーが首を引っ込めたからだ。誰もいなかったらしいと誰もが理解したのだった。



 さて、一方の風間であるが、その頃、たまりにたまった仕事に追われていた。

 ほとんどの時間をメトロポリスで過ごしているため、たまにこちらに顔を出すと大量の報告と許可を求める申請に押し潰されそうになるのだ。それも諸々の理由で紙が使えないために、大半が口頭になる。その結果、たまにこちらの訓練施設に顔を出すと、翌日までたまった仕事を消化するだけで手一杯になるのが常だった。

「そろそろ、こんな細かい報告はしなくても良いと思うんだけどねぇ……」

 まだ現実とこっちを行き来できていた頃の名残で、上に提出すべきあらゆる報告が一度、風間の元には集まる。だが、その中には現実に戻れない限り意味がない仕事の報告が大量にあるのだ。

 顕著な例が、エネルギーが切れてガラクタと化している各種兵器の整備だろう。盗まれるのは流石に問題だが、どうせまともに動かすことなどもう出来ないのだ。もし動かせるようになるとしたら、それは現実に戻れるようになった日のことだろうし、そうなったらイデア社に掛け合って新品を用意させた方が早い。

 にもかかわらず、一緒に閉じ込められている上の方が、そんな意味のない仕事を続けることに固執しているために、続けざるを得ないのだった。

「いっそのこと、故障したことにして整備対象を減らすのもいいかもねぇ……」

「大変興味深い案ですが、まずはたまっている報告を全てこなすのが先ですよ」

 風間のぼやきに答えたのは、何人かいる風間の秘書の一人、ケリー・メイスンだった。

「……ケリーは今日もスーツにしわ一つ無いねぇ」

 風間の現実逃避気味の言葉に眉一つ動かさず、ケリー女史は報告を再開した。下手な隙を見せれば、風間を疎んでいる上の連中が余計なちょっかいを出してくるのだから仕方ない。――隙を見せなくても余計なことばかりしている気がするのは、ケリーは既に諦めていたが。

 そんなケリーの報告が終わったのは、間もなく日付も変わろうかという時間になってからのことだった。途中、他の秘書達が抱えている報告をしようと顔を出したが、ケリーの報告が終わっていないことを確認すると、苦笑いをしながら部屋から出て行った。

「……やっぱり、意味のない仕事は減らそう。ケリー達もちょっとしたことで良いから案を出してくれると助かるよ」

 疲れ果てた風間に室温にまで冷えてしまったお茶を出しながら、ケリーは頷いた。

「おかげでやるべき事が後回しになることが少なくありませんから、それには賛成です。明日までに何か考えておきましょう」

「いや、明後日までで良いよ。明日もどうせ報告で……いや、明日は明日で先に済ませないといけないことがあるか」

 そこで風間はあることを思いだした。

「……ところで、今日連れてきたお客さん達に食事は提供してくれたかな?」

「少し遅い時間ですが、カリーナが手配していました。ところで、明日の用事とは?」

「ちょっと彼らに見せておきたいことがあってね」

 風間のその言葉に、ケリーの右眉がピクリと動いた。が、月明かりが僅かに入ってくるだけの部屋の暗さでは、勿論風間に見えることなどない。

「まさかあれを彼らに見せるつもりですか? 部外者に?」

「部外者と言っても、あの件に関してはある意味、この世界に部外者などいないよ」

「それは……そうですが。しかし、そこから要らぬ人間に情報が漏れることはないのですか?」

「いつかは彼らにもきちんと覚悟はしてもらわないといけないと思うね。まあ、その前にしっかり包囲網を作っておく必要はあるけど。そのための布石だと思ってくれたら良いよ」

 その風間の言葉に納得したのか、ケリーは軽く頷いた。

「後は……やっぱり食料生産量が減ってるのは気になるね」

「はい。原因は現在分析中ですが……」

「土壌の劣化、道具の不足、あとは作物自体の問題かな。改めて分析するまでもないよ。折角イデア社がメトロポリス外縁部に広大な農地を用意してくれていたのに、十分に生かすことが出来ていないよねぇ」

 溜息を吐きながらの風間の言葉に、ケリーは何も言えなかった。

 まさしくその通りだからである。

 まず、農地の土壌の劣化については、肥料が絶対的に不足しているのが最大の問題だった。各街区の住人達の仕事の1つとして肥料やその材料を農地まで運ぶことがあるが、足りない物は足りない。結果、農作物を収穫するたびに土地が痩せていっているのだった。

 次に道具の不足だが、こちらはもっと問題だった。道具を作ったり直したりできる人間が不足しているのが1つ。そして、道具の材料を調達できる人間も不足しているのが1つである。

『魔王降臨』の前までは、ゲームとして鉱石を掘ったり、そこから金属を精錬したり、その金属で武器や道具を作ったりするプレイヤーが、メトロポリス大陸にもそこそこいた。だが、『魔王降臨』の際に少なくないプレイヤーが強制的にログアウトさせられた上に、その後の混乱の中で職人系のプレイヤーが次々と殺されてしまったのだ。結果、道具は壊れたらそれまでという状況が出来てしまったわけである。

 一応、今では金属や木材などを加工出来る人材の重要性が見直され、育成が進められてはいるのだが、メトロポリスとその近隣に住む数十万人の需要を満たすには全く足りていないのが現実だった。

「出来れば、キングダムに助力を要請したいところだけど……」

「上が問題、ですか」

 ケリーの言葉に風間は頷いた。

「絶対余計なことをしでかすのが目に見えてる。下手すれば、戦争になってもおかしくないんじゃないかな?」

 今のこの状況では無能でしかないガバメント上層部だが、権力欲だけは人一倍あった。そんな彼らがキングダムの大陸会議と屋良と接触すれば、何を言い出すかは火を見るよりも明らかだった。

「政治のことは我々に任せて、一般人は大人しくしていろとか言い出すのでしょうね」

「それを拒否した大陸会議との間で実力行使になる可能性が1つ。大陸会議がその無茶を受け入れたとして、折角できあがっているシステムを破壊して、社会もろとも混乱させる可能性が1つ。運が良ければ上手く回るだろうけど、ほとんど期待できないだろうねぇ」

 そこで風間はふと気がついた。

「そう言えば、蒼い月のこと、上はもう知ってると思うかい?」

「知らない方がおかしいでしょう。下手すれば、召喚をかけるかもしれませんね」

「下手をしなくてもそうすると思うよ。ついでにそのまま手駒にしようとするだろうけど。まあ、明日の朝にでも蒼い月に注意はしておこう」

 風間はそう言うと、少し楽しそうに笑ったのだった。



 そして翌朝。

『次官の方々がお呼びだ』

 朝っぱらから研究所から少し離れた建物にまで呼び出された蒼い月は、見たこともない相手からそんなことを言われていた。

 が、英語でそんなことを言われてすぐに理解できたのは二人だけで、他の仲間達はそもそも何を言っているかすら理解していなかった。

「なんて言ってるんだ?」

「どっかのお馬鹿さん達がわいらに会いたがってるみたいやなぁ」

 どうせ相手に日本語は分からないだろうと、マージンがクライストにそう答えると、同席していた風間の口元がひくついた。

 ちなみに、呼び出されてからこの部屋に来るまでの間、同行してきた風間からレック達は簡単な注意を受けていた。まとめると、上の方が蒼い月に目をつけて利用しようとするだろうから、適当にあしらってさっさと逃げろ、である。後の事は風間がなんとかしてくれると言うことだった。

 となると、出来れば最初から呼び出しに応じない方が簡単である。

「面倒じゃな。……いっそのこと、英語なんて分からぬことにしてしまうか?」

「そうなったら、通訳がつくだけだろうね。いや、そこで僕が立候補してしまうのも面白そうだ。いろいろフォローも出来るし」

 ディアナの言葉に、風間が意地の悪い笑みを浮かべた。

「でも、あっちはあっちで通訳できるの、一人くらいはおるんちゃうか?」

「意外といないね」

「ふむ。確かに端末の通訳を使えば済む話じゃったな」

 ディアナの言葉通り、通訳などほとんど全て機械の仕事だった。それが出来ないのは最新の研究分野のような言葉の定義が曖昧なケースのように、極めて限られた状況だけだった。そのため、普通は母国語以外を話す必要も無ければ、話せるメリットもほとんど無く、結果として母国語以外を話せる人間もほとんどいなくなっていた。複数の言語を使える限られた人間というのは、語学の研究をしている人間か、趣味で多国語を習得しようとする者くらいだった。

「で、どうするのかな?」

『風間。余計な入れ知恵は止めてもらいたい』

 風間の言葉に反応したのは、日本語の会話に付いていくことが出来ず、しばし様子を見ていた次官からの使いの男だった。ただ、風間が何度も発言しているのを見て、何か入れ知恵をされてはかなわないと考えたのだろう。

 が、

『入れ知恵なんてとんでもない。彼らは英語が分からないみたいだからね。ちょっと通訳をしてあげてるだけだよ』

 そう言われてしまえば、口をつぐむしかなかった。蒼い月の会話を理解できるなら兎に角、今の状況では風間の言葉が嘘か本当かも判断できないのだ。

 ただ、今の風間の言葉から、このまま蒼い月を連れていっても、全く意味がないことだけは理解した。

『英語が理解できない、だと?』

『彼らは日本人だからね』

 風間に念のための確認するとそう返され、使いの男は英語と日本語を通訳できる人間がいたかどうかを思いだそうとした。目の前の風間は、次官達に嫌われている。選択肢にすら入らないだろう。

『……想定外だ。このまま彼らに来てもらっても意味がない。準備が出来たら改めて呼びに来ることにしよう』

 しばし考えた末、使いの男はそう言い残すと部屋から出て行った。

 それを見送り、更に足音が遠ざかるのまで確認した風間とレック達は、ホッと一息ついた。

 そんな中、真っ先に口を開いたのはマージンだった。

「気になっとったんやけど、次官連中? どんな連中なん?」

「あまり上の悪口は言いたくないけど、さっくり言うと足手まといだね。一般市民のことなんて真面目に考えてない。自分達より役職が下の人間は自分達に従って当然。自分達は優遇されて当然くらいに思ってるね」

 部屋には風間と蒼い月しかいないとはいえ、あまりにはっちゃけた風間の言葉に、訊いたマージンを含む全員が呆然とした。

「酷い言われようだな」

 クライストがそう言葉を絞り出したが、元々政治家や官僚、役人なんてそんなものだと全員が少なからず思っていたからだろう。誰も否定しようとはしなかった。

「風間の言葉通りであれば、ついていっても碌な事にはならぬじゃろうな。ここは用件を済ませて、さっさと逃げた方が良い気がするのう」

「そうすることを推奨するよ。とりあえず、半日くらいは時間が稼げたはずだから、その間に研究所で見てもらいたいものを見てもらおう」

 そう言った風間に案内され、レック達は研究所に戻った。

 そして案内されたのは幾つもの扉と警護の兵士に厳重に護られた地下だった。ちなみに、ミネアとエイジ、リリー、アカリは最初の呼び出しの時点から留守番である。

「ミネア達は呼ばなくても良いのかな?」

「後から説明したらええんちゃう? ものによっちゃ、リリー辺りがちょっとすねるかも知れへんけど」

「正直、楽しい話ではないからね。無理に呼びに行く必要は無いと思うよ」

 地下への階段の手前でのそんな会話の結果、結局留守番をしていた仲間を呼びに行くこともなく。

「ここ、明かりが……」

 地下に入ってすぐにレック達が驚いたのが、薄暗いとは言え照明がついていたことだった。

「それも含めて、ここで見ることは他言無用で頼むよ。ちなみにここは外部からのエネルギー供給が絶たれた状態でも機能する建物の実証実験の施設も兼ねててね。地下の照明はそのための工夫の成果の1つだと思ってくれて良い」

 所詮、蒼い月も元々は一般人の集まりのためか、さらりと言われた風間の台詞の重要性に気づけた者はほとんどいなかった。ただ、今の話も秘密なんだろうなと思った程度である。

 そうして薄暗い通路を少し歩いた後に風間が足を止めたのは、1つの扉の前だった。この通路には他にも幾つもの扉があったが、見張りが立っているのはこの扉の前だけだった。

 レック達が妙な空気を感じ取ったのは、そのせいだろうか。

「……見せたいものって、この中にあるの?」

「そうなるね。……覚悟は良いかな?」

「いやいや。見るんに覚悟がいるようなもんなんかいな」

「そうだね。まあ、あれから4年近く経った今なら、意外と大丈夫かも知れないね」

 その風間の言葉に妙な不安を覚えつつも、最初から見ないという選択肢は蒼い月にはなかった。

 そのことをディアナが告げると、風間は軽く頷いて扉を開けた。

 風間に連れられて入ったその部屋に対するレック達の感想は、誰もがイメージする研究室そのものだった。

 ずらりと並んだテーブルの上には、液体が入った無数のフラスコがずらりと並び、その隙間に顕微鏡や電子天秤、所々にコンピュータが詰め込まれるように置かれていた。

 白衣の男女達がそんなテーブルの前に座ってフラスコの中身をピペットで吸い出しては試験管に移したり、ノートに何かを書き殴ったり、あるいは何人かで集まって議論を交わしたりしていた。

 そんな彼らは入ってきた風間とその後ろにいるレック達に気がつくと、ほぼ一斉にその手を止めた。

『風間さん。見学させたい人間って、彼らですか?』

『そうだ。クラン蒼い月。キングダムの冒険者だ』

 風間は、出迎えるようにやってきた研究者の男にそう答えると、レック達の方に向き直った。

「彼はベン。ベン・グリッド。この研究室のリーダーだ。残念ながら日本語はさっぱりだから、簡単な説明は僕からしよう。細かいところは……まあ、通訳を挟むしかないね」

 おどけるように肩をすくめて見せた風間は、そのまま研究室の奥へと足を向けた。

 部屋の奥にはガラス張りの別の部屋があって、いくつかの椅子とそこに座る何人かの人間がいた。

『今日は何か試験日だったっけ?』

『いえ。単なる機器の動作確認です』

 風間はベンの答えに頷くと、レック達に説明を始めた。

「ここでやってる研究を一言で言うと、この世界が仮想現実ではないことの証明、だね」

「へ?」

 間の抜けた声を出したのは誰だったか。少なくとも自分ではない自信がレックにはあった。むしろ、

「その反応が普通かな。いきなりこんなことを言われて、素直に信じる方がどうかしてる。……何か気づいていれば別だけどね」

 そう言った風間の視線が自分に向いたことに、焦りを感じた。しかし、風間はすぐに視線をレックから外した。

「まあ、気づいたところで、人に伝えたら頭がおかしい人間だと思われるだけかも知れないね」

 風間がそう言い終わったところで、やっと先ほどの風間の言葉の意味が、蒼い月の仲間達にも浸透したらしい。

「いや、ちょっと待て。ここ、BPで見せられてるだけの仮想現実、なんだよな?」

「残念ながら、90%以上、いや99%以上の確率で違うね。ここは紛れもない現実だ」

 風間のその言葉が、レック達の上に冷たく響き渡った。

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