第十七章 第二話 ~摩天楼~
ここ数日、ワッツハイム街区ではちょっとした噂が流れていた。そのせいで変わった習慣が流行りつつあった。
「夜になると摩天楼が光る、ね」
自らの執務室でその噂を聞いたベルザは、それを時々流れる都市伝説にも似た根拠のない話の1つだろうと思った。
だが、その話を持ってきたシモンはそうは考えていなかったらしい。
「今回はただの噂ではなさそうです。広まるのが早すぎると感じて調べてみたのですが、意図的にこの噂を広めている人間がいるようです」
「こんな噂を? 何のために?」
意図的に広めている何者かがいると聞き、流石にベルザも知らんぷりは出来ないと感じた。その目的によっては何らかの手を打たなくてはならない。
だが、シモンにもそこまでは分かっていなかった。
「こんなやり方では噂を広めているのは意図的だとばれるのは、相手にも分かるはずです。少なくとも罠を仕掛けるつもりはなさそうですが、そうなると何を考えているのか分かりません」
その言葉を聞いたベルザがどうするべきか考えていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「失礼します。ガバメントの風間様からの連絡がありました」
許可を受けて入ってきた男の言葉に、ベルザは続きを促した。
「ここ2、3日、妙な噂が流れてるのだがどう思う? と」
「妙な噂?」
たった今、自分達もある噂について話をしていただけにベルザは続きが気になった。
「夜、超高層建築の上層階で光が見えた、というものです」
その言葉に、ベルザは思わずシモンと顔を見合わせた。
「あなたはどう考える?」
報告に来た男に返事は後で伝えると言って部屋から出すと、ベルザはシモンにそう訊いた。
「あまりにもタイミングが一致しすぎています。考えるまでもなく、同一の組織、集団の仕業でしょう」
「……ローエングリスだと思う?」
「ない、でしょうね。罠を仕掛けるにしても、現時点で我々を手にかけるメリットがありません。あったとしても、ガバメントと同時に手を出すことはしないのではないかと」
「そうよね」
ローエングリスがついに余計なちょっかいをかけてきたかとも考えたが、少し冷静に考えてみれば、シモンの言う通りだった。あり得ない。
ならば、この噂は何なのか。
「……のってみるのも手かも知れないわね」
噂を流したのが何者か分からないが、ベルザはそう考えた。罠かも知れないが、はっきり言って自分が他の街区に流言を流して罠にかけるとしても、こんな意味の分からない噂は使わない。
そこまで考えると、この噂にのってみるのはありかも知れないと思ったのだ。
「実際に高層階が光る超高層建築を探す、ということですか?」
シモンの言葉にベルザは頷いた。
「ちょっと思ったのだけど、罠じゃないのならこれは本当の話なのかも知れないわ。それなら調べてみた方が良いと思うの。あなたも気になるでしょう?」
「それは……確かに」
ベルザの言葉を否定できずに、シモンは頷いた。
「それでは噂をもう少し調べてみます。今のままではどの超高層建築のことか分かりませんので」
「そうね、お願い」
ベルザがそう言うと、シモンは軽く会釈をして執務室から出て行った。
(変な噂よね)
レック達を探してガバメント街区まで来ていた紗耶香がその噂を聞いた感想がそれだった。
(夜になったら建物の上の方が光るって……星か月かを見間違えたんじゃないの?)
紗耶香はそう思いはしたものの、ガバメント街区の住人達はそう思ってはいないらしかった。少し前にあった事件を忘れようとするかのように。
そのせいか、ベルザ達と違って紗耶香はこの噂に違和感を感じることは結局なかったのだった。
その数日後。
なんとか気持ちは立て直したものの、これからどうするべきかまだ決まらず、風間の元で無為な日々を過ごしていたレック達は、その風間に呼び出されていた。
「夜になると建物の上の方が光ってる?」
風間の話を聞いたレックの第一声がそれだった。
「それ、単なる噂だと思うのじゃが?」
「どうやらただの噂ではなかったみたいでね。ベルザの所の……シモンだったか。彼の部下が確認したそうだ」
その風間の説明でその話が単なる噂ではないとレック達も信じたが、今度は首を傾げた。
「何かあるって事か?」
「それが分からないんだよね。一応、ベルザの所でも調べてはみたらしいんだけど、場所が場所だろう? 満足に調査できてないらしいんだ」
そこで風間は言葉を一度切って、レック達の顔を順番に見回した。
「それで、だ。ベルザから君たちに調査を手伝ってくれないかと依頼が来ている。受けるかどうかは任せるけど……まあ、返事は今日中で構わないよ」
その言葉に、レック達3人は頷いた。
これが危険がないと分かっている調査なら自分達だけで決めてしまっても良かった。だが、メトロポリスの中は決して安全ではなかった。この間のエネミーもそうだし、最近大人しいがマーダーズという武装集団もいる。
だからこそ、一度、ここに来ていない仲間も含めた全員で話し合っておきたかった。
そんなレック達の様子を気にすることなく、風間は話を続けていた。
「まあ、君たちが受けてくれるかどうかは別としても、僕としてはこのことにはかなり興味があってね。
何しろ、超高層建築の最上階付近にもかかわらず、地上から光を確認できたって事は、かなり強い光源があるということだからね。今のメトロポリスにあるそんな強い光源がなんなのか。とても気になるんだよ」
「確かにのう。エネルギーがないのじゃから……何かを燃やしたということはないのかのう?」
ディアナの言葉に風間は首を振った。
「光は数分ほど見えた後、そのままフッと消えたそうだよ。何かを燃やして出た光なら、そんな消え方はしないね」
風間に説明にそれもそうだとディアナは頷いたが、そうなると何が光っているのか。風間ではないが確かに興味をそそられた。
「それにだね。光があるということは……そこに誰かいるかもしれない。確かにこのメトロポリスにはガバメントやカンパニーユニオンですら存在を把握していない人も沢山いるけど……地上1000mに住み着いてる人がいたら、面白いと思わないかい?」
その言葉を聞いたクライストとディアナは確かにと頷くだけだったが、レックはその二人と同じように頷きながら、ある可能性を思いついていた。
(ひょっとして……イデア社の人間がいたりするのかな?)
とはいえ、流石にそんな思いつきは迂闊に仲間以外に話す気にはならなかった。ただ、この後仲間達をなんとか説得する必要があることは確かだった。尤も、自分が考えついたことを話せば、説得は割と簡単だろうが。
それからすぐに忙しいからの一言で風間に追い出されたレック達は、仲間達が待つ部屋へと戻ってきていた。
「……ということなのじゃ」
ディアナの説明を一通り聞いた仲間達の反応はそれぞれだった。
「ま、行くしかあらへんやろな」
「だよね。気になるよね」
さくっとマージンが言いきると、即座にリリーが追従した。尤も今回はマージンに賛成したのが半分、後は純粋に本人の好奇心だろう。
一方、渋る仲間もいた。
「……それ……危険は……ないんですか?」
不安そうにそう言ったのはミネアだった。その隣に座っているアカリもその表情がミネアと同じ意見だと言っていた。
ただ、マージンはその点も考慮済みだったらしい。
「夜にリーフに乗って上空から確認したらええやん。多少離れとっても、レックなら何かしら見えるやろ」
だが、
「それで……見えなかったら……どうするんですか?」
「んー、そん時はそん時にまた考えるしかあらへんやろなぁ」
細かいところまでは考えていなかったらしく、ミネアの突っ込みにあっさりさじを投げた。
それでも、この場の結論を出すには十分だった。
「幸い、光が見えたのは夜で、それも建物の最上階付近とのことじゃ。空からでも何かしら分かるじゃろうな」
「確かに……それなら……」
ミネアも消極的ながらも賛成したところで、レックが口を開いた。
「なら、今夜にでもリーフを呼んでみるよ。……すぐに来るか分からないけど」
メトロポリスに入ってからも何度かリーフを呼んでみてはいたが、メトロポリスやその周辺では餌がとれないのか、来ないこともしばしばあった。呼ぶ手段が口笛だけなので、ちょっとでも離れていると聞こえないらしいのだ。
「ちゃんとした笛を用意した方がええんちゃうんか?」
「マージンが作ってくれるならそれでもいいと思うけど」
「挑戦してみてもええけど……自信あらへんで」
「マージンに作れない物ってあるの?」
「リリー。わいのこと、ちょっと過大評価しとらん? 見た目さえ整えたらそれなりに使えるようなんはまだしも、楽器とかいくら形ちゃんとしても、音が出るかどうかは別問題やし」
そんな説明に、リリーはなるほどーと頷いた。
「それはさておき。別段、急ぐ話でもないようじゃしのう。今夜が無理でも、リーフが来た時でよいじゃろう」
ディアナの言葉通り、風間は返事は兎に角、別に調査そのものを急いでいるとまでは言われていなかった。
ただ、実際に調べに行くことになるだろうレックは、あまり時間をかけたくもなかった。
ロイドのような役目の人間がいるかも知れないと考えついてしまっていたからである。もし、本当にいるのなら、いろいろ聞きたいこと、問い質したいことがあったからだ。
ただ、行くという方針が決まった以上、わざわざそのことを口にする必要もなかったが。
とりあえずの方針は決まったということで、ディアナが風間の所に返事を伝えに行くことになった。
ただ、一人でも問題ないはずだったが、
「一応、レックと……マージンも来てくれるかの?」
何故かそう言って二人を呼んだ。
特に拒否する理由もなく、レックもマージンもディアナと一緒に行くことになり、部屋を出た。
そして建物の中を歩くことしばし。
「……風間の所に行くんじゃないの?」
何故か風間の執務室にまっすぐ向かおうとしないディアナに、レックはそう声をかけた。
「そろそろ良いかと思ってな。風間の所に行く前に少し確認させて貰おうかと思ったのじゃ」
人気のない通路で足を止めたディアナは、レックの方へと向き直るとそう言った。
「え? 何を?」
その時点で、レックは少しばかり嫌な予感がした。が、逃げようかと考える前に、ディアナが口を開いていた。
「グランスを殺したあれを追いかけていった時、聞いたこともない魔術を使っておったじゃろう?」
「…………」
今まで全く詮索されなかったからもう大丈夫だろうと油断していたレックは、思わず言葉に詰まっていた。
(どうしようどうしよう!)
誤魔化そうという考えすら浮かばないほどに慌てているレックにディアナが言葉を続けた。
「あれはどこで覚えたのじゃ? 少なくともあのような魔術を覚えられる祭壇の話など聞いたことはないがの?」
どこで覚えたと聞かれても、レックには答えようがなかった。まさか、現実にも魔術が存在しているとか、それがこの世界でも使えるとか、魔術師に教えて貰ったとか……迂闊に話せる話ではないし、話したところで信じて貰えそうにもない。
そう思考が空回りしているレックの側では、マージンがディアナに話しかけていた。
「そんなことがあったんや」
「そうじゃ。正直、あの時のことはあまり思い出したくはないのじゃが……どうしても気になっておっての」
「で、なんでわいも連れてきたんや? あの場で訊かへんかったのはまあ、分かるとして、わいも連れてくる理由はちょっと分からんのやけど」
「なんとなく、もう一人誰かいて欲しかったからじゃな」
「そうなん? で、レックはどんな魔術使ったんや?」
「あれが逃亡する時に煙幕を張ったのじゃが、レックが魔術でそれを吹き散らしたのじゃ。いや、風は吹いておらなんだから、打ち消したと言うべきかも知れぬのう」
あの状況で意外にしっかりと観察されていたことにレックは驚きながらも、どう言い訳するべきかを必死に考えていた。
「別に力を出し惜しみしておったとかは思っておらぬが、気になるものは気になるじゃろう?」
「そうやなぁ。まあ、害にならんのやったら、別に無理に聞きたいとは思わんけど」
「……まあ、それもそうじゃな」
マージンの言葉に、ディアナも自分がらしくもないことをしようとしていたことに気づいたらしい。改めてレックの方へと向き直ると、
「そんなわけじゃ。話したくないことがあるならそれでもよい。じゃが、1つだけ聞かせてくれぬかのう?」
そう言った。
「……何を?」
言い訳をしなくても良くなったらしいと辛うじて落ち着きを取り戻したレックがそう返すと、
「誰かが危険に晒された時、今隠しておることを隠し続けることを優先したりはせぬよな?」
ディアナの目に真剣な光を見つけたレックは頷いた。
それだけは自信を持って言えた。
「ならよい。下らぬ事を訊いてしまったのう」
そう言ってディアナは満足げに頷くと、風間の所には一人で行ってくると、レックとマージンを置いてその場を去って行った。
そんなディアナの背中を見送ったレックは、ふと言葉を零していた。
「……あの時も全力だったんだよ」
「さよか」
「うん」
マージンの短い言葉に、レックは少しだけホッとしたような気がしていた。
その頃。ローエングリス街区では執務室でヒュームが部下からの報告を受けていた。内容は、ワッツハイムが調べていた超高層建築について、である。
ベルザの所に潜り込ませている部下からワッツハイム街区とガバメント街区で流れている噂について、シモン達が調査に当たると知った時には鼻で笑ったのだが、噂が事実だと知った時からベルザ達にも知られないように部下に調査させていたのである。
だが、それは残念な結果に終わっていた。
「屋上が怪しいが、そこに行く手段がない、か」
泊まりがけで調査に当たらせただけあって、件の光は屋上から出ていることまでは突き止めていた。だが、いくら調べても屋上へ行く経路がないのだった。
現実世界の建物であればあり得ない話なのだが、半ば忘れられかけているとは言え、ここは元々仮想現実なのである。なら、現実世界の建物の常識がメトロポリスの建物に通用する保証はなかった。そもそも、銃で撃とうが何をしようが傷一つ付かない時点で、常識が通用していない。
窓から外に出ようにも、はめ殺しの窓ではそれも叶わない。ガラスを破ることも出来ない時点で、半ば詰んでいると言えた。
残っている可能性は1つしかなかった。だが、
「最初から外を上ることは出来ないのか?」
「道具があればある程度は上れると思いますが、1000mともなると流石に冒険者でも無理かと……」
ヒュームの確認に部下は申し訳なさそうに答えた。
尤も、ヒュームもいくら何でも無理があるとは思っていたため、特に部下を咎めることもなかった。
ただ、何があるのかだけは気になっていた。
その夜。
「リーフ、久しぶり」
ガバメント街区の外れにある小さな緑地帯で、そう言うレックに首筋を撫でられ、満足そうに喉を鳴らすリーフの姿があった。
「うわ! ちょ!」
そのままレックの顔を咥えるように甘え始めるリーフに、レックが逃げることも出来ずに涎塗れになっていく。
マージンが出したちっちゃい火矢を明かり代わりに、仲間達――と言ってもここには3人しか来ていない――は生暖かい目でその様子を見ていた。
「何日かかかるだろうって思ってたんだけどな」
「ちょっと待ったけど一晩なら早いほうやな」
「あれは近づきたくないかな~……」
思ったよりあっさりとやってきたリーフに拍子抜けしつつも、3人ともレックのようになるのは嫌なのか、近寄ろうとはしなかった。
そして待つことしばし。
やっと満足して大人しくなったリーフと共に、レックは仲間達の、より正確にはリリーの所へやってきた。
「……ちょっと、軽く頭洗ってもらえないかな?」
言いにくそうに、それでもそう頼んできたレックに、リリーは苦笑しながらアイテムボックスから取り出した水を操り、レックの頭を軽く洗った。使った水はそのまま周辺に撒いてしまう。
そうして、すっきりしたところでレックはこの後の予定について確認し直した。
「僕とクライストがリーフに乗って上がって、明かりが見えるか、明かりが見えたらそこに何があるか確認してきてから、戻ってくるんだよね」
「1、2時間ほどでやな」
「重量面では一人の方が良いんだけど……」
レックはそう言ったが、実際に一人で行くとなると何かあったらと周りが心配するので、クライストが同行することになっていた。
一方、マージンとリリーはレック達を見送った後はそのまま寝床に戻る予定だった。既に昼間は汗ばむほどに暑くなってきているが、夜は少し冷えることも多い。そんな中、1時間も待つのはちょっとつらいというマージンの言い分が通った形である。
ちなみに、二人も乗せたまま飛び続けるのはリーフに負担がかかりそう、というよりも、男同士での密着に耐えられないというクライストの意見により、明かりがすぐに見つからなかった時は、レックとクライストはその辺の屋上で時間を潰すことになっていた。
「まあ、そろそろ行こうぜ。折角リーフも来てくれたのに、時間逃したら馬鹿みたいだぜ」
そう言いだしたクライストの言葉にレックも頷くと、ひらりとリーフの背に跨がった。マージンが作っていた鞍っぽい物は、いつの間にやら少しばかり大きくなったリーフには合わず、残念ながら鞍も手綱もなかったりする。
そんなわけで、クライストも乗り込むと、レックはリーフの真っ白な毛を軽く握り、
「それじゃ行ってくるよ」
マージンとリリーにそう言って、リーフに合図を出した。
「クルルルルルルッ!」
リーフは鳴き声をあげると同時に地面を力強く蹴り、一気に飛び立った。
「んじゃ、わいらは先に帰るか」
夜の闇に消えていったリーフとその背に乗ったレック達を見送ると、マージンは早速帰ろうとした。勿論、火矢は既に消していた。
「うん、そだね」
リリーも即座にその後を追い、ついでにさりげなく左隣を確保する。
(付いてきただけだったけど……なんか二人っきりになっちゃった)
実のところ、今の状況はリリーは想定していなかった。単に、マージンがレックと一緒にここまで来ると言うから付いてきただけなのである。
それが蓋を開けてみれば、残ると思っていたクライストはレックと一緒にリーフに乗って行ってしまい、結果としてリリーはマージンと二人っきりになっていた。嬉しい誤算である。
ただ、いきなりのことなので、折角の時間をどうしたら良いか、リリーは全く考えていなかった。
(どうしたらいいのかな? 手とか繋いでも良いのかな?)
そんな考えをディアナ辺りが知ったら、告白しろとか、押し倒せとか言い出しそうだった。
そう考えたところで、
(告白かぁ~……)
そんなタイミングがなかなかなくて、全くしていないことに気がついた。
最近の自分の行動は全く好意を隠せてない自覚はあった。でも、マージンはそれに全く反応してくれないのだ。ちゃんと言葉で告白しないと駄目なんじゃないかと思うには十分だった。
ただ、問題もある。
(告白って……心の準備っとかっ)
そんなつもりも覚悟もない今の時点で、まともな告白は出来そうになかった。それでも、顔だけは真っ赤になってしまっている自覚はあった。夜の闇のおかげでマージンにはばれないのが幸いだった。
それでも、今は確かにチャンスなのだ。
なのだが……
(……今は無理っ!)
中途半端に意識してしまったせいか、どう考えても無理だった。
意識した直後に思い切っていれば、あるいは告白できたかも知れないが、こうなってはもう無理だった。
(それに……)
リリーは隣を歩くマージンへと視線をやった。暗すぎて影しか見えないが、確かに隣にいる。
(やっぱり、好きな人とかいるのかなぁ……)
いるとしたら誰だろうか。
現実世界? それともこっちに?
現実世界だったら……恋人とかいるのかな?
でも、クライストみたいに全然慌ててないし……いないのかも。
だったら、こっち?
ミネア多分ないから……ディアナとか?
そこまで考えたリリーは微妙に凹んだ。
(ディアナ相手に勝てるわけないよ……)
ディアナは言葉遣いとか色のセンスとか、問題がないわけではないが、美人だし、大人の女性らしくしっかりもしている。未だに子供っぽさが抜けてないという自覚があるリリーでは勝ち目がなさそうだった。
そんなことをつらつら考えていたからか、いつの間にかマージンが自分を見ていることにリリーは気づかず、
「リリー、どうかしたん?」
「あひゃっ!?」
「えっ?」
マージンに声をかけられて、思わず変な声を出してしまった。
そのことに思いっきり赤面するも……まあ、こっちを見ているはずのマージンにすら見えるはずもなく。
そのことに僅かに救いを感じながら、リリーは必死に誤魔化しに走った。
「な、なんでもないよっ!」
「そうなん? なんや、考えとるみたいやったけど……」
そう首を傾げながらも、マージンは深く突っ込むことはしなかった。
そのことにホッとしつつもちょっとだけ寂しさを感じたリリーは、さっさと話題を変えることにした。
「それより! レック達、何か見つけると思う?」
「間違いなく見つけるやろな。ベルザも風間も、そのつもりで流された噂やろうって言っとったし」
特に疑問も持たない様子で、リリーの話題転換にマージンは応じた。
「……誰が流したんだろね」
「超高層建築の最上階……どころか、下手したら屋上やろ? そんなとこにおるやつなんざ……あー、失敗したかも知れん」
そう言ってマージンは右手で顔を覆った
「え? どしたの?」
「いや、な? その明かりって……イデア社の人間かも知れん。そうやったら、レックとクライストやとちょっと暴走せぇへんかなって、な?」
それでリリーにもマージンの懸念が理解できた。
どうしてマージンがイデア社の人間がいると考えたのかは、疑問にすら思わなかったが、マージンの言葉になるとリリーが深く考えないのはいつものことである。
そんなリリーの目の前で、マージンは個人端末を取り出すとクランチャットを起動したのだった。
緑地帯から飛び立ったリーフは、流石に速度もない状態で一気に高度を上げることは出来ず、まずは高さよりも速度を稼いでいた。
「……ちょっとってか、かなり怖えな」
身体強化を使っていても周囲の様子がほとんど見えないほど暗い超高層建築の間の谷間でスピードを上げていくリーフの背中で、クライストがぼそりと呟いた。
「まー……否定はしないよ」
何回か夜にリーフを呼び出した時に、普通にやってくるから大丈夫だろうとは思っているが、実のところ、レックもちょっと怖かった。身体強化さえ発動させていれば、大怪我はしないと分かっていてもである。
それっきり雑談も途絶えた二人を乗せたリーフは、十分に速度がのったのか、やがて上昇し始めた。
それでも人を二人乗せて1000mもの高さまで上がるのは、リーフにも大変なことなのだろう。超高層建築の高さを超えるまでに20分もの時間がかかっていた。
「ひゅーっ!」
眼下を流れ去っていく数々の超高層建築の屋上を眺めながら、クライストが口笛を吹いた。
「流石に落ちたら危ないから、しっかり捕まっててよ?」
「あー、すまねぇ。ちょっと興奮してた」
久しぶりに超高層建築のせいで暗くない場所に出て、ちょっとばかりテンションが上がるのは、レックにも理解できた。
ただ、今いる場所は地上からの高さが1000mを超えているのだ。万が一、リーフの背中から落ちて、ついでに超高層建築の屋上じゃなくて地面まっしぐらなんてことになったら、潰れたトマトができあがってしまう。
そのことを思い出したクライストは、しっかりとレックの鎧を掴み直した。
「っかし、こうして見るとやっぱ、メトロポリスって凄えよな」
高さ1000mもの超高層建築が地平線の向こうまで広がっている。そして、そのど真ん中に超高層建築よりも更に高いクリスタルタワーがキラキラとした光を放っているのだ。
夜であっても、百億都市とまで呼ばれたメトロポリスの規模の大きさを実感させるには十分だった。
ただ、忘れてはいけないこともあった。
「でも、この都市は既に死んでるんだよね……」
人こそ住んではいるが、都市機能のほとんど全てが停止している以上、このメトロポリスはただ巨大なだけの代物と言えた。
そう考えて見てみると、急にメトロポリスが巨大な墓に見えてきたクライストは身震いした。
「ロクでもねぇこと言うなよ……」
「あー、ごめん」
クライストに謝ったレックは、真面目に問題の明かりを探し始めた。詳しい場所はよく分からないが、クリスタルタワーしか光ってないメトロポリスで、地上からも見えたという明かりを見つけるのは難しくはないはずだった。
実際、
「レック、ひょっとしてあれじゃねぇか?」
レックとは反対側を探していたクライストがそう言ったのは探し始めて一分と経つ前のことだった。
「ほんとだ。……リーフ、あそこだよ」
レックの指示を受けてリーフがすぐにクライストが見つけた明かりへと向かった。
そして、数分と経たずに明かりを放っている超高層建築の上空へと達したリーフの背中から、レック達はその明かりを観察していた。
「屋上なんだな」
最上階ではなく、明かりはある超高層建築の屋上から出ていた。
明かりに照らされたその屋上は緑化でもされているのか、妙に青々としていた。というか、
「……畑があるように見えるんだけど」
そんなレックの言葉に目を凝らしたクライストも、認めざるを得なかった。
「畑だな……」
しかも、クライストにはそこまで見えていないが、レックにはその畑がちゃんと手入れされているのまで確認できた。
「あれ、絶対誰かいるよ」
「マジかよ……1000mだぞ?」
この高さともなると気温も低ければ、なんとなく空気も薄い。いや、それ以前に地上に降りて戻ってくるのも一苦労というこんな所に住んでいる時点で、正気を疑わざるを得なかった。
「でも、なんか一軒家みたいな建物まであるんだけど……」
どうやら身体強化のレベルが高いレックにはそこまで見えているらしいが、残念ながらクライストにはそこまで見えていなかった。
「……どうする?」
「このまま突っ込むのは流石にちょっと。昼間にもう一度、様子を見に来ても良いかも」
本当に誰かいるとして、こんな所にいる時点でまともな相手ではないだろう。そう考えると、もう少し様子を見てから、最低でもその姿を確認してからでも、実際にそこに行くのは遅くないとレックは思ったのだった。




