第十六章 第十話 ~混乱のガバメント1~
レック達がソレとの戦闘を開始する少し前。
グランス達が世話になっているガバメントの建物は、いつもより少しばかり活気がなかった。
風間達に加えて、作られた外見とは言え美少女二人――中身の実年齢を考えるとディアナの方は少女と呼ぶのは微妙だが――が留守にしているのも原因に違いない。
それでも、いつも通り兵士達との訓練を終えたグランスは、ミネア達が待っている部屋へと向かっていた。
「今日はエネミーの討伐だったか。なかなか合流できないものだな」
クランチャットで連絡が付くようになったため、状況だけは把握しているが、それでももう一月近くもレック達の顔を見ていない。そう考えると少し寂しさを感じた。
ちなみに、久しぶりにマージンと会えたリリーは案の定、マージンに飛びついたらしい。
それを目の前で見る羽目になったレックが大丈夫だったか少々気になるところだが、残念ながらクランチャットは内緒話には向いていなかった。ディアナが言っていた相談したいこととあわせて、合流した後に聞くことになるだろう。
そんなことを考えながら歩いていたグランスは、正面にいくつかの人影が立っていることに気がついた。
なんだかんだ言って、この建物には結構な人数が出入りしていることもあり、通路で誰かとすれ違うことなど珍しくもない。この時も、いつも通り軽く挨拶を交わしてすれ違うだけだと無意識のうちに思っていたグランスは、彼我の距離がある程度近づいた時点で軽い驚きを覚えた。
「君が蒼い月のメンバーか。やっと会えたよ」
無意識のうちに足を止めていたグランスの所までやってきた彼らの一人が、グランスにそう声をかけてきた。
その彼らの容姿はレックやミネア達に引けをとらないほどに整っていた。それが意味するところは1つである。
「驚いたな。話には聞いていたが、冒険者に会うとは思っていなかった」
グランスのその言葉に、彼らは「俺達もだ」と笑った。
「さて、自己紹介といこう。俺はロッキー。クラン、チャレンジャーズのマスターをやっている」
最初にそう名乗ったのは彼らの先頭にいた黒髪の男だった。顔の割に妙にタンクトップが似合っているのは、筋肉質の身体のおかげだろうか。
続いて名乗ったのは茶色い髪の陽気そうな男だった。
「俺はクラッキー。おたくらの噂はこっちに来る前にちょくちょく聞いてたよ。こっちがミッキーと……」
「おい、俺の自己紹介をとるなよな。まあ、ミッキーだ。よろしくな」
そう言いながら、ミッキーと名乗った男がクラッキーの頭を軽く叩いた。
「それで最後が……」
「ケットシーだ。キングダムの話とか聞かせてもらえるとありがたいな」
そう、男達の中で一番しっかりしていそうな、緑色の髪の男が名乗った。
「俺達もキングダムを離れて随分経つから最近の話は出来ないが、それでいいなら」
「どうせ、俺達の方が先にキングダムを離れたんだ。構わないさ」
「いや、どうせなら蒼い月の冒険話の方が面白そうじゃないか?」
ケットシーの言葉にそう口を挟んだクラッキーに、チャレンジャーズの他の面々もその通りだと頷いた。
「俺達も結構あちこち旅をしてきたが、蒼い月もなかなかのものだと聞いているからな。是非とも話を聞いてみたいな」
「とは言っても、流石に今すぐは無理だぞ。こっちも戻ってきたばかりでやることがあるし、グランス達の予定もあるだろう」
ロッキーがそう言うと、それもそうかとチャレンジャーズの男達は残念そうに頷いた。
「美人さん達にも会ってみたかったんだがなぁ」
「今は半分いないけどな」
「え? マジかぁ……」
グランスの言葉に本当に残念そうにクラッキーが項垂れ、即座に顔を上げた。
「でも、何人かは残ってるんだよな? 是非紹介してくれ!」
大きな声でそう言ったクラッキーの頭を即座にロッキーがしばいた。
「すまないな。こいつは大体こんな感じなんだ」
「あ、ああ。まあ、うちの女性陣は大体相手が決まってるけどな」
申し訳なさそうに頭を下げたロッキーにグランスがそう言うと、今度こそクラッキーが思いっきり項垂れた。そのまま床に這いつくばりそうな勢いである。
「くそー……どっかに潤いはないのかよぉー……」
とりあえず、そんなクラッキーはいつも通り放っておくことにしたロッキーは、少しばかり呆れた様子のグランスに声をかけた。
「まあ、こいつの台詞は兎に角、近いうちに一度ゆっくり話をさせてくれ。キングダム出身同士、いろいろ話してみたいこともあるだろうからな」
「ああ。それはこっちからも是非頼む。メトロポリスについてまだまだ知らないこともあるからな」
「そうだな。多分いろいろ話せるはずだ。……まあ、引き留めて済まなかった。近いうちに適当に連絡させて貰うが、構わないか?」
「是非にと言いたいところだが、何人か今こっちにいなくてな。一週間くらいしたら戻ってくると思うから、その時でも大丈夫か?」
グランスの返事にロッキーは頷いた。
「今回は少し長めにここにいる予定だから、それくらいなら問題ない。それじゃあ、一週間後くらいのつもりでいてくれ」
ロッキーはそう言うと、まだ地面に這いつくばっていたクラッキーを引きずりながら、他の仲間達と一緒に歩いていった。
それを見送ったグランスも、今度こそミネア達の待つ部屋へと戻っていった。
最近はエイジも達者になってきて、ミネアとアカリだけでは面倒を見切れないことがあるのだ。時々大変だとは感じることもあるが、それでも確かに、グランスは幸せを感じていた。
「ん、んん……」
「マージンっ!!」
「え? なんや?」
意識を失っていたマージンが目覚めたのは、ソレとの戦闘が終わって十分ほど経ってからのことだった。
「えっと、どうなってるんや?」
抱きついてきているリリーの頭を撫でつつ、状況を把握するべく周りを見回したマージンに、ディアナが簡単に説明する。
「とりあえず、エネミーは退けたのう。ゾンビらしき群れも去って行ったから、一応はなんとかなったはずじゃ」
「そうか」
ディアナの説明に軽く頷いたマージンは、そこでまだ意識を失ったままのレックに気がついた。
「レックはどうしたんや?」
「あれを追い払った後、なんか気を失っちまった。ま、怪我はしてねぇし、問題ないと思うぜ」
それを聞いてマージンの注意はあっさりレックから外れ、そのまま逃げていったアレへと関心を向けた。
「しかし、強かったなぁ」
「だな。身体強化してんのに、あの体格であそこまで押されるとは思わなかったぜ……」
「やな。やけど、気になるんはそこやない」
「マージンは何が気になるの?」
やっと落ち着いたらしい、それでも何故かマージンから離れようとしないリリーがそう訊いた。
「自分でエネミーとはちゃうって言っとった。じゃあ、あれはなんなんや?」
「確かにそう言っておったのう。じゃが、そうインプットされておるだけではないのか?」
「それならええんやけどな。だいぶ嫌な予感がするんや」
「ヤな予感?」
流石にそろそろ落ち着かなくなってきたのか、そう訊いてきたリリーをゆっくり引きはがしながら、マージンは頷いた。
「意識朦朧としとってちゃんとは聞けとらんけど、アレが何か言うとらなんだか?」
その言葉に、ディアナとクライストが何を言っていたか思い出そうと頭をひねり、
「そういや、もっと力を蓄えてとか言ってたな」
クライストがなんとか思い出してそう言った。
「力を蓄えて、のう。つまり、もう一度戦う時にはもっと強くなっておるということかのう?」
「ゾッとしねぇな、それ」
クライストがそう苦笑したが、マージンの厳しい表情に気づいてすぐに真顔に戻った。
「何か、気になることがあるのか?」
「いや、な。その力を蓄えるって点が気になるんや。そもそも、わいらがどうしてここに来たんか、覚えとるやろ?」
「そりゃ、人間を喰いまくってるエネミーを……」
クライストの言葉が途中で途切れた。
ディアナとリリーもマージンの言いたいことに思い当たったのか、それでも信じたくないという風に首を振った。
「すぐに追いかけて仕留めた方がええかもしれん。正直、やな予感しかせえへんのや」
「いや、でも、そうと決まったわけじゃねぇだろ?」
「じゃが、そうじゃとしたら、到底放置できぬぞ。どれほどの時間がかかるか分からぬが、早めに始末せぬと私達の手に負えぬ程に強くなるという事じゃ」
そのディアナの言葉の可能性を考え、クライストも言葉に詰まった。
そこにさらなる爆弾をマージンが放り込む。
「正直、あの強さで銃が効かんとなると、普通に居住エリアを襲われたら大変やで」
「……倒すことも撃退することも出来そうにねぇな」
「それどころか、逃げることもできぬじゃろうな」
そんな予想が生む最悪の結末に、クライスト達は冷や汗が流れるのを止められなかった。
「どうする? このまま追いかけた方がいいんじゃねぇかって気がしてきたんだが」
「そうじゃな。正直信じたくないところじゃが、最悪の上に最悪を考えると、1秒でも早く倒す必要がある。風間とベルザに守りを固めるように伝えるために戻ったところで、あれはどうにかなるモノではあるまい」
「となると、さっさとレックを起こした方がよさそうやな」
マージンの言葉にディアナは軽く頷くと、レックを揺さぶり始めたのだった。
レックを起こした彼らが去った後。
ずっと息を潜めて隠れていた紗耶香は、やっと隠れていた場所から這い出してきた。
尤も、ゾンビも黒いエネミーもいなくなったとはいえ、到底安心できる状況ではない。
(早く……早く逃げないと……)
そう考えたところで、彼らの話を思い出した。
(駄目。戻ってもアレに襲われたら、何にも出来るはずない……)
そもそも銃が効かないという話の上に、先ほど見たレック達との戦闘での動きを考えると、そもそも人間が勝てる相手だとは思えなかった。
それならどうするか。
紗耶香が思いつく答えなどほとんどなかった。
(彼らの後をつけてく。それで、彼らが勝ったらそのまま……)
先ほどの戦闘を見る限り、彼らはエネミーをちゃんと倒せるだろうが、無傷で終わるとは思えなかった。そこを襲えば、紗耶香の力でもなんとかなると踏んだのだ。
そして、それ以外に今感じているこの恐怖から逃れる術はなさそうだった。
例えメトロポリスから遠くまで逃げたところで、今日感じた恐怖はずっと消えないだろう。相手が人間ならまだしも、あれはそれくらいで逃げ切れるような相手だとは思えなかった。
幸いなことに、アレを捕らえる命令を紗耶香は受けていなかった。ジャレッド達が全滅した今、アレが倒されるのを黙って見ていたところで問題は多分ない、だろう。
そう決めつけると、紗耶香はレック達の後を追いかけ始めたのだった。
尤も、この時点でヒュームは既にジャレッド達の全滅を知っていた。
(流石にあれは手駒にするには危険すぎるな)
紗耶香と同じように息を潜め、気配を絶って隠れていたリカードは知らないうちに出ていた大量の汗を拭きながら、ヒュームへの報告を終えていた。
正直、この世界にある装備だけであれをどうにかするのは人間には不可能のように思える。
ならば、レック達が始末してくれるのを期待するべきだろう。
幸い、ゾンビの群れの方はまだ人間でもなんとか出来そうだし、ヒュームもなんとかすると言っていた。どうせ、ワッツハイムとかに押しつけるのだろうが、まあ、ちゃんと片が付くのならどうでもいい。
むしろ、あれとレック達の方が問題だと判断したリカードは、レック達の後を追って動き出した紗耶香の更にその後を追いかけていった。
そんな地上の動きなど知らぬまま、ソレは目的地を間近にしていた。尤も、知っていたところですることに変わりはない。
「くふっ、くふふふふっ!!」
少し前までなら、人間が無数にいる場所を襲うことなど考えもしなかったが、今なら何の問題もない。むしろ、手っ取り早く大量の人間を喰らい、あの冒険者に勝る力を得たかった。
「っ!!」
そんなお目当てとなる人間達の気配を感じ取ったところで、ソレは軽い驚きを感じた。同時に、表しようもない歓喜も。
人間達の気配の中に少数だが冒険者らしき強い魔力を感じ取ったのだ。
数は少ないが、あの冒険者には遠く届かない。一方で、普通の人間の何倍も強い魔力。それを喰らえばすぐにでもあの冒険者に勝てる力を手に入れられそうだった。
「くふっ、くふふふふっ!!」
思っていた以上に順調に力を得られそうな状況に、ソレは笑いを止めることが出来なかった。
「とまあ、そんなことがあった」
「チャレンジャーズ……聞いたことありませんね」
戻ってきたグランスから先ほどの話を聞き、ミネアはそう答えた。
ただ、その視線はグランスではなく、床の上を元気に這い回っているエイジへと向けられていた。流石に2歳ともなると、元気いっぱいである。
そんなエイジの様子に思わず頬を緩めながら、グランスは頷いた。
「まあ、一流クランでも数は多いからな」
「一流って……凄いんですよね? それなのにそんなに数があるんですか?」
「百も二百もあるとは思わないが……数十くらいはあったよな?」
「そうです……ね。それくらいはあったと……思います」
冒険者ギルドが公開していたクランリストを思い出しながらのグランスの言葉に、ミネアも同意した。
「それだけあると、よっぽど目立つことをするか、直接の知り合いでもない限り、他のクランの名前などいちいち覚えたりはしないわけだ」
それでアカリも納得した。ちょっと数が多いような気はするが、
「それなりの実力と成果を残していれば、冒険者ギルドが一流クランだと認めていたからな」
という説明を鵜呑みにする他ない。グランス達もどうやらそれ以上は知らないようでもあるし。
「勿論、蒼い月も一流クラン、なんですよね?」
「あー……自分達で言うのもなんだが、一応そう認められては……いたよな?」
「そうです……ね。本当にわたし達にそんな価値が……あるのか分かりませんけど……」
「まあ、人数の割に戦闘能力は高い方だからな」
身体強化だけであれば他にも使える冒険者は多いが、そこに何種類もの魔術を使いこなす冒険者となると、一気に数が減る。
そんな中、治癒魔術や攻撃魔術、精霊魔術を使えるメンバーがごろごろいる蒼い月の戦闘能力は、ギンジロウを始めとした冒険者ギルドの上層部は勿論、レインやホエールを筆頭とする軍の上層部にも一目置かれていた。
そのことは自覚しているだけに、グランスも流石に自分達が強くないとは言えなかった。
尤も、グランスのその言葉をアカリは当然ととらえていた。
実際、アカリがいた村からここに来るまでの間、グランス達の強さは嫌と言うほど見る機会があったのだから、当然とも言えた。
だから、次のグランスの言葉には少し驚いた。
「そうは言っても、まだまだ俺達の力が通用しない相手ってのはいる。ドラゴンとか良い例だな。あれは、どう考えてもどうにか出来るような相手じゃないし、他にもまだまだ俺達だけでは厳しいエネミーもいるはずだ」
「ドラゴンは分かりますけど……そんなに強いエネミーっているんですか?」
「少なくともキングダム大陸にはいたな。人が住んでいる南西部は兎に角、ほとんど人がいかない地域は何がいてもおかしくない」
実際、レックは体長が10mはあろうかという巨大なグリフォンと遭遇したと言っていたし、他にも身体能力に任せて振り切っただけで、いろいろやばそうなエネミーは見かけたらしい。
そのことを聞いたアカリは、急に不安になってきた。
「レック達が倒しに行ってるエネミーも、そんなに強いなんて事は……」
だが、グランスは一笑に付した。
「レックの強さは正直、俺達の中でも別格だ。あいつはワイバーンやヒュドラでも、一人で倒せるくらいの強さはあるぞ」
グランスはそう説明したが、グランスが名前を出したエネミーを実際に見たことがないアカリにはピンと来なかった。
「えっと、とっても強いって事ですか?」
「ああ……分かりづらかったか。まあ、俺とクライストとマージンが束になってかかっても、勝てないくらいには強いな」
「そんなに……?」
「身体強化の魔術のレベルが違うしな。正直、あれは反則だ」
そう言いながらグランスは笑ったが、身体強化を使えない人間からすれば、グランス達の強さも十分反則と言えることには気づいていないようだった。
「それで……チャレンジャーズって……どんな人たちだったんですか?」
グランスがアカリとばかり話していることに焼きもちを焼いた訳でもないだろうが、ミネアがそう話を変えた。グランスも特に何も考えずに、それに乗る。
「そうだな。面白い連中だったな。冒険者のくせに、迷彩服を着ていたりとかな」
「迷彩服……ですか?」
「ああ。妙に着慣れている感じがしたが、兵士という感じはしなかった。どっちかというと、遊びで着ているような……」
「それって、サバイバルゲームみたいな感じですか?」
「そうだな。その表現が一番しっくりくるな」
アカリの言葉に、グランスは大きく頷き、ミネアの頬が少しばかり膨らんでいるのに気がついた。
「ミネア、どうした?」
「どうも……しません。ほら……エイジ。こっちにおいで」
ここ数日、時々だが様子がおかしくなるミネアに、グランスは首を傾げると、疲れたのか床の上でぺちゃりと潰れていたエイジを抱き上げ、ミネアへと渡した。
その時にも妙に自分と視線を合わせようとしないミネアに、グランスが少しばかり心配を感じた時だった。
パンパンパンと、どこかで銃を撃つ音が聞こえてきた。
「!?」
咄嗟に身構えるグランス達。
確かにここには銃を携帯した兵士達も数多くいる。だが、建物の中で銃を撃つような者はいないはずだった。
「何か……起きてるんでしょうか?」
「かもしれん」
エイジを抱いたまま不安そうに寄り添ってくるミネアの肩を抱きながら、グランスは短く呟いた。
ガバメントの拠点の1つであるここを襲ってくるような考えなしはいないはずだが、散発的に銃声と怒号が聞こえてくるあたり、そのあり得ない事態が起きているとしか考えられなかった。
「ミネア。今すぐレック達に連絡をとれ」
ミネアをアカリに預けると、グランスは扉へと向かった。
「どこに行くんですか?」
慌てているのか、いつもと違い一息で言い切ったミネアへとグランスは振り返り、
「ちょっと様子を見てくる。俺が戻ってくるまで部屋から出るな。後、知っている人間以外が来ても開けるなよ?」
そう言い残して、ミネアが止める間もなく素早く部屋から出て行ってしまった。
「あ……」
そのことに微かに不安を抱きつつも、グランスに言われたようにミネアはすぐに個人端末を取り出し、クランチャットでレック達に連絡を取った。
『ミネア? どうしたのじゃ?』
『銃声がしているんです』
すぐにあったディアナからの応答に、ミネアはそう伝えた。が、流石にそれだけでは伝わらなかったらしい。
『銃声? 訓練でもしておるのではないのか?』
ディアナの言葉に思わず首を振ったミネアは、更に言葉を紡いだ。
『訓練じゃなさそうです。怒鳴り声とか聞こえてきますし……』
『ふむ。グランスの意見はどうじゃ?』
『グランスは様子を見に行きました。その時に、ディアナ達に連絡を取れと』
ミネアがそう打ち込むと、しばらく返事が途絶えた。
その間にも、建物のどこかで銃声が鳴り続け、
「今……悲鳴が聞こえませんでしたか?」
不意に聞こえてきた何かに、怯えた様子でアカリがそう言った。
ミネア自身も不安に身を竦ませかけた時、ディアナが言葉を発した。
『急いでそちらへ向かう。できる限り気配を消して隠れておくのじゃ。これを見ておるならグランスも一緒に隠れるのじゃ』
『何か知ってるんですか?』
『取り逃したエネミーやも知れぬ。じゃとしたら、おぬし達だけでは絶対に勝てぬ。私達が着くまでなんとしてでも見つからぬようにするのじゃ』
ディアナのその言葉に、ミネアは今の状況が非常に危ういかも知れないことを知らされた。いや、その前提で行動するべきだろう。
「アカリさん。ひょっとしたら非常に危ない状況……かも知れません」
一時よりは遠ざかった銃声だが、それでも身体強化を使うまでもなく、時折悲鳴が混じっているのがはっきりと分かる。もし、ディアナが言っていたエネミーが襲ってきているのだとすれば、今すぐここから逃げた方が良いくらいだった。
そのことをミネアが説明すると、アカリは真っ青になった。
「それって……どうしたら……逃げないんですか!?」
しかしミネアは首を振った。
グランスがここにいない。それに、建物の中にまで侵入されているとなると、下手に逃げようとすると逆にエネミーの前に飛び出すことにもなりかねない。
そう説明されると、アカリも流石に悩み始めた。
そこにミネアが説明を付け足す。
「遅くても1時間くらいで……みんなが戻ってきます。そうすれば……なんとかなります」
「1時間ですか……持ちこたえられると……思いますか?」
アカリのその質問に、ミネアは首を振った。正直、分からないのだ。
それでもやるべき事はある。
手早く呪文を唱えると、床の上で遊んでいたエイジをいつも通り眠らせると、床の上に突っ伏す前に抱き上げる。
その様子を見ていたアカリも、ミネアの行動を非難することはなかった。隠れていたい時に、まだ言っていることをちゃんとは理解できないエイジは眠らせるしかないと分かっているのだ。
「もう少し大きくなったら、静かにしていてねって言えるんですけどね」
アカリの言葉に頷きながら、ミネアはグランスを迎えに行くべきか考えていた。クランチャットを見ていてくれれば問題ないが、そうでなかったらと考えると、どんどん不安が大きくなっていく。
それでもグランスの言葉があったが故に我慢していたミネアだったが、数分ほどのことだった。
「……ごめんなさい。わたし、グランスを探しに行かないと……」
ミネアのその言葉に置き去りにされると分かったアカリがびくついたが、再び銃声が近づきつつあるように感じる今、逃げるために部屋を出る勇気はなかった。
「でも、外は危険なんじゃ……!」
そう言ってアカリは引き留めようとしたが、ミネアは首を振った。
「だから、あの人を探しに行きたいんです。我が儘を言っているのは……分かっています」
その言葉にアカリは引き留める事を躊躇した。その隙を見計らってか、ミネアはしっかりと抱いていたエイジをアカリに託し、
「エイジを頼みます。……多分、気配を殺して隠れていたら……大丈夫です」
そう言って部屋をそっと出て行ったのだった。
そして時間は少し戻る。
レック達は逃げ出したエネミーを追いかけて、メトロポリスを北へと駆けていた。
ちなみに方角自体は、
「方角、こっちであっとるん?」
「少なくとも、飛び去った方角はこっちだった」
という会話で、とりあえず決まっていた。どうせ、他にヒントもないのだから反対のしようもない。
ただ、警戒しながらとは言え、緊張感をずっと維持し続けることは難しい。
「マージン、大丈夫?」
「今んとこは問題あらへんで」
いつの間にやら隣を走っていたリリーに訊かれたマージンはそう答えたが、リリー以外の仲間も少しばかり心配そうに見ていた。
何しろ、腕が半ば千切れかけるほどの大怪我をして意識まで失ったのだ。傷そのものは完全に治っているとはいえ、心配になるのも無理はない。
ただ、走りながら右腕をぶんぶんと回してみせるマージンの様子を見る限り、それほど心配する必要もなさそうなので、黙っているだけだった。
なので、
「んで、あれって倒せると思う?」
そんなマージンの話題転換に付き合うことにした。
「ちょっと俺にはきついな。殴った時のあれ。ちょっとやばいぜ」
「あー、あの電撃な」
「電撃って……ああ、それで動けなくなったのか」
そう納得したクライストだったが、表情は厳しかった。
「あれ、いきなりやられたら、洒落にならねぇぞ」
喰らった直後、しばらく動けなくなっただけあって、声音は真剣そのものだった。
「そうやなぁ。ナックルに革はさんどくか?」
「そうだな。無いよりはだいぶマシか。ちょっと止まってくれ」
クライストはそう言うと、足を止めてアイテムボックスから革を探すが、都合良くは入っていなかった。尤も、歩く倉庫とも言える仲間がここにはいるわけで。
「レック、革持ってないか?」
そう訊いてみると、あっさり革が出てきた。
クライストがその革をナックルの下に挟み込む間も、レック達は周囲への警戒は怠らなかった。エネミーの気配はないが、武装集団がその辺に隠れている可能性もゼロではない。
ただ、実際には襲われるようなこともなく、クライストの作業が終わりかけた時だった。
「ふむ? クランチャット……ミネアじゃな」
クランチャットの着信に気づき、個人端末を取り出したディアナがそう言って、そのままミネアとチャットを始めた。
それにとりあえず自分達は確認しなくて良いかと思っていたレック達だったが、みるみるうちにディアナの表情が厳しくなったことに気づき、急いで個人端末を取り出し、クランチャットの内容を確認した。
「これ……やばくない?」
「やばいやろな。ちょっと、本気出して急いだ方がええかも知れん」
レックの言葉に、マージンが頷いた。
ミネアからの連絡は、ガバメントの建物で銃声や悲鳴が聞こえるような何かが起きているというものだった。考えるまでもなく、危険な事態が起きている。
そう確信した彼らは、ディアナがまだクランチャットをしているにもかかわらず、移動を再開した。
ただ、そのままでは全力で走ることなど出来はしない。
そのことを理解していたディアナがすぐにクランチャットを終え、端末をしまった。
「どうだ? 全力で走った方が良いと思うか?」
「そうじゃな。できる限り早く着くべきじゃろう」
クライストにそう答えたディアナは、そのままリリーに視線を向けた。
「不満かも知れぬが、ここはレックに運ばれてくれぬか?」
「え? ……うん、仕方ないよね。レック、よろしくね?」
「あ、え? あ?」
少しばかり不満な様子を見せたリリーとは対照的に、いきなりリリーを運ぶことになったレックは、あからさまに動転していた。
それでも、急がないといけないことは分かっていたのか、少し赤面しながらも一度立ち止まり、リリーを背負った。
「それでは、急ぐかの!」
準備が出来たと見たディアナの言葉に、全員が身体強化を発動させた状態で走り始めた。元々の身体能力もあり、その速度は実に60kmにも達する。
そうして走りながら、レック達はミネアからのメッセージについて話し始めた。
「何が起きてると思う?」
「タイミングがタイミングや。最悪のケースはまあ、想像しとるとおりやろな」
マージンの言葉に、仲間達は改めて顔を顰めた。
その最悪の予想が当たっているとしたら、兎に角急がなくてはならない。ディアナは遅くとも1時間で着くと伝えていたが、30分でも遅すぎるくらいだ。そう、彼らは感じていた。
何しろ、先ほど戦ったエネミーは、間違いなく人を喰う。そんなのが力を蓄えると言って北の方へと飛び去った直後なのだ。
方角と言い、タイミングと言い、全くもって良い予感はしなかった。
「うーん、あんまりやりたくないんやけど、レックだけでも先行して貰うた方がええかも知れん」
「ふむ。確かにそれも手じゃが……問題もあるのう」
そう言って、ディアナはその問題を1つ1つ挙げていく。
「まず、こちらが手薄になるのう。レックがおらぬ状態で襲われては、こちらが危ないじゃろう」
「そうやけどな。さっきの今や。こっちに戻ってくる可能性は低いやろ。それに、こっちに来てもレックが戻ってくるまでの間くらいなら、時間は稼げるで」
マージンはそう言いながら、いつも使っているツーハンデッドソードではなく、ブロードソードを取り出して見せた。
「これやったら、あれの速さにもついていけるやろ。柄も革巻いとるし、問題ないはずや」
「じゃが、一番の問題は……レックにあれが攻撃できるのかという点じゃ」
「さっきは攻撃できてたが……」
クライストの言葉に仲間達の視線がレックに集まった。
「そうだけど……さっきのは、マージンがやられたから、それでカッとなった感じ、かも知れない。何もなかったら、多分……」
レックがそこまで言ったところで、背負われているリリーには、走っているが故に振動ではない、レックの身体の震えが伝わってきた。
それに気づいたのはリリーだけだったが、それでも途切れた言葉で、他の仲間達もレックの状態を大体察した。
それでも、状況が状況である。
「……正直、倒せんでもええ。旦那達を守ることに集中するだけなら、なんとかならんか? それやったら、相手の攻撃を防ぐだけでいけるやろ?」
マージンの言葉にレックは唇を噛み締めながら、出来るかどうかを考えた。そして、すぐに口を開いた。
「それだけなら、なんとかなると思う」
「それならば……いや、レックだけでは道が分からぬか」
レックだけ先に行って貰おうと言おうとして、ディアナはそのことに気がついた。自分かリリーが道案内として付いていく必要がある。
そして、そこに選択の余地はなかった。
「リリーはちょっと止めといた方がいいんじゃねぇか?」
あのエネミーの動きを考えると、身体強化が全く使えないリリーの同行は考え物だった。
となると、必然的にディアナ自身が同行せざるを得ないのだが、そうなるとディアナがレックに背負って貰うことになる。
そのことにリリーとは別種の不満を感じたディアナだったが、軽く首を振ってその不満を追い払った。
そんなわけで一度立ち止まると、レックはリリーの代わりにディアナを背負い、リリーはマージンに背負われることになった。実のところ、リリーを背負うのはクライストでも良かったのだが、どちらが背負うことになっても大差ないのならと、リリーが少しばかりごねた結果である。
「それでは、先に行っておるぞ。リリー、マージン達の案内は任せる」
「うん! ディアナとレックも気をつけてね?」
リリーの言葉にディアナ共々頷いたレックは、今まで以上の速さで走り出した。
それを見送った仲間達は、
「……とんでもねぇ速さだな」
「でも、あれなら30分もかからんやろ。それよりも急ぐで。なんや、嫌な予感が止まらへんのや」
そんな会話を交わすと、自分達も少しでも早く着くべく、再び走り出したのだった。




