第二章 第三話 ~風見鶏とオオトカゲ~
結論から言うと、蒼い月メンバー全員が治癒魔法を使える――ようにはならなかった。
どうやっても何回やっても、祭壇が反応しなかったのはグランス一人だけだったのだが(とても寂しそうにしていた)、リリーとディアナは何度練習しても治癒魔法を発動できなかった。
「何で出来ないのよ~!」
と叫びながらリリーはナイフを振り回すし、ディアナは落ち着いているようで明らかに機嫌が悪くなっていたみたいで、無言のままクライストやマージン、レックの頭をべしべしがしがしと杖で殴っていた。
いつもなら誰かしら止めに入るところだが、グランスは役に立たなくなっていたし、ミネアにはあまり期待できなかった。残り3人はリリーとディアナの嫉妬の対象であったため、止めようとしても火に油を注ぐだけであった。
結局、自然鎮火を待つことになったものの、リリーとディアナの機嫌が戻るまで、1時間以上を要した。
「そんなに落ち込まなくても、他の祭壇だったらいけるかも知れないよ」
エントータへ戻る蒼い月のパーティの先頭で、何かにつけてレックはグランスに声をかけていた。これ以上粘ると森を出る前に暗くなってしまうくらいにまで、グランスは粘った。それにも関わらず、一人だけ祭壇が反応しなかったことで、どう見ても凹んでいるグランスを慰めようとしているのだった。
「ああ……そうだな」
そのことが功を奏したのか、それとも時間が経って立ち直ってきたのか分からないものの、グランスは少しは立ち直ってきていた。
ちなみに、グランスとレックの後ろを歩いているリリーとディアナは、ある程度機嫌が直ったものの、いつまでもクライスト達をいびっていると暗くなる前に森から出られないから、渋々いびるのを諦めただけで、あまり機嫌がいいとは言えなかった。そんなんだから、本人達はおしゃべりなどする気はないし、周りも怖くて話しかけられていない。
それどころか、一番後ろを歩いているクライスト達は、リリーとディアナを刺激するまいと余計な会話自体を控えていたので、今、仲間達の中で何かしらしゃべっているのはレックだけだった。もっともそれも、ずっと話し続けているわけではないので、どちらかというとレック達は黙々と歩き続けていたのだが。
そんな感じで祭壇を離れて、それまでつけてきた目印に沿ってかれこれ1時間も歩いた頃だった。
「……なんか聞こえねえか?」
ふと立ち止まって耳を澄まし、クライストが言った。
「気のせいじゃろう」
まだ機嫌の悪いディアナが切り捨てる。
「いや……確かに何か聞こえるんだが……」
更に耳を澄ますクライスト。
やむを得ず、仲間達も全員足を止め、耳を澄ませてみる。
しかし、ただでさえ森の中は遠くの音が木々に吸われて聞こえづらい。おまけに、雨音のせいで小さな音はまともに聞こえなかった。が、
「確かに、何か聞こえるね……」
リリーも真面目な顔になって、クライストの言葉を肯定した。
「俺には聞こえないが……どんな音だ?」
「よく分かんないけど……金属音?」
リリーの返事を聞いたグランスも、仲間達も一気に表情が引き締まった。一足遅れて、リリーも自分の言葉の意味に気づいた。
「どっちからだ!?」
グランスの言葉に、もう一度耳を澄ませ、リリーは音の方角を確かめた。
「こっち!」
そう言って走り出すリリーの後を、仲間達は追いかけ始めた。
クライストが聞きつけ、リリーが金属音と判断したそれは、間違いなく戦闘の音だ。この森の中で、プレイヤー以外に金属音を出す物などいないし、プレイヤーとて戦闘でもなければ遠くまで聞こえるような金属音を立てたりはしない。
リリーの後を走りながらグランスは、
「近づいたら一度様子見だ。ただしやばそうだったら、即座に助けに入る!いいな!?」
その確認に、
「「「分かった!」」」
「了解じゃ!」
仲間達から即座に返事が返る。
そして、藪を避けながら走り続けるレック達。水を撥ね飛ばすのも気にはしていられない。
すぐに誰の耳にも確かな金属音が聞こえるようになり、武器を振るプレイヤーの気合いの声と叫び声や悲鳴も聞こえ始めた。もう、50メートルもないだろうが、様子見している暇は無さそうだった。
「グランス、どうする?」
「決まってる。到着次第即座に戦うぞ」
念のため、クライストがグランスに即座に助けに入ることを確認する。グランスは続けて、
「ミネアは怪我人を癒せ。リリーはその手伝い。他は全員で敵を潰す」
その指示に仲間達が頷く。
戦場までもう20メートルもなかった。
そして、
「っらぁぁぁぁぁぁ!!!」
木立の間に見えたオオトカゲの水色の背中めがけて、マージンがツーハンドソードを振り下ろす。
途中、マージンに気づいたトカゲが振り返ったが、それはツーハンドソードを頭で受け止めるという結果に終わった。意外と硬いトカゲの頭だったが、それでもツーハンドソードの一撃を食らって無事なわけもなく、そのトカゲは即死した。
だが、
「なんだこりゃ!?」
クライストが驚いたのも無理はない。
駆けつけた彼らの見たものは、10匹を越える5メートル級のオオトカゲに囲まれた6人のプレイヤーだった。その中の倒れた二人をかばうように4人が戦っていたようだが、全方位を囲まれ、じり貧そのものだったようだ。
トカゲ自体はマージンが今殺したトカゲを含め、既に6匹が地面に這いつくばっている所を見ると、最初は20匹以上いたということになる。
そいつら相手にどれだけ苦戦したのかは、ぼろぼろになったプレイヤー達を見ればよく分かった。
「おおおぉぉぉぉ!!」
その場にいたプレイヤー達とトカゲが呆気にとられている間に、グランスが戦斧で別のトカゲの胴体を輪切りにした。
「グランス、私はミネアの方を手伝うとするぞ?」
自分の武器ではトカゲに太刀打ちできないと見たディアナが、即座に役割変更を伝える。
「分かった!クライストは支援頼む!」
「おうよ!」
グランスの指示を受けるまでもなく、手前のトカゲの頭部に次々と銃弾を撃ち込んでいくクライスト。
頭部に銃弾を受けたものの、何が起きているかも分からず暴れ始めたオオトカゲにレックが接近し、左の手甲で前足の爪を防ぎながら、右手の剣をオオトカゲの胸に深々と埋め込んだ。
「外した!?」
「いや、大丈夫だ!」
すぐに剣を抜き取って距離をとったものの、即座には倒れなかったトカゲに心臓を刺し損ねたかとレックは思ったが、クライストが言ったように10秒も経たずにそのトカゲの動きは鈍っていった。
「そこ、ぼさっとするな!後ろから来るぞ!!」
グランスがトカゲ共に囲まれていたプレイヤー達を怒鳴りつける。事実、彼らよりも先に立ち直ったトカゲたちが、状況の変化について行けずにぼけーっとしていたプレイヤー達に襲いかかろうとしていた。
慌てて振り返り、それに応戦し始めるプレイヤー達。間一髪だった。
その間にも、マージンとクライスト・レックコンビが1匹ずつオオトカゲを仕留め、既に完全に囲みは破られた形になっていた。
「大丈夫ですか!?」
もう、トカゲたちが怪我人を襲いに来る余裕はないと見て、ミネア達が倒れている二人の下に駆け寄った。
「これは、酷いのう……」
怪我の様子を確認し、ディアナが顔を顰めた。リリーはあまりのひどさに言葉も出ない。
倒れていた怪我人は男女一人ずつ。
横向きに倒れていた男の方は、背中が大きく切り裂かれ、腕も半ばまで食い千切られかけていた。まだ生きているのが不思議なくらいだが、放っておけばすぐに絶命してもおかしくない。
女の方も胸から腹にかけて、爪痕が数本深々と走っていた。男に比べればまだ軽傷ではあるが、動かせるような傷ではなかった。
「男の方から始めます……!」
キッと顔を引き締め、その背中の傷に手をかざし、ミネアは治癒魔法の詠唱を開始した。
「あんたら、何してるんだ!!」
ミネア達に気づいた男の仲間の一人が叫び、ミネアに剣を向けようとしたが、ディアナに阻まれ後ろからはトカゲが迫り、慌ててトカゲに向き直る。
それを確認したミネアは、ほっと一息つくと、目を閉じ、魔力の感覚を研ぎ澄ませ、詠唱を開始した。
「生命の息吹、神秘なる水、内に秘められし陰陽よ
汝、我が前に汝があるべき姿を示せ
我が魔導の導きに従いて、正しきあり方を取り戻せ!」
「「「それは!?」」」
男の仲間達が驚きの声を上げる。
その眼前で、ミネアの手から放たれた白い光が男の背中に吸い込まれていき、酷かった傷が少しずつ閉じていった。しかし、あまりにも酷い傷だったためか、一回では治りきらない。
「……はぁっ……はぁっ……」
息を荒くしながらも、目を開けてそれを確認したミネアは、もう一度詠唱しようとして、
「ミネア、きついなら一度休め。レック、クライスト、マージン、頼むぞ」
グランスに止められた。
ミネアが顔を上げると、既に動いているオオトカゲは周囲にいなかった。どうやら、全て倒すか、追い払うかしたらしい。その推測を裏付けるように、
「ディアナ、リリー。戻ってこないとは思うが、4匹ほど逃げた。見張りを頼む」
グランスの指示で、レックとクライストが倒れている男にマージンが女に、繰り返し治癒魔法をかけ、その傷を着実に塞いでいく。
その様を見ていた怪我人の仲間達が顔に驚愕を貼り付けたまま、
「あ、あんたたち、それはまさか……!?」
「そうだ。治癒魔法だ」
グランスが短く答えると、
「じゃあ、リツコとミツクニは助かるのか!?」
興奮したように叫ぶ彼らに、
「保証はできん。どこまで傷を治せるのか、俺たちにもまだ分かってないんだ」
「それでもいい!二人を助けてくれ!!」
「頼む!!」
次々に頭を下げる彼らに、グランスは困ったように治癒魔法をかけていた3人を見た。
それでグランスが訊きたいことを察したのだろう。
「リツコはんゆうんか?女の子の方は終わったで」
とアイテムボックスから取り出したハンカチで、倒れているリツコのお腹の血を拭き取りながら、マージンが答えた。
「うん、このくらいの傷なら問題なく治せるみたいやな」
きれいにはならなかったものの、傷が塞がっていることを確認し、満足そうに頷くマージン。
「こっちはちょっと微妙かな?」
ミツクニに治癒魔法をかけていたレックも、結果を報告する。
「微妙って何だ!?」
慌てる怪我人の仲間達に、
「えっと、命に別状はないと思うんだけど……」
「怪我が酷かったからな。擦り傷程度と痣が残っちまった」
疲れ果てた様子でレックとクライスト。
やはり、酷い傷を治しきるのは大変だということらしい。しかし、傷の程度に応じて、治癒魔法を使う側に負担がかかるのは当然とも言えた。
だが、命に別状はないと聞いて、怪我人の仲間達は一気に安堵した。力が抜けたのか、地面に座り込んでしまった。
「ホント、よかったよ~!」
「ああ、マジで良かった!」
挙げ句、泣き出してしまうプレイヤーもいたが、蒼い月メンバーにそれを止めようとする者はいなかった。
その後、気絶していたミツクニとリツコの頬を、彼らの仲間達がぺしぺし叩いて二人を起こした。
「ありがとうございました」
二人は自分たちが負っていた怪我が治っている理由を聞くと、レック達に深々と頭を下げて、礼を言った。
「人として当たり前のことをしたまでだ。気にしないでくれ」
グランスが蒼い月を代表して応じるが、それでも二人はまだ礼を言い足りないと言わんばかりだった。
死ぬところを助けられたのだから、気持ちは分からないでもない蒼い月メンバーだったが、いつまでも終わらないお礼というのもアレである。幸い、
「あんまりしつこいと、お礼もただの迷惑になるから」
二人の仲間がそう取りなして、レック達が思っていたよりあっさりとミツクニとリツコは引き下がった。
その上で、改めて自己紹介を行うことになった。まずは、助けて貰った側からということで、
「俺たちは風見鶏というクランのメンバーだ。俺がタックス」
「ギガビーだ」
「ワタシはレイニーよ」
「アキラってんだ」
「もう知ってると思うけど、ミツクニです」
「同じく、リツコです」
青髪のレイニーを除けば見事に全員赤毛(系)の彼らは、いずれもオオトカゲにやられて、防具や服は原形を留めていないとまではいかないものの、かなりぼろぼろだった。剣だの槍だのといった武器は無くしていなかったものの、敗残パーティの雰囲気満々だった。
無論、レック達はそんなことは言わなかったが。
とりあえず、彼らが名乗ったので次は蒼い月の番だった。
「俺たちは蒼い月というクランだ。ここにいるので全員の小規模なクランだ。で、俺がグランス」
「クライストだ」
「ディアナじゃ」
「リリーよ」
「僕はレック」
「ミネア、です」
「で、わいがマージンや」
と、自己紹介が一通り終わると、当然のように質問タイムになった。
「何であんな事になったんだ?」
最初にクライストが訊いたのは、当然あれだけのオオトカゲに囲まれてしまった経緯である。
レック達も風見鶏のメンバーを襲っていた水色のオオトカゲとは何回かやり合っていたが、オオトカゲは大抵は単独行動か多くても2~3匹が行動を共にしている程度で、あんな数に一度に襲われるというのはちょっと考えにくかった。
ただ、風見鶏がああなった理由は割と簡単だった。
「戦闘を回避して逃げまくっていたらああなっちまったんだ」
「逃げ切れたと思っていたんですが、実は後ろから追いかけられていて……」
そういうことらしい。
死の危険と隣り合わせの冒険者の行動としては、あまりに迂闊な行為としか言いようがなかった。
「二度とああならないように、気をつけないとな。死んだら元も子もない」
と、タックスが締めた。おかげで、注意すべきかどうか悩んでいた蒼い月のメンバーは、風見鶏のメンバーに気づかれないようにホッとため息をついたのだった。
「次はこっちが質問してもいいか?」
ピンチに陥っていた理由をタックス達が説明した後、今度は彼らの方から蒼い月に質問をしてきた。内容は勿論、
「治癒魔法なんてどこで覚えたんだ?」
である。
「見当はついていると思うが、祭壇を発見してな。そこで覚えた」
今更隠すようなことでもないので、グランスはあっさり教えた。
「マジか。いや、マジなんだろうな」
実際、治癒魔法を目の前で使われていれば、疑う余地は無いに等しい。
「祭壇ってどこで見つけたんだ?」
再びタックスがグランスに訊く。
「一応、ここから遠くは離れてないが……詳細な場所はギルドに報告してからなら教えられるが?」
祭壇の詳しい場所には冒険者ギルドから多額の賞金がかかっているだけに、さすがにグランスは回答を拒否した。複数のパーティが同日に発見した場合、懸賞金は山分けになってしまうから、当然の心理ではあった。
その回答に、風見鶏の面々はちょっと顔を顰めたが、懸賞金のこともあってか仕方ないと割り切ったようだ。代わりに治癒魔法についての他の情報を引き出そうと、
「誰でも覚えられるのか?」
とか、
「どのくらいの傷まで治せるんだ?」
とか、
「何回くらい使えるんだ?」
とか、タックスとアキラが交互に訊いてきた。
ただ、レック達も覚えたばかりで詳しいことを知っているわけではなかった。
「誰でも使えるようになる訳じゃないみたいだな。うちは4人しか使えるようにならなかった。まあ、コツがあるのかも知れんが。
性能と回数はさっき見たとおりだ。ただ、個人差はあるかも知れん」
隠すことでもあるまいしと、その辺のことはグランスはすらすら答えた。
「使えるプレイヤーは詠唱さえしたら使えるのか?」
タックスのこの質問には、グランスは少々困った顔になった。何しろ、蒼い月メンバーでは唯一、使えないだけではなく祭壇が反応すらしてくれなかった本人である。
「詠唱だけじゃ無理やで」
グランスの視線を受けて代わりに答えたのはマージンだった。もっとも、それだけでは説明が短すぎると思ったのか、
「ジ・アナザーでも魔力ゆうんかな?兎に角、それの動かし方も重要みたいや」
と付け加える。
「それじゃ、この場で教えてくれと言っても?」
「無理やな」
まあ、予想はしていたのか、タックスは特に落胆した様子はなかった。
どう考えても、さっき祭壇で覚えてきたばかりのプレイヤーが、他のプレイヤーにスキルを教えられるほど上達してるとは思えない。魔法が動作だけ見よう見まねで覚えられるような簡単な物ならもっと使えるプレイヤーがいてもおかしくはなかったこともある。
それで大体質問が出尽くしたと思ったのか、治癒魔法でバテていた仲間達が動ける程度に回復したのを確認したグランスは、
「じゃあ、そろそろ町に戻るが、君たちはどうするつもりだ?」
と風見鶏メンバーに訊いた。
「どうするとは?」
タックスはそんなことを聞き返してきたあたり、自分たちの状態を把握し切れていないのかも知れない。
(冒険者にあまり向いてないんじゃないか?)
蒼い月の何人かはそんなことを思ってしまった。
しかし、
「うちら、装備とかメチャクチャだから、気を遣ってくれてるんだと思うよ」
少なくともリツコは自分たちの状態をちゃんと分かっていたようだ。
しっかり者がいればそうそう致命的なことには……なっていたなとか考える蒼い月の面々であった。
とりあえず、リツコの言葉で自分たちがもうまともに戦い続けられる状態ではないことを思い出したのか、風見鶏の面々も互いに顔を見合わせ、相談をする……のかと思いきや、
「「「一緒に連れて行ってください」」」
……即決だった。