第十五章 第三話 ~メトロポリスからの使者~
「ううっ……なんか落ち着かないよ~」
腕の中でそう言った少女に、レックは問いかけた。
「ひょっとして……高所恐怖症だったりする?」
「違うって思ってたんだけど……そーなのかも」
リリーはそう言うと、しがみつくようにリーフの首筋の羽毛に顔を埋めた。
今、レックとリリーはリーフに乗ってメトロポリスの上空を飛んでいた。目指すところはメトロポリス中央に存在するクリスタルタワーである。
幸い、リリーとレックがリーフに乗ってクリスタルタワーを目指すと決まったのが夕方だったため、そのまま夜を待って、こうしてクリスタルタワーを目指していた。
ただ、しょっちゅうリーフに乗っているレックとは違い、本格的にリーフに乗って飛ぶのが初めてだったリリーには、この空の旅は少々きつかったらしい。
あるいは、クリスタルタワー以外にめぼしい光が見えないメトロポリスの地上の暗さが原因だろうか。そのあまりに深い闇は、文字通り全てを吸い込んでしまいそうな、人間の原初の恐怖を煽るものだったのかも知れない。
せめてこれが満月の夜であれば、月明かりに照らされた地表の様子が見えていたのだろうが、
(でも、それはそれでビルの隙間がやばかったかも)
などとレックは考えていた。
メトロポリスの建物はいずれも非常識なまでの高さを誇っている。それ故に、月明かり程度ではメトロポリスの上層部しか照らすことは出来ず、建物の隙間は闇に包まれたままだろう。それはそれで、見えるところと見えないところのコントラストが要らない恐怖心を煽りそうだとレックは考えたのだった。
そんなことを考えているレックは、兎に角どうでも良いことばかりを考え続けていた。
無理もない。
流石にもう少年と呼ぶには無理があるが、レックはまだまだ若いのだ。年頃のそれも好意を抱いている相手と二人っきりどころか、密着までしているこの状態で平静を保つためには、関係ないことを考え続けるしかなかった。
(みんななら平然としてそうだけど……)
そう考え、思わず口元がにやりと歪む。グランスはミネア一筋だし、クライストは未だに彼女のことを想っている節があるから、やはり動じないに違いなかった。マージンは何というか……朴念仁というのも少し違う気がするが、どうであれこの程度で動揺することはないだろう。
そこまで考えたレックは、ふとリリーのことが気になった。マージンはリリーが押しても引いても全く動じないどころか、リリーの気持ちにすら気づいている様子を全く見せない。そんな状況について、リリーがどう考えているのか、どう感じているのが気になったのだ。
正直、レック自身がリリーのことを単なる友人だとさえ思っていれば、とっくにリリーに直接訊くなり、マージンを締め上げるなりしていたところだろう。それが出来ないのはレックがリリーのことを好きだからだった。要するに、リリーにどう思われるかが気になって動けないのだ。
(我ながら、へたれ……だよなぁ)
ついでに、ここにディアナあたりがいたなら、「諦めも悪い」とかあれこれ付け加えてきそうだと考えて苦笑いを漏らしかけ、
(ああ、でも、アカリはなんかフォローしてくれそう)
と、アカリのことを思い出してレックの表情は引き締められた。
最初は気のせいかと思っていたのだが、未だに何かにつけてアカリの視線を感じるのだ。他にも何かと話しかけてくるし、どうやらレックの自意識過剰などではなく、アカリに好意を持たれているようだった。
正直、ずっとレック自身の気のせいか、アカリの一時の気の迷いだろうと思って気づかないふりを続けてきたのだが、先日、どうにも気になってディアナに相談したところ、気のせいでも気の迷いでもないと断言され、ついでにちゃんと向き合えとまで説教された。
(こんなんじゃ、マージンのこと、何も言えないよなぁ)
レックはそう考えると、クリスタルタワーまでの残りの時間はそのことばっかり考えることにした。幸い、リリーはあまり会話をするつもりも余裕もなさそうだったし、下手に話しかけるよりは静かにしておいた方が良さそうだと思ったのもある。
とは言え、空路ともなると50km程度の距離はあっという間である。流石に数分で着くようなことはないのだが、それでも30分程度というのは本格的に何かを考え、結論を出すには時間が足りない。
結局、アカリのことについて何も決まらないうちに、クリスタルタワーに着いてしまった。
が、
「……やっぱり、空から入るのは無理みたいだね」
どうやってもある程度までしかクリスタルタワーに近づこうとしないリーフの様子に、レックがそう零すと、
「だよね~。どう考えても、ズルだもん」
レックに支えられたままリリーがそう頷いた。
リーフに乗っていきなりクリスタルタワーの最上階を目指そうかと考えていたレックも、それで素直に諦めた。ただ、そのまままっすぐ降りるわけにもいかない。
「クリスタルタワーの側は明るすぎるから……ちょっと離れた所に降りよう」
そして数分後。
無事に地上に降りたレックとリリーは、クリスタルタワーの前に立っていた。明るいだけに人がいるかも知れないと警戒していたのだが、何故か全く人影は見当たらず、意外にあっさりとここまで来れた。
が、そんな二人も今は、昼間のようにとまでは言わないが本を読むには不自由しない程度には明るいクリスタルタワーの前で足止めを喰らっていた。と言っても、誰かに見つかったとかではない。
「……これって、風の壁ってことかな?」
そう言ったレックの眼前、数歩先には目に見えないながらも余人の侵入を拒む壁が確かに存在していた。
尤も、レックは風の壁と言ったが、ここまで近づいても前髪の一本も揺れることはないし、そよ風すら感じない。見た目には、クリスタルタワーを取り囲んでいる草地の草が、そこで一度途切れているだけだった。
ただ、実際にその境界線を越えようとすると一瞬にして外へとはじき飛ばされてしまうのだ。地面の様子に気づいて足を止めたレックが恐る恐る突き出した剣を思いっきり弾かれて分かった次第である。
「あたしには分かんないけど……」
そう言いながら、リリーは腰にぶら下げていた水筒から触手状にした水を出し、境界線の上へと伸ばしてみた。
が、パシュッという音共に境界線上に達した水は一瞬で吹き飛んでしまっていた。
その様子を見ていたリリーは自らの身体を抱きしめるようにして、身を震わせた。
「これ以上は近づきたくないかも」
「そうだね。これはごり押しは危なそうだから……一周回ってみて入れそうになかったら、いったん戻ろう」
レックの言葉にリリーが頷いた。
ただ、一周してみても風の壁には入り口など無かったのだが。
馬車の横で焚き火が煌々と燃えていた。その周囲を取り囲むように何枚もの板がまるで壁か塀のように建てられているのは、焚き火の明かりが不心得者を引き寄せないようにという配慮だった。
「なるほど。そんなことになっていたのか」
「元々は単に警告が出た後は、どれだけ力押しで進もうとしても前進できないだけだったはずじゃがのう」
夜も更けた頃に帰ってきたレックとリリーの話を聞き、見張りとして起きていたグランスとディアナがそう言った。ちなみに、まだ寝ていなかったのか、マージンとアカリも起き出してきていて、それに気づいたリリーがさり気なさを装いつつ、マージンに近寄ろうとしていたりする。
「やっぱ、ちゃんとイベントとかクエストとかこなさんとあかんのやろーなー」
ここが現実であるならそんなマージンの台詞はディアナ辺りに一蹴されそうだったが、最早現実そのものとは言えこの世界の成り立ちを考えれば、誰もマージンの発言を一蹴できなかった。
むしろ、
「まあ……魔王を倒せと言うのが既にクエストのようなものじゃからな」
というディアナに頷くだけだった。
「とは言え、入り方が分からないのは問題だな。俺達の目的地は多分クリスタルタワーだろうからな」
「そんなん、難しゅう考えんと一旦行ってみたらええんちゃう? 全員で行ってみたら何や条件クリアするかも知れへんし」
「それは流石に楽観的すぎる気もするけど……」
マージンの気楽な台詞にそう突っ込んだレックだったが、正直、他に案がないことも事実だった。
そのことはグランスやディアナも分かってはいるのだろう。ただ、流石に何も考えずにいきなり全員で行くという選択肢はなかった。
「とりあえず、まずはメトロポリスの状況の確認だな。いつも通り、マージンとレック、クライストに行ってもらって、全員で行っても問題ないか調べてきて貰う。いいか?」
「うん。僕は構わないよ。マージンは?」
「まー、それが妥当なとこやろな。流石にいきなり全員で突っ込むんはありえへんわ」
「おぬしが言うな。おぬしが」
即座にマージンに突っ込みを入れたディアナに思わず拍手を送りたくなったレックだったが、リリーがいる場では流石に自重した。尤も、リリー以外は全員が心の中でディアナに賛辞を送っていたかも知れないが。
「まあ、それはおいておいて、だ。クリスタルタワーまで行ってきてどうだった?」
「とっても綺麗だったよ~。デートコースには良いかも」
レックが口を開くより早く、リリーがそう言いながらマージンへと視線を送った。が、どうやらマージンは気づかなかったらしい。とは言え、気づいていたら気づいていたで、碌でもないことを口走りそうじゃな、などとディアナは考えていた。
ちなみにまたしてもアプローチに失敗したリリーはと言うと、少しだけ落ち込んだ後に即座に復活していた。その様子も見ていたディアナは溜息を飲み込みながら、
(こういうことに慣れてしまうのもどうかと思うのじゃがのう)
などと考えていたのだが。
ちなみに、デートコースという単語に反応したのは、グランスとアカリだった。
「そうだな。今まで行ったことはなかったが、写真は見たことがある。確かに、ミネアと歩いてみるのは良さそうだな」
そう言ったグランスの表情はとても優しかった。
ただ、弊害もあった。
「マージン……空気がなんかすっごく甘いんだけど?」
「そうやな。これは敵わんわ」
いつの間にかマージンの隣を陣取っていたリリーがこそこそとマージンに話しかけ、人のことはちゃんと分かるらしいマージンがそれに「うへぇ」と言いそうな顔で答えていた。
一方のアカリはと言うと、グランスが一人で醸し出したその空気に負けまいと張り合ったのだろうか。
「そうですね。あそこ、とっても綺麗ですし、私はレックさんと歩いてみたいです」
「「「…………」」」
はっきりとレックを名指ししたその台詞に、全員が固まった。ただ、言った本人も結構な覚悟が必要だったのか、焚き火の明かりでは分かりづらいが顔が真っ赤になっていた。
そんな固まった空間で最初に動き出したのは、ディアナだった。
「ついに……言いおった!」
がばっと立ち上がり様にそう叫ぶと、アカリの元に駆け寄り、その肩をバンバンと叩きだした。
「えっ!? ちょっ! ディアナさんっ! 痛い! 痛いです!」
メトロポリス大陸から出たことのないアカリには、身体強化なしでもディアナのそれは十分痛かったらしい。涙目になっての抗議に流石にディアナも少し頭を冷やした。
「おお、済まぬのう。じゃが、それだけ驚いたのじゃ。まさかこのタイミングで来るとはのう」
「えっと、その、ありがとうございます?」
思わずしどろもどろになって何故か礼を述べるアカリ。
一方、ディアナは目をキラーンと光らせると、そのまま視線でレックをロックオンした。
その視線にレックの背中を冷や汗が垂れた。が、逃げる暇など与えず、ディアナは口を開いた。
「で、レックよ。おぬしはどうするのじゃ?」
「ど、どうするって……」
「今のは誰がどう聞いてもアカリからおぬしへの告白じゃ。ならば、ちゃんと返事をせねばなるまい?」
ディアナのその台詞にリリーとグランスがうんうんと頷いた。マージンはと言うと、何時の間にやら目を閉じて船を漕いでいたがとりあえず誰も気づいていなかった。
そんな空気と化したマージンはさておき、ディアナの追求はとどまるところを知らなかった。
「女に恥をかかせるつもりなのかのう? 男としてそれはどうなのかのう?」
「え……あ……う……」
「さあさあ。アカリの気持ちを今頃知ったという訳でもあるまい? 考える時間も十分あったはずじゃ。さあさあさあ。返事はどうなのじゃ?」
そう言いながらじりじりとにじり寄ってくるディアナに、レックは助けを求めて他の仲間を見回した。
が、アカリは論外。リリーも駄目。というか、イヤ。グランスもその視線に生暖かい物が混じっているあたり、助けてはくれなさそう。となると、マージンしかいないわけだが、
「マージンが寝てる!?」
今更ながら、レックはそれに気づいた。
他の仲間達もマージンに視線を移し、
「いつの間に……」
「逃げたな……」
ぼそぼそとそんなことを言っていた。
ただ、リリーだけはいそいそとマージンにすり寄っていこうとしていたが、レックにはそこまで見ている余裕はなかった。再びディアナが詰め寄ってきつつあったからだ。
こうなっては、レックに取るべき道はほとんど残されていない。
「せ……」
「「「せ?」」」
レックの口から漏れた音に仲間達が首をかしげるや、
「戦略的撤退っ!」
レックはその場を逃げ出したのだった。
「……とまあ、そんな事があったわけだ」
翌朝、何故か随分と馬車から離れた所で寝ていたレックの姿を見つけて首をひねっていたクライストに、グランスが昨夜のことを説明していた。
「なるほどなぁ。その場面、俺も是非とも見てみたかったぜ」
そう言って笑うクライストにレックは、
「勘弁してよ。ホント、昨日は味方が一人もいなかったんだから……」
疲れたようにそう言った。
その様子を見たクライストは、昨日の今日ではレックが大変だろうなと、からかいたい気持ちを抑え込み、グランスに一つの件について答えることにした。
「ま、レックとアカリの事はまた後日しっかり聞かせて貰うことにして、だ。一足先に三人で様子を見てくるのはいいぜ」
「ああ、是非とも頼む。多分、場所さえ選べば割と安全だろうが、それでもキングダムと違って町から町へ移動する人間は相当珍しいからな。やはり、いきなり全員で行くのは気が引ける」
「そうだなぁ。正直、ありゃ珍獣扱いだったからな……」
情報収集のためにいくつかの町に入って宿を取ったときのことを思い出し、クライストが溜息を吐きつつそう言った。レックも思わずうんうんと頷いた。
キングダム大陸ではそれなりの数の冒険者が町から町へと移動しながら生活していることもあり、外から来た人間もそれほど目立つことはない。だが、メトロポリス大陸では町から町へと移動するのは物資の輸送隊くらいなもので、それ以外の旅人は皆無ではないもののかなり珍しかった。
そのせいか、ほぼ確実に門のところで足止めをくらう。言ってしまえば、どこぞの町か勢力のスパイではないかと疑われるのだ。途中の町の門番に、ある勢力が管理・支配している町限定の通行許可証を貰ってからは割と簡単に町に入れるようになったものの、酷いときには一時間近くも門のところで足止めされたこともあった。
ただ、何とか疑いが晴れて町に入れることになっても、今度は門番達からの好奇心に晒された。
何しろ、このご時世である。町の外の情報には皆飢えていた。輸送隊は滅多に来ないし、来ても荷物の積み卸しを終えるとあっという間に次の町へと行ってしまい、話を聞く暇も無いのだ。他の町の情報には皆が飢えていた。幸い、メトロポリスの近くまで来るとそれなりの頻度で人が行き来しているからか、門番達もレック達を足止めしてまで話を聞こうとはしなかったが、それでも珍獣を見るかのような視線は変わらなかった。
幸い、規模の大きい町なら一回中に入ってしまえば問題は無かった。流石に住人達が全員お互いの顔を覚えているわけでもない以上、知らない人間が歩いていても目立たないというわけである。ただ、規模の小さい町だと知らないうちに外から来た人間だとバレて、野次馬にたかられたりもしたのだが。
ただ、グランスはレックやクライストが味わったその苦労を話でしか知らなかった。
「まあ……助かった、とだけ言っておく」
同情するのも謝るのも何か違う。と言うわけで、グランスが何とか絞り出したその言葉に、レックとクライストは苦笑いした。
「ホントは、一度グランスにも経験して貰いたいんだけどね」
「ミネアとエイジがいるから無理だろ。な?」
クライストにそう言われ、今度はグランスが苦笑する番だった。
そして、朝食も終えた一行はもう少しだけメトロポリスに向かって近づくことにした。何しろ、まだメトロポリスまでは20km以上もあるのだ。レック達三人のことを考えれば、もう少し近づいておきたいというわけだった。
ただ、レック達がメトロポリスの様子を見てくる間、メトロポリスの外で三人を待つ残りの仲間達はあまりメトロポリスに近づくわけにも行かない。メトロポリスに行くことになれば隠れていても仕方ないが、危ないようならさっさと逃げるつもりなのだ。出来れば、意味も無く人目には付きたくなかった。
というわけで、昼前には馬車を森の中で止めた一行は、いよいよメトロポリスの様子を確認してくる三人と、その他の仲間達に別れることになった。
「俺達はこの辺りで野営してる。ここならメトロポリスの反対側にでも行かない限りはチャットで連絡も付くはずだ。こまめに定時連絡は入れてくれ」
「うむ。それと、命あっての物種じゃ。何かあったら、すぐに逃げるのじゃ。よいな?」
グランスとディアナにそう言われ、すっかり身支度を調えたレック達は軽く頷いた。
「グランス達も、何かあったらすぐに連絡して」
「ま、多分大丈夫やろうけどな」
「マージンの言うとおりだ。道から十分離れてしまえば、こっちは問題ない。やはり、心配なのはおまえ達の方だが……」
「その辺はうまくやるさ。最悪、身体強化をフルに使って逃げればまず逃げ切れるしな」
だから心配するなとクライストが言った。
それでも、恋する少女達は心配そうだった。別に今回に限った話ではないのだが、それでも今までより長い間離れることになるせいか、やはり心配しないというのは無理があるらしい。
「レックもクライストもマージンも……無事に帰ってこなきゃ、イヤだよ?」
そう言ったリリーの顔には、出来ればマージンと一緒に行きたいと露骨に書いてあるように見えた。が、
(そこで、マージンの名前しか口にせぬくらいでなくては、マージンのやつは反応せぬじゃろうな。リリーももう少しアカリを見習っても良い気がするのじゃが、のう……)
などとディアナが思っていたとおり、肝心のマージンは、
「大丈夫やって」
と笑うだけで、リリーの想いに気づいた様子は全くなかった。
一方のアカリはと言うと、昨日のあれでいろいろと吹っ切れたらしい。
「レックさん……無事に帰ってきてくださいね」
最早レックへの好意を隠すつもりなどさらさらなく、手を握らんとする堂々たる勢いでレックに近寄り――レックが微妙に逃げたため、手を握ることには失敗したが――見送りの挨拶を伝えていた。
ただ、微妙に逃げたレックも、それ以上は逃げられなかったのか、アカリの視線にがっちり固定され、
「あ、うん。あ、ありがとう」
と、微妙に視線を彷徨わせながらもそう答えた。
そんな様子を見ていたクライストがにやにやとしながら、レックと肩をがっしと組んだ。
「レック……後でしっかり聞かせて貰うからな?」
「そやな。どういう返事するんか、しっかり聞かせてもらうで……って、なんや?」
マージンは仲間達から浴びせられた視線に首をかしげた。
ただ、それには誰も答えず、
「いや……おぬしはもうしばらくそのままで良いのかも知れぬのう……」
リリーを一瞥したディアナがそう言ったのだった。
やがて、メトロポリスを目指して歩いて行ったレック達の背中も見えなくなると、残されたグランス達は馬車を道から逸らし、森の中へと進めた。
「100m程度じゃ少し不安か?」
「せめて、500mは離れておきたいのう」
グランスとディアナがそんなことを話しながら、馬車を森の奥へと進めていく。
グランスとしてはもう少し近くても良いかと思ったのだが、荷台の方から身を乗り出してきたエイジを見て、
「……そうだな。それくらいは離れておくか」
と、判断を翻した。
そうして数分ほど森の中を進んだグランス達は、ちょっとした広場のように木が生えていない場所を見つけ、当面の野営の場所と定めた。
後はレックが置いていった資材や何やらでちょっとした野営地を作り上げ、周囲の確認を済ませてしまうと日もまだ高いうちにすることが全くなくなってしまった。
こうなると、男性が三人も出て行ってしまい、女性ばかり残された蒼い月の面々が真っ先に始めるのが所謂ガールズトークだった。特に、昨夜のこともあって今日は話題には事欠かない。
「……エイジと少し散歩をしてくる」
女性陣からの無言の圧力に負けたのか、それともそれ以外の何かを察したのか、いそいそとグランスがエイジを連れてその場を離れると、残るは正真正銘女性ばかりだった。
「さて、と。空気を読んだグランスもおらぬようになったところで、アカリとリリーにはいろいろ吐いてもらわねばのう?」
にんまりと笑ったディアナに、
「そう……ですね。昨日はわたしも寝ていましたし……もう一度、そこからお願い……できますか?」
ミネアまでもが同調した。
それにディアナににんまりと睨まれて硬直していたリリーが反応した。
「そうそう! アカリってば、レックとデートがしたいって言ったんだよ!」
「それは……ついに言ったんですね。出来れば、もっと詳しく……聞きたいのですけど」
「ふむ。その辺りは私の方から説明しようかのう」
「え? ちょっと! ディアナさん、待ってください!」
尤も、ディアナがその程度で止まることはなく……森の中に黄色い悲鳴が響いたのだった。
「……この調子だとミネアも一緒に騒いでいるな」
エイジを連れたグランスは、遠くから聞こえてきた黄色い悲鳴に溜息を吐いた。ミネアのことは愛しているが、こういった所は流石に少々ついていけないところがあった。まあ、そういった話題で話をしろと言われない限りは特に問題だとは思っていないので、良いのだが。
そこまで考えたところで、グランスは意識を再び手を繋いで歩いている愛息子へと戻した。
「エイジ、こけるなよ?」
「うん」
なんだかんだで1歳と10ヶ月にもなれば片言の返事くらいは返ってくる。そのことに妙に嬉しさを感じながらも、グランスは周囲の様子に注意を払うことは怠らなかった。
この辺りのエネミーであれば、例え群れが相手であってもグランス一人でも問題なく殲滅できる。ただ、実際に群れが相手となるとまだ歩き始めたばかりのエイジを守り切るのは不可能だろう。
それでもエイジを連れて歩いているのは、この辺りもエネミーの姿を全くと言って良いほど見ないからだった。多分、食料として狩り尽くされたのだろうとはマージンの台詞だったか。
それでも、少しは生き残りがいるかも知れない。故に警戒だけは怠らないようにしているのだった。不意打ちさえ喰らわなければ、2~3体程度ならエイジを守りながらでも問題は無い。
「ぱーぱ、ぱーぱ」
そんな風に周囲に注意を払っていたグランスは、自らを呼んだエイジを見た。
「どうした? 疲れたか?」
グランスがそう訊くと、エイジはこくりと頷き、
「だっこ。だーっこ」
と要求してきた。その様子にグランスは相好を崩すと、エイジをしっかと抱き上げた。
「よしよし。もうしばらく歩いたら帰ろうな」
そう言いながら、エイジの頭を撫で、グランスの身体に緊張が走った。
「誰だっ!?」
そう叫んで、微かな足音のした方へと誰何の声を投げかけた。
しかし、何の答えも返ってこない。
気のせいかとグランスが緊張を緩めかけた時だった。もう一度、今度は隠すつもりもないのだろう。確かな足音が聞こえてきたかと思うと、木々の影から数人の人影が姿を現した。
グランスの緊張は一瞬にして最大にまで高まり、エイジを抱きかかえる手にも知らぬうちに力が入っていた。
そんなグランスの耳に次に入ってきたのは、柔らかい女性の声だった。
「……情報通り、確かに子供がいますね」
そう言ったのは、グランスの目の前に現れた先頭の人影だった。よく見ると、確かにスーツの胸のところが女性であることを主張するべく盛り上がっていた。
ただ、それでグランスが警戒を解く理由にはならない。むしろ、子供などいないメトロポリス大陸でエイジが見つかってしまった。その結果こそを警戒していた。
だが、幸いなことに現れた一団には、グランス達を力尽くでどうにかしようというつもりはなかったらしい。
「警戒されるのも分かりますが……あなた方に危害を加えようと思ってはいません。ただ、キングダムの冒険者というのは珍しいので、少し歓待がてら、話を聞かせていただきたいだけなのです」
「……歓待?」
「ええ。それに、私達であればメトロポリスの現状について、いろいろ説明して差し上げることも出来ますが?」
女性が言い出したことは、グランスにとっては是非とも知りたいことだった。ただ、こんなところで出くわした相手の言葉を最初から鵜呑みにするほどグランスは迂闊ではなかった。
ただ、同時に相手を下手に刺激することも出来ない。そのことも明らかだった。
今のところは確かにこちらに危害を加えてくる気配はないし、実際に武器も出してはいない。だが、アイテムボックスの中に何が入っているかは分かったものではないし、それが銃の類だとしたらグランスだけでは目の前の人数をどうにかして逃げる、という事は不可能だった。
何より、この場を切り抜けたとしても、近くにはミネア達がいる。
目の前の彼らがミネア達に気づいていなかったとしても、ガールズトーク真っ最中の彼女達の上げる声は、いずれここにまで聞こえてくるだろうし、そうなれば間違いなく彼らはミネア達に気づくだろう。
そこまで考えたグランスは、今は目の前の女性に頷くことにした。下手に相手に実力行使に出られると、要らぬ被害を出しかねなかった。
そこまでグランスが考えるのを待っていたのか、しばらく静かにしていた女性に、グランスは答えを返した。
「分かった。こちらに危害を加えないというなら、歓待を受けることにしよう」
その答えに、女性は軽く頷いた。そこにはそうなって当然だという傲慢さがあったが、緊張しきっているグランスが気づくことはなかった。
むしろ、女性の次の言葉に、自らの選択が正しかったと安堵したほどである。
「それでは、近くにおられるお連れ様の所へ参りましょう。あなた達だけ連れて行くと、誘拐になってしまいますから」
女性は冗談のつもりでそう言ったのだろうが、今のグランスには全く冗談には聞こえなかった。ただ、それでも今は相手を刺激しないようにと、引きつった笑顔で頷くだけだった。
そしてその頃、メトロポリスを目指して歩いていたレック達の目の前にも、数人の男女が姿を現していた。ただ、女性に関してはその格好は、
「メイドさんやないか」
呆れたようにマージンが発した言葉の通りである。おかげで、レックとクライストの間に走りかけていた緊張の糸が微妙に緩んでしまっていた。
おまけに、
「ええ。日本人の男性にはこの格好が受けると聞きましたが……どうですか? 似合っていますか?」
などとそのメイドが言ってくるものだから、緊張感はいつ壊滅してもおかしくない状態だった。
それでも、それくらいで完全に気を抜いてしまうほどレックもクライストも腑抜けてはいなかった。
「……それで、そのメイドさんが何の用?」
例えここで戦闘になったとしても、逃げるくらいは何とかなる。その自信がレックにしっかりとした態度をとることを可能とさせていた。
一方、メイドの方は思ったよりしっかりとしたレックの態度に軽く目を見開くと、両手でスカートの裾を軽くつまみ、すっと頭を下げてお辞儀をした。
それと同時に、スーツ姿の男達も胸に手を当て、腰を折った。
「私どもの主様が、あなた方とお話をしてみたいとのこと。よって、ご同行いただけますと幸いです」




