第十六章 第七話 ~再会~
「思っていた以上に活気がないね」
ワッツハイム街区を歩きながらそう言ったのは、つば付きの帽子を深く被り、サングラスをかけた風間だった。
超高層建築の間に見える空は雲で覆われていた。そのせいで薄暗いのも、活気のなさに一役買っているのだろうが、それにしても活気がなさ過ぎた。
「仕方ないですよ。例の噂のせいでしょう」
そう言ったのは、護衛としてついてきたジェフリーだった。こちらは茶色い帽子を被っているだけで、めがねもサングラスも付けてはいない。
他にも何人かが風間に同行していたが、その中に顔を隠した女性が二名いた。その正体は言わずもがな、ディアナとリリーである。顔を隠している理由は簡単で、プライベート・アバターであるこの二人の容姿は、メトロポリスでは非常に目立つからだった。
キングダムの冒険者と特定されなかったとしても、美女、美少女としか言いようのない容姿だけである種の厄介ごとに巻き込まれかねないのである。実際、風間の所にいる間にも、ディアナ達と隙あらば下心をたっぷりと持ってお近づきになろうという男が後を絶たず、風間が苦労していたのはここだけの話である。
ちなみに、ジェフリーが口にした例の噂というのは、エネミーがメトロポリスに入り込んで人間を次々と殺しているというものである。
「人の口に戸は立てられぬとは言うが……見事に広まってしまったのじゃな」
一応、風間もベルザも関係者全員に口止めはしていたのだが、関わる人間が増えれば、それだけ秘密は守りにくくなる。
「想定はしていたけどね。ただ、思っていたより早かったかな。出来ればもう少し持って欲しかったけど」
風間としては、せめてエネミーを捕捉した後にして欲しかった。ワッツハイム街区がこの有様では、風間達のいるガバメント第一街区に噂が広まるのも思ったより早いだろう。
とは言え、今更広まってしまった噂をどうにかすることは出来ない。
「ローエングリスもなにやら情報だけはくれているし、さっさと片付けてしまおう」
ローエングリスに潜り込ませた部下からの情報について、意図的にリークされていると風間は確信していた。情報を送ってきている部下ですらそうなのだ。
ただ、ヒュームが何を考えているのかは、いまいち分かっていないのが気になるところではある。そのため、エネミーの危険度にかかわらず、ヒュームが余計な動きを見せる前にさっさと今回の件は片付けてしまいたかった。……そうすることこそがヒュームの期待通りなのかも知れないが、それは敢えて考えないことにする。
「そうですね。……そろそろ、ワッツハイムのビルが見えるはずですが」
ジェフリーの言葉に、風間は目的の建物を探してみたが、はっきり言って分からなかった。何しろ、超高層建築は基本、どれも似たような形をしている。下層に取り付けられた電子看板ではない看板を見て、目的の建物を特定するしかなかった。
(そう言えば、たまに電子看板になっていない建物があると話題になっていたが、電子看板が停止した時のため……というのは、考えすぎかな……)
風間は『魔王降臨』以前に時々噂になっていた話を思い出し、そんなことを考えていた。
尤も、今となっては確認のしようもないし、意味もない。
ただ、看板を目印に建物を数えていって、
「聞いていた話だと、あの看板の向こうの……ああ、あれですね」
ジェフリーがそう言ったのはそれからすぐのことだった。
『わざわざ来て貰って悪いわね』
ソファの上で妖艶なドレスを着こなした女性――ベルザが風間達にそう言った。
『そっちが動くよりこっちが動いた方が早そうだったからね』
そう答えたのはやはり風間だった。
風間達が案内されたのは3階に用意されていた応接室だった。一応、ソファやらテーブルやらが運び込まれ、ついでに花瓶や絵画も用意されてそれなりに飾り付けられていたが、そもそも部屋が薄暗い上に花瓶に刺さっている花もなく、応接室が持つべき明るさに欠けていた。
そんな応接室には今、6人の男女がいた。
ワッツハイムからはベルザとシモン。ガバメントからは風間とジェフリー。そして、ディアナとリリーという顔ぶれである。
『そう言ってもらえると助かるわ。……ところで、そちらのお嬢さんだけど、妙に落ち着きがないわね?』
ベルザと風間の会話が英語で交わされていたために言われた本人は分からなかったが、ベルザが言ったのはリリーのことだった。
一応、風間の客人という立場もあって用意されたソファの1つにディアナと一緒に座っていたリリーだったが、部屋に入った直後、いや、建物に入った直後から落ち着きがなくなっていた。例の冒険者達の名前を確認するということすら思いつかないほどに、である。
『ああ、もしかしたら仲間と会えるかも知れない訳だからね。大目に見てやって欲しい。……ところで件の冒険者達は?』
風間の説明でリリーの落ち着きのなさに納得したベルザは、風間の質問にとりあえずにこやかに答えることにした。
『巡回に出て貰っているわ。あなた達が来る時間がはっきり分かっていたら良かったのだけど』
『なるほど。……いつ頃戻ってくるのかな?』
『昼頃には一度戻ってくるように伝えてあるわ。もしかしたら、早めに戻ってくるかも知れないけれどね』
ベルザのその言葉を風間が翻訳すると、リリーの様子が目に見えて落ち込んだ。尤も、風間とベルザにしてみれば大したことではない。落ち込んだリリーのことはディアナに任せ、さっさと本題に入ることにした。
『それで、件のエネミーについてだけど……何か新しい情報は?』
風間のその質問に答えたのは、ベルザから目で合図されたシモンだった。先ほどからちらちらとディアナやリリーに目線がいっていたのだが、風間は敢えて気づかないふりをしていた。
『……調査隊が1つ行方不明になりました。場所はここ。多分、やられたのでしょう』
そう言いながら、シモンはテーブルの上に広げられたメトロポリスの地図の上の赤いバツ印の1つを指で指し示した。地図には他にもバツ印が幾つか付けられていた。それが何を意味するのか説明はなかったが、風間は勿論理解していた。
『規模と武装は?』
『……重装備20人です』
シモンの答えに、風間は思わず渋面になってしまった。
ガバメントが抱える軍に比べれば装備が貧弱とは言え、カンパニーユニオンにおける重装備というのは決して侮れない。表沙汰には出来ないルートでガバメントから装備が流れているからである。
少なくとも全員が拳銃とアーミーナイフ、防御チョッキくらいは装備していただろうし、20人もいたなら軽機関銃の類もあったはずだ。
それが行方不明。つまり、全滅したというのは、少々どころではなく面倒だった。
とりあえず、風間はシモンの説明を一通り翻訳してから、ディアナに訊いてみた。
「同じ事は出来るかな?」
「少し厳しいのう。私達とて、流石に銃弾を受けて無傷とは行かぬからのう」
「被害を考えなければ出来るのかな?」
「それはイエス、じゃ。防御チョッキとやらは見せて貰ったが、あれくらいなら、着ておっても問題なく倒せるからのう」
『それは、むき出しの部分を狙うという意味でか? それともチョッキごと破壊するという意味でか?』
ディアナにそう訊いたのは、ベルザに翻訳して貰ったシモンだった。
「両方じゃな。レック辺りなら、チョッキごと真っ二つにできるじゃろうな」
『レック?』
ディアナが口にした言葉に、正確にはそこに含まれていた名前にベルザとシモンが反応した。
それをディアナは見逃さなかった。
「風間よ、少し良いか?」
そう言って耳打ちされた風間は軽く頷いた。
『聞き忘れていたけど、ここに来る予定の冒険者達の名前を教えてもらえるかな?』
『そう言えば、まだ教えていなかったわね』
ベルザはディアナとリリーを一瞥すると、三人の名前を口にした。
「レック、マージン、クライスト。どう、聞き覚えがあるかしら?」
「どこにっ! 今どこにいるのっ!」
ディアナとリリーにも分かるようにわざわざ日本語で言ったが、どうやらその必要はなさそうだった。三人の名前を聞いて勢いよく立ち上がったリリーを見るだけで、ベルザには答えが分かったからだ。
それは風間も同じ事で、
「良かったね。どうやら、探し人は見つかったようだよ」
そう、ディアナに声をかけていた。リリーに声をかけなかった理由は……言うまでもあるまい。
尤も、ディアナはそれどころではなかった。レック達の無事が確認できたのは良いが、リリーがテーブルを飛び越えてベルザに襲いかからんばかりの勢いを見せていたからだ。
「リリーよ、少し落ち着け」
幸い、身体強化を使えないリリーを後ろから羽交い締めにして止めるのは簡単だった。それでも、いつまでも止めているわけにも行かない。
そう考えたディアナが助けを求めようと、平たく言えばさっさと答えて貰おうとベルザに言葉をかけようとした時だった。
応接室の扉がノックされた。
『いいわよ。入りなさい』
ベルザが答えると扉が開き、
「マージンっ!!」
扉の向こうに見えた人影に一瞬だけ動きを止めたリリーが突撃した。今度ばかりはディアナもリリーを止めなかった。
「わっ! なんやなんや!」
驚きながらもリリーを受け止めたのはマージンだった。
「マージン! マージン!!」
そんなマージンに、その名前を呼びながらリリーがしっかりと抱きつき、胸板に顔を押しつけながら泣いていた。
その様子を温かく見守っていたディアナ達だったが、いつまでもそうしているわけにもいかない。特に、マージンの後ろで少しつらそうにしているレックを見ては。
「中に入るのか入らぬのか、はっきりしたらどうじゃ?」
ディアナのその言葉に、リリーを除く、その場にいた全員が動き始めた。
「そうね。仲の良い恋人達の邪魔をするのは気が引けるけど、レック、マージン、クライスト。あなた達の席も用意してあるわ。座りなさい」
「いや、恋人ちゃうからな?」
マージンはそう言ったが、他の誰も取り合わず。ベルザの言葉に従い、空いていたソファにクライストと微妙に足取りが重いレックが座った。マージンはと言うと、
「あー、このままやと座れへんのやけど……リリー、離れて……くれそうにもあらへんなぁ」
かと言って、リリーを力尽くで剥がすのもなんとなく悪い気がしているらしく、明らかに困り果てていた。
そんな様子を生暖かく見守っていたディアナだったが、マージンとリリーが立ちっぱなしではなんとなく話を再開しづらかった。
「とりあえず、こっちに座ればよいじゃろう。……ほれ、リリーも少し離れるのじゃ」
ディアナの言葉に従い、マージンはディアナの隣にまでやってきたが、リリーが離れる様子は全くなかった。
「……済まぬが、しばらくは立ったままで良いかのう?」
「そうするしかないみたいやなぁ……」
そう答えたマージンは少し恥ずかしそうだった。珍しいものを見たと思いつつ、ディアナはちらりとレックへと視線をやり、そこで首を傾げた。思っていたよりショックを受けた気配がなかったからである。
(ふむ……ひょっとしたらアカリかのう?)
ことあるごとにレックへの好意を伝えようとしていたアカリのアプローチの成果が出たのかと考えたディアナだったが、今はそんなことを考えている場面ではない。とりあえず、レックがマージンに抱きついたリリーの様子にそれほどショックを受けていないなら、今は良いと考えながら、風間とベルザに軽く頭を下げた。
「騒がせてしまって済まぬ」
「いや、いいよ。やっぱり君たちの仲間だったんだね」
「そうじゃな。……久しぶりの再会じゃ。少し挨拶の時間を貰っても良いかの?」
ディアナの頼みを風間もベルザも快諾した。やっと再会できた仲間同士なのだ。リリーほどではなくても、何かしら挨拶はしたいだろう。
二人の快諾を受けたディアナは、早速正面のソファに座ったレックとクライストに向き直った。
「レック、クライスト。久しぶりじゃのう」
「ああ。ディアナも無事だったか。グランス達は?」
そう答えたのはクライストだった。レックはまだ軽いショック状態から回復していなかった。
「グランス達も無事じゃよ。今はこの風間のところで世話になっておる」
ディアナのその言葉に、クライストは安堵した様子を見せた。
「そいつは良かった。まあ、こっちは見ての通りだ。……たった今、ちょっと問題が発生したみたいだけどな」
クライストのその言葉にディアナは苦笑しつつ、
「まあ、全員の無事が確認できたのじゃ。詳しい話は後でも良いじゃろう」
そう言うと、風間とベルザに軽く頭を下げた。
「それなら、話を戻すわね。その前に、巡回で何かあったかしら?」
ベルザに訊かれ、クライストが首を振った。それを確認したベルザは再び風間へと視線を戻した。
『じゃあ、エネミーの話に戻しましょう。とは言っても、どうして良いのか分からないのだけど』
ベルザは英語に戻してそう言った。そして、その後を継いだのはシモンだった。
『おおよその手順は簡単です。場所を特定し、攻撃を仕掛け、これを倒す。それだけです』
『それはそうだけどね。実際にはそれじゃ何も決まってないのと変わらない』
風間の言葉に、シモンはあっさりと頷いた。
『場所が絞り込めていない上に、捕捉したところでどうやったら倒せるのかが分かっていません』
『正確には、場所の見当はある程度ついてるけどね。下手に偵察を放つと被害が増えるだけになるから、確定できない』
事実、ローエングリスとマージナルから流れてきた情報も含めると、既にエネミーの縄張りらしき範囲は見えてきていた。そこから、どこに行けばエネミーを見つけられるかという場所もある程度絞り込めていた。
ただ、実際にそこに部隊を派遣するのが危険すぎて、確認が取れていない状態だった。
(ヒュームみたいに出来れば楽なんだけどね)
そう思ったのは風間だけではないはずだ。だが、犠牲が多数出ることを前提とした作戦は立てづらい。少なくとも、今の時点ではまだ早かった。
ただ、犠牲を出さずに問題の街区を調査できそうな戦力もいた。
『それはつまり、俺達に威力偵察をしてこいと言うことか?』
風間の視線を受けてそう言ったのは、未だリリーにしがみつかれたままのマージンだった。
『ああ、英語出来るんだ?』
グランス達がさっぱりだったのでてっきり蒼い月は全員英語が駄目かと思っていただけに、風間は軽く驚いていた。
一方のマージンはと言うと、風間の確認に軽く頷いて肯定を返すと、少し考えた後に、
『確かに、俺達だけで探しに行った方が良いかもしれないな』
そう言ったが、流石に仲間の意見も聞かず、勝手に決めるわけにもいかない。
『ここからは日本語で頼む』
そう言うと、
「レック、クライスト、ディアナ。わいらだけで、このエネミー探し出して倒した方がええと思うか?」
仲間にそう訊ねた。
「その前に、じゃ。私達が戦うのは決定なのかの?」
「できればそうしてもらえると助かるわ。ちょっと、私達の手には負えそうにないもの」
「そうだね。2分隊20人でもやられたようだし……流石に千人くらいぶつければなんとかなるかも知れないけど、どこまで被害が出るか分からないからね」
ベルザと風間の言葉に、ディアナは「なるほどのう」と言いつつ、クライストに視線を向けた。
「よいのかの?」
「ああ。俺達はそのつもりで、ここ数日は巡回に出てた」
その返事で、レックとマージンも同じ考えだと知ったディアナは頷いた。ならば、後は自分達の判断である。
とは言え、答えなど既に分かっていた。
風間達にはそれなりに世話になっていたし、見たところベルザにもレック達が世話になったようだ。なら、その恩を返すためにも一肌脱ぐのは自然な流れだった。
勿論、それで仲間に被害が出るようなら少し考えなくてはいけないが、エネミーの姿を確認するくらいなら問題はないだろう。
とは言え、グランスとミネアに一言の断りもなく決定するのは少し気が引けた。
「……一応、残りの仲間にも確認をとっておきたいのじゃが、よいかの?」
ディアナは風間達に一言断りを入れて個人端末を取り出した。
『ディアナじゃ。予想通り、クライスト達と合流できた』
クランチャットにそう打ち込んですぐにグランスから返事があった。
『全員無事だったか?』
『無事じゃ。それで、今後の事で少し相談があるのじゃが』
ディアナはそのまま説明まで打ち込んだ。
そして、待つことしばし。
流石に力も姿も分からないエネミー相手に戦いを挑む事について、グランスも悩んだらしい。返事があったのはたっぷり5分は待ってからだった。
その間、泣き疲れたリリーがマージンにしがみついたまま寝息を立て始めてマージンが慌てた以外は、ベルザも風間も部屋にいる全員がじっと待っていた。
『分かった。だが、注意も警戒も怠るな。危ないと思ったら、即座に逃げろ。いいな?』
グランスに了解とだけ返すと、ディアナは個人端末を仕舞った。
「あちらの了解もとれた。流石に命に代えてまでとはいかぬが、ソレで良ければ力を貸そう」
ディアナのその言葉に、ベルザも風間もホッと息を吐いたのだった。
その後の細かい話は蒼い月だけで決めることとなり、レック達5人が応接室を出て行った後。
ベルザと風間はまだ話すべき事を残していた。その1つが、蒼い月の処遇である。
「出来れば、仲間同士で行動を共にさせてあげたいんだけど」
風間がそう切り出すと、ベルザはあっさり頷いた。
そこまでは風間の予想通りだったが、その次のベルザの言葉は風間を驚かすに十分なものだった。
「その際はそちらで引き取ってもらえるかしら?」
その意図をはかりかねている風間に、ベルザは艶然と微笑むと、
「こちらに置いておくと、ローエングリスが余計な干渉をしてくるはずよ」
そうヒントを出した。
それで風間もなるほどと納得した。ヒュームの性格を考えれば、レック達に仲間がいると知れば、そちらにも手を出すだろう。その時に、同じカンパニーユニオンのワッツハイムよりはガバメントの方が彼らを守りやすい。
尤も、解せない点もあった。
「しかし、それでワッツハイムは良いのかな?」
「そうね。ちょっとした下心はあるわ」
ベルザのその答えに、その下心というのがどういうものかは分からないが、彼女なりの考えはあるのだろうと風間は察した。その考えによっては、ディアナの仲間達をガバメントで引き受けるのは問題があるかも知れない。
だが、
(それでも、ディアナ達はヒュームの手が届きにくいところに置いておくべきか)
そう風間は考えた。少なくとも、エイジの存在がある。その存在をヒュームが知った時、何をしでかすか正直分からなかった。少なくとも、多くの人間を悪い意味で巻き込むことだけは確かだろう。
なら、今はベルザの好意に甘えておくべきだ。
風間はそう結論づけたのだった。
一方、応接室から出てきたディアナ達は、自分達に向けられる無数の視線を躱しながら建物を出て、レック達が寝泊まりしている建物へと向かっていた。
「やはり、こちらでも視線を集めるのう……」
「プライベート・アバターと分かってても、その外見だ。仕方ねぇだろ」
クライストの言葉に、ディアナは「はぁ」と溜息を吐いた。クライストに言われるまでもなく、理由は分かっていた。それでも、鬱陶しいものは鬱陶しい。
「もう少し地味にしておけば良かったのう」
「今更だけどな」
クライストの言葉に全くだと後悔しつつ、ディアナはマージンの背中へと視線をやった。そこにはマージンの姿を見て安心したのか、呑気に寝ているリリーの姿があった。
「……よく寝ておるのう」
「そうやねんけど……誰か、代わってくれへん?」
マージンには人並みにスケベなところもあったはずだが、どうも今の状態は居心地が悪いらしい。さっきから誰か代わってくれと何度も繰り返していた。が、仲間達の返事は決まっていた。
「そんなことをしたらリリーが怒る」
そう言って断っていたのである。
レックの心情を考えるとちょっと微妙なところはあるが、ディアナもそしてクライストも、良い機会だからリリーの好意をマージンにしっかり認識して貰おうと考えていた。
何の相談もなく同じ結論に達する辺り、クライストも結構やきもきしていたのだろうと、なんとなくディアナは思った。
そんな理由でマージンにリリーを背負わせつつ、レック達が寝泊まりしている建物に着いたディアナ達は、リリーをベッドに寝かせると早速これまでのことについて互いに報告を始めた。
とは言え、実のところ、それほど報告することもない。せいぜい、どこの勢力に世話になっていて、そこで何をしていたかくらいなのだ。10分と経たずに報告は終わっていた。
「ってか、クランチャットがこんなことになってなきゃ、合流くらい簡単だったのにな。なんで壊れてんだ?」
同じ部屋にいるというのに、未だにレック、クライスト、マージンとその他の仲間達とでクランチャットが使えない状態が続いていた。
「まあ、ディアナ。ちょっと端末だしてくれへん?」
そう言われたディアナが出した個人端末に、レックが自分の個人端末をコツンと当てた。
「何をしておるのじゃ?」
「再登録、やねんけど……」
マージンがそう言いつつ、個人端末に何か打ち込むと、ディアナの端末がクランチャットの着信を告げた。
「ふむ。直ったのかの?」
そう言いつつも、直ったかどうか確信を持てず、ディアナもクランチャットにメッセージを打ち込んだ。
「なんか直ったみたいだな。俺んとこにも来たぜ」
「僕のとこにもだけど……なんで?」
レックが首を傾げたが、皆、答えなど知る由もない。その代わりに、マージンのメッセージを見たらしいグランスとミネアからクランチャットにメッセージが飛んできた。
それを見たレックとクライストもメッセージを打ち込んでみると、ディアナの端末にメッセージが届いた。
「これで連絡が付くようになった訳じゃが……原因が分からぬだけにしっくりこんのう……」
とは言え、個人端末がどうなっているかなどイデア社にしか分からない。今ならあるいは分解して中身を調べられるかも知れないが、分解して元に戻りませんでしたではいろいろ困る。
結局、クランチャットが壊れた原因も治った理由も分からないままだったが、それはそれとして、ディアナはクライストに目で合図を送った。
「レック。ちょっと付き合え」
ディアナからの合図を正確に理解したクライストが「え? え?」と事情を飲み込めないレックを部屋の外に連れ出し、扉がバタンと閉まった。
「さて、これで準備は整ったのう」
「え? 準備?」
ディアナが何をしているのか理解できていない様子のマージンに、ディアナは真面目な顔で向き直った。
「話があるが、よいな?」
「話ってなんや?」
そう言いつつも、マージンはディアナの話を聞くつもりはあったらしい。
今を逃せば、次に話が出来る機会がいつになるか分からないだけにホッとしつつ、ディアナは口を開いた。
「マージン。おぬし、リリーのことをどう思っておるのじゃ?」
それを聞いた瞬間、マージンの表情が引き締まった。だが、その口はすぐには開かなかった。
それでも、ディアナは静かに待った。マージンがちゃんと考えているなら、待つ価値はある。
「……リリーの気持ちはな、一応は分かっとるつもりや」
流石に今に至るまで気づいていないようなら、冗談抜きで教育的指導を物理的に行うことも考えていただけに、ディアナとしては少しだけ安心した。ただ、同時にマージンへの怒りも覚えた。
「知っておって、何故気づかぬふりをするのじゃ?」
その問いかけへの返答は、数分を要した。
その間、ディアナも何故なのかを考えてみた。
(実は独り身ではない?)
一番ありそうな理由はそれだった。だが、それならそれとはっきり言えば良い。
(あるいは……同性愛者?)
それなら確かにリリーの気持ちに応えることはないし、かと言って理由を説明できないことも分かる。
とは言え、それは流石に信じたくなかった。よって、却下である。
他にも単純にリリーのことが好みではないという理由も考えられたが、そこでディアナは頭を軽く振った。これ以上考えていても、答えなど出そうになかったからだ。
それでも、しばらくしてマージンから聞かされた答えは信じたくないものだった。
そして同時に、マージンがリリーの気持ちを受け入れようとしない理由として、確かに納得できるものだった。
その頃。
レック達に知る由はないが、レック達が戻ってきた建物を監視している一人の女性がいた。紗耶香である。
正確に言うならば、巡回から戻ってきたレック達がワッツハイムが利用している建物に入っていくところから、その後ディアナ達と一緒に出てくるところまでしっかり確認し、その上でここまで尾行してきたのである。
(どうやら、あの二人、彼らの仲間みたいだけど……)
ローエングリスやワッツハイムの者達と違い、クライストとマージンは新たに加わった女性二人と非常に親しげにしていた。それに加え、ソーシャル・アバターではあり得ないあの美貌から判断するに、おそらくはあの二人も冒険者だと思われた。
(だとすると……ローエングリスには戻らない?)
そのことに考えが及んだ瞬間、紗耶香は歪んだ笑いを漏らしていた。
ああ、これで彼らを殺せると。
勿論、相手は冒険者である。一筋縄ではいかないだろう。
だが、やりようはあるはずだ。
ひとまず、現在の状況をヒュームへと報告して貰うべく、紗耶香はその場を離れることにした。出来れば会いたくはないが、ジャレッド達に連絡を頼むしかない。
その場を離れる前にもう一度、レック達が寝泊まりしているその建物を一瞥してから、紗耶香はジャレッド達の所へと向かったのだった。




