第十三章 第十一話 ~クラフランジェ騒乱~
「まだやまないのか」
朝、ベッドから起き出したグランスは宿の窓から雨が降り続いている外を眺め、ため息をついた。
幸か不幸かここ二日ほど、天気が崩れていた。それによるメリットは、この町に滞在する言い訳がしやすくなったこと。一方のデメリットは、夜に空き家を調べて回っているレックとマージンの負担が増えたこと。
「風邪を……ひかないといいのですけど」
グランスの視線に気づいたのだろう。まだ寝ているエイジをベッドに残してきたミネアも、泥のように眠っているレックとマージンを見ながらそう言った。
実際、この寒い時期に雨に濡れながら動き回るのは相当つらいはずだった。傘を差して動き回ることはできないし、レインコートのような洒落た物も――ないわけではないが、脆すぎて屋根から屋根へと飛び回っている二人には使えない。必然的に、レックもマージンもずぶ濡れになるわけで、帰ってくる二人の身体は文字通り冷え切っているのだった。
「昼の間だけでも暖かいところで休ませてやることしかできないのか」
おまけに、この雨が止んだら形だけでもクラフランジェを発たなくてはならない。二人をゆっくり休ませてやる暇もないと、グランスは自嘲せざるを得なかった。
さて、雨の中を夜遅く――どころか、明け方近くまで空き家の調査を進めていたレックとマージンが起きたのは、実に昼頃のことだった。
「あー……よく寝た」
大きく伸びをしたレックの声に、隣のベッドで寝ていたマージンももぞもぞ動き出したかと思うと、頭まで覆い尽くしていた毛布からひょいっと顔をのぞかせ、
「わいはちょっと寝足りへんけどな」
眠そうにそう言いながらも、もっそりとベッドから這い出してきた。
その様子に違和感を覚えたグランスがマージンに確認した。
「ちゃんと寝れてなかったのか?」
「あー、なんや、今日は眠りが浅かったんや」
「大丈夫?」
「とりあえずな。ま、後でもう一眠りさせてもらうかも知れへんけどな」
マージンはリリーにそう答えたそばから大きな欠伸をした。
「それは構わんが、無理はするなよ……と、俺は言える立場ではないか」
無理をさせている本人だという自覚を持っていたグランスが自嘲気味にそう言うと、
「別にグランスに言われて無理をしてるんじゃないから、気にしなくていいよ。僕だってクライストを助けたいんだ」
そう、レックが口にしたクライストの名前に部屋の空気が固まった。いや、押さえ込まれていた焦りが吹き出してきたと言うべきか。
クライストが生きていることは、クランチャットのメンバーリストにその名前が残っていることで確認できている。だが、分かるのは生きているということだけで、ひどい目に遭っていても分からない。
故に、今ここでこうしている間にもクライストが死んでしまうかも知れない。そのため、ミネアなどは数時間おきに個人端末を取り出してクランチャットを確認する習慣がついてしまっているほどだった。
「こんなことになるなら、一人くらい連中の仲間を捕まえたままにしとくべきだったな……」
廃村での騒動の際、グランスたちは捕まえていた捕虜に逃げられてしまっていた。その時は、馬車の中に略奪団のメンバーなんぞ乗せたままにしておくのは安心できない、危険だと言うことで納得していたのだが、今となっては後悔しきりである。
そんな風に沈んでしまったグランスに引きずられ、悪くなりかけた一行の空気を押し流そうと、アカリが口を開いた。
「それより、レックもマージンもお腹空いてるでしょう。何か食べませんか? 大した物はないんですけど」
「あー……確かになぁ。正直、町の外で野宿してるときの方がええもん食っとった気がするんは、わいだけかいな?」
そんなマージンの言葉に、沈んでいた空気がわずかに明るくなった。
「確かにね。野菜とかはとにかく、肉は新鮮だったしね」
レックの言葉に、最早、獣や魚だけではなく、蛇でも蛙でも挙げ句は虫でも食べられるようになってしまっている仲間たちが苦笑した。
その時だった。
ドンドンと、部屋の扉が叩かれた。
その荒っぽさにレックたちが警戒した直後、扉が蹴破られ、何人もの男たちが剣を片手に部屋へと雪崩れ込んできた。
「なんじゃ、貴様らは!」
「それはこっちの台詞だ! 盗賊団の手先どもめ!」
ディアナがあげた誰何の声に男たちはそう返すと、勢いよくレックたちめがけて突進してきた。
それに対するグランスの指示は早かった。
「レック! 俺と一緒に食い止めろ!」
冤罪だの誤解だのと叫んでも意味はないと判断し、アイテムボックスから取り出した盾を片手に男たちに体当たりをかけたグランス。その勢いを防ぎきれずに、部屋に入ってきていた男たちはあっさりと吹っ飛ばされた。
「なっ!?」
グランスの体当たりに巻き込まれなかった男は、しかしすぐに彼らと運命を同じくした。
武器すら持たずに襲いかかってきたレックの突きの一撃で、反応するまもなく壁に叩き付けられたのだ。
一方、窓から外の様子をうかがったディアナは、
「外も囲まれておるのう」
緊張をはらんだ声でそう言った。
いつの間にか、窓から見える外の通りにも武装した男たちが姿を現し、蒼い月が借りている部屋の窓の下に集まっていた。二階の部屋を取っていたのでまだだったが、一階の部屋ならとっくに突入されていただろう。
「どうして!? あたしたちは盗賊団なんかじゃないのに!」
「誰かがたれ込んだか、あるいはこいつらが略奪団かやな」
軽くパニックになっているリリーの横では、マージンが冷静に状況の分析をしていた。
「そんな分析はこの場を切り抜けてからだ! 眠らせろ!」
グランスの指示に従い、ディアナとマージンが眠りの魔術の詠唱を開始した。エイジを抱いていたミネアも、一息遅れて詠唱を開始する。
それを見たまだ無事な男たちから驚愕の声が上がった。
「魔法っ!?」
「そんなの聞いてないぞ!」
そのまま軽いパニックに陥りかけたが、
「惑わされるなっ! はったりに決まってる!」
廊下の方から響いてきた怒声ですぐに冷静さを取り戻した。
尤も、そんなことはすぐに関係なくなった。
「今、光から解き放たれ、汝、深き闇に沈め!」
詠唱を終わらせたディアナたちが魔術を解き放つと、レックたちにまだ気絶させられた仲間を乗り越えて部屋に入ってこようとしていた男たちが、次々と意識を失い倒れていった。
「な!?」
「ほ、本物!?」
仲間たちが訳も分からないまま倒されるのを見た男たちの間に、今度こそ静めようのない動揺が走った。ディアナたちの魔術の効果が廊下にまで届いたこともあってか、その動揺は廊下に押し寄せてきていた男たちにまで伝播したらしい。
「待て! 逃げるな! ぐあっ!?」
廊下の方から仲間たちを叱咤しようとして、逆に逃げ出す男たちに潰されたらしい悲鳴が聞こえてきた。
「それで、どうするのじゃ? もうここには留まれまい?」
階段から転げ落ちる音を聞きながら、ディアナがグランスに指示を求めた。
「そうだな。できれば事情を聞きたいところだが……」
グランスはそう言いながら、床の上に伸びている男たちを一瞥すると、外から聞こえてくる喧噪に首を振った。
「そんな余裕はなさそうだな。馬車は使えると思うか?」
「無理だろうね。普通に考えて、真っ先に押さえられてると思うよ」
おまけに馬がいなければ馬車は動かないのだから、どちらにしてもこの場では役に立ちそうもない。
グランスはそう判断すると、馬車のことはあっさり脳裏から追い出した。代わりに、自分たちがとれる選択肢を脳裏に並べ立てた。が、
(町から出る、どこかに立て籠もる……ろくな選択肢がないな)
どれが最善なのかすら分からない。クライストが見つかっていない現状で町から出るのは、クライストを見捨てることにつながりかねない。かといって、どこかに立て籠もるには、エイジを抱えたミネアとアカリの安全を確保しきれない。
そんな風に悩みかけたグランスの耳に、マージンの声が飛び込んできた。
「あいつら、どうせ自警団みたいなもんなんやろ? なら、責任者に直接話を聞いてみるっちゅうんはどうや?」
それで誤解が解ければよし。解けなければ責任者を人質にして安全なところまで逃げればいいとマージンは曰った。
「マージン、それ悪党のやることだよ」
「そうじゃな。どこの小悪党じゃと問い質したくなるわ」
「私もさすがにちょっとひきます」
すかさず入る仲間たちからの突っ込みにも、しかしマージンは平然としていた。
「殺したりせえへんかったら、後からなんとでも言い訳はできるやろ。でも、わいらが捕まったら、こっちの言い分なんて聞いてもらえへんと思うで」
その言葉にグランスはメトロポリス大陸の村々の様子を思い出した。確かに、疑心暗鬼になった人間には何を言っても無駄だろう。
勿論、人質を取るというのは更に相手を刺激するようなことなので避けたいところだが、責任者と話をするのは悪い案ではなさそうだった。
そう納得したグランスの決断は早かった。
「マージンの言うとおりだ。彼らの責任者に話をつけにいくぞ」
その決断に仲間たちは軽く驚いた様子だったが、余裕のないこの時に反発する者などいなかった。
脱出のための準備は仲間たちに任せ、グランスはマージンと共に、気絶して倒れていた男たちの一人を叩き起こした。
「おい、起きろ」
「う……あ……」
何とか意識を取り戻した男は、自らが置かれた状況をすぐには理解できなかったらしい。が、それでも目の前に剣を突きつけられていることだけは分かったらしかった。
「ひっ!」
「静かにしろ!」
グランスは思わず悲鳴を漏らしかけた男の口をふさぎ、そう命じた。
「分かったら頷け。叫ぶなよ?」
グランスの言葉に合わせてこれ見よがしにマージンが剣を動かしたのが功を奏したのか、あっさりと男は頷いた。
その顔からグランスが手をゆっくりと離すと、グランスの手と男の顔の間に何か透明な物が糸を引いた。それを見たグランスは微かに顔を顰めるも、今はそれどころではないと思いだしたのだろう。
「聞きたいことがある。素直に答えろ。そうすれば、無事に解放してやる」
グランスが威嚇しながらそう言うとまるっきり盗賊団の親分なのだが、そのおかげか男はぶんぶんと首を縦に振った。
「よし。なら、質問だ。おまえたちは何だ? 誰の指示で俺たちを襲った?」
「だ、団長だ! 盗賊団の手先が町に入り込んでるから捕縛しろって!」
「団長? おまえら……自警団か何かか?」
「そうだ! こ、こんなことしてただで済むと思うなよ!」
その答えに、グランスたちは面倒なことになったと思った。略奪団のメンバーなら薙ぎ倒していっても良いのだろうが、自警団となるとあまり被害を与えてしまう訳にもいかない。
尤も、そんなことを顔に出すようなグランスではない。代わりに、知るべき情報を得るために更に質問を続けた。
「で、その団長ってのはどこにいる?」
「ちょ、町長の屋敷だ! そこにいるはずだ!」
「それはどこにある?」
「町の真ん中だ!」
「グランス!」
男がそう叫ぶのとディアナがグランスを呼ぶのは同時だった。
直後、窓が割れる音が室内を満たし、幾つもの火矢が部屋に飛び込んできた。
「まずい! 逃げるのじゃ!」
ディアナの声に仲間たちは素早く窓から距離をとった。幸い、窓のすぐ側に立っていた者はいなかったことと、半ば閉めてあったカーテンのおかげで割れたガラスで怪我をした仲間はいなかった。
だが、ベッドに突き立った火矢からは早くも火が燃え広がり始めていた。
その様子を見た男が悲鳴を上げるも、邪魔だと判断したマージンにあっさり意識を刈り取られた。
ついでに言うと、火はリリーが操る水によってあっさり消し止められた。
だが、事ここに至ってはノンビリしている暇などない。
「このままここにいるのはまずい。とっとと町長の屋敷とやらに向かうぞ!」
グランスがそう言うと、すでに装備を調えた仲間たちが頷いた。
クラフランジェの表通りは混乱に包まれていた。
雨の中、朝から自警団の面々がちょろちょろと宿屋に出入りしていたのは近くに住んでいる者たちなら誰でも気づいていた。その時はまだ、宿屋に泊まってる客が何かやらかしたぐらいにしか思っていなかった住民たちだったが、昼頃に状況が大きく変わった。
武装した自警団員たちがぞろぞろと宿へと入っていったのだ。
「あいつら、犯罪者だったのか?」
「盗賊団の偵察だって話だぜ?」
野次馬たちの間でそんなことが囁かれる中、宿の中から大きな物音がしたかと思うと、まもなく泡を食った自警団員たちが這々の体で宿から飛び出してきたのだ。
その直後、外から宿を取り囲んでいた自警団員たちのうちの何人かが、火矢を宿へと放ったのだ。
すでに連れ出されていた宿の主人から悲鳴が上がり、呆然と突っ立っていた自警団員たちが火矢を放った仲間へと詰め寄る。詰め寄る側の自警団員の中には先ほど宿へと押し入った者たちもいて、
「仲間がまだいるんだぞ!!」
とがなり立てていた。
周囲に集まっていた野次馬たちも、自警団が火矢を持ち出すほどやばい相手が宿の中にいるのかと慌てて逃げ出す有様だった。
表通りの少し離れたところからそんな光景を見ていた黒髪の女は、その口元に冷笑を浮かべた。
「ひどい混乱ね。ほんと、情けないわ」
そう言うと、今度は火矢が打ち込まれた宿の方へと視線を移し、
「それにしても町長も思い切ったことをするわね」
昨日、軽く脅しただけでここまでやってくれるとは思っていなかった。
とはいえ、昨日の略奪団の団長の様子を見ていれば、宿に泊まっている冒険者たちは相当な腕利きなのだろう。ならば、下手な遠慮をするより最初から思い切ってしまうのも1つの手だろう。
尤も、町長たちがどんな手段をとろうが女には関係なかった。彼女に関心があることはただ1つ。
「ちゃんと納める物さえ納めてもらえばいいのよ」
女はそう呟くと、近くに止めていた自らの馬にまたがり、混乱の場に背を向けた。
「そろそろ始まっている頃かしらね……」
しとしとと雨が降り続く中、クラフランジェの町長ミアナは心配そうに自らの執務室の窓から外を眺めていた。
「何とかできると思いますか?」
「半々、だろうな」
窓の外から視線を動かすことなく声をかけてきたミアナに、こちらも浮かない顔をしていたユーゲルトがそう答えた。
「できれば夜中、彼らが寝静まっている頃合いが良かったんだが……」
そう続けたユーゲルトだったが、夜間の訓練など全くしていない自警団員が夜の戦闘にも慣れているだろうキングダムの冒険者相手にまともに立ち回ることができるとも思えず、昼間っからの襲撃を指示する羽目になっていた。
「夜だと、一方的にやられるかも知れないのでしたか?」
「そうだな。まあ、いっそのこと問答無用で宿ごと焼き払えればそれが一番良かったんだがな」
「流石にそれは許容できません」
そんなことをすれば、何も知らない住人や自警団員たちにどう説明すればいいのか。そう言われるとユーゲルトも答えようがなかった。その結果、まずは一度突入し、その後宿の建物ごと焼き払うという手段に落ち着いたのだった。
そうして会話が途切れ、しかし室内を漂う重たい空気に耐えきれず、ミアナが再び口を開いた。
「せめて、彼女が来るのがもう少し遅ければ……」
「ifの話か。その気持ちも分からないでもないのだけどな」
ユーゲルトはそこで言葉を一度切ると、気になっていたことをミアナに尋ねてみた。
「それで、うまくいかなかったら……本当にそれでいいのか?」
「他に方法があると思いますか?」
「あるだろう? 逃げる、とかな」
ユーゲルトはそう口にした自分を白々しい、そう感じた。それに、ミアナの答えも分かりきっている。
「逃げるなど……この私が今更そんなことをできるはずもないでしょう?」
「そう、だな」
ユーゲルトは予想通りの答えに、そう答えることしかできなかった。
「ああ、始まった……のか?」
雨のせいで視界が悪く、ロバーシュのいる場所からはクラフランジェの様子がよく分からなかった。ついでに音も雨音にかき消されてしまい、全く聞こえてこない。
だが、何か騒がしい気はする。
「……様子くらいは見てくるか」
ロバーシュはそう言うと、周辺にたむろしていた部下たちに声をかけ、クラフランジェへと向かった。
「くそっ! しつこいね!」
そう叫びながら、殿を守っているレックは後ろから飛んできた矢を手に持った剣で振り払った。
「大丈夫か!?」
「僕は大丈夫! ミネアは!?」
「わたしもっ……大丈夫っ……ですっ」
ディアナによって魔術で眠らされたエイジをしっかり抱きかかえて走りながら、レックの前方でミネアが答えた。
宿を抜け出したレックたちは今、クラフランジェの町の裏通りを走っていた。ただ、裏口から抜け出したにもかかわらず、自警団にあっさり見つかってしまい、今はこうして追われている有様だった。
「それより、ちゃんと町長の屋敷に向かってる!?」
ミネアの横を走りながら、ミネアとエイジが雨に濡れないように精霊魔術を使っているリリーが叫んだ。その足下の水が不自然に動いているのは、身体強化が使えない分を精霊魔術で補っているためだろう。尤も、結局はアカリがいるのであまり早く移動できていなかったりするが。
「大丈夫や! ちょい遠回りになっとるけど、そろそろやで!」
リリーの叫びに、一行の先頭を走っていたマージンが答えた。
クラフランジェは大して広い町ではない。宿からなら町長の屋敷まで徒歩でも数分で着く。そんな程度だ。
だが、裏通りを、それも自警団を避けながら走っているせいか、レックたちは10分近く走り続けているのにまだ目的地に着いていなかった。
「いたぞ! こっちだ!」
不意に前方に幾つもの人影が現れたかと思うと、叫んですぐに仲間を呼んだ。
最初はレックたちが魔法を使ったと怯えていた自警団員たちだったが、レックたちが戦闘を避けていることを察したのか、今ではすっかり強気になってレックたちを追い回していた。
「まずっ! また、道を変えるで!」
慌てて方向転換し、横道に駆け込むマージン。仲間たちもその後を追う。
「くそっ! また裏道か!」
そんな罵声が後ろから聞こえてくるが、レックたちはそのまま裏通りを走り続けた。
「いっそのこと、全員倒した方が早いかも知れぬのう」
「それは流石にまずい! が!」
ディアナの意見を却下しつつ、グランスはこのままではらちがあかないと考え始めていた。いや、正確にはそのうち気がついたら追い詰められていたりして、予想外の衝突が起きかねない。
そう考えたグランスは、即座にある決断を下して先頭のマージンに指示を出した。
「マージン! もうこのまま突っ切れ! 多少の怪我人が出ても目をつむってもらおう!」
「分かったで!」
そう応じたマージンは早速進路を変え、
「いたぞ! 今度こそ逃がすな!!」
またしても前方から現れた自警団員たちに今度こそ突っ込んでいった。
「なっ!」
「くそっ! やる気か!!」
先ほどまで逃げ回っていた相手が急に突っ込んできたことに驚いたのか、一瞬戸惑う様子を見せた自警団員たちだったが、マージンが武器を持っていないことに強気になったのか、おのおのが剣を構えてマージンたちを待ち構え、
「通してもらうで!」
「うわぁぁ!!」
「がっ!」
振り下ろした剣を易々とかいくぐり、あるいは弾き返したマージンに次々と殴り倒されてしまった。まさしく、秒殺である。
「やり過ぎてないだろうな?」
「まー……骨の1~2本は勘弁してもらおうや」
微妙に視線をそらしたマージンに何か言おうとしたグランスだったが、許可を出したのは自分だとすぐに思い直し、代わりに先に進むようにと指示を出した。
「……本当に失敗したみたいですね」
雨音の合間を縫うようにして聞こえてくる自警団員たちの叫び声に、ミアナはそう微笑んだ。
その微笑みを目にしたユーゲルトが苦しげに呻いた。
「ミアナ……」
「私は大丈夫です。彼らを怒らせた自覚はありますが、いくら何でもいきなり殺されるようなことはありませんよ」
そう言いながら、自らへと伸ばされてきたユーゲルトの手をミアナは押しとどめた。
「それより、身を隠しなさい。あなたは絶対に彼らに見つかってはいけません」
どうやら、キングダムの冒険者たちはまんまと自警団の手を逃れたのみならず、この屋敷へと向かっているらしい。先ほど駆け込んできた団員の報告からそう分かっていた。
となると、問題になるのがユーゲルトである。
略奪団の団長として彼らに相対したことがある彼を見て、今ここへ向かってきてらしい彼らが見逃してくれるとはミアナは思っていなかった。むしろ、血祭りに上げられてもおかしくない。
だが、この後のことを考えればユーゲルトには絶対に生きていてもらわなくてはならなかった。だからこそ、町長としてミアナはユーゲルトに命令した。
それでもしばらくは渋っていたユーゲルトだったが、屋敷の門の辺りで甲高い金属音が鳴るのを聞いて、覚悟を決めた。
「……ミアナに何かあれば、飛び出してくるからな?」
「ええ。そのときは頼りにしていますよ」
ミアナにそう言われ、ユーゲルトは隣の部屋へと身を隠した。ミアナの寝室であるそこには、大きな衣装ダンス――中身はすかすかだが――もある。よほどしつこい相手でもない限り、ユーゲルトが隠れきることは難しくないはずだった。
そうして、ユーゲルトが隣の部屋に消えてまもなくだった。
急に廊下が騒がしくなったかと思うと、どたどたと何人もの人間が廊下を走る音がした。その足音が迷うことなくミアナのいる執務室の前までやってくると、バンと大きな音を立てて執務室の扉が開いた。
「ここか!」
レックは勢いよく執務室っぽい扉を開き、そのまま室内へと駆け込んだ。仲間たちもその後に続いて駆け込んできた。
既に屋敷の玄関の方からは追いついて来たらしい自警団員たちの叫び声が聞こえてきていた。
全員が部屋に入ると急いでマージンが扉を閉めた。ついでに扉の側からできる限り離れた。
一方、グランスは部屋にいた女性――ミアナを睨むように見つめていた。
「あんたがクラフランジェの自警団長……か?」
「いえ。私はミアナ。このクラフランジェの町長をやらせていただいています」
ミアナは椅子から立ち上がり、ゆっくりとお辞儀しながらそう名乗った。
「町長? 自警団長は……くそっ!」
グランスは言葉を途中で切ると、慌ててミアナの方へと駆け寄った。
直後、再び執務室の扉が乱暴に開かれ、自警団員たちが姿を現した。が、執務室に雪崩れ込んでこようとして、剣を突きつけられたミアナの様子に慌てて立ち止まった。
「町長っ!」
「貴様らっ!!」
自警団員の間から怒号と罵声が飛び出してくるが、ミアナに剣が突きつけられているために流石に飛び出してくる者はいなかった。
とはいえ、何かの切っ掛けがあればいとも簡単に飛び出してきてしまうだろう。それを見て取ったミアナは自らに突きつけられた剣を見て、次に自警団員たちへと視線を移した。そうして、ゆっくりと、剣を突きつけてきているグランスを刺激しないように口を開いた。
「あなたたち、落ち着きなさい」
「しかしっ!」
「私は大丈夫です。ですから、まずは落ち着きなさい」
ミアナがそう言っても、なかなか自警団員たちは大人しくならない。
そんな様子を見ながら、グランスは心の中でため息をつきたくなった。
(まあ、自分たちの町長がこうして剣を突きつけられていて、大人しくする方が無理だろうな。というか、完全に悪役だな)
とはいえ、このまま状況を静観するつもりもない。自分たちにかけられた嫌疑さえ晴れてくれれば、丸く収まるはずなのだ。――尤も、今のこの状態はいささか申し開きしづらい状態ではあるが。
それでも、何かしら言った方がいいだろうとグランスが口を開きかけた矢先、
「とりあえず、自警団の皆さんはちと退いてほしいんやけどな。あんさんたちが殺気立っとったら、町長さんと話もできんやん」
「話だと! 何を寝ぼけたことを!」
マージンの台詞に自警団の一人が叫んだ。
「あー……聞く耳持たんタイプやな、あれ……」
その勢いに、あっさりと説得を諦めたマージンはため息を1つつくと、ごにょごにょと口の中で呪文を唱え始めた。
その詠唱を聞いたグランスは、ディアナとミネアにも合図を送り、マージンと同じ魔術を用意させた。
そして、数十秒後。
屋敷の廊下は眠りこけた男たちで足の踏み場もなくなっていた。
「彼らに何をしたのですか!?」
流石に見過ごせなかったのか、自警団の男たちの様子にミアナが叫んだ。が、
「心配せんでも、邪魔やったから寝てもらっただけやで」
そう言われ、耳を澄ませば確かに規則正しい寝息が男たちから聞こえてきた。それでほっと安心するも、今度はいとも簡単に自警団員たちを無力化した冒険者たちの実力に戦慄する。
(こんな人たちに喧嘩を売ろうとしていたの? 勝てるわけないじゃない……)
そうしてどうするべきか必死に考えながら冒険者たちを順番に眺めていたミアナは、この場にあまりにも相応しくないものを見つけ、目を見張った。
「赤……ちゃん……?」
女性冒険者の腕に抱かれ、すやすやと眠っているのは確かに赤子だった。何度目をこすってみても変わらない。
「あー……まあ、その辺は気にしないでくれ」
そう言ったグランスへと視線を向けようとして、ミアナは自らに突きつけられていた剣が既に引っ込められていることにやっと気づいた。
「あの、剣は?」
「ああ、自警団を牽制するために突きつけさせてもらっただけだ。済まんな」
あっさりとそう言われ、思わず足から力が抜けたミアナは椅子に座り込んでしまった。
「おい、大丈夫か?」
「あ、はい。すいません。力が抜けてしまって」
「そうか。まあ、新手が来たらまた剣を突きつけるかも知れんが……それより、自警団の連中がいきなり宿に踏み込んできて、俺たちを盗賊団扱いしたんだが……どういうことか事情を知らないか?」
直球なグランスの言葉に、ミアナは思わず動きを止めかけた。
知らないというのは簡単だ。だが、それはそれでどこからそんな話が自警団に伝わったのかという話になるだろう。逆に知っていると答えたなら?
(どうやっても丸くは収まりませんね)
ならばと覚悟を決めたミアナが口を開きかけたときだった。
再び廊下の方から何人もの足音が聞こえてきた。
その足音はまっすぐと執務室へと向かってきていて、それに気づいたグランスが再びミアナへと剣を突きつけた。
だが、足音は少し手前で止まった。そして、次の瞬間、肉を切りつける音と悲鳴が次々と聞こえてきた。
「なんだ!?」
思わず誰かが叫び、開いたままだった扉の向こうで血しぶきが舞うのが見えた。
部屋にいた全員が、武器を構えて警戒する。グランスだけは剣をミアナに突きつけたままだったが、いつでも剣を引き戻せるようにしていた。
そうして、数分とも思える数秒が過ぎ。
「おーおー、やっぱこうなったか」
そう言いながら扉の向こうに、鮮血がしたたる剣を片手にぶら下げた男が姿を現したのだった。




