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ジ・アナザー  作者: sularis
第十二章 さらなる飛躍
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第十二章 第十一話 ~眠れぬ夜~

「うわっ!!」

 そう飛び起きたレックの目に飛び込んできたのは、ここ数日滞在しているギルドの宿舎の一室だった。。

 すぐにその事に気づいたレックだったが、未だに手に残る鈍い感触に吐き気を覚え、思わず手で口を押さえようとして固まった。

 この手で口を押さえて良いのか、と。

 サビエルの記憶には、数こそ多くないものの、人を殺した経験が含まれていた。それにレック自身にも人型のエネミーを殺した経験もあった。

 だから、心のどこかで大丈夫だろうと思っていたのだが、実際にこの手で人と認識していた相手を殺すのはやはり別だった。

 その感触が手に残っているのである。

 幸い、胃袋の中が既に空だったのだろう。吐き気自体は収まらないものの、ベッドのすぐ横に木製のボウルが置かれているのを見つけるくらいの時間はあった。

 それを手にして何度も何度も吐き出すが、出てくるのは黄色い胃液のみ。

 幸い、一分も経たないうちに吐き気は収まり、レックはボウルを何とか元の場所に戻すと、再びベッドに倒れ込んだ。

(こんなんで……これから大丈夫なのかな?本当にこの世界から出られるのかな?)

 吐けるだけ吐いて、気分は悪いながらも少しだけ落ち着いたレックは、そう考えた。

 今まで出来る限り考えないようにしていたが、この世界がレイゲンフォルテが考えている通りのものなら、これから先、何人もの人間と敵対し、時には殺さなくてはならないはずなのだ。

(そのたびにこんなことになってたら……いつかは死んじゃう、よね)

 そんな不安に苛まれかけていたレックの耳に、扉をノックする音が聞こえた。そして、レックが声を上げる前にガチャリと扉が開く。

「なんじゃ、起きておったのか」

 レックが起きているのを見つけ、ディアナがそう言った。

 そのままベッドの脇に置かれていた椅子に腰掛けると、

「気分はどうじゃ?」

「ん……大丈夫」

「嘘をつくでない。大丈夫な人間が吐いたりするものか」

 だったら訊かなくてもいいんじゃ、などとレックが思ってしまうほどに、ディアナは一瞬でレックの答えを否定した。

 それからベッドの横に置かれていたボウルをとると、臭うから洗ってくるとすぐに部屋を出て行った。

 それからすぐに、ディアナからレックが目覚めた事を聞いたのだろう。グランスがやってきた。

「調子はどうだ?」

 おきまりの文句を吐いたグランスに、

「気分は最悪、かもしれないね」

 どうせバレているのだろうからと、レックは素直に答えた。

 その答えにグランスは難しい顔をして黙り込んでしまった。が、レックが何か話すよりも先に、口を開いた。

「やはり、人を斬った事が原因、か?」

 その問いに、レックは無言で頷いた。

 訊かれなくてもどうせ思い出してしまうのだ。なら、いっその事何でも良いから話を続けていた方が、まだマシだった。

 だが、続くグランスの言葉はレックにとって意外なものだった。いや、意外ではないかも知れない。

「マージンから聞いてはいるが……あれが人間だったかどうかは怪しいぞ?」

 その言葉に、まだグランスたちは魔法使い殺し(マジシャンキラー)がエネミーだったと信じているのかと思ったレックは、この心境は誰にも理解されないのだろうと凹みかけ、

「何しろ、死体が消えたらしいからな……」

 その言葉に自分の耳を疑った。

「死体が……消えた?」

「ああ。マージンが言うには、時間も遅かったし、後から何とかしようと思ってたらしいんだがな。今朝行ったら、隠しておいたはずの死体が無くなってたと言うんだ」

 その説明を聞きながら、レックは気分が悪いと言ってるどころではなくなっていた。

(仲間がいた?それで死体を回収された?)

 本当にそうだとしたら、また何かが起きるかも知れない。それどころか、下手したら自分たちがピンポイントで狙われる可能性すらあった。

 尤も、魔術師という存在を知らないグランスは、別の予想をしていた。

「ヴァンパイアやリッチみたいなアンデッド系はいなかったと思っていたんだがな……」

 その呟きを聞いたレックは、魔法使い殺しの顔が狼のそれに近い形状に変化した事を思いだし、

(どっちかっていうと、狼男……みたいな気もするけど)

 そう考えるも、口には出さなかった。仲間にすら言えない事が多いのだ。芋づる式にボロが出る事を防ぐためにも、下手な事は言わないに限る。

 そんなレックの心情など露知らず、しかしレックが黙りっぱなしなことに気づいたグランスは、

「まあ、正体は兎に角、だ。そんな状況だから、人を殺したとか思ってあまり自分を責めるな。それに、お前のおかげで被害も確実に減るはずなんだからな」

 そう、レックを励ました。

「え、あ、うん。ありがとう」

 実は別の事を考えていたなどとは言えないレックは、どもりながらそう答え、そして別の事が気になった。

「それじゃ、ギルドにはどう報告したの?」

「ああ。そんな状況だからな。倒したとは報告していない。実際、現場に行ったマージンですら死んだかどうか分からないと言っていたしな。とりあえず、交戦してダメージを与えて追い払った、ということにしてある」

 リーフがレックを連れ帰ってきた時、レックが血塗れになっていたことを多くのギルド職員たちに目撃されているため、何も無かったと報告するのは無理だったのだとグランスは理由を説明した。

 それにレックが納得して頷くと、

「それじゃ、そろそろ俺はお暇する。まだ疲れてるだろうし、しっかり休め」

 グランスはそう言って立ち上がった。

「え?もう?」

「ああ。まだまだ顔色も悪いしな。邪魔しちゃ悪い」

 グランスはそう言うが、レックとしては一人にされる方が今はつらかった。

 慌ててベッドから降りると、

「いや、十分寝たから!これ以上寝ると腐るから!」

 そう言って元気をアピールした。

「……まあ、そこまで言うなら一緒に来い。だが、ふらついたりしたら、すぐにベッドに放り込むからな」

 苦笑しつつ扉を開けたグランスの後を追い、レックも部屋から出たのだった。



「これで一安心、して良いと思うか?」

 キングダムの直轄軍本部。その総司令室にて今朝方届けられた報告書を片手にレインは、部屋にやって来ていたギンジロウにそう訊ねていた。

「何とも言えないな」

 ソファに身体を埋めたまま、ギンジロウはそう答えた。


 血塗れのレックがギルドに運び込まれてきたという報告があったのが昨日の夜のことである。

 個人ではキングダムでもトップクラスの戦闘能力を有すと見なされているレックが血塗れという事態に、何があったのかとギルドは一時騒然となった。魔法使い殺し(マジシャンキラー)の件もあり、被害に遭ったのでは無いかという憶測まで飛び交ったくらいである。

 幸い、すぐに蒼い月からレック自身は大した怪我はしていない、単に意識を失っているだけだと報告があり、何とかギルドは落ち着きを取り戻した。

 勿論、それでも何があったのかは誰もが気になった。特に、レックが魔法使い殺しを釣ろうとしていた事を知っている一部の者たちは気が気でなかった。

 だが、蒼い月にレックを寝かせておいてやってくれと言われれば、無理は出来ない。当の本人が目を覚ますまで報告を待つ事にしたのだった。

 そのレックが一時的に目を覚まして、簡単な状況が分かったのが今朝方である。

 それが書かれているのがレインが手にしている報告書というわけだった。


「魔法使い殺しと交戦。追撃しつつ大きなダメージを与えるも、逃亡を許した、か」

 その内容はどう解釈すれば良いか、非常に悩ましい。故にレインは頭を抱えていた。

 これが倒したとか、捕縛に成功したとかなら、確認さえ済ませば安全宣言を出す事も出来る。

 だが逃げられたのでは、魔法使い殺しの怪我が治り次第また同じような事件を起こされるのでは無いかという懸念が残る。

「一応、致命傷と思われるだけの傷は負わせたとあるが……」

「ポーションやら治癒魔法もあるくらいだ。逃亡できるだけの元気があるなら、命拾いしててもおかしくないな」

 そんなギンジロウの言葉に、レインは眉間を揉んだ。ここしばらくの心労で身についてしまった悪癖だと自覚しているが、如何ともしがたい。

「もうちょっと詳しい情報は無いのか?」

「レックはちょっとだけ起きて、すぐにまた寝てしまったらしい。かなり神経をすり減らしたらしいから、寝かせてやって欲しいと言われれば、な」

 そのギンジロウの言葉に、レインは思い当たる事があった。

「……レックは、『魔王降臨』後に他の人間と殺し合いした経験は、なかったのか?」

「運が良かった事になかったみたいだな」

「なるほどな」

 自分たちも初めて――PKだったとは言え――人を斬った時には数日うなされたのだ。その時の事を思い出せば、今のレックには休養こそが必要だろうと素直に頷ける。――尤も、自分たちには休む暇などなかったのだが。

「ちなみに、レックは立ち直れると思うか?」

 軍の兵士の中には、人を殺したショックでそのまま前線から身を引いた者も少なくなかった。もしレックが同じ道を辿るなら、少なくない損失になる。

「分からないな。多分大丈夫だろうと、マージンは言っていたが……こればかりはな。せめてエネミー相手に戦えるならまだ良いんだが……」

「エネミーと言っても人型もいるし、下手すれば言葉を話すのもいるだろう。……心配だな」

 とは言え、カウンセリングの専門家がいるわけでもない。同じクランの仲間達に何とかして貰うしかなかった。

 とりあえず、レックの心理面も詳しい情報も今すぐに何とか出来るものではないという点でレインとギンジロウの意見は一致した。なので、下手すると数日寝たきりになりかねないレックの方は当てにせず、出来る事から指示を出していく事にする。

「とりあえず、当面は様子見だろうな。空き家の確認は続けないといけないし、それに魔法使い殺しの死体の捜索も含めるか」

 レインの言葉に、ギンジロウがそれが良いと頷いた。

「死体が見つからなくても……もう事件さえ起きなければそれだけでもありがたいんだがな」

 仮に死んでいたとしても、場所によっては見つからない事も十分に考えられた。そうなると安全宣言など出しようがない。

 だが、一ヶ月か二ヶ月の間、新しい被害さえ出なければ、キングダムも随分と落ち着くだろう。人間とは慣れるし、忘れる生き物なのだから。

 レインはそうなる事を、割と本気で祈っていた。



 ちなみにその頃。

 ギルドの宿舎では、蒼い月の一行が口裏合わせのための話し合いを行っていた。

「……そういう事になってるんだね」

 全ての説明を聞き終えたレックが感心したようにそう言った。

「そや。ってか、全部素直に話したところで、ええことなんか1つもあらへん気がしてなぁ」

 マージンのその言葉に、他の仲間達が思い思いに頷く。

 レックも、仲間達と多少理由は違うものの、同じように頷いていた。

 が、同時に疑問も出てくる。

「でも、それだとキングダムにずっと拘束されたりしないかな?」

 それだけやばいものがまだ彷徨いているとなると、単独で相対できるレックを大陸会議がキングダムから出してくれない恐れがあった。

 そんなレックの懸念をマージンがあっさり肯定する。

「まー……暫くは出れへんやろな」

 それに対する仲間達の反応は2つに割れた。

「エイジを育てるのには……その方が助かります……けど」

 というキングダムから離れられなくても困らないという意見と、

「……それは困るぜ。どれだけ時間がかかっても、一度でもいい。俺は戻りたいんだ」

「この世界から出るのは今更感はあるがのう。じゃが、この世界を見て回りたいからの。私もキングダムだけに留められとうはないのう」

 というキングダムから出たいという意見である。

 尤も、それで言い争いになる事はなかった。

「……どっちにしても、大陸会議の反感を買うのはまずい。暫くは様子見するしかないだろう」

 そんなグランスの言葉を誰も否定できなかったからである。

「どっちにしても、わいとしては暫くキングダムでやりたいことあるしな。それで構わへん」

 レックの剣をはじめとして、魔導具の作成に集中したいのだとマージンが言ったのも大きい。

 加えて言うと、

「次に向かう場所も決まってないしね」

 そんなレックの一言がトドメだった。

 キングダムを出てどこに行くのかと訊かれると、誰も答えを持っていないのだ。めぼしい祭壇は全て回ってしまっていて、他にやる事と言えば、各地のサークル・ゲートがそれぞれどこに繋がっているかの調査くらいだった。

「……まあ、もう暫くゆっくりするのもありだよな」

「新しい魔導具も欲しいしのう」

 そんな二人を見て、リリーが溜息を吐いていた。

「それはそうとして、次にキングダムを離れる時は俺たちもついていこうと思う」

 不意にグランスがそんな事を言い出し、仲間達がえっ?となった。

「どういうことじゃ?」

「今回の件もそうだが……あまりばらばらに行動しない方が良いだろうと思ってな」

 ディアナに訊かれ、グランスはミネアとミネアの腕の中で寝息を立てているエイジの方へと視線をやりながらそう答えた。それを見た仲間達は、グランスがそんな考えに至った理由を理解した。

 しかし、エイジがついてくるとなるとそれはそれで別の問題がある。

「赤ん坊って……旅に連れ出せるの?」

 リリーの質問にグランスの視線が宙を泳ぎ、

「すぐには無理……だな。それにいろいろと協力も……して貰いたいというか、な」

 頬を掻きながら、そんな言葉が吐き出された。

 それにミネアを除く仲間達は思わず互いに顔を見合わせ、それから笑い声が零れた。

「そんな理由なら遠慮はいらぬわ」

「やな。わいも協力するで」

「あたしもいーよ」

 次々にそんな声が上がり、グランスとミネアは目を丸くしていた。

 それからハッと気づいたように、

「そうか。皆、礼を言う」

「わたしからも……ありがとうございます」

 そう言って頭を下げた。

 そんな騒ぎが落ち着くと、再びグランスが口を開いた。

「それでだが、実は次に向かうところに1つ心当たりがある。行く必要がある……とは思うが、どちらかというと好奇心が主な理由かも知れんな」

「グランスがそんな事を言うとか、俺も興味があるな」

 そう言ったクライストだけではなく、他の仲間達も興味津々でグランスを見つめていた。

 そんな視線を集めても動じる事なく、グランスは行き先を口にした。

「俺として、近いうちにメトロポリスに一度行ってみたいと思っている」

 その言葉への反応は皆それぞれだった。

「そうだね。僕の部屋とか、どうなってるんだろ?」

「そんな事より、マージンの部屋見てみたい!」

 さりげなくレックを撃沈しつつ、リリーが目をきらきらと光らせる。

「いや……わいの部屋は大したものあらへんで?」

 まずはそんな風に、メトロポリスに割り当てられていた自分たちの部屋がどうなっているのかという好奇心に始まり、

「メトロポリスの方は、こちらほど治安が良くないと聞くのじゃが、大丈夫かのう?」

「俺もあまり乗り気はしねぇな」

 メトロポリスそのものの現状を警戒したりする意見も出た。

 とは言え、

「だけど、精霊王は各大陸に封じられてるっていうからな。いつかはあっちにも行かねぇといけねぇだろ」

「そうやな。って言うか、メトロポリスもシティの中央に立ち入り禁止区域とかあったしな。めっちゃ怪しいで」

 メトロポリスの竜巻で覆われて立ち入りが出来なかった中央区画を思いだし、マージンがそう言った。勿論、他の仲間達もよく知っている事実である。


 何しろ、フォーマルアバターが制限なく活動できる唯一のエリアがメトロポリスの都市内だったのだ。それどころか、フォーマルアバターには必ず1つだけ、メトロポリスのどこかに部屋が与えられていた。ワンルームマンション程度の部屋であるが。

 この部屋は完全なプライベートルームで、本人の許可なくしては家族すら立ち入る事が出来ないようになっていた。なので、リアルでは出来ないような趣味に走った部屋になっていることや、家族にすら見せられないようなやばい映像などが大量にため込まれている部屋も少なくなかった。

 そんな部屋になってしまっているかどうかはさておき。蒼い月の仲間達も各々の部屋がメトロポリスのどこかにあるはずだった。

 重ねて、それはさておき。

 ジ・アナザーにアカウントを持っている者なら、その部屋を中心にメトロポリスを歩いた事が少なからずあるはずで、つまりは誰でもメトロポリスの大まかな構造くらいは知っていた。

 故に、ジ・アナザーの開設当初から誰一人として立ち入る事が出来なかったメトロポリスシティの中央エリアは、そこに何があるのか。長年の謎とされていたのである。

 勿論、クライスト達が話しているような事は既に大陸会議も考えていて、メトロポリスに少なくない数の諜報員を派遣していた。だが、案の定と言うべきだろうか。めぼしい成果は全く上がっていなかった。


「しかし、場所はそこで良いとして、どうやって入るかは問題だな。メトロポリスの治安は大陸会議が支配に置く前のキングダム並に悪いという話だ。そんなところで、呑気に情報収集に時間をかけるわけにもいかんだろう」

 大陸会議から聞いていたメトロポリスの現状を思い出して口にしたグランスの言葉に、仲間達は一斉に難しい顔になった。

「メトロポリスも地下に洞窟とかあったら楽なんだけどね」

「いやいや。そんな都合良くはいかへんやろ」

「ないのか?」

「ディアナまで……まあ、わいが知らへんだけかもしれんけどな」

「だが、あるならあるで、とっくの昔に噂になっていてもおかしくはない以上、ないと思っておいた方が良いだろう」

 グランスがそう締めくくり、レックとディアナが残念そうな顔になった。

「ま、すんなり事が運ぶにしろ、運ばねぇにしろ、だ。荒事に巻き込まれても平気なだけの力はつけときてぇな」

 キングダムで以前に巻き込まれたトラブルを思い出しながら吐き出されたクライストの言葉に、

「そうだよね~……あれはもー、やだよ」

「わたしも……エネミーより怖かったです……」

 その時感じた恐怖を思い出したのか、リリーとミネアが自らの肩を抱いてぶるっと震えた。

 ただ、ミネアはエイジごとグランスに抱き寄せられ、すぐに落ち着いていたが、リリーの方はディアナに頭を撫でられたのみだったりする。

 レックはそんなリリーがちらりと送った視線の先に気づかないふりをしたのだった。

 やがて、話の内容は雑談へと逸れていき、それから間もなくクランハウスへ戻るための準備が始まった。多少不安は残るもののレックの具合も良さそうだし、ミネアを筆頭に戻りたいという意見が強かったためである。

 レックとしては、万が一魔法使い殺し(マジシャンキラー)の仲間が襲ってきたりしたらと考えるともう暫くギルドにいたいところだったが、如何せん、どうしてそうしたいのか上手く説明できないのでは言い出す事すら出来なかった。

 尤も、

「流石にちょっと窓とか補強しておきたいところだな」

 というグランスが言い出した時には多少ホッとしたのだが。

 一方で、マージンが建物の補強に走り回る羽目になってげんなりしていたのは余談だろう。

 しばらくして話がまとまると、蒼い月の面々はギンジロウに挨拶――をしようとしたが不在だったので、言付けだけ頼んでギルドを出た。

「まだ危なくないですか?」とフライトに引き留められ、「簡単に治るような怪我やあらへん」とマージンが説得する場面もあった。

 そしてギルドを出た後、レック達はそのままクランハウスに直行――とはいかずに、一度資材類を扱っている店が集まっている区画へと向かった。



「やっぱり、クランハウスに帰るんだな」

 冒険者ギルドの通路でギルドを出る蒼い月一行とすれ違った後、コルスはそう呟いた。勿論、誰にも聞き取れないような声で、である。

 今日も今日とて蒼い月の動向を確認するために、用事をわざわざ引き受けてギルドへとやってきていた。その頻度があまりに高いせいか、大陸会議の職員仲間達からは「もうお前、ギルドに出向した方がいいんじゃないのか?」などと言われている有様である。

 尤も、コルスにそのつもりはない。

 元々目的があって大陸会議の職員になっているのだ。今こそ蒼い月という観察対象がいるのでギルドの方に入り浸ってはいるが、彼らがキングダムを離れた後には、普通の真面目な大陸会議の職員に戻るつもりだった。

 だが、今はまだ蒼い月の観察を優先しなくてはならない。そういう命令を受けている。

(規模が小さいと観察員を潜り込ませるのも難しいから大変だな)

 流石に間違っても聞かれては困るようなことは、口に出さずに頭の中で呟くに留め、ついでに、おかげで自分がこんな事をしなくてはならないのだと付け加えた。

 実際、他のトップクランには全て、観察員が入り込んでいる。『魔王降臨』以前から進められていた調査で、有力だと見なされたクランばかりだからである。――実のところ、その関係で大陸会議やギルド、軍には、コルスのお仲間がコルス自身が知っている範囲でも十数人は入り込んでいた。

 だが、蒼い月は完全に盲点だった。規模が小さいのもそうなのだが、『魔王降臨』以前にはこれといった実力者が確認されていなかった事も大きい。

 おかげで、頭角を現してきた今になっても、蒼い月には観察員を潜り込ませる事も出来ていない有様である。せめてもの救いは、割と丁寧にあれやこれやをギルドに報告してくれるので、そこから情報を抜き取れる事だろう。

 とは言え、

(町から離れてる間は情報が遅れるし、何か隠し事とかされると分からないからな)

 計画全体への影響はさほど大きくないはずだが、それでも万が一を考えるなら、蒼い月にも観察員を貼り付けておきたいところだった。

(まあ、俺の考える事じゃないし、それに)

 と考えかけたところで、コルスは正面からコーヒー色の髪を揺らして歩いてくる女性に気がついた。エミである。

 彼女に捕まると話が長い。ギルド内でも仕事中でもお構いなしである。

 慌てて逃走経路を探すも、残念ながらコルスはエミに見つかってしまっていた。

 思いっきり手を振ってこちらに向かってくるエミに、コルスは軽く手を上げて挨拶を返した。

 それだけで済めば良かったが、案の定、エミの長話が始まり――コルスはエミに気づかれないようにこっそりと溜息を吐いたのだった。



 夕方。

 レック達は久しぶりにクランハウスに帰ってきていた。

 尤も、クランハウスに帰ってきたのは昼前で、それからずっとマージンは窓や扉の補強をしていたし、他の仲間達はマージンを手伝いつつ掃除をして回っていたというだけである。多少熱い空気が淀んでいたものの、締め切っていただけあって大して汚れてはいなかったのだが。

 そんな一仕事も終わり、早い夕食も終えたレック達はリビングに指定した部屋に集まり、思い思いにくつろいでいた。

「やっぱ、慣れた家が一番落ち着くよな」

 ソファに埋もれ、完全に堕落しきったクライストがそう言うと、

「それは否定せぬがのう……あまりこの家に慣れすぎると、旅に出た時に苦労せぬかのう?」

 とディアナが突っ込んだ。

 これには言われたクライストだけではなく、全員が苦笑するしかなかった。

「まあ、それを言い出したらもはや手遅れだろう。とは言え、野宿がもう少し快適に過ごせるなら、それはそれでありがたいんだが」

 そう言いながらグランスが向けてきた視線に、マージンが「うへ?」などと変な声を漏らした。

 だが、自らの作業量が激増するのが目に見えているのか、かなり嫌そうだった。

「まあ、レックもおるし、テントと組み立て式のベッドくらいはありかも知れへんけどな……」

 そう言うマージンの態度は、かなり消極的なものだった。

 何しろ、キングダムを離れられるようになるのがいつ頃か分からないが、マージン自身にはやるべきことややっておきたい事が山のようにあるのである。

「いっその事、店を探して買ってくるか、別の職人に頼んでくれへんか?」

 そう言い出したのも無理はない。

「そうじゃな。確かにマージンの負担が少々大きい気がせぬでもないのう。じゃが、ベッドは兎に角、テントの方はマージンの方で作って貰いたいものじゃがのう?」

 そんな風に言ったディアナに、リリーが首を傾げた。

「なんで?」

「頑丈なテントの方がより安全じゃろう?」

 その言葉に、他の仲間達もディアナの考えを理解した。

「確かにな。不意をうたれるにしても少しでも時間稼ぎが出来るにこしたことはないか」

「それにじゃ。テントに冷暖房機能が付けられれば……」

 クライストの言葉に調子に乗ったディアナの言葉を、マージンが慌てて遮った。

「いやいやいや。頑丈さと空調の両立とか無茶苦茶やん!」

 その言葉に、ディアナやリリーが心底残念そうな顔になった。

「無理なの?」

「カブトムシの攻撃も防げへん、中途半端に蒸し暑いテントになってええのなら」

 態とらしく目を潤ませておねだりしてきたリリーに、マージンがそう答えると、仲間達も流石に諦めた。というか、そんな中途半端なテントなら買っても大して変わらない。

「まあ、ディアナの言った事は放っておくとして、だ。エンチャントで布地を強化するくらいは出来るのか?」

「そやな。防具の応用やし、そんくらいなら出来るで。言うても、魔力の供給の問題もあるから、実際にはずーっと誰かが触って魔力を流し続けへんとあかんけどな」

「……普通に頑丈なテントを買った方が良さそうだな」

 マージンのその答えに、今度こそ全員が魔法のテントを諦めたのだった。


 やがて、外も暗くなった。

 久しぶりにクランハウスに戻ってきた事で誰もが皆、気が抜けていたのだろう。少し早いが寝る事にして、各々の寝室へと戻っていく。

 尤も、流石に全員が一人一人個室で寝るほど安全を確信してもいない。

 グランス、ミネア夫婦に子供のエイジ。ディアナとリリー。そして、クライスト、マージン、レック。その3部屋に分かれて寝るために、既にベッドの配置も変えてあった。

 レックもクライスト達と寝室に入ると、自分のベッドに潜り込んだ。

「んじゃ、明かり消すで」

 そう言って、やっと実用レベルに手が届き始めたばかりの魔導式ランプの明かりをマージンが落とし、部屋が一気に暗くなった。

 外側に鉄格子が取り付けられた窓から、弱々しい月明かりが入ってくる。

 それが、レックに心細さをもたらした。

 それと同時に、さっきまで仲間達と騒いでいた時は忘れていた感触が、感覚が戻ってくる。

「……っ!」

 その感覚を押しつぶそうと、手を強く強く握りしめるが足りない。

 身体を丸めても手に戻ってきたあの感触が消えない。

 目を閉じれば赤い何かが見えそうで、目を閉じる事が出来ない。

 それでもベッドの上で丸くなったレックの目には、布団の中の暗闇をキャンパスに、赤い絵の具がまき散らされる。

「っ!!!」

 歯を食いしばっても目を強く閉じても、人を殺した感触がレックを苛むのだ。

 いっその事、誰かに気絶させて貰った方が楽なのかも知れないが、レックは仲間には心配をかけたくなかった。


 眠れぬ夜は、長い。

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