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ジ・アナザー  作者: sularis
第十章 それぞれの旅
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第十章 第十話 ~それぞれの場所で~

「おっしゃ!できたで!!」

 その上に雑多なものをごっちゃりと載せた幾つもの大きな机に囲まれ、広いはずなのに妙にせせこましく見える部屋の中でマージンが歓喜の声を上げた。

「本当ですか!?」

「師匠見せてください!!」

 その声を聞きつけ、近くで机の上に置いた何かに向き合って作業していた二人の青年が、マージンの元へと駆け寄ってきた。

「ほら、これや」

 そう言ってマージンが青年達に見せたのは一枚のカードである。

「表面に何か書いてみてもいいですか?」

「おう。たっぷり実験したってくれ」

 マージンが頷くやいなや、黒髪の青年が机の上から鉛筆やら塗料やらナイフやらを取ってきた。

「まずは鉛筆から……」

 それらを取ってきた黒髪の青年はそう言うと、マージンから手渡されたカードを机の上に置き、早速がりがりとカードの表面に適当な線を引いていく。

 それを横から見ているマージンともう一人の明るい茶色の髪の青年。

 やがて黒髪の青年は線を引く手を止めた。既にカードの表面は真っ黒である。

「では、いきます」

 黒髪の青年はそう言うとカードを立て、とんとんと机の上で衝撃を与えた。

 すると、見る間にカードの表面にこびりついた黒鉛が剥がれ落ちていく。

「「おお……」」

「うんうん。予定通りや」

 感激の声を上げる青年達とは別に、満足そうにマージンは頷いた。


 そんな彼らがいるここは、ラスベガスにある冒険者ギルド専属工房の一室だった。

 ここに引きこもって彼らが何をしているのかというと、冒険者に配布する新しい仕様の冒険者カードの試作である。

 冒険者ギルドでは有象無象の冒険者たちをランク付けしようとしていたのだが、問題があった。情報の偽装である。

 冒険者のランク付けの目的は、難易度や信用度に合った仕事を冒険者に請け負って貰う事である。これによって、冒険者が身の丈に合わない仕事を受けて命を落としたり、逆に手練れのはずである冒険者が初心者向けのちょろい仕事ばかりをこなしたり、あるいは良からぬ事を考えている冒険者に商隊の護衛を任せてしまったり、などという事態を減らそうというわけである。

 だが、ここで問題が発生した。

 冒険者によるランクの偽装をどうやって防ぐかである。偽装を防ぐ事が出来なければ、美味しい仕事を受けるためにランクの偽装をする冒険者が続出する事など目に見えていた。

 そこでギンジロウ達大陸会議が目を付けたのが、蒼い月が持ち帰ったマジックアイテム制作技術である。

 マジックアイテムで冒険者カードを製作し、その製法を門外不出とすれば偽造はほぼ不可能になる。

 このアイデア自体は暫く前からあったのだが、まずは軍の精鋭部隊用の強化用マジックアイテムの製作を優先して依頼したこともあり、すっかり後回しになっていたのだった。


「できたってホントか!?」

 一通り試験を終えた後、茶髪の青年に呼びにいかせたギンジロウが、そう言って部屋に飛び込んできた。

 普段ならキングダムにいるギンジロウであるが、蒼い月が当分ラスベガスから離れられないという事で、彼の方からラスベガスまでやって来ていた。

「ああ。これや」

 マージンが先ほど完成し、テストも終えたカードを投げて寄越した。それを受け取ったギンジロウはまじまじとそれを見て、

「偽造対策は?」

「ばっちりや。表面に落書きは出来るけど指で擦るだけで簡単に剥がれるしな」

 そう言ってマージンはにやりと笑った。


 ちなみに偽装対策で一番苦労したのが、表面に何か上書きされる事だった。

 そこで表面に何を書いても簡単に落とせるようにすることになった。これなら、塗料で文字を誤魔化そうとしてもギルドの受付で簡単に調べられる。真っ赤な偽物でも、受付でインクでも掛けてそれがその場で簡単に落ちるか調べるだけで、すぐに判別できる。

 ちなみに本物を盗んで誰かになりすます――という可能性については、主に所有者にアイテムボックスにしっかりしまっておいて貰うことで対応する手筈となっていた。実際にはシリアル番号も付けておくので、盗まれてもその番号で識別できるのだが。


 それを聞いたギンジロウは満足そうに頷くと、もう1つの懸念を確認する事にした。

「それで、どのくらいのペースで作れそうだ?」

 この問いにはマージンも難しい顔になった。

「まー、わいなら一日2枚。ここの二人ならそれぞれ一日1枚ってとこやろな」

「ということは、当面は配布できる連中も相当限られるか」


 この問題は、冒険者カードをマジックアイテムとして配布する案が出た時から想定されていた。

 現在ギルドに登録している冒険者の総数は軽く10万人を越えている。設備や連絡手段の問題もあってまだきちんと集計できていないのだが、登録するだけなら無料(ただ)ということもあり、軍に所属している兵士や商人、生産者などもかなりの割合で登録だけはしているのだ。なので、おそらく20万人前後登録していてもおかしくないというのが冒険者ギルド上層部の見積もりだった。

 おそらく作るのに手間がかかるアイテムをその全員に配布するのは不可能だという事は、早々に予想がついた。なので、解決案も既に用意されている。


「それじゃ、配布は予定通り最上位の冒険者からか。それだと大体一月くらいで数が揃うはずだよな?」

「そうやな。一月あれば5~60枚くらい用意できるはずやし、そんなとこやろ」

 開発および製作方法の指導までは行ったが、実際の量産までは手伝うつもりのない――蒼い月の仲間の分だけは作るつもりだが――マージンが呑気に答えた。

 そんなマージンにギンジロウがどことなく残念そうに言った。

「出来ればマージンにはもっと手伝って欲しかったけどな」

「いやいや。わいは別のマジックアイテムの開発してみたいんや。量産とかは堪忍やで」

 それを聞いた青年二人が元気よく言う。

「我々が頑張ります!」

「師匠、カードについては気にせず、開発頑張ってください!」

 そんな二人の様子にマージンが笑いながら、

「ああ、期待しとるで。その分、何かええもん出来たら持ってきたるわ」

 その様子を見ていたギンジロウはふと思い出したようにマージンを手招きし、二人で部屋の外へと出た。

「なんや?」

 首を傾げるマージンに、ギンジロウは周囲の様子を窺うと小声で話しかけた。

「蒼い月の他の連中は、最近エネミー退治がメインか?」

「そやな。生活費を稼がんとあかんから、頑張っとるで。何か問題でもあるんか?」

 そこでギンジロウは改めて周囲に人気がない事を確認すると、マージンに耳打ちした。

「最近、各地で小規模な商隊が幾つか行方不明になってる。馬車や荷物だけが街道の側に取り残される形でな」

「マジ?」

 目を見開いたマージンに声を抑えるように言うと、ギンジロウは言葉を続けた。

「騒ぎになって欲しくないからまだ秘密裏に調査しているところなんだけどな。残念ながら犯人の手がかりも掴めていない。街の外でも中でも怪しい連中を見かけたら、情報をくれるように伝えておいてくれないか?」

 その真剣な言葉に、マージンは無言で頷いた。



 その頃、ラスベガスにあるこじんまりとした建物の1つでは、赤子の泣き声が響いていた。

 ミネアは些か不格好な揺りかごからその赤ん坊を抱き上げ、ゆっくりと揺らしながらよしよしとあやす。

「お腹……すいたの?」

 そう言いながら赤ん坊の頭を優しく撫でると、赤ん坊はすぐに泣き止んだ。

「ふむ。単に寂しかっただけのようじゃのう」

「そうみたい……ですね」

 鳴き声を聞きつけてやって来たディアナに、しかしそちらに視線を向けることなくミネアは答えた。

 そのことに対し、ディアナは特に気にする素振りも見せない。ミネアの親バカぶりにはもう慣れていたのだった。


 エラクリットから蒼い月一行がこのラスベガスまで戻ってきて既に1ヶ月近くが経っていた。

 ラスベガスに入る前頃からそろそろかと思われていたミネアの様子に、グランスたちは人も十分いるこの街でミネアの出産を待つ事を決めた。

 そしてラスベガスに着いてから2週間。つまり先週の事だが、ミネアはついに玉のような女の子を産んだのだった。

 蒼い月の仲間達はそれに驚いたり怯えたりしたが、最後には皆でミネアを祝福した。そして、冒険者ギルドの援助も受けて建物を1つ借り上げ、当分の生活拠点としたのだった。


 ディアナは我が子を大事に抱いているミネアを微笑ましく見ていたが、すぐにミネアの所にまで寄ってきた。

 そして、ミネアの腕の中ですやすやと寝始めた赤ん坊の顔を覗き込み、

「こうしてみると……まだまだ猿じゃのう……」

 そう言って眉を顰めた。

「人間の赤ん坊なんて……みんなこんなもの……ですよ」

「ふーむ……さっぱり可愛く見えぬのう……」

「そんなこと……ありません。ディアナも……産んだらきっと……分かります」

 ミネアは微笑みながらそう答えると、ディアナは困ったように笑った。

「む。その前に相手を探すところから始めねばならぬのじゃがのう……」



 さて、蒼い月の残りの三人の様子は、生活費を稼ぐためにラスベガス近郊でエネミーを狩っているだけなので割愛する。敢えて付け加えるなら、リリーとディアナは交代でミネアにつく事になっていることくらいだろう。

 それ以外は特に問題も特筆すべき事柄もない日々が続いていた。



 一方、キングダムにある大陸会議本部では、キングダムにいないギンジロウや軍の教練に忙しいレインのように、他に用事を抱えているメンバーを除いた数名が集まって会議をしていた。

 議題は、

「……ということで、これまでのところ、人間の子供そのものと言っていい成長をしているよ。ここが仮想現実のはずだという認識がなければ、区別などつかないだろうね」

 というケイの言葉どおり、生まれた子供達についてである。

「そうなると問題は、その子供達をどう扱うかだな」

「明らかに人間じゃないと感じられる何かがあれば、楽なんだけどね」

 厳ついパンカスの言葉に、人の良さそうな青年であるエルガンが答えた。

 その会話を見ていたケイは、大人しそうな青年へと視線を向けた。

 その視線を受けた青年――グラニッドが口を開く。

「保育園のメンバーはもう、あの子達を人間として扱ってるくらいです。今更NPCとかエネミーのように扱えと言ったら、多分、全員が辞職してしまいますよ」

 最近他にやる事もないしと、様々な事情から子供達を預かる施設である通称保育園の運営を買って出た彼の言葉に、出席していた全メンバーがため息を付いた。

「ペットか何かみたいに見てるってことはないのかい?」

 ケイの言葉にグラニッドはあっさり首を振る。

「話しかけまくってますからね。あれはどう見ても犬猫に対するそれとは違います」

「それってさ、彼女たちに限った事だと思うか?」

 カゲロウに訊かれたグラニッドは、再び首を振った。

「最初は嫌悪感をむき出しにしていた職員もいましたが、今では一人もいません。その前例を考えるなら、あの子達と触れ合う時間が長くなれば、誰もがあの子達を人間として扱うようになる可能性はあると思います」

 グラニッド自身は気づいてはないようだが、どうやらグラニッド本人もそうなりつつある事に、その言葉遣いから何人かは気づいた。

 その中の一人というか二人であるケイとパンカスは、さりげなく視線を交わし、ため息を付いた。

 子供達が本当の人間かどうかなど分からない。

 だが、ピーコの言葉を半分だけでも信じるというなら、この世界に骨を埋める覚悟は兎に角、この世界を見えるがままに受け入れる努力はした方が良さそうだった。

 少なくとも、小難しい事を考えているここのメンバーより、その保育園の職員達は幸せなのだろうから。

 あるいはそのことに気づいているメンバーもいるかも知れない。ただ、それでもそのことを受け入れるまで、もう暫く時間はかかりそうだった。



 さて、世の中そんな平和なものでもない。

 そもそもジ・アナザーから出られなくなった時点で平和なのかどうかと言う疑問はあるのだが、それでもほとんどの人間にとってはその日常とは思っている以上に平和なのだ。

 一方で、その平和な日常からこぼれ落ちる者たちも少なからずいた。

「んーっ!んんーっ!!」

「んーんーっ!!」

 そこそこ広い室内。その床の上に、猿轡をかまされ手足を丁寧に縛り上げられた何十人もの人間が転がされていた。

 彼らは性別も格好も様々で、ただ1つ共通しているのは皆比較的若くそれなりに容姿の整った者たちだという事であるが――ジ・アナザーという世界の成り立ちを考えるなら、むしろ容姿が整っていなかったり、明らかに若くない人間がいるほうがおかしいとも言える。

 ただ、彼らの姿を見るものが見れば、彼らこそがここしばらく相次いでいる行方不明事件の被害者達だと分かるだろう。

 尤も、ここには彼らを助けてくれるような者など一人としていない。彼ら自身のように床に転がされている者か、あるいは彼らをそのような立場におとしめた者か。

 彼らの苦鳴に満たされた部屋は、その全ての窓に板が打ち付けられ、外の光など一筋たりとも入ってきていない。それでも室内が暗くないのは、壁や床の上に無数に、整然と、ある規則性を持って配置された蝋燭のおかげだった。

 それらの無数の蝋燭と蝋燭をつなぐように赤い線で幾何学模様が描かれ、その要所要所に拐かされてきた人間達が転がされている。

 よく見ると、隣の部屋に繋がる扉の向こうには、同じように何人もの人間が転がされているのが見えた。だが、彼らは縛られていないにもかかわらず、逃げだそうとはしていない。いや、そもそも身動き1つしていない。

 時折彼らを視界に入れてしまった不運な者が、ますます激しく唸り、身をよじっている。彼らは隣の部屋で転がっている彼らの身の上に降りかかった災難を全て目の当たりにさせられているのだ。

 だが、暴れるあまり床の上に書かれた赤い線にピチャリと音を立てて頬が触れると、金縛りにあったかのように動きを止めた。

 そして次の瞬間、彼の腹に、側に歩いてやって来た男がそのつま先をめり込ませた。

「あーあー、こんなに暴れやがって」

 あまりの激痛に身もだえすら出来ない不運な男を元いた場所に蹴り戻すと、彼を蹴り飛ばした男は床の上に描かれた赤い線が崩れていないか確認した。

「……ぎりぎりセーフと。全く、これで実験に失敗したら、また何十人も攫ってこないといけないんだからな。大人しくしててくれよ?」

 男はそう言うと、くすんだ金髪をさっと掻き上げ、茶色い瞳で室内を一瞥した。

 室内にはくすんだ金髪の男――ギュンターの他にも数名の男達が歩き回りながら作業をしていた。そのほぼ全員がギュンターと同じ結社、ナイトガウンのメンバーである。

 その中に一人だけ別の結社の男が混じっていた。くすんだオレンジの髪に茶色の瞳。それ以外にこれといった特徴もない男はフランクだった。

 フランクはギュンターの所まで歩いてくると、先ほどギュンターに蹴飛ばされた男の様子を確認した。

「……さすが、力加減は完璧だな」

 息も絶え絶えにながらもそれでも蹴られた男が問題なく生きている事を確認したフランクは、感心したように声を上げた。

「ったりまえだろ?未知の術の実験だぜ?うっかり殺したりするかっての」

 そう言いながらも、ギュンターは特に気を悪くした様子もない。尤も、ギュンターが気分を損ねていたならフランクの命も危ないのだが。

「しっかし、こんな術式をイデア社の連中がねぇ?」

「違うな。元はやつらのだろうが、出力不足を補えるように改造したのは俺たちだ」

 フランクの訂正を、「そうだったっけか?」とギュンターは笑いながら流した。

 フランクもその程度の事にあまり目くじらを立てていても仕方ないと分かっているので、それ以上は何も言わない。


 今、彼らがやろうとしているのは、フランク達がロイドの小屋で発見した一枚の紙切れ。そこに書かれていた魔術の実験だった。

 正確には、特に危険はないだろうとフランク達ペトーテロ内部で何度か発動させようと実験していた。だが、結局一度も成功しなかったため、こうしてナイトガウンに持ち込んだのである。

 ペトーテロは魔術が発動しなかった理由が魔力不足にあると判断しており、ナイトガウンに持ち込む前に術式の改変を行っていた。その改変こそがフランク達ペトーテロがないとガウンの協力を仰いだ理由でもある。

 というのも、魔力不足を補うために行った彼らの改変は、魔術の発動に際し、多数の生け贄を必要とするようにするものだったのだ。

 そんな術式を手に入れたナイトガウンは、キングダムから北東にいったところにある小さな街の一つに拠点を構え、周囲を通る小さな商隊や冒険者のパーティを幾つも誘拐して回った。冒険者たちもそこそこの手練れではあったのだが、多彩な魔術を使いこなすナイトガウンの魔術師達の前には為す術もなく捕らえられてしまったのである。

 そうして今夜、粗方の準備が整い、いよいよ魔術の実験が始まろうとしていた。


「呪文は……いいようだな?」

 赤い液体で描かれた魔方陣の周囲を、内部を歩き回りながら、ナイトガウンのメンバーが最終チェックをこなしていく。

「魔力の通りはほぼ予定通りだ。むしろちょっと多いか?」

「多いなら少し調整しろ。計算通りにしておかないと、面倒だぞ」

 そんな言葉と共に、ナイトガウンの一人が調整と称して生け贄の脇腹を蹴りつける。

「よし、下がったな」

 そんな感じで常人なら目を覆いたくなるような微調整が続けられ、いよいよ魔術の発動が始められた。

 あらかじめ指定された位置に立ち、6人の男達がゆっくりと呪文の詠唱を開始した。

 血臭と苦鳴に満ちた室内に、いっそ厳かとすら言えそうな呪文の詠唱が響き渡る。

 その果てに何が起こるのか、それは呪文を唱えている男達ですら知らない事だった。

 だが、少なくとも自分たちにとっては碌でもない事が起こる事だけは察した生け贄達が、よりいっそう大きなうなり声を上げ、何とかこの場を離れようと無駄なあがきを激しくする。

 尤も、何をどうしたところで生け贄にされた彼らの運命はもはや変わらなかった。

 呪文の詠唱が開始されて数十秒。僅かそれだけの時間で、彼らの身体からは一気に力が抜け始めていた。

 代わりにその力を受け取り流し始めた魔方陣が、ぼんやりと赤い光を放ち始める。

 その赤い光は徐々に強くなり、それによって力を吸い取られた生け贄達の苦鳴が徐々に小さくなっていく。しかもこの魔方陣は、生け贄の魔力だけを吸い取るわけではないらしい。

 魔力だけならばどれほど使い果たしてもせいぜい顔色が悪くなって気絶する程度なのだが、大人しくなった生け贄の男女はいずれもこの短時間で急激にその肌が乾き始めていた。それどころか、明らかにやせ細りつつすらある。

 だが、そんな彼らの様子を一切気にすることなく、魔方陣の周囲に立った男達は黙々と呪文を唱え続けていた。

 やがて、完全に黙り込んだ生け贄達はその目から一切の生気を失い、その頭からは髪すらことごとく失われ、全身の肉もやせ衰えて骨と皮だけになる。そして僅かに残った皮すらみるみるうちに失われ、最後には骨すら砂のように崩れ去ってしまった。

 そうして生け贄を完全に喰らい尽くした魔方陣は、今や太陽よりも眩しく輝いていた。

 その眩しさに耐えるかのように、6人の男達は目を閉じ、額から汗を垂らしながら詠唱を続ける。

 やがて魔方陣の輝きは魔方陣そのものから浮き上がると、急速に中央へと収束を開始した。

 禍々しいその赤い光はしかし次の瞬間、一瞬にしてフッと消えてしまう。

 だが、それは失敗などではない。6人の男達はそう察していた。

 彼らの感覚では、これで成功なのだ。

 だが、暫く待っても光が消えた後に何も起こらない。

 そのことに男達が失望しかけていた時である。

 ピシリ。

 そんな音がした。

 男達が動きを止め、音の出所へと、部屋の真ん中へと視線を向ける。

 ピシリ。

 もう一度音がした。

 今度は音だけではない。

 魔方陣の中央。そこに明らかにヒビが入っていた。

 ピシリ。

 音と共にそのヒビが一気に大きくなる。

 ピシリ。

 大きくなったヒビはその隙間から闇を覗かせ、ヒビの縁はその闇へと崩れ落ちていった。

 そうして大きくなっていく闇への穴。

 床の下には地面しかないはずだと男達は知っていた。ならば、崩れ落ちた床はどこへと消えていったのか。

 その答えが得られるよりも先に、その穴から這い出してきたものがある。

 それは黒かった。黒光りしていた。

 それは鋭かった。魔方陣が描かれた石の床に易々と食い込むほどに。

 要するにそれは黒い爪だった。

 爪は当然手から生えている。

 だがその手は明らかに5本の指を備えていながらも、決して人の手ではあり得ない。

 かといって、獣の足でもなかった。獣の足は何かを掴めるような形にはなっていないのだ。

 6人の男達の背中に冷たい何かを走らせつつ、死の匂いを濃厚に纏ったその手はやがて繋がる腕を引き上げ……



 突如鳴り響いた警報音に、室内でぼんやりしていた職員達は慌てふためいた。

「なんだ!何が起こった!」

 上座に配置された机に座っていた男が、つばを飛ばしかねない勢いで部下達に原因を問い質した。

 部下達は彼らの上司にあたる男に言われるまでもなく、それまでほったらかしにしていたモニターへと慌てて視線を戻し、驚愕の表情になった。

「……結界に穴が……」

「何?なんと言った!?」

 呆然とした部下の報告をよく聞き取れなかった上司の男が、怒鳴りつける。

 その甲斐があったわけでもないのだが、今度こそ部下の一人が大きな声ではっきりと叫んだ。

「イグドラシルの世界結界に穴が空きました!!」



 彼らが知った事と同じ事を、別の場所で感知した者達もいた。

 果てなく広がる闇の中で無数の銀色に輝き回り続ける環に切り取られた空間の中に、二人の人影が浮いていた。

「ああ、やっと穴が開いたか」

「予定より17秒遅かったわ。全く、人間って愚図な生き物よね」

 自らの赤い髪を弄びながら、人間の手では決して創る事が出来ないであろう美形の男が口にした言葉に、闇のように黒いドレスを身に纏い、黒いつややかな髪を足下より更に下まで垂らした同じく人間の手では創る事はおろか想像する事すら叶わないほどの美女が苛立ちを隠すことなく吐き捨てた。

「確かに愚図かも知れないが、不確定な存在でもあるからこそマスターも気に掛けておられるんだ。そうでなければ、マスターの予言がずれる事などあり得ないさ」

 そう言いながら男は女の髪をその手で優しく梳いた。

 それを気持ちよさそうに受け入れながら、女は目を閉じる。

「……そうね。それで、マスターにはこのことをお伝えしたの?」

「そんな必要があると思うか?マスターの事だ。とっくにご存じに違いないさ」

「それもそうね」

 女はそう優しく笑った。

 男も笑った。

 そして最後に女が一言。

「……マスターに早くお会いしたいわ」

これでジ・アナザー第十章も終わりです。


そしてなんとキリのいい事に、ちょうど100話目だったという。作者もびっくりです。



さてはて、ここで物語は大きく動き始める……のかと思いきや、例によってのんびりと話は続いていく予定です。メトロポリスとかさっぱり出てきてないしね!


ただ、主人公のスペックが上がったりすれば話の流れも多少早くなっていくはずです。ドラクエでも船とか不死鳥とか手に入れると急に世界が狭くなりますが、あれと同じです。きっと。……まぁ、グリフォンに7人も乗れるとは思わないのですが。



そんなこんなで当初思い描いていたプロットからはかなりずれた第十章おいでしたが、第十一章の当初の舞台はラスベガス近郊の予定です。果たしてそこで何が起こるのか。読者の方々の待っていた場面がいよいよ到来する、かもしれません。


では、いつもより長くなりましたが後書きもこれにて。……しかし、プロローグのくせに随分長い十話目になったな。

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