第十五章 第四話 ~ヒュームとの邂逅~
レック達が久しぶりに足を踏み入れたメトロポリスは、記憶にあるよりも随分と汚く見えた。いや、実際に汚いのだ。
かつてはゴミ一つない地面には探すまでもなくそこかしこにゴミが落ちていた。常に新築同然だった数々の建物も、あちらこちらが黒ずんでいた。おまけに、窓ガラスが割れている建物も少なくない。
「……なんか、汚いね」
「あれから3年近くや。手入れできとらんかったら、こんなもんやろ」
「そうですね。これだけ広い都市を人の手だけで綺麗に保つことは不可能です。多少汚れているのは、諦めて貰えると助かります」
レックとマージンの会話を耳にしていたのか、レック達のすぐ前を歩いていたメイドがそう答えた。
ちなみに今の隊形はレック達のすぐ前を二人のメイドが、更に前後をスーツ姿の男達が固めていた。正直、メイド達がいなければレック達は連行される犯罪者にでもなった気分になっていただろう。
何しろスーツ姿の男達はいずれも、グランスほどではないがやたらと立派な体格なのだ。そんな男達に前後を固められては、落ち着くものも落ち着かない。
(これでソーシャル・アバターだったらかなり引くな)
クライストはそんなことを考えながら、歩いていた。
何しろ、ソーシャル・アバターは原則として現実世界の容姿そのままなのだ。無論、何らかの事情で容姿を変えている者も少なからずいたが、ソーシャル・アバターはゲームではなく現実世界の延長としてジ・アナザーで活動するためのものであるため、余程の理由がない限り、容姿の変更は認められていなかった。
つまり、スーツの男達がソーシャル・アバターだった場合、彼らは現実世界でもこんなに立派な体格をしているということなのだ。
(考えるだけでも暑苦しいぜ!)
そんなことをクライストが考えていると知ってか知らずか。
「ま、それはええわ。それより気になっとるんやけど、質問ええ?」
「ええ。お答えできる範囲でしたら」
マージンは暢気にメイドの片割れに話しかけていた。
「皆さんのそれって、ソーシャル・アバターなん?」
そのあまりのタイミングの良さに、クライストは思わず咳き込みかけた。
「クライスト、どうかした?」
「い、いや。なんでもねぇ」
そんなクライストの様子を視界の端に納めながら、それでもわざわざ声をかける必要は無いと判断したのか、マージンに声をかけられたメイドは、そのままマージンの問いに答えた。
「ええ。そうです。あなた方は……プライベート、でしょうか?」
「そうやで。でも、ソーシャル・アバターでも外に出れるようになったとは聞いとったけど、ホンマやってんな」
「ええ。そうでなくては、私達は飢え死にしていたことでしょう」
「それは良かったわ。こんな美人さんが死ぬんは勿体ないもんな」
そんなマージンのものとは思えぬ台詞に今度はレックも一緒に咳き込んだ。
ただ、メイドの方は言われ慣れているのか、営業スマイルで、
「ありがとうございます」
とあっさりマージンの台詞をスルーしていたが。
とは言え、
(まあ、美人なのは確かだけどな)
マージンではないが、クライストもそう認めることは吝かではなかった。
赤みがかった金髪のメイドも、色の薄い金髪のメイドも二人ともかなりの美形であることは確かだった。ただ、顔立ちが日本人っぽくないこともあり、恋人がいなかったとしても興味の対象外ではあっただろうが。
そこまで考えたところで、クライストはふと気がついた。
(そういや、マージンはあっちの人間だったっけか)
思い出してみれば、マージンは日本人ではなかった。ずっと一緒にいたうえに、えせとは言え外人っぽい訛りのない関西弁を自在に操っていただけに、すっかり忘れていたが。
(だから、リリーに興味がないのかもしれねぇな。……まあ、単にリリーが子供っぽいってのもあるかもしれねぇが)
そんなことを考えながらクライストがふとレックに視線をやると、レックも同じ事に気づいたのだろう。マージンとメイド二人の顔に順番に視線をやっては、何事か考えていた。
が、
「なんでしたら、メトロポリス滞在中はお世話させていただいても構いませんが」
「いや。メイドさんとかお世話されると落ち着かへんからええわ」
色の薄い金髪のメイドの申し出をあっさり断ったマージンに、クライストはもう一度首をかしげる羽目になった。
(……ホモじゃねぇのは分かってんだが、マージンの好みがさっぱり分からねぇ……)
とは言え、レックなら兎に角、クライストにはかなりどうでも良いことではある。そのまま、マージンとメイドの会話が他の話題に移っていったのを良いことに、クライストはそのことについてはそれっきり頭から追い出してしまった。
そうして、途中で休憩を挟みながら昼過ぎまで歩き続けた一行は、メトロポリス外縁部にある建物の1つでその足を止めた。
「ここが目的地?」
レックがそう言った建物は他のメトロポリスの建物と異なり、せいぜい地上から数mまでだが綺麗に掃除している跡が見て取れた。ただ、外縁部とは言え高さ500mもあるような超高層建築である。離れて見れば本当に下の方がちょろっと綺麗にされているに過ぎないのだろうが。
その建物の入り口は元々は自動ドアだったのだろうが、今は人力で開け閉めせざるを得ないらしく、前を歩き続けていたスーツの男達が跡から取り付けられたらしい取っ手に手をかけて強化ガラス製と思しき扉を左右に開けた。
その扉をくぐった一行は、エントランスを抜けて奥の階段を上り更に廊下を突き進み、とある扉の前で足を止めた。
「どうぞ。こちらにて私どもの主人があなた方をお待ちです」
赤っぽい金髪のメイドがそう言うと、彼女達もここまで着いてきていたスーツの男達も扉の左右に控えた。
「えっと、扉を開けて入って良いのかな?」
レックの言葉にメイド達が無言で頷いたのだった。
さて、時間は少し遡る。
「そうか。無事に接触できたか」
部下からの報告を聞いた男は、満足そうに頷いた。ただ、子供も含めて9人いるはずだったのに接触できたのが3人だけというのは少々不満だったが、彼らにも何かしら考えがあるのだろう。
(男だけということだし、警戒でもしているのか?)
それならそれで、少しは物事を考える頭があるということだ。日本人など馬鹿ばかりだと思っているが、それでも少しはおつむがある方が役には立つ。……ありすぎても困るが。
とは言え、どうせなら全員を確保したいと男は考えていた。
全員の能力が確認できたわけではないが、女の一人は魔法らしきものを使ったことが確認できているのだ。報告にあるその威力を考えるなら、それだけでも十分戦力に数えられる。戦えない者がいたとしても、それはそれで別の使い道がある。
引き続き他のメンバーも探し出して接触する様に命令を下した男は、机の上に置かれていた書類を一枚手に取り、徐に裏返した。そこに表とは全く関係の無い事がみっちりと書き込まれているのを見た男は、溜息を一つ吐いた。
電子媒体が全く使えなくなってからというもの、情報を扱う上で紙という媒体は非常に有用だったのだが、電子媒体が主流の世界では紙の存在自体が希少だった。
幸いなことに紙の作り方そのものは大図書館――最近は迷宮図書館などと呼ばれていた――であっさりと分かったのだが、大量生産は未だ出来ていなかった。そのため、余白がある間は基本、何度でも繰り返し使うのが常識となっていた。
そんな事を改めて確認した男は、自らの椅子に腰を下ろすと、報告書の形で上がってきている情報を1つ1つ確認し始めた。
男の元に集まってくる情報は非常に多かった。取るに足らない情報や、各々の報告の詳細までも全て報告させていると、男は一睡もせずに働き続けたとしてもその全てを処理することは出来ないだろう。
幸い、男がこの世界に閉じ込められた時、少なくない人数の有能な部下達も一緒に閉じ込められていたからこそ、こうしてこの世界でも組織を回すことが出来ていた。そうでなければ、とっくに男の組織は崩壊し、男自身もどうなっていたか分からない。
だが、それは同時に別の問題が存在していることを示唆していた。
男は現実世界でも男に見合うだけの会社を幾つも動かしていた。それらの会社には全て有能な人材をそれなりの数配していて、男がいなくてもそれなりにうまくやっていける様にはしてあった。だが、男だけでなくそれらの有能な人材までもが少なからずいなくなってしまうとどうなるか。
考えるだに、恐ろしいことだった。
これがまだ一週間や二週間程度なら、大した事態には至らないだろうし、何かあったとしてもまず何とかする自信があった。だが、こちらの体感時間で3年。時間の流れ方の違いを考えても、現実世界でも1年以上が経ってしまっていた。加えて、この世界から脱することが出来るまでまだどれほどの時間が必要なのかさっぱり分からない。
最近は極力考えないようにしているが、戻ったときのことを考えると全く考えないわけにもいかない。予め考えられることは考えておかなくては、現実世界に戻ったときに行動が遅れてしまう。
尤も、今は男はそれどころではなかった。
「これは……」
次々と報告書の内容を確認し、必要な決断を書き加えていっていた男の手がふと止まった。その顔に浮かんだ表情は厳しいの一言に尽きた。
「……思ったより早く、力を見せて貰うことになりそうだな」
男はそう呟くと、その報告書にも数行書き加えた。
それからも書類の処理を続けていた男の耳に、ノックの音が聞こえた。
「……入れ」
書いていた途中の指示を書き上げ、男は入室の許可を出した。
「失礼します」
そう言いながら入ってきたのは、主に雑務を任せている部下の一人だった。
シワはないが、きちっとした折り目もない。おかげで随分と緩んで見える服装でも何とか見られる形にまとめ上げているのは、やはり女性ならではだろうか。男の場合、何とかしてスーツに折り目をつけてやらないと弛んで見えるのが非常に多い。
そんなどうでも良いことを考えかけた男だったが、すぐに部下が口にした報告に現実に引き戻された。
「冒険者三名。メトロポリスに入ったとの報告がありました。あと1時間もせずにこちらに着く見込みとのことです」
「1時間後、か」
部下の報告に時計を確認した男は、冒険者達が着くのは13時を過ぎた頃になるだろうと見て取った。となると、その前に軽く食事を摂っておいた方が良いだろう。
「会う前に食事を済ませておくか。……君も一緒にどうだ?」
「……それではご一緒させていただきます」
上司からの誘いに逡巡を見せた部下だったが、下手に断って男の機嫌を損ねることを避けたのか、すぐに頷いた。
そのことに満足した男は立ち上がると、そのまま部下に案内させて食堂へと向かった。
(……すっかり、食堂に足を運ぶことにも違和感を感じなくなったな)
すぐ目の前を歩く部下の背中よりも下の方を見ながら、男は以前の自分ではあり得ない行動に苦笑を止められなかった。この世界に閉じ込められる前は朝食と夕食は兎に角、昼食は机まで運ばせ、仕事をしながら摂るのが普通だったのだ。だが、ここではそんなことをする方が――男のではないが――少なくない時間の無駄になってしまうからと、自ら食堂まで足を運んでいるのだ。
(いや、それを言うならそもそもこの世界で食事が必要ということ自体が不思議、か)
そんな今更な事を考えながら、男は食堂へと廊下を歩き続けたのだった。
『良く来たな』
扉を開けたレックに部屋の奥に置かれた椅子に座っていた人物からかけられた第一声がそれだった。
ピチッとしたスーツを身につけたその人物は、妙に威厳に溢れていた。言い換えるなら、人の上に立つことに慣れた者特有の雰囲気を身に纏っていた。
くすんだブロンドと深い青い瞳を備えたその顔は、ハリウッドスター顔負けの容姿だった。椅子に座っているから分からないが、立てば身長も190に達するだろう。どう見ても日本人には見えなかった。――まあ、第一声が英語という時点で日本人ではないのだが。
「……マージン、パス。むしろ、通訳お願い」
妙に威厳があるその男の言葉を聞いたレックの第一声がそれだった。
「あー、仕方あらへんな」
椅子に座っていた男は、そう言いながら先頭に出たマージンを一瞥すると、
『……英語くらい話せないのか?』
と、侮蔑を隠しきれない声音でそう言った。
『機械翻訳があれば全て事足りてたんだ。別に不思議でも何でもないだろう?』
『ふん。その割にはおまえは話せるようだが?』
マージンの言葉に僅かに驚いた様子を見せた男はそう言うと、マージンをまじまじを観察し、しかしすぐにその外見から出身を推測することは不可能だということを思い出して直接確認することにした。
『その発音。少し聞いただけだが外国人特有の訛りが全くないな』
『一応、こっちがネイティブだからな』
マージンがそう答えると、男の表情が微かに緩み、即座に引き締められた。それと同時に、マージンを観察する視線に混じる気配も微妙に変化した。
『そうか。まあ良い』
男はそう言うと、座っていた椅子から立ち上がり、右手をマージンへと差し出した。
『私はこの辺り一帯をまとめている企業連合のエルバート・ヒュームだ』
『マージンだ』
ヒュームの手を握り返したマージンがそう名乗ると、ヒュームが不愉快そうに顔を顰めた。
『それはゲームの中の名前だろう? 本当の名前を名乗りたまえ』
『あー……こっちはプライベート・アバターだし、それはマナー違反って事で勘弁して欲しいんだけど』
そう言われたヒュームはますます不愉快な顔になったが、プライベート・アバターの人の実名を聞くべからずと言うジ・アナザーでの暗黙の了解を守ろう……というより、実名など聞いても意味が無いという理由で、我慢することにしたらしい。
『……よかろう。ちなみに、そっちの二人の名前は何という?』
そのヒュームの言葉をマージンが通訳すると、レックとクライストもそれぞれ名乗った。
「レックだよ」
「クライストだ」
『レックとクライストか。……如何にもな名前をつけているな。それに比べて……』
流石に名乗りくらいは通訳を入れなくても理解できたヒュームだったが、その言葉を不自然に途中で切った。
その視線を受けていたマージンが首をかしげた。
『それに比べて、何だ?』
『いや、何でもない』
ヒュームは素っ気なくそう答えると、再び椅子に腰を下ろした。
『さて、挨拶は済ませた。客人には悪いが、これでも忙しい身だ。聞きたいことがあれば君達を迎えに行った者達に訊く様に。それでは』
ヒュームの言葉を受け、レック達の後ろで控えていたメイド達が部屋の入り口の扉を開けた。
「えっと、出ろって事か?」
「そうやな。なんや、随分忙しいみたいでな。話はそこのメイドさん達に訊いてくれやと」
クライストにそう答えたマージンを見たレックは何か言いたそうだったが、ここで言うべき事でもないと思ったのか、結局は口を開くことはなかった。
そのままヒュームに軽く挨拶をすると、レック達はその部屋を出た。
「なんか、連れてこられた割には特に話もせずに終わったけどいいのか?」
廊下に出て扉が閉まった直後、クライストがそう言った。
「ま、わいらとしては別に用事があったわけでもあらへんし、ええんちゃうか?」
「それはそうだけどな。……こう、なんか妙な感じがするぜ」
クライストとマージンがそう話していると、
「……済みませんが、立ち話も何ですし、客間の方へと案内させていただいてもよろしいでしょうか?」
と、色の薄い金髪のメイドが声をかけてきた。
「あ、うん。いろいろ聞いてみたいこともあるので、お願いします」
「それではどうぞこちらへ」
そう言って歩き出したメイド達に案内されてレック達が辿り着いたのは、ヒュームと会った部屋よりも下の階にある一室だった。
「客間言うには、飾りっ気があらへんな」
「申し訳ありません。その手の物は持ってくる労力に見合いませんので、この建物にはないのです」
「持ってくる労力って……その前に、この建物ってもともとは何だったの?」
「詳しくは存じませんが……恐らくは、積層住宅の1つではないかと」
「あー、やっぱりか」
赤っぽい髪のメイドの言葉にクライストが納得した様に頷いた。
この建物に入ってからずっと感じていたことなのだが、どうにも構造が積層住宅っぽかったのだ。というか、そのものである。
ただ、その割には、ヒュームを先頭に中にいる人間がこの建物を住宅以外の用途で使っている雰囲気があり、積層住宅だとは断言しかねていた。それでも違和感だけはしっかり残っていたのだが、その理由がやっと解決されたというわけである。
「それでは、よろしければソファにお座りください。ずっと歩き続けてお疲れかと存じますので」
と言われても、実のところ、レック達は全く疲れていなかったりする。その程度の体力は無いと旅など続けられないから当然なのだが、わざわざ気遣いを否定する必要も無いので、レック達は遠慮無くソファに座らせて貰うことにした。尤も、ちょっとボロいのはご愛敬といったところだろう。
レック達がソファに座ると、いつの間にか姿が見えなくなっていた赤っぽい金髪のメイドがティーセット一式を持って現れた。
「大した物はございませんが」
そう言いながらメイドがレック達に出したのは、本当にただの水だった。
「……お茶すらでんとか。ひょっとして、わいら、嫌われとる?」
「いえ。お茶自体がないのです。町の中を探せばあるかも知れませんが、そんなことに無駄に労力を使うわけにはいきませんので」
「単なる物資不足、みたいだね」
全く動じることなく応じたメイドの様子を見ながら、レックはそう言い、折角だからと出された水で喉を湿らせた。
「それでは、そろそろいろいろとご説明させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、構わんで」
「ありがとうございます」
色の薄い金髪のメイドはそう軽く頭を下げ、その前に自己紹介からと名乗った。
「私は、ジネット・ブーローと申します」
「アンナ・グディエと申します」
そう、色の薄い金髪のメイドと赤っぽい金髪のメイドはそれぞれ名乗った。
「えーと、ブーローさんとグディエさんと呼べば良いのかな?」
「お好きな様にお呼びいただいて構いません」
「それじゃ、ブーローさんとグディエさんで」
そう言ったレックが次は自分達の番だと名乗ろうとすると、ジネットが
「既にお三方のお名前は存じ上げております」
と、止めた。
確かに、先ほどヒュームに対して名乗っているので、それを聞いていたのだろう。ただ、止められているとは言え、相手にだけ名乗らせてこちらは名乗らないのは、レック達には微妙に居心地が悪かった。
尤も、そんなことを言っても何の意味も無い。レックは代わりに別の質問をすることにした。
「それじゃ、さっきから気になってること、訊いてもいいですか?」
「ええ。そのためにこの場を設けさせていただいたのですから、どうぞ遠慮なさらないでください」
「ブーローさんとグディエさんって、日本人、じゃないんですよね?」
「はい。私達は二人ともフランス人ですね」
あっさりとそう答えたジネットに、レックは質問を続けた。
「……なんで、そんなに日本語が上手なんですか?」
そう訊かれた瞬間、今まで基本無表情を貫いていたジネットとアンナの表情が微かに崩れた。
それを見て取ったマージンがすぐに答えられないジネット達に代わって口を開いた。
「あー、訊いてやらん方がええみたいやで」
「そうみたいだね」
そう言ったレックはあっさりと質問を取り下げた。正直、ジネット達が日本語が堪能な事を気になっていただけで、あまり重要ではなかった。
「じゃあ、代わりにわいから質問してもええかな?」
「え、ええ。構いません」
「……その前に、座って貰えへんかな? 話しづらいんやけど」
マージンがそう言うと、未だ立ったままだったジネット達は互いの顔を見て軽く頷くと、「失礼します」と言いながらレック達の正面のソファにゆっくりと腰を下ろした。
それを見ていたマージンは「そんじゃ、早速」と質問を始めた。
「わいらがどっから来たか、ジネットさん達は知っとるん?」
いきなりの名前呼びにレックとクライストの頬が微かに引きつった。が、ジネット達は平然と答えた。
「ええ。キングダムからいらした冒険者の方々と伺っております」
「その情報がどっから来たんかも気になるんやけど、そっちはええわ。ま、そんな訳やから、メトロポリスの状況とかよう知らんのや。その辺りから教えて貰えへんかな?」
マージンのその質問にジネット達は「かしこまりました」と答えた。
一方、ジネット達にレック達の相手を任せたヒュームは、自らの執務室としている部屋に一人の部下を呼び出していた。
「社長、俺に用事ですか?」
部屋にやってきたそうそうそう言ったのは、灰色の髪の男だった。精悍な顔つきをしている割には、その存在感が妙に薄い。ただ、その身のこなしを見る者が見れば、男のことを間違いなく警戒しただろう。
だが、ヒュームには男を警戒する様子は全くなかった。
「ああ、リカード。おまえに監視して貰いたい連中がいる」
その言葉にリカードと呼ばれた男はヒューッと口笛を吹いた。
「俺にって事は、場合によっては?」
「それは今のところは考えてはいないな」
「……ということは、それだけ注意を払うに値する連中だと」
「それも分からん。そこも含めておまえに見極めて貰いたい」
ヒュームの言葉に、リカードは不満げな顔になった。
「そんなことなら、俺じゃなくてもいいんじゃないですか? 例えばジェネラルのやつとか、喜んでやってくれるとおもいますが?」
「それは駄目だな。あれはクラフランジェであいつらに顔を見られている可能性がある。何より、あれはそれなりには使えるが、それでもサルにサルの監視を任せるほど、俺は愚かではない」
そのヒュームの言葉を聞いたリカードはごくあっさりと納得した。同時に、自分が監視する対象についても、その人種が白人ではないと察した。
彼の主人であるヒュームは使える者は何でも使うが、同時に白人以外の人種を完全に信用することもないのだった。むしろ、常に裏切られる可能性を考慮すらしていた。
故に、リカードはそれ以上ヒュームに対して異論を唱えることはしなかった。ヒュームがそう命じた理由が納得できるものであれば、それで十分なのだ。
「それじゃ、対象について教えて貰えますか?」
リカードのその言葉に、ヒュームは当然だと言わんばかりの顔で説明を始めた。ただ、見れば分かることはいちいち説明したりしない。
「人数は3人だがサルは2匹だ。日本人のはずだな。戦闘能力は不明だが、剣の一凪で数人をまとめて叩ききったり、銃弾を額に喰らっても生きていたりという情報もある」
その説明にリカードは思わず耳を疑った。
「銃弾喰らって生きてるって、マジですか?」
「私も耳を疑ったが、そういう話があるのは事実だ。……キングダムの冒険者共は基本的にこの世界で遊びほうけていた様な連中だからな。そのアバターも頑丈なんだろう。……妙な気を起こすなよ?」
「ははっ。分かってます。ただ、その時が来たら遠慮無く命令してくださいよ」
舌舐めずりを見咎められ、リカードは苦笑で返した。
「その時が来たらな。他には、魔法を使うらしい。兎に角、現実世界と同じように考えていると、いくらおまえでも痛い目を見る。十分に注意しろ」
そう言うと、ヒュームはこれで説明は終わりだと軽く手を振った。
リカードとしてはかなり情報に不足を感じたが、ヒュームがこれで終わりだと言うのなら、本当に情報が無いのだろう。あるいは何か意図的に隠しているかも知れないが、今までにヒュームの判断が大きく間違えていたことはない。
ならば、これ以上リカードが確認すべき事もなかった。
最後にレック達の居場所を聞いてから部屋を出て行ったそのリカードの背中を見送ったヒュームは、すぐにレック達のことを頭の中から追い出した。ヒュームにはやるべき事、考えるべき事が無数にあった。その中にはレック達の事より遙かに重要なことも数多くあるのだから。
同じ建物の中であったそんな一幕をレック達は知る由もなく。
「はあ……なんか、結構面倒なことになってんだな」
ジネット達からメトロポリスの現状について一通り説明を受け、クライストがソファの背もたれに身体を預けながらぼやいた。
レックも溜息交じりにクライストに同意した。
「そうだね。宗教由来の過激派とか……最悪だよね」
メトロポリスにいくつかの大きな勢力がある。そのことまではレック達も既に知っていた。だが、その中に宗教由来の過激派が存在することまでは知らなかった。活動範囲そのものはメトロポリスの外にまで広がっているのだが、その正体について知られていなかったというのが正しいだろう。
ジネット達から受けた説明では、その過激派の行動原理は現実世界の過激派のものと何ら変わらなかった。神の名の下に自らの全ての行動を正当化し、自分達に賛同しない者全てに攻撃を加え、奪える者を全て奪う。そこに話し合いの余地など一切無い。
「一応、穏健派も存在はします」
との事ではあったが、過激派の行動を抑える役目は全く期待できないとのことでもあった。むしろ、過激派の攻撃対象にすらなっているという辺り、どうしようもない。
「出来れば関わり合いにはなりたくないけど……」
「多分、それは無理でしょう。彼らの行動範囲は驚くほど広いのです。このメトロポリスで動き回るつもりなら、どこかで必ず衝突すると思います」
ジネットにそう断言され、レックは溜息を禁じ得なかった。
そんなレックを横目に、マージンが口を開いた。
「ま、大体状況は分かったわ。ちょっと私物がどうなってるかとか気になるとこやけどな」
動作にエネルギーを必要とする様な機械全てが停止しているため、ジ・アナザーのプレイヤー全てが持っているプライベートルームもまた、本人の許可無く立ち入ることが可能となっているという話から、そんなことを言いつつ、マージンは言葉を続けた。
「で、わいらにここまでしてくれるそっちの思惑、それも説明してくれるんか?」
その言葉に、クライストがハッとした様な顔になった。
一方のレックは、マージンと同じ事に気づいていたのか、マージンの言葉に微かに動揺したジネット達をじっと見つめていた。




