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ジ・アナザー  作者: sularis
第十一章 戦いの日々
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第十一章 第六話 ~町に戻って~

 それは微睡んでいた。

 尤も、快適な微睡みとはほど遠い。

 ここ暫く常にそれを苛んでいる空腹感が、それの眠りを妨げるからだ。

 だから、それはちょっとした事でも目を覚ます。

 その時も、微かな気配を捕らえてそれは目を覚ました。

 だが、不思議な事にそれはその気配に食欲を感じなかった。

 気配はある。

 だが、生き物ではない。

 そんな何かを見極めるべく、それは頭の1つをゆっくりともたげた。

 すると、それが動いた事に驚いたのだろう。そんな感触がその気配から伝わってきた。

 その気配は既にそれの目前にいた。

 それにもかかわらず、夜の闇程度はものともしないそれの視力を持ってしても、気配の正体は見えなかった。

 その事を不思議に思うような知性はそれにはなかった。

 だから、何もいないならいないで構わない。そう思ったそれが微睡みに身を浸すべく、再び頭を下げ始めた時。

『この器なら或いは結界を超える事が出来るやも知れん』

 そんな声がそれの頭の中に直接響き渡った。

 勿論、そんな事に驚くそれではない。

 それどころかその声が響いた直後、それの中に気配が侵入してきた事すら、それが気にする事はなかったのだ。

 ただ、何となくそろそろ動くべきではないかという気にはなった。

 だから、それは立ち上がった。

 大量の水が鱗の表面を流れ落ちていき、水面で爆ぜた水飛沫が太陽の光を反射して虹を産みだしていた。



 PKに襲われた翌日、クライスト達は無事にフォストに戻ってきていた。心配していたPKによる追撃などもなく、意外とあっさり帰ってこられたというのがクライスト達の感想だった。

 ちなみに、毒に犯されていたリリーも襲われた当日の夕方には意識を取り戻し、今では何事もなかったかのように元気になっていた。

 ただ、問題もあった。

 掃討戦の途中で戻ってきたのである。町にすんなりと入れるとは思っていなかった。

 実際、フォストの入り口には物々しい装備に身を固めた十数人の兵士が立っていたのだが、何故か冒険者たちの数も妙に多かった。そして兵士達はそんな冒険者たちから話を聞き出していた。

 その光景に違和感を覚えたクライストが口を開いた。

「なんか、思ったより戻ってきてる冒険者が多くねぇか?」

「そうじゃな。近場に割り振られた冒険者もおるはずじゃが、それにしても夕方なら兎に角この時間ではのう」

 そう言ってディアナが、まだまだ空の高い位置にある太陽を見上げた。

 時刻はまだ正午をいくらか回って間もないという所だろうか。冒険者たちが帰ってくるには早すぎる時間だった。

「まー、何か問題が起きたんやろな」

 マージンの言葉に、仲間達はなるほどと納得した。

 何しろ、自分たちもPKに襲われたばかりなのである。他にもPKに襲われるなどした冒険者が続出して、掃討戦を早めに切り上げる事になっていたとしても驚かなかった。――尤も、大した連絡体制もなかったはずなのに、どうやって冒険者たちに連絡を取って回ったのかは謎だったが。

 それはさておき、どういう問題が起きたのかは気になるところである。予想は付くとは言え、確かめておきたいのは確かだった。

 幸い、兵士達はすぐにクライスト達を見つけ、兵士の一人がクライスト達の所にもやって来た。

「あなたたちも無事ですね?」

「無事って……何かあったのか?」

 クライストにそう返され、声をかけてきた兵士はきょとんとした。

「え?連絡部隊から話を聞いて戻ってきたんじゃないんですか?」

「連絡部隊?」

 聞き慣れない単語にクライストは首を傾げつつ、仲間の方を振り返った。

「私も初めて聞いたのう」

「わいもや」

「あたしも~」

 仲間達から即座にそんな返事が返ってきて、クライストは説明を求めようと兵士の方へと向き直った。

「俺たちの方からも報告したい事はあるんだが……先に何があったか聞かせてくれねぇか?」

「報告?まあ、何となく予想は付きますし、そうですね。先に何があったか説明しましょう」

 そう言うと、なにやら分かったような顔で兵士は説明を始めた。

「掃討戦に参加した冒険者達に想定外の被害が出てるんです」

 その兵士の言葉に、クライスト達はああやっぱりかと思った。が、次の兵士の言葉に、兵士達が気にしている問題が自分たちの想像とは違う事を知る。

「何でも、本来いるはずのないエネミーがフォスト周辺に流れてきてるらしいんですよ。それが本来この辺にいるエネミーよりだいぶ強いんで、冒険者たちに被害が出てるんです。

 兎に角良くない兆候なので、連絡部隊を編成して冒険者の皆さんに一度フォストに戻ってくるように呼びかけてるんです」

「PKじゃねぇのか?」

「PK?」

 クライストに聞き返した兵士は怪訝そうな顔になった。が、次の瞬間には厳しい顔になった。

「PKに襲われたんですか!?」

 突然の大声、それもPKなどという実に不吉な単語が飛び出したため、周辺にいた兵士も冒険者も全員が一斉にクライスト達の方を見た。

 それに気づいた兵士が思わず縮こまった。

「あ、すいません……」

「別にいいが……とりあえず報告しておくぜ?」

「ええ、詳しく聞かせてください」

 そう言って、兵士はクライストから何があったのかの説明を受けた。

 説明を聞きながら、兵士の緩んでいた表情が再び厳しくなっていった。クライストの説明に聞き耳を立てていた周りの兵士達や冒険者たちも、一様に厳しい表情になっていく。

「なるほど……。分かりました。少し失礼します」

 クライストから説明を受け終わった兵士はそう言うと、仲間の兵士達の元へと戻り何事か相談を始めた。そして、すぐに兵士の一人が報告のためだろう。町の中へと走り去っていった。

 だがクライスト達はその兵士の背中を見送るどころではなくなっていた。

「PKに襲われたのか!?」

「どこでだ!?」

「どんなやつらだった!?」

「ってか、大丈夫だったのか!?」

 クライストが兵士にした説明を横から聞いていた冒険者たちが、クライスト達の所へと殺到していたのである。

 確かに一時期に比べればPKは随分減った。だが、それでもフィールドで活動する冒険者たちにとっては重大な脅威であり、その分冒険者たちが寄せる関心も大きいのだった。

 クライストがそんな冒険者たちに簡単な説明を一通り終えた頃、兵士が急いで戻ってきた。

「すいません。ガルドさんが直接話を聞きたいとの事なので、ついてきてもらえませんか?」

「ああ、いいけど……」

 そう言ってクライストは冒険者たちを見た。

 幸い、一通り説明を終えた後だったためか、クライスト達が連れて行かれる事について彼らは文句はないらしい。むしろ、既に仲間内でああでもないこうでもないと話し合いを始めているようだった。

 その様子を見て行っても良さそうだと判断したクライストは仲間達に声をかけた。

「じゃあ、行こうか」

「それでは案内します。ついてきてください」

 そして兵士を案内され、クライスト達は掃討戦の司令部へと向かった。

「……思ったより、冒険者の数が多いな」

 フォストの中を歩きながら漏れたクライストの言葉に、兵士が反応する。

「近場の冒険者たちは粗方連絡がつきましたから。そう言えば、あなたたちの担当区域はどの辺りだったんですか?」

「北の山の麓辺りだな」

 クライストが答えると、兵士は驚いたような表情になった。

「そんな所にPKが……と言うか、実力者の方々だったんですね」

 町から離れた場所ほど、強い冒険者が配置されている事を知っていた兵士は目を輝かせながらそう言った。

 尤も、そんな風に言われたクライスト達は何となくむずがゆい。

 幸いフォストは大して広い町でもなく、クライスト達はすぐに司令部に着いた。

 建物に入り、クライスト達を案内してきた兵士がある部屋の扉をノックした。

「いいぞ、入れ」

 すぐにあった返事に従って、兵士が扉を開けた。

 部屋の中には今回の掃討戦の指揮官であるガルドが中央に置かれた机の向こう側にどっしりと座っていた。その右側に立っているのは参謀役である。冒険者ギルドの職員も、ガルドを挟んで参謀役とは反対側に立っていた。

「PKに襲われたという冒険者たちを連れてきました」

 そう言った兵士の合図に従って部屋に入ってきたクライスト達を見て、ガルドと参謀役が軽く驚いた表情になった。

「蒼い月か……どうりで無事なわけだ」

「蒼い月っ!?」

 ガルドの言葉に、クライスト達の事を知らなかったらしく兵士が驚いた。

「ああ……そうだが、ひょっとして知らずに連れてきたのか」

 いきなり大声を出した兵士に、ガルドが呆れたようにそう言った。

「あ、いえ……そうです」

 部屋にいた全員の視線を受け、兵士は恥ずかしそうに俯いた。

「まあ、いい。連れてきてご苦労だった」

 ガルドはそう言うと、兵士を追い出した。そして改めてクライスト達へと視線を向ける。

「さて、PKに襲われたという事で話を聞かせて貰いたい」

 その言葉にクライスト達は素直に頷き、先ほど冒険者たちにしたのと同じ説明を繰り返した。

「MPKか……」

 説明を聞き終わったガルドは深刻な表情で呟くと、横に立っていた参謀役に視線を向けた。

「どう思う?」

「関係ないでしょう」

 短い問いかけに、簡素な答え。それでもガルドも参謀役も相手の言いたい事は違える事なく理解していた。

 ちなみに、ギルド職員は口を開こうとはしなかった。甘く見ていた自分の予想以上に事態が悪い方向へと進展しており、もうガルド達に全部任せる事にしたからである。

 尤も、ガルドと参謀役の短いやりとりが気になった者は別にいた。

「関係ないとは……なにとじゃ?」

 そう言ったディアナに参謀役が咎めるような視線を送ったがそれも一瞬。冒険者は別に自分たちの部下ではない事を思い出し、すぐにひょうひょうとした顔つきに戻った。

 そんな参謀役の代わりに答えたのはガルドだった。

「今回の掃討戦、妙に強いエネミーが多いんだ。おかげで想定を上回る被害が出ているんだが……それと君たちを襲ったMPKが関係あるかどうかという事だ」

 それに対する反応は2つに分かれた。

「そうなのか?」

「そーなんだ……」

 と言ったクライストとリリーと、

「そう言えば……」

「確かにロックボアやら、オオムカデやら、妙に強いのが多かったわな」

 と言ったディアナとマージンである。

「銀色のトカゲもきつかったよね」

「あー……あれなー……」

 リリーの言葉に、マージンは微妙に遠い目をした。

 一方、リリーの言った単語に黙りこくっていたギルド職員が目をむいた。

「銀色のトカゲっ!?まさかそんな……」

 あわあわと言い始めたギルド職員の様子に何か知っているのかと、参謀役が問いかけた。

「その前に……大きさはどのくらいでした?」

「頭からしっぽまでで……5mくらいあったか?」

「そんなもんじゃろうな」

 クライストの答えを聞いたギルド職員は唾を飲み込み、更に問いを発した。

「それで……それはどうなったんですか?」

「あ~……口ん中に剣ぶっさして倒したで」

 仲間達からの視線を受け、マージンが渋々答えた。

 一方で、ギルド職員は顔に驚きを浮かべていた。

「まさか……たった4人であれを?」

「正確にはこいつ一人だな。俺たちはほとんど役に立たなかったしな」

 マージンを小突きながらクライストが口にしたその言葉に、ギルド職員は目をまん丸に見開いていた。

 が、そのまま放っておくと話が進まないと見たガルドが、ギルド職員の方を軽く叩いた。

「ああ、すいません。あまりに驚いたもので」

 ギルド職員はそう言って軽く頭を下げると、説明を始めた。

「おそらくあなた方が遭遇したのはメタルリザード。名前の通り、全身を金属の鱗で覆われたトカゲです。そう簡単に倒せるような凶獣ではないのですが……」

 従って、いつもなら証拠もないそんな報告は嘘だと決めつけるところだったが、今が異常事態なのは既に理解していたし、そもそも蒼い月の名前は彼も知っていた。そんなわけで珍しく疑う事なく信じていた。

 それに問題なのはそこではない。

 ギルド職員はゴクリと唾を飲み込むと、説明の続きを口にした。

「メタルリザードは本来フォスト周辺にいる凶獣ではありません。なので、今回の掃討戦に先立って配付された資料にも載っていなかったはずです」

 その言葉に周りは皆頷いた。

「メタルリザードの出現地域はここから北東に30km以上進んだところにある湿地帯です。たまに湿地から迷い出る事もありますが湿地から10kmも離れる前に戻っていくと報告されています」

「その報告は……誰か調べたのか?」

 ガルドの言葉にギルド職員は頷いた。

「一度ギルドの方で調査クエストを出した事があります。メタルリザードはその時の重要調査対象の1つでした」

「念のために訊きますが、メタルリザードを釣って遠くまで連れてくる事は可能ですか?」

 参謀役に質問にギルド職員は首を振った。

「分かりません。流石に危険なので試してもらう訳にもいかなかったようです」

「……メタルリザードをPKが引っ張ってきたのならいいのですが、そうでないとすると……いよいよ厄介な事態が進行しているとみて良いですね」

 顎を撫でながら参謀役がそう言った。

「まさか……魔物の襲撃が!?」

 怯えたようなギルド職員の言葉に、

「その可能性もある、ということだ」

 既に参謀役から聞かされていたガルドが落ち着いて答え、そして結論を出す。

「とりあえず、掃討戦は中止する。連絡部隊にはそう伝えて全冒険者たちを引き上げさせろ。戻ってきた冒険者たちは防衛戦の準備をして貰う。実力のない冒険者は避難しても構わないが……」

「どちらから来るか分からない以上、個別に逃げるのは危険でしょうね」

 参謀役の言葉にガルドは頷いた。

「やはり、強制的に参加して貰った方が良さそうだな」

「はっ!」

「はい!」

 参謀役とギルド職員が敬礼を持ってガルドの指示に答えた。

 それを見たガルドはクライスト達へと視線を移した。

「済まないがそう言う事だ。君たちにも最低一週間、場合によると二週間ほど滞在してもらう。これは冒険者ギルドからの命令、ということでいいか?」

 言葉の後半はギルド職員に向けられたものだった。

「構いません」

 それに対し、ギルド職員はあっさりと頷いたのだった。



 ガルド達の部屋を退出したクライスト達は、そのまま宿へと戻った。が、

「誰もおらぬのう……」

 ディアナが言ったように、部屋の鍵を貰おうにも受付のラッツがいなかった。

「客がおらへんから、どっかに遊びにいったんちゃうか?」

 遊びに行ったというのは違うにしても、やる事がないからここにいないのだろうという点では仲間達の意見は一致した。

「まあ、ラッツは後で探そう。まずはグランスたちに連絡しねぇとな」

 そう言うとクライストはベアーズ・インの入り口に腰を下ろし、端末を取り出してクランチャットを開いた。

『クライスト:グランス、ミネア、いるか?』

 そう打ち込んでから待つ事数十秒。

『グランス:ああ。クライストか。どうかしたか?』

 反応があったグランスに、クライストは事情を説明した。

『クライスト:ってなわけで、ラスベガスに戻るのが1週間以上遅れそうだ』

『グランス:そうか。まあ、何だ。きっちり生きて帰ってこいよ?』

『クライスト:ああ、言われるまでもねぇよ』

『ミネア:約束ですよ?』

『ディアナ:うむ。勿論じゃ』

 どうやらミネアもクランチャットを開いたらしく、いきなりメッセージが入ってきた。

 それからクライスト達がしばしチャットで雑談を楽しんでいると、

「ラッツが帰ってきたみたいやな」

 マージンの言葉に顔を上げると、確かに通りの向こうからラッツが走ってきていた。どうやらどこかでクライスト達が戻ってきた事を聞きつけたらしい。

 クライスト達がクランチャットを閉じてすぐに、息を切らせたラッツがベアーズ・インに辿り着いたのだった。



 その頃。

「で、PKはどうする?」

 ガルドは参謀役にそう訊いていた。ギルド職員も興味津々で聞き耳を立てている。

 しかし、参謀役は事もなく、

「どうもしません」

 そう言い放った。

 流石にガルドも驚いた。慎重な参謀役の意見とは思えなかったからだ。

「どういうことだ?」

「そうですね。蒼い月の話を聞く限り、彼らを襲ったPKはかなり慎重な性格だと思われます。自分たちの身に危険が及ぶような犯行は犯さないでしょう」

「つまり?」

「足を残すような真似はしないでしょうし、逆に今のように何が起こるか分からない状況は彼らにとってもおそらく好ましくないはずです。想定外の事が起きて犯行が露見するような事態は避けたいはずですからね。それに、そんな慎重な輩を追い詰めるには人手が必要です。今、そんな事をする余裕があると思いますか?」

 そこまで言われれば確かに放置するしかないのだと、ガルドもギルド職員も理解できた。

 が、その様子はあまりにも見るに堪えなく、

「尤も、万が一はありますし、運が良ければしっぽくらいは掴めるでしょう。巡回の頻度は上げるくらいはしておきましょう」

 溜息を吐きつつ、参謀役はそう付け加えたのだった。



 そして、クラッシュ達がフォストに戻ってきてから四日が過ぎた。

 軍の連絡部隊が走り回った甲斐があったのか、既にほとんどの冒険者たちがフォストに戻ってきていた。

 そして冒険者たちには防衛戦に向けた準備をするように指示が出されて、一部の冒険者たちには、見張りを行う当番表まで配られていた。


 そんな当番表に従い、フォストの東門で蒼い月は見張りに立っていた。

「被害が12人、か」

 冒険者ギルドから発表された数字を思いだし、クライストが呟いた。


 12というと大した数字には見えない。だが、100人ほどしか参加していない冒険者の総数を考えると、一割にも達する被害である。まして、死んでしまった当人やその仲間達にとっては数字では表せない被害なのだ。

 そうして仲間を失った冒険者たちの少なくない割合が、冒険者を止める事を決めていた。だが、差し迫った脅威はそれを許さない。そのため、近いうちにあるかも知れない魔物の襲撃からフォストを防衛する戦闘には、後詰めでも良いから参加するようにと彼らにも指示が出されていた。

 勿論、襲撃の可能性が発表された時にフォストから逃げようと考えた冒険者たちもいた。だが、どの方角からどこまで迫ってきているか分からない。個別にフォストを逃げ出してそいつらに遭遇したら一巻の終わりだと言われてまで逃げ出す冒険者はいなかった。


「意外に被害が大きいのう」

「……だよね」

 結局単に麻痺しただけだったとは言え、PKに毒を盛られたリリーが自分の肩を抱いて震えた。下手すれば今頃は自分も……と考えると流石に怖いのだ。

 尤も、

「まあ、予想より随分強いエネミーと戦う羽目になったみたいやしな」

 そんなマージンの声を聞くだけで何となく大丈夫だと思ってしまうあたり、リリーは単純なのかも知れなかった。

 ただ、大丈夫だという根拠がないわけでもない。

 見張りの当番表が配られた際に、今回の掃討戦で確認されたエネミーについての説明も受けていた。それに寄れば、厄介だとされたエネミーは岩イノシシだのオオムカデだのウィップスネークだの、既に戦って割と簡単に倒したエネミーばかりだったのだ。少数が相手なら、まず負ける心配はないと言って良かった。

 とは言え、油断は出来ない。

「私たちなら大丈夫じゃろうが……数で押されると面倒じゃな」

 フォストの規模から考えて、襲撃があるとしてもエネミーの数は多くないはずだった。だが、それも一箇所に集中すれば結構な数になる。

 一方、それはそれでフォストの狭さが今度は有利に働く。狭いからこそ、他からの増援が短時間で駆けつけられるのだ。

 そんな事を考えながら時間を潰していたクライスト達だったが、実のところあまり考えすぎても意味がないことでもある。

 そのせいか、その話題はあっさり尻切れトンボで終わってしまい、クライスト達は再び門の外を眺める作業に戻った。



 この日も何事もなく夕方になった。これからの夜間の見張りは軍の兵士達の当番である。

 交代の兵士達に後を頼んだクライスト達はいつもの食堂で食事を終え、宿へと戻った。そして宿の裏手で腹ごなしに軽く身体を動かしてから部屋へと入る。

「なんか、不謹慎だけど、暇だよな」

 早めに寝るように言われていても流石に夜の8時に寝るのは難しく、ベッドの上に寝転がったクライストは、同室のマージンにそう声をかけた。

「そこはせめて平和やなって言おうや」

 苦笑しながらクライストの台詞をマージンは訂正した。

 確かに暇なのだが、この後何が起きるか分からない暇、なのだ。

 それに、ほとんどの冒険者たちが戻ってきたとは言え、まだ遠くの区域に割り当てられた冒険者たちが帰ってきていない。場合によると彼らが無事ではない可能性もあるわけで、そんな中、ベッドの上でごろごろしながら暇だ暇だと叫ぶのは些か不謹慎な気がするのだった。

 そうしていると扉がノックされた。

「あー、どうぞー」

 クライストがベッドの上に寝っ転がったまま声を上げると、鍵のかかっていなかった扉を開けてディアナとリリーが入ってきた。

「やっぱ、そっちも時間を持てあましてるか」

「当然じゃろう。いくらなんでも10時間も寝れぬよ」

 毎晩のように繰り返されているやりとりが今日も行われると、マージンをクライストの方へと追い立てたディアナとリリーが、空いたベッドに腰を下ろした。

「これでやっと4日じゃのう。後何日くらいこの状態が続くのじゃろうな」

「さあな。最低でも後3日ってのは分かるけどな」

 ガルド達が言っていた最低でも一週間という期間を思い出しながら、クライストが答えた。

「軍の増援とかはどうなっておるのじゃ?」

「準備は完了してるって話だけどな。来るかどうかはまだ揉めてるらしいぜ」


 フォストに今いる者たちは軍の増援を切実に願っているのだが、こればかりは難しい問題だった。

 何しろ、本当に魔物の襲撃があるかどうかも分からない。下手に動かして途中で何かあった方が被害が大きいという意見や、裏をかいてラスベガスに襲撃があるかもという意見もある。流石に裏をかくというのはないにしても、何が正解か分からないから動けないという状態なのは確かだった。


「とりあえず、調査隊は出すつもりらしいけどな」

「調査隊?」

「フォストの周辺を調べて、何が起きてるのか把握したいらしい」

「そうなると、その調査が終わるまではフォストに釘付けかのう」

「かもしれねぇな。ああでも、場合によると俺たちは調査隊の方に駆り出されるかもしれねぇぜ?」

 その言葉に仲間達は興味深そうに反応した。

「ほう?」

「危険なところに行くわけだからな。実力が分かってるのがいいらしいぜ」

「なるほどのう……」

 そう答えたディアナの表情は微妙だった。

 フォストに引きこもる日々には確かに飽きが来ていたが、メタルリザードがうろうろしているかもしれない区域を歩き回りたいとも思えないのだ。

 そんなディアナの考えを察したらしく、マージンがにやりと笑いながら言った。

「クエストの指名が入ってしもうたら、逃げられへんけどな」

「言うでない。ホントにそうなってしまいそうじゃ」

 ディアナがそう眉を顰めた。

 それを見てマージンは笑った。

「いつもからかわれとるからな。たまにはやり返さへんと」

「でも……ホントにそーなったら、どーするの?」

「ま、なるようにしかならへん。それに調査ならいざとなったら逃げたらええんや。それくらいの時間なら稼いだるで」

「あ、うん。お願いするね」

 自信満々に言い切ったマージンに、リリーがほんのり赤くなった。

 それを見ていたディアナとクライストがにまにまと笑い、リリーがますます赤くなったのだった。



 さて、時間を持てあましているのはクライスト達だけではなかった。

「あー、暇だな暇」

 そう言ってベッドの上で転がっているのはクラッシュだった。

 身につけている装備はベッドの横に転がったり、アイテムボックスの中にしまったりで、随分身軽な格好になっている。

 一緒にいるスピードもビビアンも重たい装備は全て外し、こざっぱりとした格好になっていた。――尤も、ビビアンに至っては娘ざっぱりを通り越して露出過剰と言っていいレベルだが。

 クライスト達を襲った後、割り当て区域に戻ったクラッシュ達は、そこで半日ほどエネミーを狩っていた。その後、軍の連絡部隊と出会い、フォストに戻るように指示を受けたのをこれ幸いと戻ってきたのである。

「ったく。これじゃ何にもできねーじゃねーか」

「なら、ラスベガスに戻るのか?」

 そう言ったスピードを睨み付け、

「んなわけあるか!……ったくよ」

 その後に続く言葉は飲み込んだ。

 宿の壁は薄くはないが、廊下や隣の部屋まで話し声が聞こえてしまってもおかしくはない。そんな場所で迂闊な事を口にするほど、クラッシュは間抜けではなかった。

「それで、どうするんだよ?」

「どーしょーもねー。このくだらねードタバタが終わるまで、どーしょーもねー」

 そう言ってクラッシュはベッドに顔を埋めた。そしてそのまま何事か口にする。

 その言葉はマットに邪魔されてまともな声になっていなかった。だが、スピードには理解できたらしい。

「ああ、そうなるといいな」

 そう答えたところで、クラッシュとスピードの会話が終わるのを待っていたビビアンがとうとうしびれを切らした。

「ねぇ、スピード。そろそろ部屋に戻らない?」

 そう言って、スピードへと撓垂(しなだ)れかかった。

 そのビビアンの身体を受け止めたスピードはにやりと好色そうな笑みを浮かべると、

「それじゃな。ゆっくり寝ろよ」

 そう言って、ビビアンの腰に手を回したまま、隣の部屋へと戻っていく。

 そのはずだった。

 轟音が響いてくるまでは。

 その音を聞きつけ、ガバッとベッドから上体を起こしたクラッシュの顔は、邪な笑みに歪んでいた。



「なんだ!?今の音は!?」

 ノンビリと話し込んでいたクライスト達の耳にもその轟音は届いていた。

「分からぬが……魔物の襲撃やもしれんのう」

 そう言いながら、ディアナはアイテムボックスにしまい込んでいた装備を素早く取り出していた。

 マージンとリリーも一息遅れて、防具やら武器やらを取り出し身に着けた。クライストも言わずもがなである。

 準備を終えた4人が宿から飛び出すと、東の方から再び轟音が響いてきた。

 それと共に夜にもかかわらず周囲が明るく照らし出される。

 先ほどの轟音は町中に響き渡っていたのだろう。近くの宿からも次々に装備を整えた冒険者たちが飛び出してきていた。その誰もが真っ先に光源の方を、東を向いて口々に何事か叫んでいた。

「火事か?」

「にしちゃおかしいで」

 天高く燃えさかる炎を見たクライストの台詞にマージンが首を振った。

「火事じゃないなら一体……」

 そんなクライストの言葉は途中で途切れた。

 周囲の冒険者たちのざわめきも途切れた。

 そんな中、

「あれ、何……」

 それを見たリリーが震えた声が響いた。

 通りの向こうで何軒もの建物が燃えていた。

 その炎の向こうでそれが、巨大な影が蠢いていた。

 何匹もの蛇が鎌首をもたげているようなその影に、息を潜めていたクライスト達の耳に、

「ああ、ヒドラやな」

 何故か平常運転のマージンの声が聞こえてきた。

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