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ジ・アナザー  作者: sularis
第十一章 戦いの日々
107/204

第十一章 第七話 ~~ヒドラ襲来

「ついに来たか」

 夕食を終え、臨時司令部の入った建物の一室でそれなりにくつろいでいたガルドは、飛び込んできた兵士の報告を聞いて静かにそう言った。

 来て欲しくはなかったが、これでここしばらくのどうにもならない状況が終わると思えば、気分も軽くなる。

 そのはずだった。

 西門の外にオオムカデの大群が群れていると聞くまでは。

「冒険者も兵士もまともに使えないな……」

 相手の数さえ少なければ、腕に覚えのある戦士達ならオオムカデごとき何とでも出来るだろう。だが、数が増えるとそうはいかない。

 あれの毒牙に噛まれようものなら、即座に解毒しなければ命に関わる。無数のオオムカデ相手では例え手練れの戦士と言えども1匹を倒している間に別のオオムカデに噛まれかねず、とてもではないが戦えとは言えなかった。

 幸いなのは、異常に気づいた兵士達がすぐに西門を閉じた事で、オオムカデが町の中に入ってくるまでかなりの時間を稼げるという事だろう。

 だが、放っておく訳にもいかない。

「重騎士達に出撃命令を出せ。俺も出るぞ!」

 重騎士とは総重量50kgにも及ぶフルプレートで全身を固めた騎士の事である。勿論、そんな馬鹿みたいな重量を身に纏って戦える人間など数が知れている。だが、徹底的に防御力を重視した重騎士は仲間達を守る盾として、少数ながらどこの部隊にも配属されていた。

 言わずもがな、今回の掃討戦においてもたった10名であるが重騎士が配備されていた。そんな彼らの鎧であれば問題なくオオムカデの毒牙を防ぐ事が出来るのだ。

 オオムカデの最大の武器は巨大な毒牙であるが、言ってしまえば他にまともな武器はない。つまり、重騎士達ほどオオムカデの大群に立ち向かわせるのに適した戦力はないと言えた。

 ただ、たった10人では戦闘終了までいつまでかかるか分からない。ガルドが自分も出ると言った理由はそこにあった。

 ガルドは即座に部屋の片隅に安置しておいたフルプレートに身を固め、バスタードソードを二振り手に持って建物の外に出た。

「お前は残りの連中の指揮を執って、町に潜り込んだオオムカデを狩れ。宿にいる冒険者たちも使えるのは片っ端から使え」

 途中で合流した参謀役にそう言い捨てて、ガチャガチャと鎧を鳴らしながら集まってきた重騎士達を目の前に、さあ出発だとガルドは息巻いた。

 その時だった。

 耳をつんざくような轟音が響き渡った。

「なんだっ!?」

 思わず両手を耳に当てようとしてプレートヘルムのせいで失敗したガルドは、ヘルメットの中で顔を顰めながらそう怒鳴った。

「分かりません!いや……なんだあれは!?」

 ヘルメットで視界を制限されていたガルドよりも早く、轟音の出所を突き止めた参謀役がそう叫んだ。

 一息遅れてガルドもそれを見た。

「……なんだ、あれは」

 ごうっと燃え上がった炎。その向こうに、一階建てとは言え建物の屋根より高くまで持ち上げられた幾つもの蛇の頭のような影が見え隠れしていた。

 轟音から一息遅れて、あちこちの建物から冒険者や兵士達も飛び出してきた。ガルド達がいた掃討戦司令部の建物からも兵士達が次々と飛び出してきては、燃えさかる炎とその向こうで蠢くそれを見て動きを止めた。

「まさか……ヒドラ!?」

 暫し呆然としていた参謀役がその正体に思い至ったらしい。

「ヒドラだと!?いや、それよりあれが本命か!」

 参謀役に叫びを聞き、それの正体を知ったガルドはしかしすぐに別の問題に思い当たった。

 今回掃討戦に連れてきた兵力では、あんな化け物相手ではまともに戦う事は厳しい。いや、ほとんど無理と言っていい。

 となると逃げるしかないのだが、無数のオオムカデが集まっているという西門は使えない。

 そこまで考えた時、周囲が一気に明るくなった。

 咆哮と共にヒドラが炎を吐いたのだ。

 それを見た者たちが一斉に悲鳴を上げながらヒドラの反対側、西門の方へと逃げ出した。

「待て!西門も危険だ!」

 ガルドがそう叫ぶも、恐怖に駆られた群衆の耳にその忠告は届かなかった。

 ガルドは舌打ちすると、かろうじてその場に踏みとどまっていた兵士達に命令を下す。

「今すぐ西門に行って封鎖しろ!あそこを開け放たれるとオオムカデが町の中まで入ってくるぞ!」

 その言葉の意味を理解した兵士達の顔が一斉に青ざめ、敬礼する間も惜しんで逃げ出した者たちの後を追いかけた。

 それを見送る事すらせず、ガルドは司令部の入り口へと視線を向けた。そこには中途半場に装備に身を包んだ重騎士達がわらわらと出てきていた。

 そんな彼らにガルドは大声で叫んだ。そうしなければ、ヒドラから逃げる冒険者や兵士達の悲鳴で命令が聞こえないのだ。

「装備をきっちりしてから西門に向かえ!予定通り重騎士はオオムカデ退治だ!」

「はっ!!」

 周囲の混乱に戸惑っていた重騎士達は更にヒドラの姿を見て戸惑っていたが、ガルドからの命令に整然と西門へと向かった。

 それを見送ったガルドは参謀役へと振り返って怒鳴る。

「東門はどうなってる!?」

「エネミーの影は見当たらないようです」

 既に端末を操作してクランチャットで状況を確認していたらしい参謀役は、即座に答えた。

「そっちから逃げた方が良いと思うか?」

 ガルドの問いかけに参謀役は首を振った。

「今更あっちに向かえと言って向かう人間はいないでしょう。少なくとも冷静さを取り戻すまでは無理です。それに東門はヒドラが壁を破った時の衝撃で歪んだらしく、開かなくなってしまったようです」

 その最悪と言ってもいい報告に、ガルドは舌打ちしかけ、ある事に気づいた。

「……被害はどのくらい出ていると思う?」

 その視線の先では逃げ遅れた冒険者らしき人影がヒドラに咥えあげられ、悲鳴を上げていた。その先を見るに忍びず、ガルドは視線を逸らした。

「……あれで数人ということはないはずです」

「おかしいと思わないか?」

 その問いかけに対する参謀役の答えはなかった。

 確かにおかしいのだ。

 魔物の襲撃の特徴として、死人の数があまり多くない事が挙げられる。防衛側の戦力が明らかに不足していて魔物によって町が蹂躙されてもおかしくない時ですら、10人以上の被害が出る事は稀なのだ。

 つまり、いつも通りならこれ以上被害が広がる事はない。そのはずなのだ。だが、現実にはヒドラは炎を吐きながら、また別の首で建物の中で震えていた者を引きずり出していた。

「……最悪の事態を考えるべき、ということでしょう」

 参謀役が絞り出した答えに、ガルドは無言で頷いた。

「一度西門まで退く。そこでヒドラの足止め役を集めるぞ。あのペースで蹂躙されたら、オオムカデを殲滅する時間が足りないからな!」



 数分後、西門周辺で起きていた騒ぎを力尽くで鎮圧したガルド達は、無理矢理大人しくさせた冒険者や兵士達を相手に作戦の説明を行っていた。

「要するに、あのデカブツの足止めをせなあかんってことかいな」

「西門の外がオオムカデの群れってんじゃな」

 ガルドの説明を聞き終わり、クライストが苦々しげにそう言った。

 クライスト達の周囲には「ふざけんな!」「死ねってのか!」などと騒いでいる者もいるのだが、大半の者はイヤでも状況を把握したのか黙り込んでいた。

 ヒドラに立ち向かって勝てるとは思えない。それどころか、足止めですら命がけである。

 かといって西門から外に出る事も出来ない。先ほど出て行った重騎士達ならいざ知らず、今ここにいる者たちが西門の外に出ようものなら1分と生きてはいられまい。

 とは言え、ここで何もせずにいたなら、10分と経たずにヒドラがここまでやって来て自分たちは全滅する。

 まさしく八方塞がりの状況に、文句を言う事もヤジを飛ばす事もできないのだった。

「ヒドラとオオムカデの群れのう……どちらの方がマシなのじゃろうな」

「あたしはどっちもイヤだけど……」

 ディアナとリリーもそんな事を話している。端から聞いているとどっちと戦うかではなく、どっちに殺されるかにも聞こえかねない真っ暗な会話だった。

 それでも動かないわけにはいかない。何もしない時間が長ければ長いだけ、事態の打開が困難になるのだ。

「わいはヒドラの足止めに行くで。何もせんわけにはいかへんし」

 悩んでいたクライスト達の中で、一息早くマージンがそう言った。それを皮切りに仲間達も心を決めた。

「……行くしかねぇか」

 クライストがそう呟き、

「私も行こう」

 ディアナがそう言い、

「あ、ディアナはヒドラはなしで」

 マージンがそれを断った。

 一瞬、マージンが何を言ったのか理解できずにクライスト達の動きが止まった。

「どういうことじゃ!?」

 すぐに再起動したディアナが詰め寄るも、マージンは「どうどう」と宥めながら説明する。

「ディアナは壁の上からオオムカデの群れに火球を撃ち込んだ方がええと思うんや。ヒドラの相手なんて所詮時間稼ぎやろ?どうせならオオムカデの数を減らして、稼がなあかん時間を短くした方がええと思わへんか?」

 至極尤もな意見に、仲間達はハッとしたように動きを止めていた。

「それじゃあたしも!」

 そうリリーが自分もオオムカデを倒すと言い出したが、これには仲間達全員が微妙な顔をした。

「リリーのは水が切れたらアウトだろ?」

 つまりはあまり役に立たないと思っているのだった。

「もうっ!そんなことないんだからね!」

 そう言ってふくれるリリーに温かい視線を送りつつ、しかしリリーがディアナと一緒に行動する事には、仲間達は反対しなかった。

「わいとクライストがヒドラの方に行っとる間、リリーを一人にするわけにはいかんやろ」

 と言うわけである。

「マージン、無茶しないでよ?」

「分ーっとる。死ぬつもりはさらさらあらへんよ」

 別行動に移る前、リリーに心配されたマージンは妙に自信満々にそう答えた。が、それでもリリーの不安はなくならない。

「絶対だよ?絶対だよ?」

 そう言ってマージンにまとわりつくリリーを横から見ていたクライストとディアナは、この緊急事態にもかかわらず柔らかい笑みを浮かべていた。

「ま、お互い無理はしないようにしようぜ」

「無理をしないのを優先して死んだら身も蓋もないがの」

「その時はまた別さ」

 そう言葉を交わしたクライストとディアナは、マージンとリリーを連れてそれぞれの目的の相手の元へと向かった。



「なるほど。確かにそれはとても助かります」

 ディアナが防壁の上からオオムカデたちに火球を連発するという作戦を聞かされた参謀役は、そう答えた。その表情が僅かにだが緩んだのは気のせいではないだろう。

「それでは護衛の兵士をつけますので、早速始めてください。重騎士達にだけは気をつけてくださいね」

「うむ。分かっておる」

「あたしもついてるから大丈夫だよ」

 ディアナが頷いた横で自信満々にリリーが胸を張った。が、『魔王降臨』以降にいろいろな意味で身体が成長した者も多かった中、さっぱり成長した気配のない――つまりは未だに子供っぽいリリーの外見では、周りに安心感を与えるにはほど遠かった。

 そんなわけで、参謀役は隣に控えて話を聞いていた兵士にディアナの護衛につくように命じた。

「よろしくお願いします!」

「うむ。私も死にたくはないからのう。全力を尽くそう」

 そう言ってディアナは兵士を連れ、壁へと向かっていった。その後を、半ば無視された形になったリリーが追いかけていった。

「ちょっと!あたしは!あたしもいるってば!」

 そしてディアナとリリー、それに護衛の兵士はすぐに防壁に着いた。元々西門の側に集まっていたのだから当然ではある。

「様子を見に来たのか?」

 4mほどの高さの防壁の上で外の様子を窺っていた兵士が、ディアナ達についてきた兵士に気づいて声をかけてきた。

「ちょっと違うんだけど、とりあえず上がって良いか?」

「この様子を見て今更そんな事訊くだけ野暮だろ」

 護衛の兵士に防壁の上からそう答えた兵士の左右には、既に何人もの兵士や冒険者たちがずらりと並んでいた。その顔色はいずれもあまり良くない。自分たちの目で様子を確かめたいと防壁の上に上がったはいいが、そこに広がるオオムカデの大群というどうにもならない光景に青ざめていたのだった。

「それじゃ……どうぞ」

「うむ」

 護衛の兵士に短くそう答えると、ディアナが梯子に手をかけて登り始めた。続いてリリー。最後が護衛の兵士である。

 てっきり護衛の兵士だけが上ってくると思っていた防壁の上の兵士は一瞬何事か言いかけたが、今更かと結局口をつぐむ事にした。

「意外に幅があるのう」

 思っていたよりも厚みがある防壁にディアナがそんな感想を漏らした。壁と言うから大した厚みを想像していなかったのだが、実際に上ってみると1mほどの厚みがあったのだ。門をくぐり抜ける時によく見ていれば今更こんな感想は出なかったのだろうが、ここにそんな突っ込みを入れる人間はいなかった。

 何人かの兵士や冒険者が新しく防壁に上がってきたディアナ達に一瞬視線を送ったが、すぐに視線を足下へと戻していた。壁を上ってこようとするオオムカデがおり、時折足下まで上るのに成功するオオムカデを切り払っているのだった。

 一方のリリーはと言うと、防壁の外のあまりの光景に思いっきりイヤそうに顔を顰めていた。

「気持ち悪い……」

 体長数mにもなるオオムカデ。一匹だけでも虫が苦手な人間にとってはきついのだが、それが防壁から100m以上離れた地面までをも埋め尽くすほどにうぞうぞと群れている様は軽く想像を超えるものがあった。今は夜で、月明かりでしか見る事が出来ないのは幸いだと言えるだろう。

 ただ、その中でオオムカデにたかられながらも斧だの大剣だのを振り回し、オオムカデを着実に仕留めていく人影も幾つかあった。ガルドの命令でオオムカデの駆逐にあたっている重騎士達である。

 だが、所詮はたった10人。それもオオムカデに動きを妨げられながらである。大群を全滅させるまでにはかなりの時間がかかりそうだった。

「何発撃てるか分からぬが……やるしかないようじゃな」

「そーだね。ってゆーか、さっさとやっちゃって!」

「うむ」

 リリーの願望混じりの言葉にディアナは力強く頷いた。

 そして大きく息を吸うと呪文の詠唱を開始する。

「原初なる力 全ての源 始まりの(たね)よ……」

 その朗々たる詠唱に何も聞かされていなかった兵士や冒険者たちが一斉にざわつき始めた。

「まさか……魔法か!?」

「魔法使いなんていたのか!」

 そんな期待に溢れる視線の中、ディアナは呪文の詠唱を完成させた。

 遙か後方のヒドラの目を引きつけたりしないために、頭上ではなく正面に作り出した直径1mほどの火球をディアナは重騎士達がいないところを狙って撃ち込んだ。

 撃ち込まれた火球は着弾地点周辺にいたオオムカデ数匹を燃え上がらせた。焼かれたオオムカデたちはあまりの苦しみに悶え、自らの口にあたった他のオオムカデたちの身体に噛みつき、食い破る。

「おおおお!!!」

 煌々とした火球の炎に照らし出されたその光景を見ていた兵士や冒険者たちから歓喜の声が上がった。

 一方、火球を放って直接間接あわせて10匹を超えるオオムカデを仕留めたディアナは、自らの調子を確認していた。

「あと数発は撃てそうじゃな」

 それを聞きつけた護衛の兵士が不安そうな顔になった。

「それで全滅させられますか?」

「無理じゃな。そもそもそんな事をしようとするなら、あそこで戦っておる彼らまで巻き込む事になるしのう」

 尤もな台詞に兵士は何も言えなかった。

「まあ、数はそれなりに削れるじゃろう。3~4割でも削れれば、彼らの仕事もそれだけ早く終わるはずじゃ」

 ディアナはそう言うと再び呪文の詠唱を開始した。

 それを聞いた兵士はまだ絶望のどん底に突き落とされたような顔をしていたが、望みはまだあるのだと思い直したのだろう。地面を埋め尽くしているオオムカデたちを睨み付けた。



 一方、マージンとクライストは、ガルドの元に集まった兵士や冒険者たちに混じっていた。とは言え、その数は多いとは言えない。フォストには冒険者と兵士をあわせれば500人前後はいたはずなのだが、ガルドの元に集まったのは20人にも満たなかったのだ。

 ただ、それでも集まった方だとも言える。

「思ったより勇敢なヤツが多かったみたいだな」

 集まった者たちを前にして、ガルドはそう言った。彼の予想では10人も集まれば良い方だったのだ。例え上官の命令に従うように鍛えられてきた軍の兵士達と言えども、元は単なる一般人であり、今迫ってきている脅威――ヒドラに対して勝ち目も見えないのに立ち向かうのは難しい。

 だが、実際にはガルドの予想の倍の人数が集まった。その事にガルドは内心驚いていたのだった。

 とは言え、いつまでも驚いているわけにもいかない。

「集まってくれて助かる。もう一度確認しておくが、あくまで俺たちの仕事はヒドラの足止めだ。言ってしまえば、気を惹く事さえできればヒドラに攻撃を仕掛ける必要すらない」

 そのガルドの言葉を集まった者たちは静かに聞いていた。

「勿論、ヒドラの注意を惹くために多少は攻撃を仕掛けなくてはならないだろう。無理をするなと言いたいが、無理をしなくてはこの難局は乗り越えられないだろう」

 ガルドはそこで言葉を切った。そして次に言うべき言葉を悩んだ末に決めた。

「お前達の命を、俺にくれ。頼む」

 その言葉に対する反応はまちまちだった。だが、今更ヒドラの相手はイヤだと逃げ出す者もいなかった。

「済まないな。……では、行くぞ!」

 ガルドのその掛け声を合図に、20人の勇者達は町の中程まで進んできたヒドラへと向かって走り出した。

 ガルドとしては出来れば作戦くらいは立てたいところだったが、既にそんな事に時間を割ける余裕は残っていなかった。獲物がフォストの西に集まっていると察したヒドラはフォストの中央通りをまっすぐ動き始めていて、放っておけば10分もしないうちに西門がヒドラの炎の射程に入ってしまうのだ。

 尤も、馬鹿正直に正面からぶつかる気などない。

「建物を盾にして近づけ!近接組は無理に近づくな!気を引ければそれで良い!」

 戦士達の先頭を走りながら、ガルドはそう叫んだ。

 その言葉通り、全員が全員、建物を盾にするように建物の影をヒドラの元へと走って行く。

 獲物がいなくてはその気にならないのか、町に入ってすぐのところでは炎を吐き回っていたヒドラも町の中程ではまだ炎を吐いていなかった。おかげで辺りは明るいとは言い難かったが、ヒドラから見えにくくなる事を考えれば都合が良いと言えた。

 だが、ヒドラに近づくにつれ、ガルド達はヒドラの巨大さを実感していた。

 建物の隙間から見えるだけだが、体高は3m以上はある。そこから合計7本もの首が生えていた。一本一本の首は太さが1m、長さも5~6mはあるだろう。

 そんな首の先には竜の眷属と認められるに足る頭部が鎮座している。口の中に見え隠れする鋭く尖った円錐状の牙は、人の握り拳よりも大きさを誇っている。そして蛇のような巨大な眼球の少し後ろからは左右一本ずつ、一対の角が突き出していた。

 そんな頭と首が生えている胴体を支える足も丸太など比べものにならないほど太く、力強かった。ただ、重量を支える事に特化した分、移動力を犠牲にしたのだろう。足の長さは1mほどしかなかった。

 一方、あまり使われていないが胴体の後ろからは太い尾が伸びていた。

 はっきり言って、見れば見るほどに勝ち目が見えない相手にヒドラへと向かってきた戦士達は心がくじけそうになっていた。

 それでも、ヒドラを止めなくては後がないのだ。自分たちにそう言い聞かせ、ヒドラへの攻撃が始まった。

 最初にヒドラへの攻撃を始めたのは、ガルドが叫んだとおりに弓を持った冒険者や兵士たちだった。建物の隙間から次々と矢を射かける。

 だが、その矢はいとも簡単にヒドラの強靱な鱗に弾き返され、何のダメージも与える事が出来なかった。

 それでもヒドラの気を惹く事は出来ていた。

 矢を射かけられた事で餌がいる事を認識したヒドラの首の1つが大きく動き、その瞳に建物の間にいる冒険者たちを捕らえた。

「!!!」

 即座に建物を盾にして逃げ始める冒険者たち。

 一息遅れてヒドラが吐き出した炎が建物の隙間から吹き出し、冒険者たちの背中を煌々と照らし出した。

「あの炎は脅威やな」

 その様子を見て呟いたマージンに、クライストが叫ぶ。

「呑気な事言ってないで、逃げるぞ!」

 そしてその場を二人が離れた直後、盾にしていた建物が轟音と共に崩れ去り、その場に現れたヒドラの頭が周囲を見回した。

「来てみたのはいいけどよ、あれ相手になんか出来るのか!?」

「まー、気を惹いとけば建物壊しながらこの辺を彷徨いてくれるやろ」

「その前に火の海になったら逃げられねぇよ!」

「その辺はぼちぼちやろな」

 そう話しながら走っていた二人は、町の中央通りに飛び出していた。獲物が建物の影をうろちょろしている事に気づいたヒドラはその辺の建物の隙間に突っ込んでいっており、中央通りの方が安全な状況になっていた。

 他の冒険者や兵士達も、ヒドラの正面から逃げて次々と中央通りに飛び出してくる。

 そんな中、マージンはあるものに注目していた。

「とりあえず、あのしっぽくらいは斬れへんかな?」

 その言葉に通りに集まってきていた冒険者たちの視線は、十数m先で建物の間からにょっきりと飛び出しているヒドラのしっぽに集中した。

 しかし、

「足止めの役には立ちそうにないよな」

「でも少しくらいダメージ与えたいところだぜ?」

「そうは言っても、首がぐるって振り返ったらアウトだぞ」

 結局危ない橋は渡らないということで、誰も攻撃を仕掛けようとはしない。しっぽにダメージを与えたところで、ヒドラの首の1つが振り返って炎を吐かれたら自分たちが終わりなのである。

 だが、それも身体強化を使えなければの話だった。

「試しに一発入れてくるか」

「そやな」

 幸い、ヒドラはパワーこそ洒落にならないが速さはそれほどでもない。一撃だけ入れてすぐに逃げれば何とかなるだろうと、クライストとマージンは駆け出した。

「お前達は先に隠れとけ!」

 他の冒険者たちにそう言い残す事も忘れない。

 そうしてヒドラの後ろを取った二人は、まずはマージンが大剣を振りかぶり、丸太ほどもあるヒドラのしっぽへと撃ち込んだ。

 が、

「なんちゅー硬さや!」

 マージンが叫んだ。

 鱗が割れ、大剣が肉に多少は食い込んだものの断ち切るにはほど遠かったのだ。

「こっちも駄目だ!」

 体重をかけて殴りつけたクライストも、鱗にヒビを入れるのがやっとだったと叫んだ。

 それを合図に二人は東へと逃げ始めた。しっぽに痛みを感じたヒドラの首が一斉に後ろを振り返ろうと動き出していたのだ。

 実際、二人が逃げ出して数秒もしないうちに、ヒドラのしっぽの辺りは激しい炎に包まれた。

 しっぽを傷つけられ怒ったのか、ヒドラは幾つもある首で咆哮すると、入り込んでいた路地からゆっくりと抜け出した。路地の両隣の建物はそのままあっさりと崩れ落ちていく。

 そして中央通りに戻ったヒドラは、地響きを立てながらクライスト達を追いかけ始めた。

「流石に自分の炎じゃダメージないんだろうな、あれは!」

「そーやないと、ここに来るまでに自分の炎でこんがり焼かれとるわ」

 ヒドラはその体躯の割に足が短いだけあって、移動速度ははっきり言ってかなり遅い。おかげでクライストもマージンも悠々と逃げる事が出来ている。のだが、

「それより、そろそろ方向変えへんとまずいで」

 二人の行く手には炎が迫っていた。町に突入してきたヒドラが吐き回った炎がまだ消えていなかった。

「そうだな。左右に分かれるか?」

 ヒドラの足が遅く、思った以上に余裕があるためか、クライストがそう提案した。

「そやな。倒すのは無理そうやけど、町のこっち側で適当に連れ回しとったらかなり時間も稼げそうや」

「じゃあ、俺は左に行くぜ」

「わいは右やな」

 そう言って一度後ろを振り返った。すぐに建物の影に散開しても良いのだが、二人を見失ったヒドラがどう行動するか分からないため、少しだけ待つつもりなのである。

 尤も、その必要はすぐになくなった。

 オオオオオオオォォォォォォ!!!

 ヒドラが再び咆哮し、いくつかの首が天へと向かって炎を吐き出した。

「なんだ!?」

 突然の事に目を見開いた二人は、ヒドラのしっぽから誰かが急いで逃げていくのに気がついた。

「わいらやないけど、無茶するんがおるんやな」

「だな!」

 新たにしっぽを傷つけられたヒドラは、新しく傷を付けたその人影に向かって炎を吐き出していた。

 だが、いくつかの首はクライスト達の方を向いたままである。ただ、不思議とどっちにも動き出さないヒドラの様子に、マージンがいきなり笑い出した。

「頭同士でどっち行くかで喧嘩しとるな、あれは」

 一息遅れてその意味を理解したクライストも、こんな時にもかかわらず呆れを隠せなかった。

「それは生き物としてどーなんだよ……」

「考えたら負けや」

 そう言ってあっはっはとマージンが笑ったのが良くなかったらしい。

 笑い声を気に入ったのか、後ろを向いていた首もマージンの笑い声を聞きつけて再び前を向いた。

「……マージン、逃げるぞ」

 溜息を吐きそうになりながらも、クライストはそう言った。

「……そやな。すまん」

 ヘマをした自覚があったのか、マージンも素直に頭を下げた。

 そして、ヒドラが動き出したのを確認すると、先ほどの打ち合わせ通りにクライストとマージンは散開した。

 二人の姿が左右の建物影に消えた事で、再びヒドラの足が止まる。が、何もしないわけではなかった。左に3つ、右に4つの頭が向き、僅かなための後、それらの口から一斉に炎が吐き出されたのだ。


「うわっ!建物の影でも安心できねぇな!」

 路地から吹き出してきた炎を避けながら、クライストが叫んだ。辺りが暗いため、炎が吹き出す寸前に周囲が明るくなる。おかげで不意をうたれる事は無かったが、ここまで届く炎の大きさに背筋が冷えた。

「様子を見るのも……無理だろうな」

 下手に路地に入った所に炎を吹き込まれてしまえば、逃げる事も出来ずに焼け死ぬのが容易に想像できる。ならば、さっさと距離を取るのが吉と、クライストは走り出した。


 一方のマージンはと言うと、炎を吐きまくっているヒドラから少し離れた建物の屋根の上に上がり込んでいた。

「おーおー……見事に燃えとるな」

 ヒドラに見つからないように身体だけは伏せたまま、ちらりと東門の方へと視線をやった。そしてすぐに視線を西門の方へと移し、そこにディアナが生み出した火球の明かりを認めると、「ふむ」と独りごちた。

 それから、やっと動き出したヒドラが通りのこちら側の建物に突っ込んで崩壊させたのを見ながら、

「逃げ回れるっちゅーのは楽でええな。まあ、逃げとるだけやと十分時間稼げへんし、逃げっぱなしもできへんけどな」

 そう言って、ヒドラがまたしても中央通りから外れたのを確認すると、その中央通りへと飛び降りた。


 一方、クライスト達を追いかけていたヒドラのしっぽに切りつけたガルドは、クライスト達がちゃんと逃げている事を確認し、一息吐いていた。

「まあ……さっきの一発は余計だったみたいだな……」

 無謀な冒険者が余計な事をしてヒドラに追われているのだと思ってヒドラに切りつけたガルドだったが、実は蒼い月の二人がヒドラを誘導していただけとすぐに気づき、少しばかり反省していた。

 だが、結局は蒼い月の二人の思惑通りにヒドラが東へと移動していった事で、これで大きく時間を稼げると安堵したのである。

 そんなガルドの元に一人の兵士が駆けてきた。あとどのくらい時間を稼げば良いのか、確認に向かわせた兵士である。

「オオムカデを全滅させるまであと20分はかかる見込みです」

 その報告を聞き、ガルドや周囲にいた者たちは苦虫を噛み潰したような顔になった。

 確かにヒドラが逆走してくれたおかげでかなりの時間を稼げそうである。だが、盾にする建物は次々とヒドラの体当たりで崩され、あるいは炎に飲まれている。盾に出来る建物がなくなってしまえば、今、クライスト達がやっているような時間稼ぎも難しくなるだろう。いや、そもそもヒドラが片っ端から建物を潰して回ってくれる保証すらない。

 その事を認識したガルドの頭の中では、最悪のケースへの対応が浮かんでくる。

 あまりに人として冷たすぎるその対応を、ガルドはすぐに頭を振って追い払った。だが、退き時を見極める事が出来なければ、その対応すら取る事が出来なくなってしまう。

 その事だけはガルドの頭の片隅に残っていた。


「マージン、無事だったか!」

「勿論や。ゆーても、建物はもうぼろぼろやけどな」

 クライストと中央通りで合流したマージンは、そう言うとヒドラが暴れている方へと視線をやった。

 既にフォストの3分の1近い区域で建物が崩れ、炎に包まれていた。おかげで、町の中で暴れているのがヒドラ一頭だけという事態にもかかわらず、町の東側からヒドラを避けて逃げ出すのは困難な状況に陥っていた。

「残りの建物を使い潰すんなら、あと10分くらいは持ちそうやけどな」

「10分でオオムカデを倒し終わると思うか?」

「無理やろな。ディアナが加勢しとるからかなり数は減らせるやろうけど、最後は結局近接でちまちまやってくしかあらへん」

「くそっ……」

 クライストはそう舌打ちしたが、それでどうにかなる状況でもなかった。

 そこに兵士や冒険者たちを引き連れたガルドがやって来た。

「怪我はないか?」

「いちおーな。ってか、あれの直撃喰ろうたら、一気に致命傷っぽいけどな」

「それもそうだな」

 ガルドはそう言うと、マージン達が身を隠していた建物の影からヒドラの様子を窺った。

「……足止めには成功した、と見て良いか?」

 建物を壊して中を漁っているヒドラの様子に、ガルドが呟いた。

「少しだけならな。何もないって分かったら、すぐにでもこっちに向かってくるやろな」

 実際、既にいくつかの頭は建物の中を漁る事を止め、西門の方へと向いていた。残りの頭が建物に興味を無くせば、すぐにでもヒドラが歩き出すのは目に見えていた。

 だが、そんなヒドラの様子を見ながら、ガルドはちょっとした作戦を思いついていた。

「建物1つ1つをいちいち漁らせるのは、悪くなさそうだな」

 上手くいくかどうかは分からない。だが、あまりの火力に迂闊に近づけず、既に手詰まりになりかけていたのだ。ダメ元でやってみる価値はあった。

 だが、

「建物の中から攻撃を仕掛けたらどうなると思う?」

「まあ、漁るやろな。途中で炎を吐きそうやけど」

「……逃げる間はあると思うか?」

「いきなり炎を吐かれたら無理かも知れねぇな」

 マージンとクライストから返ってきた言葉に、ガルドは歯ぎしりした。つまり、この作戦は上手くかもしれないが、確実に死人が出るという事だからだ。

 そんなガルドに、クライストが質問をぶつけた。

「で、あとどのくらい時間を稼がないといけねぇんだ?」

「20分です」

 ガルドの代わりに伝令の兵士が答えたが、その答えはクライストの顔をしかめさせるに十分なものだった。

「……いっその事、防壁に梯子をかけて登った方が早いんじゃねぇか?」

「ヒドラから十分距離がある場所だと、防壁の外に何匹かはオオムカデが彷徨いてる状況だ。無理だろうな」

 歯ぎしりを止めたガルドがそう答えた。

「かといって、オオムカデがいないような所はヒドラの目についてしまう。やはり、オオムカデの数が十分減るまで時間を稼ぐしかない」

 そうガルドが言い切った時、ヒドラの様子を窺っていた冒険者の一人が声を上げた。

「ヒドラが動き出したぞ!」

 それに舌打ちしつつも、ガルドが指示を出した。

「建物の裏手からどんどん攻撃を仕掛けるんだ!せめて裏通りや路地裏に注意を向けさせて時間を稼ぐぞ!」



 参謀役は考えていた。本当にこれで良かったのかと。

 時間が出来た今になって考えてみれば、取り得るべき方策はいくつかあった。

 1つめはヒドラと真っ正面から戦って討ち取る方法である。実際、フォストにいる全戦力を投入すれば、ヒドラは勝てるかもしれない相手である。

(でも、それはあまりに被害が大きい……)

 ゲームだった時ならば、例え味方が何人死のうとも一人でも生き残っていれば勝ちだと言えた。だが、今は一人でも多く生かさないといけない。死ぬ事前提で突っ込めなどとは到底言えなかった。

 そもそも、それでも勝てるかどうか分からない以上、良い方法とは言えなかった。

 2つめは逃げられる者だけ逃がす方法だった。

 東門が壊れ、西門も開けるわけにはいかないとは言え、梯子を使って防壁を乗り越える事は不可能ではない。フォストの周辺をオオムカデが包囲しているとは言え、西側だけである。

 防壁を乗り越える場所がヒドラに近くなってしまうが、それでも確実に何十人かは逃がす事が出来るはずだった。

(もっとも、後味が悪すぎるんだが……)

 それに自分たちだけ逃げるなど、日本人の性格には合わないだろう。そうでなくとも、逃げたら逃げたで後から責められるのも目に見えていた。

 3つめはまさしく今やっている方法――オオムカデを一掃し、西門から逃げるというものだ。実のところ、上手くいけば全員が助かるが、失敗すれば全滅の憂き目を見る。しかも、失敗する確率の方が高かった。愚策と言ってもいいのである。

 だが、

(そもそも選択する余裕がなかったか……?)

 考えてみれば、ヒドラのせいでパニックが起きた時点で統制の取れた戦闘などもはや望むべくもなかった。

 そもそも、訓練された軍の兵士といえど、生き残れる可能性を感じ取れない状況でも戦う訓練などしていない。ヒドラを相手に立ち向かえと命じたところで、逃げ出す兵士が続出するのは目に見えていた。

 結局、ヒドラを何とか食い止めつつ、その間にオオムカデを一掃して西門から全員で逃げる。分の悪い賭しか出来ないのだった。



「くそっ!俺たちが足止めって事に気づかれたか!?」

 誰かが叫んだ。

 それにまた誰かの叫び声が返す。

「いや!西門に集まってる連中に気づかれた!」

 何とか被害も出さずにヒドラの気を惹き続け、時間を稼いでいたガルド達だったが、ここに来てヒドラの気を惹けなくなっていた。

 正確には、矢を当てれば反応はする。だが、矢が飛んできた方向に炎を吐くだけで、足を止めてまで確認しようとしなくなっていたのである。

 僅かながらでもダメージを与えうるマージンやクライスト、ガルドは隙を見つけては攻撃を仕掛けているのだが、所詮微々たるもの。ヒドラは鬱陶しげに炎を吐きかけはするが、西門へと向かう足を止める事はなかった。

 既に西門までの距離は100mを割っていた。

 そのせいで、西門周辺に非難していた者たちがヒドラに気づき、彼らが騒ぐ事で余計ヒドラの気を惹いてしまう。そんな悪循環に陥っていた。

「くそっ!あいつら、何してるんだ!」

 西門周辺に未だ(たむろ)している冒険者や兵士達を見つけ、ガルドが叫んだ。

 直後、何かに気づいたようにガルドはその場から飛び離れ、その後をヒドラが吐き出した炎が追う。

 一方、建物の屋根の上をヒドラと併走していたクライストとマージンも焦っていた。

 ヒドラが西門をそのブレスの射程に収めるまで、もう1~2分しかない。そうなってしまえば、西門周辺にいるはずのディアナとリリーのみが危険に晒されるのだ。特に身体強化が使えないリリーはまずかった。

 水の精霊魔術を使う事が出来るとは言え、リリーが扱う水の量ではヒドラの炎の前に一瞬で蒸発してしまいかねない。つまり、身を守る術がないのだ。

「クライスト、先に戻ってリリーたちを逃がしてくれへんか?」

 マージンの言葉に、クライストは一瞬ヒドラとその周辺を見やった。そしてすぐに頷く。

「分かった。お前はどうするんだ?」

「多少の怪我は覚悟で、もーちょい攻めてみるわ」

「無理するなよ?」

「ああ。それより、あっちを頼んだで」

「任せとけ!」

 クライストはそう言うと、西門へと向かって屋根の上を駆けていった。

 それを見送ったマージンは、ヒドラを睨み付けると大剣を構え直した。

「さ、もーちょいだけ時間稼ぎにつきあってもらわなあかんな」

 そう言ってにやりと笑うと、屋根の上から飛び降りた。



 何人もの冒険者や兵士達がヒドラから逃れようと防壁の上に上り、眼下に広がるオオムカデの群れを見て立ち尽くす。そんな彼らに対する怒号が飛び交い、挙げ句、後から上ってきた者たちが立ち尽くしている彼らを押しのけ始めていた。これがまだ落ち着いている時なら良かっただろう。だが、死の恐怖にとらわれ混乱している状況下で、これはまずかった。

 何人もの冒険者や兵士達が防壁から突き落とされ、瞬く間に寄ってきたオオムカデたちの餌食になる。

 そこから上がる悲鳴が西門周辺の混乱をいっそう助長していた。


 防壁から降りて休んでいたディアナだったが、ヒドラが迫ってきた事で既にそれどころではなくなっていた。ディアナに気づいた兵士や冒険者たちが、攻撃魔法で何とかしろと詰め寄ってきていたのだ。

 護衛の兵士が何とか彼らを押しとどめていたものの、その護衛自身がいつディアナに魔法を使えと迫ってきてもおかしくない状態だった。

 尤も、ディアナ自身は大して心配はしていなかった。

(リリーのお守りのつもりが、私が守られる事になるとはのう……)

 ディアナの横にはリリーが立ち、いつでも水の精霊魔術で押し寄せてきた冒険者たちを吹き飛ばせるように準備していたからである。

 そんな中、ディアナは押し寄せてくる冒険者たちの中に見知った顔を見つけた。

「クライストだけかの?マージンはどうしたのじゃ?」

「見ての通り、ヒドラの足止めに失敗したからな。お前らの様子を見に来たんだが……」

 逃がしに来たと言いかけて、周囲の様子からそれはまずいと察したクライストは、言葉を選んで答えた。

「そうか。まあ、ご覧の通りじゃ」

 ディアナがそう答えた瞬間、辺りが急激に明るさを増した。同時に無数の悲鳴が上がり、ディアナ達の周りに集まっていた者たちが一斉に走り出す。

「……ヒドラが炎を吐いたのじゃな」

「みたいだな」

 おかげで周囲に出来ていた人垣が護衛の兵士ごといなくなり、ディアナがせいせいした表情になった。

「して、マージンはどうしたのじゃ?」

「無事だぜ。もう少しだけ粘ってみるそうだ。無理はしないと言っていたから大丈夫だろ」

 それを横で聞いていたリリーがホッと胸を撫で下ろした。だが、まだマージンが戦おうとしていると知って落ち着かなかった。

 そんなリリーの様子を見ていたディアナは、リリーが飛び出していきかねないと思ったのだろう。

「リリー、私たちが行っても足手まといじゃ」

 釘を刺され、リリーは僅かに歯がみした。

 だが、足を引っ張るだけと言われてしまえば飛び出していくわけにはいかない。マージンの足を引っ張ることはマージンを危険に晒す事と同義である事くらい、理解できていた。

「それで、どうするのじゃ?」

「ここで一か八か戦うならそれもいいと少しは思ってたんだが……」 クライストが途中で言葉を切った理由を察し、ディアナは首を振った。

「ご覧の通りじゃ。所詮、雑魚ばかりを相手にしておった者ばかりじゃ。いざというときには役に立たぬというわけじゃな」

 烏合の衆と化した兵士や冒険者たちを見つめながら、ディアナはそう答えた。

「だな。俺たちだけでどうにかなる相手でもないし、何とか逃げたいところだが……」

 だが状況は確実に悪化していた。

 逃げ惑う群衆に興奮したのか、ヒドラの全ての首が一斉に炎を吐き出し、ヒドラの周囲に火の海が出現したのだ。そのせいでヒドラを迂回して東に向かう事も出来なくなりつつあった。

 だが、その時歓声が上がった。

「なに?」

 そう言ってヒドラの方に視線を向けたリリー。その視界にヒドラの背に立ち、ヒドラの首の1つに大剣で斬りつけたマージンの姿が映った。

 だが、大したダメージはやはり与えられなかったらしい。

 それでも首の根元に強い衝撃を受けたヒドラは、その他の首を回して背中に乗っている異物を見つけた。

 その次の瞬間、マージンがヒドラの背中から近くの建物の屋根へと飛び移るや否や、ヒドラの背中は一斉にヒドラの首が吐き出した炎によって包まれた。

「マージンっ!!」

「あ、待て!」

 マージンの姿を見て、いても立ってもいられなくなったリリーが駆け出していた。その手を捕まえようとしたクライストの手は、水の鞭に弾き飛ばされてしまった。

 それで出来た僅かな隙に、リリーとクライスト達の間には逃げ惑う群衆が入り込んでしまっていた。

「ちっ!ディアナ、すぐに追うぞ!動けるか?」

「うむ、身体強化も少しくらいならいけるじゃろう!」

 そう言うと、二人はリリーを追って走り出した。



「思った以上のチャンスって言っても、すげぇ混乱だな」

 西門の近くの建物に潜み、様子を窺っていたスピードがそう呟いた。

 意外と落ち着いているスピードに、やはり落ち着いているクラッシュがそう答えた。

「こんなんじゃどこにいても変わらねぇさ」

 窓の外からは悲鳴や怒号が響いてくる。周囲は既に夜とは思えないほど明るく、ヒドラの吐いた炎がその辺中に広がっている事が窺われた。

 にもかかわらずクラッシュ達が落ち着いているのは、ヒドラによって易々と建物が破壊される場面を目にしていないからだろう。建物の中にいればまだ安全だと、心のどこかで思っているのだった。

 それが正しいかどうかは別として、今この場においては、その勘違いは彼らの冷静さを維持させるという点で役に立っていた。

 外を見るのに飽きたスピードに代わり、窓から外を監視していたクラッシュが呟いた。

「……来たな」

 そう言うとアイテムボックスからボウガンを取り出し、わずかに空けた窓の隙間から獲物へと狙いを定めた。

 そしてしっかりと狙いを定め――矢を放った。

「仕留めたの?」

「勿論」

 欠伸混じりのビビアンの問いかけにクラッシュは短く答えた。そして、建物から出るとその陰でボウガンを構え直し、地面に倒れ伏して痙攣を起こしている獲物の様子を窺った。

 ここで焦ってはいけない。

 下手に駆け寄ると、犯人であるとばれてしまう。

 いくら周囲が混乱してるとは言え、周囲の様子をよく確かめ、安全だと確信してから獲物を回収するべきなのだ。あるいは、獲物を助けようと駆け寄ってきた者もまた仕留めるか。

 尤も、パニックに陥った中、一人くらい誰か倒れたところで気にして足を止める者などいなかった。

 クラッシュはボウガンをしまうと、さりげなく倒れた獲物に近づき抱え上げた。そうして、さも体調の悪い人に手を貸しているような振りをしながら、獲物を連れて出てきた路地へと戻っていったのだった。



「くそっ!見失っちまった!」

 クライストが叫んだ。

 ほんのちょっとだけ先を走っていたはずのリリーの姿が、いつの間にか見えなくなってしまっていたのだ。

「見失ったのか?」

「ああ。くそったれ!」

 追いついてきたディアナにそう答えても、どうにもならない。

「どうするのじゃ?」

「マージンの所に行くしかねぇな。リリーもそこに向かってるはずだ」

 そこでふとクライストは気になった事をディアナに確認した。

「ディアナ。魔力はまだ大丈夫か?」

「先ほども言ったが、逃げ回るくらいは大丈夫じゃ。攻撃は期待してくれるなよ?」

「ああ。やばそうなら早めに逃げろよ」

 そう言って走り出した二人は、すぐにヒドラの元へと辿り着いた。

 そこではマージンとガルドが必死に攻撃を躱しながら、ヒドラへと斬りつけていた。そのおかげで、冒険者たちを追って方向を転換したいヒドラだったが、向きを変える事も出来ずに足止めを余儀なくされていた。

 ただ、その代償は決して小さくはないらしい。既に二人の装備はあちこちが黒く焦げ、ぎりぎりでの回避を続けた結果なのだろう。何カ所か怪我もしているようだった。

 動きが鈍いとは言え、何しろヒドラは首が7本もあるため、突撃してくる頭を1つ避けてもすぐに次の頭に襲われる。炎を連続して吐く事は出来ないらしいのがせめてもの救いだったようだ。

 そんなマージンとガルドの狙いはどうやらヒドラの足らしい。隙を見つけては足へと斬りかかり、弾き返されていた。

「後ろ来とるで!」

 マージンに警告され、ガルドが横っ飛びに避ける。その真横を牙をむき出しにしたヒドラの頭が通過していった。

 そうして今度はガルドが叫ぶ。

「上だ!」

 その声に、上を見る事もなくマージンは前へと駆けた。

 直後、マージンがいた場所に炎が吹き付けられ、それに煽られながらもマージンは正面から迫っていたヒドラの頭に大剣を叩き付け、その反動でヒドラの頭上を飛び越えていった。

 そしてヒドラの足下に着地すると、再びヒドラに足に斬りつけようとして、横から迫り来るヒドラの頭に気づいて慌ててその場を離れる。

 そんな無茶としか言えない戦いを見たクライストとディアナは暫し呆然としていたが、ハッと気がつくと周囲を見回した。

 既にヒドラの周囲には生きている人間はマージンとガルドしかいなかった。地面の上に倒れている人影もあるにはあったが、近寄って確認するまでもなく生きてはいないのだろう。

「リリーはいない、か?」

「みたいじゃな」

 死体の仲間入りをしていなければ、ということは、クライストもディアナも口にしなかった。不吉極まりない事をいちいち言いたくなどない。

 そうなるとここに無理にとどまる理由もなかった。特にディアナには、である。

「俺はマージンの援護に向かう。ディアナは逃げてくれ」

 クライストのその言葉を、既に戦えるだけの魔力がないディアナは拒否できなかった。

「うむ」

 短く頷くと、その場を後にしようとした。

 だが、リリーの事を気にしていた二人はある事に気づいていなかった。ヒドラの頭の1つがクライスト達に気づいてしまっていたのである。

「クライスト!!」

 その事に気づいたマージンが叫ぶも、既に遅い。

 大きく息を吸い込んでいたヒドラの頭の1つが、次の瞬間には猛烈な勢いで炎を吐き出していた。

「っ!!」

 クライストが瞬時に身体強化を発動させ、ディアナを抱きかかえて跳んだ。

 だが、クライストはあまりにも慌てて跳んだために、避ける先を見定めていなかった。そこにヒドラの炎に煽られた勢いが加わり、

 ゴガンッ!!

 建物の壁へと突っ込み、ディアナもろとも、全身を打ち付けてしまったのだ。

 そのまま地面に落ちた二人は、気絶でもしてしまったのだろう。ぴくりとも動かなかった。

「クライストっ!!」

 マージンが叫ぶも、ヒドラの頭に追われていてクライスト達の所に駆け寄る事は出来なかった。

 その間にも、獲物を仕留めたとみたヒドラがクライスト達の方へと動き出した。

 まだ少しだが距離はある。

 それでもその距離は絶望的に短かった。

 そもそも、いくら身体強化を使えると言っても、気絶している人間二人を運ぶとなるとヒドラの炎を回避できなくなってしまう。

 それら全てを一瞬にして理解したガルドは諦めるべきだと結論づけたが、それを口にするのは憚られた。口にしなかったところで結果は既に変わらない。

 そのはずだった。

 何とかヒドラの頭を振りきったマージンがクライスト達の前に仁王立ちになった。

 そんなマージンを鬱陶しげにヒドラは睨み付けたが、炎を吐くまでもないと思ったのだろうか。勢いよく首を振り、マージンを弾き飛ばしていた。

「がふっ……」

 十数mも弾き飛ばされたマージンは、建物の壁に大きな音を立てて激突した。

 幸い、クライスト達と違って受け身を取る余裕があったためか、気絶には至らなかったらしい。だが、もがくのが精一杯ですぐには動けそうにもなかった。

 それを頭の1つで見ながら、別の頭がクライスト達へと伸びる。

 一人では頭の猛攻を支えきれなくなったガルドは身を引き、離れたところから見ているしか出来なくなっていた。

 そのガルドは一瞬目を瞬かせた。

 ヒドラの背中に人影が現れたのだ。

 その人影は頭上に大剣を掲げると、次の瞬間それを振り下ろした。

 大剣は音も無く振り抜かれ、そして、

「嘘だろ……?」

 人影が大剣を振り下ろした直後にクライスト達に向かう動きを止めていたヒドラの頭が、ゆっくりと、しかし轟音を立てつつ地に落ちたのだった。

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