表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジ・アナザー  作者: sularis
第十三章 メトロポリス大陸
129/204

第十三章 第四話 ~略奪者~

 周囲を広葉樹と針葉樹が入り交じった林に囲まれた防壁。

 石造りのそれは門の周囲だけ高さが5mほどあるものの、少し離れたところになると高さが3mほどしかなく、その上では高さを積み増しするための工事が行われている気配があった。

 ぐるりと一周すれば高さがまだ2mちょっとしかないところもあるのだが、門の所からはそれをうかがい知ることは出来ない。曲がりなりにもそれなりに木が生えている林の中の見通しは決して良いとは言い難いのだ。

 その見通しの悪さに一役買っている林の随所に見受けられる藪。その中でも防壁に設けられた門が見えるところにある1つの藪の中に数名の人影があった。

 エネミーから身を隠している――にしてはなんかおかしい。村がこれだけ近いのだから、村に入れて貰えば済む話の筈だった。そもそも、じっと門の方を見つめている彼らにそんなつもりがあるのかどうか。

 そんな連中がいるとは露知らず、門の所は騒がしいことになっていた。門の外側に来た来訪者と、門の上から来訪者を睨み付けている村人の一団が対峙していたのである。


「余所者なんか信用できるか!」

「そうやって入り込んで、後から来る仲間を引き入れるつもりなんだろう!」

「帰れ帰れ!」

 固く閉ざされた門。その上から叫ぶ村人たちの顔には、防壁に守られている安心感のためか、警戒と敵意しか見えなかった。

 そんな感情をぶつけられた来訪者たちは、勿論気分など良くはない。だが、村人たちが手にしている武器のせいか、はたまた目的を果たしたからか。

 来訪者たちは軽く首を振ると、自らの馬車へと戻っていった。

 やがて、馬車は元来た道を引き返し始める。その後ろ姿を見送った村人たちの間で張り詰めていた緊張の糸が緩み、安堵の溜息が漏れた。

 いくら防壁の上という絶対的なアドバンテージを有していても、武装した人間相手に絶対はない。それ故に、武装した来訪者たちが去ったことで、村人たちはやっと安心したのだった。

 だから、彼らは気づかなかった。

 来訪者たちの後をこっそりつけるように、林の中を数名の人影が移動していったことに。



 一方、村から引き返した馬車の御者台の上では、神官っぽい白いローブに身を包んだ男が、悔しそうな顔で手綱を握っていた。

「とっくにやられてるか、無事なら無事で入れてすら貰えないかのどっちかってのはきついな」

 相も変わらぬ悪路のせいで馬車ごとガタゴトと揺れながら、クライストがそうぼやいた。

「部外者を入れなくなっておる分だけ、村が安全だと納得するしかあるまいよ」

 そう答えたのは、隣に座っていたディアナである。こちらも薄紫のコートに身を包み、冷たい空気から身を守っていた。


 レック達がメトロポリス大陸に来てから、2ヶ月。アカリを拾ってからでも1ヶ月が過ぎようとしていた。

 既に寒さもかなり緩み、雪に至ってはちらつくことすらなくなっていた。その分、冬の寒さに耐えていた草木が近づく春を迎えようと芽を膨らませ、気が早いものでは既に若葉を出しつつあった。

 そうなると、野山を駆け回る草食動物、そしてそれらを狙う肉食動物たちもが元気になり、周囲は春の喜び満ちつつあった。

 が、レック達には関係ない。

 むしろ、レック達の空気はあまり明るいとは言い難かった。

 アカリを拾った一行は、当初の予定を大幅に変更して最短の経路でメトロポリスに向かうのではなく、周囲に点在する村々に足を運びながらメトロポリスへと向かっていた。アカリの村を滅ぼした略奪団への警戒を呼びかけるためである。

 しかし、その結果は散々なものだった。

 先ほどの村人たちの対応が片方の良い例だろう。クライストが言ったように、村に入れてすら貰えないのである。これで気分が良い訳がなかった。

 勿論、全ての村に入れなかった訳ではない。

 だが、入れた村はすなわち、既に略奪者たちによって蹂躙され、奪い尽くされ、殺し尽くされた村ばかりだったのだ。

 そんなことが続いたおかげで、すっかり蒼い月の中で流れる空気は悪くなってしまっていた。


「ディアナの言うとおりだけどな。それでもやっぱ、凹むぜ」

 クライストは溜息を吐いた。

 せめてもの救いは、これで最後と決めていたことだろうか。尤も、それはそれで楽な道ではないかも知れないのだが。


 さて、御者台はそんな感じだったが、馬車の中も似たようなものである。

 乗り物酔いで倒れているマージンと赤ん坊のエイジを除けば、グランスもミネアも、レックもリリーもアカリも、全員の雰囲気が暗かった。

「分かっていても、良い気分にはなれないですね……」

 そう言ったのはアカリである。


 実のところ、連れて行っても足手まといにしかならない彼女は最初の村で下ろされる予定だったのだが、先ほどあげた状況が続いた結果、馬車から降りる機会が無かったアカリは、結局今もまだ蒼い月と行動を共にしていた。

 尤も、流石にメトロポリスから離れた村にいただけあって、この辺りのエネミー相手なら身を守るくらいは出来たのだが、レック達がいる以上、出番など無いに等しい。

 メトロポリス大陸の南東部はキングダム周辺と同じく、初心者向けのエネミーしかいない。そんなエネミーが蒼い月の面々の相手になる訳もなく、アカリは現れる側から次々と蹴散らされるエネミーを見て呆然としたのだった。


「今更だが……予想しておいて然るべきだったな」

 無駄な時間を使ってしまった上にいらない精神的苦痛まで仲間に味わわせてしまったと、最近凹み気味のグランスがそう呟いた。

「いや、僕たちも止めなかったんだから、グランスが気にすることじゃないよ」

「レックの言うとおりです。……それより、これからどうするかの方が……大事です」

 ミネアがそう言ったが、既にどうするかは決まっていた。


 前に訪れた村が廃墟になっていたのを確認した時点で、どういう結果に終わろうが、先ほど追い返された村で最後にして、一度モスト・イーストに戻ろう。彼らはそう決めていた。実際、既に馬車はモスト・イーストの方向へと進みつつある。

 アカリは村の仲間を探して欲しそうだったのだが、そもそもどこの誰がアカリの村を襲ったのかも、どちらへ去って行ったのかさえも分からないのでは、攫われた人々を救い出すことはほぼ不可能だった。その事はアカリも分かっているのか、蒼い月に拾われた直後以外は、特に何も言わなくなっていた。

 尤も、あかりが何も言わなかったとは言え、モスト・イーストに戻ることに異論が無かった訳でもない。

 例えばクライストである。

「……正直な、もうあいつが待っていてくれるとは思ってはいねぇんだよ。でもな、元気にやってるかどうかくらいは、知りたいわけさ」

 だから、戻れるなら早く戻りたい。モスト・イーストに戻ることで魔王を倒すのが遅くなるなら、このままメトロポリスに向かいたい。そう言っていた。

 それでも、無理にメトロポリスに行くことで予期せぬトラブルに巻き込まれる可能性が高くなることを十分に理解していたクライストは、それ以上は何も言わなかったのだが。


「でも、戻った後が問題だよ。メトロポリスには一度は行かないといけないし……」

「そうだな。だが、正直、足手まといがついていくのはキツそうだな」

 グランスはそう言うと自虐的に笑った。この場合の足手まといとはアカリだけではない。エイジを抱えるグランスとミネアも含まれるからだ。

「最悪5人だけでも行くけど……」

 レックはそう言ったが、出来ればグランスたちとも一緒に行きたかった。数週間とかならいざ知らず、下手すれば1年以上も会えなくなるのは流石に寂しいものがある。

 正確にはそれだけではない。

 町に引きこもっている者でも死ぬ恐れがある。この世界はそんなところだった。サビエルのように目の前で仲間が死んでもあれだけキツかったのだ。知らない間に仲間が危険に晒されて、二度と会えなくなってしまっていたなんてことになったら、耐えられない。


 尤も、この思いはレックに限ったものではなかった。蒼い月のメンバー全員に共通するものだった。

 エイジへの危険を覚悟してまでグランスたちがメトロポリス大陸に一緒に来ているのも、一月かそこら別行動になるくらいなら兎に角、それ以上は不安に耐えきれそうになかったからだった。

 それならいっそ、メトロポリスに行かないという案もあったのだが、既にこの世界に腰を下ろしつつあるグランスとミネアを除くメンバーのことを考えるなら、やはり元の世界に戻る努力はやめるべきではない。それが蒼い月の総意だった。


 それはさておき。

 レックの気持ちを知ってか知らずか、グランスが口を開いた。

「まあ、モスト・イーストに戻ってからそれは考えよう。5人だけで行くにしても、改めて計画を立て直さないといけないだろうからな」

「戻るまでにも……時間はたっぷりあります……」

「……それもそうだね」

 とは言え、このまま行くとグランスとミネア、エイジを除いた5人で行くことになりそうだなと、レックは思ったのだった。



 さて、蒼い月の面々がそんな風に話をしている馬車の後を、慎重に追跡している者たちがいた。

 先ほどの村の門の近くに隠れていた者たちである。

 馬に乗った彼らの装備は、革製品主体の比較的軽装備の防具一式に、弓と矢筒を背中に背負い、腰には剣を佩いているというもので統一されていた。遠近いずれの戦いにも対応できる装備である。

 その装備を見ただけなら、キングダム大陸に無数にいる冒険者たちと変わらない。だが、普通の冒険者とは言い難い。

 アイテムボックスがあっても容量は大きくないため、普通の冒険者はそれなりの荷物を持って歩いている。或いは馬車を使う。だが、蒼い月の馬車の後をつけている彼らは、旅をするための荷物を持っているようには見えなかった。

 いや、そんな所に目を付けるまでもないだろう。

 見る者が見れば、一目見ただけで彼らが冒険者などではないと見破ったに違いない。

 そんな彼らのうち一人が個人端末を操作していたが、どうやら用は済んだらしく、馬の手綱を握り直したところだった。

 そして空を見上げ、

「……鳥か」

 上空を舞う影を見つけ、そう呟いたのだった。

 だが、その男の言葉は間違っていた。

 上空を舞っていたその影は鳥などではない。ただ、あまりにも高い空を飛んでいたために大きさや細かい形が分かり難くなっていて、男が勘違いしただけだった。

 影の正体は、レックの後を追いかけているホワイトグリフォンのリーフだった。餌を得るための食事の時間を除けば、今日も今日とて蒼い月の馬車を追いかけているのである。

 ついでに、エネミーが近くに来ると蒼い月の馬車の近くにまで降りていって警告を出すのだが――馬車の後を付けている一行については、彼らがエネミーなどではない人間だったため、警告を出していなかった。

 ただ、それだけだった。



 やがて、日も暮れた。

 男たちに追跡されていることに気づいていないレック達は、手頃な林に入り込んでいつも通り野営の準備を終わらせていた。

「もうちょっと野菜を確保しとくべきだったよね」

 どうにも肉の割合が増えてきたことに不満を漏らしたレックに、

「そうだな。流石にこうも肉ばっかだと飽きるよな」

 クライストが頷いた。


 アイテムボックスに入れてある物はほとんど劣化しない。そのおかげで長い旅路の上でも、予め買っておいた新鮮な野菜を食べることが出来る。のだが、元々買っておいた野菜が底をついては意味がない。

 かと言って、流石にアイテムボックスに放り込んでから半年以上も経っているといくら新鮮に見えても食べたいとも思わない。

 そんな訳で、こちらに来る前に野菜は相当な量を買い込んでおいたとは言え、流石に一月も二月も持つ量は買っていなかった。途中で補充できるだろうと考えていたからである。

 だが実際には、ここ一月ほど町にも村にも入ることが出来ず、レックのアイテムボックスに大量に放り込まれていた野菜や果実が尽きつつあるのだった。

 一方、狩りをすれば肉だけは手に入るので、朝昼晩と肉の占める比率が明らかに上がってきている。そんな状況だった。


 尤も、そんな状況でも大した愚痴は出てこない。

 と言うのも、

「せめて粥くらいは食べられるかの?」

「今日は調子よさそうだし、多分?」

 露骨に頬がこけたマージンがいるからだった。

 ただでさえ連日馬車に揺られまくることで酷い乗り物酔いに弱り切っていたマージンに、肉の比率が高い食事はトドメになったらしい。

 はっきり言って病人そのもののその様子に、他の仲間たちは自分は健康なだけマシなのだとしみじみ思っていた。

 リリーがマージンの看病をしているのを見ているレックですら、嫉妬よりもマージンの体調の方が心配になる有様である。

「また2~3日くらい、ここで休んでいくか?」

「その方が良いかも知れぬのう」

 グランスの提案を、ディアナが真剣に検討する。

「ううっ……すまへんなぁ……」

 自分のせいで足が止まってしまうことに、ひっくり返ったままのマージンが申し訳なさそうな声を出すと、グランスが頭を下げた。

「いや。マージンが乗り物に弱いことを忘れていた俺のミスだ。謝るなら俺の方だな」


 何故か、馬に揺られるのは平気なのだから、馬をもう一頭用意しておけば良かったのだとは、誰もが思っていることだった。――勿論、モスト・イーストに戻ったらマージン用に馬を確保する予定である。


 一方、レックはアイテムボックスの中を確認しながら、休みながら戻った場合の食料の在庫を計算して顔を顰めていた。どう計算しても足りない。

「野菜とかちょっと足りないよ」

 実のところはかなり足りないのだが、マージンに聞こえた時のことを考えると素直には言い出せず、そんな表現になってしまう。

「喰える野草とか分かればいいんだけどな」

「図書館に行く機会があったら、調べてみるよ」

 レック達は請け負ったことがないが、山菜摘みの仕事とかもあるくらいなのだから、食べられる野草も存在するはずなのだ。ただ、弱いとは言え毒草もちょくちょく生えているので、知識もなしに手を出すのはまずかった。

「もうちょっと、採取系のクエストも地味でもやっとけばよかったな」

 クライストがそう言うと、レックとクライストは溜息を吐いたのだった。



 さて、そんな彼らを見つめる複数の視線があった。蒼い月の馬車を一日追跡してきていた男たちである。

「くそっ……旨そうに喰いやがって……」

 誰かがそう言う傍らで、他の誰かが涎を飲み込む音がした。

 風下ではないおかげで匂いなどは流れてこないながらも――風下だったとしても、フィールドでの料理はエネミーを引き寄せないためにもあまり匂いが出ないような料理が基本なので、匂いが分かるかどうかは疑問だが――レック達が随分と豪勢な食事をとっているように男たちの目には映っていた。

 ちなみに、美女や美少女と呼ぶにふさわしい容姿の女性陣の姿も見つけてはいるが、元々ジ・アナザーは美人だらけなので、男たちはそちらはあまり気にならなかった。彼らの注意は主にレック達の食事に向けられていた。

 ここ暫く、まともな食事をとっていないのだ。乾いて硬くなったパンと干し肉ばかりの彼らにとって、温かい食事はそれだけで十分に羨ましく妬ましい。

「応援はまだ来ないのか?」

 明るい茶色の髪をした男――名はロバーシュという――に訊かれ、アッシュグレーの髪の男が首を振った。

「少し離れたところにいたみたいで、合流まで少し時間がかかると」

 その答えに、ロバーシュは舌打ちをした。

「っち。この人数じゃ、確実じゃないってのにな」

 ロバーシュの元には現在、4人の男たちがいた。ロバーシュ自身をあわせれば5人だが、今彼らが監視しているレック達はなんだかんだで7人以上は確実にいる。ロバーシュたちより人数が多いというのが実に腹立たしかった。

 尤も、あちらとこちらの人数が同じ程度だったとしても、ロバーシュとしては何もする気は無かった。相手はキングダムから来ている冒険者と覚しい連中なのだ。個々の戦闘能力では確実にこちらが劣る。故に、少なくとも倍以上の数で圧倒する必要があった。

 一方で、出来れば早く襲いかかりたい。そんな欲求もあった。

 尤も単なる欲求だけではない。食料を奪うのが遅くなればなるほど、獲物が食料を消費してしまうのだ。

「……合流できるのはいつ頃なんだ?」

 苛立ちを何とか抑えつつ、ロバーシュはさっきと同じ、アッシュグレイの髪の男に確認した。

「早くても後1時間はかかるみたいです。この辺、手頃な目印とかないですし」

(つまり、下手すると数時間かかるってことかよ)

 そう考えたロバーシュはまたもや舌打ちしたくなったが、それは堪えた。意味がない。

 一方で、応援が遅れた時のことも考える。

(連中が眠りにつくまで待つ手もあるが……いや、それより偶然を装って近づくか?)

 少人数でも相手を確実に仕留められそうな方法を、幾つかピックアップし、検討を重ねていく。

(眠りにつくと言っても流石に見張りも立てずに寝るってことはないな。そんなドジは期待しない方がいい。けど、見張りの人数が少なければ林の中だし連中の馬車もある。隙を突いて距離を詰めることは十分出来そうだな)

 眠るまで待つのは悪い手ではなさそうだと、選択肢として残すことにした。

(旅人のふりをして近づくのは、どうだ? だが、連中も村の入り口で追い払われた口だ。理由を把握してるなら警戒するだろうな。この辺を彷徨いている以上、状況を理解できてないのは期待しない方がいいしな)

 偶然を装うのは難しそうだと、選択肢から消去した。

 結果、獲物が眠りにつき次第、距離を詰め、応援を待たずに襲うことにする。

「……とりあえず、連中が寝るまで待つぞ。その後、どいつが起きてるかで対応を決める」

 ロバーシュはそう言うと、少し距離をとるように仲間たちに命じた。どうせこれから移動することはないはずなのだ。それなら、少し離れておいた方がこちらの気配を気取られにくいという判断だった。



 まさか自分たちを狙っている連中がいるとも知らないレック達は、食後の雑談を終えるとすぐに寝る準備に入っていた。交替で見張りに立つ分だけ睡眠時間を長くとるためというのもあるが、単にすることがないというのも大きい。

 最初の見張りとしてレックが手を挙げ、それにアカリも慌てて手を挙げた。

「それでは、先に休ませて貰うかのう」

 そう言って、ディアナたち女性陣が馬車の中へと入っていく。

 一方の男性陣は、揃って寝袋にくるまり、地面で雑魚寝である。

 もっと寒かった時期は馬車の中で全員が寝ていたのだが、どうにも狭いのだ。下手に寝返りを打とうものなら何にぶつかるか知れたものではないので、かなり小さくなって寝ていた。そのことを考えれば、寝袋では多少寒くとも外で寝た方がゆっくり休めるのだった。

 やがて、仲間たちの寝息が聞こえてくると、レックはほうっと息を吐いた。

「よく溜息、吐いてますね」

「そうかな?」

 そんな自覚など無かっただけに、アカリの指摘にレックは首を傾げた。

「はい。特に見張りの時とかに」

 そう言われ、今までの見張りの時のことを思い返してみるが、特に溜息が出ていた記憶は無い。尤も、無自覚な癖だとしたら記憶に残ってる方が珍しいかも知れないが。

「まあ……そうかもね」

 特に否定する理由もないので、レックは適当に相槌を打った。

 ただそれだけのことだというのにアカリは妙に嬉しそうな顔になり、レックはまたしても首を傾げることになった。

 尤も、特にその理由を聞くつもりはレックにはない。

 仲間たちが寝静まったこの時間帯は、レックにとって貴重な静かな時間なのだった。見張りとして一緒に起きている誰かとの会話も少なく、落ち着いて魔術の練習を――頭の中限定、良くて魔力回路を構築するところまでとは言え――行うことが出来る。

 サビエルから受け継いだ記憶と知識は、相当量の欠損があるとは言え、レックが行使できる魔術の種類を何種類かとは言え確かに増やしていた。それらの練習と、欠損が少ない魔術の解析・再構成。それがレックの夜の日課だと言ってもいい。

 勿論、そんなことをしているとは仲間たちには言えないので、見張りに立つ者同士、互いに物思いにふけることが多いこの時間帯はレックにとって貴重なのだった。

 そんな静かに物思いにふけっている――様に見える――レックにちらちらと視線を送っているアカリもまた、レックと二人きりになれるこの時間が好きだった。あまり露骨にするのは恥ずかしいのでレックと一緒の見張りに手を挙げるのは何日かに一回なのだが、それでも好きだった。

(やっぱり、あの時に好きになっちゃったんだろうなぁ……)

 あまりじろじろ見ていると勘が鋭いレックに怪訝な顔をされるので、意図的に少し視線を外して、それでも視界の中にはレックが入っているようにしながら、アカリは自らの想いについて考えていた。

 ちなみに、地面で雑魚寝しているグランスだのクライストだの、後一名だのは全く目に入っていない。

(吊り橋効果って言うんだっけ? ちょっと違うかな?)

 危機的な状況を共にした男女が互いに相手を意識してしまうそんな心理現象についてつらつら考えるも、それでは一月が経過した今でも続いているこの感情が説明できないと、アカリはそっと首を振った。

 そうして、レックへの想いとセットになっているもう1つの記憶へと思いを巡らせ――

「大丈夫?」

 レックに声をかけられたことに少し遅れて気づいた。

「なんか、辛そうだったけど……また思い出してた?」

 その問いかけに素直に頷きかけ、アカリは思いとどまった。そこで自分が頷いてしまったら、レックが心配してくれる。それは嬉しいことであると同時に、申し訳ないことでもあった。

 だから、アカリは首を振った。

「なんでもないですよ?」

「ならいいけど。……慰めたりは下手だけど、話くらいは聞くからね?」

「はい、ありがとうございます」

 殺された村のみんなや、どこでどうしているかも分からない連れ去られた友人たちのことを考えると、自分だけがこうして恋愛にうつつを抜かしているのはとても申し訳なく感じる。なのに、悦びまで得てしまっては言い訳も出来ない。そう考えているアカリは、今日も自分の想いに蓋をした。



「女が馬車の中。男が馬車の外か……」

 眠りについたレック達の様子を窺っていたロバーシュは、実に都合の良い展開ににやけるのを止めることが出来なかった。

「隙を突いて馬車を奪うぞ。野郎の相手を真面目にやる必要なんてないからな」

 それだけでほとんど戦闘することもなく、馬車と女をかっさらえる。男たちのアイテムボックスにも入っているだろう食料に少々後ろ髪を引かれるが、あの馬車の中にはもっと沢山の食料があるに違いなかった。

「ステン。一人連れて馬車の御者台に向かえ。他の連中は俺と一緒に見張りの注意を引きつけるぞ。エネミーだと思わせる程度で良いからな」

 どうせ、走り出した馬車に追いつけるはずがない。それよりも、囮役であるこちらを追われる方が危ないのだとロバーシュは付け加えた。

 一方、ステンと呼ばれたアッシュグレイの髪の男は、

「分かりました。合流はどこにします?」

「それは後から教える。準備が出来たら連絡を寄越すのも忘れるなよ。行け!」

 ロバーシュの命令で、ステンともう一人、男が音を立てないように注意しながら馬車の裏側へと回り込んでいった。

 後はステンから連絡が来るのを待つだけだった。

 夜の林の中、風に煽られて擦れる木々の葉の音だけが聞こえてくる。他には鳥の鳴き声も何も聞こえてこない。

 そんな中、息を潜めてじっと待つのはたかが数分と言えども何時間にも感じられた。

 やがて個人端末にステンからの連絡が入ったのを確認すると、ロバーシュは仲間たちと共に動き始めた。



 最初に異常に気づいたのは、やはりレックだった。

(エネミー?)

 一瞬で思考を切り替え、流れるように身体強化を発動させると物音が聞こえてきた方へと目を凝らす。

 だが、密度が低いとは言え、それなりに生い茂った木々に邪魔され、物音がする方で何かの影が動いていることしか見て取れない。

「どうかしました?」

 レックの様子がおかしいことに気づいたアカリが声をかけてきた。

「……何かいる。一応、グランスたちを起こしてくれる?」

「あ、はいっ」

 レックに言われ、アカリは慌てながらもすぐにグランスたちを起こし始めた。

 それから馬車に上がり込んで、女性陣を起こそうとした時だった。

「えっ!? きゃあっ!!」

 急に走り出した馬車に、アカリの悲鳴が上がった。

「え? なに!?」

「どうした!?」

 驚いているレックの傍らで、起きたばかりのグランスとクライストがまだ状況を掴めずそう声を上げた。

「馬車が勝手に走り出した!」

 そう言って馬車の後を追いかけるレック。

 グランスとクライストも慌てて寝袋から這い出すと、

「俺も馬車を追いかける。クライストはマージンを頼むぞ!」

 そう言ってグランスも馬車の後を追いかけ、

「分かった。こっちは任せろ!」

 クライストはその場に残ったのだった。



 一方、馬車の中では急な振動に飛び起きたミネアたちが混乱の真っ最中だった。そこにミネアにしっかりと抱きしめられたエイジの泣き声が加わり、混乱に拍車をかける。

「どうなっておるのじゃ!」

 窓に駆け寄ったディアナが外に声をかけようとして、

「馬車が走っておるじゃと!?」

 事態を半分だけ把握した。

「あのっ! 何か来たってレックが言ってて!」

 激しく揺れる馬車の中、立つことも出来ず床に這いつくばったままのアカリがそう声を上げた。

「それに驚いた馬が暴走したわけじゃな!」

 断片的な情報からそう推測したディアナは、すぐに馬を宥める必要があると、悲鳴を上げているだけのリリーを乗り越え、御者台への扉を開けようとして、

「む、開かぬ! 壊れたか!」

 何かに抑えつけられているかのごとく、びくともしない扉をどんとぶったたき、そう怒鳴り、次の瞬間大きく跳ねた馬車の振動に姿勢を崩した。



「メチャクチャだ!」

 夜の林の中を暴走する馬車の後ろ姿を見ながら、レックはそう叫んでいた。あれでは馬車が壊れるよりもなによりも、乗っているリリーたちが危ない。

 既に野営地から数百mも離れてしまっていた。その間の振動で馬車の中で何が起きているかなど、考えたくもない。考える前に動くべきだった。

 身体強化を全力で行使しているレックは、既に馬車に追いつきつつあった。そうして御者台に飛び乗ろうとして、

「何だお前!」

 御者台に座る何者かに気がついた。

 それで相手もレックに気づいたらしい。何事か叫んだが、馬車が立てる轟音で全く聞き取れない。

 尤も、レックにとってはそんなことはどうでも良いことだった。

 ひとっ飛びに御者台に飛び乗ると、目にしたことが信じられないかのように顔を驚愕で染め尽くした男に一撃を加えようとして――身体が強ばった。

「!?」

 何が起きたのか分からないレック。その硬直が解ける前に、男はなにやら覚悟を決めたらしい。あっさりと手綱から手を離すと、暴走する馬車から飛び降りていった。

 それを呆然と見送るしか出来なかったレックだったが、ハッと気がついたように激しく揺れる手綱を掴むと、慌てて馬にスピードを落とさせた。

 一方、馬車から飛び降りた男はやはり無事では済まなかった。猛烈なスピードの勢いそのままに地面を転がり、全身を打ち付けてしまっていた。

 それでも何とか起き上がろうとした男は、そこで目の前に人影が立っていることにやっと気がついた。

「お前、何者だ?」

 男が声を出すよりも先に、グランスが冷たい声でそう言った。暴走した馬車を追いかけてきて男が転がっていたのである。偶然とも無関係とも思えなかった。

 無言を貫く男に怪しいと確信したグランスは、全身の痛みでまともに抵抗できない男の意識を首への一撃で刈り取ると、アイテムボックスから取り出した縄で縛り上げ、一息吐いたのだった。

 だが、ここですぐに野営していた場所に戻らなかったことを、グランスは後悔することになる。


「……残ったのは一人だけか」

 追いつけるはずもないのに二人も追いかけていったことに、ロバーシュは笑みを隠せなかった。こちらが3人いることを考えれば、十分勝てる。

「戻ってくる前にやるぞ!」

 ロバーシュたちは身を隠すのをやめ、何故か一人だけ残った神官風の男に向かって突撃した。

 勿論、クライストはそれにすぐに気づいた。

「なんだ!?」

 思わず身構えたクライストの目に映ったのは、3人の男たちだった。エネミーが襲ってくることしか予想していなかっただけに、クライストの反応が遅れたことは否めない。

 突き出されてきた剣は辛うじて躱せたものの、脇腹に走った痛みでやっと襲ってきた男たちが敵だと認識できた時には既に遅かった。

「おっと、動くなよ?」

 そう声をかけられた方へと向いたクライストの目に映ったのは、呆然と自らの顔面に突きつけられた剣を見つめるマージンの姿だった。

「そうそう。素直にしていれば、こいつには何もしないからな?」

 マージンに剣を突きつけたロバーシュは、そう言いながら仲間たちに視線で合図を送った。

 それを受けて、男たちがクライストの顔を思いっきり殴りつけた。

「がっ!!」

 身体強化もしていないクライストがよろめくのを見て、ロバーシュは満足げに軽く頷くと、

「さて、あまり時間も無いことだし、さっさとアイテムボックスの中身を全部出して貰おうか」

「なっ!」

「おっと。反抗すれば、こいつがどうなるか分かってるよな?」

 そう言ってマージンに突きつけられた剣が、その頬を浅く斬るのを見てはクライストに抵抗など出来なかった。

 ロバーシュの言うとおり、アイテムボックスに入っている物を順番に取り出そうとして――

「ロバーシュ! まずいぞ!」

 アッシュグレイの髪の男がその場に飛び込んできた。

「どうした?」

 ステンの様子に何か問題でもあったのかと、ロバーシュたちが浮き足立った。が、クライストがその隙を突こうにもマージンの今の状態が足を引っ張る。

 結局見ていることしか出来ないクライストの目の前で、

「馬車が追いつかれた! 急がないとすぐに戻ってくるぞ!」

「マジか? ……ちっ」

 ステンの報告を受けたロバーシュは舌打ちをすると、そのままステンにマージンを背負うように命じ、クライストへと向き直った。

「お前もついてきてもらう。逆らったらこいつがどうなっても知らないからな」



 そして数分後。

 野営地に戻ってきたレック達が見たのは、

 何者かが争った後とが残された、しかし誰もいない光景だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ