第十八章 第一話 ~プロローグ~
メトロポリス編終盤です。
ちゃっちゃと駆け抜けて、キングダム大陸に戻りたいところです。
多分、本章でメトロポリスは終わるはず、です、よ?
「今日も平穏無事。何も起きないままだったな」
見た目そのままのオフィス。
どうやら就業時間が間もなく終わるのか、それらしき雰囲気が漂っているその部屋に、そんな脱力した声がした。
「何も起きない方がありがたいけどな」
「違いない」
微妙にスーツ姿に違和感が漂う男達の間でそんな会話が交わされ、力ない笑い声が部屋に響いた。
「後残ってるシステムは、ギルドシステムと個人端末くらいか?」
「いや、エリア保護機能も残ってる。個人端末のチャットは兎に角、他は当分停止しないんじゃないか?」
モニターにデータを呼び出して確認した男の言葉に、同僚達から溜息が漏れた。
「停止してくれるまでは、まだまだ安心できないか」
「当分外から破られることはないはずだけどな」
そう口にした男の表情は、しかし同僚達と同じく、どこか不安げだった。
「あれを見たんだぞ。仕方ないだろう」
そのことを同僚の一人に指摘されてそう答えた男に、同意の声がちらほらと上がった。
「まあ……少なくともシステムが1つ、間もなく停止するのは確実だ。そうなれば、もう少しだけ安心できるさ」
そう言ったのは誰だったか。
ただ、それでちょうど就業時間が終わったらしい。
お互いにねぎらいの言葉をかけながらスーツ姿の男達は次々とオフィスを出て行った。最後の一人が明かりを消して出て行った後のオフィスはモニターの明かりすらなく、ただ冷たい空気が流れていたのだった。
大陸会議は今日も忙しい。
キングダム大陸にある街はどこもすっかり落ち着いていたが、それでも十万を遙かに超える人間が生活しているのだ。現実世界でもちょっとした自治体を遙かに超える規模の人口を抱えた生活圏の全てを統治する組織としてはやることがいくらでもあった。
分かり易いところで言うならば、軍が担当している治安維持。
ちょっとした喧嘩にまで介入することはないが、殺人や暴行、強姦のような誰もが犯罪だと断定するような事件はそこそこの頻度で起きていて、その対応である。
身近かどうか判断しづらいケースでは冒険者ギルドによるクエスト制度の提供。
現実世界では社会人として何らかの仕事に就いていた人間が大半ではあるが、現実世界とジ・アナザーでは文明レベルがあまりにも隔絶していた。そのため、未だに定職に就けない者も多いのだが、そんな彼らに日雇い的な仕事を提供するための制度として機能していた。
ちょっと分かりづらいところで言うならば、大規模商業クランが中心になって担当している生活必需品の生産計画の管理。
多少過剰になるのは問題ないが、露骨に不足すると問題になるため、食料を中心にいくつかの分野では、大陸会議が生産予測からある程度の調整までを担っていた。
微妙に嫌がられるケースでは、徴税。
大陸会議の構成クランが負担すれば良いなどという意見もあったが、受益者負担の原則を持ち出して、納税しない人間は大陸会議の庇護下には置かないと宣言することで、納税を拒否していた大半の人間があっさり折れたのは、大陸会議の中では有名な話だった。ちなみに、今でも抵抗している者もいたが、大陸会議やその構成クランが提供する各種サービスから徹底的に締め出されていることで、極一部を除いてじわじわと降参しつつあったりする。
そして、面倒くさいケースでは法整備。
万単位の人間がいて社会的な営みを行っている以上、様々な場面での問題を未然に防ぎ、あるいは生じた問題を速やかに解決するためのルールは必要だった。大陸会議は、それを法律として定めていく作業の中心的な役割を果たしてもいた。
他にも街から出ることの少ない住人達にはあまり認知されていない仕事として、各地の探索・情報収集という仕事もあった。
そんな状況でも、大陸会議のメンバー――最近は評議員と呼ばれるようになった――が全員集まるケースは減っていたのだが、今日ばかりは冒険者ギルドのマスターのギンジロウからの緊急招集により、全員が集まっていた。
「で、何があったんだ?」
全員が揃い、部屋の扉が閉じられたのを確認するや否や、軍においては一翼を担う、戦闘系クラン、アヴァロンのマスターでもあるパンカスがそう口を開いた。
間もなく初夏という季節のせいか、窓を全部開け放していても微妙に暑く、パンカスの額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「メトロポリスへのゲートが発見された」
そのギンジロウの答えに、既に話を聞いていたらしいエルトラータとピーコを除く全員がざわめいた。
「ってことは、メトロポリスに行きやすくなるのか!?」
「そのことについて、今日は全員で話し合いたかったんだ」
興奮した様子のパンカスを始めとする何人かに対し、ギンジロウは複雑そうな表情を見せた。それを見て、軽く興奮していたパンカス達もすぐに冷静さを取り戻した。この辺りはなんだかんだで何年も大陸会議の評議員という、それなりに責任ある立場にいるからだろう。
「どういうことだ?」
それに答えたのは勿論ギンジロウ……ではなく、大陸会議副議長を務めるふたこぶらくだのピーコだった。母親になったせいか、最近はどことなく丸くなったと言われているが、大陸会議の副議長として行動するときはあまり変わっていないように見えるというのが、評議員達の一致した意見である。
「現在のメトロポリスの状況は、ここにいるメンバーなら全員がよく知っているかと思いますが……」
「いくつかの組織が乱立してる状況だったか? 外の方は略奪が未だに蔓延ってるとか」
「そうですね。問題はそれらの組織の性質です」
「やばいのか?」
そう聞いたのは自らも優秀な鍛冶屋として鍛冶屋のスミスという名前そのままのクランを率いているクレシアだった。その言葉にピーコは軽く頷いた。
「大陸会議として本格的に手を伸ばすのはもう少し先の予定だったこともあって、情報の整理を後回しにしていたのですが……出来ればまだあちらとは接触したくないくらいには」
そう言うと、もう少し詳しい状況の説明を始めた。
「メトロポリスの有力な組織は各国の政府機関が集まって出来たガバメントと、幾つかの多国籍企業が集まって出来たカンパニーユニオンです。他にも無視するのは危険な集団が幾つかありますね。ただ、どの組織も慢性的に食料が不足しています。その不足分をどうやって賄っているか、分かりますか?」
「……考えたくはないが、略奪か」
クレシアのその言葉で、他の評議員達もピーコやギンジロウの懸念を理解した。
「つまり、今メトロポリスと行き来しやすくなると、こっちが襲われかねないって事ね」
そんな彼らを代表したケイの言葉に、ピーコは頷いた。
「全ての組織が略奪に依存しきっているとまでは思えませんが、油断すべきではないでしょう。おまけにあちらには銃を始めとして近代兵器が相当数出回っているようです」
「少なくとも、それにまともに対抗できるようになるまでは、軍としても接触は避けたいところだな」
レインの言葉に何人かの評議員が頷いたが、同意しなかった評議員も勿論いた。
「それは飢えている人たちを見捨てるって事かい?」
そう言ったのは農業系クランを率いるエルガンだった。その性格上、困っている人間を見捨てることがイヤだったのだろう。
そんな彼に答えたのはギンジロウだった。
「出来ることなら、俺も助けてはやりたいさ。でもな、あっちの連中はそんな甘い連中じゃないんだよ。
そもそも略奪が横行してるって時点でアウトだ。そんな連中がこっちに来てみろ。迷わず銃をぶっ放して虐殺を始めるぞ。実際、あっちでも皆殺しにされた村が幾つか確認されてる」
エルガンも流石にその話には愕然とし、
「ついでに言うと、多分、ガバメントかカンパニーユニオンがそれに絡んでるんじゃないかってのが、ギルドの推測だ」
それで完全に言葉を失った。
そこにピーコが追い打ちをかける。
「そうでなくても、ガバメントやカンパニーユニオンと交流を持てば、彼らは確実にこちらを乗っ取ろうとするでしょう」
「いや、ガバメントは政府機関の人間の集まりなんだろう? 大丈夫じゃないのか?」
「待て待て。政府の連中なんて信用できるのか? 自分達のことしか考えない連中だぞ」
「じゃあ、カンパニーユニオンはどうだ? もうちょっと現実主義的な対応をしてくれるんじゃないか?」
「手っ取り早いのは恐怖政治ですけどね」
ピーコ、バッサリである。
勿論、ピーコの発言には証拠も根拠もなかった。だが、略奪だの虐殺だのと言う単語が飛び交った直後だけに、妙に現実味を帯びたのだった。
そして沈黙が落ちた中、レインが口を開いた。
「どっちにしても、軍としてはそのゲートはいつでも封鎖できるようにしておきたい。そこから攻め込まれても、ゲートで食い止められるようにな」
「それは必要でしょうね。ついでにメトロポリスとの行き来の拠点に出来るようにしてしまいますか?」
「ギルドとしてもそれは助かるかな。あっちの状況の把握もやりやすくなりそうだし」
そうして、メトロポリスに繋がるサークル・ゲートについての話は決まっていった。と言っても、サークル・ゲートを取り囲むように砦を築き、万が一に備えるというだけだったが。
メトロポリスの食糧事情の改善やらなんやらは、準備はしておくがまずは情報収集という点でもまずは全員の意見は一致した。
そして、
「で、具体的にはどことどこが繋がるんだい?」
あらかた話がまとまりつつあった頃、誰も確認していなかったことをケイが訊いた。
「普通に移動してもキングダムからはざっと2週間くらいかな。メトロポリスの方も3週間くらいのはずだ」
「そりゃ、確かに近くなるねぇ……」
片道で一月というのは距離にして600km程度なので近いとは言い難い。だが、まともに移動すれば半年以上かかることを考えれば、とんでもなく近くなると言えた。
「蒼い月のレックとかなら、往復一週間とかいけそうだな」
実際にはレックなら無理をすれば日帰りも出来たりするのだが……これは知らぬが仏であろう。
「行き来を考えるならちょっと距離があるけど」
「だが、万が一を考えるとちょうど良い。車の類は流石にないだろうしな」
エルガンの言葉に答えたのはレインだった。実のところ、車そのものは残っているのだが、エネルギーがなくて使えない以上、レインの言葉も間違ってはいない。
それでも、概ね話がまとまったところで、ピーコが次の話題という名前の爆弾を投げ込んだ。
「あと、いつになるか分かりませんが、クランチャットが使えなくなるかも知れません」
これも一部の評議員以外話を聞いていなかったらしく、エルトラータ、ケイ、ギンジロウを除くメンバーの動きが見事に止まった。
「ちょっと待て! どういうことだ!?」
真っ先に硬直が解けたのはレインだった。
「本当に使えなくなるという確証はないのですが、クランチャットで会話できる距離が短くなってきています。元々は100km程度までなら会話できていたのですが、今は90kmくらいでしたか?」
「もう85km割ってる。一日1kmくらいずつ短くなってる感じだね。この調子でいくと、三ヶ月もしないうちに使えなくなりそうだ。キングダムの中で連絡つけるのも、誰かが走り回ってってことになりそうだ」
「……どうにもならないのか?」
「神ならぬ僕たちにどうにか出来る問題じゃないね」
レインがギンジロウにバッサリ切り捨てられ、会議室に沈黙が落ちた。
無理もない。クランチャットはそれほどまでに便利だったのだ。
何しろ、数十km離れた街にいる仲間と連絡が一瞬でつくだけではない。いちいち相手を捜し回る必要すらないのだ。
それがクランチャットがなくなってしまえば、離れた街と連絡を取ろうとすれば、どんなに頑張っても返事をもらうまでに二日はかかるし、ちょっとした連絡でも相手を見つけるだけで一時間とか簡単に吹き飛んでいく。
「対策は幾つか考えてるけど……当分は手旗信号とかが一番早い連絡手段になりそうだよ」
ギンジロウがそう言うと、ピーコがアイテムボックスから何冊かの冊子を取りだし、控えていた雑用係に評議員へと配らせた。
「マジでこれ覚えるのかよ……」
一応、昼間は手旗で、夜間は明かりでのモールス信号のやり方が書かれていたその冊子にざっと目を通し、パンカスが机に突っ伏した。
「身体強化を使った冒険者なら、10km離れててもこれでやりとりが出来るのは確認済みです」
「準備が良いな?」
「違うクラン同士でのやりとりに便利でしたから」
どうやら、クランチャットの問題とは別に使っていたらしいと知り、レインは皮肉を言うのを止めた。それに、無いよりは遙かに良いのも確かなのだ。
「……10kmおきに、連絡用の塔を立てた方が良さそうだな」
冒険者なら15分も走れば済む距離だが、通信量を考えればいちいち誰かが走り回るのはあまりにも効率が悪かった。
「建設予定地の選定は既に始めています。ただ、費用については結構な額になるので、評議員の合意が必要ですね」
ここに話を持ってくる前に、ピーコ達が既に動き始めていたのは少々気に入らないところだったが、彼女たちがそのことに気づいてからまだ数日も経っていないのだろう。ここに持ち込む前にはある程度の確証も欲しかっただろう事を考えると、やむを得ないなとレインは割り切った。実際、呼び出されたのに間違いでしたでは困る評議員もいるのだ。
「そう言えば、魔導研究所はどうした? あそこなら何か良い解決策があるんじゃないのか?」
クレシアの言葉にギンジロウが首を振った。
「魔導研究所はまだ新しい魔導具を開発できるレベルに達してないよ。せいぜい、既存の魔導具の改良や効率の良い作成方法の研究くらいしか出来ないね」
「ああ、所長がいないからか。いつ帰ってくるんだ?」
「モスト・イーストに戻ってきたって連絡も無いから、半年以上先じゃないかな」
その言葉に、評議員達から溜息が漏れた。
マージンが所長を務める魔導研究所は、魔導具の制作、開発を担っていた。だが、魔導具の開発には魔術に関する膨大な知識が必要なこともあり、新しい効果を持つ魔導具の開発は完全にストップしている状態だった。ギルドカードの生産が一段落した今、主に魔力灯の改良に精を出しているところである。
「魔導具開発の知識を得られる祭壇を頑張って探したいところだが……」
「蒼い月もどこにあるか分からないとか言っていたからね。無理だと思う」
「いっそのこと、メトロポリスまで迎えに行ったらどうだ?」
そんなパンカスの案はあっさり却下された。
そもそもサークル・ゲートの存在を当分は公にしないことにしたのだから、それを使うことは出来ない。おまけに、メトロポリスまで行ったところで、メトロポリスのどこに蒼い月がいるかが分からないのだから当然である。
結局、この件はマージンが帰ってきたら相談してみることにして、まずは現実的に連絡灯とモールス信号の普及を進めることで話はまとまったのだった。
打って変わって所はメトロポリス。正確にはメトロポリスから20kmほど離れたところにある、とある施設の一室。
会議室としても使われることを想定している広さを持つその部屋は、メトロポリスの超高層建築の部屋と違って窓から入ってくる光のおかげで十分に明るかった。部屋には立派な長テーブルと椅子とが置かれている。そこに、数名の白人の男達が集まっていた。どこか淀んだ眼差しを持つ男達の年齢はバラバラで、敢えて言うならそれほど若くないという点だけが共通していた。
そんな彼らの今の話題は、風間のことだった。
「奴め、こちらからの命令を再三無視しおって。流石に命令違反で処分すべきだ」
「いや、あれはあれで現場の人気もあります。下手に処分すれば、離反者が相次ぐことになります」
「そんなもの、片っ端から処罰すればいい!」
威勢良く言い放った誰かの台詞に3人程が賛意を示したが、一人だけ、特に歳を取っていると覚しき白髪交じりの男だけが同意しなかった。
とはいえ、この場で露骨な反対意見を述べるつもりもないらしく、ふむふむと言っているだけだったが。
そして、白髪交じりの男が黙っている間に、話題はいつの間にか風間に対する不平不満へと変わっていた。
「そもそも、日本人の癖に勝手にしおって。気に食わんのだ」
「全くです。おまけに我々に黙ってこそこそと何かしているらしいですね」
「何をしてるんだ?」
「分かりません。探らせてはいるんですが、なかなか尻尾が掴めんのです」
「やつの部下も何も話さんのか」
自分達よりも人望がある風間のことが気に入らない男達だったが、その原因を考えようともしなかった。
ただ、いくら不満があってもいつまでもその話ばかりが続くわけもない。
「そう言えば、ガバメントの方はどうなった?」
そう話題が変わったところで、白髪交じりの男が口を開いた。
「もう駄目だな。完全に機能不全を起こしている。互いに衝突するのを防いでくれているだけマシと言ったところだ」
「フン。所詮、我が国が引っ張っていってやらんと何も出来ん連中だ。いっそのこと自滅するのを待つか?」
「それもいいが……カンパニー共が大人しくなるまでは、無くなってもらっては困る。その辺はどうなっている?」
それに答えたのは一人だけやや若い――と言っても40代だろうが――の男だった。
「ローエングリスで何かあったらしいですよ。風間からの報告では、街区まるごと壊滅したとか」
「はっ。そんなことがある訳ないだろう」
「今回ばかりはそうとも言い切れません。風間のとは別に潜り込ませておいた連中からの連絡が途絶えています。何かあったのは確かですね」
そう40代の男が答えると、白髪交じりの男以外の全員の表情に微かにおびえが混ざった。無論、それに気づいた者がいても気づかないふりをする。
「と、兎に角だ。それが本当なら何があったか調べる必要がある。こっちでも調べてみよう」
男の一人がそう言ってそそくさと席を立った。
それで今日の会議という名の何かは終わり、他の男達も次々と部屋を出て行き、白髪交じりの男が最後に残った。
その白髪交じりの男も、
「全くこれからどうなるのやら。舵取りも大変そうだ……」
そうぼやくと、ゆっくりと部屋を出て行ったのだった。