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ジ・アナザー  作者: sularis
第十二章 さらなる飛躍
112/204

第十二章 第一話 ~プロローグ~

プロローグなのに第一話とはこれ如何に。


とりあえず、閑話っぽい何かから始まります。

 何でこんな事になった!?俺が、俺たちが何をしてきたってんだ!?

 壁際に飛ばされてきたテーブルの影に隠れて震えながら、男の思考はひたすら、それだけに埋め尽くされていた。

 テーブルの向こうからは怒号と悲鳴、そして湿り気を帯びた音が聞こえてきていた。その音が意味するところは考えたくもない。

 だが、まずは怒号が全く聞こえなくなり、

 次に悲鳴が途絶える。

 そうして残ったのは身の毛もよだつような笑い声だった。

 まずい、まずいまずいまずい!!!

 何とかならないかと混乱した頭で必死に考えるも、死の恐怖に晒され、冷静さを完全に失ってしまった男にまともな考えができるわけもない。

 まずいまずいまずいまずい!!!来るぞ!来る来る来る!あれが来る!!

 この場から逃げなくてはならない。

 混乱した頭でも生存本能はまともに働いているのだろう。あれから逃げなくてはならない事だけは分かっている。

 しかし、逃げるためにはテーブルの影から出なくてはいけない。つまりそれはあれの目の前に姿を晒す事に他ならない。

 そんな事が出来るわけ無かった。

 一瞬たりとてあれの視界に入ってしまえば、間違いなく殺される。

 そんな中、急に笑い声が止んだ。

 不意に訪れた静寂の中、男は必死にそれがいなくなっている事を祈った。



 ここで何が起きたのか。

 時間は少し遡る。


「収穫がこうもないとな」

 2階の通り沿いの部屋。ソファの上で退屈そうにそう言ったのはクレメンス。その茶色い瞳は古ぼけた天井を写していた。

「全く。フランク達はどうしたんだろうな?」

 小柄な男――ブラウニーの言葉に、オイゲンは言葉もなく身をすくませた。

 そんな彼をフォローする意図があった……わけでもないだろうが、部屋の隅に立っていたハリスが口を開いた。

「……言ってやるな。オイゲンに責任はない」

 その言葉に、ブラウニーは肩をすくめて「へいへい」と答えた。

 元々気になったから口にしただけで、オイゲンを責めるつもりは――全くなかったと言えば嘘になるが――それほどあったわけでもない。

 それでも、

「だけどな、あそこで何があったかくらいは知りたいぜ」

「オイゲンに前後の記憶が無いのは確認済みだ。どうしようもないな」

 しぶとくネタを引きずったブラウニーだったが、クレメンスの言葉に口を閉ざさざるを得なかった。


 ロイドの小屋で発見された紙に記されていた1つの術式。それを試そうとしたあの村での実験で何が起きたのか。

 それが分からない。

 実験の直後、連絡が取れなくなった事でその村に急行したペトーテロのメンバーが見たのは、大きく破壊され、住民が全て食い殺された村の姿だった。

 実験の舞台となったある建物の地下にも生存者は――一人を除いて――いなかった。ただ、生け贄として殺された死体以外は見当たらなかった。全員が殺されているなら何者かによる襲撃だと判断も出来ただろう。だが、実際にはペトーテロのメンバーを含む何人かが行方不明になっていた。

 そんな中、たった一人生き残っていたオイゲンにペトーテロのメンバーが注目するのは当然の事だった。

 だが、魔導を使ってオイゲンの記憶を精査までした調査はあっさりと行き詰まった。前後の記憶が完全に消えていたのである。

 出来れば村を徹底的に調べたいところだったが、数日と経たずに大陸会議から派遣された軍が到着したため、何も分からないままにペトーテロは村から撤退する羽目になった。

 そして何日かが経っても、行方不明になった者たちからの連絡は無く、あの村で何が起きたのか全く分からないままだった。

 今も二人ほど、何があったか調べるためにキングダムを離れているが、成果の方は期待できそうにもなかった。

 ちなみに、あの村での実験にメンバーを派遣していた他の結社でもまだ何も掴めていないらしい。隠しているだけかも知れないが、ペトーテロのメンバーにとって何も分からないままというのは変わりがない。


 そんな状況に思わず出そうになる溜息を抑えつつ、オイゲンはふと窓の外を見た。

 ペトーテロがキングダムの拠点にしているこの建物は今のキングダムの中心地からは外れたところ、それも裏道沿いにあり、滅多に誰かが訪れる事など無い。いや、建物の前の道を誰かが通る事すら珍しい。ペトーテロのメンバーを除けば、誰も見かけない日の方が多いほどだった。

 だから、その人影はオイゲンの目を惹いた。

 鮮血のような赤い髪を弱い風になびかせながら、その冒険者風の男は通りの向こうからこっちへとゆったりと歩いてきていた。

 何となくその冒険者の男に親近感を覚えつつ、しかしオイゲンは特に気にも留めなかった。この道を通る人間は珍しいが、いちいち反応するほど珍しいものでもないのだ。

 わざわざ通行人の目を惹いてこの建物に人がいる事を教える必要も無い。幸い、オイゲンがいるのは2階だった。それも窓が閉ざされている。オイゲンが下手に動いたりしなければ、その男がオイゲンに気づく事はなく、そのまま通り過ぎていく。そのはずだった。

 しかし実際には、オイゲンの予想に反して赤毛の男はペトーテロが拠点としている建物の正面で歩みを止めた。

 その事にオイゲンが驚いている間に、赤毛の男は建物の扉を開けて入ってきたらしい。急に階下が騒がしくなった。

 それにオイゲンと一緒にいた3人も気づいたらしい。

「何かあったみたいだな」

「……暇つぶしにはなるよな」

 そう言ってクレメンスとブラウニーが、そそくさと部屋を出て行った。

 そんな二人を見送ったオイゲンは、ハリス共々特に動く気も無かった。どうせすぐに終わるのだ。正確には、そこからが始まりなのかも知れないが、どっちにしても降りていく必要は無い。そう判断しての事だった。

 だが、そんなオイゲンの考えは、階下から聞こえてきた轟音によってあっさりとひっくり返されてしまった。

「なんだ?」

 普通なら、こんな大きな音がするはずもない。つまり、何かあったのは明白だった。

「……見に行くか」

 そう言ったハリスの後について、オイゲンもまた一階に降りようとして、再び聞こえてきた轟音と怒号に一瞬足を止めていた。

 尤も、それも一瞬のことだった。

 明らかに異常事態が起きている。そう察したオイゲン達は一階まで駆け下りた。その間にも怒号と悲鳴が聞こえてくる。

 そうして、一階の食堂を兼ねた構造になっているエントランスに駆け込んだ二人の目に飛び込んできたのは、信じられないような光景だった。

 その光景に思わず叫び声を上げそうになるも、オイゲンもハリスもかろうじて声を抑えた。

 鮮血のような赤い髪の男が部屋の中央に立っていた。

 ただし、ただ立っていたのではない。片手に持った剣でクレメンスとブラウニー、それにペトロスが必死の形相で放つ魔術を、火も風も魔力弾もおかまいなしに次々と切り払っていたのだ。

 ただ守りに入っていたわけでないこともすぐに知れた。血に塗れた男の足下には既に2つ、死体が転がっていたのである。

 いずれも剣の一振りで斬り殺されたのだろう。致命傷と覚しきもの以外の傷がない。

 そこまで見て取ったハリスはすぐにクレメンス達に混じって攻撃を始めた。手加減も出し惜しみもするべきではないと判断したのだろう。最初から投げナイフから攻撃魔術に至るまであらゆる手札を晒しての攻撃である。

 だが、それを見ていたオイゲンは何故か攻撃に参加する気にはならなかった。攻撃しても通じないと察していたからかも知れない。

 本能的に逃げだそうとしたが、すぐに後ろからウルフレッドがやってくる気配を感じて、奥に逃げるのは諦めた。そうなると後は部屋の出口は1つしかないが、そこから逃げるためには男の横を通らなくてはならない。論外だった。

「くそっ!どうなってる!なんなんだあいつは!!」

 クレメンスがそう叫び、それで男に目を付けられたのだろう。

 男の左腕が上がり、いつの間にかそこに出現していたクロスボウから放たれた矢が、クレメンスののど笛を貫いた。

「っっ!!!」

 多少の物理攻撃なら致命傷にならない程度には軽減できる障壁を張っていたはずのクレメンスがいとも簡単に殺され、残った者たちの間に衝撃が走った。

 その隙を突いて男が動く、かと思われたがやっと部屋に飛び込んできたウルフレッドを目にして、男は動きを止めた。

 ウルフレッドはその隙を逃したりはしなかった。

 ここに来るまでに既に用意していた攻撃魔術を、動きを止めた男に向かって解き放った。

 ウルフレッドと男の間にあった机も椅子も全てを巻き込みながら、竜巻が水平に伸びた。

 ウルフレッドの持つ攻撃魔術の中でも、特に威力が高いそれは、間違いなく男を捕らえる。

 そう確信し、これで終わると誰もが思った。オイゲンを除いて。

 だが、男はクロスボウを投げ捨てた左手を竜巻に向かって伸ばすと、いとも簡単に受け止めてしまった。

 ウルフレッドが放った竜巻がいくら屋内で使えるほど小さいとは言え、人の手の平に収まるようなものではない。だが、確かに竜巻の先端は男の手で受け止められ、あとは見えない壁でもあるかのように食い止められていた。

「馬鹿な!!」

 誰かがそう叫んだ。だが、その驚きは竜巻が受け止められたことに寄るものではない。

 それは男が竜巻を受け止める瞬間に、

「な、なんだこの魔力は!!」

 この場にいる誰よりも強い魔力を男から感じたからだった。

 それだけで全員が理解する。

 この相手に魔術は効かないと。

 正確には効かないと言うより、簡単に防がれてしまうだけなのだが、結果は同じである。

 故に、即座に魔術による攻撃を諦め、武器を構えた彼らは見事な判断――そのはずだった。

 男の鮮血のような赤い瞳がウルフレッドを映したまま、歓喜に歪んだ。

「来るぞ!!」

 ハリスがそう叫んだが、全くの無意味だった。

 猛然とダッシュし、ウルフレッドに迫った男が振り下ろした剣は、ウルフレッドをその構えた短剣ごと真っ二つにしていたのだ。

 その様子を見た全員の動きが止まった。

 魔術をことごとく防ぎ、一方で金属すら容易く切断する。そんな相手に何が出来るというのか。

 逃げるしかない、生き残った者たちの脳裏にそんな考えが過ぎるが、既に遅かった。

 ウルフレッドの身体から吹き出した血を全身に浴びて満足そうな笑みを浮かべていた男に睨み付けられ、その圧倒的な殺気に逃げることは出来ないと全員が悟った。

 そこからは単なる虐殺だった。

 一か八かで突撃したペトロスも、男が投げ捨てたクロスボウで攻撃を試みたハリスも、完全に動きが止まってしまっていたブラウニーも次々と殺された。

 ウルフレッドの竜巻に巻き込まれ、壁際に飛ばされてきたテーブルの影に隠れていたオイゲンだけが生き残ったのだ。

 そして今。

 オイゲンのことを忘れたのか、ペトーテロのメンバーを虐殺した男は部屋の中央で何かしていた。

 いや、見えなくともオイゲンには何が起きているかよく分かっていた。

 何かを引きちぎる音。

 硬い物が砕かれる音。

 その咀嚼音から、男が殺したばかりのペトーテロのメンバーの死体をむさぼり喰らっているのだと容易に知れた。

 見つかれば自分も喰われる。

 そう感じたオイゲンは、ひたすら震える身体を小さく丸めて男が早くどこかに行ってくれるように祈っていた。

 だが、ふと気がついた。

 そして、気がつくとすぐに身体が反応した。

 グウゥ~~

 あまりにも場違いな音が鳴った。

 流石にペトーテロのメンバーをむさぼり喰らっていた男にもそれは聞こえたのだろう。咀嚼音が止んでいた。

 そして、こつこつとオイゲンが隠れているテーブルの側にまで男の足音が近づき、次の瞬間、オイゲンが隠れていたテーブルは反対側の壁へと放り投げられていた。

 口元を血で赤く染め上げた男は、オイゲンを見つけるとニヤァと笑いかけ、そこで何故か眉を顰めた。そして、恐怖のあまり完全に硬直していたオイゲンの胸元を掴んで吊り上げ、オイゲンの瞳を覗き込んだ。

 あまりの恐怖に目を閉じることも出来なかったオイゲンは、自分の目を覗き込んでくる男の瞳を見る羽目になり、思わず恐怖の悲鳴を上げそうになった。

 そこにあったのは人間には持ち得ない深い闇だった。

 それに吸い込まれてしまいそうな感覚に陥りかけたところで、オイゲンは妙な感触を覚えた。

 それはオイゲンの中にもあるもの。

 それを知った瞬間、オイゲンは男が自分の仲間であることを理解した。正確には、上位者と言うべきか。

 男もオイゲンと同じことを感じ、理解したのだろう。マジマジと観察した後、オイゲンを解放すると再びペトーテロのメンバーの死体の所へと戻っていった。そして、再びおぞましいとしか言いようのない食事を再開する。

 それを見ていたオイゲンは、すっかり薄れた恐怖の下から顔をもたげた1つの欲を感じ取っていた。

 それは食欲。

 だが、今は上位者たる男が食事をしているのだ。邪魔することは許されない。

 ただ、男が少しでも食い残すことを期待するだけだった。

 それだけを考えているオイゲンの頭の中には、既にさっきまで仲間だったはずの者たちの死体が、ただの肉にしか見えなくなっていた。

 だが、オイゲンはそれに気づかない。




 某日、キングダム公立図書館。地下書庫。


「これは……まいったね」

「予想外」

「いや、予想はしておいて然るべきだった、かな」

 エセスにそう答えると、ロマリオは軽く頭を振った。

 キングダム公立図書館の地下書庫には前々から興味があったのだが、予言者の指示に振り回されてやってくる機会が無かった。そんなわけで、予言者に訪れるように指示されて意気揚々とやって来た二人だったが、地下書庫の最初の部屋で見た本の内容に絶句していた。

「これも……これも……全部魔術の術式と詠唱が書かれてる」

「理論も」

 そう、地下書庫の棚に置かれていた本は、どれもこれも魔術が記載された所謂魔術書と呼ばれる物だったのである。そこに載っていた魔術はどれもこれも二人の知識に既にあるものばかりだったとは言え、ロマリオとエセスが受けた衝撃は並大抵のものでは無かった。

「まったく……どうしたらいいんだろうね……」

 溜息を吐きながら、ロマリオはこの部屋に入る前に見たものを思い出した。

 ゴーレムに塞がれた通路の向こう側には、まだ幾つもの部屋があったのである。地下書庫の最初の部屋でこれであることを考えると、奥の部屋に何があるかなど出来れば考えたくもない。

 ただでさえこの世界は、一般人に祭壇という形で魔術を教えてしまっているのである。幸い、祭壇の数が少ない上にキングダム大陸の各地に点在しているおかげで、魔術師達だけのものであった魔術の漏洩は、その数で言うとまだまだ少ない。

 だが、この地下書庫にある本を全て解読されてしまうようなことがあれば、状況は激変する。地下書庫最初の部屋の本だけでも、既に発見されている祭壇全てよりも多くの魔術が載っているのである。

「イデア社の連中……何考えてるんだ」

 と、ロマリオが漏らしてしまったのも仕方の無いことだった。

 唯一の救いは、

「まあ、ルーン文字で書かれてるからそう簡単には解読できないと思うし、解読できたところで理解は出来ないだけマシかな」

 ということだった。

 ルーン文字など普通の人間にはまともに読むことすら出来ないであろうし、読めたところでここに書かれている内容だけで魔術を理解し習得するのは、普通の人間には不可能としか思えない。

 だがそれでも、出来れば放っておく訳にはいかなかった。世の中、絶対と言えることなどほとんどない。たまたまルーン文字を読めて、内容も理解できる人間がいないとは限らない。

 それにもっと現実的な問題もある。

 それは、ロマリオ達と同じように、この世界に囚われた他の魔術師達の存在だった。

 この部屋の内容程度ならまだ良いが、奥にある部屋に置かれている魔術書の中には、敵対関係にある魔術師達には読まれたくないような物もあるかも知れない。

 そんな可能性を考えると、ロマリオとしてはやはり何とかしてここにある魔術書は全て焼き払ってしまいたかった。

 尤も、実現できるかどうかは全く分からなかった。いや、実現は全く出来そうになかった。

 そもそも、この部屋にあるどの本も、折り目すら付けられないのである。明らかに何らかの方法で保護されていた。ならば、破ることも火をつけて焼くことも出来るとは思えない。

「もう少し奥も見に行こう」

 エセスにそう声をかけると、ロマリオは部屋を出た。

 既に、通路を塞いでいるゴーレムをどかす呪文は見つけていた。

(……後で、報告して指示仰がないとなぁ)

 頭の中でぼやきながら、ロマリオはゴーレムをどかす呪文を唱えるのだった。




 大陸会議メンバーの朝は早い。

 少なくない人数がリタイアしたとは言え、キングダム大陸全体では20万以上の人間が生活している。その大半どころかほぼ全員が、大陸会議の管轄の元にいるのである。

 それだけの人口を養っていきつつ、ジ・アナザーからの脱出手段を模索する――すなわち、魔王を倒すための準備をしなくてはならない大陸会議には、やるべきことがいくらでもある。そうなると、当然のように上の人間の時間はいくらあっても足りない。結果、毎日のように夜遅くまで働き、朝も雀よりも早く起きることになる。

 ――尤も、あまりにも負荷が高かったので、最近はいろいろ人手を入れて、普段は報告だけ受け取るようにしている事柄も増えてきたのだが。


「……やっと6つ目か」

 冒険者ギルドの執務室で朝のコーヒーを啜りながら、ギンジロウは昨日の夜の間に届いていた報告に目を通していた。昨日の夜に届いていたのに今朝見ている理由は大したものでは無い。緊急を知らせる印もなかったため、帰り支度を済ませていたギンジロウは、翌朝見れば良いかと放っていただけのことである。

 さて、肝心の報告の内容はというと、軍の精鋭部隊やトップクラスの冒険者たちを使って探索していた祭壇が、また1つ見つかったというものだった。

 その場所を見て、ギンジロウは思わず顔を顰めた。

「また、厄介なところに見つかったもんだな」

「そうでなければ、とっくに見つかってますよ」

 ギンジロウの言葉にそう返したのは、冒険者ギルドのマスターであるギンジロウの秘書を務める、フライトだった。なにやら青い瞳は眠たそうに揺れているが、これは別に朝早いからではない。いつもこんな感じなのだった。

「まあ、それもそーなんだけどな」

 そう答えると、ギンジロウはコーヒーをもう一口啜り、報告書のページを捲った。そして、ページを一読して肩を落とす。

「……また、ゼロか」

「ゼロでしたね」

 昨夜のうちにその報告書に目を通していたフライトは、あっさりそう答えた。

「祭壇が見つかるのは良いけどな。誰にも反応しないんじゃ、見つける意味がないよな」

「探しているのが如何にもという祭壇ばかりですからね」

 さもありなんとフライトは頷いた。


 今話題に上っている祭壇は、蒼い月がロイドの所で場所を聞いてきたものである。魔王がいる中央大陸に渡る術すら見つかっていない現状であるが、少しでも力を蓄えておくことには誰も異存は無い。

 しかし、ジ・アナザーでは強くなったとはっきりと分からない事が多い。使える魔法が増えるというのは、はっきりと前進が確信できる数少ないことだけに、大陸会議も祭壇の探索には力を注いでいるのだった。

 なのであるが、如何せん、強力――だと思われる魔法が習得できる祭壇ほど、実際にその祭壇で魔法を覚えられる者が少ない傾向があった。

 その事も踏まえて、祭壇の探索に当たっている調査隊の規模は、危険な場所が多いこともあってそこそこの人数になっているのだが、数十人いて誰も反応しないことも珍しくないのだった。


「とりあえず、手の空いてる実力者達には一通りは行っておいて貰いたいところだな」

 6つ目と言いつつ、実際に新しく見つかった祭壇で魔法を習得できた者がそれほどいない現状を嘆きつつギンジロウが吐いた言葉に、フライトも溜息を吐いた。

「全くです。折角強力な魔法の祭壇だというのに」

 実際、新たに発見された祭壇の半分以上が攻撃魔法であり、中でも1つは割と強力な雷撃魔法だった。にも関わらず、使えるようになったのが一人だけとか、何の嫌がらせなのかと言いたくなるような状況である。

 ちなみに、解毒と武装強化魔法の祭壇も発見されており、これらはそこそこの人数が習得に成功していた。

「……後はまあ、定期的に大人数を送って覚えられる人間を探すしかないな」

「そうですね」

 そんな具合で祭壇についての話は終わり、また別の案件の報告書にギンジロウは目を通す。

「……冒険者の数がさっぱり増えないな」

「軍の兵士もです」


『魔王降臨』から間もなくは冒険者や兵士になる者がかなりいた。だが、それも最初の一年で激減し、それ以降も微減が続いていた。

 時折ある魔物の襲撃くらいしか魔王の被害は無いに等しく、ぶっちゃけてしまえば平和ぼけが始まっており、そんな中、わざわざ危険な仕事をしようという者は確実に減っていた。

 現実世界への帰還を目指す気運も、『魔王降臨』直後に比べると随分廃れてしまっていた。早めに脱出しないと、現実の自分の身体がどうのこうのという声は未だにあるのだが、大多数の人間は今の状況に慣れきってしまい、現実世界の身体のことなど誰かに言われない限り思い出すことすらない。そこに魔王を倒すまでの道筋がさっぱり見えないという現実も重なり、大半の人間にとって打倒魔王よりも明日の食事の方が大事であるといった状態になってしまっているのだった。


「このままだと、そのうち積極的に戦う者がいなくなりそうだな……」

「他に金を稼ぐ方法を知らない者くらいは残りそうですが?」

「……それ、下手したら犯罪に走りそうな連中ばっかになりそうだな」

 実にイヤな想像に、部屋の空気が明らかに沈んでしまった。

 そんな空気を追い払うべく、ギンジロウは別の話題を持ち出した。

「そう言えば、最近はいろいろ物が増えてきたよな」

「そうですね。この間も、ついに懐中時計が出来たとかニュースになっていましたしね」

「ペンもだいぶまともになってきたしな。最初の頃は酷かったもんな」

『魔王降臨』直後に出回っていたペンを思い出し、ギンジロウは苦笑した。

「紙も悲惨でしたよ。今思えば、よく我慢していたと思います」

 そう言ったフライトも当時を思い出して、ギンジロウと同じように苦笑していた。

「トイレが壊れた時とか、悲惨だったよな」

「水回りは一度壊れたら直らないとまで言われてましたからね」

 ちなみに、流石に今は直せる様になっている。ただし、物が物なのでそれを専門にする者が直して回っているというのが実情であるが。

「その割に、火とか明かりはまだまだだな」

 そう言って、ギンジロウは机の上に置かれた燭台に目を遣った。

 未だに夜の明かりはランプやら燭台に頼っているのである。しかも、ロウは手に入れるのが未だに難しく貴重品。油は質が悪いものしか出回っていなくて、あまりランプを使うと部屋が黒くなると言われていた。

 大陸会議のメンバーでもあるピーコやケイが率いているクランが熱心に研究を重ねており、ロウもそれなりに質の良い油も作れるようにはなってきていた。だが、街の外にはエネミーが彷徨いていることもあって、まだまだ大量生産が出来る状態ではないのだった。

「魔導具の光源の開発はどうなったんでしょう」

「あれはなー……」

 フライトの言葉にそんなものもあったとギンジロウは思い出したが、それを作れそうな人間が一人しかいない。おまけに、彼は目下別のこと――それも後回しにして良いとは言えないようなことに取りかかっていて、開発は中断しているのだ。

「……まあ、早寝早起きでいいんじゃないか?」

 実際、夜の明かりが無いためにそうなってしまっている人間もかなり多い。そんな実情をギンジロウが口にすると、

「私たちはそうはいかないでしょう……?」

 フライトはそう首を振ったのだった。



 ちなみに、朝早くから働いているのは他の大陸会議メンバーも同様である。

 大陸会議直轄軍、キングダム本部。その執務室に軍のトップであるレインはいた。ギンジロウと同じように報告書に目を通しているが、ギンジロウとは違って昨日の積み残しではない。今朝方届けられた報告書だった。

「やはり、メトロポリスはまだまだ乱れているか」

 軍がメトロポリス大陸各地に送り込んでいた強行偵察隊。その中でも始まりの都市の1つ、メトロポリスに送り込んでいた偵察隊からの報告を一読し、レインはそう言った。

 それを聞いたホエールが、レインから投げ渡された報告書を開きながら答える。

「伊達に最大規模の人口を誇ってた訳じゃないってことだね。暴動や食糧不足で沢山死んだり、脱出が相次いだみたいだけど、それでもキングダム大陸の総人口に匹敵する人間が、1つの都市にいるわけだし」

「それなりに派閥は出来てるみたいだがな」

「その派閥と派閥の間で争ってる訳だからね。……ほんと、こっちで良かったよ」

 その言葉に、レインも本気でこっちで良かったとそう思った。

 何しろ、キングダムは少なくとも人間同士での派手な争いは無い。大陸会議という単一の組織の元に管理・統治されているおかげと言えた。――それをなんだかんだで受け入れている住民達のおかげもあるが。

 他方、地続きで無いために全く情報が無いカントリー大陸は知らないが、メトロポリスは荒れに荒れた。

 何しろ、メトロポリスにいた人間の大半は、あくまでも仮想現実を休憩場所やら仕事場所に使っていただけである。設備が整った都市の中しか知らない彼らは、本来科学技術の結晶として生み出される道具の数々が無ければまともに生きていくことなど出来はしない。実際、『魔王降臨』の後、メトロポリスを支えていた設備全てが機能を停止したことで大混乱が起き、食事すら満足に手に入れることが出来ずに餓死する者が続出した。

 それでも何とか生きていけるようになり始めると、今度は幾つもの派閥ができて勢力争いである。メトロポリスにはほとんど武器は出回っていなかったはずなのだが、各国の軍の訓練施設だのには大量に保管されていたのが良くなかった。設備ではなく道具扱いとされる武器の類はその大半が普通に使えたため、それを各派閥が手に入れたことで、争いは悲惨としか言いようのない状態に陥ってしまったのである。

 その争いの中で幾つもの派閥が崩壊したり他の派閥に飲み込まれたりして、多少は派閥の数も減ったらしいのだが、争いは全く減ってないというのだから恐れ入る。

 そんな血みどろな世界を考えると、いろいろ問題を抱えていても、キングダムは平和なのだとレインもホエールも思うのだった。

 ただ、いつまでも他人事ではいられない。かもしれない。

「……しかし、メトロポリスまで手を伸ばすつもりは無いが、最悪の事態は考えておかないといけないな」

「ああ、難民とか?」

 以前から少しずつであるが、メトロポリスからキングダムに非難してくる者たちはいた。ホエールの言葉はそれを念頭に置いてのものである。

 だが、レインは首を振った。

「メトロポリス大陸も狭くはないし、メトロポリス以外にも幾つも農村だの町だのはある。その辺りなら治安もかろうじて維持されているようだし、わざわざ遠いキングダムまで来る必要は無いだろう」

「じゃあ、何?」

「……派閥がはみ出してくる可能性は考えておいた方が良いだろう?」

 レインの言葉に、ホエールも「ああ」と気がつき、すぐさま苦虫を噛み潰したような顔になった。

「それ、実に起きて欲しくない事態だね」

「まあな。……最悪、軍の初めての大規模戦闘が、魔王とか相手じゃなくて同じプレイヤー同士ってこともありうる」

「それ、本当に最悪だよ……」

 だが、そう言いつつもホエールもレインの想像を否定することはしなかった。『魔王降臨』の後、碌でもない悪党を少なからず見てきたためである。

 大多数の人間は問題ない。が、数十万もの人間が集まれば、中には性根が腐りきった者や人を殺すことに何の罪悪感も抱かない者も少なからずいるのだ。

 そういった者たちが主導権を握るようなことがあれば、何があっても驚くには値しないだろう。いや、治安が乱れた状態では往々にしてその手の連中が幅をきかせる。そうなると、いずれ碌でもないことが起きるは確実だった。

「あって欲しくはないが、備えはしておいた方が良さそうだな」

 レインはそう、呟いたのだった。

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