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ジ・アナザー  作者: sularis
第十六章 昏きメトロポリス
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第十六章 第九話 ~エネミー討伐戦~

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い……)

 ゲイルは全身を駆け抜ける痛みに苦しんでいた。

 何が起きたのかは今でも分からない。何者かに襲われた拠点を逃げ出した後から、意識も記憶も曖昧なのだ。

 分かることは少なかった。

 全身を駆け抜け続ける痛みだけである。

 だが、そんなゲイルの苦しみとは別に身体は勝手に動き続けた。その都度、関節が動くたびに、足が地面を踏みしめるたびにさらなる激痛が全身を襲う。

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い……)

 それ以外を考えることが出来ないゲイルは気づいていなかったが、周囲にはゲイルと同じように動き続ける人影が無数にあった。

 そんな彼らは今、ある場所に向かって歩き続けていた。

 そこにはこの痛みを和らげてくれる何かがあるのだ。

 それに食らいつけば、それを掻き毟れば、それが感じた痛みの分だけこの痛みが減る。そんな気がする。

 尤も、そんな予感すらも、全身を支配する痛みの前では一瞬でかき消えてしまう。

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い……)

 既にこの時、ゲイルの精神は半ば崩壊しかけていた。

 それでもまだ、痛みを感じ続けているのは、ゲイルの全身を縛り上げている何かだった。それはゲイルの感じる全てを吸い上げ、代わりにゲイルの身体に、失われた血液の代わりとなる何かを送り込み続けていた。

 だが、それをゲイルが認識することも知ることも、もはやなかった。



「なんだ、あれ……」

 悲鳴と銃声がこだまするその現場に辿り着いたレック達は、超高層建築1つ2つ分離れたところで起きているあまりの状況に絶句していた。

「人間が何かを……人間を襲っておるように見えるのう」

 まだ距離が少しある上に、無数の人間が密集していてその向こうの状況がよく分からないが、聞こえてくる悲鳴や銃声からそう判断するしかなかった。

「しかし、ほとんどの人間が何も持っておらぬように見えるが、それで銃を持っている相手を襲っておるのか?」

「そんな生やさしい状況ならええんやけどな」

「どういうことじゃ?」

「よう見てみ? あの連中、そもそもなんで動いてるんや?」

 マージンのその言葉に、仲間達は視線の先にいる集団をよく観察しようと目を凝らし、そしてマージンの言いたいことに気がついた。

「むぅ。確かにあれで動けるとは……少々信じがたいのう」

「……ってか、動けるかどうか以前に致命傷じゃねぇか!」

 ただでさえ薄暗い上に少し距離があるので気がつかなかったが、集まっている人間の大半が何かしらの怪我を負っていた。しかも、そのうちの一部は腕がないとか胴体が抉れているとか、致命傷と言っても問題ないような怪我なのだ。

「どういうことじゃ? 麻薬か何かかのう?」

「そんなもんがあるなんて、聞いたことねぇぞ」

 そんなことをディアナとクライストが話し合っている間に、決定的なことが起きた。

「伏せるんやっ!」

 その目で見たことにショックを受けていたのか呆然としていたレックとリリーを建物の影に引きずり込んだマージンの声に、クライストとディアナは慌てて地面に伏せた。

 直後。

 襲われている者達が放ったのであろう手榴弾が、集まっていた集団の真ん中で爆発した。

「これでも終わらないのかよ……」

 距離が距離だけに随分と弱くなっていた爆風が通過したのを感じ取ったクライストが顔を上げ、そう言った。

 その視線の先では、手榴弾の爆発を至近距離から喰らった連中が起き上がり、再び前進を始めようとしていた。

 それを見ていたクライストとディアナはすぐに気がついた。

「いや、あり得ねぇだろう……」

「クライストも見えておるのじゃな?」

 だが、ディアナの問いかけにクライストから返事はなかった。そのあり得ないはずの光景に言葉を失っていたからだ。

 少し遅れてマージンに引きずり込まれた建物の影から顔を出したレックとリリーも、

「なんだ、あれ……」

 その様子を見て絶句していた。

 手榴弾で吹き飛ばされた人間達が次々起き上がる。それだけでも異常な光景だが、決定的だったのは上半身の半分を失った者まで立ち上がっていたことだった。よく見ると、地面の上では下半身を失った者達が這いずるように動いていた。

 その光景に仲間達が固まっている中、溜息交じりの声がした。

「あー、うん。実装されたとは聞いとったけど……まさかここで出てくるんか……」

「どういうことじゃ?」

 とてもではないが聞き逃せないその台詞に、ディアナがマージンを問い詰める。他の仲間達の視線も、マージンへと集まっていた。

「いやな、わいの仕事は知っとるやろ?」

「その関係の情報かの?」

 ディアナに確認された頷いたマージンは、時間がないからと前置きして、簡単な説明を始めた。

「平たく言うと、ゾンビやな。ただ、実装したんはええけど、問題がありすぎて導入は見送られたと聞いとったんやけどなぁ」

「問題?」

「襲われたプレイヤーもゾンビになるようにしてしもうたらしいで」

「嫌な仕様だな……」

 クライストがそう言って納得したようにディアナ共々頷いたが、それだけでは納得できなかった者もいた。

「プレイヤーがゾンビになるって……どうなるの?」

「まんまやな。ゾンビになってもたもたと周りのプレイヤーを襲いに行くんや。ちなみに、その間プレイヤーは操作不能やな。頭潰されるかゲーム内で半日経過したら死亡扱いで町に戻されるって仕様やったはずや」

 レックの質問に対する答え。それを聞いた仲間達の顔がさっと青ざめた。

「つまり、あれって……」

「そやな。全部元人間や」

 クライストの確認をあっさり肯定したマージンの言葉に、仲間達の顔から一滴残さず血の気がなくなった。

 尤も、マージンとしてはそれで言葉を止める理由はない。と言うか、まだ止めるべきではなかった。

「それで、その仕様通りやったら。今まさに襲われてる連中もほっとくとあれの仲間入りするんやけど」

 それを聞いた仲間達は、流石に慌てた。呑気に青ざめている場合ではない。

「先にそれを言うのじゃ!!」

 思わずマージンを怒鳴りはしたが、ディアナは急いで飛び出そうとはしなかった。襲われているのが知り合いなら兎に角、そうでなければ自分と仲間達の安全の方が優先するからだ。

 そんなディアナを横目に、クライストがマージンに確認する。

「頭を潰せば良いんだな?」

「仕様どおりならそうやで」

「どの程度までの怪我なら、大丈夫なんだ?」

「わいらなら、やられた怪我が原因で死ななんだら大丈夫や」

「俺達ならって……いや、今はそれでいい」

「そうじゃな。それで、どう潰しにいくのじゃ? 流石に初っぱなから魔術は使えぬぞ」

 火球の魔術なら一気に焼き払えるが、それでは襲われている人間も巻き込んでしまう。というか、細かい制御をしようと訓練したこともないため、どの魔術でも似たようなものだった。

 唯一の例外がリリーの精霊魔術だが、

「リリーの精霊魔術ならどうや?」

 マージンはそう訊こうとリリーに視線を向けた時点で諦めた。

「あ、うん。頑張ってみる、よ」

 そう答えたリリーだったが、その様子はとても大丈夫には見えなかった。

「無理は禁物じゃ。とりあえず、リリーは自分の身を守ることを考えるのじゃ」

 微かにだが震えているリリーの背中を撫でながら、ディアナが言うと、マージンとクライストも頷いた。

「となると、後の答えは一つだけやな」

 愛用のツーハンデッドソードを抜き放ちながらのマージンの言葉に、ディアナは溜息を吐いた。詰まるところ、武器を使って近接戦闘でどうにかするということだ。

 ただ、ディアナは正直自信がなかった。倒せるか否かではなく、

「多分、途中で槍が壊れるのう……」

 柄が木製である以上、あの人数を相手にすれば間違いなくそうなる確信があった。

「だな。ってことは、俺とマージンと……」

 そこでクライストの言葉が止まった。その視線はレックの上で止まっていた。

「あ、えっと、僕も大丈夫……」

「な訳あらへんな」

 レックが辛うじて絞り出した言葉をマージンがあっさり否定した。尤も、本人ですら大丈夫だとは思っていなかったので、ディアナも何も言わなかったが。

「……と言ってもや。いつまでも人型相手にできんってのは困るやろうしなぁ」

「つまり、レックにもやらせようという事かのう?」

 クライストの言葉に、マージンは少しばかり困ったように頷いた。

「人にそっくりの、めっちゃ強いエネミー出てきた時に後悔したくないやろ?」

 レックだけではなく、ここにいる仲間全員に向けたその言葉を、誰も否定することは出来なかった。

 幸いなことに仲間は誰一人死んでいないが、一度は仲間を失ったと思ったことさえあった。この世界に閉じ込められてから何人もの人の死を見てきたこともあり、マージンの言葉は軽いものではなかった。

「……分かった。頑張るよ」

 改めてそう言ったレックの言葉には、さっきとは違う重みがあった。成り行きで発した言葉とは違う、覚悟があった。

 尤も、マージンとしても思うところがあったらしい。

「ま、今回はちょっと特殊や。仕様通りなら、むしろあのゾンビは殺したった方がええかも知れん。助ける思うてやってもええんちゃうか?」

 そんなフォローに、レックもなんとか笑みを返した。

 サビエルの知識にはゾンビについてのものも少しだがあった。マージンが語った仕様とサビエルの知識が一致しているのは、きっと偶然などではないだろう。

 ならば、マージンの言う通り、あのゾンビ達は殺してあげるべきだった。

(後は……僕に出来るかどうかだけ、か)

 殺しても罪悪感に苛まれることはないと確信は出来た。後は、自分の身体が動くかどうかである。

 だが、そればかりはやってみないと分からない。

「じゃあ、行くで」

 マージンの言葉に、クライストと一緒にレックは頷いたのだった。



「くそったれぇぇぇ!!」

 そう叫びながら、ジャレッドは銃を乱射していた。

 周辺には弾を撃ち尽くした銃が幾つも散乱していた。だが、その成果はどこにも見られなかった。

 何しろ、腕を失おうが足を失おうが胴体に大穴が空こうが、目の前の連中は一歩一歩迫ってくるのだ。

 それだけでも十分最悪な状況だったが、もっと最悪なのが、

「くそっくそっくそっ!!」

 そう叫びながら目の前に迫ってきていた男の額に何発もの銃弾を撃ち込んだ。

 それでやっと動かなくなった男は、さっきまでジャレッドと一緒に行動していた仲間の一人だった。

 その男だけではない。他にも何人もの仲間達が、もう5人も残っていないジャレッド達に向かって手を伸ばしてきていた。

「う、うわぁぁぁぁぁ!!!」

 横から叫び声が聞こえてきた。その少し前に銃声が途切れていたことを考えるまでもなく、何が起きたのかは明白だった。

 そして、これからどうなるかも分かり切っている。

「くそっ! 下がるぞ!!」

 誰かの叫びにジャレッドは口には出さずに毒づいた。

(どこに下がるってんだ!!)

 下がる場所があるくらいなら、とっくの昔にこの地獄から逃げ出している。それが出来ないから、気が狂いそうになりながらもココに踏みとどまっているのだ。

 案の定、下がると言っていた声で悲鳴が聞こえてきたのはすぐのことだった。

 そして、そうなると後は分かり切っていた。

「うわ、うわぁぁぁぁぁ!!」

 まだ辛うじて保っていた均衡が、二人抜けたことであっさり崩れ、残っていたもう一人があっさりと押し込まれた。

 悲鳴の間に聞こえてくるのは、そこに群がった連中が男の肉を食い千切り租借する音だった。

 それを聞くまでもなく、ジャレッドは覚悟を決め、銃口を自らの米噛みへと当てた。せめて、目の前の連中のようになるのはごめんだという最後の抵抗だった。

 だが、銃口から放たれた銃弾がジャレッドの頭に触れることは結局なかった。

「あ……?」

 確かに引き金を引いたはずなのに、いつまでも残っている自らの意識に疑問を覚えたジャレッドは、自らの背後に何かの気配を感じ、

「残念だ。これを味わう時間がないのは」

 その言葉を聞き終わる前に、今度こそその意識は失われたのだった。



「ちょい待ち。なんや、様子がおかしいで」

 ゾンビの群れめがけて駆けていたレック達は、マージンのその言葉に足を止めた。そして何が起きたのか察しようとして、

「……銃声が止んでる?」

「手遅れって事か……」

 そのことに気がついた。

 実際には銃声が止んだからと言って生存者がいなくなったとは限らないが、まだ生きていたとしてもレック達が辿り着くまでの数十秒もあれば、死ぬには十分なはずだった。

「ってことは、や。……逃げるか?」

 生存者がいなくなった以上、今ここでゾンビの群れに突っ込む理由もなくなった。

 ここに来た本来の目的を考えれば、住人達の脅威になるようなモノは可能な限り排除していくべきなのだが、今まで知られていなかったエネミーがいるという情報を持ち帰ることも、十分必要なことだった。

 そんな理由から、一瞬で撤退を決断したレック達へと、ゾンビ達が一斉に向き直った。

「気づかれたぞ!」

 その様子にゾッとしながらも、即座にディアナ達が待っている所まで引き返すレック達。

 その後を追うように、ゾンビの大群は一斉に動き出した。

「どうしたのじゃ!?」

 戻ってきたレック達に、リリーを抱きかかえ、既に逃げる準備を整えていたディアナがそう訊いてきた。

 様子はずっと見ていたから、ゾンビ達がこっちへと向かってきていることも既に知っている。だが、レック達が引き返してきた理由まではまだ気づいていなかった。

「多分、全滅や。はよ逃げるで」

 マージンの短い説明で戻ってきた理由を察したディアナは、

「ならば、魔術が使えるのう」

 そう言って、ゾンビ達との距離を測った。だが、マージンがそれを止めた。

「いや、もうちょい様子見や。なんぞ嫌な予感がするんや」

「嫌な予感?」

「元々の目的のエネミーがどこにおるか、気になるんや」

「あれじゃ……ねぇな」

 ゾンビを指さしかけたクライストは、途中でそれを止めた。ゾンビの群れは確かに脅威だが、武装した集団を襲って、自らに関する痕跡を何も残さないというのはあり得なかった。

 つまり、ここしばらく続いていた虐殺事件とゾンビとは別物ということになる。

 ただ、

「無関係かどうかも怪しいんやけどな」

 そんなマージンの言葉通り、エネミーの縄張りと覚しき場所での遭遇である。無関係だと考えるのも早計だった。

「それって……ゾンビ作ったの、あたしたちが探しに来たエネミーって事?」

 緊急事態だけにやっと頭が動き出したらしいリリーの言葉に、全員の背筋が冷えた。

「……ゾンビ以外にも警戒が必要じゃな」

 そんなディアナの言葉に仲間達は頷くと、一斉に走り出した。

 幸いというか、ゾンビ達は走れないらしく、まだ十分に距離はあった。そのはずだった。

「正面! 先回りされた!?」

 ほとんど走らないうちに、正面にゆらゆらと歩く複数の人影を見つけ、クライストが叫んだ。

「あの数なら突破した方がええ!」

 仲間達が足を緩めた一方、マージンだけはそう叫ぶとツーハンデッドソードを振りかざしてそのまま突っ込んだ。

 そして、人影に対してツーハンデッドソードを振るい、あっという間にバラバラにする。

 直後。

「マージンっ!」

 レックの叫び声と共に、マージンはレック達の方へと大きく飛び退いた。

 それにほんの一瞬遅れて、マージンがいた場所にすさまじい勢いで何かが落ちてきた。

「人間っ!?」

「羽やら角やら生えててもそう呼べるんならな!」

 誰かの叫びをマージンが即座に否定した。

 実際、落ちてきたそれは人間そっくりだった。だが、背中には黒いコウモリのような羽があり、頭には拗くれた角が何本も生えていた。そもそも、人間の肌は赤黒くはない。そんな設定自体存在しない。

「つまりは、じゃ……」

「エネミー……」

 ディアナの言葉に、誰かがそう呟いた。

 尤も、呆然としている場合ではない。

「来るで!」

 マージンが叫ぶよりも早く地面を蹴っていたエネミーは、その羽も使って滑るようにレック達との距離を一瞬で詰めた。

「こなくそっ!」

 襲いかかってきたエネミーの鋭い爪を、マージンがなんとか弾き返し、直後、エネミーが振るってきた左手の爪を首を傾けることでなんとか躱した。

「マージンっ!」

 両方の攻撃が空振りに終わったエネミーの隙を突いて、クライストが攻撃を仕掛けるが、直前に声を出したのがまずかったのか、あっさりと躱された。

 だが、それで状況を確認する余裕が全員に出来た。

「ディアナはゾンビを一掃するんや! リリーはディアナと自分の身を守っとって!」

 マージンの指示に、ディアナは即座に呪文の詠唱を開始し、ディアナに下ろして貰ったリリーはそのままディアナに張り付いた。

 その隙を突いて再びマージンに襲いかかろうとしたエネミーは、殴りかかってきたクライストの一撃を受け止め、そのままクライストに食らいつこうとして、頭上から振り落とされたツーハンデッドソードにそれを諦めた。

 尤も、それで終わるようなエネミーなら苦労はない。

 マージンが引き戻そうとしたツーハンデッドソードを鷲掴みにすると、そのままマージンを引きずり寄せようとして、その顔が驚愕に歪んだ。

「そう簡単に力負けしてたまるかい!」

 マージンが力任せにツーハンデッドソードごと振り上げるが、エネミーはそれをぐっと押さえ込み、次の瞬間あっさり放して飛びすさった。

「くそっ! 素早すぎるぞ、こいつ!」

 またしても攻撃を躱され、クライストは舌打ちした。

 実際、このエネミーは今まで戦ってきた中でも明らかに強い方だと言えた。身体強化をしているクライストとマージンの動きに悠々とついてくる来るどころか、2対1でも攻めきれないのだ。

 その時、呪文を完成させたディアナが、距離を詰めてきていたゾンビの群れ目掛けて火球を放った。

 直後、手榴弾に匹敵する爆発と、それを上回る大量の火炎がゾンビの群れを焼き払った。

 ただ、焼き払われた範囲はせいぜい群れの先頭から10mか20mほどだった。

 その後続は吹き飛ばされただけでまだ動けることを見て取ったディアナが、そのまますぐに次の詠唱に入ろうとして、

「くふっ。魔術まで使えるのか。本当に旨そうだ……」

 不意に聞こえたしゃがれた低い声に動きを止めた。

 とは言え、それを見ていたクライスト達に比べるとそれほど驚いたわけでもなく、再び動き出したゾンビの群れに即座に詠唱を再開した。

 一方のクライスト達はそうはいかなかった。

「エネミーが……しゃべった……?」

「くふっ……エネミー? 我があれと同じだと?」

「エネミーじゃ……ないのか?」

「今より死ぬ主らに答える必要などあるまい」

 自らがエネミーではないと言ったソレは、次の瞬間地を這うように飛びかかってきた。

「くっ!」

 それを受け流すようにクライストが躱そうとした時だった。

「がっ!?」

 バチッという音共にクライストが苦鳴を上げた。

「クライストっ!!」

 その様子に、今まで動きが止まっていたレックが悲鳴を上げた。

 だが、レックが動くよりも早く、ツーハンデッドソードを手放したマージンがソレへと殴りかかった。

 流石にそれを無防備に受けるつもりもないのか、クライストを貫こうとしていた爪を引き戻し、ソレはマージンの拳を振り払おうとして、

「ぐっ!?」

 カウンター気味にあごを打ち抜かれ、ふらついた。

「リリー!」

 そこでマージンがリリーの名を呼んだのは、レックはすぐには動けないと思ったからだろう。

 実際、クライストのピンチに剣を抜き放ったはいいが、ソレに突撃できなかったのだから、マージンの判断は半分は正しかった。

 半分は間違っていた理由は、リリーもすぐには動けなかったからだ。

「あ、うん!」

「なんだとっ!」

 一息遅れてリリーが反応し、振り上げたその腕から水が槍のようにソレに襲いかかり、間一髪反応したソレにはたき落とされた。

 その後も次々とリリーが放った水の槍が襲いかかるが、ソレの反応速度を上回ることは出来ず、その全てがいとも簡単にその爪で切り裂かれ、ただの水飛沫となっていく。

 とは言え、それなりに無視できるものでもなかったのだろう。

「がああああああっ!!」

 水の槍が途切れた一瞬、ソレが雄叫びを上げた。

「っ!!」

「!!?」

 その雄叫びにはいかなる効果があったのか、それとも単なる気合いの問題なのか。

 兎に角、全員の動きが一瞬固まった。

 ディアナは辛うじて火球を放った直後だっただけに事なきを得たが、そうでなければその魔術がその場で暴発していた可能性すらあった。

 尤も、それでピンチが去ったわけではない。

 むしろ、これからだった。

 レック達の動きが止まった一瞬を付いて、ソレは一気にレック達との距離を詰め、リリーの前に達した。

「っっ!!!」

 リリーの顔が恐怖に染まり、思わず目を閉じて、

 しかし、次の瞬間、リリーが感じたのは温かい液体が顔にかかる感触だった。

「まずは主か」

「え……?」

 ソレの声に目を開けたリリーが見たものは、右腕を貫かれ、半ば千切れかけながらもソレの爪を受け止めたマージンの姿だった。

 その姿にソレも軽い驚きを隠せないながらも、それでもやっと一人仕留められる事に歓喜を見せた。

「マーーーージーーン!!」

 一瞬遅れて目に映る光景を理解したクライストが、リリーが叫ぶ。

 それで状況の変化に付いていくことが出来ず、挙げ句、頭の中が真っ白になっていたレックが意識を取り戻した。

 ほとんど反射的に身体強化を最大限にまで発動させつつ、地面を蹴りつける。

「っ!?」

 マージンの腕から引き抜いた爪を改めて、その心臓へと突きだそうとしていたソレは後ろで突如爆発的に魔力に振り返ることすらせずに飛び上がるように逃げた。

「はっ……レック、遅い……で?」

 命の危機を間一髪で救われたマージンの声が力なく聞こえた。

「いやあああぁぁぁぁぁ!!!」

 そのまま崩れ落ちたマージンの身体を受け止めたリリーの悲鳴が一帯に響き渡った。

 だが、ソレが反応することはなかった。

 羽を広げて宙に浮いたソレは、厳しい視線でレックを睨み付けていた。その片足は先の方だけだが、明らかに潰れていた。レックの一撃を避け損ねたのだ。

 一方、マージンに止めを刺しかけていたソレを追い払ったレックは、マージン達から10m以上も離れたところから、空中のソレを睨み付けていた。

 そのまま、誰もが動きを止めたまま、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 最初に動きを見せたのは、宙にいたソレだった。

「まさかそれほどとは。……このままでは少々分が悪い。もう少し力を蓄えてから出直すとしよう」

 そう言い残すと、ソレは羽を羽ばたかせ、高度を上げてそのまま飛び去っていった。

 それを見送ったレックは、今更ながら身体が震え始めた。そしてそのまま地面に崩れ落ちた。

「レック、無事か?」

「うん、なんとか……」

 駆け寄ってきたディアナにそれだけ返したレックは、マージンの方へと顔を向けた。

 そこでは、なんとかさっきの一撃から回復して動けるようになったクライストが、リリーに抱きしめられたマージンの元にいた。

「クライスト! マージンは、マージンは!!」

「落ち着け。かなり酷い怪我だが……これならなんとかなる」

 そう言いながら、治癒魔術をマージンにかけていくクライスト。

 その様子にホッと一息吐いたレックは、ふと気がついた。

「ゾンビは……?」

 そう言って振り返った先に見えたのは、ディアナの魔術で吹き飛ばされ焼き払われた無数のゾンビの残骸と、そのずっと向こうをゆっくりと去って行くゾンビの群れだった。

「なんとか……助かった……?」

「そのようじゃな。エネミーの討伐自体は失敗じゃったが、な」

 とは言え、ここまで想定外の状況であれば一人も死なずに凌げただけでも上出来だろう。マージンの怪我も、クライストの治癒魔術で既に塞がっていた。

 そのことに安心したレックは、張り詰めていた神経が切れると同時に、その意識を失ったのだった。



「く、くふふふふ……」

 足の痛みに耐えながら、しかし超高層建築の間を飛ぶソレが漏らすのは歓喜の笑い声だった。

 確かに、あの冒険者達の、いや、最後に自らに攻撃を仕掛けてきたあの冒険者の強さは予想外だった。正直、あの一撃をまともに食らっていれば、今頃倒されてしまっていただろう。

 だが、こうして生きている。

 ならば、次こそあの冒険者を喰らえば、自分の力はもっと強くなる。それこそ、位階が上がるだろうほどに。

 そうなれば、いずれは自らを生んだ王をも凌駕できるだろう。

 そのことを想像したソレは、笑いを止めることが出来なかった。

「くふっ、くふふふふふっ!」

 だが、その前にまずはもう少し力を得る必要がある。

 幸いなことに、他にも冒険者達のいる場所をソレは知っていた。

 流石にあの冒険者ほどの力の持ち主がいると危ないが、それはないだろう。

 ならば、冒険者達をあと何人か喰らえば、あの冒険者を超える力を確実に得られる。そうすれば……

「くふっ、くふふふふふっ!」

 その時のことを想像し、ソレは笑い声を上げながら、北西へと飛び続けた。

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