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ジ・アナザー  作者: sularis
第十六章 昏きメトロポリス
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第十六章 第六話 ~メトロポリスの怪物3~

「最近、なんだか落ち着きがないよね」

 巡回のためにワッツハイム街区を抜けたところで、レックはそう言った。

 元々メトロポリスは極端にあらゆる物資が不足しているためか、そこに住む人々の元気は底を突いているような状態なのだが、ここ数日、道を歩いている人もその辺でちょっとした商売をしている人も誰もかもが妙に落ち着きがないように見えた。

「多分、エネミーの話が漏れたんやろな」

 そう返したマージンは、さほど気にした様子もなかった。尤も、元々何を考えているのか分からないところがあるので、レックもクライストも特に何も思ったりはしなかった。ただ、マージンの予想に納得しただけである。

「となると、さっさと倒したいところだよな」

「問題は……人型やったら、レックが使いもんにならんかも知れへんってことやけどな」

「いや、まあ、それは否定しないけど……」

 既に、キングダムの魔法使い殺しの件がトラウマになっていることは、クライストとマージンにもきちんと話してあった。既にばれていたという事情はあれ、である。

 その際、そればかりは仕方ないとクライストもマージンも受け入れてくれたので随分と気が楽になった。おかげで、今のように言われても返答にちょっと困るくらいで済んでいた。

「ってか、それ以前に見つけられるかどうかだろ?」

「ま、そうやけどな」

 ちなみに、自分達以外が見つけた場合に出るかも知れない被害について、レック達は考えないようにしていた。シモン達にも気にしないように注意されていたのもある。

 それでも、

「でも、出来れば、僕たちで見つけて倒したいね」

 レックのその言葉に、クライストもマージンも素直に頷いたのだった。


 ただ、物事はそううまくは進まない。

 そもそも、件のエネミーの探索に当たっている人数が多い分、レック達以外の誰かがそれを見つけてしまう可能性が高くなるのは当然のことだった。


「……また、行方不明のチームが出たのか」

 薄暗いオフィスで届いた報告にそうぼやいたのはマージナル社のホルストだった。その顔には疲れがはっきりと浮かんでいた。

 何しろ、これで2チーム目である。ワッツハイムからエネミーの話が来る前に行方不明になったチームも含めると、3チーム目とも言えた。

 今のところはまだ、マージナルが抱える戦力に影響を与えるほどではないが、この調子で行方不明が増えていくといろいろまずいことになるのは明らかだった。

 ただ、3チームもの行方不明が出たことで分かったこともある。

(やつこ)さんの活動範囲は多分……この辺りなんだろうな」

 机に広げた地図の一部を指でなぞりながら、デニスが言ったように、エネミーと思われる敵の活動範囲に見当が付くようになったことだった。

 行方不明になったチームの当日の活動予定、それにワッツハイムと手分けして行っている調査で見つかっている捕食跡と思われる虐殺現場の位置を合わせると、ワッツハイム街区とマージナル街区の中間から少し西寄り、つまりはメトロポリスの中央寄りの辺りがエネミーの活動範囲だろうと推定された。

 なので、今はその付近を重点的に調べて回っているのだが、問題もあった。平たく言えば、エネミーと遭遇する可能性が高くなる分、こちらの被害が出やすくなると思われるのだ。

「もう少し、チームの規模を大きくした方がいいだろうか?」

「難しいところだな。中途半端に大きくしても、まとめてやられるだけかも知れん。現場の心情を無視するなら、むしろ小さくした方がいいくらいだが……」

 そんなことをすれば、現場からの反発が強くなるとデニスは言った。今の10人というチームの規模ですら、全滅する可能性が低くないことは既に周知の事実となりかけていた。いや、今回の行方不明で誰もがそう確信するだろう。

 そんな状況でチームの規模を小さくするのは、全滅しろと言っているようなものだった。

 勿論、行方不明になったチームの足跡をつなげていくことで、エネミーの足取りを追いかけ易くなるメリットはあるのだが、そんなことを言っても実際に危険にさらされる現場では反発しか生まないだろう。

 かと言って、規模を大きくしても全滅するようならデメリットしかない。

「もうしばらくは規模は現状維持だな。配置の見直しで対応してみる」

「そうか、その辺りは任せる」

 ホルストはそう言うと立ち上がり、扉を少し開けて部屋の外の様子を確認した。

「何してるんだ?」

「ちょっと盗み聞きされてないかと思ってね」

 ホルストはそう答えると、小さな声で続けた。

「ローエングリスの動きが怪しいという報告があった」

「あそこか? いつものことじゃないのか?」

 カンパニーユニオンに所属している企業群は互いに相手を信用しているとは言い難い。現実世界では互いに競争し、隙あらば蹴落とそうとしている間柄なのだから当然と言えば当然である。

「そうなんだけどな。ただ、あそこもエネミーを捜索している様子がある」

「それはそれで結構じゃないか。何か問題があるのか?」

「ないと言えばないんだが、こんな時まで単独行動するつもりなのかとな」

 ホルストは、現在のメトロポリスにおけるローエングリスのトップであるヒュームの顔を思い出していた。今までに何度も会ったことのあるあの男は、一言で言えば信用できない男だった。傲慢で、人を人とも思わない。他人を使い捨てることも陥れることも当然と思っていた。

 そんな男が何かやろうとしているのである。いつものこととは言え、楽観的に考えるのは危険だとホルストは感じた。

「……やはり、放っておくのは危険か。デニス、ローエングリスの動きにも注意しておいてくれ。こちらの方でも注意はしておくが、念のために頼む」

「ああ、分かった。おまえが言うなら気をつけておこう」

 デニスのその言葉に、ホルストは思わず口の端に笑みを浮かべた。

「閉じ込められてからの付き合いだが、おまえがいてくれて良かったよ」

「ははっ。それはお互い様だ。そのうち、一緒に飲みに行こう」

 そんなデニスの言葉にホルストは心の底から頷いたのだった。



 その、マージナル社に警戒されているヒュームは部下から報告を受けていた。内容はマーダーズの拠点と思われる箇所が何カ所か襲われ、食い散らかされた死体が転がっていたというものである。ちなみに、行方不明になったチームも出ていたが、それがヒュームの関心を引くことはなかった。

「なるほどな。……人喰いの化け物か」

 人を喰う生物というのは現実世界にもそれなりにいる。虎や熊もそうだし、鰐や大蛇もそうである。ピラニアなども有名どころだろうか。だが、それでも武装した十人もの人間をどうにか出来るような生物はいなかった。

 正直、余計なちょっかいを出される前に潰すつもりだったのだが、それだけの事が出来ると知ってヒュームの気は変わった。

(使えるか?)

 銃を持った人間をものともしないエネミーを手駒に出来れば、いろいろと使い勝手がいい。

 何しろ、この世界では銃は補充が効かない消耗品なのだ。強力な武器ではあるが、使い切ってしまえばそれまでだった。それを考慮すると、使い減りのしない兵器というのは魅力的だった。

 餌に少々問題があるようだが、余程の大食いでもない限り問題はないだろう。

 しかし、そうなると是が非でも他の連中よりも先にエネミーを発見し、確保する必要があった。一方で、その力が未知数である以上、捕獲時にはある程度弱っている方が好ましい。

(となると、ある程度他の連中とやり合わせた後の方が良いか)

 そう判断したヒュームは、リカードを呼んだ。

「何をやらせるつもりですか?」

 部屋に到着早々、リカードはヒュームにそう訊いてきた。

「ちょっとした工作だ」

「なるほど。……単純な仕事じゃないみたいですね」

 リカードのその察しの良さに、ヒュームは口の端に微かに笑みを浮かべた。常々思っていることだったが、これくらい察しが良い部下が相手だと、説明も楽だった。

「例のエネミーの件だ。ワッツハイムとマージナルに手伝って貰おうと思ってな」

「つまり、それとなく情報を流せと」

 実に察しが良い返事にヒュームは軽く頷くと、説明を続けた。

「ただし、エネミーは基本的に生け捕りが前提だ」

「なるほど。そういうことですね」

 もう、それだけでリカードは、ヒュームの考えていることをあらかた察したらしい。

 要するに、エネミーを捕らえるに当たって出るであろう被害を、ワッツハイムとマージナルに押しつけることを、である。より詳細に言うならば、ワッツハイムとマージナルが追い詰め、弱らせたエネミーを横から掻っ攫うつもりだった。

 とは言え、ある程度の説明は必要だった。

 勿論、使い物にならないなら捕獲するつもりはない。ワッツハイムとマージナルの部隊に殺される程度なら、そもそも必要ない。

 理想は、エネミーがワッツハイムとマージナルの部隊を全滅させた上で、適度に弱っている状態を捕獲することだった。

 ざっとそこまで説明すると、リカードは少し考えた後、

「分かりました。なんとか出来ると思います」

 そう答えた。

「なら、後は任せる。ワッツハイムとマージナルには気づかれるな。そこだけは注意しろ」

 流石にカンパニーユニオンに所属している他の企業を攻撃したとあっては、いくら何でも後が面倒になる。いくらヒュームといえども、他の全てを敵に回しても勝てるとは考えていなかった。勿論、勝てるなら遠慮などする気もないが、今はその時ではない。

 そこまで説明したところで、ヒュームはあることを思い出した。

「あの女にも伝えるべき指示がある」

 そう言って、思い出したばかりの指示をリカードに伝えたのだった。



 その日の夕方。

 巡回から戻ってきたところを風間に呼ばれ、グランスとディアナは風間の執務室へと足を運んでいた。

「前に話していたワッツハイムとの会談だが、来週行うことになった」

 グランスとディアナが来た早々、風間はそう口を開いた。

「来週? エネミーの件が片付くまで待つんじゃなかったのか?」

「事情が少し変わった。エネミーの縄張りらしき範囲が絞り込めてきた。それがあっちの方だったから、まあ言ってしまえば援軍みたいなものだな」

「つまり、こっちは大丈夫だということか?」

 グランスの確認に風間は頷いた。

「縄張りらしき範囲はここからかなり離れている。こっちは多分大丈夫だろう」

「多分、なのじゃな」

「流石に絶対とは言えないな。それで、日程に問題はないか?」

 風間はそう訊いたが、実のところ、答えは分かり切っていた。

 何しろ、蒼い月には何の予定も入っていない。正確に言うならば、風間の方から頼んでいる巡回などの仕事くらいしかないため、スケジュールに問題がないことは既に把握していた。それでも訊いたのは、単なる礼儀と言うべきか。

 実際、グランスとディアナは少し予定を確認した後、

「それで問題ない」

 と答えた。

 その後、スケジュールの詳細などについて風間から説明を受けたグランスとディアナは、仲間達の待つ部屋へと戻った。

「それでっ! どんな話だったの!?」

 部屋に戻った二人を出迎えたのは、妙にテンションが高くなったリリーだった。どうやら、風間からの話の内容を察している、というか良いように予想していたらしい。

 幸いにもその予想が外れなかったことに内心胸をなで下ろしたグランスとディアナは、リリーをなだめながら部屋へと入った。

「結論から言うと、延期になっていたワッツハイムとの会談をすることになった」

 椅子に座ったグランスがそう言った途端、リリーの顔が喜色で塗りつぶされた。

「ホントにっ!? いつ!?」

「明後日に出発。四日かけて移動して、翌日に会談の予定だ」

「そっか~」

 そのまま、夢だか妄想だかの世界へ旅立ったリリーはさておき。

「四日って、思ったより移動に時間がかかるんですね」

 リリーの感情に当てられたのか水差しの水がちゃぷちゃぷと踊る音を聞きながら、アカリがグランス達にそう訊いた。

「エネミーの縄張りがある程度特定されたらしいんだが、そこを避けて移動するとそれくらいはかかるらしい」

「縄張り……ですか」

「既に10カ所以上、エネミーが暴れた痕跡が見つかっている。そこから予測したそうだ」

 実のところ、予測されたエネミーの縄張りはそれほど広くはなかった。直径にして5kmもない。ただ、そのギリギリを通るようなルートは流石に避けられたのだった。

「それにしても、どんなエネミーなんでしょうか」

「さあのう。少なくとも、銃でどうにかできるような相手ではなさそうじゃな。それに、大きさもそれほど大きくはあるまい」

「どうして分かるんですか?」

「現場ではエネミーに銃で対抗しようとした跡があったそうじゃからな。銃でどうにかなるなら、とっくに倒されておるじゃろう」

「そう、ですね。それで、大きさの方は?」

「現場の半分以上が建物の中だそうじゃ」

 それでアカリも大きさについて理解した。体高が何mもあるようなエネミー――アカリは見たことはないが――では、建物に入れないだろうと。

 ただ、グランスとディアナが妙に難しい顔をしていることにも気づいてしまった。

「……まだ、何かあるんですか?」

 そのアカリの質問に、グランスとディアナは視線で相談すると、口を開いた。

「ここにはレックもいないしいいだろう。……多分、今回のエネミーは人型だ。それも少しだが知能があるタイプだ」

「それってどういう?」

「キングダムであった魔法使い殺しの件は知っておるか?」

 ディアナの確認に、アカリは首を振った。毎日を生きるのに精一杯だったあの村では、キングダムは遠すぎて、メトロポリスよりずっと良いらしいという噂以上の話は聞いたことがなかった。

「じゃろうな。ならば、そこから説明することとしよう」

 そう言って、ディアナは魔法使い殺しのことを説明し始めた。途中、明らかにアカリの顔色が悪くなったが、それでも一通りの説明を終える。

「それって……結局なんだったんですか?」

「分からんよ。一説には人間にエネミーが憑依したなどというのもあったがのう」

 その説は結局支持も証拠も得られなかったが、それでも一種の都市伝説として今でも根強く残っていることを、ディアナ達は知っていた。が、今はそれは重要ではなかった。

「問題は、それがあまりに狡猾だったということじゃ。それ故に被害が拡大したからのう」

「そうだな。あれがもう一度出てくるとなると……」

「そのつもりで事に当たらねば、冒険者と言えども返り討ちに遭うじゃろうな」

「でも、そんなことって……」

 アカリは否定して欲しかったが、グランスもディアナもあっさり首を振り、

「最悪のケースとして想定しておく必要はある。後から慌てても遅すぎるからな」

 そう言ったのだった。



 ソレはここ数日、始終機嫌が良かった。

 新しくお気に入りの寝床を見つけられたこともそうだが、良いペースで獲物が向こうからやってきてくれるからだ。おかげでココにやってくるまでに消耗した力もだいぶ回復してきたし、新しく作ってみた(しもべ)達の数も順調に増えてきていた。

 この調子でいけば、このメトロポリスという都市にいる冒険者達を狩れる日もそう遠くはないだろう。そうすればもう、ソレを脅かす者はこの都市にはいない。残った獲物を悉く食らいつくし、十二分に力を蓄えた上で、キングダムに舞い戻り、冒険者達を食らえるだろう。

 そう言えばとソレは思い出した。

 ソレにはもう一体、仲間がいたはずなのだが、キングダムに残ったアレは今、どうしているのだろうかと。

 いや、別に気にする必要もないだろう。自分が十分に力を蓄えれば、アレは別に要らない。自分だけで目的は果たせるはずだった。

 どうやら、今夜も近くに獲物が来ているらしい。

 そんな気配を感じ取ったソレは、僕達に念話で獲物の退路を塞いでおくように指示を出すと、背中からコウモリのごとき翼を広げ、夜の超高層建築の森の隙間へと飛び立った。

 だが、ソレは結局、自身が観察されていることには気づかないままだった。



「醜悪」

 超高層建築の屋上でそう一言だけ呟いたのは、黒いゴスロリ衣装に身を包んだ銀髪の少女――エセスだった。『魔王降臨』から4年近く経ってもさっぱり成長しない自らの身体を、所詮はゲームのアバターだからと慰めているのは、本人しか知らない秘密だったりする。

 その横には当然のように、空色の髪の青年――ロマリオが立っていた。

「そうだね。でも、あれは必要な存在だ。この世界を人の身体に例えるならワクチンだ」

 ロマリオのその言葉に、エセスは何も言わなかった。

 言っていることは理解している。何しろ、メトロポリスの中央に座する風の精霊王から直接教えられたのだから。

 それでも、眼下を飛び去っていったソレが醜悪であることに変わりはなかった。できれば、今すぐ叩き潰してしまいたいほどに。

 それをしなかったのは、ソレがこれから果たすべき役割を理解していたからだった。

 勇者にはソレと戦った経験が必要なのだ。倒せなくても良い。戦うことそのものが必要なのだ。風の精霊王はそう言っていた。いや、正確には予言者からの伝言として伝えられた。

 そんなエセスの様子を気にした様子もなく、ロマリオは言葉を紡いだ。

「ここでの僕たちの役割は2つ。1つは、その戦いを見届けること。そしてもう1つは……」

 ロマリオはメトロポリスの外縁部へと視線を向け、

「………………すること」

 その声はあまりに小さく、ロマリオ自身の耳にすら届かなかった。

 それでも、エセスにはロマリオが何を言ったのか分かった。

「大丈夫」

 エセスがロマリオの服の裾を掴んでそう言うと、エセスへと視線を転じたロマリオが内心を隠すように穏やかな笑みを浮かべた。

「ああ、そうだね。でも、出来ればそろそろエセスはこの役目から解放されても良いと思うんだけど」

「論外」

 しかし、エセスにそんな選択肢はなかった。予言者からの接触があったあの日から。予言者は選択肢は残してくれていたが、あれを見せられて他を選択することなど出来るはずもない。

 それに、間もなくこのメトロポリスでロマリオが行うべき事は、ロマリオの心に大きな負荷をかけるはずだった。その時、隣にいないで何が兄弟弟子か。いつかはロマリオも自分も別々の道を歩むことになるだろうが、それまではロマリオから離れるつもりは、エセスにはないのだった。



 夜の闇に包まれたある超高層建築の一階で、

「……おい。なんか変な音がしないか?」

 調査のためにメトロポリスの大半を占める無人街区の一角へとやってきていたのメンバーの一人がそう言った。

 5人からなる彼らは、ヒュームの命令でこの辺りを調べて回っていた。

 なんで調べるのか、その理由は教えられていない。下手に知ろうとすれば、粛正の対象となるのだから、知ろうという気も起こらなかった。今のローエングリスでは上からの命令には素直に従うこと。それだけが生きていくコツだった。

「そうか? 俺には何にも聞こえないが。おまえはどうだ?」

「俺も何も聞こえないな。その音ってどっちから聞こえてきたんだ?」

 仲間達がそう言う中、最初に声を上げた男ももう一度耳を澄ました。

「……すまん。俺の気のせいだったみたいだ」

 仲間達の言うように、超高層建築の間を吹き抜けていく風の音以外、何の音も聞こえず、男はそう謝った。

「気にするなって。こんなとこだ。何か聞こえたような気にもなるさ」

 あっさりと男の謝罪を受け入れた仲間達は、そのまま寝る準備を進めていた。

 メトロポリスでの野営は適当な超高層建築に入り込み、そこで一夜を明かすのが通例だった。念のため、その建物に何か入り込んでいないか調べたりするが、それで何もなければそのままそこで夜を明かす。雨風を簡単に凌げるので、寒くもない今の季節なら簡単なマットを広げて寝る準備は終わりだったりする。

 そんな準備がほぼ終わった頃。

「……いや、確かになんか聞こえる」

 最初の男とは別の男がそう言いだした。

「ははっ。寝る前に怪談でもする気か?」

「おう。それいいな」

 さっきのことがあった直後だけに、誰一人として男の言葉を信じようとしなかった。

 が、すぐに彼らは静かになった。

 ドンドンドン

 何者かが男達のいる建物の入り口を叩いた。

 それも、何度も何度もしつこく。

「おい」

 小さな声でチームリーダーが仲間達に合図を送ると、全員が即座に起き上がり、武器を構えた。

 はっきり言って、こんな時間に建物の入り口をぶったたくなど、まともじゃない。余程の馬鹿かあるいは……

 上からは無駄な交戦は避けるようにとの指示が来ていたが、やむを得ない場合は現場の判断に任せると言われていた。

 カンパニーユニオンとか話の通じる相手なら良い。だが、マーダーズだったら?

 リーダーは少し悩みはしたものの、結論が出るわけはないとすぐに様子を見に行くことにした。

「一人付いてこい。他は少し距離をとって付いてこい」

 そう指示を出し、建物の入り口へを向かう。

 その間も、入り口を叩く音は断続的に続いていた。

「なんなんだ、一体?」

 その異常性に困惑しつつ、男達は入り口へと向かっていく。

 正直、着いてすぐに入り口を叩いている馬鹿者を射殺してもいいんじゃないか。リーダーはそんな気分になりつつあった。

 何しろ、超高層建築の下層階は、原則としてほとんど全ての扉が解錠されているのだ『魔王降臨』直後からそうで、メトロポリスに住む者全ての常識と言っても良かった。

 にもかかわらず、入り口を叩き続ける。その行為の異常性は、ここにいる全員が共有していた。

 やがて、入り口が見えてきた時、男達はなんとなくホッとした。

 ほとんど真っ暗なためよく見えないが、それでも入り口を叩き続けている人影が1つ見えたためである。

「ったく、どこの馬鹿だ」

 小声でそう罵ると、リーダーは仲間達を待機させて一人、そっと入り口へと近づいた。勿論、銃はいつでも撃てるように構えたままである。

 その間も人影はドンドンと入り口を叩くのをやめなかった。

 そのことに眉を寄せながら、リーダーは人影に気づかれないように慎重に入り口へと近づいていく。

(そろそろ、こっちに気づいてもおかしくないか)

 建物の中の方が暗いため、外からこちらの様子は見えないだろう。だが、ある程度近づけば流石に気づかれるはずだった。その前に、相手の正体を確認し、必要なら攻撃する。

 いや、こうして何も考えずに入り口を叩き続けているということは、この人影は男達がここにいることを知らずにやっている可能性もある。それなら、こっそり引き返して、音が届かないようにもう少し上の階に潜り込むのもありかと、リーダーは考えた。

 それでも、相手を確認しておく必要はある。武装しているようなら、隠れるつもりで上に上がらなくてはならないからだ。

 そして、その懸念は残念ながら当たってしまった。

(ちっ)

 どうやら、この馬鹿者は銃を持っている。面倒な相手だ。

 ただ、この距離まで近づいたというのに、馬鹿者は入り口を叩くのをやめる気配がなかった。それどころか、中の様子を(うかが)おうともしていない。

 そこでリーダーはふと気づいた。

(こいつ、いつから入り口を叩き続けている?)

 超高層建築の建材はいずれも頑丈極まりない。今でこそぼろぼろに見えるのだが、ソレは汚れがこびりついているだけで、きれいに洗ってやれば傷一つない壁や窓が姿を現す。

 そんな入り口にこれだけの音を出させるほどとなると、結構な力で叩かないといけないはずだった。にもかかわらず、この人影はずっと叩き続けている。

 何か、猛烈に嫌な予感がした。

 すぐに引き返して、できる限り上の階に隠れた方が良い。

 リーダーがそう考えた時だった。

 不意に入り口を叩く音が途絶えた。

 何事かと人影の方を見たリーダーの背中に寒気が走った。

 人影がこっちを見ていたのだ。

 それも何人も何人も。

 それを見た瞬間、リーダーは気配を殺すことも忘れ、全力で仲間の元へ走った。

「逃げろっ! あれはやばいっ!」

 なぜそう思ったのかは分からない。だが、仲間達も同じように感じたのだろう。リーダーに何故だと訊くこともせず、全員がリーダーの後を追って駆けだした。

 直後、入り口が開く音がして、それに無数の足音が続いた。

「なんなんだ、あれ!」

「分かるかよ! 兎に角なんかやばい!」

 そうして、奇跡的に何にも躓かず、ぶつからず、10階分ほど一気に駆け上がった後、やっと男達は一息吐いた。というか、逃げるペースを落とさざるを得なかった。体力的な問題である。

「どこにあんな人数が隠れてたんだ?」

 10階程度ではすぐに追いつかれるため、足音を殺して階段を上りつつ、男達はさっきの連中について話していた。

 少なく見積もっても、さっきいた連中は4~50人はいた。この辺でそんな人数が動いているという話は聞いていない以上、どこかの調査チームではないだろう。マーダーズにしても、さっぱり撃ってこなかったのはおかしい。

「ひょっとして、はぐれの連中か?」

「ちがうだろ。はぐれは武器なんか持ってない。そもそも、あんな人数で集まることもないはずだ」

 誰かがそう言ったが、リーダーがすぐに否定した。

 ちなみに「はぐれ」とは、カンパニーユニオンにもガバメントにも、その他、メトロポリスに存在する中規模以上の組織いずれにも属さず、メトロポリスの各所に存在する公園などで畑を耕し、細々と自給自足をしている集団のことである。基本的に人数が少なく、その畑の規模も小さいため、マーダーズを除けばどの組織もわざわざ探し出して吸収、あるいは潰すような真似はしていなかった。

 ただ、そのはぐれにしてもおかしいとリーダーは断言した。そもそも、こんな夜に彷徨く理由が分からない。

 一方で、あそこで逃げたのは失敗だったかとリーダーは思い始めていた。

 訳の分からない恐怖に追い立てられて逃げてしまったが、冷静になってみると相手は銃を持っているのにもかかわらず撃ってこなかった。ならば、話し合いの余地があるかも知れない。

 マーダーズだとそうも行かないが、マーダーズなら初っぱなから撃ってきていただろう。なら、大丈夫のはずだ。

 そう結論づけたリーダーは足を止めた。

「どうした?」

 つられて足を止めた仲間達が声をかけてきた。

「いや、考えてみたら逃げる必要があったのか、とな。話してみても良かったんじゃないか?」

 そうして仲間達に考えを話すと、「確かにそうだな」と次々に賛成が得られた。

「よし、なら戻るぞ。うまくいけば、何か分かるかもしれん」

 そう言って踵を返したリーダーの足が微かに震えていたのは、先ほどの恐怖故だろうか。

 勿論、互いの影が分かるのがやっとというレベルの暗闇の中で、そんなことが分かる者はいない。だから、全員が震えていることに気づいた者はいなかった。

 そうして、慎重に入り口を目指してゆっくりと男達は階段を降りていった。

 ただ、妙なことにあれだけの人数の足音が聞こえてこなかった。

「追いかけてきてないのか?」

「こんな暗いんだ。案外、入り口で止まってるんじゃないか?」

 小声でぼそぼそと話し合う仲間を連れ、リーダーは2階まで降りてきた。ここまできても、足音一つ聞こえない。

 そのことに不気味さを感じながらも、リーダーは腹に力を入れた。

「おい、いるんだろう?」

 思い切って出した声は、建物の中へと軽く反響しながら消えていった。反応は……ない。

「さっきは逃げて済まなかった! 聞こえていたら返事をしてくれ!」

 もう一度叫んでみたが、やはり反応はなかった。

「……無視されてるじゃないか?」

 誰かがそう言った。そこには冗談っぽさが混じっていたが、リーダーも誰も咎めなかった。

 さっきの連中を探して降りるべきか。

 それとも安全をとって上に待避すべきか。

 だが、それを悩んで決定する時間はリーダーには与えられなかった。

 バサリと音がした。

「え?」

 思わず振り返るが、何も変わったところはない。

 そう思った次の瞬間、ぐちゃりと音がした。

 そして漂ってきたのは……血臭。

「っ! 撃てっ!」

 異常事態が起きていると判断したリーダーは、自らも銃を構えながらそう命令した。

 直後、銃声と同時に再びぐちゃりという音がして、血臭がいっそう強くなった。

 それで二人やられたと察したリーダーは、新たに指示を出した。

「通路に逃げる! 付いてこい!」

 そしてぐちゃり。

 付いてきた足音は既に一つになっていた。

「なんなんだ、なんなんだよぉ!!」

 ただ一人付いてきた仲間がそう叫んだ。

「知るかっ! 兎に角、ここなら当たる! 迎え撃つぞ!」

 リーダーはそう命令を出すと、後ろを振り返りざまに撃った。仲間は少し横にずれていることは足音でなんとなく分かっていた。

 その銃声でやるべき事を思い出したのか、仲間も振り返りざまに2発撃った。

「……やったか?」

 それを言ったのは自分の口だったか。

 乾ききった唇を舐めながら、リーダーはそう考え、

「っ!」

 通路の向こうで何かが動いたような気がして、再び発砲した。

 つられて一人だけ生き残った――既に他の三人は死んでいる、何故かそう確信していた――仲間も発砲する。

 だが、通路の向こうで揺れていた影は何事もなかったかのようにすーっと近寄ってきた。そんな気がして、

 ぐちゃり

 その音がしたのは、仲間の方からだったか。それとも自分の腹からだったか。

 それすら分からないままに、リーダーの意識は暗転したのだった。



 この夜、ヒュームが放った調査チームがまた1つ、消息を絶った。

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