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ジ・アナザー  作者: sularis
第十七章 メトロポリスの空
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第十七章 第八話 ~狂える風~

 それは突然のことだった。

 ヒュームからの命令をどうやって遂行するかを真剣に考えているリカードはすぐに気づかなかったようだが、紗耶香はまさしくその瞬間を目の当たりにした。

「とんでもない嵐だな」

 やっとそれに気がついたリカードの言葉が呑気なものに聞こえたのは、それが襲い来た瞬間を紗耶香が見ていたからだろう。

 今、紗耶香達がいる超高層建築の周辺は凄まじい風が吹き荒れていた。

 街路樹の類は燃料としてとうの昔に全て切り倒されていたが、残っていたとしたら間違いなくその全てが地面から引き抜かれ、空を舞っていただろう。今、空を舞っているのは、先ほどレック達が倒したアリと、そのアリたちに食い殺された人々の死体だったが。

 それだけでも十分問題だが、この風には他にもおかしなところがあった。

 ただ異常に強いだけの風であれば、巻き上げられたものはどこかに飛ばされていって終わりのはずである。だが、この風はいつまでもアリと人間の死体を大量に巻き上げたままなのだ。

(ひょっとして、ずっと同じ場所で渦巻いてるの?)

 そのことに気づいた紗耶香の耳が不意にちょっとした音を拾った。

 その音がした方を見て、紗耶香は身体の芯にひやりとした感触を覚えたのだった。



 紗耶香達が気づいた猛烈な風に、風間達が気づいたのは割とすぐだった。

「嵐のような風だね……」

「そうですね」

 窓から外を眺めながら風間がぽつりと零すと、ブラウンの髪の青年が相づちを打った。

「ジェフリー、下の方はどうなってる?」

「なんとも言い難いですね。この風でアリどもが吹き飛んでくれたら良かったんですが、連中、地面に張り付いてピクリとも動きませんよ」

 それは、風が止み次第、アリたちは活動を再開させるということだった。

「これだけの風なのにね。正直、吹いてくれない方が嬉しかったかな」

 風間の言葉にジェフリーがもう一度相づちを打とうとした時だった。

「……今、何か聞こえなかった?」

「悲鳴、ですね」

 二人の会話に、いつの間にか部屋に戻ってきていた職員達の間にも緊張が走った。

「ちょっと様子を見てきます」

 そう言って部屋を出たジェフリーが戻ってきたのは、割とすぐのことだった。

「……ちょっとまずいかも知れません」

 戻ってきたそうそうのジェフリーの台詞に、室内の緊張感はますます高まった。

「何があった?」

「わかりません。が、一人死にました」

 緊張を隠せないジェフリーの報告に、一気に室内がざわついた。

「どういうことかな?」

「エントランスにいたのが一人、首を裂かれて死んでました。近くにいた連中の話だと、いきなりぱっくりとだそうです」

 その説明に、何故ジェフリーが何も分からないと言ったのか、風間も理解した。だが、この建物にいる人員をとりまとめる立場にいる者として、それで済ますことはできない。

「他に何かなかったかい? 死んだ時の姿勢、傷口の形。なんでもいい」

「姿勢はよく分かりませんが……身構えたりはしていなかったはずです。傷口はそうですね。刃物でバッサリやられたような感じに見えました」

 いつもならその説明だけでは風間も何も分からなかっただろう。

 ただ、さっき送り出したレック達が探しているものを知っていただけに、ひょっとしたらと思い当たったのだ。

「風……か? やられたのは入り口に比較的近くなかったかい? それに傷口も入り口の方向になかったかい?」

「そうですね。……ひょっとして心当たりが?」

 言われて確かにそうだったと気づいたジェフリーがそう訊ねたが、風間は答えず、

「蒼い月に連絡を! 捜し物が来たと伝えろ! それと、入り口近くから待避させろ! 急いで!」

 そう命じたのだった。



 ミネアを通じて風間からの連絡を受け取ったレック達は、全速力でガバメント街区へと戻っていた。

 その途中のことである。

「リリー、どうしたのじゃ?」

「なんか……すっごいやな感じがする……」

 背負っていたリリーが急に震えたような気がして訊ねたディアナに、リリーがそう答えた。

「ふむ……皆、少し止まってくれぬか?」

 リリーの感覚を無視できないと感じたディアナに言われ、レック達は足を止めた。

「何かあったんか?」

「リリーが嫌な感じがすると言うのじゃが……どうじゃ?」

「わいは何も感じへんな」

「僕も……」

 そう答えたレックの視線は、ガバメント街区の方を向いていて、明らかに気が急いていた。それでも勝手に走り出さないのは、褒めて良いだろう。

「俺も何も感じねぇな。リリー、ホントになんか感じるのか?」

「うん。えっと……なんか……怖い」

 うまく説明できない感じでそう言って、ディアナの背中にしっかりとしがみつくリリーの様子は嘘を吐いている風でもなかった。

 そんなリリーの言葉を無視して良いとも思えないが、あまり足を止めていることもできない。

 どうするべきかレック達が悩んでいると、ふとマージンが声をあげた。

「ひょっとしたら、風の精霊のせいかも知れへん」

「どういうことじゃ?」

「リリーは精霊使いやろ? で、向かっとる先にはお目当ての凶暴化した精霊がおるわけやん」

 それでマージンの言いたいことを全員が理解した。

「そう! そんな感じだよ!」

 うまく説明できずに感じていたもどかしさが解決したかのように、リリーが声をあげた。

「見んでも近づいたらリリーが分かるんやったら、アーノルドにはそう説明して欲しかったわ……」

「それはそうじゃが……リリー、このまま進んでも大丈夫じゃと思うか?」

「それより、急がないとミネア達が……!」

「レック。落ち着くのじゃ。少しでも情報が得られるのなら、その方が安全に戦えるじゃろう?」

 気が急いている様子のレックだったが、ディアナの言葉は否定できなかった。それどころか、下手に突っ込めば、予期せぬ被害が出るかも知れないと今更ながら思い当たったらしい。

「……ごめん」

「レックの気持ちは分かるさ。な?」

「うむ。で、リリーどうじゃ?」

 相変わらず焦ってはいるようだったが、それでもレックが暴走する心配はなくなったと見て、ディアナが改めてリリーに訊いた。

「えっと、よく分かんないだけど……」

 リリーはそう言うと、ディアナに下ろして貰って目を閉じ、感じている感覚に意識を集中させた。

(こう? 水とはちょっと感じが違うけど……)

 風の精霊の感覚は水の精霊とはだいぶ違っていた。

 それでもその凶暴な存在感のおかげで、感じ取ること自体は苦労しなかった。

 ただ、それで役に立つ情報が得られるかどうかは別である。精霊の気配を感じる訓練でも積んでいれば話は別だろうが、今のリリーに分かるのは力の強さと精霊の大きさくらいだった。おまけに、大きさは兎に角、強さに関してはどのくらいの力でどのくらいの強さなのか分からないので、あまり意味がなかったりする。

 結局、

「大きさが……100m以上、かな?」

 そう教えるのが精一杯だった。

 おまけに、

「あー、これやな。確かにでっかいわ」

 リリーが答えた側から、ガバメント街区の方を睨み付けていたマージンがそんなことを言い出した。

「え? 分かるの?」

「精霊かどうかは分からへんけど、魔力は感じ取れたで」

 そんなマージンの言葉に思わずリリーが脱力しかけていると、レックも何やら感じ取ったらしい。

「あ、ホントだ。これだね」

「うう……あたしの苦労って一体……」

 リリーはとうとうかがみ込んで、いじけてしまった。

 ちなみにディアナはと言うと、頬を掻きながら気まずそうな顔になっているところを見ると、こちらも何か感じ取ったらしかった。

 ただ、一人だけ仲間はずれもいたようで。

「おまえら……いい勘してるよな……」

 そうぼやいているクライストは何も感じ取れなかったらしい。

 それはさておき。今感じ取ったばかりのものに対し、レック達は少しばかり話し合う必要性を感じていた。

「ちょっと、これ、大きすぎるような気がするのじゃが……」

「あと、ちょいとばかり力も強い気がするで。油断すると、一発で首、持ってかれそうや」

 マージンの物騒な発言に仲間達はギョッとしたが、すぐに頷いた。

「そう、だね。身体強化をフルに使ってればいきなり首が飛んだりはしないと思うけど……」

 そう言いながらレックが投げかけてきた視線に、クライストは嫌な予感を感じた。

「ひょっとしなくても、俺、やべぇか?」

 そんなクライストから、精霊のものらしき魔力を感じ取った三人がそっと目を逸らした。

「マジか……」

「普通のエネミーやったら、ええんやけどな。風やろ? 死角からいきなり攻撃されたら、危ないやん」

「となると……リリーも戦闘には参加できぬかのう?」

 自分の名前が出たリリーが顔を上げると、マージンが首を振っていた。

「リリーやったら、精霊の攻撃、先に感じ取って回避できるやろ。最悪、水の膜を張っといたら大丈夫や」

「確かに。では、倒し方、じゃな」

 頷いてそう言ったディアナに、レックが答えた。

「それは多分変わってないと思うけど」

 ちなみに、精霊の倒し方は予め話し合ってあった。

 レック達は遭遇したことはないが、『魔王降臨』以前でもレアエネミーとして精霊が出現することはあり、それと戦ったプレイヤーの情報によるとコアのようなものを壊せば倒せるはずだった。その時はほとんどの攻撃が効かずに酷く苦労したという話だが、レック達にはその理由はなんとなく想像できていた。むしろ、その理由に思い当たった時は、その時に良く倒せたものだと感心したほどである。

 ただ、問題もあった。

「っちゅーてもや。あのサイズでコアんとこまで行くんはちと手間やな」

 コアの位置自体は、魔力を探ればなんとなく分かった。ただ、100m以上の大きさを持つ精霊が相手となると、普通の方法ではコアを攻撃する手段が限られてしまう。となると、その中に突入して破壊してくるのが一番確実なのだが、

「レックが一人で突撃して、壊してくるしかあるまいのう」

 他のメンバーでは、そこに辿り着くまでに時間がかかりすぎて危ないからと、ディアナがそう断言した。

 レックもそのこと自体に異論はない。むしろ、他の仲間が突っ込んでいく方が心配だったため、力強く頷いた。

 ただ、

「となると、や。わいら、要らへんのとちゃうん?」

 というマージンの言葉には少々慌てた。

「え? いや、囮とかちょっとは手伝って欲しいんだけど……」

 レックはそう言ったところで、にまにましているマージンに気がついた。

「冗談、やで?」

 そんなことを曰ったマージンの頭を思わずしばいてしまったレックは、多分悪くない。

 そんなことはあったが、とりあえずできそうなことをさっさとまとめたレック達は、再びガバメント街区へ向けて走り出した。

 なお、リリーが少々嫌がったが、リリーの運搬役はディアナからクライストに変更されていた。接近したら即座にディアナの魔術を撃つためだった。

 尤も、その機会はついぞ訪れなかったのだが。



 ソレに自我が芽生えたのはいつのことだったか。

 ソレ自身を含め、誰も知らなかった。いや、この世界を作ったものなら知っているかも知れない。

 尤も、ソレは自分に自我が芽生えたことすら気づいていなかった。

 ただ分かるのは、自らを突き動かす衝動だけだった。だが、その衝動が何なのかすら、ソレは、風の精霊は知らなかった。

 足下を走り回っていた固い殻で身体を覆われたアリたちも、自らの身体の中を器用に飛び回る鳥たちも、どうでも良かった。

 ただ、何かが足りない。その足りないものが欲しい。

 その感覚に突き動かされ、今もまた、大きな四角い箱の中で動き回っている生き物が求めている何かなのか、確かめようと身体の一部をなんとかねじ込もうとしているところだった。

 その際、ちょっと何かに当たったような気がするが、ねじ込めた身体が少なすぎてよく分からなかった。

 それでもその僅かにねじ込めた身体を動かし、その大きな箱――超高層建築の中を少しずつ漁っていっていた。

 時々何かが身体に触れるが、そのどれもが求める何かではなかった。

 そんな時だ。

 少し離れたところから何かが近づいてくるのを感じた。

 それが何かは分からない。

 だが、感覚として分かるものはあった。

 だから、期待を抱いて、その風の精霊は近づいてくるものへと手を伸ばした。



「やばっ!」

 マージンがそう叫ぶのが早かったか、それともクライスト以外のメンバーがそれに気がつくのが早かったか。

 どちらにしても、クライストがそうと気づけたのは、瞬時に目の前に現れた水の膜が大きく歪んだからだった。

 ちなみに、レックは大きく横に飛んでいたし、ディアナは地に伏せていた。マージンはいつの間にか水の膜の内側に入り込んでいたりする。

 だが、事態はそれだけでは終わらなかった。

「ひょっとしなくても気づかれた!?」

 レックがそう叫ぶと、今度は目の前の何かを殴りつけるような仕草をした。その途端に、ボフンと大きな音がしたのだから、確かに何かがあったらしい。

 ちなみにディアナはと言うと、マージンによって水の膜の内側に引きずり込まれていた。

 それを追うようにして、再び水の膜が今度は何かが突き刺さったかのように歪んだ。

「ひょっとして風の精霊なのか!?」

「そうみたいやなぁ」

 ようやく事態を把握したクライストに、残念そうにマージンが答えた。

「できたら先制攻撃しかけたかったんやけど、ま、しゃあないな」

「じゃが、幸いにもリリーの防御を破れる威力はないようじゃな」

「いんや。本体まで距離があるからかもしれへん。リリー、まだ余裕ある?」

「これくらいならまだ大丈夫だよ」

 リリーは軽く青ざめつつもそう答えたが、少し先の方へと視線をやると、

「……でも、全力で攻撃されたら危ないかも」

 ぼそりとそう付け加えた。

「ってことは、俺はここで離脱、だな」

 そう言ったクライストは少し悔しそうだった。だが、自分だけ先ほどの攻撃に反応できず、今もまだ攻撃をちゃんと捉えられていない以上、足手まといにしかならないことは理解していた。

「そうやな。今なら、まだ全力で走れば、振り切れるはずや。その辺の建物ん中で待っといてくれるか?」

 マージンの言葉に頷くと、マージンに合図を貰ってクライストは近くの超高層建築へと駆け込んだ。途中、一度攻撃が飛んできたらしいが、それはリリーが防いでくれたらしい。

「……魔力、ちゃんと感じ取れるようになった方がいいよな」

 入り口を閉め、開けた場所で目に見えない攻撃を防いでいる仲間達を見つめながら、クライストはそう独りごちた。

 一方、クライストを離脱させたレック達も攻めあぐねていた。というか、そもそも風の精霊の本体まで後数百mはあるのだ。そもそも攻撃が届かない。だが、このままという訳にもいかなかった。

 やり過ごすだけで良いなら、クライストと同じように建物に避難すれば良い。だが、実際には風の精霊を倒さなくてはならないのだ。

「僕とリリーは自力でなんとか身を守れそうだけど、マージンとディアナはどう?」

 リリーの水の膜に守られた仲間達の所に来たレックがそう訊くと、

「わいは大丈夫やで」

「え? あれ?」

 マージンがひょいっと水の膜を通り抜けて、そのまま魔力を込めた剣を振るった。ツーハンドソードではないのは、取り回しの問題だろう。

 それで飛んできていた攻撃がちゃんと潰されたのを確認したレックは、ディアナへと視線を向けた。

「私は少し自信がないのう……」

 その言葉にレックは悩んだ。

 例によってサビエルの記憶になるが、現実世界に存在する精霊は、魔術でダメージを与えることができていた。リリーが行使する精霊魔術を見ていた限り、この世界の精霊は現実世界の精霊とあまり違わないようである。

 つまり、ディアナの魔術は精霊を倒す上で火力になるのだ。

 言い換えると、ディアナには是非とも参戦して欲しかった。

「やったら、ギリギリまでリリーに守って貰うのはどうなん?」

「えっと……できる限り近くに寄ってくれたら、なんとかなる、かも?」

 仲間達の視線を受け、少しばかり自信がなさそうだったがリリーがそう答えた。

 ちなみに、その間にも風の精霊からの攻撃と覚しき空気の塊が飛んできていたが、レックとマージンが普通に潰していた。

 尤も、あまり呑気にもしてはいられないようだ。

「さっきより威力が上がってる。急いだ方が良いかも」

 焦りを感じたレックの言葉に、仲間達は一斉に頷いた。

「とりあえず、リリーはディアナを守ることを優先して。ディアナはチャンスがあれば、魔術で精霊を攻撃して。多分、魔術は効くと思うし」

「そうじゃな。やってみよう」

「わいは……まあ、風の精霊の注意をそらせるか、やってみるわ」

 マージンの言葉に、何をやって貰うか、すぐに思いつけなかったレックは頷いた。

 直後、強い魔力の気配を感じて剣を振るったレックの腕に、今までで一番強い衝撃が伝わってきた。

 直後、切り裂かれた攻撃が強い風になって霧散する。

「行くよ!」

 そのレックのかけ声で、仲間達は一斉に走り出した。が、そのペースが遅いのはどうにもならなかった。ディアナとリリーの距離を維持する必要があるからだ。

 次々と放たれる見えない攻撃を、レックとマージンが魔力の気配だけを頼りに剣で切り落としていく。

 それをすり抜け、あるいは迂回して放たれた攻撃は全てリリーが作り上げた水の膜が受け止めていた。

 それを見ながら、今のところはただ守られているだけのディアナは正直ヒヤヒヤしていた。自分で自分の身を守っているなら、どのくらいまで大丈夫か分かるからいい。だが、リリーを信用していると言っても、どの程度の攻撃で守りを抜かれるのか分からない以上、リリーが攻撃を防ぐ度にヒヤリとするのはどうにもならなかった。

 そんな具合でも、それなりに前進した頃、今まで全く動かなかった風の精霊。その本体の気配が急に動き始めた。

「来るよ!」

 足を止めたレックが声をあげるまでもなく、動き始めたその気配は急激にこちらへと向かってきていた。

「あれ、何?」

 直後、通りの向こうに見えたものに、リリーがそう言った。

 黒い靄のようなものが建物の影からにじみ出てきて、そのままこちらへと向かってきていた。

「風の精霊やろな。……少々悪趣味な気もするけどな」

 身体強化の効果で視力が大幅に上がっているマージンは、その靄の中にアリの残骸やら何やらが巻き上げられているのを見て、そう吐き捨てた。

 一瞬遅れで、そのことを認識したレックも顔を顰める。

 だが、これはチャンスでもあった。

「ディアナ! お願い!」

 これならすぐにディアナの魔術の射程に入る。そう判断したレックが叫ぶと同時に、ディアナが詠唱を開始した。

 直後、黒い靄から何かの塊が撃ち出され、前に出たレックがそれを撃ち落とした。

「アリの死体!?」

 風の精霊だというから、てっきり先ほどまでと同じような、空気や風を操った攻撃しか想定していなかったレックは軽く驚いた。

 だが、目に見える攻撃ならその分やりやすい。

 そう思えたのは一瞬だけだった。

「って、多すぎる!」

 次の瞬間、風の精霊は自らが巻き上げていた無数のアリの死体を始めとする様々なモノを一斉に撃ちだしてきたのだ。

「当たりそうな分だけ撃ち落とすんや!」

 マージンが叫び終わる前に、撃ち出されたそれらは散弾銃のように襲いかかってきていた。

 それでも、レックもマージンも反応し、自分に当たりそうなものは大体叩き落としていたが、やはり限界はあった。

「マージン、大丈夫!?」

 レックは多少被弾して装備も破損したものの、身体強化のおかげで事実上ダメージはなかった。

 だが、マージンの方はそうはいかなかったらしい。尤も、

「予め回復魔術用意しとったからな!」

 あっさり治したようだが。

 ちなみに、今の攻撃でもリリーの防御は敗れなかったらしい。

 そのことに感心しているレックの耳が、ディアナの詠唱の完了を捉えた。

「ゆくぞ!」

 ディアナが声をあげると同時に、魔術で生み出された火球が風の精霊へと向かって飛んでいき、

「……っ! やばいで!」

 大した距離も飛ばないうちに、風で進行を妨害され、

「任せて!」

 マージンの警告で何が起きるか察したレックが前に躍り出た。

 その手に持つ剣には剣が壊れないギリギリの魔力が込められ、直後に爆発した爆風を切り払った。

 レックに切り払われた爆風は、レック達の左右を吹き抜けていき、仲間達は全員無事だった。

「みんな、無事!?」

 先に見える風の精霊を睨み付けながらレックが訊くと、すぐに仲間達から無事の合図があった。

「まさか、風で押し戻されるとはの……」

 尤も、ディアナだけは自らの魔術をあっさりと防がれたことで悔しそうだったが、レックにとっても問題だった。

(すっかり相性のこと忘れてた。これじゃ、ディアナの魔術で削れないけど、どうしよう?)

 最悪のケースとして、レック自身が負傷覚悟で突っ込むことはは既に想定はしていた。それでも、成功率は少しでも上げたかった。

 だが、ディアナの魔術はいずれも火炎系ばかりであり、風とは兎に角相性が悪かった。そのことを今更ながらに思い出したレックだったが、どうするべきか考えている時間はほとんどないようだった。

「またでかいの来るで!」

 マージンの叫び声の通り、風の精霊の巨体の表面に、幾つもの小さな黒い影が浮き上がってきていた。先ほどのバラバラになったアリの死体の一斉射撃の直前と同じである。

「あれ、弾切れとかあるかな」

 レックが叫ぶも、返事はなかった。どうやら、マージンは既に回復魔術の準備に入っているらしい。

 リリーも真剣な顔をして水の防護膜を維持している。

 そんな仲間達を見た瞬間、レックは覚悟を決めた。

(隠すことを優先して仲間が傷つくくらいなら、ばれても良い!)

 とは言え、レックが使える魔術ははっきり言って知れていた。知識だけはあるが、実際に使ってみたことがない魔術が大半なのだ。

(こんなことになるくらいだったら、少しずつでも練習しとけば良かったけど……)

 そんなことを考えつつ、レックは全身に流れる魔力を更に増やした。

「おうっ?!」

 それに気づいたマージンが驚いたような顔を向けてくるが、それに構うことなく、レックは防御の魔術を準備し、

「行ってくる!」

 そう言い残して、風の精霊へと向かった突撃を開始した。

 直後、そんなレックを脅威と捉えたのか、風の精霊が準備していた弾――アリの死体を一斉にレックに向かって撃ち出した。

「好都合っ!」

 レックは一言叫ぶと、準備していた防御魔術の代わりに、剣を持っていない左手に風を纏わせ、殺到してきたアリの死体を殴るように吹き飛ばした。

 驚いたような仲間達の声が微かに聞こえるも、既に覚悟していたそれに気をとられることなく防御魔術を改めて準備し直すと、レックは瞬く間に風の精霊が暴れている暴風域へと突入した。

(思ってたより、弱い、かな?)

 突入した途端に鎌鼬のようなものに襲われたレックだったが、防御魔術のおかげか、服の端が引きちぎられてどこかに飛んでいっただけで済んだ。

 むしろ、風に巻き上げられて一緒に飛んでいるアリの死体の方が脅威である。おまけに、いくら身体強化をしても体重まではどうにもならない。おかげで、勢いよく荒れ狂う風の中に飛び込んだまでは良いが、最初の勢いが尽きるや、そのままアリの死体と一緒に巻き上げられてしまいそうな感じだった。

(とりあえず、重しを出さないと……)

 そう考えたレックは、マージンから押しつけられていたがアイテムボックスの肥やしになっていた大剣を2本取り出した。右手に持っていた剣も重しになるからと、腰の鞘に戻す。

 流石に本来なら両手で扱うような代物だけあってか、1本50kg超、2本で150kgにも達する大剣は見事に重しの役目を果たしてくれた。正直、何でこんな重たい剣を作ったのか、レックには未だに分からないが、この時だけはマージンに感謝した。

 が、剣の腹にもろに風が当たってバランスが崩れそうになったレックは、慌てて剣の向きを調整した。

(これなら、動ける!)

 そう確信したレックだったが、その考えが甘いことはすぐに分かった。

「つっ!」

 確かに足下はそれなりにしっかりした。だが、飛んでくるアリの死体を叩き落とせなくなったのだ。正確には、叩き落とそうと大剣を振り回すと大剣に当たる風の圧力でバランスが崩れるし、それを避けようとすると大剣が思うように操れず、アリの死体を叩き落とせないのだ。

 結局、地面をちゃんと踏みしめることができなくなるが、レックは大剣を一本、アイテムボックスに戻さざるを得なかった。代わりに、右手には鞘に戻していた剣を握りしめることで、飛んでくるアリの死体を叩き落としながら、やっと前に進むことができるようになった。

 そうして改めて風の精霊の魔力を探ると、コアの場所は着実に近づきつつあった。外のことを考えるとありがたくないが、レック自身が移動すべき距離が減る点では好都合でもある。

 ひっきりなしに襲いかかってくる鎌鼬は防御魔術に任せ、飛んでくるアリの死体や正体を考えたくない物は右手の剣で叩き落としていく。

 できれば全速力で走りたかったが、一度大きく跳んだところ、風に身体を持っていかれたため、レックは断念した。

 それでもせいぜい100mほどで、レックは風の精霊のコアの所へと辿り着いていた。

 ただ、まだ解決すべき問題が残っていた。

(どうやって、あそこを攻撃するか、だけど……)

 レックが見上げていたのは、地上100m付近の空中だった。魔力の感覚から、その辺りに風の精霊のコアがあるはずなのだ。

 コアが見えないのはさておき、100mという高さまでどうやって上がるかが問題だった。

 これが平時であれば何の問題もない。

 超高層建築の壁を蹴りつけながらそこまで跳ね上がっても良いし、リーフを呼んで乗せて貰っても良い。

 だが、この荒れ狂う暴風の中にリーフを呼ぶことは躊躇われたし、超高層建築の壁を蹴って上がるのも、途中で風に身体を持って行かれるのが目に見えていた。

 かといって、100mも上空を攻撃できる魔術はレックには使えなかった。正確には使えないわけではないが、練習もせずにいきなり攻撃魔術を使うのは、流石に危なすぎるのだ。

(となると……)

 レックは左手に持った大剣を一瞥した。

 これを押しつけてきたマージン曰く、レック用の剣は全て魔力を込めることを前提として作っているらしい。実際、アリの死体を叩き落とすために使っている剣も、魔力を込めやすかった。

 ならば、大剣に魔力を込めて精霊のコアへと投げつければ、届くのではないか。

 幸い、大剣は2本あるから、一回は失敗できる。

 勿論、両方とも投げてしまうと、後は風に吹き飛ばされるだけだが、脱出するだけならなんとかなる。

 そう算盤をはじいたレックは、左手の大剣に魔力を込め始めた。

 できれば魔術を込めたかったが、レックが使える攻撃魔術は風属性に偏っていた。他の属性ならいざ知らず、風の攻撃魔術で風の精霊にダメージを与える自信は、レックにはなかった故の選択である。

 とは言え、無闇に大剣を投げつけても当たらなければ意味がない。

 そう考えて魔力を込めながら少しだけ様子見をしようかとレックが考えた時だった。

 急にコアの動きが止まった。

(今!)

 一気に大剣が壊れるか壊れないかギリギリまで魔力を込め終えたレックは大剣を右手に持ち替えると、風の精霊のコアがあるはずの場所を睨み付け、全力で投擲したのだった。



「行ってまったけど、大丈夫やろか?」

 いきなり大量の魔力を垂れ流しにしたかと思うと、風の精霊からの攻撃を素手で薙ぎ払い、そのまま突っ込んでいったレックに呆然としたまま、マージンがそう言った。

「大丈夫じゃと信じるしかあるまい。私達ではレックを追うことはできぬからのう……」

「そうだけど……何かできること、ないのかな?」

 ディアナの言葉に、水の膜を維持したままのリリーがそう呟いた。

「今のところは、あらへんな」

 そんなマージンの言葉にリリーは肩を落としたが、「そやけど」とマージンは言葉を続けた。

「こっちでも風の精霊の気を逸らす事くらいはできるかも知れへん。ディアナ、ちょっと弱めの魔術で攻撃してみてくれへん?」

「それは構わぬが……返されても問題はないのかのう?」

「分からへんから、弱めの魔術やねん。それやったら、最悪リリーのそれで防げるやろうし」

 マージンに言われてなるほどと納得したディアナが炎の矢を放ったが、これは跳ね返されることもなく、20mも進まないうちに飛んできた風に、あっさりとかき消されてしまった。

 その惨状に、思わずディアナがぼやいた。

「そもそも届くとは思っておらなんだが、あっさり消されてしまうとはのう……」

「まあ、それでも問題ないみたいやし、多少はレックの助けになると思うて、ちまちま撃っとこうや」

「そうじゃな」

 そう答えてディアナが更に炎の矢を放つが、これもあっさりかき消された。

 それを見たディアナが更に魔術を放とうとした時、

「ねぇ、あっちからの攻撃が止んでないかな?」

 維持している水の膜に攻撃が加えられていないことに気づいたリリーがそう言った。

「そう言えば……そうじゃな」

「中にレックが入り込んで、こっちにまで攻撃の手が回らんようなったとか?」

 マージンの言葉通りであれば随分助かるのだが、だからと言って何かできるようになるわけでもない。

 ディアナの魔術はしっかりと防がれているし、マージンは元々攻撃魔術は得意でないこともあり、やはりできることはなさそうだった。

「あたしなら……何かできるかな?」

「その間、守りはどうなるのじゃ?」

「解けはしなくても、薄くは……なっちゃうね」

 その間に攻撃されたらどうにもならないことに気づき、リリーの声が沈んでしまった。

 そこに口を挟んだのがマージンだった。

「いや、一発だけやったらええんちゃうか? 危なそうやったら合図出すからすぐに守り固めたら間に合うやろうし、少しくらいやったらわいが防ぐし」

「マージン……」

 何やら妙に嬉しそうな様子のリリーを見たディアナは、苦い思いを飲み込み、マージンの案に対する意見を口にした。

「私も一発くらいであれば、リリーを守ることはできようしな。良いのではないかのう。……万が一には、マージンに治してもらえばええじゃろうしのう」

 それを聞いたリリーは、徐々に近づきつつある風の精霊――その暴風へと目をやり、うんと頷いた。

「マージン、ディアナ。お願い」

「任しとき」

「うむ」

 二人の返事にリリーは満足そうに笑うと、アイテムボックスから新しい水を出した。その分、防御に回している水の制御が緩むのを感じつつ、どうせならと既に超高層建築の影から出てきている風の精霊のコアの位置を確認した。

(一直線に撃てば当たると思うけど……)

 まだ数百mの距離があったが、操っている水の精霊の感覚なら、かなり威力は落ちるものの、細く絞れば十分届く感触があった。

 そう感じたリリーは、届かせるために目の前に浮かべた水を小さく、細く圧縮し始めた。勿論、水は空気ほどに圧縮できるわけではない。単なるイメージである。

 メトロポリス大陸を旅している間に気づいたのだが、どうやったら良いかはなんとなく水の精霊が教えてくれる。その通りにやれば、大体上手くできるのだ。

 今もまた、水の精霊にやりたいことのイメージを伝えると、やり方のイメージがなんとなく伝わってきた。

 兎に角、水をひたすらに圧縮する。

 そして、不意にそのイメージが届き、

 固く圧縮された水の一点から導くように開けた穴から、レーザーのごとき勢いで水が飛んでいったのだった。



 風の精霊はなんとなく苛立っていた。

 先ほど、自らの中に飛び込んできた何かが動き回っているのだが、それが何となく苛立たしいのだ。

 はっきり嫌だと感じるわけではない。

 だが、何となく落ち着かない。

 だから、なんとかそれを追い出そうと、いろいろな物をぶつけてみたのだが、どうにも効果がなかった。それどころか、確実に中心へと近づいてきていた。

 ただ、そこで風の精霊は気がついた。

 前方で水の精霊が活発に活動している。

 さっきまでは何かを守るように固まっていただけだったが、今のこの動きはもっと積極的な何かを感じさせた。

 そのせいで、水の精霊が守っていた何かを風の精霊にも感じ取れるようになっていた。

 それを感じ取った瞬間、風の精霊は強く感じた。

 あれだと。

 あれこそが求めていたものだと。

 そう感じた風の精霊は、水の精霊に守られる何かをもっとよく識るべく集中し始めた。途中、水の精霊が何か仕掛けてきたようだったが、風の精霊は気にすることもしない。

 ただ、ひたすらに集中し。

 直後、風の精霊を熱い何かが貫いていったのだった。

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