第十一章 第五話 ~襲撃~
ゆったりとたゆたう水の中で、それはふと目を覚ました。同時にかすかに空腹を覚える。
今の場所に来てから暫くは、結構な数の獲物がいて思う存分に食べる事が出来たのだが、ここ暫く妙に獲物が減っていた。勿論、原因はそれ自身にあるのだが、そんな因果関係を理解できるほどそれは賢くなかった。
だが、1つ分かっている事もある。
この湿地はこうやって身体を休める事が出来る深めの沼もあってなかなか快適だった。だが、獲物が減ってきた今、そろそろここを離れなくてはならないだろう。
次に向かうのはやはり魚が多い沼地がよいだろうか。それが漠然とそんな事を思っていたかどうか。それは定かでは無い。
クライスト達が山の麓に近い割り当て区域の巡回を始めて二日が過ぎていた。
「思ったよりも簡単に終わりそうだな」
既に被害が出ている事など知らず、クライストがそんな事を言った。だが、仲間達も似たような感想を抱いていたりするので、誰も苦言を呈したりはしなかった。
ただ、
「油断は禁物やで?」
マージンがそう注意したくらいだろうか。
そんな調子の彼らは、エネミーを見つけては可能なら不意を打って叩き潰し、不意を打てなくても4人で連携を取りながら叩き潰す。それの繰り返しだった。霊峰やらなんやらと、町から離れた地域でも旅を続けた経験のある彼らからすれば、フォスト周辺のエネミーは脅威とはほど遠かったのだ。
それでも、不意打ちだけは警戒していた。
何しろ、身体強化を使えば確かに打たれ強さも跳ね上がるのだが、元々頑丈とはほど遠いのが人間の身体というヤツである。エネミーの鋭い爪や牙をまともに食らえば大怪我は避けられないし、強力な毒を大量に喰らえばポーションでの解毒をする間もなく命を落としかねない。
ただのゲームだった頃から変わらないその事実があるが故に、そこそこ強くなったという自信があってもクライスト達が油断する事はなかった。
ちょっとした何かも見落とさない。そんな習慣が身についていたおかげだろう。
「?」
不意にリリーが足を止めた。
「どうしたのじゃ?」
隣を歩いていたディアナが声をかけると、
「なんか……声みたいなのが聞こえたんだけど……?」
リリーの言葉にマージンとクライストが身体強化を発動させ、聴力を強化した。
「だな。なんか聞こえるぜ」
「人かのう?」
ディアナの言葉にクライストは首を振った。
「分からねぇ。見に行くしかねぇな」
もし人がいるのだとすれば、一応確認しておく必要がある。何しろ、クライスト達がいる辺りに他の冒険者たちはいないはずだからだ。となると、迷子になって困っている人かも知れないわけで、そんな人がいるのに知らんぷりは出来なかった。
しかも、
「急いだ方が良い。苦しんでるような声だぜ」
そう聞いてはもう知らんぷりという選択肢はどこかに消え去っていた。
クライストとマージンが前を走り、その後ろをディアナとリリーが追いかける。その陣形を保ちながら、4人は森の中をその声に向かって走った。
だが、その先で彼らが見たのは予想を裏切るものだった。
「なんだ、ありゃ?」
「ゴブリンの……子供かのう?」
当惑するクライストに、ディアナがそう返した。だが、ディアナ自身も戸惑っているのだろう。
「俺が聞きたいのはそんな事じゃねぇ」
クライストはそう言って、木陰に身を隠したままそれを、木に縫い付けられ、断続的に苦鳴を漏らしている子供と覚しきゴブリンを指さした。
木の幹に大の字に縫い付けられた身長50cmほどのゴブリンの子供はまだ生きていた。短剣に貫かれた両手両足からは結構な出血の跡があったが、今も出血が続いているわけではないらしい。だからこそ、まだ生きているのだろう。
そしてクライストの視線が向いていたのは、そのゴブリンの子供の両手両足だった。正確にはそこに突き刺さっている短剣である。
「あの短剣。クエストやイベントの類じゃなきゃ、間違いなくプレイヤーの仕業だぜ?」
「じゃろうな」
「……イヤな予感、しねぇか?」
「するのう……」
そしてクライスト達は無言で互いに視線を交わした。
「……逃げるか」
確かに困っている者はいたが、それが人ではなくエネミーであるなら見捨てるのに躊躇はない。クエストの類なら見捨てるのは勿体ないかも知れないが、どう考えても状況が罠っぽい。
全員がそんな結論をたたき出すまで、さして時間はかからなかった。
「よし、それじゃ……」
しかし、それでも遅い時は遅い。
さっさと離れるぞと言おうとしたクライストは、急に言葉を止めた。
木に縫い付けられたゴブリンとは反対の方角から、何かが迫ってくる。木々の枝葉をまき散らしながら、岩イノシシより遙かに重たい何かが迫ってくる。
「迎え撃つしかあらへんな」
マージンの言葉で、一瞬だが動きが止まっていたクライスト達はハッとなった。
「逃げるのは無理かのう?」
「近すぎるやろ。下手に後ろ見せるのはまずいわ」
マージンはそう答えると、大剣を抜き放った。
そしてクライストが、
「もう少しゴブリンから離れておこうぜ。後ろからも何かあったら面倒だ」
その言葉に仲間達は頷き、音が迫ってくる方へと歩き出した。が、せいぜい数m程度しか進めなかった。
ほとんど進まないうちに、それがクライスト達の前に現れたからである。
「でかいトカゲやなっ!」
走ってきた勢いそのままに襲いかかってくる銀色のトカゲ。
体長5mと下手なワニより大きなそれは、全身を銀色に光る鱗で覆われていた。足が3対6本あるのはご愛敬だろうか。口も身体のサイズに見合うだけの大きさを備えている。ただ、牙のような物は一切生えていなかった。
マージンは横っ飛びにトカゲの突撃を躱すと、口を大きく開けたトカゲの頭に勢いよく大剣を振り下ろし、
ガンッ!
金属でもぶったたいたかのような大きな音共に、弾き返されていた。
「マジか!?」
トカゲに全くダメージを与えられなかった事にマージンが驚いた。だが、全くの無駄でもなかったようである。
鱗は剣を弾き返すほどに頑丈だったようだが、マージンの一撃を食らった銀色のトカゲは大剣の勢いに耐えかねて地面に激突していた。
そうして動きが止まったトカゲに、クライストの拳打とリリーの精霊魔術が襲いかかった。
が、
「駄目だ!固すぎて手に負えねぇ!」
「あたしも駄目!鱗固すぎ!」
いとも容易く弾かれ、水飛沫が上がるだけに終わった。
そして、二人の攻撃をも弾き返した銀色のトカゲはゆうゆうと地面から立ち上がった。
「口ん中は柔らかそうやけどな!」
そう言いながら、トカゲの注意を引くべくマージンが再びトカゲの頭へと大剣を振り下ろした。
ガンッ
再び金属同士をぶつけるような固い音が響き渡った。
だが、さっきと違う事もある。
「まずっ!」
マージンはそう叫ぶと、勢いよく後ろに跳んだ。その直後、今度は地面に叩き付けられずに耐えた銀色のトカゲが、今までマージンがいた空間でバクリと大きな音を立ててその口を閉じていた。
そんな感じで思った以上に厄介そうな銀色のトカゲと戦っているクライスト達は、自分たちを観察する視線がある事に気づいていなかった。尤も、視線を感じ取るなどという真似が出来るかどうかは別ではあるが。
それはさておき。
クライスト達からゴブリンの子供が貼り付けられた木を挟んで反対側の森の中に、人影が二つ潜んでクライスト達が銀色のトカゲと戦う様子を観察していた。
「……ちっ、思った以上にやるな、あいつら」
「いーんじゃない?あんまり弱すぎると、お目当ての娘もあのトカゲにぱっくりやられちゃうわよ?」
舌打ちしたクラッシュに、ビビアンが呑気にそう言った。
その言葉にクラッシュは顔を顰めた。それでは目的が半分達成できないからだ。
クラッシュの目的は2つあった。1つは町で自分に恥をかかせてくれた青い服の冒険者を殺す事である。大剣は飾りではなかったらしいが、見たところ、ゴブリンを食い荒らしていた銀色のトカゲにはほとんどダメージを与えられていない。だが、思った以上に粘っている様子にクラッシュは舌打ちしたのだった。
ちなみにもう1つの目的は、同行している金髪碧眼の少女にある。スピードあたりに言わせれば物足りない身体だが、クラッシュにとってはあのくらいがちょうど良い。魔法を使えるのは予想外だったが、クラッシュは大して気にしていなかった。どうせ、魔法など使う暇は与えるつもりはない。
いつものように仕留めた獲物の柔肌を味わうその瞬間を想像し、クラッシュの口元が歪んだ。
ビビアンは呆れたようにそれを一瞥すると、再び銀色のトカゲと戦う冒険者たちへと視線を戻した。そしてある事に気づいた。
「……あの紫色の女、何かするつもりみたいよ?」
そう言ったビビアンの視線をクラッシュが追いかけると、確かに紫色の服を着た美女が立ち尽くしたまま何事か呟いていた。その内容全くは聞き取れなかったが、すぐにクラッシュ達は驚愕に目を見開いた。
「攻撃魔法!?」
紫の服の美女の頭上に現れた炎の球に小声とはいえ驚きの声を上げた二人。しかしすぐに驚きを抑えつけた。何しろ、金髪の少女も魔法らしきものを使っていたのだ。少し考えてみれば、想像しておいても良い事だった。
やがて二人が息を潜めて見つめる前で、美女の魔法が完成したらしい。突如、銀色のトカゲの相手をしていた青い服の男と白い服の男が、トカゲから大きく距離を取った。すかさず美女の頭上から放たれた火球が銀色のトカゲ目掛けて飛び、直後、銀色のトカゲに直撃した火球が爆発を起こした。
「マジかっ?」
これは流石に予定外だとクラッシュは焦った。が、
「……思った以上に頑丈みたいだぜ、あのトカゲ」
後ろからかけられた声にまだ残っていた炎へと視線をやると、炎の中から銀色に輝くトカゲが飛び出して青い服の男へと飛びかかるところだった。
その様子に思わずにやりと笑いながら、クラッシュは後ろへと声をかけた。
「流石、MPKはお手の物だよな」
そこにいたのは二色頭こと、スピードである。
「いや、結構危なかったんだぜ?思ったより、速かったんだよ」
そう答えつつも、スピードもにやにやと笑っていた。その視線はクラッシュではなく更にその先の銀色のトカゲと、トカゲと戦っている冒険者たちへと向いていた。
「まあ、わざわざぶつけた甲斐はあったみたいだな」
自分の仕事の結果に、スピードは満足そうに笑い、それから表情を引き締めた。
「で、これからどうする?思った以上にあのトカゲ、頑丈だぜ?」
そう言ってスピードは言外に、失敗すれば獲物が全滅するぞとクラッシュに訊いた。
それには流石にクラッシュも顔を顰めた。
「……確かに、ちょっと頑丈すぎるな」
隙を突いた不意打ちで青服の冒険者たちを全滅させる予定だったのだが、あのトカゲの強さでは下手に手を出せば全滅しすぎる可能性が高かった。つまり、少女までトカゲの餌になってしまう。それは避けたかった。
かといって、折角のチャンスでもある。今更襲撃を止めるつもりもなかった。
要するに、少女を諦めるか否か。ただそれだけである。
暫く悩んでいたクラッシュだったが、結論は出たらしい。
「ま、死んだらその時だ」
そう言いつつも諦めきれない様子がプンプンと漂っていたのに、スピードとビビアンは苦笑した。が、わざわざそれを指摘したりはしなかった。
そんな仲間達の反応を気にする事なく、クラッシュはアイテムボックスからボウガンを取り出し、
「ちょっと予定が変わったけどな、最初はこれでいく」
そう言いながら、先が何かの液体でぬらりと光る矢をボウガンにセットした。
「魔術も効かないとか、そんなんありかよ!?」
クライストが叫んだ。
その視線の先には、炎から飛び出してきた銀色のトカゲに再び追い回されているマージンが見え隠れしていた。
時折木々の向こうから響いてくる激突音は、マージンが大剣を振るってはトカゲの鱗に弾き返されているのだろう。だが、おかげでディアナやリリーがトカゲに狙われる事もない。
それはさておき、クライストの声が聞こえたのだろう。
「いや、少しは効いたみたいや!」
と逃げ回りながらマージンが叫んだ。端から見ているとよく分からないが、追いかけられているマージンはそう感じたらしい。
「ああ言ってるってことは、何発か当てれば仕留められるってことか?」
「……10発とか言われると無理じゃぞ?」
クライストの言葉に、ディアナが自己申告した。それを聞いたクライストが、
「あと10発で倒せると思うか!?」
とマージンに叫んだ。
「無理やろっ!」
離れた木々の向こうからマージンの叫び声が返ってきた。
その返事に、クライスト達の顔がいっそう険しくなった。詰まるところ、銀色のトカゲを倒す手段がないという事になるからである。
その時、シュッという音がした。直後、少し離れた藪からがさっという音がして、クライストたちはいっせいに身構えた。
「なんだっ!?」
だが、藪はそれっきり沈黙を保ち、何も起きなかった。
それでもクライスト達は油断はしない。ディアナが手に構えた槍を勢いよく藪に突き立て、
「……気のせいのようじゃのう」
何の手応えもない事を確認した。念のため、槍で何度か突いた上で藪の裏を覗き込み、それでやっと一息吐く。
それを見ていたクライストもふぅと息を吐いたその後ろで、
どさり……
「リリー!?」
リリーが崩れ落ちた。
「はっ……はっ……」
苦しそうに息をするリリーにディアナが駆け寄り、その横でクライストが周囲を警戒しながら、
「ディアナっ、どういうことだ!?」
そう声をかけたが、
「分からぬ!リリー!リリー!」
青ざめた様子でディアナが必死にリリーに声をかける。
だが、リリーは苦しげに顔を歪めたまま、口をぱくぱくとさせるだけで何も言わない。いや、言えないのだろう。
「何があったんや!?」
異常を察知したのか、遠くからマージンが叫ぶ声が聞こえてきたが、ディアナもクライストもそれどころではなかった。
「クライスト、治癒魔術を頼む!」
「ああ!ディアナは警戒を頼んだ!なんかおかしいぜ!」
そう言ってクライストとディアナは役目を入れ替えた。そしてクライストはすぐに治癒魔術の詠唱を始める。
だが、
「何でだ!?治癒が効かねぇぞ!?」
確かに治癒魔術は発動したにもかかわらず、リリーの様子に変化が見られず、クライストが叫んだ。
一方、ディアナはクライストの叫びにある可能性を思いつき、アイテムボックスからポーションを取り出していた。
「毒かもしれん!」
そう言って、クライストにポーションを投げ渡した。
「そうか!」
クライストもディアナの言葉を聞いてその可能性に思い当たったらしい。急いで受け取ったポーションの蓋を開けるとリリーの口に流し込んだ。一気にではなく少しずつだったのは、流石と言えるだろう。
だが、痙攣を始めていたリリーはそれを上手く飲む事が出来なかった。
その様子にクライストが焦る。
「くそっ!まずいぞ!?」
そう叫んだクライストの耳に、空気を裂く微かな異音が届いた。
「なんだこれ!?」
条件反射でそれを叩き落としたクライストの目に、一本の短い矢が映った。
「毒矢……PKじゃな!」
それを見たディアナは一瞬で全てを察した。
「PK!?まずいだろ、それは!」
一息遅れて状況を把握したクライストが、リリーを気にしながらも立ち上がった。
「ちっ!」
その様子を見ていたクラッシュは、構えていたボウガンを素早くアイテムボックスに放り込むと、代わりに褐色の小瓶を取り出しながら仲間二人に合図を出した。
「撤退だ!距離を取るぞ!」
まさかボウガンの矢を叩き落とされるとは思っていなかったクラッシュはこのまま叫びだしたい衝動に駆られたが、それを抑え、クライスト達の様子を窺いながらゆっくりと後退する。
場所は兎に角、方向は既に割れているとみていい。いや、そう考えるべきだろう。それくらい慎重でなくては、ここにはいない。
フィールドで他の冒険者たちを襲う事に必ずしも成功するわけではないのだ。それでもクラッシュ達が犯罪者として手配される羽目になっていないのは、しっぽを全く掴ませないからだった。証拠どころか疑われるような状況すら徹底して避ける事で、犯罪者として負われる事を防いでいるのである。
無言で斜めに撤退を始めたスピードとビビアンを一瞥すると、クラッシュはクライスト達の方に向き直り、手にした小瓶を思いっきり投げつけた。
そして、後ろも見ずに一目散に、しかし音など立てる事なく素早くその場を後にした。
飛んできた小瓶を柔らかく受け止めたのはディアナの機転だった。
「なんだそれ?」
小瓶が跳んできた方向への警戒を欠かさないまま、クライストが訊いた。
「十中八九、碌でもないものじゃろうよ」
ディアナはしかめ面でそう答えると、その褐色の小瓶をアイテムボックスにしまった。下手に出しておいて何かの拍子に割れてしまうと、これを投げつけてきたPKの思い通り碌でもない事になりそうだったからである。
正直、投げ返したいところだったが、風向きを考えるとそれは得策と言えなかった。下手すれば、小瓶の中から溢れた何かが風に乗って戻ってきかねない。
「しかし、こんなものを投げてきたということは……」
ディアナはそう呟くと、力尽きたのが動かなくなってしまっていたゴブリンの子供。その向こうの森の奥を睨み付けた。
(少数、かのう?十分な人数がおれば、こちらに気づかれた時点で襲ってきておってもおかしくないしのう)
そう推理するが、正しいとも限らない。下手に考えを口にしてクライストの緊張が緩んでしまうのは避けたかったディアナは、リリーの様子を気にしつつもクライストと共に周囲への警戒を続けた。
その耳に背にした森の奥からくぐもった悲鳴が届いた。
「っ!」
思わず振り向きそうになったディアナは、しかしクライストが先に振り向いた事に気づくと、正面を睨み付け続けた。
「まさかマージンが!?」
「いや、違うじゃろう」
ディアナは困惑しながらもクライストの言葉を即座に否定した。さっきの悲鳴は人間の声ではなかったからだ。
だが、クライストほどではないがディアナも混乱していたし不安に襲われていた。
何が起きているのかさっぱり分からない。これからどうなるのかも分からない。今、少し離れたところにいるマージンが無事なのかどうかすらも、である。
だが、心配事の1つはすぐに解消する事になった。
「いや~……意外と何とかなるもんやな」
悲鳴が聞こえてきた方向からそんな声が聞こえてきた。
「マージン!無事だったんだな!」
流石に振り返ったディアナの目に、クライストが血まみれになったマージンへと駆け寄る姿が飛び込んできた。それで少しホッとしながらも、ディアナは気を抜かなかった。
まだ、PKが残っているかも知れないのだ。
そう思い直し、ディアナはまた元の方向に向き直ると警戒を続けた。
その耳にマージンの声が聞こえる。
「……リリーはどないしたんや?」
地面に倒れたリリーに気づいたマージンは、その側に片膝をつき、リリーの様子を確認し始めた。
「……PKに毒矢で狙われた。ポーションを飲ませようとしたんだが……」
悔しそうに説明するクライスト。しかしマージンの表情はPKと聞いたところで険しくなりはしたが、慌てる事はなかった。
「クライスト、リリーに治癒魔術かけたってくれ。毒いうても強いんじゃなかったみたいやな」
「え?」
マージンの言葉にクライストだけでなく、ディアナも間の抜けた声を出していた。だが、確かに先ほどまであれほど苦しんでいたリリーだったが、今ではすっかり呼吸も落ち着いていた。
「さっきまでどうやったんか知らんけど、大丈夫そうや。念のため治癒魔術かけて、それからポーション少し飲ませたら大丈夫やろ」
そう言ったマージンは脈を診るためか手に取っていたリリーの右手をゆっくり下ろすと、厳しい目つきで周囲の森を睨み付けた。
「……PKはまだおると思うか?」
その言葉に、リリーは無事そうだと聞いて抜けかけていたクライストとディアナの気が引き締まった。
「分からぬ。……ただ、襲ってくるならとっくに襲ってきておるじゃろうな」
ディアナはそう言うと先ほどアイテムボックスにしまった小瓶を取り出した。
「これを投げてきたのじゃが……何か分かるかのう?」
「……毒みたいやな」
瓶の蓋を慎重に開け、少しだけ臭いを嗅いだマージンはそう答えた。勿論、瓶は即座に蓋をしてアイテムボックスにしまい込んでいる。
「ふむ。なら、もう襲ってくる事は……」
「多分、ないやろな。これで戦力を削いで襲ってくる予定やったんやろうけど失敗した以上、慎重なヤツなら無理はせえへんやろ」
マージンも自分と同じ予想だったと知り、ディアナは今度こそ大きく息を吐いた。少し遅れてマージンも息を吐く。
尤も、クライストはまだ不安が残っていたらしい。
「慎重なヤツじゃなかったら?」
リリーに治癒魔術をかけ終えると、マージンにそう訊いてきた。
「襲ってくるかも知れへんけど、ま、可能性は低いやろな」
マージンはそう答えると、クライストに代わってリリーの側に戻った。そして呼吸を確かめ、再び脈を取り、ポーションを取り出したが、
「……意識がなかったら、飲めへんか」
そう言ってポーションをしまった。
尤も、すっかり息が落ち着いたリリーの様子から、既に大丈夫だろうとクライストもディアナも感じていたので、文句は出なかった。
「で、これからどないするんや?」
アイテムボックスから取り出した寝袋を広げ、ディアナに頼んでその上にリリーを寝かせたマージンはそう訊いた。
「あ、ああ。そうだな」
冷静さを保っているようで、それなりに気が動転していたのだろう。マージンの問いかけで、クライストはやっとその事に考えが至ったようだった。
だが、これからの事と言われて、方針など今更1つしかない。
「フォストに戻るべきだよな」
「そうじゃな」
「やっぱ、そうなるわな」
クライストが言った言葉に、ディアナもマージンもあっさり頷いた。
そうと決まるとすぐに移動である。
「リリーはディアナが背負ってくれ。マージンと俺は前衛だ」
クライストの指示に従いその場を離れる準備が出来ると、一行はすぐにフォストへ向かって歩き出した。
そして、口から血を流して死んでいる銀色のトカゲの横を通りかかった時、
「……そーいや、よくこんなの一人で倒したな」
クライストが感心したように言うと、
「あー……よう見ると、しょっちゅう口開けとったからな。幸い口ん中は柔らかかったみたいで、思いっきり剣で突いたら思ったよりあっさりやれたんや」
その言葉どおり、銀色のトカゲの身体にはこれといった傷が付いていなかった。だが、クライストとディアナが気になったのはそこではなかった。
「口ん中?」
「そやけど?」
それでクライストとディアナは、先ほどから臭っていた臭いの正体に思い当たった。
「それでマージン、そんなに臭いんじゃな……」
「ああ……トカゲの唾液かよ……」
「臭いって……しゃーないやろ……」
今更ながら思わず少し距離を取ったクライストとディアナの様子に、マージンが傷ついたような顔になった。
その様子に思わずクライストとディアナの表情が緩んだ。
が、それで余計にマージンが拗ねてしまう。
「どうせわいは臭いですよ。そーですよ」
そう言いながら、足を速め、先へと進んで行ってしまった。
流石にそれはまずいとディアナがマージンを追い、その後ろを守るようにクライストが続いた。
「ちっ、あれも躱しやがったのか」
離れた木の上からフォストへと戻っていくクライスト達を見つけ、クラッシュは舌打ちしていた。
尤も、今はこれ以上ちょっかいをかけるつもりはない。ふざけているように見えたが、それでも警戒しているのは間違いない。そこに余計な事をして姿など見られたら……その程度の事を想像するだけの頭は持っていた。
「あのトカゲも何とかしたってことか。あいつら、大したもんだな」
クラッシュの隣ではそんな事を良いながらスピードが感心していた。
その様子も忌々しく思いながら、流石にクラッシュも仲間に八つ当たりはしない。その程度の分別はあった。
が、
「んで、どーするよ?」
「……割り当て区域に一度戻るしかないだろうが」
スピードへの答えに苛立ちが混じったのは、どうにもならなかった。勿論、その程度の事で今更スピードやビビアンが気を悪くする事などない。
「ま、成果なしで戻るわけにもいかねーよな」
あっけらかんとした様子のスピードだったが、
「しかし、あの紫色の女。服の趣味はあれだが、ちょっと勿体ないよな」
と残念そうに言った。クラッシュとつるんでいるだけあって、やはり堅気とは言い難い部分があるのである。
それに呆れかえったような視線を送りながら、
「また浮気?ま、いーけどね」
そうビビアンが言った。
尤も、そんな仲間二人のやりとりなど既にクラッシュの耳には入っていなかった。
どうやってクライスト達を――名前など知らないのだが――仕留めるか。既にその事ばかりを考えていたのだった。




