第十六章 第十二話 ~レックの後悔~
レックは目に映ったそれが理解できなかった。
いや、理解したくなかったと言うべきか。
だが、それは紛れもなく現実で。
全力の身体強化を使っていたレックは、ソレとの戦いの途中で、あることに気がついていた。すなわち、
(ちょっと痺れるけど……それだけなんだ)
ソレがスタンガンのように接触した瞬間に放ってくる電撃が、ほとんど効かなかったのだ。
理由は大体想像が付く。
剣の柄に巻いた革が役に立った……というわけではない。勿論、無いよりはマシなのだが、実際にはレック自身が纏う魔力が理由だった。
身体強化のために全身を駆け巡る魔力が、ソレが放ってくる電撃の魔術を構成する魔力を飲み込み、押し流すことで、電撃をほとんど無効化してしまっているのだ。
少しばかり流れてきている分は、身体強化に伴う回復力の増強で十分カバーできることもあり、予め想定していたよりも随分楽に戦いを進められていた。
振り下ろされてくる爪も、突き出されてくる爪も、簡単に剣でなぎ払うことができた。剣が間に合わなくても、手でいなしてしまえば良い。
そうして、一度ソレの動きに慣れてしまえば、後は攻めるだけだった。
ただ、ソレは碌な思考能力を持たないエネミーとは一線を画していた。
上から切りつけても躱される。横から切りつけても跳ね上げられる。
そんな風に、剣でいくら切りつけても悉く防がれてしまったのだ。エネミー相手に剣を振るうだけで、ちゃんとした形で剣を習ったことがないレックの限界だった。
どうやって相手の守りを破れば良いのか、さっぱり分からない。距離を詰めた時に時折蹴りや拳も交えてみたが、かえってやりづらかった。
それでも、確実に押しているという手応えはあった。
(なら、このまま最後まで押し切る!)
下手な小細工をできるほど自分は器用ではないし、戦い慣れてもいない。それだけは分かっていたレックは、多少時間がかかっても堅実に行くことに決めた。
その直後、後ろから凄まじい爆音が響き渡った。
(ディアナ!?)
思わず振り返りそうになりつつも、なんとか堪えたレックは、何が起きたのかだけは察した。
おそらく、ここに来るまでに見かけたが放置していたゾンビがやってきていて、それをディアナが魔術で薙ぎ払った。そういうことだろう。
なら、今自分がやるべき事は、後ろはディアナに任せて、目の前のコレを仕留めることだった。
簡単にはソレの身体に剣を届かせることはできそうにもない。それならばと、ソレの腕を狙って、軽く魔力を込めた剣を振るい続ける。
その成果はすぐに出た。
(っ! 今っ!)
何の偶然か分からないが、ソレの両腕をまとめて大きく跳ね上げることに成功したのだ。
流石にチャンスだと即座に察したレックは、引き戻した剣を勢いよくソレへと向かって突き出し……
ほんの一瞬先。
自身の剣がソレの身体を貫く瞬間を想像してしまった。
それと同時にレックの身体は硬直していた。
後ほんの数cmで、ソレの身体に剣が触れるというところで。
そのことを、ソレがどうとらえたのか。レックには分からなかった。
ただ、レックの目の前からソレの姿が消え、
後ろからゾブリという音が聞こえてきた。
「あ……ああ……ああああ…………」
グランスの胸からソレの爪が突き出していた。
その光景を見ていた誰かが、声にならない悲鳴を漏らした。
そんな彼らの目の前で、ソレがゆっくりと腕を引くと、グランスの胸から突き出していた爪もゆっくりと戻っていき。
どさり。
ソレの爪から解放されたグランスが、床に倒れた。
「ああっ……ああああああ!!!」
その瞬間、レックがソレに飛びかかった。
ソレはレックが振るってきた剣を辛うじて躱すと、グランスの身体を飛び越えて距離をとった。
「おまえっ! おまえぇぇぇぇぇ!!!」
そうして、再び飛びかかろうとしたレックの目の前に、その手に持っていた赤黒い何かを掲げると、それを一気に飲み込んだ。
途端に、ソレの魔力が明らかに増えた。
だが、レックはそんなことは気にならなかった。
ソレが食べた物が何だったか、理解してしまったからだ。
今まで以上に身体強化に魔力を込め、剣にも壊れる可能性すら考えずに魔力を注ぎ込む。
それを見たソレの顔が明らかに引きつったが、レックは気づかなかった。気づく余裕などなかった。
ただ、目の前が真っ赤に見えるほどの怒りに身を任せ、
身体強化や剣に込めきれなかった魔力を全身から垂れ流し、
込められた魔力に耐えきれず、甲高い悲鳴を上げる剣を振りかざして、ソレへと襲いかかった。
一方、ディアナはグランスの元へと駆け寄っていた。
「グランス! っ!!」
グランスの胸に空いた大きな穴は、そこから流れ出る大量の血を見るまでもなく、致命傷だった。それでも何もしないままでいることはディアナには出来なかった。
治癒魔術を使えないことに苛立ちを感じながらも、ありったけの薬草や秘蔵のポーションをアイテムボックスから取り出そうとして、グランスが伸ばしてきた手によって遮られた。
「っ!」
それを無視することも出来ずに手を止めてしまったディアナは、そこでグランスが何か言おうとしていることに気がついた。
このまま治療に必要なアイテムを探すことを優先すべきか、それともグランスの言葉を聞くべきか。
感情はアイテムを取り出すのを優先しろと伝えてきた。
だが、理性はなんとしてでもグランスの言葉を聞くべきだと主張した。
どっちの言うことも尤もで、いつもならディアナももう少し悩んだかも知れなかった。
しかし、今はそんな時間はなかった。
ディアナは一瞬の逡巡の後、アイテムボックスを閉じると、グランスの手を握り、その口元へと耳を寄せた。
「………………」
グランスの声は既に声にもならない音量で、ディアナは身体強化までも使って辛うじてそれを聞き取った。
直後、ディアナの手の中で、グランスの手が力を失った。
「っ……」
一瞬歯を食いしばったディアナは、個人端末を取り出すと仲間達に送るメッセージを打ち始めた。
まだ間に合うかも知れない。必要なのは、治癒魔術が使える仲間だった。
(馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ!!)
ソレは混乱していた。
グランスと呼ばれた男の心臓を喰らったまでは良かった。それによって、確かに力も増えたのだから。
だが、その後が予想外だった。
その一部始終を認識したレックから放たれる魔力が、先ほどまでよりも更に増えたのだ。
当然のように、身体強化による身体能力も跳ね上がっていた。
ソレにとっても反応が厳しいほどの速さで襲いかかってきたレックの剣には、先ほどまでとは比べものにならない魔力が注ぎ込まれていた。
結果、辛うじてレックの剣を受け止めることができたソレの爪は半ばまで切り裂かれ、もう一度受け止めることはどう見ても不可能だった。
逃げるしかない。
ソレがその結論に達するのは早かった。
この場には他にも冒険者がいたが、彼らを喰らう選択肢はなかった。一人や二人喰らったところで、今のレックに勝てるとは全く思えなかったからだ。
ソレにとっても破壊するのは手間がかかる建物の壁を、ソレが躱したことで空振りになったレックの剣が易々と切り裂いていく。それを爪以外で受け止めるようなことになったら……そうなる前になんとしてでも逃げるべきだった。
だが、がむしゃらに振るわれるだけの剣であっても、一瞬でも対応を間違えれば致命的なのは確実だった。
(ならばっ!)
だから、ソレはあっさりと決断できたのかも知れない。
レックが剣を振り上げた瞬間、次に振り下ろされるであろう軌跡を見極め、その上に敢えて腕を置いた。
次の瞬間、予想通りに腕が切り落とされ、それは魔術を行使した。
触媒は切り落とされた腕から吹き出すソレ自身の血。
故に、構築に要した時間の短さと注ぎ込まれた魔力の量にもかかわらず、それは確かな効果をもたらした。
一瞬で通路を覆い尽くしてあまりある黒煙が発生した。しかも、微かにだが瘴気を帯び、ソレ自身の気配をも紛れ込ませる。
ただ、この魔術の効果はそこまでだった。
相手にダメージを与えたり、何らかの状態異常を与えるような効果は一切ない。あくまでも、視界を奪い、気配を隠す。それしかできなかった。
それでも、ソレが逃げるには必要な魔術だった。
「くそっ! どこだ! 出てこいっ!」
レックが叫びながら、がむしゃらに剣を振るうが、それでどうにかなるような黒煙ではなかった。
その隙に、ソレは建物の出口を目指して後退した。
傷口からの出血を防ぐのも後回しだった。そんなことをしていて、レックに追いつかれては身も蓋もない。
レックは焦っていた。
アレが何をしたのかは分かっていた。
自らの血を触媒に、逃走のためだけに黒煙を発生させたのだ。
これが屋外なら放っておいてもすぐに風で黒煙は押し流されただろうが、ここは建物の中。魔術の効果が切れれば黒煙もなくなるだろうが、レックにはそれまで待つことは出来なかった。
なら、この黒煙を魔術でなんとかするかしかなかった。流石に、この黒煙の中を走り回るのは無理があった。攻撃を警戒するからではなく、壁すら見えないのに走り回るのは不可能だからだ。
ただ、黒煙をなんとかするのにも問題がないわけではない。
だが、レックはその問題を無視することにした。
このままアレに逃げられることなど、到底許せるものではない。
どこで覚えたか答えられないので仲間達には教えていなかったが、グランス達と再会するまでに、サビエルの知識にある魔術のうちから幾つか練習して、ある程度使えるようになっていた。その中に、この黒煙をどうにか出来そうな魔術があったのだ。
少々練習不足なのは否定できないが、そこは多めに魔力を注ぎ込めばなんとかなる。
そう判断したレックは、即座に詠唱を開始した。
サビエルなら無詠唱でも使えそうだが、少なくとも今のレックにはまだ無理だった。
「なんじゃ……??」
途中、ディアナの不思議そうな声が聞こえてきたが、それに構うことなく詠唱を完了させたレックは、魔力を込めて魔術を解き放った。
それと同時に、一帯を覆っていた黒煙が急激に薄れ始めた。
「ディアナ! 僕はアレを追いかける!」
走るのに問題ない程度に黒煙が薄れたと見るや、レックはそう言い残して、ディアナの返事も聞かずに駆けだした。
既に、1分以上も時間をロスしていた。
これだけの時間があればアレとの距離はどれだけ空いてしまったか考えたくもないが、アレをこのまま逃すつもりはレックにはなかった。
レックは出口を目指し、壁を蹴りながら風のように建物を駆け抜けていった。
そして、時間は少しさかのぼる。
レックとディアナを先に向かわせたクライスト達は、二人の後を追ってグランス達がいるガバメントの建物へと全力で走っていた。
一応、今背中にしょっているリリーから目的の建物の詳しい場所と特徴は聞いたが、クライストにはそれだけだとすぐには見つけられる自信はなかった。だが、マージンにはそれだけで十分だったらしく、リリーをクライストに任せると、先を走り始めていた。
とは言え、レックほどの速さが出ない以上、三人が目的地に到着したのはレック達より数分程度遅れてからのことだった。――ガバメントの支配街区に入ってからは、道行く人々をその速さで驚かせていたのは余談である。
「……すげぇ血の臭いだな」
「そうだね……みんな、無事かな……?」
建物の入り口に着いたそうそう、中から漂ってきたその臭いに、クライストは顔を顰めた。リリーも不安そうに答えた。
普段ならあるはずの人通りも、危険な何かが起きていることを察したのか、人っ子一人いなかった。たまたまこの場に居合わせた人間は、その辺りを見るまでもなく全員が物言わぬ死体になりはてているのは明らかだった。
外でこれでは、中がどうなっているか考えたくもない。
だが、グランス達を助けるためには、このまま入り口に突っ立っているわけにもいかない。
「さっさと行こうぜ」
「いや、ちょっと待った」
建物の中に入ろうとしたクライストの言葉に、マージンはすぐには動こうとしなかった。
「どうしてだ? さっさと助けにいかねぇと駄目だろうが」
責めるような口調でクライストが問いただすと、マージンは首を振った。
「今気づいたんやけどな。建物の中は隠れる場所がぎょうさんあるんや。それだけ不意打ちされやすいんやで?」
「それは……」
正面からでも、レック以外は押されるどころかまともに戦えなかったのだ。そんなのに不意打ちを食らったらどうなるかは火を見るよりも明らかだった。
それ故に、クライストは何も言えなかった。
確かにグランス達のことは気になる。すぐにでも助けに行きたい。
だが、自分達の命も危険に晒されるとなると、何も考えずに突っ込むのは愚策だった。
ただ、リリーはそんなことはなかったらしい。珍しくマージンに噛み付いた。
「でも! みんなが危ない目に遭ってるんだよ!? すぐに助けに行くのが当たり前でしょ!?」
そんなリリーに、マージンは渋るように言葉を発した。
「あとな、嫌な予感がするんや。なんか、嫌でもアレと戦う羽目になるような……」
そこまで言ったところで、彼らの個人端末がチャットの着信を告げた。
「っ!!」
ディアナからのそれを見た瞬間、リリーが走り出そうとしてマージンに腕を掴まれた。
「急がないと! グランスが!!」
「リリーはあくまでも後衛や。先頭はわいが立つで」
今にも泣き出しそうなリリーにそう言った次の瞬間、マージンは厳しい顔で建物の奥を睨み付けた。
「……あかん。お客が来よった!」
「客?」
何のことか分からなかったクライストとリリーだったが、マージンが剣を構えたのを見て、即座に臨戦態勢に入った。
直後、金属と金属がぶつかる甲高い音が辺りに響き渡った。
「どけっ!」
建物の奥から飛び出してきてそう言ったのが何者なのか、クライストとリリーも即座に理解した。
レックほどではないが、マージンも近接戦闘能力は相当なレベルにある。そんなマージンが必死になって剣を振り回し、それでも押されるような相手など、そうそういない。
「くそったれっ!」
少なくとも、今すぐグランスの元に向かう選択肢を奪われたことを理解したクライストがそう吐き捨てた。
マージン一人に任せるには、ソレは強すぎるのだ。自分達も力を合わせないと、マージンがやられてしまうのは確実だった。
実際、必死になって猛攻を凌いでいるマージンだったが、10秒と経っていないにもかかわらず、既に押し切られかけていた。
そこに降りかかったのが、リリーが操る水だった。
絹糸のようなと言うにはあまりにも太いそれは、リリーの意志に従ってソレとマージンに降りかかり、あっという間に絡みつく。直後、ソレに纏わり付いた糸だけが急激に粘度を増し、ソレの動きを鈍らせにかかった。
風間のところで暇を持て余している時にディアナが言った一言が切っ掛けで、練習してみた技である。先ほどはソレの言動に驚きすぎていて使うことすら思いつかなかったのだが、練習がまだまだ足りていなくてもその効果は絶大だった。
リリーの水の糸はソレの動きを止めるには全く至らなかったが、数秒と経たずにソレに傾いていたマージンとソレの鍔迫り合いを、互角近くにするには十分だった。
「これなら!」
ソレの動きが十分とらえられる程に鈍くなったことで、クライストも参戦した。
その動きは、ソレが発する電撃を警戒していることが丸わかりなほど悪いものだったが、それでもソレがマージンだけに集中できなくなった事は大きかった。
尤も、だからと言ってソレをどうにか出来るわけもない。単に、互角な状況を作り出せたに過ぎなかった。
むしろ、何かがあれば一瞬で押し切られてもおかしくないだけに、マージンは慎重だった。
まず、基本的に攻めようとしない。攻撃を仕掛けるのは、ソレに対して牽制が必要な時だけで、他はひたすらソレの攻撃を凌ぐことに全力を払っていた。
それだけに、全く攻めきれないことにソレが業を煮やすのはすぐだった。
ソレは建物の中へと後ろに飛んでマージンからの距離をとると、
「小賢しい! 鬱陶しい!」
そう叫んで身体に絡みついていた水の糸を全てその爪で切り払った。
「そんな!」
切り払われた水があっさり床に落ちるのを見たリリーが、愕然とした声を上げた。
「そうか。これはおまえか!」
リリーの叫びに、自らの身体を縛っていたのが誰の仕業か理解したソレは魔力を込めた爪をリリーに向かって振り払おうとして、それを後ろへと振り返って放った。
「くそっ!」
その行動の意味を、マージン達もすぐに知った。
「おおおぉぉぉ!!」
凄まじい殺気と共に、ソレの元にレックが突っ込んできたからだ。
そのレックの登場にクライストとリリーは思わず安堵の溜息を吐きそうになり、慌てて気を引き締め、そして違和感を覚えた。
人型を相手にしているというのに、あまりにも殺気立っている。
そのことに気をとられていた二人は、だからマージンの顔が一瞬だけだが、歪んだことには気がつかなかった。
ただ、流石に声をかけられれば気づく。
「……下がるで。わいらは多分、邪魔や」
「でも……」
「いや、マージンの言う通りだ。それに、俺やマージンなら兎に角、おまえは狙われたらひとたまりもない」
レックを助けた方が良いんじゃないかと渋ったリリーだったが、クライストにまで言われては引き下がるしかない。
それに、リリーはアレの速さに対応できないことも事実だった。既にアレに目を付けられている今となっては、下手に動けばかえって足手まといになりかねないのは理解できた。
とは言え、マージンの言葉に従うことに対する不満はすぐに消え去った。
「すごい……」
辛うじて目で追えるだけだが、レックが圧倒的に優勢であることはリリーにもすぐに分かった。どう見ても助けが必要とは思えなかった。
リリーがレックの戦いぶりに目を見張っていると、いつの間にか隣に来ていたマージンがリリーの耳元で囁いた。
「ちょっと頼みたいことがあるんやけど……」
「ひゃっ!」
思わず出してしまった声にリリーは赤くなったが、マージンは気にする様子も見せずに言葉を続けた。
「入り口とその周辺を防ぐように、さっきの水の糸みたいなんで網を張っといて欲しいんや。それで、アレが飛び出してきたら一瞬でええから、動きを鈍らせて欲しいんやけど……頼めるか?」
マージンのその頼みに、リリーは口を手で押さえたままこくこくと頷いた。
さっきはマージンに噛み付いてしまったが、もうそんなことは頭の中から吹き飛んでいた。
(顔っ! 顔近いっ!! じゃなくて、耳にっ! 耳に息がっ!?)
マージンに耳のそばで囁かれ、軽い混乱状態に陥っていた。
それでも、頼まれた事だけはなんとか理解した。
アレに切り払われた水はリリーの感覚からも切り離されてしまっていたが、それはリリーが用意していた水の量からすれば極一部だったので問題はない。
リリーは再び水で糸を作ると、マージンの頼みの通りに網状にして建物の入り口とガラス張りのその周辺を覆うように配置した。ただ、一枚の網にしてしまうと、さっきと同じように切り払われたら一発で全部駄目になるかも知れないので、少し工夫して上下二段に分けてみた。
「こ、こんな感じでいい?」
「ばっちりや。後、アレがここにおるって事は、中はおってもゾンビ程度やろ。……クライスト、頼んでええか?」
その言葉にリリーは状況を思い出して、ハッとなった。
その間にもマージンの言葉に頷いたクライストは、レックとソレの戦闘の隙を突いて、建物の奥へと駆け込んでいったのだった。
(追いついたっ!)
建物の入り口にソレの気配を感じたレックは、歓喜した。
これで、アレを殺せると思ったからだ。
何故ソレがまだ入り口でもたもたしているのかは全く気にならなかった。
重要なのは、ソレに追いつけたということだけだった。
とは言え、流石にソレの姿を視認した瞬間には、軽く驚いた。正確には、ソレの正面に立っていたマージンの姿に、である。
何故ソレがまだこんな所にいたのかを理解したレックだったが、マージン達が足止めしてくれていた事は、正直どうでも良かった。
やることはただ一つ。
再び剣に魔力を込め、必殺の気合いと共にレックはソレへと襲いかかった。
ただ、声を出してしまったのが悪かったのか、それとも声には無関係に気づかれていたのか。
兎に角、振り向いたソレが放ってきた魔術を躱して放った最初の一撃は、躱されてしまった。
だが、問題はない。
自分の方が強いのだ。
レックには、油断さえしなければ、そして逃げられさえしなければ、数分と経たずにソレを仕留められる自信があった。
実際、ソレはレックが次々と繰り出す攻撃を凌ぐのですぐに手一杯になっていた。
それも、凌ぎ切れているとは言えなかった。
まともにレックの剣を受けると爪が切断されかねないために、ソレはできる限りレックの剣を躱そうとしているのだが、躱しきることは出来ずに小さな傷が増えつつあった。
さらには全ての攻撃を躱し続けることも出来ていない。
躱しきれない攻撃だけとはいえ、レックの剣を爪で受け続けいるため、さっきまでは無事だった爪にも瞬く間に切り傷が増えていき、何本かの爪に至っては切り落とすことに成功していた。
(あとちょっと!)
そう、少し気が急いてしまったからだろうか。レックは自らが振るう剣が大振りになりつつあることに気がついていなかった。
一方、少しでも逃げる隙を探していたソレは、レックの剣が荒くなってきていることに気がついていた。
勿論、だからと言って攻めようなどとは考えなかった。ただ、逃げるチャンスが増えた。それだけのことだった。
そして、その時は割とすぐに訪れた。
「はあぁぁぁぁ!!」
ソレの手を半ばで切り落としたレックが、そのままトドメを刺そうと気合いを込め、
「っっ!!?」
大振りになったその一撃を躱したソレは、建物の外へと飛び出した。
だが、そこでソレは違和感を感じた。
身体に何かが絡みついている。
その正体は考えるまでもなかった。さっき、リリーと呼ばれていた少女が操った水の糸である。
そう理解したソレは、リリーが水に魔力を込めるよりも早く、全身から魔力を放射し、一気に水を吹き飛ばした。
だが、それが致命的な隙だった。
「ああああああ!!」
ソレを追って建物から飛び出してきたレックが、裂帛の気合いと共にソレの身体に背中から剣を突き立てた。
「がっっ……!!」
勢い余って、通りを挟んで正面の建物にまでソレとレックは突っ込み、凄まじい音を立てた。
「どうなったんや!?」
「わかんない!」
遠巻きに見ていたマージンとリリーの声が聞こえた気がしたが、それよりもレックは建物の壁に縫い付けたソレにトドメを刺すことしか考えていなかった。
「があああああ!!」
おぞましい叫び声を上げながらなんとかして逃れようとするソレを力尽くで押さえつけながら、その両腕にアイテムボックスから取り出した剣を更に突き立てる。
そうしてやっと、ソレから手を離すことが出来たレックは、アイテムボックスから大剣を取り出した。
レックが自分にトドメを刺そうとしていることに気がついたのか、ソレがより激しく暴れ始めたが、刀身の半ばまで壁に突き刺さった剣はそう簡単に抜けることはなかった。
振りかざした大剣を見つめるマージンとリリーの視線を感じながら、レックは大剣を振るい、ソレの首を斬り飛ばした。
少し離れたところにソレの首が落ちた音が辺りに響いた。
「……レック、なんて顔しとるんや」
しばらくしてレックにそう声をかけてきたマージンもまた、つらそうな顔をしていた。
その顔を見て、レックはさっきのことを思い出した。思い出してしまった。
「グランスが……」
体中から力が抜け、取り落とした大剣が地面に大きな音を立てて落ちた。
レック自身も地面に倒れかけたが、直前でマージンに抱き留められた。
「分かっとる。クライストが先に行ったでな。わいらも追いかけるで」
その言葉に、レックは首を振った。振り続けた。
「グランスが! グランスが!!」
何も考えたくなくても、分かってしまう。
あの傷では治癒魔術など意味がない。それどころか、レックが知るどんな方法でも、あそこから助かる術などなかった。
それが分かってしまうがために、レックは首を振り続けた。
戻りたくない。
見たくないのだ。
怖いのだ。
結果は分かっているが、それを見てしまえば確定してしまう。
自分の情けなさが招いたそれが確定してしまう。
それが怖かった。
泣き続けるレックを抱きしめながら、マージンはその頭を撫でていた。
かける言葉は何もない。いや、かけられる言葉がない。
何が起きたのか大体理解していたが故に、レックの心境もある程度分かってしまっていた。
故に、ただ黙って、自らにしがみついて泣き続けるレックを抱きしめることしか出来なかった。
そしておおよその状況を察したリリーもまた、どうすれば良いか分からずに、そんな二人を見つめ続けるしかなかった。
その頬には一筋の涙が流れ続けていた。




