第十三章 第五話 ~攫われた二人~
「これってどういうこと!? マージンはどこいったの!?」
馬車から出てきたリリーが、狂ったように泣き叫んだ。
他の仲間たちも状況を理解できずに呆然と立ち尽くす中で、レックだけは地面の様子から何者かが襲ってきたのだと見て取り、
「リーフ!!」
近くにいるはずのリーフを大声で呼んだ。
永劫にも感じられる数十秒の時間が過ぎ、リーフの羽ばたく音が聞こえるやいなや、レックは全力の身体強化を持ってリーフの方へと跳んだ。
「上がって! 高いところから探せば、二人を見つけられるかも知れない!」
夜にも関わらず10mを超える高さの空中で器用にレックをその背に受け止めたリーフは、そんなレックからの指示を受けて一声鳴くと、大きく羽ばたいて一気に高度を上げた。
だが、
「見えない……見えないよ!」
身体強化で強化されたレックの視力は、新月でさえなければ夜の闇をも物ともしない。事実、今も遙か遠くの山々まではっきりと見て取れていた。
だが、夜の冷たい風の中、眼下に広がる大地は遠くまで木々に覆われ、求める二人の姿はどこにも見えなかった。
「今のは……聞いたこともないが、エネミーの鳴き声か?」
馬をつないだところに着いた所で、不意に後方から聞こえてきたその鳴き声に、ロバーシュたちは動きを止めていた。
この辺のエネミーは大した強さなど持っていないが、今の鳴き声は聞いたことがない。と言うことは、どこからか流れてきたエネミーの可能性があるということだ。
「……急いでここを離れた方がいいんじゃないですかね?」
ステンの言葉にロバーシュは首を振り、顎でクライストを指した。
「まだ距離はある。それより先に、そいつもしっかり縛っとけ。隙をついて暴れられたくはないからな」
その命令に、ステンたちはアイテムボックスから縄を取り出し、クライストを後ろ手に縛り上げた。その遠慮の無い縛り方に、
「っくぅっ……!」
そうクライストが苦鳴をあげるも、ステンたちは一向に気にせずそのままクライストの両足まで縛り上げて地面に転がした。
「よし……それじゃ馬に乗せろ。とっととこの場所から離れた方が良さそうだしな」
ロバーシュの命令に従ったステンたちが縛り上げたクライストとマージンを馬に乗せている間、ロバーシュ本人は空を見上げて、
「林の中を進めるのが吉と出るか凶と出るか。どっちだろうな」
そうぽつりと呟いていた。
「……つまりは、見つけられなかったのか」
「うん、ごめん……」
空の上から降りてきたレックの報告を聞いたグランスは、地面に座り込んだまま両手で頭を抱えていた。
勿論、そんなことをしていても何の解決にもならない。それは分かっているのだが、今はそうしていたかった。
既にレックの意見を元に野営をしていた場所の検分をディアナとミネアが終え、何者かがクライストとマージンを攫っていったのだと結論づけていた。
それを聞いた時のリリーの様子は凄まじかった。
周りが心配になるほど泣き叫び、それに水の精霊が同調したのかリリーがいつも持ち歩いている水が容器を粉砕して飛び出し、周囲の木々を粉々に切り刻んだのだ。
レックが一撃を入れて無理矢理寝かせ付けるまでに、野営地周辺はちょっとした竜巻でも暴れたかのような様になっていた。
おかげで、他の仲間たちは冷静さを保てたのだが、それでも心の中の動揺は収まったとは言い難かった。
「無事……でしょうか?」
「分からぬ。攫った以上、むざむざと殺すことはないと思いたいところじゃが……」
攫った目的如何では、目的を果たしたところで二人を殺しかねない。ディアナはそう考えていたが、敢えて口にはしなかった。
仲間を失うかも知れない。
そのことを口にしてしまえば、その恐怖に耐えきれない仲間いるかも知れなかった。
「せめてどっちに向かったかだけでも分かったら良かったんだけど……」
レックがぽつりとそう言った。しかし地面が固いためか、クライスト達と争った時は兎に角、それ以外の足跡は全く残っていなかったのだ。おかげで、方角に当たりを付けて追いかけることすら出来なかった。
その事が想像させる結末は多くはない。そして、その大半が碌でもないばかりだった。
そのせいか、レックの言葉を最後に誰も口を開かなくなった。
ディアナが改めて熾した焚き火がパチパチと弾ける音と、木々のざわめきだけが静寂を埋める中、
「……とりあえず、朝になったらもう一度探そう。ミネア。エイジも心配だ。馬車に戻ってくれ」
グランスがそう言い、無言で頷いたミネアがのろのろと馬車へと戻っていった。
その背中を見送ったグランスは他の仲間たちへと視線を戻し、誰も動こうとしないのを見ると、
「俺は起きているが……みんなは寝てくれ。明日、全員が寝不足で動けないのは避けたい」
そう言った。
だが、誰も動こうとしない。
その気分が分かるだけにグランスは無理強いはしたくなかった。だが、明るくなってすぐに動き出すためにも今は全員が起きたままというのはまずかった。
「レック。明るくなるまでだけでも寝てくれ。効率的に二人を捜索するためだ。頼む」
レックもまだ眠りたくなどなかった。そもそもあまりのショックに眠気そのものがない。
だが起き続けている弊害も理解は出来ていた。だから、グランスの言葉に力なく頷くと、ミネアの後を追うように馬車へと入っていった。
一方、残されたグランス、ディアナ、アカリは会話もなく、結局朝まで焚き火を見つめ続けていた。
(くそっ! まずい、まずいぞ……)
縛り上げられたまま激しく揺れる馬の背に括り付けられたクライストは、焦っていた。
クライスト達を攫った男たちの正体は――碌でもない連中ということを除けば――分からないが、この後、ろくな目に遭わないことだけは確実だった。
良くて後からあっさり殺される。悪くて散々痛めつけられてから殺される。
(碌な予想がねぇな!)
クライストが見たところ、男たちの実力は大して高くない。全員で一斉に武器を構えて襲いかかられたとしても、クライスト一人でも逃げるだけなら何の問題もなかっただろうし、例え戦わざるを得なくとも十分に倒すことは可能な連中だった。
にも関わらず、クライストが捕まってしまったのは、隣の馬の背にクライストと同じように括り付けられたマージンが理由だった。まともに動けないマージンを人質に取られては、大人しく言うことを聞くしかなかったのだ。
そのマージンはと言うと、体調が悪いところを乱暴に扱われ、意識を失っているらしい。夜の森の中は非常に暗く、身体強化を使ってもマージンの顔色は分からなかったが。
マージンを恨む気はない――と言えば嘘になるだろう。だが、仲間を見殺しにする方がよっぽどイヤだった。
(でも……)
今の状況を見るなら、あの時見捨てて逃げてもマージンがすぐに殺される事はなかった気もする。それなら、こいつらの逃げた方向をグランスたちに教えることが出来る分、事態はマシになっていたかも知れなかった。
尤も、そんなものは結果論に過ぎない。
(後からなら何とでも言えるけどな)
クライストはifの話を切り捨て、これからどうなるか。どうするべきかに考えを移した。
馬が走り出す前に聞こえたあの鳴き声は、クライストには聞き覚えがあった。リーフの鳴き声だろう。既に、レックがリーフに乗って捜索を試みているのかも知れない。
だが、木々の密度は大したことはなくとも、夜の森の中を駆ける馬を上空から見つけ出すのは至難の業に思えた。
(……すぐに助けが来るとは思わねぇ方が良いだろうな)
クランチャットが使えれば大雑把な場所だけでも伝えられるはずだが、両手を縛られている現状では不可能だった。
(隙が出来るまで……待つしかねぇか……)
身体強化を使っても、縛り上げられたまま剣で急所を刺されれば間違いなく致命傷を受けるだろう。おまけに縄を引きちぎることも出来そうにない。
(こうして攫ってきた以上、何か目的があるはずだ。ってか、アイテムボックスの中身を奪うつもりなら、まだ殺されはしねぇか)
所有者が死ぬとアイテムボックスの中身は周囲の地面にまき散らされる。だが、全てではなかった。
どうせなら、全く落とさないようにしてくれれば良いのにと思ったことは勿論あったのだが、それでも今はその仕様に感謝したいクライストだった。
そんな風にいろいろな事を考えていたクライストだったが、やがてその思考の中断を余儀なくされた。
急にロバーシュたちが馬を止めたのである。
そこはちょうど森が途切れるところだった。大きな丸っこい岩も1つ転がっている。
「集合場所の連絡はしたな?」
ロバーシュの確認にステンが頷き、
「返事も来ています。30分もかからずに来るはずです」
そのやりとりに、これ以上仲間が増えるのかとクライストが焦りを募らせたが、勿論何も出来ない。
その傍らでは、他の連中に周囲の見張りを任せたロバーシュとステンがこの後の行動について話をしていた。
「ユーゲルトめ。ちんたらしやがって。おかげでこんな中途半端になっちまったよな」
「いたらいたで五月蠅いからどっちもどっちではないですか?」
ステンの言葉に、ロバーシュは顔を顰めて頭を掻いた。
「ったくだ。つか、こいつら見たらまた五月蠅そうだぜ」
そう不満げに言うところを見るまでもなく、ロバーシュはそのユーゲルトという人物が嫌いなのだろう。
そんな不満をロバーシュが垂れ流している時のことだった。
夜の静寂を破って遠くから馬の群れの駆ける音が聞こえてきた。
「どうやら、おいでなすったみたいだな」
その言葉通り、それから一分と経たないうちにロバーシュたちに新たな集団が合流していた。
集団メンバーの装備はロバーシュたちと似たり寄ったりである。要するに仲間ということなのだろう。ただ人数だけは圧倒的に多く、ロバーシュたちが5人しかいなかったのに比べ、新たに現れた集団は30人近くもいた。
その中から一人、リーダーと覚しき人間が馬から下り、ロバーシュたちの方へと歩いてきた。頭に被った木製の兜の隙間からくるくると巻いた髪の毛が幾束かはみ出している以外は、夜の暗闇の中では特徴もない男である。
「……一人足りないみたいだが、何があった?」
ロバーシュたちを一瞥した男は、開口一番、ロバーシュにそう訊いた。
「あいつはヘマやりやがってな。捕まったよ」
だから俺の責任じゃないと言わんばかりの態度に、男は片眉を上げ、しかし怒鳴っても無駄だと思ったのだろう。別のことを口にした。
「それで、馬に括り付けられてるのは何だ?」
そう言いながら、クライストとマージンを顎で指した。
「あ~、アイテムボックスから荷物を出させる時間が無くてな。連れてきたんだよ。ついでに、あいつらの残りの荷物をいただく人質になって貰おうって思ってな」
ロバーシュの説明を聞いた男の顔は一瞬苦々しげなものになったがすぐに元に戻った。
「そうか。……ところで、その二人の仲間がすぐに追いかけてくる可能性はあるか?」
「絶対ないなんて保証はできないな」
「お前はすぐに追いかけてくると思うか?」
からかうようなロバーシュの言葉だったが、男は慣れていたようで平然と聞き直した。その事にロバーシュは短く舌打ちすると、
「あー、多分大丈夫じゃないか?こっから馬で1時間は離れてるしな。こっちから場所を教えない限り、見つかりっこないだろ」
「そうか。なら、少し移動してから野営するぞ。ここじゃ岩のせいで目立ちすぎるからな」
男はそう言うと、元来た集団の方に戻っていった。それを見ながらロバーシュがまた小さく舌打ちした。
そして、数分後。
少ししか移動していないがリーダーの男は十分だと判断したのだろう。その指示でロバーシュたちは野営の準備を始めていた。どうやら男の方がロバーシュより集団内での立場は上らしく、文句を言いながらもロバーシュも男の指示に従っていた。
やがて野営の準備も整い、男の命令でクライストとマージンも馬から下ろされ、縛り上げられたまま別々のテントに放り込まれたのだった。
翌朝。
一部を残してテントをたたんだ男たちは朝食を終えると、ある議題について話し合っていた。
巻き毛の男は集団のリーダーであっているらしく、その男を中心にクライスト達の処遇が話し合われていた。
「やはり、どこかにおびき出して荷物をいただくか」
男のその意見には誰も反対しない。
何しろ、村や町、旅人を襲って荷物、特に食料を手に入れるのが男たちの目的なのだ。男に反発しているロバーシュですら反対しなかった。
「場所はどこにしますか? やはりどこかの廃村が良いと思いますが」
そう言ったのは背中に槍を背負った銀髪の男だった。
「そうだな。グランジの言うとおり、どこかの廃村を利用するのが無難だと思うが、どうだ?」
リーダーの男はそう言って、話し合いに参加しているメンバーの顔を見回した。
「いいんじゃないか」
投げやりながらも反発せずにそう答えたロバーシュに、一座の目が丸くなった。
「珍しいな。ユーゲルトさんの言葉にロバーシュが反発しないなんて」
銀髪の男――グランジがそう言うと、
「馬鹿にしてんのか? 俺だって合理的な判断くらいはできるさ」
ロバーシュはそう鼻で笑った。
「そうだな。そうでなくてはここにいるはずもない」
リーダーの男――ユーゲルトはそう言うと一枚の地図を地面に広げた。
「今いるのがこの辺りだな。近場で使えそうな廃村というと……」
ユーゲルトはそう言いながら、地図に書かれた廃村を表す、丸の上からバツを上書きした記号を1つ1つ辿るように指を滑らせていった。
そして、
「ここか」
そう言って今いる場所から20kmほどの廃村の上で指を止めた。
尤も、
「ここも何も、そこしか無いだろうが」
ロバーシュがそう言ったように、手頃な距離にある村は他にはなかったのだが。
キングダム大陸と同様に、メトロポリス大陸でも町や村同士の距離はかなり空いていることが多かった。いや、キングダム大陸以上と言ってもいい。
何しろ、ジ・アナザーの街の外で遊ぼうという者は、大抵キングダムかカントリーをプライベート・アバターの出発地点に選んでいた。メトロポリスをプライベート・アバターの出発地に選ぶ者は他に比べて少なかった。
そのため、メトロポリス大陸の町や村の数自体が少なく、その密度も低いという状況を生み出していたのである。
尤も、町や村をつなぐ街道はあったし、街道沿いの宿場町などもあったのだが、『魔王降臨』以降、自給能力にも防衛能力にも乏しい宿場町はキングダム大陸と異なり瞬く間に衰退したのだった。
「よし。早めに獲物に連絡を入れろ。下手に移動されると面倒だ」
蒼い月――そんな名前は知らないが――が下手に移動して、自分たちが指定した場所に着けない状況になる前に行動しろと、ユーゲルトは命令した。
「分かってるよ。おい、ステン!」
ロバーシュは不機嫌さを隠さない返事を返すと、ステンを呼びつけた。そして、クライストを連れてくるように指示を出したのだった。
(腕も足ももう感覚がねぇ……結構やばいことになってんじゃねぇだろうな?)
縛り上げられたままテントの中に転がされていたクライストは、手足の感覚を確かめながら苛ついていた。勿論、昨晩は一睡も出来ていない。出来る訳がなかった。
おまけに状況は悪化する一方なのだ。目に見えて悪化している訳ではないが、着実に悪化している。それが分かるのに何も出来ないことが寝不足とあわせてクライストを苛立たせていた。
(食事すらねぇ……。このままじゃじり貧だぜ……)
状況が状況のためか空腹感など全く感じないのだが、それでも力が少しだが身体に入りづらくなっている辺り、やはり空腹なのだろうとクライストは判断していた。
尤も、朝食を一回抜かれただけなので、今はまだ問題なさそうだったが、この後も食事を貰えないとなるとまずいことになるだろう。
そこでクライストは一緒に捕まったマージンの事を考えようとして、
(マージンは……いや、自分のことすらどうにもできてねぇのに、あっちのことを考えるだけ無駄か)
自分自身のことに思考を戻した。マージンの事も心配だが、このままでは心配をする自分もどうにかされてしまう。
そんなことを考えていたクライストの耳に、誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
クライストが目を閉じ、意識を失ったままのふりをしているとその足音はテントの前で止まった。
(っ! 何か用かよ!?)
心の中で罵声を浴びせるも、状況が掴めるまでクライストは目を閉じたままでいることにした。
が、
「おい、起きろ!」
そう言われては起きざるを得ない。無駄な抵抗をしても無駄に怪我をするだけだった。それよりはある程度は相手の言うことに素直に従っておいた方が良い。
「ついてこい……っつっても、自分じゃ歩けないか」
クライストのテントに入ってきたステンはクライストの足を縛る縄を見てそう言うと、イヤそうな顔でクライストの襟を掴み、引きずり出した。
「……どこへ連れて行く気だ」
イヤな予感しかしないクライストがそう訊くと、ステンは足を止めて振り返り、にやりと笑った。
「なに、して貰いたいことが1つ2つあるんだよ」
そう答えると鼻歌でも歌い出しそうな機嫌の良さで再びクライストを引きずり始めた。
そしてクライストが連れてこられたところにはロバーシュがいた。
クライストの到着を待ちかねていたロバーシュは武器を手入れする手を止めると、ステンと同じような笑みを浮かべ、地面に投げ出されたクライストに向かって早速口を開いた。
「まずは確認だ。答えなかったらお仲間が痛い目に遭うってことだけ理解したら、素直に答えろよ?」
「くっ……」
いきなりの脅しにクライストは唇を噛んだが、頷くしか出来なかった。
「さて、お前ら、同じギルドに所属してるよな?」
ギルドという言葉に何をこいつは訊いてるんだとクライストは一瞬首を傾げ、キングダム大陸で使われているギルドやクランという言葉がメトロポリス大陸では違う意味なのだと、元の意味で使われているのだと気づいた。
そして、そのまま頷いてしまった。
それを見たロバーシュはまたもやにやりと笑い、地面の上に転がされているクライストの前へとしゃがみ込んだ。
「なら、頼みたいことがあるんだがいいよなぁ?」
そう言いながらぺちぺちと自らの頬を叩いてくるロバーシュを、クライストは歯ぎしりをしながら睨み付けるが、ロバーシュは全く気にせず、むしろ不愉快な笑みを深めた。
「何をっ……させる気だ!!」
「なに、簡単な事さ。お前の仲間にまだ無事だと連絡して欲しいのさ。助けを呼べるんだ。感謝しろよ?」
(こいつ! グランスたちをおびき出すつもりか!)
ロバーシュの言葉を聞いたクライストは、いくら寝不足で頭の回転が鈍っていたとは言え、さっきうっかり頷いた自分を殴ってやりたくなった。
だが既に手遅れである。
「難しいことじゃないだろう? まあ、断ってくれても良いがな……その時はもう一人がどうなるんだろうな?」
そうにやにやしながら言うロバーシュの顔を睨み付ける。それしかクライストには出来なかった。
朝の光が辺りを満たし、小鳥たちが元気よく鳴き始めても、グランスたちの雰囲気は沈んだままだった。エイジが空腹を訴え、それに答えるべくミネアが動いた事を除けば、誰一人として口すら開こうとしていない。
先ほどまでは少し早く目が覚めたリリーが泣き喚いていたが、今では疲れ果てて魂が抜けたようになってしまっていた。
そんな仲間たちの様子を見ていたレックもまた、心がとても重かった。だが、サビエルの記憶と経験を足された分、精神がタフになっていたのか。あるいはサビエルの死を経験したことが原因かも知れない。兎に角、動けないことはなかった。
それに、こっちの仲間たちも心配だが、それ以上にクライストとマージンが心配だった。
「……グランス、そろそろ行くよ」
立ち上がりそう告げたレックに仲間たちの視線が集まった。
「ああ……頼む。俺たちも探してみるが……」
グランスの言葉にレックは首を振った。
「下手に動かない方が良いよ。反対方向に行っちゃったら目も当てられないし……」
何より、今のグランスたちは下手に動くと逆に危ない感じがしてとは、流石に口に出せなかった。
「必ず二人を見つけてくるから、何か暖かくて美味しい物でも用意してあげといて」
レックの言葉に他よりマシな様子のディアナとアカリがと頷いた。
それでもまだ今の状態の仲間たちを置いていくことにレックは不安を感じていた。だが、クライスト達を探しに行くにはどうやっても足手まといであることも事実なのだ。そして、急を要するのはどう考えても攫われたクライスト達だった。
だから、レックは二人を探しに行くことに決めていた。夕方には一度戻ってくるつもりだが――
(この調子だと、昼頃にも様子を見に戻った方が良いかも……)
そこまで考えて、このままだといつまで経っても出発できないと首を振り、後ろに控えていたリーフの背に飛び乗った。
「それじゃ、探しに行ってくるよ!」
そう大声で言うと、仲間たちの輪の片隅で泣き腫らした顔のままぴくりとも動かないリリーに目を遣った。
ずきりとした胸の痛みを押し殺し、レックはリリーへと声をかける。
「リリー! 必ず二人を見つけてくるから!」
その言葉に辛うじてリリーが反応したのを見て、レックはリーフに飛び立つように指示を出し――
全員の個人端末がクランチャットの着信を告げた。
誰もが何が鳴ったのか理解できていない間にもう一度、個人端末がクランチャットの着信を告げる。
それでやっと何が起きたのかを理解した全員が、個人端末を慌てて取り出した。勿論、リリーもである。
レックもまた、僅かに飛び上がっていたリーフにもう一度地面に降りて貰うと急いで個人端末を取り出し、クランチャットを確認した。
「……二人とも無事なのか!」
クランチャットに入っていたクライストからのメッセージに、全員がわっと声を上げた。
だが、クライストからのメッセージはそれだけでは済まなかった。
「やはり、何者かに攫われたのじゃな」
ディアナが苦々しげにそう言った。
クライストからのメッセージには、自分もマージンも無事であることが真っ先に書かれていた。そして、自分たちが攫われたことも。
「すぐに助けに行かないと!」
マージンが無事と知ったリリーがそう叫んだが、グランスが首を振った。
「どこにいるか分からない。それに、おそらくこのメッセージは誘拐犯に書かされたものだろう。今の場所を教えるようなメッセージは書けないはずだ」
「でも、でも!!」
必死に食い下がるリリーを、その方に手をかけたディアナが押しとどめる。
尤も、場所の問題についてはすぐに解決した。
「待った。次のメッセージが来たよ」
レックの言葉にアカリを除く全員が再び端末に目を落とした。
「……どうやら、二人を人質に私たちの荷物を全て奪うつもりのようじゃな」
ディアナは誘拐犯の考えを正確に読み取った。
「そのようだな。この辺で暴れ回ってる連中のことを考えると、それだけで済むかどうか怪しいが……」
グランスが小難しい顔でそう言うと、リリーの顔が絶望に染まった。
「ひょっとして……」
「いや、待て! 違うぞ!」
リリーからだけではない剣呑な視線に気づき、グランスは慌てて首を振った。
「二人とも大事な仲間だ。見捨てる気はない! ただ、単に指定された場所に向かうのはまずいと思っただけだ!」
「……そうですね。何も考えずにのこのこ……罠に飛び込む必要はありません……」
クライストからのメッセージを受けて出てきていたミネアも、そう同意した。
「でも……逆に言えば、二人を助け出すチャンスがあるってことだよね?」
レックの言葉に、グランスが、ディアナが、ミネアが力強く頷いた。リリーとアカリの表情も目に見えて明るくなった。
「なら……」
「ああ、指定された場所には向かうぞ! 詳しい場所は捕虜に訊けば分かるらしいからな」
グランスの宣言に、全員が大きく頷いた。
「……これでいいんだろ?」
クランチャットでメッセージを送り終えたクライストは、仲間からの返信が無かったことに不満を覚えながらも、同時にロバーシュたちに仲間たちの返事を読まれなかったことに安堵もしていた。
そんなクライストの心の内を知ってか知らずか、ロバーシュは満足そうに頷くと、
「それじゃあ、縄をほどいてやったついでだ。アイテムボックスの中身を一通り出して貰おうか」
ステンにクライストへ剣を突きつけさせたまま、そう命じた。ロバーシュ自身も抜き身の剣を片手にぶら下げているが、使う気配はない。
ちなみに、縄をほどいて貰ったと言っても両手だけである。クライストの足は硬く縛り上げられたままで、まともな抵抗など出来そうにもなかった。尤も、マージンの事を考えれば両手両足が満足に使えたからと言って、抵抗するわけにはいかないのだが。
「……分かったよ」
なのでクライストは大人しくアイテムボックスの中身を1つずつ取り出し始める。
尤も、大半の荷物はレックのアイテムボックスに放り込まれているので、クライストのアイテムボックスに入っている物など高が知れている。
「……思ったより食い物が少ないな?」
せいぜい数日分程度しかないそれに、ロバーシュが不満を漏らした。
「馬車の方にあるんだよ」
まさか、一人のアイテムボックスに山のような荷物や食料がまとめて放り込まれているとは言えず、とりあえずクライストはそう答えた。
「ちっ……そう言うことか」
ステンが舌打ちしたが、そうでなければロバーシュが舌打ちしていただろう。
そのロバーシュはステンの舌打ちが気に障ったのかそちらを軽く睨むと、すぐにクライストに――正確にはクライストが取り出した荷物の山に視線を移した。
「これで全部か?」
「ああ、全部だ」
「……確かに、容量的にこんなもんか。外れだな」
期待していた様な物が出てこなかったせいか、ロバーシュは不満げにそう言い捨てると、しかし次の瞬間、にやりと笑い、
「まあ、いい。これでお前は用済みだからな。解放してやるぜ?」
その言葉にクライストが眉を顰めると、
「おやあ? 親切で言ってやってるのに信じないってか。悲しいねえ?」
おどけるようにロバーシュは両手を上げて首を振った。そのあまりのわざとらしさに、クライストが何となくイヤな予感を覚えると、
「まあ、それが正解なんだけどな!」
その言葉が合図だったのだろう。剣を捨てたステンがクライストを羽交い締めにすると、にやにやと笑いながらロバーシュがかがみ込み、クライストの顔を覗き込んだ。
「食料も大事だけどな? 俺たちがこんな事をしてるのは、こういう楽しみもあるからなんだよな?」
そう言いながら、クライストの右手首に剣の刃を当てると、すっと引き、
「がぁぁぁぁぁ!!!」
「おっと!」
静脈か動脈か。クライストの血管から吹き出した血を避けるように、ロバーシュは身を引いた。
そうして満足そうに笑った。
「ふふん。いい悲鳴だ。これが後3回あるんだ。楽しみだよなぁ?」
尤も、クライストはそれどころではない。ロバーシュが切ったのは静脈だけではない。手首の腱もまとめて切っていたのだ。
その激痛に左手で傷口を押さえようにも、ステンに拘束されていてはままならない。
「さて、ゆっくりと悲鳴を聞いていたいところだが、余計な邪魔が入るまでにさっさとやってしまおうか」
クライストの悲鳴を聞いて、略奪団の仲間たちの中尉が集まりつつあることを知ったロバーシュは、少しつまらなさそうに言うと、クライストの左手首、右足首、左足首の順番で切っていった。
その都度上がるクライストの悲鳴。
それにロバーシュが満足したところで、
「何をやっている!!」
ユーゲルトがグランジを連れてやって来た。その顔に浮かぶのは明らかな怒りだった。
「なに。用が済んだのを一人始末してた所さ。どうせ、余計な口を連れて行く予定なんて無いんだろ?」
「だからといって、無闇にいたぶる必要は無いだろうが!」
ひょうひょうと曰ったロバーシュに、ユーゲルトがそう怒鳴った。
しかしロバーシュは全く堪えた様子もなく、
「そうかい。なら、トドメを刺してやることだな? お優しいユーゲルト様よ?」
そう言ってステンに声をかけると、笑いながらその場を去って行った。
残されたユーゲルトとグランジは、地面の上で悶えるクライストを痛ましげに一瞥したが、すぐに顔を背け、
「……すぐに出血多量で意識もなくなるだろう」
そう言い残してその場を離れた。
やがて、野営の後片付けも完全に終わり、移動の準備が出来たのだろう。
ユーゲルト率いる略奪団は、蒼い月に来るように指定した廃村へと向かって一斉に動き出した。
四肢の腱を全て切られたクライストを残して。




