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ジ・アナザー  作者: sularis
第十五章 シティ・メトロポリス
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第十五章 第九話 ~模擬戦~

 太陽もほぼ天頂に達した頃。

「こっちに来るのは久しぶりだけど……」

 そう呟きながら、ストレートの黒髪を肩下まで伸ばした一人の女性――紗耶香がメトロポリスの通りを歩いていた。身体の線を完全に隠すようにコートをがっちり着込んでいるせいか、その額は軽く汗ばんでいた。

 ただ、紗耶香自身、そのことは一切気にとめていない様子だった。むしろ、周囲の様子とか自らに向けられる視線とかに注意を払いつつ歩いていた。

「こっちも前より活気が無くなってるみたいね……」

 少し前までメトロポリスを離れて略奪部隊と行動を共にしていた事を考えると、この前来たのはもう半年以上も前になるだろうか。確かその時はヒュームと一緒だった。

 戻ってきたときにもヒュームの所でも感じた事だが、このベルザの所もまた、活気が無くなってきているように紗耶香には感じられた。

 だが、

「……それでも、まだマシよね」

 略奪部隊と行動を共にしている間に見た、メトロポリス各地の町や村の様子を思い出し、紗耶香はそう呟いた。

 メトロポリスに比較的近い町や村は、それらが荒れるとメトロポリスも困るため、カンパニーユニオンやガバメントが積極的に保護している。支配権を巡る争いもある事はあるが、本格的な戦闘を行うとその後のフォローが出来ないため、ちょっとした小競り合い程度にとどまっている。そんなわけで、それらの町や村は比較的活気があると言って良い。むしろ、超高層建築で空が見えないメトロポリスより活気があるところも珍しくない。

 ただ、メトロポリスから離れた町や村はそうではなかった。

 メトロポリスの勢力からすれば、十分な支配も管理も出来ないそれらの町や村は、維持しても意味が無い。そのため、拠点たり得る一部の町や村を除けば、略奪対象でしかなかった。略奪された町や村のその後は推して知るべし、である。

 最近、宗教系武装集団が勢力を伸ばしつつあるとは言え、略奪部隊の餌食となった町や村の事を考えれば、今のメトロポリスはまだまだマシな方だと言えるのだ。

 それでも、このまま活気が無くなっていけば、その活気が失われていっている原因が悪化すればどうなるか。

「……それは私の考える事じゃない」

 あの時から、余計な事は考えない事にしたのだと紗耶香は首を振った。

 代わりに今の自分に与えられた命令を思い出す。

 命令の内容は単純だった。

 最近、このメトロポリスに来たばかりの冒険者三人がベルザのところでどう動くか。その監視である。

『彼らの行動次第では、独断で始末しても構わん』

 ヒュームが付け加えた一言さえなければ。

 キングダムの冒険者は基本的に日本人だという話なので、出来れば彼らには余計な事はして欲しくない。そんな事を考えつつも、紗耶香は、彼らの行動次第では躊躇う事無く、彼らに向けて引き金を引くつもりだった。

(死んでも戻れないなら……生き残るしかないもの。もう、彼に合わす顔がなくても……)

 もう、朧気にしか思い出せなくなってしまった愛しい恋人の顔を思い出しながら、紗耶香は活気の無い通りを歩き続けた。



 さて、正午過ぎ。

 ベルザは再び、レック達と面会していた。作戦参加の答えを聞くためである。

「……そんな訳や。殺さへんでええんやったら手伝わせて貰うけど、殺すんが前提やったら悪いんやけど今回は遠慮させて欲しいんや」

 半ば予想していたとは言え、そんな玉虫色のチキン回答が出てきた事に、ベルザは思わず溜息を吐きそうになった。代わりにジェレッド達をじろりと睨み付けると、慌てたようにジェレッド達が首を振った。

(確かに、彼らに責任はないのだけど……)

 実際、ジェレッド達は昨日初めてレック達と顔を合わせたというのだから、彼らに何かが出来るはずもなかった。ジェレッド達を睨み付けたのは、ベルザのちょっとした八つ当たりである。

 故に、ベルザはあっさりとジェレッド達をその視線から解放すると、準備していた言葉を1つ選び、口にした。

「分かったわ。無力化さえしてくれたら問題はないわ。ただ、相手はこっちを殺そうとしてくるの。無力化に時間がかかって、こっちの被害が増えたら、責任、取れるかしら?」

 マージン達の要求を飲むふりをしつつ、それで出るかも知れない被害を提示する。もしここで更に腰が引けるようなら、マージン達は使わない方が良い。いくら身体能力が高くとも、足手まといにしかならないからだ。

 しかし、マージン達の反応はベルザの予想とは異なっていた。

「取れへん。やけど、わいらが出た方が間違いなく被害は減るで?」

 腰が引けるのでもなく、覚悟を決めるのでもなく。

(……開き直ったわね)

 ベルザは思わずこみ上げてきた笑いの衝動を抑え、開き直ったマージン達を作戦に組み込んだ場合に起きうる事態を考えてみた。

 だが、どう考えても覚悟が出来ていないというだけで、人死にを見た瞬間に動転するだろう。後はもう、坂道を転がり落ちるがごとく、状況は悪化する。

 となると、いっそのこと作戦に組み込まない方が良いのだが、マージンの言葉ではないが、冒険者三人という戦力を遊ばせておくのは、あまりにも勿体ない。

「……質問を増やすわ。目の前で人が死んでも平気かしら?」

 その質問を受けた瞬間のレック達の反応は見事に3つに分かれた。びくりと震えたのがレック。苦い顔になったのがクライスト。ケロリとしていたのがマージンである。

 その反応だけで、やはりレックは使い物にならないとベルザは判断した。

 はっきり言って、威嚇だの偵察だのを目的とした戦闘を別とすれば、戦闘で死人がほとんど出ない事など期待できない。そして、今回は敵勢力の撃退、あるいは掃討を目的としている。つまり、何人も何十人も死ぬのは確定している。

 そんなところに、レックを送り込めばどうなるかは容易に想像できた。

 一方、クライストについては判断が難しいところだった。もう少し情報がいる。

 だから、ベルザは素直に訊いてみた。

「クライスト。あなたは人が死ぬところ、見た事あるのかしら?」

「……ある」

 苦々しい顔でそう答えたクライストに、ベルザは軽く驚いた。だが、見た事があってあの程度の反応であれば、余程の事が起きない限り問題はないだろう。

 ちなみに、マージンに関しても確認しておく事にした。尤も、あまり期待はしていなかった。

「マージン、あなたは?」

 そう訊かれたマージンは、ちらりとレックへと視線をやり、

「出来れば、こんな話は長引かせとうなかったんやけどなぁ」

 と溜息を吐き、

「正当防衛でやけどな。こっちの経験ありや。それでも出来ればやりたあないんやけどな?」

 レックから見えないように自らの首の横で手を動かしながら、そう答えた。

 その答えに驚きつつも、どうやらレック以外の二人は使えそうだとベルザは判断した。後はクライストとマージンの能力を確認しておきたいところだが、今までにベルザ自身が見てきた冒険者の力を考えれば、問題はないだろう。

(簡単には確認させておかないといけないけど、それは誰かに任せれば良いわね)

 となると後は、どうやってレックだけを作戦に参加させないか、である。

 尤も、それは問題ではないとベルザは考えていた。

「……分かったわ。それじゃ、予定通り手伝って貰う事にするわ。条件はそっちの言ったとおり、敵を無理に殺す必要はないわ」

「了解や。んで、報酬やけど」

「予め伝えてあるように寝床と食料の提供くらいは出来るわ。後は約束しかねるわね。……この街の状況、分かってるでしょう?」

「そうやけど……こっちも危ない橋は渡るんや。もう一声、何かあらへんのん?」

「……そうね。あなた達が何でメトロポリスまでやってきたのか。その目的を教えてくれたら、考えても良いわ」

「わいらは冒険者や。魔王を倒すためのヒントを探しに来たに決まっとるやん」

 あまりにもあっさりマージンが答えたために、ベルザは一瞬、耳を疑った。

 ベルザも、カンパニーユニオンが捕らえた冒険者の一人からの情報として、キングダムに大陸会議なる組織が成立し、魔王を倒すための情報を収集している事くらいは聞いている。それを考えれば、マージンの言葉は特におかしなものではない。

 ただ、だからといって素直に信じられるわけでもなかった。

 嘘とは限らない。ただ、他の目的がある。それくらいは想定しておくべきだ。

 だが、今この場でそれを暴く必要もなかった。それに、その目的についてであれば、多少の協力は吝かでもない。むしろ、目処が立っているなら積極的に協力しても良いくらいだ。

「そうね。それなら、関係ありそうな情報があれば提供するというのはどうかしら?」

 ベルザの申し出に、マージンはあっさりと頷いた。

「これで話はまとまったわね。後は外に担当者がいるから、彼から話を聞いてちょうだい……それと」

 そこで視線をレックに移し、ベルザは言葉を続けた。

「レック。あなたには少し話があるの。ちょっとだけ残って貰えるかしら?」

「僕に?」

 立ち上がりかけていたレックは首をかしげ、それから意見を求めるかのように仲間達へと目をやった。

「俺達が一緒じゃ駄目なのか?」

「出来れば、レックだけがいいわね」

 ほとんど初対面のためか、レックにだけ用がある事情というのがクライストには理解できなかった。

 かたや、マージンはというと、

「部屋の前では待たせてもらえるなら構わへんで?」

 全く木にしていない様子で、妙に(にこ)やかにそんな事を言った。

「部屋の前で待つのは構わないわ。ただ、ちょっと時間がかかるかも知れないけど、いいかしら?」

「あ、うん。それじゃあ……ちょっと待っててくれる?」

 ベルザに押し切られるようにレックがそう言うと、生暖かい視線をレックにやっていたジャレッド達と共に、クライストとマージンも部屋を出ていった。

「さて、と」

 レックと二人きりになった事を確認したベルザは、今まで座っていたソファから立ち上がった。

「えっと、話って?」

 そして、そんな事を言っているレックの隣へと移動すると、ゆっくり腰を下ろした。

「え? ちょ、ちょっと!?」

 突然の事にベルザから距離を取ろうとするレックだったが、生憎と座っていたのがソファの端だったため、すぐに肘掛けにぶつかってしまった。

 そんなレックの様子にしっとりとした笑みを浮かべながら、ベルザはレックの左頬を撫でた。

「話というのはね、君の話を聞きたいの。駄目かしら?」

 そのまま左手でレックの右腕を押さえ、ついでに自らの胸をレックへと押しつけた。

「いやっ! これ話とかじゃないしっ!」

 事ここに至って、レックにも何が起きているのかやっと理解できた。

 勿論、サビエルの記憶の中にはそういう経験もあった。だが、自身が体験する事になるとは思っていなかったレックは、気がつくのが遅れたのだった。

(ちょっと勿体ないけどっ!)

 正直、このまま流されたい気持ちもあったが、部屋の前にはクライストとマージンがいる。その二人からアカリにも話されたら……

 そう考えた瞬間、レックにこのまま流されるという選択肢は消え失せた。

 そして、そうと決まればどうとでもなる。

 軽い身体強化を走らせるだけで、レックの力は下手な機械をも上回る。それを力尽くでどうにか出来るのは、同じように身体強化を使った冒険者だけだった。勿論、レックに撓垂れかかっているベルザにどうにか出来るわけもない。

「えっ?」

 これから得られるはずの快楽に意識を持っていきかけていたベルザは、いきなりレックがびくともしなくなった事に驚きの声を上げ、次の瞬間にはレックに逃げ出されてしまっていた。

『悪いが、そういう事にはつきあえない』

 見かけによらないレックの力に驚いていたベルザの耳に、英語でそんな言葉が聞こえ、そのまま扉が開いて誰かが出て行く足音だけが残された。


「お、早かったな。どんな話だった?」

 部屋を逃げ出してきたレックに、少し離れた所で壁により掛かっていたクライストがそう声をかけてきた。

「え? あ、いや。大した話じゃなかったよ」

「そうか? ってか、なんでそんなに汗掻いてんだ?」

「部屋ん中で何かあったんやろ」

 そんなマージンの言葉に、先ほどのベルザの様子を思い出してレックは一瞬固まりかけた。

 それでも誤魔化さないとこの後がいろいろやばい。が、そう都合の良い言い訳が出てくるわけもない。

「ちょっと部屋の中が暑かっただけだよ」

 などと言ってしまった後で、レック自身、今のはないと思った。

 幸いな事にクライストもマージンもそれ以上は追求してこなかった。

 ただ、ふと気がつくとジャレッド達が妙な視線を向けてきていた。ひょっとしなくても、あれは今部屋の中で何が起きようとしたのか知っているのだろう。尤も、敢えて藪を突く趣味はレックにはなかった。

 そんな事をレックが考えていると、

『とりあえず、全員揃ったな』

 ジャレッド達と共にいた知らない男がそう声を発した。

『俺はシモン・ドニ。副社長の元で部隊を1つ任されている。今回の作戦の責任者でもある。君達6人……にはこれからしばらく俺の指揮下に入ってもらう』

 レックが出てきたばかりの扉を気にしつつ、シモンはそう言った。

『6人? ジャレッド達も参加するのか?』

『まだ言っていなかったのか』

 シモンに訊かれ、ジャレッドが頷いた。

『言わなくてもすぐ分かる事だと思いましたから』

『だが、知っておくべき事は予め教えておくべきだ。連絡不足が重大な事態に繋がる事もある。少なくとも、俺の指揮下にある間はそのつもりでいて貰おう。良いな?』

 シモンがきつめにそう言われ、ジャレッド達は真剣な顔になり一斉に頷いた。


 カンパニーユニオンでは、上の命令を聞けない人間にはかなり厳しい罰が待っている。警察などがいないため、その中には処刑すら含まれるほどだ。ジャレッド達が全く反抗する素振りすら見せなかったのはそれが理由だった。

 実のところ、それは冒険者達にも適用されるのだが、冒険者の能力を考えると、扱い方も分からないうちから無茶な命令や処罰は控えられていた。勿論、ヒュームは使えないとか害にしかならないと判断した時点で、即座に相応の処置を執るつもりであるが。


 それはさておき。

 ジャレッド達が素直に頷くのを確認したシモンは、次にやるべき指示を出した。

『それでは、まずはマージン、だったか? 君達がどの程度動けるか見せて貰う。ついてこい』

 そうして案内されたのは、同じ建物の中庭だった。とは言え、超高層建築の低層階にある庭から空が見える事はない。

「10階分くらいの高さかな」

 天井を見上げてレックが言ったように、吹き抜けによって大きな空間を確保しているだけだった。空まで吹き抜けさせると、数百mにも及ぶ長大な吹き抜けになってしまうだけに、無理もない。

 一方、天井はあれども、中庭はそれなりに明るかった。曇り空程度の明るさはあるから、下手をするとメトロポリスの街路よりも明るいかも知れない。

 レックはそれが不思議だった。何しろ、今のメトロポリスは人口の光源などない。つまり、どこにも窓のない空間は真っ暗になるはずなのだ。

 そのことをレックが口にすると、マージンから即座に答えが返ってきた。

「太陽光を取り入れる光ファイバーでもあるんやろ。まあ、ちょっと汚れてきとるみたいやけどな」

 とは言え、入ってくるのは光のみで、流石に雨までは入ってこないらしい。

「……乾ききってるな」

 ちょっと足の先で蹴るだけで砂埃が舞い上がる地面に、クライストが顔を顰めた。こんなところで派手に動いたら、それだけで大変な事になりそうだ。

 ただ、シモンもその辺の事は分かっていたらしい。レック達が案内されたのは、中庭の一角にある元はテニスコートだったらしい場所だった。

『どうやって、動きを見るつもりだ?』

『軽く模擬戦をして貰う。銃は流石にナシだが、ナイフ代わりにこれを使う』

 マージンの質問に答えながら、シモンは懐から40cmほどの長さの鉄棒を2本取り出した。

 それだけで、この場でただ一人、英語についていけていなかったクライストにも、どうやるのか察しが付いた。

『模擬戦の相手は俺が直接務める。ジャレッド達に任せても良いが、直接やり合った方が分かる事もあるからな』

 そう言いながら、ナイフに見立てた棒を何度か軽く振ったシモンは、誰から始めるのかと確認した。

「それじゃ、取り敢えずは俺からいこう」

 マージンの通訳を聞いて、クライストが手をあげた。殺し合い出なければ大丈夫らしいが、レックを真っ先に出すのはなんとなく気が引けたのだ。

『クライスト、といったな。武器は要らないのか?』

 ナイフ代わりの棒を渡そうとしたのを、ジェスチャーで断ったクライストに、シモンがそう確認した。

 ちなみに、

『クライストは格闘系だ。武器は要らない』

 そう答えたのは、マージンである。クライストが英語を話せないらしいのを察していたシモンはそれに頷くと、クライストから少し距離を置いた。

『では、始めようか』

 シモンのその言葉を受け、マージンが教えられたとおりの合図を出した。

 それと同時に、睨み合っていても動きを見る事は出来ないからと、最初からシモンがクライストに向かって走り出した。

 それを見たクライストの身体から、緊張が抜けた。

 その理由は、

「なんだ、あんまり速くないな」

 その一言に尽きる。

 実際、身体強化すら使う事なく、シモンが突きだしてきた棒を左手で軽く弾いた。そこで追撃を入れなかったのは、一応は警戒しての事だったが、

(警戒も要らなかったかも知れねぇな)

 などと、クライストは思っていた。

 一方、いとも簡単に初撃を弾かれたシモンも驚きと共に一歩下がった。今まで何人かの冒険者と会い、同じように軽い模擬戦をしてきたが、初撃をこうも簡単に防がれたのは初めてだった。

(それだけの経験を積んでいる? いや、単に身体能力の差か)

 クライストの動きはそれなりに形にはなっているが、元軍人のシモンからすれば動きそのものは素人の域を出ていなかった。にもかかわらずいとも簡単に凌がれた理由は、身体能力の差としか考えられなかった。

(身体強化とやらもまだ使ってないだろうに……冒険者というのは恐ろしいな!)

 身体強化さえ使わせなければ、圧倒できるとまではいかなくとも、負ける事はないと思っていただけに、シモンは本気で驚いていた。同時に、微かな羨望を覚えたが、現実世界には持って帰る事が出来ない能力には意味がないと即座に否定した。

 ただ、即座に次を仕掛けるのは躊躇われた。

 今までの経験からすれば、冒険者が身体強化を使うのには数秒程度必要だった。そして、既にそれだけの時間が過ぎていた。

 尤も、これはあくまで模擬戦であって、勝ち負けを決める勝負ではない。故に、シモンはマージンへと声をかけた。

『できれば、後2~3回撃ち合うまで、身体強化は待ってくれるよう伝えて欲しいんだが』

 そのことをマージンに通訳して貰ったクライストの反応はというと、

「え? 身体強化使って良かったのか? ってか、使う必要もなさそうなんだが……」

 呆気にとられていた。

 とは言え、今やるべき事を忘れるほどでもなく、軽く頷いて了承の意をシモンへと伝えた。

 それを確認したシモンは、棒を構え直すと、

『では、改めていくぞ!』

 そう声を上げた。クライストが意味を理解できるとは思っていない。それでも、気分の問題だった。

 先ほど突きを繰り出したので、今度は横になぎ払うように棒を振った。だが、クライストは半歩下がるだけで余裕を持って躱してしまう。

 そこに左で追撃を入れるも、いとも簡単に押さえ込まれてしまった。

『これほどかっ!』

 身体強化なしでもこれほどの身体能力ならば、身体強化を使ったらどうなるのか。

 ただ、シモンが見たところ、クライストは攻撃は少々苦手なようだった。正確には、フェイントも何もないため非常に読みやすいと言うべきか。そもそもクライストの視線を追えば、どこに攻撃が来るのか丸わかりだった。

 おかげでいくらかの余裕を持ったまま撃ち合う事が出来たが、それでも思っていた以上に疲れてしまった。

『OK。もう十分だ』

 身体強化は見るまでもないとシモンが伝えると、クライストがホッとしたように力を抜いたのが見えた。

 続いて出てきたのが、マージンだった。

『身体強化、使わない方が良いか?』

 棒を受け取りながらのマージンの質問に、シモンは少し考えた後、首を振った。

 マージン達全員の身体強化を使った力までを見るのは少々負担が大きいが、一人くらいは見ておいた方が良い。そう判断しての事だった。最初から身体強化ありを要望したのは、思った以上に疲れそうだというのがある。

 それはさておき。

 身体強化を使ったマージンとの模擬戦は、1分もかからずに終わった。

 というか、

(模擬戦にすらなってないだろう……)

 それがシモンの感想だった。

 何しろ、結局マージンを一歩動かす事すら出来なかったのだ。

 どう打ち込んでも、シモンの動きを見てから動き始めたマージンに余裕を持って防がれてしまう。その感触もコンクリートの壁を殴りつけているかのようだった。

 最後に、一度だけマージンから攻撃をして貰ったが、正直、何も見えなかった。

 横から観戦していたジャレッド達の顔に浮かんでいる驚愕を見るまでもなく、身体強化をしたマージンの身体能力は洒落になっていなかった。

(現実世界ではこうはいかないというのだけが救いだな)

 現実世界にこんな身体能力を持った人間がいては、それこそ文字通り、一人で一軍にも匹敵しかねない。ただ、仮初めと言えども今はこの世界こそが現実で、シモンはそんな化け物達の手綱を握っていかねばならない。

 正直、遠慮したかったが、カンパニーユニオンの一員としてそれは出来ず、思わず溜息が漏れたのだった。


 ちなみに、最後の模擬戦の相手となったレックは、妙に動きが硬かった。回避には全く問題はなかったのだが、いざ攻撃となると身体が固まるのだ。

(心に何か抱えてるな)

 正直、そんな人間を戦闘に駆り出すのは避けたかったが、その身体能力はかなり勿体ない。

 そう考えたシモンがレック達の使い道に翌朝まで悩み続ける事になったのは、余談と言って良いのだろうか。



 その日の晩。

 自分達の配置にシモンが悩んでいるともつゆ知らず、レック達は宿泊用に与えられた部屋で反省会を開いていた。とは言え、まともな明かりもない上に月明かりも星明かりすらも期待できない室内は真っ暗と言ってもよく、互いの様子は気配で察する、などという状態だった。

「レックの動きがぎこちなかったと思うんやけど」

「やっぱ、マージンもそう思ったか」

「え、そう、かな?」

 マージンとクライストからの指摘に、レックはシモンとの模擬戦の時の自身の動きを思い出し、

「……そう、だね」

 何回か、明らかに動きが硬直したことを認めざるを得なかった。

「やっぱ、怖いのか?」

「……だと思う。これは殺し合いじゃないって分かってても、シモンを殴る直前になると身体が固まってた」

 クライストに問われ、レックは俯いた。

「原因は、やっぱあれなんか? キングダムの魔術師殺し」

 マージンの言葉にびくりとレックの身体が震えた。

 それだけで、マージンの言葉が正解だとマージンもクライストも察した。

「エネミーなら多分平気なんだけど……」

「吸血鬼みたく、人と区別つかんのでもか?」

「それは……」

 オーガやトロル、あるいはゴブリンやオークのように、体型は人のそれでも外見が全く異なるエネミーを想像していたレックは、マージンの言葉通りに吸血鬼を想像し、

「……駄目かも知れない」

 それを斬る想像をしようとしたところで、身体が震えた。

 斬ったそれが実は人かも知れない。

 魔術師殺しがそうだっただけに、そう考えてしまうともう斬れないのだ。

 オークやゴブリンはサイズも人に近いのだが、その辺は『魔王降臨』前から大量に倒しているだけに、今のところは大丈夫だった。

 ただ、『魔王降臨』以前に戦った事がない、なおかつかなり人に近いエネミー相手となると……

「ちょっとやばいかも知れねぇな」

 クライストの言葉通りだった。

 こちらの命を狙ってくる敵を前にして、攻撃できないどころか動きが止まってしまうというのは考えるまでもなくアウトだった。

「絶対殺す事があらへんって分かっとる方法なら、攻撃できるんちゃうか?」

「そんなのがあればいいんだけど……」

「眠りの魔術は……レックは使えなかったな」

 取り敢えず、一番役に立ちそうな魔術を挙げたクライストだったが、レックにはそれが使えない事を思い出して即座に撤回した。

「素手で殴るゆうんは?」

「……殴り殺しそう」

 実際、身体強化を使ったレックが全力で殴れば、人間など豆腐と大差ない。そのことが自分でも分かっているだけに、冗談なら兎に角、レックには戦いの中では人を殴るという行為自体ができなくなっていた。

「結構、重症だな」

 分かってはいたが、こうして確認してみると改めて思い知らされる。そんな状況にクライストは思わず溜息を漏らした。

「まあ、今回は火力やなくて、盾を期待しよか。レーザー銃はそうそう出てこんやろうから、銃が出てくるんやったら実体弾や。それやったら、レックなら叩き落とせるやろ?」

 マージンの確認に、レックはあっさり頷いた。

 身体強化を最大限発動させれば、銃弾は確実に叩き落とせる。流石に手が届かない物は無理だが、それでも自身を中心に半径1mなら問題はない。――多数のマシンガンによる物量押しをされると1m以内でも取りこぼしそうだが。

 そうして、取り敢えずのレックの役割が決まったところで、マージンがぼそりと言った。

「旦那達、どこで何しとるんやろうなぁ」

 その言葉に、先ほどとは別の意味でレックとクライストの表情が暗くなった。

 クランチャットの機能不全により、グランス達と連絡が取れなくなって数日。クランチャットのメンバーリストを見る限り、全員無事なのは分かっていた。ただ、それだけである。

「……こっちなら、あっちより監視が緩そうだし、レックだけでも様子見に戻れないか?」

 ヒュームの所では、それなりの数の監視がいた気配があったので断念していたが、ベルザはこちらの事を信用しているのか、それとも別の思惑があってか分からないが、レック達はこっちに来てから自分達に向けられる監視が緩いと感じていた。

 全員は無理でも、一人くらいならちょっといなくなっても何とか誤魔化せるかも知れない。そう思う程度には、である。

 ただ、それでもまだこっちでの自分達の状況が分からないからとマージンは消極的だった。

「まあ、まだ早いやろ。せめてもう一晩様子見てからやな」

 自分達が想像もしていない方法で監視されているかも知れないとの理由付けには、レックとクライストも頷かざるを得なかった。

 一方、ベルザが主導する作戦が始まると流石に抜け出すのは厳しくなってくる。そうなると、しばらくの間、グランス達の様子を確認にいく機会がなくなってしまう。

 そこまで考えての結論は、

「とりあえず、問題なさそうだったら、明日の晩、レックに行って貰おう」

 であった。

 レックとしては、自分がグランス達の所に向かうのに異存はなかった。グランス達の事が心配な上に、一晩でグランス達の所まで行って戻ってくる事が出来るのは自分だけだと言われると、拒否など出来ようはずもなかった。

 そして、どんな理由であれ、アカリ達に会えると考えると、ちょっとばかり心が高揚するのをレックは抑えられないのだった。



 同じ頃。

 今のメトロポリスでは貴重な光源を灯した一室があった。とは言え、室内の様子を見て取れる程度で、文字を読むには無理がある明るさしかなかった。

 そんな部屋――どうやら寝室らしいが――のベッドの上で、ベルザは一人悶えていた。いつもなら、お気に入りの誰かしらを連れ込んでいるところだが、今日ばかりはそんな気分にもなれなかった。

 昼間、レックにあっさりと拒絶されたのが原因である。

 あそこまで持って行って、ああも見事に拒絶された経験は……ないわけではない。ただ、こちらの世界に来てからは一度もなかった。

 だから、こんなにレックのことが気になっているのだろうか。ベルザはそう自問し、

(……いいえ、それだけが原因じゃない……わね)

 ため息交じりに否定した。

 あの瞬間、体が鋼にでもなったかのような力の強さ。そして、その後の一言。

 色恋など、もはや自身には不要であるし、興味すらない。

 とは言え、興味を持っていけないということはない。隠し事をしている人間はそれだけで気になるし、その隠している内容を暴き立てるのは――いい趣味ではないと自覚しているが――面白いし、時として有益なのだ。

(なんとかして、落としてみたいわね)

 小一時間、悶々としてベルザが出した答えは、そんなものだった。

 もちろん、レックが知るわけはないし、その時、寒気を感じたりすることもなかったが。

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