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ジ・アナザー  作者: sularis
第十七章 メトロポリスの空
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第十七章 第十四話 ~風の精霊王 エルファンスラク~

 傷つき、もはや身動き一つとれない男の目の前で、黒い影が一人の女性に群がっていた。

「エイダ……エイダァッ!!」

 男が必死に己の恋人の名を叫ぶと、影に群がられた女性から弱々しい声が漏れた。

 何を言っているのか、もはや分からない。男はそれを聞き取るよりも、恋人を助けるために少しでも身体を、魔力を動かそうとしたが、どちらも微動だにしなかった。

 それも無理はない。男の右腕は半ばから既に無く、左腕は上腕で不自然な形に折れ曲がっていた。両足も穴が開いているか、途中から無いかでは動くはずもなかった。

 ニューヨークのビルの谷間に出来た影には、日の光の下を嫌う様々なモノが歩いていたが、この場に近づくことは危険だと分かっているのだろう。この場には、地面に這いつくばった男とその恋人に群がる影以外、動くものは何一ついなかった。

 ただ、影がエイダと呼ばれた女性を囓り、咀嚼する音と、

「おおっ……おおおおぉぉ!!」

 それを見せつけられた男があげる絶望の声だけが響いていた。

 既に、女性は事切れたのか、影に囓られるがまま、うめき声一つあげなくなっていた。

 それでも、影は女性を囓るのを止めなかった。

 止めるはずもなかった。久しぶりの食事なのだから。

 やがて、女性の骨すら食い尽くした影達は、もう1つの獲物の事を思い出したのか、男へと一斉に視線を向けた。

 それだけで男は体温が一気に下がったような気がした。

 男へと視線を向けた影達は、舌舐めずりをしながら男の元へをゆっくりと歩み寄ってくる。

 憎悪と恐怖を煽るかのように。

 そんな影の1つが男の顔に爪を当てた時だった。

「怪しい気配がするから来てみれば……穴が開いていたのか」

 若い男の声がした。

 地に倒れた男はもはや首を動かすことも出来ず、新たな犠牲者に警告を発することも出来なかった。

 だが、結論から言うと警告は必要なかった。

 倒れた男の後ろから近づいてくる足音には一切の緊張も警戒も感じられず、影達もまた微動だにしなかった。

「大丈夫か?」

 そう訊ねてきた若い男に答えるだけの力は、もはや倒れた男には残っていなかった。

 既に死んでいると思われてもおかしくはなかったが、若い男は倒れた男の状態を正しく察したらしい。

「……かなり危ないか」

 そう言うと、倒れた男の側にかがみ込んで、その身体に軽く手を当てた。

 直後、倒れた男の身体から全ての痛みが消えた。

「っ?!」

 何が起きたか理解できない男が顔を上げると、既に立ち上がっていた若い男が影達へと手をかざすところだった。

 その次の瞬間に起きたことを、男は一生忘れないだろう。

 若い男の手からふわりと広がった淡い光が、立ち尽くしていた影という影を捕らえると、瞬く間に消し去ってしまったのだ。

 後には影も何も残らなかった。

 そう、何もである。

 驚きから目が覚めてそのことに気づいた男は、うめき声を上げるしか出来なかった。

「どうした? 怪我は全て治したはずだが……」

 若い男が戸惑っていたが、男はただ、嘆くことしか出来なかった。



「…………」

 アルフレッドはゆっくりと目を開けた。

 あの時のことは今でも良く夢に見る。そして、そんな時は必ず涙を流しているのだ。

 今もそうだった。

 ハンカチを取り出して目元を拭ったアルフレッドは、窓の外へと視線をやった。

 その先には、このメトロポリスの夜に唯一光り輝くクリスタルタワーがあった。

(まだ、なのか?)

 アルフレッドはしばらく前にここを訪れた二人組を思い出していた。彼らの目的は間違いなく、クリスタルタワー。そこにいる風の精霊王だろう。

 そして、彼らが精霊王に会って初めて、アルフレッドに課せられた役割は完了したと見做されるのだ。

 後はその時をひたすらに待つだけのはずだったが……どうやらその前に一組の客の相手をしなくてはならないらしい。侵入者を感知するための結界に反応があった。

(この反応。魔術師か)

 気配を殺すための魔術を覚えられる祭壇もあったはずだが、少なくともまだ、誰もその祭壇を見つけられてはいないはずだった。そんな魔術を使っているのだ。間違いないだろう。

「しかし、何故毎回夜に来るのか」

 ぼやきながら外の菜園へと出てきたアルフレッドを迎えたのは、

5人組の男女だった。

「こんな夜分に押しかけてくるとは……レイゲンフォルテには思いやりというものはないのか?」

 彼らが何者か、アルフレッドは既に知っていた。実のところ、ほぼ忘れかけていたのだが、あるかも知れないと伝えられていたもう一組の来客、のはずだった。

「これは……驚きましたね? イデア社の監視網はそこまでですか」

 そう口を開いたのはアルビノのような外見をした青年だった。どこか疲れたような表情なのは……他の面子の表情を観察する限り、まあ、この青年の特徴なのだろう。

 どうやらイデア社にしっかり監視されていたと思っているようだったが、アルフレッドには別に訂正するつもりもなかった。ただ、じーっと彼らを見ていると、どうやら何かアクションをしないといけないような気にはなってくれたらしい。

「ご存じかも知れませんが……私はエスター。レイゲンフォルテのサブマスターをしています。お名前を伺っても?」

「……アルフレッドだ」

「なるほど。……アルフレッドさんはイデア社のスタッフで間違いありませんよね?」

 言葉だけを見れば確認するかのような物言いだったが、エスターがそう確信していることは間違いなかった。アルフレッドにも否定する気はなかった。

「そうだが……身も蓋もない質問だな」

「それは重畳。少しお話を伺っても?」

「許可されている範囲でなら、な」

 アルフレッドはそう返すと、残りのメンバーの顔を順番に見回した。それでエスターも失態に気づいたらしい。

「そう言えば、まだ部下達を紹介していませんでしたね」

「いや、中に入ってからで良いだろう。短い付き合いにしかならないだろうが、顔くらいはよく見えた方が良い」

 白髪が目立つエスターは兎に角、建物から漏れ出る光だけでは、他の男女は髪の色すら分かりづらかった。

 折角名乗って貰うのだから、ちゃんと顔を見ておきたい。そう思った自分に苦笑しながらも、アルフレッドはレイゲンフォルテのメンバーを建物の中へと招き入れたのだった。



 アルフレッドの元をレイゲンフォルテのメンバーが訪れていたその頃。

 レックとリリーはついにクリスタルタワーの屋上に辿り着いていた。クリスタルタワーから放たれる光を受け止める壁も天井もないからか、屋上は暗く、空に瞬く星がよく見えた。

 風が緩やかに時に荒々しく吹き続けているのは、風の精霊王の御座所だからだろう。

「……凄まじい魔力だね」

「うん……」

 階段を上り始める前は全く感じなかったそれが、この屋上ではひしひしと感じられた。そんな莫大な魔力を辺りに振りまいているのは、屋上の中央に設置された1mほどの石の棺。ではなく、その上に竜巻を纏って佇んでいる一人の男性だった。

 勿論、こんな所にいるのがただの人間のはずもない。というか、身体が透き通っている時点で人間じゃなかった。

「あれが風の精霊王……?」

「うん、そうみたい……」

 視覚の他は魔力でしか精霊王の存在を感じられないレックと違って、リリーはひしひしと精霊王の力を感じていた。

 ここまでリリーたちを案内してくれた風の精霊と似た気配だが、その力の大きさはまさしく次元が異なっていた。畏怖すら覚える程に。

 一歩踏み出すことも躊躇われる程だったが、レックに肩を叩かれて正気に返ったリリーは、レックと共に風の精霊王の下へと向かった。

「やっと来たのだな」

 近づいてきたレック達へと視線を向けた風の精霊王。その側で足を止めたレックははっきりと頷いた。

 風の精霊王はそんなレックからすぐにリリーへと視線を移した。

「ふむ。既に風の精霊を従えているのだな」

 その言葉に、リリーが僅かに頷いた。

 風の精霊王はそんなリリーをゆっくりと見つめていたが、改めて口を開いた。

「精霊と共に歩む娘よ。名は何という?」

「えっと……」

 素直に答えて良いか悩んだのか、リリーが一瞬視線を投げかけてきた視線の先でレックが頷いた。

「リリー、です」

「ふむ……」

 リリーの名を聞いた風の精霊王は目を閉じると、考え込むように黙り込んだ。

 そのまましばしの時が流れた。それはレックにもリリーにも妙に長く感じられた時間だった。

「まだ風の精霊と契約をしていないのであれば、適当な者をつけるつもりだったが……まあ、よい。これも予定されていたことなのだろう」

「予定されていたこと……?」

 気になる言葉に思わず聞き返してしまったことに気づき、レックは慌てたが、風の精霊王は特に気分を害した様子もなかった。

「世の中には意味のあることと意味のないことがある。この世界はどちらだと思う?」

 レック達にそう問いかけた風の精霊王だったが、特に答えを求めているわけでもなかったらしく、レック達が考え込むよりも前に話を変えてしまっていた。

「そう言えば、まだ名乗っていなかったな。我が名はエルファンスラク。尤も真名ではない通称に過ぎないかな」

 風の精霊王エルファンスラクはそう言ったが、レックは風の精霊王が名乗った瞬間に高まった周囲の精霊の力を感じ、その通称だけでも十分力があるのだと理解した。一方のリリーは、精霊の力の高まりこそ感じたようだが、それを風の精霊王の名前とは結びつけることはなかったようだったが。

 尤も、風の精霊王にとってそれらは全て些事に過ぎないらしかった。

「さて、客人達よ。おまえ達の用件は何だ?」

 そう切り出されたことで、風の精霊王の存在感やら力やらに圧倒されかけていたレックとリリーは、やっと頭が回り始めた。

「いろいろと訊きたいことがあるんですがいいでしょうか?」

 口を開いたのはレックだった。リリーはというと、大体レックに任せるつもりらしく、レックの方を向いて頷いていた。

「問題はない。迷える者達を導くことも、風の役割なれば」

 いちいち気になる風の精霊王の言い方をとりあえずスルーして、レックは頭の中で質問を整理した。その1つめは、

「この世界から出るためには、やはり魔王を倒さないと駄目なんでしょうか」

 基本中の基本だった。尤も、イデア社のスタッフならいざ知らず、相手は本来NPC相当の存在でしかないであろう精霊王である。レックとしては大した答えは期待していなかったし、

「魔王はこの世界の軛。あれを倒さねば扉は開かぬだろうな」

 実際に返ってきた答えもそんなものだった。それっぽい言い回しではあるが、結局は魔王を倒さないと元の世界には戻れないということだろう。

 それでも、精霊王である。役割柄、それ相応の情報は引き出せるはずだった。

 なので、レックは少し気になっていたことを訊いてみた。

「水の精霊王には僕は会えませんでした。あなたと会えたのはどうしてでしょうか」

 地底湖を守っていた水龍に追い返され、水の精霊王には会うことすらできなかっただけに、出てきた質問だった。

「それは単におまえの属性が風が強いからであろう。おそらく、土と火のも、おまえは会うことはできまい」

「つまり、同じ属性を持っていれば会えるんですか?」

「必ずしもそうとは言えぬ」

 どうやら他にもあるらしい条件が少々気にならないでもないレックだったが、最低限の情報は得られたので先に他の質問を一通りしてしまうことにした。

「中央大陸に繋がるサークル・ゲートがどこにあるか、教えて貰うことはできるんでしょうか?」

「それは我の管轄ではない。土のであれば、知っているかも知れぬがな」

「その土の精霊王はどこにいるんでしょうか?」

「カントリーと呼ばれる大陸にいるであろう。火のは中央大陸であったか?」

 その答えを聞いて、レックは溜息を吐きそうになった。

 ゲーム時代ですら、メトロポリスやキングダムからカントリー大陸へ渡る方法は不明だったのだ。どうせ、サークル・ゲートで繋がってはいるのだろうが、そのサークル・ゲートがどこにあるか分からないのでは、中央大陸に繋がっているのが見つかるのが先か、カントリー大陸へ繋がっているのが見つかるのが先かという話になってしまう。

 尤も、そんなレックの思いは杞憂だった。

 念のため、カントリー大陸へはどうやって行けば訊いてみたところ、

「キングダム大陸の南端に海底洞窟がある。そこを抜ければカントリー大陸であったはずだ」

 という答えが返ってきたからだ。

 ただ、そうなると土の精霊王は良いが――またしても長い距離を旅しなくてはならないが――火の精霊王の居場所が気になった。

「たしか、火の精霊は中央大陸にいると言いましたよね?」

「いかにも」

「火の精霊王にも会わないと、魔王を倒す条件が整わないとかってあるんでしょうか?」

「無論、会わねばならない。だが、火のに会うのはおそらくだいぶ先になるであろう。故に、かの精霊王より預かっているものがある」

 風の精霊王はそう言うと、どこからともなくまばゆく輝く光の珠を取りだした。いや、何か光るモノを閉じ込めた風の珠と言うべきだろう。

「これは火の精霊王の力の欠片。これで鍛えた聖剣のみが、魔王の肉体を貫くことができよう」

「聖……剣……?」

「いかにも。魔王の肉体はこの世の理の外にある。精霊王の力のみが、かの者へと届くのだ」

「それってつまり……」

「地水火風。まずは四柱の精霊王全てと会うのだ。それが最低条件である」

 何やらまたしてもハードルが上がった気がして、レックは思わず頭を抱えてしまった。

 結局、カントリー大陸にも行かないといけないし、そこで土の精霊王と会わなくてはならない。そこから中央大陸へと渡るサークル・ゲートを探し出し、中央大陸では火の精霊王と会う。

 それだけでも大変なのに、聖剣を鍛える必要もあって、それでもまだ足りないらしいのだ。

「せめて、速度の速い移動手段とか……ないのかな?」

「それならば、竜種を手なずければ良かろう」

「……え?」

 風の精霊王からの予期しない言葉に、レックは思わずそう聞き返してしまっていた。隣ではリリーも目を丸くしている辺り、リリーも驚いたのだろう。

「竜種を……手なずける?」

「契約を結ぶと言った方が良いかも知れぬな。あれらがそうそう人と契約を結ぶとは思えぬが、そこの娘がおれば、話くらいはできよう」

「え? 私?」

「その際、機嫌など損ねたりせねば……契約できずとも殺されることもあるまいよ」

 風の精霊王はそう言うと、暗闇の彼方を指さした。

「竜種は各々の大陸の中央にいるはずだ。いずれも険しい地形と過酷な環境だがな」

 風の精霊王の言葉に、レックとリリーは風の精霊王が指さした先を見たが、クリスタルタワーの放つ光のせいで夜の闇がかえって深くなってしまっていて何も見えなかった。

「伝えるべき事はこれで全て。そうだな。もし竜種を手なずけることができたなら、改めて全ての精霊王の下を訪れるがいい」

 風の精霊王はそう言うと、先ほどから手に持っていた光る風の珠をレックの目の前に差し出した。

「持っていくがいい。その魔剣を鍛えた者なら、これで聖剣を打つことも出来よう」

 レックが光る風の珠を受け取ると、風の精霊王は次にリリーへと向き直った。

「……そなたの器は順調に成長しているようだな」

「器?」

「いかにも。今はまだ我々精霊王の力を扱うことはできぬが、いずれは可能となるだろう。それまで修練を怠らぬようにな」

 風の精霊王はそう言い残すと、ふわりとその姿を消したのだった。

「……なんか、用を訊いておいて、話すだけ話してさっさと消えたんだけど」

 いろいろと重要な話を聞いたのは確かなのだが、それでも何となく釈然としない思いをレックが口にすると、

「あー、うん。そーだねー……」

 いろいろと消化不良っぽい雰囲気で、リリーも頷いたのだった。



「案の定というか、思っていた以上に情報が得られなかったね……」

 アルフレッドから一通りの話を聞いて、その住処を出てきたレイゲンフォルテ一行は今、近くの超高層建築の屋上でアルフレッドから聞いた話を整理していた。

 が、エスターの言葉通り、大きな収穫があったとは言えなかった。

 イデア社が何でこんなことをしているのかはノーコメントで押し切られ、どうやってこの世界を作ったのかについては全く知らないと断言された。しかも、どうやら嘘を言っている気配もなかった。

 ただ、おそらくだが意図的に匂わされたこともある。

「……イデア社そのものが、何者かの手駒みたいね」

 そう言ったのはウェーブがかかった髪を腰まで伸ばした女性――テュータだった。アルフレッドのエスターの話に割り込むことはなかったが、それでもそのことは感じ取っていたらしい。

「イデア社自身、かなり大きな結社だったはずだけど」

「それでも、イデア社がいきなり会社を立ち上げて、VRMMOとやらに手を出した理由は、今更ですが納得できました」

 真っ黒な服装のせいで今にも見失いそうなマルコ。その言葉に、この暗さでは少年らしいとしか分からない外見のエミリオがそう返した。

「おそらく、何者かがイデア社に接触したのがその時期なのでしょう。そして、イデア社はその何者かに乗っ取られたか、あるいは従わざるを得ない何かがあったか」

「その何者かにはすっごく興味あるんだけど、調べられると思う?」

「難しいだろうね。その何者かがこの世界にいるとは限らない。イデア社の人間から聞き出すにしても、この世界でイデア社の人間がどこまで護られているのか。そこがネックになると思う」

 エスターはそう言いつつも、その目はそれでもやると言っていた。結局は、あらゆる未知を知りたがるレイゲンフォルテの人間なのだから、当然のことだった。

 が、今最優先したいことはそれではなかった。

「とは言え、まずは精霊王かな。みんな、感じてるよね?」

 エスターの言葉に全員が頷いた。

「さっき、とんでもない魔力がクリスタルタワーの方から溢れてきていましたからね。これが多分精霊王なんでしょうが」

「全く。どうやってこれだけの魔力を生み出したんだろーね。そっちの方に興味あるよ」

 エミリオの言葉に、ショートカットのボーイッシュな少女――ニキがそう続けた。

「やっぱり、今からでもアルフレッドを締め上げた方がいいですかね?」

「魔術で調べていても嘘はついていないという結果だったんだ。無駄だろうね」

 エスターの言葉に、エミリオが「ですよね」と大して落胆した様子も見せずに頷き、

「とりあえず、クリスタルタワーに行ってみましょう。レックと合流は……多分できないでしょうが、彼には分からなかった何かがあるかも知れません」

 その言葉に、レイゲンフォルテの面々はクリスタルタワーへと移動を開始したのだった。



 最初に異変に気づいたのは、当然ながら地下の見張りを担当していた者達だった。

「……おい、何か音がしなかったか?」

 尤も、見張りと言っても地上階ですら夜にもなると一筋の光さえないのだ。今は見張りのための電池式のライトを与えられてはいたが、所詮は電池式。せいぜい自分達の顔を照らすくらいの役にしか立っておらず、とてもではないが通路の先を照らすことはできていなかった。

 そして今、音がしたのはその先に階段がある通路の方からだった。

「どうせ、あれが転んだんだろう? 気にすることはないさ」

 もう一人の見張りはそう言って気にする様子もなかった。

「それよりも、もう寝ようぜ。扉はしっかり鍵までかけて閉めてあるんだ。絶対出てこれねぇよ。誰かが入り込もうとしたら、ここを通らなきゃいけないから、そっちも絶対分かるしな」

「あ、ああ。そうだな」

 全くもって連れの言うとおりだ。自分は気にしすぎているのだろうと、最初に声をあげた男はなんとか自分を落ち着かせると、連れと一緒に通路の壁に寄りかかり、ライトを消した。ライトをつけっぱなしでは、命令通りに地下で見張ってないことがすぐにばれてしまう。

 そして、ライトを消して間もなく。

 いつの間にか眠り込んでしまっていた男は、辺りに漂う異臭で目を覚ました。

「っ!!」

 この臭いには覚えがあった。

 あいつらだ。

「おい! 起きっ……!!」

 慌てて立ち上がると、その拍子に何かにぶつかり、そして信じられない程の力で肩を掴まれた。

「ひっ……!」

 何が起こるかよく知っていた男が悲鳴を上げるよりも早く、男の身体はぐいと引き寄せられ、次の瞬間に男の顔面に歯が突き立てられていた。

 その直前聞こえてきたのは、何かが何かを咀嚼する音。

 音は連れが休んでいたはずの場所から聞こえてきていて、それが指し示すことは1つだけだった。

 この日、ローエングリスを襲った惨事が拡大した理由の1つは、間違いなくそれについて知っている人間が極めて限られていたことだろう。

「ん~? なんなんだ、こんな夜中に……」

 扉をノックするような音に、部屋で休んでいた男達の一人が寝ぼけ眼をこすりながら、扉を開けた。

 あるいは、

「なんだ、調子でも悪いのか? さっさと寝ちまえよ」

 いつの間にか後ろに立っていた同僚の様子がおかしいことに気づいて、何の危機感も抱くことなくその肩を叩いた。

 それとも、

「お、もう交代か。ちょっと早い気もするけど、ま、後は頼むわ」

 見回り当番の交代かと勘違いして、その横を通り抜けようとした。

 それがいつも通りであれば何の問題もなかっただろう。

 あるいは、地下に閉じ込められたゾンビについて知ってさえいれば、もうちょっと違う反応もできたかも知れない。

 だが、それらは全てifであり、論じても仕方のないことだった。

 そして、起きた現実は。

「くそっ! 何が起きてんだ!?」

「撃っても死なないぞ!? なんなんだあいつらは!」

「ロビン! クリス! おまえらどうしちまったんだ!?」

 ローエングリスの私兵達が、社員達がそれを認識したときには既に遅かった。

 その時点で建物にいた3割以上の人間がゾンビと化し、そしてそのことを正しく知らなかったが故に、銃弾を無駄にし、次々と使い切っていたのだ。

「糞っ! 弾切れだ! 何であいつら死なないんだよ!?」

 それが異常だと、自分達の命を脅かす何かだと認識しても、それが人の、さっきまでの同僚の、友人の形をしているのが良くなかった。

 まずは足止めのために足を撃ち抜くことで対応しようとした者達がいたが、当然成功せず、大量に弾を無駄にした挙げ句、やっと胴体を、心臓を狙って撃ち抜いても、効果が見られなかった。

 この時点で冷静さを保つことができていたのは、ゾンビと対峙していた者達の半分にも満たなかった。

 何しろ、自分達が何と向かい合ってるか分からないのである。相手は何なのか。そもそも殺すことができるのか。

 しかも、破れかぶれでナイフで突撃して、あるいは不意に横から現れたソレに襲われ、噛み付かれた仲間達が数分とせずに倒れ、再び起き上がるとそれと同じになっているのだ。

 どこか、この世界が現実の延長だと無意識のうちにでも考えていた彼らにとって、今起きていることは理解不能な悪夢以外の何物でもなかった。

 実のところ、時折頭部に何発もの銃弾を受けることで、活動不能になっているゾンビもいたのだが、何しろ十分な明かりもない闇の中である。一体や二体倒れたところで、誰も気づくことができていなかった。

「……既に手遅れ、か?」

 階下が騒がしくなってすぐに、ヒュームにも連絡は来ていた。それを聞いただけで、ヒュームには何が起きているのかすぐに分かった。分かったのだが、どう考えても既に手遅れだった。

 ゾンビなど、ちゃんと準備をした上で相手にすれば問題にもならない。だが、夜、それも情報が不足した状態で相手にすればどうなるか。

 容易く予想はついたし、事実、その通りになっているのだろうという確信もあった。

 それでも、諦めることだけはするつもりはなかった。

「リカード、準備はできているか?」

「勿論です」

 騒ぎを聞きつけてか、既にやってきていたリカードに確認すると、頼もしい答えが返ってきた。尤も、どこまで役に立つかは分からない。

「よし。まずはこの建物は放棄する。可能な限り早くこの建物を出て、入り口を封鎖する」

 そうすれば、問題の大半は封じられるはずだった。

 最悪のケースとしては、既に建物の外にまで大量に漏れ出しているケースだが、そうなってしまっていてはどうにもならない。例え自分達が助かったところで、ローエングリス街区は壊滅である。そうなってしまえば、自分達にも先がないことは明白だった。

(ゾンビを捕らえて何をしようとしてたのかなど、まともな言い訳ができることでもないからな……)

 ふとそんなことを考え、しかし今はそれどころではないとヒュームは思考を切り替えた。

 実際、余計なことを考えている余裕はなかった。

 ヒュームと行動を共にしている者は、リカードを含めて10人程度。正直、通路や階段がゾンビ達に埋め尽くされていれば、どうすることもできない戦力しかなかった。

 それに、まだ無事な者達を全て見捨てていくわけにも行かない。ヒューム自身だけ生き残ったとしても、手足となって働く者達が全滅してしまっては、ローエングリスはおしまいだった。

 故に、避難する途中で見つけた無事な者達は、とりあえず自分達の後ろについてこさせた。気がついたら、結構な人数になっていたようだが、生憎と確認している暇はない。

「2階から下は……一気に突っ切るしかないかも知れません」

 階下の様子を覗っていたリカードが、ヒュームにそう報告した。

 今のところ、2階を彷徨うのに忙しいのか、3階まで上がってくるゾンビはほとんどいなかった。いたとしても、すぐに始末できる程度の数である。

 だが、1階から2階へと上がってくるゾンビの数はそれなりにいた。その大半が2階へと散らばっていっているようだが、戻ってくるゾンビもいて、2階から下の階段はかなりの危険ゾーンと化していた。

「安全を確保してからというのは無理か?」

「その前に弾が尽きます」

 ついでに言うならば、そんなことをしている間に建物の外にさまよい出るゾンビが増えてしまう恐れもあった。既に手遅れの可能性があることは今は考えない。

「行くしかないか」

 ヒュームとしては、後ろからぞろぞろついてきている連中を壁にでもしたかったが、そんなことをすればパニックに巻き込まれて身動きがとれなくなることは明白だった。

「行くぞ」

 ヒュームが覚悟を決めると同時に、リカード達が階段を降り始めた。前後をリカードの部下に囲まれ、ヒュームも階段を降り始めると、

「やっぱり気づかれたっ!」

 誰かがそう小声で叫び、直後に銃をぶっ放した。

 流石にリカードの部下だけあって、腕は確かで、撃たれたゾンビは一発で動きを止めた。

 だが、2階を彷徨いていたゾンビは数が数である。

「急げ! 急げ!」

 リカード達は階段近くにまで来ていたゾンビ数体だけさっさと仕留めると、そのまま1階まで駆け下りた。

「う、うわぁぁぁ!?!?」

「やめ! 痛っ!」

「戻れ! 上に戻れ!」

 ヒューム達の後をついてきていた連中は、どうやらゾンビ達と鉢合わせになって、あっさりと数人が犠牲になったらしい。

 瞬く間に辺りを包み込んだ悲鳴と怒声を背に、ヒュームとリカード達は1階まで駆け下り、

「くそったれ!」

 思わず誰かが舌打ちしていた。

 出入り口までの通路は50mもない。だが、そこに100近い数のゾンビがいて、それもこちらに向かってきていたのだ。

 瞬く間に数体のゾンビが頭を撃ち抜かれて活動を停止するも、まだまだ大量に蠢いていた。

 しかも、通路の反対側からも、階段の上からもゾンビは押し寄せてくる。足を止める暇もなかった。

 それでも、リカード達の腕前は流石だった。

 途中、通路に面した部屋から出てきたゾンビに3人程やられはしたが、それでもヒュームを出口にまで無事、連れてきたのだから。

 尤も、それは逃避行の終わりを告げただけだった。

「手遅れ、だったか……」

 闇に慣れたヒュームの目にも、路上を彷徨う数多のゾンビ達の影が見えた。しばらくは大丈夫だろうが、朝には全てが手遅れになるだろう。

 目を覚まして、外に出てきた者達がどうなるかは火を見るよりも明らかだった。

 あるいは夜の間に外に出てしまったゾンビをあらかた片付けることができれば問題にはならないだろうが、

 と、そこまででヒュームは考えることを止めた。

 ヒューム達と一緒に建物から逃げ出すことができた人数は10人に満たなかった。他の者達は途中でゾンビに捕まったか、上の階へと戻ってしまったのだろう。上の階に戻った者達はまだ生きてはいるだろうが、どう考えても助けようがなかった。

 つまり、ローエングリスで最終的に無事なのは、今ここにいる人間だけなのだ。

 そして、20人に満たない人数では、ローエングリスを維持することなどできない。それどころか、下手すれば朝まで生き残れるかも怪しかった。

 そんな状況を理解したヒュームは、ここまで手遅れになってしまったからこそ、ある疑問を抱いた。

「あれはどうやって逃げ出したんだと思う?」

「隔離は完璧でした。外部から誰かが解放しない限りは……。しかし、見張りはあれをよく知っていました。見張り達が解放したとは考えられません」

 だが、すぐにその疑問は行き詰まった。

 いくつかの可能性を考えてみたが、いずれもあり得ないのだ。

 ただ分かることは1つだけ。

 いや、決めることと言うべきか。

「さて、どうやって死にたい?」

 その直後、人数分の銃声がローエングリス街区に鳴り響いた。

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