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ジ・アナザー  作者: sularis
第十三章 メトロポリス大陸
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第十三章 第七話 ~廃村で待ち構えるモノ2~

「よーし! 女だけ残して、男は馬車から降りろ!」

 村を囲む外壁に設けられた門の上から、誘拐犯の仲間の一人が松明を片手に声を張り上げた。

 勿論、それに素直に従うつもりなどグランスたちには一切ない。

 だが、下手な答えはクライスト達の命に関わることも確かだった。

「レックからの連絡はまだなのか!?」

 グランスは小声で隣に座るディアナに確認したが、ディアナはあっさりと首を振った。

 今、村の中にはレックが侵入してクライスト達を探しているはずだった。出来れば、レックが二人の身柄を確保するのが理想なのだが、どうやらまだ見つけられていないらしい。

(大して広い村じゃないからすぐに見つかると思っていたんだが、読み違えたか!?)

 グランスは自らの判断が間違えたかと歯がみした。

 勿論、レックは既に人質を見つけ出していた。ただ、クライストが既に放り出されていた。その事を知らなかったし、その可能性を予測もしていなかった。それだけが、グランスたちの失敗だったと言える。

「どうした! 早くしないと人質の命は保証しないぞ!!」

 焦れた様に叫ぶ男に、グランスは覚悟を決めた。

「その前に人質の無事を確認させろ! 確認できないなら、貴様らの要求は何一つ聞かない! むしろ、この場で殲滅する!」

 そう、御者台から外壁の上へと向かって叫んだ。

 出来ればレックが二人を助け出すのを待ちたかったが、思った以上に早いが作戦の切り替え時だとグランスは判断したのだった。下手な引き延ばし策は予期せぬ状況の悪化を招きかねないということで、こうなった時にはこうするとここに来る前に既に決めていた。

 そのグランスからの応答を、外壁の上で聞いたユーゲルトは顔を顰めた。

 こちらの人数はあちらの数倍、いや10倍程度もいるのだが、正直、キングダムからやって来ている冒険者たちの実力は相当に高い。油断していなくても本当に殲滅されかねない。

 だからこそ、人質が一人しか残っていないことに焦りを覚えてしまったのだ。

「そう来たか……。ロバーシュが一人殺ってしまったのはまずかったか?」

 しかし、ユーゲルトがぼそりと呟いたその言葉をしっかり聞いていたグランジは微かに首を振った。

「過ぎたことを悔やんでも仕方ありません。それに、考え方によっては好都合かと」

「どういうことだ?」

「人質は二人。うち一人だけでも見せつければ十分でしょう。むしろ、もう一人が見つからないのは別行動をしていることにすれば、彼らが何か企んでいてもどうとでも対処できます」

 グランジの言葉にユーゲルトは少し考えた後、「そうだな」と頷き、獲物に指示を出している男に、次の台詞の指示を出した。

「分かった! 今連れてこよう! それまで待て!」

 それに対して馬車の御者台に立っているやたらがたいのいい男が頷くのを見たユーゲルトは、個人端末を取り出すと、チャットでマージンを見張っている男たちに、マージンをここまで連れてくるようにと指示を出した。



 レックは窓の外からマージンが閉じ込められている室内の様子を窺っていた。

 風の魔術で動いているものを探そうにも、建物の中までは分からない。そもそも、動いている者がいたとしてもそれがクライストかどうか、識別することは不可能なのだ。

 だからこそ、

(どっちにしても時間もないし、クライストの居場所はあの二人から聞き出せば良いかな)

 そう決めたレックがいざ部屋に踏み込もうとした時だった。

 マージンを見張っていた男たちが一斉に個人端末を取り出した。

(こんなタイミングで……クランチャット? 何か指示が来た?)

 そうだとすると、今室内に踏み込むのはまずかった。クライストの居場所を確認する前に異常を悟られては、クライストの方に危害が加えられかねない。

 故に焦れながら室内を覗き込むレックに見られているとも知らず、男たちの表情から退屈が拭い去られていた。

「お呼びがかかったみたいだな」

「よーし。さっさとこいつを連れて行こうぜ。お楽しみにはしっかり参加しないとな!」

 そう言いながら、男たちはマージンの腕をとって無理矢理立たせた。

「わ! ちょ! 何するねん!」

 マージンの慌てる様子にレックは思わず飛び出しそうになったが、それは何とか踏みとどまり、急いで次の行動を決める。

(マージンが連れて行かれる? なら、クライストを探す? それとも一度マージンについて行ってみる?)

 選択肢は二つ。

 おそらくマージンはグランスたちの前に連れて行かれるのだろう。つまり、クライストさえ押さえてしまえば、何とかなる可能性が高い。

 だが、クライストも一緒にグランスたちの前に連れて行かれるのかそうでないかで、レックがとるべき行動は大きく変わる。

(……マージンの後を追った方が良さそうだね)

 それでクライストがいなければ、改めてクライストを探しに行けば良いのだと考えたレックは、気配を消したままマージンを連れた男たちの後を追いかけた。

 同時に、マージンに悟られないように注意しつつ、他に建物から出てきた者がいないか風の探知魔術で周囲の様子を探ることも忘れなかったが、

(……他には誰も出てきてない。じゃあ、マージンだけ連れて行こうってことか)

 クライストが連れ出されたと覚しき反応がなかったことに、レックはそう判断した。故に外壁には向かわず、このまま村の中を探して回ることにする。

(ホント、クランチャットが使えないのって不便すぎ!)

 レックはそうぼやきながら、村の中を駆け回るのだった。

 この時、マージンの後をついていかなかったことを、レックは軽く後悔することになる。



「この声は……」

 外壁の上に鈴なりになっている男たちを睨み付けていたグランスは、その悲鳴を聞きつけた。

「いだだだだだ!! そないに引っ張らんといてーな!!」

 状況を考えればかなりまずいはずなのだが、どこか悲壮感とか危機感とかそういった何かが欠落したその声は、

「……マージンじゃな」

 正体を察したディアナが、安堵したようにぽつりと呟いた。

 直後、馬車の中でも同じ声を聞きつけたのか、中と御者台をつなぐ扉がバンッと中から開けられた。

「マージン!!! 無事なの!?」

 飛び出してきたリリーはまっすぐに声が聞こえてくる方へと視線を向け、

「リリー! 待て! 落ち着くのじゃ!」

 御者台からも飛び出そうとして、慌てたディアナに羽交い締めにされて止められていた。

「でもマージンが!!」

「怪我は魔術で治せるのじゃ。それより、下手に動いてマージンたちが殺される方がまずいじゃろうが!」

 幸い、身体強化が使えないリリーを抑え込むのは、ディアナにとって容易だった。

 とは言え、リリーのこの状態を見る限り、マージンに何かあれば即座に暴走するのは目に見えていた。それがもし水の精霊魔術だったりすると、ディアナにもグランスにも抑えることは出来ない。

(せめて、マージンが元気であってくれれば良いのじゃが……)

 ディアナもグランスもそう真摯に願うのだった。


 一方、そんなグランスたちと同じ思いの人間が外壁の上にも少数ながら存在した――ユーゲルトたちである。

「……下から見えるところでは、人質は丁重に扱え。いいな?」

 馬車から飛び出してきた少女の様子をその目に捕らえたユーゲルトは、周りにそう指示を出した。人質に万が一があれば、眼下の冒険者たちがあっという間にその牙を剥きかねないと感じ取ってのことである。

「そうですね。お前たちもいいな?」

 横に控えていたグランジがそう念を押すと、周りの男たちはばらばらに頷いた。

 勿論、全員がユーゲルトと同じような危機感を抱いた訳ではない。そもそも飛び出してきたのは少女に過ぎない。最初から御者台に座っていた男女はまだ冷静さを保っているし、脅威を覚えなかった者の方が多かったほどである。

 そうこうしている間にも、引きずられてきたマージンは何人かの男たちに抱え上げられて外壁の上へと上らされていた。


 そのマージンの姿を見て、リリーは御者台の上で膝をついていた。

「マージン……!」

 両手で口を覆い、安堵のあまり涙腺が緩んでしまっていた。

 だが、グランスとディアナはマージンの無事そうな姿にほっとしつつも、まだ完全には安心していなかった。

 クライストがいないのだ。

 むしろ、不安しか感じない。

 その不安を押し隠すかのように、グランスは更に声を張り上げた。

「もう一人はどうした!」

 その言葉に外壁の上で先ほどからグランスたちに指示を出している男が大声で返答した。

「今見せるのは一人だけだ! こいつを取り返そうとして下手な動きを見せてみろ! もう一人の無事は保証できない!」

 その言葉にグランスは思わず歯がみした。想定していた中でも一番厄介な状況になってしまったからだ。

「やはり、レックからの返事を待つしかないかのう?」

「ああ。こうなったら少しでも時間を稼ぐぞ。……最悪、食料をいくらかこの場に放り出して、逃げる」

 小声で問うてきたディアナに、グランスは作戦が失敗した時の行動を告げた。その言葉にリリーが身体をびくりと震わせ、グランスをじっと見つめた。

 その様子にグランスの心がくじけそうになったが、それでも仲間の被害を抑える決定を下すのがグランスの役目だった。

「すまない」

 そうリリーに短く告げ、再び暴れ出しかけたリリーをディアナが取り押さえるのも見ずに、どうするべきかを考えていく。

 少なくとも、こちらにまだ価値があると思わせておけば、人質が二人とも殺されるという最悪のシナリオは避けられる。

 尤も、単に逃げたのでは相手を逆上させるだけというのも目に見えていた。なので、現在のこの一帯の情勢から推測できる誘拐犯たちの正体――略奪団だろうという予想を元に、手土産として食料を投げていくことにしたのだった。

 そうすれば、相手が逆上して人質に危害を加える可能性を減らせるだろうという予想からだ。

 だが、その行動をとる前にやるべきことはまだあった。

「もう一人が無事だという証拠を見せろ! でなければ、要求には従えない!」

 グランスがそう声を張り上げると、

「もう一人は別働隊が連れている! ここには連れてこれない!」

 その言葉に、グランスたちは思わず呻いた。

 つまりそれは、今、クライストを探して村の中を走り回っているはずのレックの努力が、徒労に過ぎないことを意味していた。

 それだけではない。

 今この場で人質二人を奪還すること自体が不可能であることも意味しているのだ。

(逃げるしかないか?)

 グランスは自問した。

 略奪団の要求に全面的に従う選択肢は、最初からない。それは、アカリの村の惨状を見れば明らかだった。従ってしまえば、全ての荷物を奪われ、ディアナたちは陵辱され、最後には全員殺される。まず間違いない。

 故に、どうにもならない場合、クライストとマージンを見捨てる――そのことは既に全員が納得、しているはずだった。

 そのどうにもならない状況の見極めは、グランスに一任されていた。

 だが、確かにどうにもならない状況はあるだろうが、見切りを付けるのが早すぎるのは避けたかった。本当は助けられたのに、慎重になりすぎるあまりに見捨ててしまった――そんな後悔はしたくなかった。

(まだ、いける……いや、まだやるべきことがある)

 クライストの無事は確かにこの目で確認できそうにない。

 だが、別の手もあった。

「ならば、クランチャットで無事を確認させろ! それくらいはできるだろう!」


 今度は、その要求を聞いたユーゲルトが歯がみする番だった。

 獲物の言うとおりなのだ。既に相手のクランチャット――この呼び方はキングダム大陸のみなのだが、紛らわしいため出来る限りクランチャットと書く――で一度連絡を取らせた以上、それは出来ないと拒否することは難しかった。

 故に、ここは素直に応じない。

 そう決めたユーゲルトの指示を受け、返答役の男が声を張り上げた。

「そんな要求を出せる立場か!? もうそっちの要求を1つは聞いてやったんだ! 今度はこっちの要求に従ってもらう!」



 そんなやりとりが門の側で交わされているとも知らず、レックは村の中を走り回っていた。

 幸い、この廃村に入り込んだ略奪団のメンバーは全員がグランスたちの所か、外壁の何カ所かに設けられた門の所に行ってしまっていて、村の中はもぬけの殻と言っていい状態だった。

 故に、何者にも邪魔されることなくレックは走り回っていたのだが、

(クライストが見つからない。マージンの事を考えると、そんな見つかりにくいところに閉じ込めてる事は無いと思うんだけど……)

 この村もまた、捨てられた経緯が経緯なのだろう。

 無事な建物の方が数少なく、大半の建物の扉や窓は破壊されていた。それらの建物の中に動く人間がいないことは、既に探知魔術で確認が済んでおり、今は扉や窓が無事な建物だけを調べて回っていた。

 そんな訳で、すぐにクライストが見つかるかと思っていたレックだが、かなり焦っていた。

 無意識のうちに、最悪のシナリオを想像してしまったからだ。

(いや、きっと次の建物にいる、いるはず……!)

 しかし、その最後の建物を調べ終わっても、やはりクライストを見つけることは出来なかった。

 はっきり言って、イヤな予感しかしない。

 だが、レックがその不安に押しつぶされる事は無かった。いや、まだ押しつぶされる訳にはいかなかったと言うべきか。

 最後の建物を調べ終わった後、暫し憮然としていたレックだったが、それも数秒。

「クライストは別の場所で監禁されてるのかも知れないよね」

 そう小さく呟くと、両手で自らの頬を軽く叩き、一度グランスたちがいる門へと向かうことにした。



(どうする? どうしたらいい?)

 先ほどから何回繰り返したか分からない。そんな自問を、グランスは再び重ねていた。

 クライストの安否を確認したかったが、相手が開き直ってしまってはごり押しするのも難しい。少なくともマージンという人質はとられたままなのだ。

 勿論、ここでクライストを見捨ててマージンだけ助け出すという案もない訳ではない。が、それで万が一があればとんでもなく後悔するだろう。

 そんな風に悩んでいるグランスに、ディアナがこっそり耳打ちした。

「一部だけ要求を呑む形にしてはどうかのう?」

「……なるほど、そういう手もあるか」

 ディアナに言われ、グランスは目から鱗が落ちたような気分だった。

 元々相手の要求を全て呑む気などさらさらない。だが、仲間に被害が出ない範囲であれば、多少の妥協はするつもりだった。

 それすら忘れていたとは、どれだけテンパっていたのか。グランスは内心苦笑する思いだった。

 そんな自分を笑い飛ばすかのごとく、グランスは外壁の上へと向かって声を張り上げた。

「もう一度要求を言ってみろ!」

 さっきの碌でもない要求は勿論覚えている。が、少しでもレックのための、クライストがいないことを気づくための時間を稼ぐために、グランスは敢えてそう言った。

「よーし! いいだろう!」

 果たして、グランスの思惑など気づくことなく、あるいは気づいていても問題ないと思っているのか、外壁の上から機嫌良く男がそう答えた。

「もう一度言ってやる! 女だけ残して男は馬車から降りろ!」

 勿論、グランスが素直に従うはずなどない。

「その後、どうするつもりだ!」

 要求に対して質問で返すが、それでも話が進んだことに気が緩んでいるのか、男は機嫌良く答えを返した。

「女と馬車だけ、村に入れる! 残った男はどこへでも行ってしまえ!」

 勿論、それに馬鹿正直に従えばどうなるか、グランスたちは簡単に想像できた。予想が補強されただけとも言う。

 故にグランスは要求を拒絶した。

「拒否する! 別の仲間まで危険に晒すつもりなどない!!」


 獲物からの返答を聞いたユーゲルトは、それもそうかとあっさり納得していた。

 実際、村に入った後に女たちがどうなるかなど、今までに自分たちが襲ってきた村の様子を少しでも知っていれば、火を見るよりも明らかなのだ。ならば、人質を見捨ててでも無事な仲間を守るのも選択肢の1つだろう。

 だが、それではこちらの目的が全く果たせない。何か1つでも得るものがなければ、こんな事をしている意味がない。

 尤も、それはユーゲルトを含む、略奪団の一部の考え方でしかなかった。


 ユーゲルトから少し離れた所で、グランスとのやりとりを見ていたロバーシュは、早くもいらいらし始めていた。

(ちっ、まだるっこしいな。さっさとやってしまえばいーんだよ。ユーゲルトのやつはこれだからな!)

 多少の犠牲など気にする必要はない。こっちの方が圧倒的に数が多いのだから、さっさと襲いかかってしまえばいい。

 確かに、昨夜、馬車を奪い損ねたのは予想外だった。だが、これだけの数でかかれば、まず負けることなどありはしない。

 何しろ、相手は10人もいないのだ。更に二人減っているので5人程度。こっちの十分の一もいない。まず負けることなど予想することすら難しかった。

 それに、先ほど馬車から飛び出してきた少女の容姿も気に入っていた。

(是非とも良い声で鳴かせてみたいもんだよなぁ?)

 その柔肌を蹂躙し切り裂き、恐怖と苦痛に塗れた悲鳴を上げさせ、瞳を絶望一色で染め上げる。想像するだけでも鳥肌が立つほどに――心地よい。思わず零れかけた涎を、慌てて吸い込んだくらいだ。

 そんな天国のような時間が手を伸ばせば届くところにあるというのに、ユーゲルトのやり口ではいつまで経っても事が進みそうになかった。

 周囲の仲間たちの瞳も、欲望の炎で燃え上がりつつあった。

 何しろ、最後に村を襲ったのは一月以上前。その時に何人かの女たちを攫ってきたのだが、そんなものは一週間ほどで全部壊してしまい、野獣の餌にしてしまっていた。

 つまり、ここしばらくは欲望をひたすらため込んでいたと言っていい。

(いっその事、ユーゲルトを無視して突っ込むか?)

 略奪団において、ユーゲルトよりの考え方をしてる者の方が少ないのだ。ロバーシュが煽ってやれば、ユーゲルトに止めることなど出来るはずもない。

(それに……良い肉の盾になってくれそうだしな)

 襲いかかるその時を今や遅しと待ち構えている仲間たちを眺めつつ、ロバーシュはにやりと笑い、ステンに声をかけた。

「ユーゲルトのやつがへたれた指示を出したら、やるぞ」

 それだけでロバーシュがしようとしていることを理解したステンは、にやりと笑うとすぐに頷いた。

「何人かには指示を出しておきますよ」

 そう言ってステンが動き出したのを横目に、ロバーシュは地面との高さを測った。

(流石に飛び降りるのは危ないか)

 3mもの高さがあれば、最低でも捻挫、悪ければ骨折もあり得るだろう。

 だが、外壁の中側にはここまで上るのに使った梯子が幾つも立てかけられたままになっていた。それを使えば何の問題もなく下に降りられるはずだった。


 ロバーシュたちのそんな動きなど露知らず、ユーゲルトはとりあえず少し交渉してみることにしていた。下手な行動をとって逃げられては身も蓋もないのだ。

「出来れば馬車ごと置いていってもらいたいが……最低でも何らかの収穫は確保しないとな」

 ユーゲルトはそう呟くと、次の指示を求める男の視線に答えるように指示を出した。

「馬車の積み荷を降ろすように言ってみろ。それでどうするかを決める」

 仲間は犠牲に出来なくても、荷物くらいなら出すかも知れない。全部ではないかも知れないが――荷物さえ下ろさせておけば、逃げられても何の実入りもないという事態は避けられる。そう踏んでの指示だった。


 その様子は勿論、御者台の上からも見えていた。

 揺らめく松明の光では、10m以上も離れている男たちの顔までは本来はよく見て取れない。だが、グランスもディアナも控えめながらも使っていた身体強化のおかげで、先ほどからやりとりをしている男が、しばしば他の誰かの指示を仰いでいるのを見て取っていた。

「あれがこいつらの頭かのう?」

 そう言ったディアナは既にリリーを拘束する力を緩めていた。

 グランスがすぐに逃げだそうとする訳ではない事を察したからか、あるいは力では仲間に勝てないことを悟ったためか。兎に角、リリーが大人しくなっていたからである。

 それはさておき、ディアナの言葉にグランスも軽く頷いた。

「多分そうだろう。……あの男を倒せば、相手がばらばらに逃げ出す……とかは期待しない方が良いだろうがな」

 もしそうだったら最高だと思いつつも、グランスはそんな甘い期待にすがる真似はしない。

 代わりに、外壁の上に立っている男たちを睨み付けていると、グランスとやりとりをしている男に何らかの指示が降りたのだろう。馬車の方へと向き直った。

「いいだろう! なら、まずは馬車の荷物を全部下ろせ! それくらいなら出来るだろう!? やらなければ、人質がどうなるか分かっているな!?」

 男がそう叫んだ。


 その指示を聞いたロバーシュは、思わず仲間たちを突っ込ませる合図を出そうとして考え直していた。

 もし獲物がユーゲルトの要求に従うなら、その時には大きな隙を見せるはずなのだ。要求に従わないなら従わないで、ワンテンポ遅れてから突撃させても良い。

 だから待つことにしたロバーシュの前で、果たして獲物は――


 男からの要求を聞いたグランスは、苦い顔で男を睨み付けたまま、短く息を吐いた。

「……仕方ない。少しくらいは要求に従って見せた方が良いだろう。ディアナ、頼めるか?」

「やむを得ぬのう……。少し待っておれ」

 これ以上粘っても、良くないことが起きそうだとディアナも軽く首を振ると、御者台を降り、馬車の後ろへと回った。

 そして、馬車の扉を開けて中に入った時のことだった。

「ん?」

 グランスは視界の端に動きがあったような気がして、そちらに視線を向けた。

「なっ!?」

 そして、いつの間にか何本かの梯子が外に下ろされつつあるのを見つけ、絶句する。

「ディアナ! 今すぐ逃げるぞ!」

 早くも何人かの男たちが梯子を下り始めているのを見たグランスは、慌てて馬に鞭を当てた。

「待ってよ! マージンが! マージンが!」

 急に動き出した馬車に、外壁の上へと向かって手を伸ばしたリリーが飛び出そうとしたが、片手をグランスに掴まれてしまっていた。

 尤も、グランスにも余裕は全くなかった。

 馬車はすぐにUターンできるようには出来ていない。

 つまり、今まさしく馬車は曲がりつつも外壁の方へと突っ込んで行っているのだ。

 それを見て取ったグランスは、このままでは逃げるのには間に合わないと判断し、リリーを捕まえて御者台から飛び降りた。

 一方、馬車の中にいたディアナはグランスの声を聞いて即座に馬車から飛び出していた。

「これはまずいのう!」

 そう叫んだディアナの視界では、あっという間にグランスたちとの距離を詰める略奪団の姿が目に映っていた。

「待ちやがれ!」

「死ねえぇぇぇ!!」

 グランスたちに襲いかかる略奪団があげる怒号が響き渡り、しかしその動きを見たディアナは既に全く焦っていなかった。


「何だ! どいつらだ!?」

 混乱しているのはユーゲルトたちも同じだった。

 攻撃指示など出していないのに、略奪団の部下たちが外壁を降りて獲物に襲いかかっていたのだ。

「ロバーシュたちのようです!」

 外壁の上に残っているメンツをさっ引いて、今獲物に襲いかかってるメンバーを割り出したグランジが即座に報告した。

「くそっ! こうなったら俺たちも……!」

 外壁の上に残っていた誰かがそう叫んだ。

 ユーゲルトもそれに釣られかけ――そして、異様なものを目にしてその動きを止めた。

「待て! あいつらは放っておけ。むしろ、今すぐ逃げるぞ!」

 そう言ったユーゲルトの部下たちは、信じられないようなものを見る目でユーゲルトを見た。

 だが、ユーゲルトにはその視線を気にする余裕はなかった。

「その人質を連れてついてこい! 反対の門からとっとと逃げる!」

 その声に、ハッと気がついたグランジが周りの連中の頬を叩いて正気に返すと、

「わ、何や何や!?」

 そんな声を上げるマージンを抱えてユーゲルトの後を追った。


 一方、ロバーシュは既に勝利を確信していた。

 ユーゲルトたちが動かなかったことでこちらの頭数は随分減ってしまったが、不意を突くことで十分相手を混乱させることが出来たのだ。

 慌てふためいて馬車を捨てた男は、未だ泣き叫んでいる少女を抱えたまま逃げようとしているが、人を一人抱えたまま、逃げ切れるはずもない。

 少し離れた所に立っている女も、いつの間にか槍を手にしているのは気になるが、状況を把握できていないのだろう。ぼーっと突っ立っている。

「男から殺るぞ!!」

 そう叫んだが、あまり意味はないだろう。そもそも、今更命令が聞こえているかどうかすら怪しいものだった。

 実際、ロバーシュの視界の端で、何人かの仲間が突っ立っている女の方へと駆け寄って行っていた。

 故に、少女を抱えた男の方へと仲間たちと共に殺到し――次の瞬間、少女の悲鳴と共に飛んできた何かに上半身を強打され、転倒していた。


「くそっ! 来るな! 来るな!!」

 左脇にリリーを抱え込んだグランスは、右手に握ったブロードソードを振り回し、襲ってきた男たちを牽制していた。

「こいつ、手強いぞ!」

「はっ! 抵抗すんじゃねぇよ!!」

 そう言いながらも、思っていたよりグランスが振るう剣が速いことに驚いている男たちだったが、何せ数で圧倒しているのだ。

 あっという間にグランスの周囲を取り囲んでしまっていた。

「くそっ! くそっ! くそっ!」

 焦ったように振るわれるグランスの剣は、リリーの存在もあってその軌道が大きく乱れ、まともに男たちを捕らえることは出来ていなかった。

 だが、迂闊に近づけば大怪我をするのは分かっているのだろう。男たちもまたちょこちょこと剣を突き出してくるだけで、グランスに大きな怪我を負わせるには至っていなかった。

「ははっ! 足手まといを抱えてどこまでやれるってんだ!」

 男たちの誰かが嘲笑した。

 その時、「あ」という短いリリーの呟きをグランスは耳にした――様な気がした。

 しかしそれはグランスの気のせいなどではなかった。

 グランスに抱えられながらも、リリーの視線はずっと外壁の上のマージンを追いかけていた。

 しかしその時、外壁の上に残っていた略奪団のメンバーが、マージンを連れて村の中へと姿を消したのだった。

 一瞬、何が起きたのか分からなかったリリーは、思わず短い声を漏らしていた。

 だが、マージンが連れ去られた。

 その事を理解した瞬間、リリーの頭は沸騰した。

 腰に括り付けていた小さな水筒の蓋が、一瞬で吹き飛び、中の水が噴き出してくる。

「なっ!?」

 それでもリリーを落とさなかったグランスは流石と言うべきか。

 しかし、略奪団の男たちはそれどころではなかった。グランスの振り回す剣の間合いギリギリにいたが、それはリリーの射程圏内だったのだ。

「ああああぁぁーーー!!!!」

 リリーの悲鳴と共に迸った水が、リリーと外壁の間にいた男たち瞬時に吹き飛ばした。男たちの足や腕は勿論、鎧や剣までもが、ひしゃげていた。

「「「な!?」」」

 グランスとリリーを取り囲んでいた男たちの動きが、同様のあまり一瞬止まった。

 いや、グランスの動きまでもが止まっていた。

 そのグランスの腕から抜け出したリリーは、再び水を集めると外壁に向かって走り出していた。

 その様子を見ていたディアナは、溜息を一つ吐くと、自分へと迫っていた男たちへと視線を戻した。

 既にマージンが連れ去られたことに気づいていた。それはつまり、ここで多少暴れたところで、人質に危害が加えられることはないことを意味している。

 その事を察していたディアナは、口元に微かな笑みを浮かべると、リリーの暴走に動きを止めていた男たちへと襲いかかった。

「がっ!」

「ぐぅっ!」

「おっ!!」

 後衛と言えども、身体強化が使えるディアナの近接戦闘能力は、男たちのそれを遙かに上回っていた。

 身体強化も使えない男たちを一瞬で蹴散らしたディアナは、グランスの元へと駆け寄ると、動きを止めていたグランスの頬を叩き、正気を取り戻させた。

「グランス! 惚けるでない!」

「あ、む、すまん!」

「私がリリーを止める! お主は馬車を確保するのじゃ!」

 ディアナはそれだけ言うと、グランスが馬車へと向かって走り出すのに目もくれず、外壁に向かって水を叩き付けているリリーの元へと向かった。

 途中、気を取り直した略奪団の男たちがディアナに斬りかかってくるも、勿論、ディアナの敵ではない。

 事実上、何の障害もなくリリーの元に辿り着いたディアナは、槍を投げ出すとリリーを後ろから羽交い締めにした。

「リリー! 止まるのじゃ! リリー!」

 そう叫びながらリリーを外壁から引きはがすも、リリーの操る水は外壁を叩き続けていた。



 リリーが暴発した音は、グランスたちの所へ向かっていたレックの耳にも届いていた。

「何かあった!?」

 その音を聞きつけたレックは、それまで周囲に払っていた警戒を全て取り払い、すぐに全力疾走に移った。

 だが、そのコースは、マージンを連れたユーゲルトたちの撤退コースとは全く重なっていなかったのだった。

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