第二章 第五話 ~蒼い月メンバーのエントータでの一日~
蒼い月が治癒魔法の祭壇を発見してから二日目(正確には場所を確認してきただけの再発見なのだが)。
エントータは町中が朝から大騒ぎだった。
冒険者ギルドが主導して、蒼い月の情報を確認するべく大規模な調査隊が計画され、メンバーの公募が行われたのが昨日。
予定が開いていた、或いは予定を開けた冒険者達の応募が殺到したものの、さすがに全員で行くには多すぎるとかで、最終的に100人が選ばれた。そして今日、彼らは冒険者ギルドの職員と共に祭壇を目指すことになっていた。
ちなみに、その後ろから選から漏れた冒険者達がぞろぞろついてくるのは目に見えていたので、「ついてくるのは構わないが、治癒魔法の習得は採用された冒険者達から順番に。後は先着順に並んで貰う」とのお達しが出ていた。
で、彼らがアリの行列よろしく祭壇目指して出発した後は、エントータは目に見えて人が減っていた。2000人に満たない町から500人以上という、普段、雨の森の探索に行っている以上の人数が祭壇に行ってしまったのであるから、当たり前ではあった。
まあ、数日遅れで行けば祭壇周辺も空いているだろうと考えたプレイヤーも沢山いたので、警備担当のプレイヤーも合わせれば結構な人数が残っていたのだが。
そんな中でレック達はというと。
今日は警備の仕事もなく、雨の森での探索も必要なくなり、かといってエントータにはまだ留まる予定だったので、朝から各自自由行動となっていた。
――マージンの場合。
「うい~す」
「おう、今日も来たのか!」
「今日は時間空いたからな。折角やし来てみたんや」
「そうか。じゃあ、今日もよろしく頼むぞ!」
マージンは共同鍛冶場に着くと、職人仲間達と挨拶を交わし、ロッカールームで作業着に着替え、作業場に戻った。
マージンが不定期ながらもここで仕事を始めて一ヶ月近くになる。見ることができないスキル熟練度も着実に上がっているようで、今ではエントータに集まってきた職人プレイヤー達が作れる武器は、ほとんど全部、個人端末のスキルコマンドに登録され、ノーマル品なら問題なく作れるようになっていた。武器に比べて構造の複雑な物が多い防具は、盾を除けばほとんど無理だったが。
「今日はいつまで出来る?」
「とりあえず、昼までや。午後からは仲間の武器の修理をしたいとこやな」
「ふむ、そうか」
マージンは鍛冶台に向かう前に、鍛冶場の奥のカウンターに寄って、マネージャーと呼ばれているここの鍛冶場の管理人(ジ・アナザーでは珍しいむさいおっさんアバター)に今日の予定を告げる。
ちなみに、エントータには元々大きな鍛冶場はなかった。ところが治癒魔法の祭壇で冒険者が流れ込むことが確実視され、大陸会議が慌てて公共の共同鍛冶場やその他の生産設備、宿泊施設と、それらの管理人を用意したという経緯がある。
他にもいくつかの町で同じような騒動があったらしいが……
とりあえず、マージンが通っているこの鍛冶場はそういう経緯で用意され、マネージャーも大陸会議から派遣されたプレイヤーであった。
「ちゅーか、マネージャー。弾薬の類作れるヤツ知らんか?」
ついでに、今日の生産予定を確認していたマネージャーにちょっと訊いてみた。
「ん?弾薬か。作れるヤツなんていたっけか?」
首をかしげられてしまった。
「まあ、いるかどうか訊いておいてみよう」
「そうして貰えると助かるわ。で、今日のわいの仕事は?」
「ああ、とりあえずブロードソードを5本だな」
そう言いながら、マネージャーはカウンターの後ろの棚から数本のインゴットを取り出した。材料である。
「了解や」
「おう、頑張ってくれ。それと、間に合わなくても急ぐなよ?」
「分かっとるわい」
マージンは受けとった材料をアイテムボックスに放り込み、空いている鍛冶台へと向かった。
マージンが来ている鍛冶場は中央に一直線の長い炉があって、その周りに幾つもの鍛冶台が並んでいる形になっている。
「今日は何頼まれたんだ?」
「ブロードソードやな」
隣の職人プレイヤーと話をしながら、アイテムボックスにしまっていたインゴットと、ハンマーややっとこなどの道具を取り出す。
「よっと」
やっとこで掴んだインゴットを炉の熱に晒し、十分に熱くなったところで鍛冶台に乗せ、ハンマーでガンガンぶったたく。熱が冷めてきたら、もう一度炉で熱して、ハンマーでぶったたく。
ひたすらそれを繰り返して、インゴットを剣の形に整えていく。もうすっかり慣れたこの作業を、マージンはコマンドを使わずにやっていたりする。
「だいぶ上達したみたいだな」
「おかげさんでな」
それらしい形に仕上げたら、次は研ぎだ。鍛冶台の横に用意されている砥石でひたすら研ぐ。
最後に鍔や柄をつけるのだが……これは、この鍛冶場では細工専門の職人プレイヤーに任せることになっているので、マージンがやる必要はなかった。
と、こんな調子でブロードソードを1つ作るのに、大体50分程度はかかる。
(あー、4本しか作れへんな)
3本目を仕上げたところで時間を確認し、5本目は諦めた。
昼食時になり、できあがったブロードソード4本と使わなかったインゴットを持って、マネージャーの所に行くと、
「やっぱ、エントータには弾薬作れるヤツいないな」
とのこと。ギルドチャットを使ったりして、調べておいてくれたらしいが、残念な結果ではあった。
「まあ、おらんもんはしゃーないわ。調べてくれて、ありがとな」
「持ちつ持たれつってヤツだ。気にすんな。それより、剣の方はどうだ?」
「すまへんな。4本しか出来へんかったわ」
そう言いながら、マージンはブロードソードとインゴットを渡した。
「ん。出来を見るからちょっと待ってろ」
一応、マネージャー本人も鍛冶スキルを持っていて、できたものの善し悪しくらいは分かるんだと、マージンは聞いていた。
「そーいや、お前さん、いつまでここに来る気だ?」
一本一本、マージンが打ったブロードソードの出来を確認しながら、マネージャーがそんな話を振ってきた。
「ん~、そやな。あと一週間来るかどうかも怪しいなぁ」
蒼い月の目標は、仮にも魔王討伐だ。既に次の目的地も決まっているし、いつまでものんびりエントータにいるのはないだろう。長くて一週間。
そう考えて、マージンは答えた。
「何でそないなこと、訊くんや?」
「いや、お前さん達、祭壇見つけちまっただろ?って事は、この町にはもう用がないんじゃないかと思ってな」
次のブロードソードを確認しながら、そう答えるマネージャー。
「ああ、そうやな。その通りや」
「まあ、ここを離れても、他の町にも共同鍛冶場はあるからな。仲間のために武器を作ったり修理したりするなら、腕はしっかり磨いておけよ」
そこで全部のブロードソードのチェックが終わり、
「ベストとは言い難いが、ま、こんなもんだろ。ほら、給料だ」
「おおきに」
金を受けとって礼を述べると、マージンは昼食のために共同鍛冶場を出た。他の職人達は、まだ作業中だったので今日の昼食は久しぶりに一人で食べることになりそうだった。
ちなみに、午後、鍛冶場に戻ってきたマージンは、マネージャーから餞別代わりに幾つかの防具の作り方を教えて貰い、コマンドに登録することが出来た。
――クライストの場合。
「すまない。これで在庫は終わりだ」
「あー、気にしなくていいさ。予想はしてたことだしな」
とある雑貨屋のカウンターで、弾薬を受けとりながら、そんな会話を交わす店主とクライスト。
「しっかし、銃は格好いいと思ったんだけどな。まさか、弾の入手に苦労するとはね」
「まあ、剣とか弓とか、火薬を使わないほうが雰囲気出るからな」
「そういうもんかねぇ」
「そういうもんさ」
他の客もいないので、のんびりとした会話が続く。
「おまけに、銃器はメンテナンスが大変だろう?ジャムったりもするから、使い手が少ないんだよな」
「確かに、たまーにジャムるな」
「だろう?俺も手を出してみたことあるけどな、ジャムりまくって死にまくったから、止めたのさ」
「あるある。まあ、仲間の援護もあってそこまで死んじゃいないけどな。迷惑もかけられねえから、結局予備の銃まで持つ羽目になったな」
しみじみと話を続ける二人。
「予備か。俺もそうすれば良かったか?」
「かもなぁー」
「にしても、弾が切れた後はどうするつもりだなんだ?作れるヤツがいなけりゃ、近いうちに役立たずになっちまうぞ?」
心配そうな店主。
「そうだな。でも、今更他の武器って訳にもいかねえしな」
困った様子のクライスト。
「なんでだ?」
「やっぱ、イメージだな」
「いや、そんなんで死んだら洒落になんねーぞ?」
さすがに呆れたような店主に、
「ま、半分は冗談だけどな」
「半分は本気かよ……」
「でも、銃の他に何か持ってると、それだけで動きづらくなるしな。下手すりゃ、腰で他の武器とぶつかって銃が壊れちまいそうだ」
「ふむ……?」
クライストの言葉に、ちょっとあごに手を当てて考える店主。
「それなら、ナックルの類はどうだ?」
「ナックル?直接敵を殴るあれか?ってか、それってつまり、敵をゼロ距離から殴れってことか?」
さすがに少々焦るクライスト。
「そうなるな。ただ、銃器との干渉はかなり減ると思うが?」
「あー、そりゃな?でも、拳法とか空手とかを習ってないとダメじゃないか?」
「弾切れで死ぬよりはマシだろう?」
「……むぅ」
店主の言葉に、マージンは反論できなかった。今のジ・アナザーでは死はリアルと同等の物であったから。
「それに、ソロじゃないんだろう?弾が切れたから役に立たない足手まといに成り下がるつもりか?」
「……くぅ」
「まあ、ナックルじゃなくてもいい。弾が切れても戦える、仲間を守れる手段を考えておいた方がいいんじゃないかと思うだけだ」
さすがにそれ以上クライストをいじめるのは可哀相だと思ったのか、店主はそうフォローした。
雑貨屋を出たあと、クライストはエントータの商店街(と言っても、食堂以外の店はほとんど無いのだが)を彷徨いていた。頭の中では、さっき店主に言われたことがずっと繰り返されている。
(弾切れを起こしたら、足手まとい、か)
分かってはいたが、人に言われるとやっぱり結構堪えた。
そう、分かってはいたのだ。ただ、『魔王降臨』以前であればそれは笑い話で済むことだったので、本気で何とかする気はなかった。『魔王降臨』後も、なんだかんだで弾を確保できていたので、
(問題を先送りにしていたってのは否定できねえな)
そう思うと、ため息が出た。
結局、弾薬が安定確保できれば問題は無い。無いのだが、出来ないものは出来ない。マージンが作れるようになったとしても、町から離れて戦闘を続けていれば、いつかは確実に切れる。現地調達が出来る物ではないのだ。
(となると、結局は別の武器も持つことを考えるべき、か)
どういう武器がいいかクライストは思案し始めた。
(飛び道具……弓はすぐにどうこうなるもんじゃねぇな)
命中率が期待できそうにもない。おまけに矢を使い切れば銃と同じである。アイテムボックスを矢で一杯にするのは御免被るし。
(ブーメランは……威力がない上に戻ってこなかったらアウトか)
おまけにとても扱いづらいと聞く。威力を得るために重くしたら、もう素人にはどうにもならないとか。
(槍やハルバードは、邪魔だしな)
敵との距離を詰め切らなくていいのは嬉しいが、自分の身長よりも長いかも知れない武器では、使わないときの邪魔っぷりは半端あるまい。アイテムボックスに入るサイズでないのは致命的だ。
(メイス、斧は……重すぎるか?)
銃使いであるクライストだと、力が足りなくて武器の重量に振り回される恐れがあった。はっきり言って、ダサい上に危ない。
(鞭も威力が足りないか)
というか、鞭はディアナに持たせるべきだった。身の危険を感じるが。
(となると剣かナックルしか残らないのか?)
意外に選択肢が少ない。まあ、大抵の武器は簡単に扱える物でもなく、即戦力になる武器という線で考えると、片っ端から消えていくのは仕方ないのだが。
(剣は、まあ、普通、だよな?)
サイズさえ間違えなければ、可もなく不可もない。無難と言えば無難な武器の代名詞だ。
(ナックルは……超近接戦闘だよなぁ)
銃での遠隔攻撃主体のクライストには、ちょっとハードルが高い。ただし、
(銃との相性は一番良さそうだな)
手につけっぱなしなら銃とは別に引っかけておく場所も必要ないし、銃を仕舞えばそのままナックル戦が出来る。
それに、雑貨屋の店主には拳法や空手の類が必要じゃないかと言ってみたが、どの武器でも使い方を覚えなくてはいけないなら、殴・受けるの2つさえ覚えればそこそこ使えるナックルは、他の武器よりも使いやすそうではあった。
(…………よし)
物は試しである。
武器としても、蒼い月の仲間と被る物でもないし(これ重要)、クライストは早速近くの武器屋に突撃していった。
――レックの場合。
(なんでこーなった?)
確か今日は自由行動で、レックもエントータを回って今の剣より良さそうな剣を探してみたり、盾を探してみたりしようと思っていたはずだった。
なのに、
(なんでこーなった!?)
朝食を済ませた後、宿一階の食堂から外に出ようとして、目の前に立ちふさがったのはリリーだった。可愛らしい笑顔をたっぷりと浮かべた彼女に、何故か背筋が凍り、後ろを向いて逃げようとしたら……
「どこに行く気かのう?」
やはり背筋が凍るような笑顔を浮かべてくれていたディアナが逃げ道を塞いでいた。
後ろからひしっと肩を掴まれ、
「ちょっとつきあって貰いたいんだけど、いい、かな?」
可愛い女の子からそう誘われるのは、若い男子としては本来はとても嬉しいはずなのだが、今はイヤな予感しかしなかった。
こめかみを流れ落ちていく冷や汗を感じつつ、
「な、なにかな?」
振り返ろうとしたレックは、ディアナにがしっと左手首を押さえられ、リリーにがしっと右手首を捕獲され、
「それは部屋に戻ってからのお楽しみじゃ」
そのまま宿の部屋に連れ込まれ、椅子に身体を縛り付けられ、両手は後ろ手にやっぱり椅子に縛り付けられ、両足首も同じく椅子に縛り付けられ……要するに完全に身動きを封じられた状態で今に至る。
目の前では、治癒魔法の詠唱を何度も繰り返すリリーとディアナ。
つまりはそう言うことだ。
治癒魔法の練習に付き合わされているのだった。というか、拉致られたというか……
真っ先に食事を終え、あっという間にいなくなったクライストは、その気配を察していたのかもしれない。
そんなことを考えていると、
「レック、あたしたちの詠唱、間違ってないよね?」
いつの間にか至近距離に来ていたリリーが、じーっと顔を覗き込んできていて、そんなことを聞いてきた。
「あ、ああ。うん、あってる、よ?」
「そ?ならいーんだけど……?」
テーブルに戻っていって、再び詠唱を始めるリリー。
その様子を見ながら、
(あー、ビックリした!)
曲がりなりにもリリーは美少女なのである。ちょっとちっちゃい気もするけど、それでも美少女なのである。
仲間としてずっと一緒に行動しているので、もう慣れてはいる。それでも、あんな近い距離で真剣に見つめられて、ドキドキするなと言う方が無理なんだ!
とか思っていると、
「ふむ、顔が赤いの?病気かの?」
と、ディアナがにやにやと笑っていた。
「!?」
慌てるレックだったが、
「アバターが病気にかかるわけないじゃん」
と、リリーは気にする様子もない。
(…………)
レック、撃沈。
まあ、恋愛感情抜きでも、異性に異性と認識されてないのはショックだった。
「…………リリー、存外酷いのう?」
「え?何が?」
何も気づいてないようなリリーの様子に、ディアナはため息をついた。
――ディアナの場合。
(これはこれで面白いのう)
最初は治癒魔法の練習のため、リリーと一緒になってレックを攫ってきたディアナだったが、途中からは別のことに関心が向いていた。
(レックめ、リリーに気があるのかのう?)
先ほどのレックの様子だと、そうかもしれない。
まあ、単純に異性に免疫がない男子が可愛い子に近づかれて真っ赤になっただけかもしれないが、それでもいじり甲斐はありそうだ。
ジ・アナザーに閉じ込められて既に二ヶ月半が過ぎた今では、今いるこの世界こそがリアルなんじゃないかと思うことがある。なら、今まではジ・アナザーのアバターだからと意識していなかった相手を意識し始めてもおかしくない。
まして、若い男女なら余計に。
(まあ、恋愛感情ではなくとも、どうなるかは分からんしのう?)
そう考えると、蒼い月の中だけでもこれからいろいろ楽しいことが起きそうだ。しかし、
(揉め事にだけはならんように気をつけておかねばならんかの?)
恋愛沙汰から揉め事に発展して、蒼い月が壊れるのはさすがにディアナもイヤだった。
そうなると、楽しんでばかりもいられない。
浮かれた気分を引き締め、グランスにでも相談しておくべきだろうと思うのだった。
というか、ディアナ本人もまだ若い部類に入る女性のはずなのだけど、本人にその自覚はないようだ。
――リリーの場合。
「むぅ……全然わかんない!!」
そろそろ昼になるというのに、ずっと頑張ってるのに、治癒魔法は発動する気配すらない。
治癒する対象が必要だとは言うけれど、レック達曰く、「途中までは対象がいなくてもやれる」らしい。でも、そもそもそこまで行かない。
リリーの正面では既に諦めてしまったのか、飽きてしまったのか、ディアナがにやにやしながら、リリーを見ていた。
「何考えてるのよ?」
リリーがちょっと八つ当たり気味に訊いてみても、
「思い出し笑いじゃ。気にするな」
こう躱されては追求のしようもない。リリーとしては絶対にそうじゃない気がしていたが。
「あー、もう今日はここまで!!」
全く進展が見えない治癒魔法に疲れ果てていたところに、正面のディアナが全くやる気を無くしているのを見て、リリーもテーブルに突っ伏した。
「あー、何で出来ないんだろ??」
リリーが出来た4人にコツを聞いても、祭壇での感覚を再現すればいいとしか教えてくれない。それ以上は、言葉に出来ないんだとか。というか、一発で出来たらしいから、どこで躓いているのか分からないのかも知れない。
(……あたしもどこがダメなのかわかんないんだけどね?)
まあ、ダメな場所が分かるなら誰も苦労はしないのだ。
ディアナに続いてリリーも諦めたのを見たレックが、「終わりにするなら縄を解いてくれ!」とか叫びだしたのを無視して、リリーは睡魔に身を任せた。
――ミネアの場合。
(二人きり……デートみたいですね)
隣を歩いている仲間をちらちら見ながら、ミネアは今、エントータの冒険者ギルドに向かっていた。ただし、一人ではない。
『魔王降臨』以降、セキュリティ設定が消失したことにより、プレイヤー同士の望まぬ戦闘やハラスメント……さらにはその延長にあるPKやレイプまでもがあちこちで起きていた。幸い、蒼い月はそういうことに巻き込まれたことはなかったものの、油断はするべきではないということで、町中であっても女性一人での行動は控えることになっていた。
で、ミネアが誰と歩いているのかというと、グランスであった。
(男性と二人で歩くのはデート、ですよね?)
そのことを意識しなければいいのだが、どうにも意識してしまうミネアはちょっとした混乱に陥っていた。
人見知りをする上に、奥手なミネアは、勿論今まで異性と付き合ったことなど無い。というか、男性と二人っきりで行動したこと自体数えるほどしかない。
(どうしましょう???)
無論、答えは特に意識する必要もなくいつも通りに振る舞うべし。であるのだが、混乱しているミネアにそれは無理というものだった。
(………………!!!)
「……どうかしたのか?」
グランスが不意にミネアの方を見たため、さっきからちらちらグランスを見ていたミネアはばっちり視線が合ってしまった。慌てて視線を下に落とす。
そのミネアの様子を見たグランスに不思議そうに訊かれ、
「な、なんでもない、です……」
そう答えるのがやっとだった。
「??何でもないならいいが……?」
グランスは首を捻りながら、それでも再び正面を見た。
その気配を感じ、ホッとするミネア。
(悪い人ではないんですよね……)
むしろ、それなりに気は使ってくれるし、面倒見はいいし、いい人だと思う。いや、蒼い月の他の男性陣もいい人ばかりなのだけど。
ただ、一緒にいて一番安心できるのは誰かと訊かれると、ミネアは迷わずグランスだと答える。山賊の親分みたいな外見は最初とても怖かったものの、慣れてしまえばどうということはなかったし。
そもそも、ミネアがジ・アナザーを始めた理由は、本人のその性格にあった。
下手すると臆病の域に達してるんじゃないかという人見知りの激しさは、リアルでの人間関係に致命的な影響を与えていた。それを心配した友人(何人かは親友もいた)の「VRMMOなら少しはマシになるんじゃない?」という薦めで、ジ・アナザーを始めてみたのである。
しかし、リアルとは違う外見なら恥も外聞も多少は捨てられるんじゃないかという友人の期待は見事に外れ、むしろアバターの外見が災いしてナンパされまくった結果、逆に対人恐怖症の域に突入しかけた。
そんなミネアを救ったのが、蒼い月の仲間達(主に女性陣)との出会いである。
リリーやディアナと仲良くなり、彼女たちに紹介される形で蒼い月の男性陣とも徐々に打ち解けた。そして、蒼い月に加入する頃には、人見知りもだいぶ改善されていたのである。
無論、それを知ったリアルの友人達は大いに喜んでくれたわけだが、ミネアは友人達にも1つだけ話さなかったことがあった。それがグランスのことである。正確には、グランスに対する自身の気持ちなのだが。
当初、それがどういう気持ちなのか、ミネア自身よく分かっていなかったが、『魔王降臨』以降、ずっと一緒にいるうちに何となくそれがなんなのか分かってきた。
(多分、これって、恋……なんでしょうか?)
そうだといい。そうであってくれると嬉しい。
『魔王降臨』でジ・アナザーに閉じ込められた直後は、ミネアも混乱し絶望しかけた。その中で、みんなを引っ張っていってくれるグランスはミネアにとって何よりも頼もしく見えたのは事実である。
(だから……でしょうか?)
気がつけば、前よりももっと意識するようになっていた。
『魔王降臨』以前なら、相手のリアルのことを考えて自分の気持ちにブレーキをかけていたのだが……
(今は……?)
もう何ヶ月もリアルに戻れていないせいか、今いるジ・アナザーこそが全てだと錯覚することが何度もあった。そして、それならリアルを気にする必要は?……と思ってしまうのだった。
そんなことを考えながら、グランスの後をついていくミネアは、目下、蒼い月で一番春が近いのかも知れない。
――グランスの場合。
はっきり言って落ち着かない。
まさか、こんな居心地が悪くなるとは予想もしていなかった。
町中を冒険者ギルド目指して歩いているだけなのに。
ふと、居心地が悪くなっている原因の方へと視線をやる。
…………ばっちり目があった。
「……どうかしたのか?」
誤魔化すかのようにそう訊ねる。
「な、なんでもない、です……」
「??何でもないならいいが……?」
何とかそれだけを返したものの、
(そこで何故俯く赤くなる!?)
グランスは頭の中で叫んでいた。
要するに。居心地の悪さを感じている理由は隣……というよりちょっと斜め後ろを歩いているミネアがさっきからちらちら送ってくる視線だった。
(う~む?)
グランスも男である。こうも美少女(というか美人?)から視線を送られてしまうと、期待するべきではないと頭で分かっていても、どこか期待してしまう。二人で歩いている、というこの状況もよろしくない。非常によろしくない。
(いかん、いかんな)
心の中で頭を振って、よろしくない妄想としか呼べないその期待を追い払う。
大体、自分には蒼い月の仲間達を守っていく責任があるような気がするのだ。恋愛沙汰に現を抜かしているわけにはいかない。いやいや、もう今いるここは到底十分、現とは呼べない気もするが。
軽く混乱しながらそんなことを考えていると、再びミネアからの視線を感じる。しかも、どこか熱を帯びているのはきっと気のせいだ。そう思うしかない。
(…………無心だ。無心あるのみだ)
大変気になるものの、そうそう振り向くわけにも行かず、必死にスルーしようと試みるグランス。
(こうなったら、出来る限り早く用事を済ませて宿に戻るしかないな)
などととんちんかんなことを考えながら、ひたすら冒険者ギルドへの道を急いだ。
実は春がすぐそこまで迫っていることに、当分気づくことは無さそうだった。