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ジ・アナザー  作者: sularis
第十一章 戦いの日々
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第十一章 第十話 ~戦いが終わって~


「これは……夢でも見ているのか……?」

 ガルドはまだ自分の目が信じられなかった。

 マージンがレックと呼んでいた人影をヒドラが追いかけていった後、ガルドもまたその後を追っていた。

 そして、一部始終を見た。見てしまったのだ。

 熟練したプレイヤーでも十分な装備を人数を揃えて立ち向かい、それでも必ず何人もの犠牲が出る。ヒドラはそんな魔獣だった。伊達に亜竜種と呼ばれているわけではないのだ。

 そんなヒドラの攻撃を剣の一振りでことごとく霧散させ、易々とその首を落とす。挙げ句、たった一人でヒドラを倒してしまう。

 そんな事が出来るプレイヤーがいるとは『魔王降臨』以前ですら聞いた事もなかった。

 だが、現に今、ガルドの目の前では、半分に当たる4本の首を落とされ力なく地面に崩れ落ちたヒドラの死体が、自らが吐いた炎に照らし出されていた。

 その向こうには、地面に座り込んでしまっている青年の姿があった。地面に座り込んでいる様子に大怪我でもしたのかとガルドは心配になったが、圧倒的な強さを見せつけられたせいか、どうにも近寄り難い。

 内心、マージン達がやって来てくれる事を期待していたが、彼は彼で倒れた仲間達の方に行ってしまっていて、暫くは戻ってきそうになかった。

(……くそ。男は度胸だ!)

 暫し逡巡した後、そう腹をくくったガルドはやっと息が落ち着き始めたレックの元へと歩き出した。

「俺はガルドという。この防衛の指揮を執っていた者だ」

 そう名乗ったガルドに対し、既に地面から立ち上がっていたレックも挨拶を返す。

「そう。僕はレック。気づいてるかも知れないけど、マージン達の仲間だよ」

 そう答えが返ってきたことにガルドはホッとした。心のどこかで、返事を返してくる事のない人外ではないかと思っていたのかも知れないが、ガルド自身がそれに気づくことはなかった。

「ああ。彼が君の名前を呼んでいたな」

 ガルドはそう頷くと、既に骸となったヒドラの巨躯を見ながら、

「……まさかこれを一人で倒せる者がいるとは思わなかった。凄まじいものだな」

 そう言って改めて息を吐いた。そうして言わなくてはいけない事があったと思い出し、レックの方へと向きなおった。まだ緊張は残っていたが、さっきほどではない。

「助かった者たちを代表して礼を言う。本当に助かった」

 そう言って深々と頭を下げたガルドに、レックは慌てると、

「いやっ、通りかかっただけだし!っていうか……!!」

 そこで軽く失念していた事をこちらも思い出したらしい。

「そう言えばマージンは!?クライストとディアナは!?」

「あ、ああ。彼らならその辺りの建物の裏に避難していたから、無事のはずだが」

 ガルドの言葉が終わるのも待たずに、レックはヒドラの死体を飛び越えてマージン達の元へと走って行った。

 その後ろ姿を見ていたガルドはふと眉を顰め、目を擦った。

「気のせい、か?」

 レックが飛び越えていった直後、ヒドラの死体が一瞬だけ、ほんのり光った。そう見えたのだった。



「マージン!みんなは無事!?」

「おー、無事やで。そっちももう終わったみたいやな」

 あっという間にマージン達を見つけ出したレックに、何故か厳しい顔をしたマージンが答えた。

 一方、クライストとディアナはまるで幽霊でも見るかのような目でレックを見て固まっていた。

「ほ、本当にレックなのか?」

「そうだけど……」

 もうちょっと感動的な場面を少しばかり期待していたレックは、自分の目が信じられないという風に目を擦っているクライストとディアナの様子に少々不満だった。

 だが、そこで別の事に気づいた。

「ところで、リ……グランスとか他のみんなは?」

「その事やけどな、レック。ちょいと、わいについて来てくれへんか?」

「え?どうして?」

「説明は後や。ちと急がへんとまずいことになるで」

「うわっ!歩く!自分で歩くから!」

 問答無用で自分の手を取って歩き出したマージンに引きずられそうになり、慌ててレックはそう訴えた。

 そして、その場にはその様子を呆然とみていたクライストとディアナだけが残された。



 ヒドラが死んだせいか、町中で燃えていた炎もその勢いをすっかり失っていた。そうして夜の闇に沈み始めた路地裏で、炎を維持する魔術でも使っていたのだろうかと考えながら、レックはマージンの後ろを追いかけていた。

「折角みんなに会えたのに、他のみんなの事も聞く前にどこに行くわけ?」

「ヒドラの騒ぎでそれどころやなかったけど、リリーが行方不明なんや」

 いきなり出てきたリリーの名前に、そして彼女が行方不明という話にレックの心臓は一瞬止まりかけた。

「行方不明って!!」

 そう叫んで掴みかかってきたレックを宥めながら、マージンは先を急ぐ。

「すまん。言い方が悪かったわ。正確には小悪党に攫われたんや」

 それはもっと悪い!と叫びかけたレックだったが、それは何とか踏みとどまり、代わりに無言でマージンに先を促した。

 その視線を感じたからか、あるいは自分のペースなのか、マージンは言葉を続けた。

「さっきヒドラと戦っとる最中に、リリーを抱えてこの辺の建物に入り込む人影を見つけたんや」

「つまり、その建物を襲って、リリーを助け出す訳だね?」

 状況を理解したレックは、状況が分からない事から来る不安は消えていた。だが、別の焦りが生まれていた。

 リリーが悪党に攫われたというのだ。こうしている間にもリリーに危害が加えられたらと考えると、焦らないわけにはいかない。

「ここや」

 だが、幸いな事にクライスト達を置いて歩き始めて2分と経たないうちに、そう言ってマージンが足を止めた。ヒドラが暴れていた辺りからほとんど離れていない。

「対象はおそらく複数や。リリーは……」

 マージンがそこまで言った所で、周囲に轟音が響き渡った。

 もうもうと辺りを覆い尽くす粉塵に、涙を浮かべたマージンが軽く咳き込んだ。

「ま、こうなるとは思っとったけどな」

 木っ端微塵に砕かれた建物の扉の残骸を眺めながらマージンはそう呟き、レックの後を追ってゆっくりと建物へと入っていった。

 一方、マージンの言葉が終わるのを待たずに扉を破壊して建物に突入したレックは、気配が集まっている部屋へと一直線に駆けていた。途中の階段などまとめてすっ飛ばして飛び降りる。そして、瞬く間に目的の部屋へと辿り着き、その扉を蹴破った。

「なんだっ!?」

 ランプしかない薄暗い部屋の中。壁にもたれかかっていた男が叫ぶが、レックの目は部屋の真ん中の床の上に横たえられた人影へと向いていた。

「リリー!!」

 強化された視力で、暗い部屋の中でも横たえられた少女の姿を見まごう事なくとらえたレックはそう叫ぶと、リリーの横で立ち上がったばかりの淡いエメラルドグリーンの髪の男へと殴りかかった。

 避ける間もなくレックの拳に胸をとらえられ、クラッシュは壁へと吹き飛ばされた。

 即死しなかったのは、怒りのあまりレックの身体強化の術式が乱れていたおかげだろう。さもなければ、床の上に横たわるリリーの上に、大量の血しぶきと内臓までもが降りかかっていたに違いない。

 だが、そのたった一発でクラッシュは既に動けなくなっていた。

 不完全とは言え身体強化中の一撃を貰ったのである。防具をいとも簡単に貫通したレックの一撃はクラッシュの肋骨を破砕し、折れた肋骨が肺へと刺さっていた。肺に限らず多大な損傷を受けた激痛故に、衝撃で飛んだ意識がすぐに戻ったのは幸いとは言えないだろう。

 口から血を吐きながら床の上に倒れ伏したクラッシュは激痛故の痙攣を起こしていたが、既に立ち上がる事は出来そうにもなかった。むしろ、放っておけば間もなく息絶えるのは誰の目にも明らかだった。

 そんなクラッシュの様子を見ていたレックは、すぐに視線を足下のリリーへと移した。

 室内にいる残りの男女には関心すら示さない。もし、この時スピードかビビアンが攻撃をしていればいとも簡単にレックに当たっていたであろう。それくらいにレックの意識はリリーへと向いていた。

「……よかった」

 かがみ込んでリリーの呼吸を確かめ、次に怪我の有無と衣装の乱れを確認したレックはそう息を吐いた。大きな怪我は見当たらないし、衣装の乱れも――胸こそ露出させられてしまっているが、致命的なものではなかった。

 レックは怒りとは別の理由で動揺しながらもリリーの服装の乱れを軽く直し、お姫様だっこで抱え上げた。それを見て、やっと状況が把握できつつあったスピードとビビアンが思わず身構えた。

 が、

「……邪魔するな」

 殺気をむき出しにしたレックの一言で、二人とも後ずさってしまっていた。先ほどのクラッシュを倒した一撃と言い、今の殺気と言い、自分たちの手に負える相手ではない。そう理解させられたのだ。

 緊張と恐怖のあまり固まってしまった二人を無視し、レックは急いで部屋を出た。見たところリリーは大丈夫そうだが、やはりここは治癒魔術の使えるマージンかクライストに見て欲しいところだった。

 だが、

「あれ?」

 建物の外に出てきたレックは首を捻った。マージンがいなかったのである。

「……ひょっとして入れ違いになっちゃったかな?」

 そう言いながら今出てきたばかりの建物をレックは見た。が、もう一度入りたいとは思わなかった。何より、リリーを連れて行きたくない。

(まぁ、マージンならあの程度の相手なら大丈夫だろうし、後で謝ればいいか)

 そんなマージンにばれたら薄情者と言われそうな事を考え、レックはクライスト達の元へと戻っていった。



「……はあっ」

 凄まじい威圧感が去り、止まっていた呼吸が再開され、スピードはやっと大きく息を吐いた。反対側の壁際に立っていたビビアンに至っては、力が抜けてしまったのだろう。床の上に座り込んでしまっていた。

 そして少しだけだが余裕を取り戻したスピードは、先ほどまでの事を思い起こしていた。



「はっ!上手くいったぜ!」

 そう言いながら部屋に戻ってきたクラッシュ。その肩には一人の失神した少女が担がれていた。リリーである。――スピード達は名前すら知らないが。

 クラッシュは部屋の真ん中にドサリと少女の身体を下ろした。落とす、ではなかったのは今はまだ怪我をされても後々のお楽しみが減ってしまうからだ。

 そんな理由もあってクラッシュのやることにしては割と丁寧に下ろされた少女は、床に落とされた衝撃で意識が戻る事はなかった。そこそこ強力な麻酔薬によって意識を奪われているのだ。ちょっとやそっとでは目覚める事はない。

 そんな昏々と眠り続ける少女を、欲望に塗れた視線で犯し続けるクラッシュ。そんな彼が今にも少女を犯そうとするのではないかと思ったスピードは口を開いた。

「んで、どうするんだ?ここで早速楽しむってなら、俺たちは席を外すぜ?」

 しかし、スピードにとっては少々意外な事にクラッシュは首を振った。

「下手に楽しむと、何かあった時に動けねーだろ?残念ながら今は本番はお預けさ」

「そんなに厄介か?」

「ったり前だろう?」

 クラッシュの言葉にそれもそうかとスピードは納得した。確かにヒドラが襲撃してきている今の状況は、十分に厄介で危険なのだ。そんな状況で楽しむのは――つまみ食い程度なら兎に角、本格的に楽しむのは無理があった。

 実際、クラッシュとしてはすぐにでも少女を味わいたいはずだったのだが、つまみ食いすら憚られるほど外の状況は悪かった。

 既に窓から見える通りには人はいなかった。だが、広い町でもない。頻繁に轟音や悲鳴が聞こえてくることが、未だに危険な状況が続いている事を教えていた。

(西の門は使えない。東はヒドラだけど一頭ぽっきり。そっちを上手い事やり過ごして東に逃げるしかないな)

 スピードは窓の外を窺いながら、そう考えていた。クラッシュも同じような結論になるだろうことは疑う余地はない。そうなると、今いる建物はあまりよろしくないのは明らかだった。あまりにも西の門に近すぎる。

 だが、

「ヒドラが見えるな……」

 既にヒドラが随分と近づいていた。

 下手に建物から出ればかえって危ない。――建物の中にいてもヒドラの体当たりで建物があっさり崩壊する以上安全ではないのだが、建物が崩れるところまで見ていないスピード達には想像できていなかった。

(さて、どうするかな)

 スピードがそんな風に考えていると、同じように窓の外を窺っていたクラッシュが窓から離れた。アイテムボックスから麻酔薬を取り出して床の上の少女へと近づいていく。

(麻酔をかけ直すつもりか)

 先ほどリリーに当てた矢に塗ってあった分でももう暫く持つだろうが、長くは持たない。いざというときに改めて麻酔をかける時間も取れない可能性を考えるなら、今のうちに麻酔をかけ直しておくべきという判断だろう。

(ついでに少し味見するつもりだろうな)

 少女に近づくクラッシュの醜く欲望に染まった表情を見て、スピードはそう察した。止める気などないが。

 とは言え、クラッシュにとっては残念な事に、味見はすぐに終わる事になった。とりあえず服の上からと、クラッシュがリリーの身体をまさぐっていると、比較的近くから轟音が響いてきた。

「どーした?」

「裏手に回っておいた方が良さそうだぜ?近くでドンパチ始めやがった」

 スピードがそう答えると、クラッシュは舌打ちした。そして窓までやってきて外の様子を確認すると、

「移動するぞ」

 そう言って少女を肩に担いだ。

 窓から見える外では、ヒドラが吐いた炎が次々と建物を飲み込んでいた。それを見て、今いる建物は安全だとは流石に思えなくなってきていたのだ。

 実際、その危惧はすぐに現実のものとなった。

「景気よく燃えてるわねー」

 通りを少し離れた建物の1つに入る直前、後ろから聞こえてきたビビアンの声にスピードが振り返ると、先ほどまでいた建物が炎に包まれたところだった。

「下手に逃げるより、地下室とか探して立てこもっといた方がいーかもな」

 新しい建物に侵入した後、スピードと同じものを見たクラッシュがそうぼやいた。建物を一瞬で火だるまに出来るのだ。何かの拍子に西門がヒドラによって破られれば、あっという間にオオムカデの大群が町を蹂躙する。そんな最悪の可能性をクラッシュは想定していた。

 スピードもそこまでではないが、逃げるのがベストではないような気はしてきていた。建物の中も安全とは言えそうにないが、地下室にまで籠もれば下手に外を彷徨くより安全だろう。

 自分たちの悪運も悪くはないなと思ったのは、今いる建物にお目当ての地下室を見つけたときのことだった。

 大して広くもない部屋に入ると持っていたランプに火を灯して明かりを確保する。そして入り口をしっかりと閉ざしてしまえば万全である。

「半日も待てば十分だと思うか?」

「そんなもんだろーな」

 ヒドラという魔獣の力を考えれば、プレイヤーが勝つにしろヒドラが勝つにしろ、夜明け前には決着がつくはずだった。

 そんな長い時間を何もせずにただひたすら潰すのはそれなりに苦行である。まして、本来ならそろそろ寝る時間なのだ。

 だが、こんな状況で寝るわけにもいかず、スピード達は大人しく起きていた。クラッシュは少女の身体をまさぐって楽しんでいるが、どうにも時間つぶしの感がある。服をはだけさせ、未熟な胸を弄ぶにとどまっていた。

 とは言え、それなりに落ち着けていた。今後の方針を話し合う余裕があるくらいには。

 だが、そんな余裕は一瞬で吹き飛ばされたのだ。

 突如、地下室の扉が吹き飛んだのである。

「リリー!!」

 飛び込んできた人影は少女の名前を呼ぶと、一瞬でクラッシュとの距離を詰め、クラッシュが武器に手を伸ばす間もなく殴り飛ばしていた。

 その結果は、今、スピード達の視線の先にあった。



「……どうするのよ?」

「……あれはもう駄目だな」

 意図的にクラッシュから視線を逸らしつつ、スピードはそうビビアンに答えた。

 むしろ、死にかけているクラッシュの事よりこれからの事である。

 先ほどの青年に間違いなく自分たちも見られた。ぼやぼやしていると軍の生き残り辺りが押し寄せてきて、捕まってしまうかも知れない。

 いや、逃げ出せたところで、賞金首として手配が回るのではないか。

 舌打ちしたいほどに忌々しい未来像しか想像できない。

 そんな事を考えるのに集中していたために、スピードはそれを見逃した。それがスピード達の運命を決めた。

「あ、あれ……何?」

 腕にしがみついてきたビビアンの声に、その指さす方を見るも何も無い。いや、死にかけそのものであるクラッシュがいた。

 とは言え、それしかなかったわけで。

 つまらない事で邪魔された思考を、スピードは再開した。



「リリー!!」

 レックに抱きかかえられたリリーを見つけたクライストとディアナが、そう叫んで駆け寄ってきた。

「これは……乱暴されたのか?」

 レックに抱えられたリリーの服装が大きく乱れているのを見て、ディアナが顔を顰めた。

「多分。触られた程度で済んでるとは思うけど……」

「ふむ。……二人とも、少し後ろを向いておれ」

 リリーを受け取ったディアナの指示に、レックとクライストが揃って回れ右をした。そんな二人の耳に衣擦れの音がする事数秒。

「被害ゼロではないが……まあ、痴漢程度で済んだようじゃな」

 ホッと息を吐くディアナの言葉が聞こえた。

 その内容に、レックも改めて胸を撫で下ろし、

「まだこちらを向くでない!」

 とディアナに叱られた。

 そのディアナはというと、リリーの服を整えながら呼吸や怪我を確認していた。

「ふむ……呼吸は正常。意識を失っておるだけのようじゃが……」

 そう言ってリリーの頬を軽く叩いて目を覚まさない事を確認すると、アイテムボックスから解毒用のポーションを取り出した。

「薬でも盛られておるのかも知れんな」

 そしてものは試しと飲ませてみる。が、リリーが目を覚ます様子はなかった。

「リリーは大丈夫?」

 心配そうに訊いてくるレックに、ディアナは軽く首を振った。

「怪我はないし、意識もすぐに戻るじゃろう。ポーションはまぁ、駄目で元々じゃったしな。問題は……」

 そこで言葉を切った。

 ディアナが心配しているのは、意識を失う前に怖い目に遭わされているかも知れないということである。それによっては、リリーの心にトラウマが出来てしまっているかも知れない。

 そこでこういうときに役に立ちそうな仲間を呼ぼうとして、ディアナはマージンがいない事に気がついた。

「む?マージンは一緒に戻ってきておらぬのか?」

「あ、そう言えば……」

 レックはそう言うと、マージンと入れ違いになってしまったらしい事を簡単に伝えた。

 それを聞いたディアナは軽く溜息を吐くと、

「まぁ、すぐに戻ってくるじゃろう」

 そう言って西門の方へと視線を向けた。

 ヒドラが迫って来た時点で大半の人間が逃げてしまい、もはや誰も残ってはいないそちらは既に静かなものだった。

 だが、確認しておかないといけない事もある。

「オオムカデはどうなっておるじゃろうな」

 そう言うと、クライストとレックに順番に視線を遣った。

「……二人とも素手じゃのう」

 万が一オオムカデと戦闘になった場合、素手ではまずい。が、

「あ、予備の剣はあるよ」

 そう言ってレックが取り出した剣に少しホッとする。が、やはり問題はあった。

 今、西門の外がどうなっているかは想像に難くない。重騎士達はいいだろうが、ヒドラから逃げるために防壁を乗り越えていった冒険者や兵士達の運命は1つしか考えられなかった。

 そんな場面を夜とは言えレックに見せて大丈夫なのか。ディアナが心配したのは、それだった。

 だが、その心配を口にして止めるよりも先に、レックが動いてしまっていた。

「ちょっと西門見てくるよ」

 そう言って駆け出してしまったレックは、ディアナが止める間もなくあっという間に建物の向こうに姿を消してしまっていた。

「やむを得ぬ。クライスト、レックを止めてきてくれぬか?あまり外は見せとうない」

 それだけでディアナの懸念を察したクライストが、「分かった!」と言い残して慌ててレックの後を追っていった。

 その背中を見送りながら、

「はぁ……マージンめ。とっとと帰ってこぬか」

 ディアナはそうぼやいた。



「げふっ……」

 そう血を吐き出したつもりだったが、実際に口から何か出ていった感触はなかった。いや、口で止まってしまったと言うべきか。

 まだ気管が血で完全に詰まるという事にはなっていないが、先ほどから咳が止まらない。尤も、気管が詰まらなくても死ねそうだ。

 身体の状態から先ほどの一撃を思い出し、クラッシュは朦朧としかけていた意識をはっきりさせた。

(あの……野郎!!)

 いきなり部屋に飛び込んできて、自分を殴りつけた青年。

 その顔は薄暗い部屋の中だったというのに、何故かはっきりと覚えている。町ですれ違っただけでも、間違いなく本人だと確信できるほどに。

 そのくそったれは、クラッシュを殴りつけただけでなく、事もあろうに折角の獲物を掻っ攫っていったのだ。実に忌々しい。どのくらい忌々しいかと言えば、このまま死ねないくらいにである。

 部屋の中ではスピードとビビアンがやっと動き出したところだった。

 しかし、二人ともクラッシュの方を見向きもしない。いや、意図的に見る事を避けている。その事が更にクラッシュの機嫌を損ねた。

 だが、何も出来ない。

 なるほど、身体は動いている。しかしそれは単なる断末魔の痙攣に過ぎず、クラッシュの意志で動かす事は出来ていなかった。

 声すら出来ない。

 そして今、呼吸すら満足に出来なくなりつつあった。

(クソ!こんな所で死ねるかよ!!)

 思考だけが、憎悪と妄執に囚われたそれだけが活発に活動するも、ひたすらむなしく空回りするだけだった。いや、このまま手当もされず放置されれば、大した時間もかからずにそれすらも止まるだろう。

 そんなときだった。

『生きたいか?』

 不意にそんな声が聞こえてきた。

 思わず目を見開き声の出所を探ろうとするも、既にまぶたが開いているかどうかすら分からない。それどころか、既に視界が失われ闇に包まれている事に今更気づく有様だった。

 だが、その声はそんなクラッシュの動揺など気にする事はなく、新たな言葉をクラッシュに投げかけてきた。

『憎いか?』

 今度はクラッシュも単に動揺するだけではなかった。

(ああ!憎い、憎いともさ!)

 殴り込んできた青年を、少女の仲間の男を、そして自分を見捨てようとしているスピードとビビアンを脳裏に浮かべ、クラッシュは力強く答えた。

 それに声が満足する気配があった。

 声しかないというのに、おかしな話である。だが、クラッシュは気にならなかった。

『憎悪を晴らすだけの力が欲しいか?』

 そんな、暗闇の中に1つ垂らされた光り輝く糸の様な提案に、是も非もなく頷く。

(ああ!ああ!)

 既に血が抜けて思考力もだいぶ低下していたことも大きいだろう。

『ならば、我を受け入れるか?』

 そんな、普段なら警戒するような提案にもあっさりと頷いてしまう。

(この憎しみを晴らせるというなら!受け入れるさ!)

 クラッシュがそう答えた瞬間、声が声もなく歓喜した。

 そして、次の瞬間、身体の中に何か熱く冷たいモノが入り込んできた。

「っ!?」

 そのあまりの不快感に、クラッシュは先ほどまでの熱が一瞬で冷め、それどころか本能的に拒絶しようとする。

 が、

『もう遅い。お前は頷いた』

 声はそう言って、何ら気にする事なくクラッシュの身体を隅々まで蹂躙していった。

 両手も両足も、ぼろぼろになった内臓も、血が詰まった喉も、そしてクラッシュの頭さえも。

 瀕死の身体がその蹂躙への拒絶反応で大きく跳ねた。

 だが、既に全て遅い。

(あああああああああああ!!!!)

 絶叫するも声にならず、クラッシュはひたすら苦しんでいた。

 が、不快感がフッと消える。

「……今の、何よ?」

「さあな……。もしかして、くたばる直前の痙攣ってやつか?」

 代わりに聞こえてきたのは男女のそんな会話だった。

 その声にはクラッシュも聞き覚えがあった。

(スピード……ビビアン……?)

 そう、脳裏で二人の名前を思い出した瞬間、体中の血が沸騰した。

 閉ざされていた瞼を大きく見開くと、正面に自分を覗き込んできている二人の顔があった。

「「っ!?」」

 既に死んだと思っていたクラッシュが目を見開いた事に驚いたのだろう。驚愕に息を呑む二人の様子に僅かに溜飲を下げつつ、クラッシュは右手を突き出した。

「ごふっ!?」

 空気が漏れる音に僅かに遅れて、生暖かい液体が降りかかってくるのを感じ、クラッシュは唇の端を持ち上げた。

「ああ……いい、いいな!」

 部屋を満たす、自分のモノではない血の臭い。

 そのなんと甘美な事か。

 右手から伝わる痙攣。それが伝えてくる命の断末魔のなんと心地よい事か。

 そして、何が起きているのか理解できず、恐怖に染まった視線を受ける事がこれほどまでに心を満たすとは!

 クラッシュはかつてない充足感に満足しながら、飢えていた。

「もっと。もっとだ!」

 そう叫ぶと、右手の中にあったスピードの心臓を握りつぶす。

 そして左手でビビアンの首をとらえ、床の上に押し倒した。

 地下室に上がる声なき悲鳴。

 それを聞く者はクラッシュしかおらず。

 それどころか、破砕されたはずの扉がいつの間にか部屋を閉ざしている事に気づいたビビアンの顔が絶望に染まった。

 それを見たクラッシュの顔は、ビビアンの知るそれでは既になく。

 直後、部屋のランプが消えた。

 続いて布を引き裂く音と悲鳴が部屋を満たした。

 だが、修復された扉のせいで音は外まで届かない。

 そうして闇の中、絶望の宴が始まったのだった。


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