第十四章 第三話 ~襲撃の二日前~
「これは何事ですか!」
クラフランジェの町の中に作られた僅かな畑。報告を受けてそこへとやってきたミアナは、そこで繰り広げられていた光景を目にするやいなや、そう叫んだ。
「何事もくそもない! 俺達の正当な権利を行使してるだけだ!」
怒鳴り返したのは、畑の入り口にバリケードを築き、収穫のために畑に入ろうとしていた者達を閉め出していた男達の一人だった。
「正当な権利って……収穫を妨害することのどこが正当な権利だと!?」
一瞬絶句しつつも、そう怒鳴り返したミアナに、同じ男が怒鳴り返す。
「収穫したらこの町から持って出るつもりなんだろうが! だから、持って行かれないように守ってるんだよ!」
その言葉に、ミアナは懸念していたことの1つが当たってしまったと唇を噛んだ。
勿論、何も考えていなかったわけではないし、手も打とうとはしていた。だが、こちらが動くよりも先に動かれてしまった。
とは言え、悔やんでいても何も始まらない。問題はこれからどうするか、である。
すなわち、説得するか、実力行使で物を押さえるか、引き下がるか。
ただ、実力行使だけはなんとしても避けたかった。そんなことをすれば、互いに引けなくなってしまうし、武器も消耗してしまう。加えて、怪我人が出るのも避けることはできないだろう。
かといって、大人しく引き下がるのも難しい。相手を勢いづかせる一方、元々数で不利な立場にいる移住派の士気が下がってしまいかねない。
だが、何とか説得しようにも、「移住反対!」と繰り返し叫んでいるバリケードの男達は耳を貸す気配すらなかった。
「……一度、自警団長と相談してきます。それまで彼らから目を離さないでいてください」
そう、バリケードを取り囲んでいる移住派のメンバーに指示を出すと、ミアナは一緒に来ていた護衛の自警団員を連れて自らの屋敷へと戻るべく踵を返し、
「おやおや、これはこれは町長のミアナさんじゃありませんか。そんなに急いでどこに行かれるのですか?」
そうかけられた声に、足を止めた。
「ノシュノレスっ……」
自らに声をかけてきた男を見つけ、ミアナは歯がみするようにその男の名を口にした。
「ええ、そうです。ところで、先ほどの質問に答えて頂けていないのですが、私の質問はどうでもいいことなのでしょうか?」
普通に話しているだけのはずなのにノシュノレスの台詞が嫌みったらしく聞こえるのは、ユーゲルトあたりに言わせれば本人の性格が良く出ているとの事だった。ミアナも同じように感じていたからこそ、一時は副町長であったノシュノレスをここしばらく遠ざけていたのだが、こういうタイミングで出てくるとは……
そこまで考えて、ミアナはあることに気がついた。いや、確信したと言うべきか。
「……あのバリケード、あなたの指示ですね?」
「ええ。そうですとも。この町に残る我々にも食料は必要ですからね」
「それに関しては、出る者と残る者、その人数に応じて割り当てると通達したはずです。それとも、この町を出る者には食料を寄越さないとでも?」
「いえいえ。ただ、食料の割り当てを決めるメンバーが移住派のあなた方だけで固められているのは……不公平だとは思いませんか?」
ノシュノレスの言うとおり、確かに町に残す物資と持ち出す物資。それぞれの内訳を決める立場にいるのは、ミアナ達移住派だけだった。
尤も、その理由は簡単だった。
「移住に反対している者達は、役割分担を決める会議に一人も参加しなかったからでしょう。それで今更やり直せとでも?」
昨日の演説の後、ユーゲルトといろいろ相談したミアナは、移住派の説得はとりあえず置いておいて、移住派と移住反対派それぞれに割り当てる物資の量を決めるための打ち合わせを夕方に開いていた。
だが、移住派と移住反対派、それぞれの主要メンバーと思われる者達に連絡を送ったにも関わらず、参加したのは移住派の者達だけ。つまり、移住反対派は一人も参加しなかったのである。
だからこそ、今更のこのこ出てきて割り当ての内容に異議を唱えようとしているノシュノレスに、ミアナは心底苛立っていた。
「いえいえ。そこまでは言いませんとも。ただ、最終的な割り当てを決めるときには、我々も立ち会わせてもらいたいと思うのですが? どうせ、人数が流動的だと言って、一人あたりの割り当ては決めていても、全体としての割り当ては決まっていないのでしょう?」
いかにも人を食ったような言い方でそう言うノシュノレスに、ミアナの苛立ちは更に増し、それでも何とかミアナはそれを押さえ込んだ。
「……分かりました。それは構いません。それでは、すぐにでも収穫を始められるように、バリケードを撤去してもらいたいのですが?」
「いいでしょう」
あっさりとノシュノレスは頷いた。それにミアナはかなり驚いたのだが、その驚きはすぐに覆されてしまった。
「……すいません。ノシュノレスさんの指示でもこのバリケードは撤去できません」
バリケードを固めていた男達が、あっさりと首を振ったからである。曰く、他の移住反対派のメンバーからも指示が出ているとのことで、ノシュノレスだけの指示には従えないとのことだった。
そのことに憤然としながら戻っていくミアナの後ろ姿を見送っているノシュノレスに、バリケードの男達の一人が近寄り、そっと声をかけた。
「いいんですか? 絶対あれ、怒ってますよ?」
「いいのですよ。こっちは所詮、本命の時間稼ぎに過ぎないのですからね」
ノシュノレスはそう言うと、本命の作戦の進捗へと思いを巡らせた。
さて、そのノシュノレスが思いを巡らせた本命の作戦とは――
要するに、自警団の切り崩しである。
ロバーシュ達がいなくなった自警団は、ユーゲルトのそれなりの人望もあって、大多数が移住に賛成していた。それが、非戦闘員である一般住民からも移住に賛成する者達が数多く出ている理由だった。つまり、自警団が道中守ってくれるからと言う安心感である。
では、その自警団がなくなる――とまでは言わずとも、弱体化したらどうなのか?
答えは簡単で、キングダムまでの道中の安全に懸念を抱いた一般住民が次々と移住反対に回ることになるだろう。勿論、積極的に反対することはないだろうが、賛成派の勢いを殺ぐには十分だと思われた。
尤も、ノシュノレスの作戦はそれにとどまらない。
自警団員の一部が略奪団として活動していたことも、ノシュノレスは知っていた。そこで、こちら側に取り込んだ自警団員の一部をクラフランジェ周辺に派遣し、物資の略奪をさせてくる。そして、その物資を住人達に見せつけることで、クラフランジェから移住しなくても良いのだと思わせる。
(そうなる前に、衝突が起きるかも知れませんがね……)
そう考えたノシュノレスは、くふふ、と周りに気づかれないよう笑いを漏らしたのだった。
その日から、クラフランジェの雰囲気は一気に悪くなっていった。
移住派の者達が行おうとしている準備の悉くを移住反対派の者達が妨害したため、移住の準備は捗らず、代わりに移住派の者達のストレスだけが急激に膨れ上がっていったのだ。
一方、なんだかんだでちまちまと進んでいく移住の準備に、ノシュノレスを中心とした移住反対派にも焦りが生まれつつあった。自警団員を切り崩していく計画は進めているのだが、当初の予想よりも移住反対派側に寝返ってくる自警団員の数が少なかったのである。
「……まだ、たったの16人か」
ミアナの演説から三日が経ち、いつものようにひっそりと集まった移住反対派――ノシュノレス派の幹部達は、思うように進まない計画に溜息を吐いていた。
「これじゃ、次の段階にいつまで経っても進めないじゃないか」
誰かが漏らした不満に、「そうだそうだ」と同調する声が幾つも上がった。
そんな目の前の様子を、ノシュノレスは初めてこのメンツを集めたときのことを思い出しつつ、呆れ半分、小馬鹿にする気持ち半分で眺めていた。
(所詮、自らで考えることも、責任を取ることもできない連中の集まりか)
初めて集まったときも、結局は無難な意見しか出さず、結局はノシュノレスがそれとなく提示した作戦に賛成するだけに終わったような連中なのである。尤も、そんな連中だからこそ、ノシュノレスが声をかけたのだが。
とは言え、このまま放っておいては自分の方に要らない火の粉が飛んできそうでもあった。あと数日は余裕があるだろうが、この手の連中はここまで来ると、いつ爆発してもおかしくなかった。
だからこそ、ノシュノレスは宣言した。
「計画を次に進めましょう」
静かな声で告げられたそれは、しかしその場にいた全員の耳にしっかりと届いた。
その証拠に、一瞬部屋は静まりかえり、誰かがその静寂を破ろうとしたその直前、ノシュノレスは口を開いた。
「予定した人数はかなりの余裕を持って設定した数値です。16人もいれば、最初から我々に賛同してくれている者達と合わせれば十分な数になります」
「しかし、それではクラフランジェに戦える者が残らないんじゃないか?」
「そうだ。移住派に攻撃されたらひとたまりもないぞ」
我が身を案じているとしか思えないそんな弱気な発言を、ノシュノレスはフンと鼻で笑い飛ばした。――勿論、気づかれないようにだが。
「移住派も確かに随分とストレスが貯まっているようです。ですので、彼らの妨害を少し緩めましょう」
「しかし、それじゃ彼らの準備が終わってしまわないか?」
「勿論、そうならない程度に、です。どこか一箇所だけ目に見える形で緩めて、他でそれとなく妨害をきつくすれば良いのです」
「それ、まるっきり詐欺師じゃないか!」
苦笑が混じった誰かの突っ込みを、ノシュノレスはあっさり肯定した。
「そうですとも。しかし、良い方法でしょう?」
ノシュノレスのちょっとおどけたその台詞に、集まった者達は頷きながらもちょっとした笑いに包まれたのだった。
そんな風に、クラフランジェの空気が悪くなりつつあることを、グランス達は感じ取っていた。宿の中まではまだ外の騒ぎが波及してきていないものの、窓の外から聞こえる怒声や何かが壊れる音。それらの頻度は確実に増えつつあった。
「まあ、結局のところ、移住派と移住反対派の間で揉めてるってことなんだけどな」
そう、仲間達に総括したのは、ミアナに用事があると言って出かけたマージン。ではなく、マージンと一緒にミアナのところにまで行ってきたクライストだった。
ちなみに、マージンがミアナのところにまで行ってきたのは、この間丸一日を潰して作っていたカードについて話があったからである。が、今はそれは置いておこう。
クライストから話を聞いた仲間達の感想は、
「やっぱりそうなったか」
というものだった。
自分達が選択肢の1つとして提案したものだけに、キングダムへの移住がどれだけ困難かは分かっていたし、それに抵抗する者達が少なからず出てくることも予想はしていた。その結果、移住派と移住反対派の間で何かしらのトラブルが起きることも、である。
ただ、それでも実際に揉め事が生じたと聞くと、いい気はしない。
「私達にも影響、あるんでしょうか?」
アカリの疑問にすぐに答えられた者はいなかった。あって欲しくはないが、十中八九そうなるだろうと思っていたからである。勿論、それはアカリも同様だったので、グランス達から答えが返ってこないことを気にしたりはしなかった。
「……やっぱ、もうここを離れた方がいいんじゃねぇか?」
「そうかも知れないね~……」
クライストの言葉に、リリーが頷いた。
それに対し、グランスはやや消極的な態度だった。
「それはそうかも知れんが……まだ、俺達に害があると決まったわけじゃない」
もうしばらく、クラフランジェの行く末を見届けていきたいと思っているのか、そんな感じで歯切れが悪かった。
「ふむ。ならば、いっそのこと、積極的に介入するかの? 反対派の妨害を排除する程度、造作も無いからのう」
やたらと好戦的な台詞を吐いたのはディアナである。
実際、身体強化が使えないメトロポリスの人間相手ならば、正面からぶつかればグランス達が負ける要素などほとんど無かった。単に、バリケードを築いて移住派の邪魔をしている移住反対派の排除程度、ディアナの言ったように造作も無いのである。
だが、グランスはあっさりと首を振った。
「駄目だ。それをやれば、間違いなく悪い形で巻き込まれる。そうなったら、最悪の事態が起きかねん」
そう言ったグランスの視線はミネアとエイジへと向けられていた。
「……確かにのう。無理は禁物じゃな」
二人を見たディアナも、あっさりと主張を引っ込めた。流石に仲間を危険に晒すような無理はするつもりはなかった。
「じゃが、本格的に衝突が始まるようでは、このままというわけにはいかぬぞ?」
「……分かっている」
グランスはそう苦しげに答えた。そんなグランスを見ながら、いつも通り暢気そうに、マージンが口を開いた。
「ま、ええんちゃう? 今は下手に動かん方がええやろうしな」
「どういうことだ?」
「勘や」
あっさりそう答えたマージンに、クライストが露骨な溜息を吐いた。「それで何かあったらどうすんだよ」という言葉は言っても仕方ないことだと飲み込んだが、マージンはクライストが何か言いたかったことには気づいたらしい。
「まあ、理由はこじつけやけども1つあってな? 今、下手に出発しても、後ろから何か追いかけてくるんやないかって、警戒しながらになるで。それくらいなら、ここがどうなったか見届けてから出発するんは、ありなんちゃうか?」
こじつけと言う割にはしっかりした理由に、クライストもそれはそうかと頷かざるを得なかったのだった。
日も傾きかけた時刻。
既にこの高さからでも太陽は山の稜線まであと少しとなっていた。勿論、空は明日の天気の良さを宣言するかのような、見事な赤に染まっていた。ただ、地上、それも山の影であれば、既に薄暗くなり始めていることだろう。
そんな空を、レックとリーフは飛んでいた。
場所はクラフランジェより南西の方角。クライストが聞いたという蹄の音の一団。その彼らが向かったであろう付近を捜索するためである。
「何にもないよね。いいことだけどさ」
暇を持て余したレックはそうぼやいた。時々、クランチャットで仲間達と会話をしているのだが、四六時中付き合ってもらうわけにも行かず、かといってリーフは話し相手にはいまいち不足である。そんなわけで、絶賛暇を持て余し中だった。
それでもまだ、何かしら気を張り続けていることができれば良かったのだが、クライストを見つけられたことで一度抜けてしまった気はなかなか元に戻らなかった。念のためと言うことで、クラフランジェ周辺の偵察を行っているわけだが、今日でそれも三日目。にもかかわらず、こうも何も見つからないせいで気も抜けたままだった。
ちなみに、クラフランジェの雰囲気がここのところきな臭くなってきているのだが、今のところレックには教えない方がいいだろうとの年長組の判断により、レックはまだ何も知らないままだったりする。
山の影に入った部分は既に身体強化で視力を強化しても見分けづらくなりつつあった。谷間などは、明るいところとのギャップでほとんど真っ黒にしか見えないところもある。それでも、レックの視力なら何とか形が見えるあたり、レックの身体強化の強度も相当なものである。
「こんなんじゃ、いくらでも見落としそうだよね」
「きゅるるる」
同意なのか何なのか、分からない鳴き声をリーフがあげ、レックは思わず苦い笑みを浮かべた。
(すっかり、リーフ相手に何かしゃべる癖がついてるなぁ)
できればもう一人くらい一緒に空を飛んでくれる仲間がいるといいんだけど、と考えかけたレックは、頭をぶんぶんと振って脳裏に浮かんだリリーの顔を振り払った。
レックから見ても、リリーはマージンに好意を持っていた。下手なアプローチはうざいと思われそうで、でもそうなると何もできなくて、それでも諦めることは難しくて、時々妙なアプローチをしてしまう。
そんな自分を振り返ると溜息しか出ないのだが、それでは、リリーに好意を寄せられているマージンはと言うと、気づいていないのか無視しているのか、リリーの好意に応える気配など全くなかった。
(あれはあれで、ちょっとイラッとするんだよね……)
と、仲間に対して持つべきではない感情を抱きそうになり、慌てて思考を逸らす。
すると、今度はアカリの顔が脳裏に浮かび上がってきた。
実のところ、流石にレックもアカリがちょくちょく向けてくる視線には気づいていた。その意味までは流石に理解できた自信は無いが、
「でも、そう言う意味……でもおかしくないよね?」
今更何か警戒されているわけでもなさそうだし、嫌われていることもないと思う。なら、消去法で残るのは、そういう感情なのだろう。
だが、素直にそうとは信じられなかった。
確かに、最初の出会いを考えるなら、印象だけはしっかり残っていてもおかしくはない。ただ、グランスやクライストといったしっかり者の年長組がいることを考えれば、レックよりもそっちに惹かれる方が自然だと思えた。
(うーん……よく分からないな)
そこまで考えたところで、レックは頭を振って眼下の光景に集中しようとして、そろそろ帰るべき時間だと気がついた。
「まだ、6時くらいなんだろうけどね」
そろそろ本格的に暗くなる。そうなってしまえば、流石にまともな偵察などできなくなってしまう。
そうなる前にクラフランジェに戻ろうとしたレックは、ふと眼下に広がる景色、その一部に違和感を感じた。
「……なんか、気になるな」
そのまま帰ってしまっても良かったが、気になることを放置するべきではないと、レック自身の経験も、サビエルの経験も訴えていた。
「リーフ、もうちょっとあの辺に近づいてくれる?」
そうリーフに指示を出し、気になった付近の上空へと移動した。ただ、山の影に入ってしまっているせいで、なかなか詳細を見て取れない。
レックはやむを得ず、リーフに高度を少し下げてもらい、そして、
「……っ! 報告しないと!」
明らかに大人数が野営したと思しき痕跡を確認し、クランチャットで慌てて連絡を入れるのだった。
その頃、クラフランジェの東門を確認できる山の斜面に、数騎の人馬の影があった。
着実に夜の帳が迫りつつある中で、既にクラフランジェの様子など、彼らのいる場所からはまともには見ることはできない。ただ、逆に言うならば、クラフランジェからも彼らの姿を確認することは不可能だと言っていいだろう。
そんな彼らのうち、先頭の人馬から男の声が漏れた。
「まだ、目立った動きはないようだな」
今、ここからクラフランジェの様子をしっかと確認することはできないが、数時間前にここに着いてからずっとクラフランジェの様子を見晴らせている部下達からの報告は聞いていた。中で何が起きているかは知らないが、少なくとも外に対する動きは今のところ見受けられない。
「……本当に、出てくるんでしょうか?」
男に付き添っていた一人から、そんな質問が漏れた。それに、機嫌を損ねることもなく男は答えた。
「出てこないなら出てこないで、こっちから攻め立てるまでだ。あまり長引かせても、食料が勿体ないだけだからな」
「既に脱出した後ということは……ないでしょうか?」
また別の部下から出た質問に、男は嘲笑を返した。
「二日や三日で荷物まとめて数千人が町を捨てるというのか? 無理だな。あり得ん」
そう言い切った男は、少し考えてから言葉を続けた。
「万が一そうだったとして、だ。それならまともに荷物を持ち出せているわけがない。つまり、俺達は何の苦労もなく残された荷物を回収すればいいだけだ。問題は無い」
そう答えると、逆に男は部下に質問をぶつけた。
「それで、西門の方はどうなっている?」
男は、配下の部隊を2つに分けていた。一方が男のいるクラフランジェ東側。もう一方がクラフランジェの西側に配置されていた。言うまでも無く、どちらからクラフランジェの連中が出てきても、即応できるように、である。
だが、これには問題もあった。部隊同士の距離が些か開きすぎてしまったのである。
クラフランジェから見えない位置に部隊を配置しなくてはならなかったため、クラフランジェを挟んで配置した2つの部隊の距離は、軽く6km程度はある。しかも、実際に2つの部隊の間を行き来するためには、川やら何やら諸々の事情のために15km以上の距離を移動しなくてはならなかった。そのために、連絡を取るだけならギルドチャットがあるので問題ないが、実際に部隊を合流させるとなると半日はかかってしまう。
それでも、見張っていない方の門から知らない間に抜け出されるよりはマシなのだが、それはさておき。
「今のところ、あちらもこれといった動きはないそうです」
その報告に男は満足げに頷いた。
「とりあえず、今日明日は様子見だ。幸い、昨日くらいから暖かいしな」
ようやく北方ならではの遅い春が訪れようとしているのか、夜間の冷え込みも随分と和らいできていた。いつまでも、とはいかないまでも、これならクラフランジェを見張るのも随分と楽にはなる。
「戻るぞ。ここにいても仕方ないからな」
間もなく日は完全に落ちる。故に、もう今日はクラフランジェを見張る必要もなくなる。男はそう判断した。
クラフランジェから移住する者達がクラフランジェを発つのをわざわざ夜にするとは思えない。大人数での夜の移動は、慣れているか訓練されていなければ相当困難なのだ。ちょっと想像力のある人間なら、そんなことをすれば、まず間違いなく相当な人数がはぐれてしまうと容易に想像できるだろう。
それはさておき、見張りすら残さずに男達はその場を後にした。西門の方でも同じように見張りについていた者達が部隊へと合流するべく、クラフランジェからは見えない位置へと移動して行っていた。
だから、空から何かがクラフランジェに舞い降りるのを見ることはなかったのだった。




