第十二章 第九話 ~囮作戦 リトライ~
「それじゃあ、行ってくる」
「無事に……帰ってきてくださいね……?」
「何日くらいかかるんやろな」
「……出来たら、襲われないで」
「いや、それやったら意味あらへんやん」
「……さっさと終わらせよう」
「うむ。おぬしの精神衛生上、その方が良さそうじゃな」
マージンによる武装の製作が終わった翌朝。
レック達3人は、いよいよ魔法使い殺しを釣りだして倒すための囮として出発する朝。出陣する男性陣と心配する女性陣の間ではそんなやりとりがあった。そのせいで約一名、出発前から異様にテンションが下がってしまっていたのは余談である。
それはさておき。
緊急避難的に間借りしている冒険者ギルドの宿舎を買い物に出かけるふりをして出てきた3人は、大通りを歩いていた。この後、適当なところで裏通りへと入る予定である。
「大通りは結構人がいるね」
レックの言うとおり、キングダムの真ん中を貫いている大通りは今日もすごい人出だった。幅15mほどあるので歩くのに不自由するほど混雑する事はないのだが、走るのはちょっと厳しい程度には混雑していた。
「家に籠もっていても、食べるのに困るしな。それに人が多いところの方が安心するんだろう」
グランスの言葉に、レックは「そうだね」と答えた。
「まー、こんだけ人がおっても、夜にはもぬけの殻になるんやけどな」
そう言ったマージンの声量は随分と抑えられていた。流石に堂々と話せるような事ではないからだ。
それでも宿が集中している辺りなどは、夜でも外まで賑やかだったりする。宿の中が賑わっているだけではない。人が沢山いれば何となく安心するからだろう。路上も結構賑やかなのだった。
そんな具合に出来る限り人が集まるようになっているからだろう。ここしばらくは魔法使い殺しの被害もあまり聞かれなくなっていた。
無論、皆無になったわけではない。うっかり人気のないところに踏み込んでしまった者が犠牲になる事はあった。ただ、それでも被害が目に見えて減ってきているのは事実だった。
そんな事を声を潜めて話しながら大通りを歩き続けた3人は、5番街区から6番街区へと遷る辺りで裏通りへと入っていった。
「ここからが本番、だな」
前後に人気が全く無くなった事を確認し、グランスが緊張を孕んだ声でそう言った。
「そうだね。せいぜい気を抜かないようにしないと……時々は大通りに戻った方が良いかな?」
レックの提案に、マージンが頷いた。
「ずっと警戒しっぱなしとか、ちと大変やからな。時々大通りに戻って休憩するんは、ありやろ。いつ釣れるか分からへんしな」
「そうだな。かなり時間がかかるだろうし、休憩を挟みながらいくか」
グランスも頷いた。
ちなみに、裏通りを歩いている3人の陣形は、並んで歩いているグランスとマージンの後ろに、レックが付いているというものである。これは後ろから襲われた時に、レックが一番反応できるからという理由で決められた。
その陣形を崩さず、3人は裏通りをゆっくりと歩いていく。
「道の広さとか、関係あると思うか?」
幾つか目の小道の前を通り過ぎたところで、グランスがそう言い出した。
「どうやろ?武器を振り回しにくくはなりそうやけどな」
「だね。でも、今回は3人とも片手剣だし、少しくらいは狭くても平気だと思うよ」
「そう言うても……狭い方が出現率上がる確証があるわけやないし、無理に狭い道に入りこまんでもええと思うで」
それもそうかと、マージンの言葉に二人も頷いた。
ちなみに、今3人が歩いている裏通りも大通りに比べれば大して広くはない。幅はせいぜい4mほどだろうか。
剣を振り回すのに不自由するほど狭くはないが、両側に迫ってくる建物のせいで、妙な圧迫感はあった。建物が3階建てばかりで、そこそこ高さがあるのも圧迫感を与える一因になっていた。
ついでに言うと、今の時間帯は日差しが両側の建物に遮られているせいか、やや暗いというおまけ付きである。
ちなみにグランスが気にしていた小道以外にも、建物と建物の間には幅が1mにも満たない細い路地が幾つも走っていた。
それを警戒しながら、
「あんな路地からいきなり飛び出されると、ちょっと面倒だな」
まだ数百mしか進んでいないというのに、早くも疲れを滲ませた声でグランスが言った。
いつ飛び出してくるか分からない、しかも全力で迎え撃たないと危ない相手を警戒し続けているのである。無理もない。
そんなグランスの疲労を察したのか、
「無理してもいいことなんてないし、一旦、大通りに戻る?」
レックの言葉にマージンがあっさりと、グランスは少し躊躇ってから頷いた。
その頃。
大陸会議直轄軍のキングダム本部の一室で、レインはギンジロウを迎えていた。尤も、ギンジロウはここのところ、かなりの時間を軍本部で過ごしていたりする。
「上手くいくと思うか?」
「そうなる事を願ってるけどな」
レインの言葉に、ギンジロウはそう返した。
その二人の目の前には、少しだけアルコールが混ぜられたジュースが置かれていた。
酒を飲んで酔っ払う暇などない二人だが、仕事に支障が出ない範囲での飲酒は認められていた。なので、こうして休憩室で気持ち程度に薄められたアルコールを楽しんでいるのだった。
勿論、短い休憩が終わればまた仕事漬けになるのは言うまでもないだろう。
尤も、今に限って言えば、休憩中にもかかわらず、レインとギンジロウの思考は蒼い月の事で占められていた。具体的には、レックが主力となって蒼い月が行っているはずの、魔法使い殺しを釣り出す囮作戦のことである。
「実際にやりあったグランスとマージンの見立てでは、最初の不意打ちさえ凌げれば、十分勝てる相手だそうだ」
ギンジロウがそう言うと、レインは微かに眉を顰めた。
「その最初の不意打ちを凌げばというのが、何とも不安だがな」
「それは否定しきれないが……彼らも彼らなりに最大限の準備はした。あの鎧があるだけでも、最初の一撃で即死してしまうような最悪の事態は避けられるはずだ」
「まあ、な」
ギンジロウの言葉に頷いたレインだったが、それでも不安が拭いきれたわけではない。
だが、それでもギンジロウから聞かされた蒼い月の提案に、許可は出してしまったのだ。何より、既に蒼い月の3人は裏通りを彷徨いているはずだった。
「はあ……信じて待つしかない、か」
「そうだな。というか、マージンたちから聞かされた話が本当なら、犠牲を抑えるためにはやはり彼ら自身に行って貰うしかなかったしな」
下手すると魔法使い殺しは自分たちに匹敵する強さだと聞かされた時点で、ギンジロウもレインも、自分たちが直接出る事は断念した。
魔法使い殺しによる被害は看過できるものではない。だが、万が一自分たちが死んでしまった時の被害は、それを遙かに超えると予想されていた。
何しろ、ピーコあたりに言わせると、レインやギンジロウに万が一の事があれば、最終的に万単位の人間の命が影響を受けるとされているのである。それと比べれば、見捨てるようで心苦しいが数十人程度の被害は許容範囲になってしまうのだった。
「……ゲームに過ぎなかった頃が懐かしいな」
多くてもせいぜい数百名規模に過ぎないギルドを率いていただけの、何より死んでも生き返れた『魔王降臨』以前を思い出し、レインがそう呟いた。
そんなレインの心中を察し、ギンジロウも頷いた。
「そうだな。確かに仲間をまとめていく責任はあったが、それだけだった。今の俺たちが背負っている責任に比べれば、あの頃のなんて屁でもないな」
そう言いながら、ほとんど酒精の入っていないグラスを傾ける。
それに物足りなさを感じたギンジロウは、ふと思いついた事を口にした。
「……この件が何とか片付いたら、一回思いっきり飲まないか?ホエールとか議員連中とか集めてさ」
その提案にレインは苦笑した。
「良い案だ。だが、ピーコあたりがすごく嫌な顔をしそうだぞ」
「ひょっとしたら、本人が一番乗り気になるかも知れないけどな」
そして、二人はどちらからともなく笑い出したのだった。
(ん~、なかなか釣れないなぁ)
はや、太陽も傾きかけた時刻。
建物に太陽が隠されてしまう裏通りは、早くも薄暗さが漂いつつあった。
そんな裏通りをグランスとマージンの後について歩いていたレックは、魔法使い殺しが現れる気配がさっぱりない事に、うんざりしつつあった。
キングダムの長くはない夏が終わりかけているとは言え、まだ少し暑い季節だった。そんな時期に一日中緑もない、石で覆われた街の中を歩き続けるのは結構体力を消耗する。
勿論、今魔法使い殺しに襲われてもきちんと迎え撃てるだけの体力が残っている自信はある。が、それはそれ。これはこれ、である。
1時間おきに休憩を入れていたが、レックの前を行く二人も随分と疲れているような足取りになっていた。
それを見ながら、
(あれじゃ、ちゃんとカバーしないとまずいかな?)
そんな風に考えるレックだったが、特に問題視もしていない。
こっそり展開している動体感知の魔術のおかげで不意打ちはほぼ100%防ぐ自信があるからだ。勿論、そんな魔術をどこで手に入れたかなんて説明できないので、仲間に秘密にしている。展開がこっそりになってしまっているのも、魔導具作成の技能のせいか、やたらと魔力に対する感覚が鋭いマージンに気づかれないように、であった。
ちなみに、先ほどからレックが言葉も発さず頭の中で考えているだけなのは、疲れてきたらしい二人がすっかり無口になっている事と無関係ではなかった。
会話もなく歩き続ける二人の背中を眺めながら、レックは別の事を考え始めた。
(念のため魔力抑えてるけど、魔力抑えない方が早く釣れたりしないかな?)
よく晴れた空を見上げ、レックはそんな事を考えた。
しかし、それを実行してみる気にはならない。万が一、自分たちを手に負えない獲物と判断されてしまえば、魔法使い殺しを釣る事に失敗するからだ。
とは言え、
(この間は抑えるの忘れてたしなぁ……。個人の魔力の判別とかできる相手だとまずいよねぇ)
蒼い月のクランハウスが襲撃されてそこに駆けつけたときのことを思い出し、レックは溜息を吐きかけた。
万が一、魔法使い殺しにマージンやグランスの魔力を覚えられていて、二人を襲えばレックが駆けつける、などと学習されていたら――この囮作戦はまず失敗する。
(たまたま僕が近くを通りかかったと思ってくれるか、魔力の個人識別が出来ないと助かるんだけど……)
レックはそんな事を考え続けていた。
一方、前を歩くグランスはというと。
(……今日がダメだったとして、明日からは昼前後は止めておいた方が良いか。街の外を歩くのと似たようなものだと思っていたが、疲労が激しすぎる)
そんな事を考えていた。
ただ、その思考も疲労故に既に途切れ途切れになりつつあった。ふと気がつくと、どうでも良い事を考えていたりして周囲への警戒が途切れていたりするのだ。
それに気づいたグランスは頭を軽く振ると、足を止めた。
「今日は切り上げよう。悪いが、そろそろ限界だ」
「そやなぁ。歩いてるだけやったけど、随分消耗してもうたしな」
「だね。今日は帰ろうか」
グランスの言葉に、マージンとレックも頷き、3人は大通りへ向かって歩き出した。
それは焦れていた。
数日前の狩りに失敗してから、手頃な獲物を見つける事が出来ていなかった。魔力の気配を感じさせる獲物そのものは、まだまだ無数にいる。だが、その全てが人が多く集まるところにしかいないのだ。――今、それが歩いている大通りのように。
別に狩りができなかったからと言って、それが飢え死にするわけではない。だから、獲物を探すのに時間を費やすのは別に苦痛でも何でもなかった。
だが、目の前に沢山の獲物がいるというのに、一匹たりとも狩る事が出来ないというのはそれにとって大きなストレスだった。
良い感じの獲物を見つけたとしても、人気がないところになど絶対に行かない。夜も必ず通りに近くて人が多く泊まっている宿へと入っていってしまう。おかげで、狩りはずっと空振り続きなのだった。
いっその事、獲物が全くいなくなる事で狩りが出来ないのなら、それも早々に見切りを付けてキングダムを離れていたのだろう。だが、獲物だけは腐るほどいるのだ。集まりすぎているだけで。
それにもう少しまともな知能があれば、獲物がいても狩りが出来ないなら意味はないと、キングダムを離れる決断が出来ていただろう。だが、それにそこまでの思考能力はなかった。
故に、時には大通りを歩き続けて獲物を探し、時には酒場の片隅で獲物を探す。そんな事を繰り返していた。
今も、そんな風に獲物を漁り続け――しかし、折角見つけた獲物もやはり宿へと入っていってしまい、すごすごとお気に入りの場所へと戻る途中の事だった。
それはふと顔を上げた。
大通りから離れた場所に2つ、魔力の気配を感じたのだ。
それは歓喜しようとして――気がついた。残念な事に、2つの気配は既に大通りに近づきすぎている。これでは狩る事は出来そうにもなかった。
だが、とそれは貧弱な思考能力で考えた。
この2つの気配はまた大通りから離れるかも知れない、と。
だから、それは2つの気配の後を追うように動き出したのだった。
翌日。
冒険者ギルドの宿舎。そのうち、蒼い月に割り当てられた部屋で。
「結局、昨日は釣れなんだなー」
「みたいじゃのう。して、今日も行くのかのう?」
ギルドの食堂から貰ってきた昼食を食べながら、マージンとディアナがそう話していた。
「そやな。朝は行けなんだし、夕方だけでも行った方がええと思うんやけど……」
そこでマージンの言葉が詰まり、全員の視線がグランスへと集まった。
「ん?ああ、大丈夫だ。思ったより疲れがたまっていただけだ」
グランス自身が思っていたよりも疲れていたらしく、すっかり朝寝坊をしてしまったのだった。それで朝の魔法使い殺し釣りは中止になってしまっていた。
「それならいいけど……今日は早めに切り上げようか?」
「いや、流石にあれだけ寝たら大丈夫だ」
レックの提案に、グランスはどこか恥ずかしそうに答え、
「こんな理由で動けていなかった間に被害が出たら、後悔するからな」
と付け加えた。
そう言われてしまえば、何か言いたそうだったミネアも止める事は出来なかった。
「無理はしないで……くださいね」
「だよね。マージンもグランスもレックも、無理は絶対ダメだよ」
リリーと一緒に、そう言うのが精一杯だった。
「僕がいるから大丈夫!」
と言えたら良いなぁ、とレックが思っていたのは誰も知らない。
それはさておき。
グランスたち3人は昼食を摂るとギルドの訓練場で軽く身体を動かし、その後たっぷりと休息をとり、そして太陽が傾きかけた時刻。再び、魔法使い殺しを釣り出すためにギルドを出た。
その後は昨日と同じである。今日も5番街区で釣りをしてみる事にしていた3人は、大通りを少し歩いた後、それとなく裏通りへと入り込んだ。
「釣れるまでどれくらいかかるだろうな」
裏通りに入ってのグランスの第一声がそれだった。
「早めに釣れてくれると助かるんだけどね」
「レック。そんな事言うたら、いつまで経っても釣れへんで。マーフィの法則言うんがこの世にはあるんや」
マージンの言葉に、それは困ると二人が笑った。歩き始めた直後だけあって、まだ元気である。
「それじゃ念のため訊いてみるけど、どう言えば早く釣れると思う?」
「そうやなぁ……」
レックの質問にマージンは少し考える様子を見せると、
「ゲームや漫画なんかではやったんやと、『無事に帰れたら俺、結婚するんだ』とかやな。結婚の代わりに告白とかもアリみたいやで?」
「あー、あったね。死にフラグとかそういうの……」
そう答えたレックのテンションは些か下がり気味だった。
リリーがマージンの事しか見ていないので、告白しても振られるのは目に見えている。結婚など論外なわけで、出来ればマージンが言ったみたいな台詞は口にしたくなかった。
かと言って、マージンに言われたりした日には――いくらリリーが喜ぶとしても、やはりそんな場面を見たいとは思えない。
とは言え、マージン自身、死にフラグというものを信じているわけでもなかった。それにそもそも、
「ま、死にフラグやから、ホンマやったとしても言うたんが死んでまうわけやし、役に立たへんけどな」
と、本当だったら本当だったで使えない。漫画などでは主人公補正で乗り越えられる事もあるが、逆に言えば脇役なら間違いなく死んでしまうのだから、やはり縁起は良くなかった。
その頃。
別の裏道を歩く人影が1つあった。
その存在感はあまりに希薄で、歩いている姿を遠目に見たくらいではその人影に気づく事は難しいだろう。下手すると、3mくらいまで近づかれるまで気づかない者もいるかもしれない。
赤い瞳を持ったそれは、獲物を探して歩き回る魔法使い殺しだった。
昨日感じた2つの気配に刺激された――訳ではない。単にいつも通りの行動だった。
ただ、昨日感じた2つの気配を忘れたわけでもない。
昨日の気配は残念ながらそのまま沢山の人間が出入りする建物へと入っていったまま出てこなかった。が、それと同じか、あるいは同じように裏通りへと入り込んでくる気配がある可能性はあった。
それを期待しているのか。魔法使い殺しに昨日までのような苛立ちはなかった。
だからだろう。
いつもより遠くの気配を感じ取る事が出来たのは。
それが昨日と同じ気配かどうかは分からない。
だが、昨日と同じように2つの気配が大通りから離れたところをゆっくりと移動していた。
どこに向かうでもない、目的地のない様な進み方なのだが――魔法使い殺しは気づかない。
ただ、狩れそうな獲物が現れた事に対する喜びを満面の笑みと表し、音も無く駆け出した。
それに最初に気づいたのはレックだった。
展開していた動体感知の魔術におかしな反応があったのだ。
(サイズは……人間大。でも、こんな時期に一人だけ?)
得られた情報に違和感を感じたレックは、即座に後ろから向かってくるそれを警戒し始めた。
身体強化でも使わなければ出ないような速さで走ってくるそれは、レックの動体感知の範囲が50m程度しかなかった事もあるのだろう。振り向いた時には既に10mもない所にまで近づいていた。
その赤い瞳を確認するまでもなく、レックは叫んだ。
「後ろから敵襲!」
その大声に驚いたようにグランスとマージンが振り返った。
一方、レックは鞘から抜き放ったブロードソードを眼前にまで迫っていた魔法使い殺しへと叩き付けていた。
が、驚いたような顔すらせず、魔法使い殺しはレックの一撃を受け止めていた。
「なるほど、確かに爪だね!」
一瞬にして伸びて剣を受け止めたそれを確認し、レックはそう言った。
直後、魔法使い殺しが振るってきたその左手の爪を避けるべく後ろへと跳ぶ。
「行けそうか!?」
グランスの叫びに、
「やってみないと!」
短く返したレックは、再び魔法使い殺しへと斬りかかっていた。
実力が分からない。そんな相手に戦いの主導権を渡す必要などどこにもない。
レックが振り下ろした剣を魔法使い殺しが受け止めた甲高い音が裏通りに響き渡る。
だが、今度は片手で受け止めるには魔法使い殺しの腕力が足りていなかったらしい。
一瞬で押し負けると見て取った魔法使い殺しは、受け止めた事で出来た一瞬の隙でその身体をレックの剣の軌道上から回避させていた。
その間に、体勢を整えたグランスとマージンは二人で陣を組んでいた。1対1では勝てない相手なのだ。レックを抜けてこちらに来た時、十分に魔法使い殺しの勢いを受け止められるだけの準備をしておく必要があった。
尤も、二人の眼前で繰り広げられる戦いを見ている限り、無駄な準備になると思われた。
「……凄まじいな」
速さでも魔法使い殺しと十分に渡り合っている、どころか明らかに上回っているレックの動きを見ながら、グランスが呟いた。
斬りつけた剣を受け止められたレックは、空いている手で魔法使い殺しが繰り出してきた爪の一撃を、こともあろうに手で振り払う。一瞬でもタイミングを間違えれば、自らの手に穴が開きかねないそんな行為は、グランスでもかろうじて見て取る事が出来た。
このままいけば、確実に魔法使い殺しを倒せる。グランスはそう確信しつつあった。
だが、レックには実のところそれほど余裕があるわけでもなかった。
1つは全力を出して良いのかどうか決めかねていたからである。
全力を出せば、刃物と化した爪ごと魔法使い殺しを真っ二つにする自信はあった。が、それより先に魔法使い殺しに逃げられるのではないかという懸念もあった。
正直、こちらの人数を考えると、下手に逃がすと捕まえるのは難しい。
なので、魔法使い殺しが勝てないと悟って逃げ出さない程度に魔力を抑えるべく、身体強化の威力を抑えていたのである。
そして理由はもう1つ。
レックにとってはこちらの方が問題だった。付け加えるなら、全力を出すのを躊躇っているのは、こちらの理由もある。
(なんだ、こいつ!?)
斬り合いをしながら、レックは魔法使い殺しが戦闘開始と同時に放ち始めた気配に動揺していた。
実際に相対するまで、レックは魔法使い殺しの正体をどこかの魔術師だと考えていた。
だが、目の前にいる赤い目の男から感じる気配は、あまりにも人間離れしていた。
確かに魔力は感じる。
しかし、生気があまりにも薄い。いや、無いと言って良いかもしれない。
後ろで見ている二人はそれに気づいていないようだが、生きている人間かどうかすら怪しかった。
それに動揺していたからか、レックは次の瞬間、魔法使い殺しが繰り出してきた攻撃に対する反応が一瞬遅れた。
が、かろうじて右肩目掛けて突き出された爪を躱し、突き刺さるところを掠める程度で済ませた。尤も、マージンが作った鎧がその効果を発揮し、レック自身は完全に無傷だったが。
だが、問題はその後だった。
レックに出来た一瞬の隙を突き、魔法使い殺しが繰り出してきた一撃。それには明らかに魔力の光が点っていたのだ。
(今のは……?)
ほとんど癖も同然に無意識のうちに展開していた魔力感知。それに何かが引っかかり、大通りを歩いていたコルスは足を止めた。
それを見ていた周りの人々は、邪魔そうにコルスに視線を飛ばしながら避けていく。
それに気づいたコルスはそそくさと通りの端へと移動し、改めて先ほど感じた魔力について考えた。
(どっちかというと、攻撃魔術っぽかったな。まさか魔法使い殺し、か?)
魔法使い殺しが使ったのか、襲われた被害者が使ったのか。それはコルスには分からなかった。だが、攻撃魔術を使った何者かがいるのは間違いない。
幸い、休みを取ってふらついていたので、今は急ぎの用事も無い。誰かと待ち合わせしていたわけでもないので、自由に動く事が出来る。尤も、仕事中だったとしても、後で誤魔化せば済むのでどっちを優先するかと訊かれれば、迷う事など無いのだが。
そんなわけで全くの迷い無く、コルスは魔力を感じた方へと歩き出した。
目立つわけにはいかないので走る事は出来ない。
だが、口の中で短く唱えた呪文で自らの気配を限りなく薄くし、周囲から関心を寄せないようにするとさっさと裏道へと入り込み、先ほど感じた魔力の所へと走り出したのだった。
「……みんな、無事かな~」
冒険者ギルドの宿舎。その一室で、窓からキングダムの街並みを眺めつつ、リリーが溜息を吐いていた。
「おぬしが心配しておるのは、ほとんどマージンだけじゃろうに」
苦笑しながらディアナが指摘すると、
「え?え?そ、そんな事ないよ?」
未だに初々しい反応を見せるリリーを微笑ましく眺めつつ、ディアナもまた、窓の外に広がるキングダムの街並みへと視線を移した。
ディアナも勿論、仲間達の心配はしている。特に、熱心に無事を祈ってもらえていないレックを心配――
(する必要は無いじゃろうな)
レックが聞いたらショックを受けそうなことを平気で考えた。
尤も、ディアナに言わせれば当然とも言える。
あの3人の中で一番強いのがレックなのだ。レックがどうにかなるより、他の二人の方が心配のしがいがある。
そんな事をディアナが考えていると、エイジを寝かせ付けたミネアが口を開いた。
「こんなことを言うと……薄情だとか言われるかも知れませんけど……魔法使い殺しを倒せなくてもいいから……無事に帰ってきて欲しいです」
「そうじゃな」
ミネアの言葉に全面的にディアナは同意した。
だが、その心の中で考えていた事は、必ずしもミネアと同じでは無かった。
(レックと戦えば、魔法使い殺しも無事では済まぬじゃろうな。……できれば、そんな事にはなってもらいたくないのう)
それこそ、人どころか、仲間に聞かれてもまずいような事を考えていたのだった。
勿論、レック達に何かがあって欲しいと思っているわけではない。当然、無事に帰ってきて欲しいと思っている。
それでも、ディアナはあの夜見た魔法使い殺しが忘れられなかった。
恋などではない。
だが、魔法使い殺しが纏う気配に、強く惹かれたのだ。
理由すら分からない。
それでも、あの気配の持ち主にもう一度会って、それがなんなのか。ディアナは確かめてみたかった。




