第十二章 エピローグ
「なんだ、これは……」
キングダムの一角。昼間でもどことなく薄暗さが漂う陰気な建物の中で、黒髪に銀の筋のように白髪が交じっている男が呆然と立ち尽くしていた。普段は鋭い目つきも、驚愕に見開かれていた。
「わたしに訊かれても分からないわよ……」
男――トレントの隣に立っていたピンクの髪の女も、同じように呆然と立ち尽くしていた。その水色の瞳は、驚愕よりもここで起きただろう事態に対する恐怖で歪んでいた。
二人とも、室内に漂う臭気が洒落にならないほどに酷いにもかかわらず、鼻をつまむ事も、息を止める事も忘れていた。
既に日が大きく傾いているせいか、真っ昼間でさえ暗い室内は更に暗かった。だが、それでも夜目が利く二人には、室内の惨状がはっきりと見て取れていた。
テーブルや椅子が竜巻にでも巻き込まれたかのように破壊され、粉砕されているのはまだいい。
問題は、木っ端微塵になったそれらの間に散らばる人体のパーツだった。はっきり言って、原形を留めている死体など1つもない。
凄まじいまでの臭気の原因であるそれらは、夏の暑さで既にかなり腐敗が進み、白い骨に腐った肉片と服の残骸がこびりついているだけのものも多い。だが、それを抜きにしても、死体が元々原形を留めていなかったのは明らかだった。
だが、二人とも呆然としていてもどうにもならない事に気づいたのだろう。
何とか気を取り直した二人は、鼻にハンカチを当てながら、室内の様子を検分し始めた。
「……ウルフレッドまで殺られているな」
「本当?」
「ああ。これを見ろ」
そう言ってトレントはテーブルの天板の下に隠れていた腕を指さした。
そこに確かに彼らのリーダーであったウルフレッドの特徴を見て取った女――シリルは、思いっきり顔を顰めた。
「この調子じゃわたしたち以外、全滅と見ていいのかしらね」
「そうかも知れないな。……とりあえず、犯人の手がかりくらいは見つけたいところだが」
「そんなの、シュレーベかナイトガウンの連中に決まってるじゃない。他にこんなこと出来る連中がいると思う?」
そんなシリルの言葉に、しかしトレントは首を振った。
「決めつけるのは良くないな。視野を自ら狭めるような真似は、大抵の場合有害だ」
「……そうね。でも、他に心当たりなんてないわよ」
そう言ったシリルだったが、
「イデア社とかはどうだ?」
というトレントの言葉にぴたりと動きを止めた。
「それならあり得るわね。もし本当なら、ちゃんと償わせてやらなくちゃいけないわ」
「……思ってもない事を言うな」
トレントの言葉にシリルは肩をすくめた。仲間の敵討ちなど全く考えていないのは事実だったからだ。
そんなシリルの様子を気にする事なく、トレントは自らの感想を口にした。
「だが、イデア社の仕業だとしても、この状況は不可解だな」
「どういうこと?」
「死体をここまでばらばらにする必要があったのか?残していてはまずい何かがあるなら、全てを消し去った方が確実だと思うが」
「それは……そうね」
言われてみればと、シリルも考え込みかけた。が、
「いや、ここで考えるのは止めておこう。あまりに臭すぎるし……もはやここにいる理由もない」
そんなトレントの言葉に頷いた。
「そうね。でも、せめてわたしの荷物をとってきてもいいかしら?」
「……他の部屋の様子も確認したほうがいいだろうな」
「理解してくれて嬉しいわ」
そう言いながら、他の部屋の様子も粗方確認した二人は、他の部屋が一切荒らされていない事にすぐに気づいた。
だが、それはここで何があったのか、更に二人を悩ませるだけで、なんのヒントにもならなかった。
「……とりあえず、二度とここには来ないだろうな」
「偶然ね。わたしも同じ意見だわ」
そう話しながら、ペトーテロのアジトとして使われていた建物を出ると、トレントがその手の中に小さな火を生み出した。それを建物へと放つと、すぐに二人はその場を後にした。
二人が去って間もなく建物の木造部分を舐めるように広がった炎は、やがて建物の中の死体も何もかもを飲み込んだ。
ただ、外壁がほとんど石で出来ている建物ばかりだったため、周囲の建物にまで火災が広がらなかったのは、幸いだったと言っていいだろう。
「そうか、魔法使い殺しは追い払われて行方不明、か」
白い髭を揉みながら残念そうに言ったのは、深緑色のローブを身に纏った老人だった。名をワッシュベルドという。
「して、追い払ったのは蒼い月で間違いないんじゃな?」
ワッシュベルドの言葉に、報告に来ていた大人しそうな男が頷いた――はずなのだが、室内に明かりがないせいか、よく分からない。
「そうか。何者か興味があったのじゃがな……。過ぎた事を悔やんでも仕方あるまいな」
そう言ったワッシュベルドは、閉め切っていた窓へと向かい、窓を大きく開け放った。
既に太陽は沈んでおり、雲1つない夜空には満天の星空が広がっていた。
視線を下に移すとそこにはキングダムの街並みが広がっていた――ということなどはなく、通りを挟んだ向かいの建物の壁が連なっているだけである。
「ペトーテロが壊滅したのも随分前になるが……もしや、犯人かも知れぬと思っておったのじゃがな」
故に、ワッシュベルドは魔法使い殺しに訊いてみたいと思っていた。どうやってペトーテロを壊滅させたのか、そもそも何の目的でやらかしたのか。
いや、理由については噂を聞く限り1つ思いつく事があった。だが、それならそれで訊いてみたい事が別に出てくるのだ。
だが、既にそれは考えても詮無い事。
追い払ったとしか聞いていないが、ギルドがそう自信を持って発表するという事は、少なくともキングダムには既にいないと考えているという事なのだろう。
故に、ワッシュベルドは魔法使い殺しの事を脳裏から追い出すと、もう1つの報告について思考を巡らせはじめた。
報告の内容は、ペトーテロ壊滅後、暫く距離が開いていたが最近再び連絡を取り合うようになったナイトガウンの動向である。
「メトロポリス、か」
いつまでもキングダムにいても出来る事は限られていると、ナイトガウンはメトロポリスに行ってみる事にしたらしいのだ。
やたら治安が悪いらしいが、あちらにいるのは大半が元フォーマル・アバターであり、戦闘能力はキングダムにいる者たちと比べると随分低いとの話だった。勿論、こちらと違って魔術を使える者など皆無に等しい。それならば、情報収集ついでにいろいろな実験もやりやすかろうということだった。
尤も、いきなり全員でメトロポリスに移動するのではなく、まずは3~4人を様子見に出すのは、何が起こるか分からないとちゃんと警戒しているという事だろう。。
実のところ、ワッシュベルドもメトロポリスに人を遣ることをかなり前に一度考えていた。というのも、フォーマル・アバターでメトロポリスにいる仲間がいるかも知れなかったからだ。
だが、行った所で連絡を取る手段がない。顔を見れば分かるだろうが、数十万もの人間の顔を全部見て回ることなど出来ない。
そんな訳で、結局メトロポリスに人を遣る事はなかったのだが、ナイトガウンが人を派遣するというなら便乗しても良かった。キングダムでの活動が些か行き詰まっているのはシュレーベも同じなのだ。
そう結論づけたワッシュベルドは目の前に控えていた大人しそうな男――ワッシュベルドの弟子でグスタフという――に指示を出した。
「ナイトガウンに、こちらも人を出すと伝えるのじゃ。人選は任せる。後で報告だけ寄越せばよい」
その指示を受け、静かに退室したグスタフにはそれ以上注意を払う事なく、ワッシュベルドは再び窓の外へと視線を遣った。
遙か東の森の中。シャックレールでは。
「……というわけで、蒼い月はメトロポリスに向かう事にしたようですよ」
レックからの不定期連絡――中継のため、間に何人か入っているが――を受け取ったエミリオは、エスターに報告を行っていた。
ちなみに、レイゲンフォルテのトップであるはずのアルフレッドは今日もいない。2~3人のメンバーを連れて今頃はどこかの山奥をふらついているはずだった。
「メトロポリスか……。また、随分遠くに行く事にしたんだな」
キングダムとはかろうじて地続きになっているが、地図上は別の大陸として扱われているし、それに異論を唱える者もいない。それほど、メトロポリスは遠い。
そんな所に蒼い月が行くとなると、
「どうやって連絡を取れるようにするか、だな」
エスターはぼそりと呟いた。
何しろ、クランチャットにしろ通信用の魔導具にしろ、通信できる距離というものがある。クランチャットで大体100km、魔導具を使っても500kmが限度。
片や、メトロポリスとキングダムの距離は直線距離で5000kmは離れている。間に何人か挟む程度で解決できる距離ではなかった。いや、間に挟む人員が確保できないというのが正しいか。
尤も、いつでも連絡できるような体制を諦めてしまえば、解決できない事もない。が、それでは何かあった時にこっちもあっちも不便である。
「こっちに拠点を構えたのは失敗だったかも知れないな」
キングダムより西にシャックレールがあれば、事はもっと簡単だったろうにとエスターは溜息を吐いた。
「いっその事、拠点を移しますか?」
「それも選択肢の1つだが……少々手間がかかりすぎる気がするから、私の独断では決められないな」
それに、このシャックレールを破棄するのも惜しい。かと言って、複数の拠点を維持するのは結構な人手がいる。
どう考えても、全てを満足させるような解決方法がない以上、一度レイゲンフォルテの中で話し合いを行い、アルフレッドに決定を下して貰う必要がありそうだった。あんなのでも、曲がりなりにもレイゲンフォルテのマスターだけあって、癖の強い個人主義のメンバーたちに言う事を聞かせられるのだ。
だが、例によってアルフレッドはシャックレールを離れていた。
「アルフレッドの放浪癖はこういうときに困ったもんだな」
エスターのぼやきに、エミリオは苦笑し、
「アルフレッドもそのうち帰ってくるでしょう。それまでに、僕たちの方でも新しく拠点に出来そうな場所を探しておきましょう。ダメならダメで破棄すれば良いだけですから」
「そうだな。そっちは頼んだ。後、クラウスを呼んできてくれると助かる。少し頼みたい事があるからな」
そう言ったエスターの頭の中に浮かんでいたのは、通信用魔導具の改良だった。有効距離を伸ばすなりなんなりの改良が出来れば、今回は役に立たなくとも、また役に立つ場面が出来てくるだろう。
そんな事を考えているエスターを残し、エミリオは部屋から出て行ったのだった。
ある近代的な建物の一室。そこでは何人もの人間がモニターに向かって、ひたすら作業をしていた。
そんな中、一人の男が扉を開けて部屋に入ってきた。
「それで、例の件はどうなっている?」
そう言いながら、男は部下が作業しているモニターを覗き込んだ。
聞かれた部下は上司のお目当てのデータを呼び出し画面に表示すると、
「どうもこうも……ご覧の通りです。何の進展もありませんよ。幸い、結界が破れたのはあれっきりですがね」
そう言いながら、関連するデータを次々と切り替えて表示した。
それは一年にわたるある問題の調査の結果だった。
それを見ながら上司の男も呟いた。
「確かに……何の進展もないようだな。何も無いからこの結果、なら良いんだが……」
ほとんど「何も無し」と書かれた結果を見ながら、しかし上司も部下もあの問題が別の問題を生み出している事を確信していた。
故に、部下が口を開いた。
「最悪なのは、意図的に潜伏している場合ですね」
「……そうだな」
ごく初期、この世界を包む結界に穴が開くという大問題が生じた直後の調査で、穴が開いた際に問題が起きている事は既に確信されていた。
ただ、その後の調査で何の結果も得られていないのだ。
このまま万が一が起きたらどうなるのか……そう考えかけた上司の男はふと、モニターの片隅に映っているデータに目を留めた。
「これはなんだ?」
「ああ、キングダムであった連続殺人事件ですね」
指さされたデータを見て部下が答えた。
「連続殺人?今更珍しいな」
3年も経ってすっかり落ち着いたキングダムでそんな事が起きているとは思っていなかった上司の男は、少しばかり違和感を感じた。
「これとか、関係ないのか?」
そう部下に尋ねてみたが、部下はあっさりと首を振った。
「この事件は、予言にも載ってるんです」
その答えに、上司の男は何故その事件が注目されていないのかを察した。
男たちの主な仕事は、予言者に提示された予言からこの世界で生じる出来事がずれないように監視、調整していく事である。故に、予言者が知っていてロードマップに記載しているのならば、どんな事件であっても何の問題もない。
他には何かないかと上司の男は部下が次々と表示させるデータを見ていたが、結局何も見つからず。
「……このまま予言の通り、何事もなく進めばな。せめて、全てが片付くまでは、予定通りに進んで欲しいところだな」
上司がぼそりと言った言葉に、部下の男も無言の同意を返した。
彼らの、イデア社の目指すところはまだまだ遠い。だが、彼らはなんとしてでもそこまで辿り着かねばならないのだった。
険しい谷間の崖に張り付くように作られた集落、ラッパ。
半ば崖に食い込むように建てられた建物の一室に数人の男女が集まっていた。
「オージオから上がってきた例の報告、あなたは聞きまして?」
そう言ったのは、ウェーブがかかった白金の髪を右サイドで束ねた美しい女性だった。彼女――フランこそが聖女だと言われれば、10人中半分以上の人間が素直に頷くだろう。
そのフランの隣には銀色の髪のメイド服を身に纏った少女――メリルが控えていた。が、メリルはフランの言葉にも微動だにせず、微かに目を伏せて置物と化していた。
代わりにフランの言葉に対して頷いたのは、黒髪黒目の男だった。むき出しになっている腕は筋肉でがっしりと覆われており、そこから生み出される腕力は如何ほどなのだろうか。
「魔術が使える者ばかりを狙った犯行があったと聞く。おかげで、軍もギルドもかなり振り回されたらしいな。とりあえず、蒼い月がまた活躍したらしいとも聞いているが」
そう言った男の声もまた落ち着いたものであり、聞く者に安心感を与えるところがあった。
尤も、男の声を初めて聞く者ならいざ知らず、この場にいるのは全員が同じ魔術結社――リヴォルドのメンバーである。
勿論、フランは男の声になんの感銘も受ける事はない。
「とりあえず、キングダムに出没していた者は何とかなったらしいですわね」
「キングダムに出現していた者は?」
フランの言葉に引っかかりを覚えた男がそう聞き返すと、フランが合図を出した。それを受け、隣に控えていたメリルが男の前へと一辺が30cmくらいずつある1つの箱を押し出してきた。
「これは?」
「開けてみれば分かりますわ」
そう言ったフランの表情は心底嫌そうで、それに疑問を持ちつつも男はメリルから押し出されてきた箱を手に取り、意外な重さに驚きながらもその蓋を開けた。
そして、思わず顔を歪める。
「なんだ、これは」
そう訊いてしまったのも無理はない。
箱の中には真っ二つに割られた人間の頭部が入っていたのだ。なんだかんだで死体を見慣れている男だったからこそ顔を歪めた程度で済んだが、並の人間なら間違いなく箱ごとそれを放り出して吐いていただろう。
それはさておき、その破壊のされ方にどこか見覚えがあった男は、
「サフィラの仕業か?」
と、リヴォルドが誇る最強の魔術師の名を挙げた。
「そうですわ。尤も、気づいて欲しいのはそこではないのですけれど」
フランに言われ、改めて箱の中身をよく観察し――そして男は真っ二つになった頭に微かに残る魔力に気づいた。
「これは……本当に人間か?」
「だったら、良かったのですけどね」
残留していた魔力に感じた違和感をフランに肯定され、男の顔は険しいものへと変わった。
「サフィラはこれをどこで?」
「谷の入り口で、だそうですわ。流石に危なげなく仕留めたと言ってましたけど」
「だが、サフィラか俺以外では少し厳しいだろうな」
「無傷で仕留めるのは、厳しいと思いますわね」
男の過剰とも言える自信に溢れた言葉を、しかしフランは否定しなかった。男の実力をよく知っていたからである。
尤も、自分たちでも負ける事はないつもりでもあったが。
それはさておき。
「とは言え、これが俺を呼び出した理由ではあるまい?何より、こいつは既に死んでいるのだからな」
「そうですわね。これがこの1匹だけなら良かったのですけれどね」
そう言うと、フランは説明を始めた。
サフィラがこれを仕留めた事、その後、何が気になったのかソクラテスの元に運び込み、ソクラテスがこれを調べた事。そしてその結果。
「……厄介だな」
一通り聞き終わった男が漏らしたのはそんな感想だった。それ以外に適当な言葉が思いつかない。
こんな悪魔憑きが他にもいる可能性があるなどと――出来れば、あって欲しくない状況だった。
だが、可能性があるならそれを受け入れ、準備しておかなくてはならない。つまりそれは、
「俺とサフィラ、二人とも当分ここを離れられんな」
という事になる。
他の者たちでは被害が出かねないとなると、余裕を持って対処――すなわち倒す事が出来るサフィラから男自身がラッパに常駐し、万が一に備える必要があった。
「ごめんなさい、フィリップ。でも、理解はしてくれますね?」
申し訳なさそうなフランの言葉に、男――フィリップは、
「仲間を守るのも俺の役割だ。気にするな」
そう言って、胸をどんと叩いたのだった。
少し字数が少ないですが……これにて12章完結です。
2つか3つ閑話を挟んだ後、13章を開始する予定です。
13章ではいよいよメトロポリスが登場する予定です。が、初っぱなはキングダムかも知れません。
しかし、町中の戦闘は派手に出来ないから困ります。




