第二節:L'enfant ne de calamite
白亜の城、ハイブライト、今はアルディと呼ばれる王国があった。
当主の名はディアルトという。彼には二人の子があった。
兄の名はセイシェル・ハイブライト、弟の名はアイシア・ハイブライト。彼らは兄弟であり、跡継ぎとして争う運命にあった。
アルディに生まれし兄弟は生まれながらにして互いを憎み、殺し合う運命にあるはずだった。しかし、殺し合う運命にあるはずの兄弟の前に、突如現れたのはもう一人の子。
その子の名前はカイン。アルディを裏切った証として名付けられた子どもだった。
――いずれ彼はアルディを壊す運命を持ちし、災いの種となるだろう……。
****
今はアルディと呼ばれる白亜の城。
昔、この城の名はハイブライトと呼ばれていたが、ディアルトという者によってアルディと呼ばれるようになった。
彼がこの城を支配してからは、アルディを始めとする権力は絶対的な存在となり、広大な大陸を支配するようになる。
そんな白亜の城の中にある通路には赤絨毯を敷いており、壁には有名な画家が描いたと予測できる絵画が多数展示されている。その通路の端で二人の若い男が言い争っている。
アルディの長男セイシェル・ハイブライトとその弟アイシア・ハイブライト。
セイシェルは焦げたような茶色をした髪色が特徴であり、身に付けている衣服もアルディの長男と言うよりは、アルディに仕える召使いといった控えめなもので、周りの豪華な雰囲気とはどこか一線を画していた。
一方、彼の弟であるアイシアは銀色に近い髪に様々な装飾が施された衣服を身に付けている。
全体の雰囲気からも控えめであまり目立たないセイシェルと、豪華絢爛な雰囲気に引けを取らないアイシア。
そんなセイシェルは今日もアイシアに呼び出されていた。端から見れば、アイシアがセイシェルに命令し、彼はそれに従っているようにも見える。しかし、彼からするといきなり呼びつけられたことは不本意だったのだろう。
彼は先ほどまで読んでいた本を抱えたまま、自分を呼びつけたアイシアを睨み、容赦なく吐き捨てる。
「アイシア、何故私が此処に呼ばれなければならない」
何故いきなり呼びつけられなければならないのかと、セイシェルは憤慨しながらアイシアに言った。それに対してアイシアは溜め息をつきながら、セイシェルに向かって反論する。
「そう聞きながら、兄上は知っているはずですよ。何故私が兄上を呼び出したのか、何故シャールを連れてくるのか。その理由を絶対にあなたは知っている。それにあなたには言っておかなければならない」
彼は険しい表情でセイシェルを見据え、はっきりと言い放つ。
「あなたはご自分の居室に戻るまで“ホーリア”であってセイシェルではない。あくまでもあなたはアルディに仕える者ですよ。それを忘れないで頂きたい」
憤慨な態度を露わにし、声を荒げるセイシェルにアイシアは頭を抱えざるを得なかった。しかし、セイシェルに向かって言った時の彼の口調と視線からは有無を言わさぬ強さがあった。
これ以上アイシアに何かを言われてはかなわないとセイシェルは渋々頷き、文句を言うのをやめた。
漸く彼が納得してくれたことに些か安堵したアイシアも、これ以上セイシェルには何も言わず身を翻して去っていく。
通路とは言えとても広い空間。そこにり残されたセイシェルは俯き黙ったままだった。
静かになった空間から、不意にクツクツと言った、得体の知れない何か不気味な音が響き始めた。
「くっくっ……」
それは彼が発する笑い声だったのだろう。しかし、彼はただ笑うだけで何一つ言葉を発しない。
「くっくっく……」
暗く、低く、響き渡る不気味な音。狂ったのではないかと思わせる彼の含み笑い。
先ほどの憤慨した時のセイシェルの面影はなく、しかし、どこか暗い雰囲気を纏っていた。
「あの子とともに、な?」
ぴたりと笑いを止め、どこか不敵な笑みを浮かべ始める。
「……」
伏せていた顔をゆっくりと上げ、やがて歩き始めた。
「……アイシア。どうやら私はお前のように従順な駒でいることは出来ないみたいだな」
抑揚のない、淡々とした口調とは裏腹に彼の表情は自信に満ちたものだった。
****
その頃、シャール・レイモンドの住む村では、少しの変化が生じ始めていた。
年は約十三ぐらいだろうと予測できる。まだあどけなさが残った少年が走っていた。少年にしては少し長めの髪を邪魔にならないよう項で一つに束ねている。束ねられた髪は彼の動きに合わせて揺れていた。
「母さん、父さん、レイ」
彼の言動はどこか弾んだものであり、恐らく母に会えることが嬉しいのだろう。事実、少年が浮かべる表情は喜びに満ちていた。
自分の帰還を待っている母たちに早く会いたいという思いからなのか、走るスピードは徐々に加速していく。
「あの話、聞きたいな……。俺が……カインが、アルディのセイシェルの弟だったという話」
もっと詳しくという声はとても小さいものだったが少年は確かに呟いた。
(あれは今から三年前)
両親と妹と何事もなく暮らしていたある日の事だった。
****
カイン・ノアシェラン。彼の故郷である村では、何故かカイン様と呼ばれていた。
これはまだ彼がアルディに向かう前の話。
両親の寝室の片付けを任されていたカインは偶々タンスの中身を整理していた。
「……これは?」
引き出しの中から出て来たのは銀のチェーンに十字架というネックレスを見つけた。は“セイシェル”と言う名前が刻まれている。一体どういうことなのだろう。
気になった彼は直ぐに母であるソフィア・ノアシェランのところへ走る。
「母さん、母さん」
興奮したように二度も呼ぶカインに驚いた母は彼の方を向いた。
「まあ、急にどうしたの……何かあったの?」
多分、興奮が最高潮に達していたのだろう。母のことなどちっとも考えていなかったのかも知れない。
だから、彼は何の躊躇いもなく十字架のネックレスを母に突きつけた。
「セイシェルってアルディの? 旧ハイブライト家の? ねえ、どういうことなの?」
やはり、彼は興奮していた。ただ、どうしても知りたかった。
アルディのセイシェルが自分とどういう関係なのか。母はどうしてセイシェルのことを知っているのかを、彼は知りたかった。しかし、カインに突きつけられたソフィアは口を手で押さえ、ガタガタと震えていた。
その様子を見たカインはソフィアの肩を激しく揺さぶって問い掛ける。
「セイシェルは俺にとってお兄ちゃんになるんだよね!? ねえ、母さん、お願いだから教えてよ!」
やはり、何の躊躇うことなくカインはしゃがみ込んでソフィアに請う。そんな彼の様子を見た母は手で顔を覆って泣きながら言った。
「ごめんね、カイン……これは……」
“お兄ちゃんのものなの”
最後の声は掠れていたが、カインには聞こえていた。
はっきりと、彼女が言ったこと全てが聞こえてしまった。
セイシェルが自分の兄であるという事実を知り、ショックを受けたカインは呆然としてしまった。
もし、セイシェルが兄であるなら、母は彼を捨てたことになる。
「どうして、セイシェルを」
カインは途切れた声で問う。
兄はどこにいるのか、今はどうしているのか。
(もう、全てを話さないといけない)
過去に犯した罪――身勝手な自分のことも、セイシェルのことも全てカインに話すべきだと思った。
もうこれ以上、カインに惨めな思いはさせたくなかったのだ。例え、彼が軽蔑しようと。
「セイシェルは……」
話はここから始まった。
****
ソフィア・ノアシェランはアルディに仕える召使いだった。 何故、召使いになったのかと言うと身寄りのないソフィアをアルディが引き取ったからだ。
アルディに仕えるうちに、彼女はディアルトとシリウスというアルディの二人息子と交流を重ねるようになった。
特にシリウスに対しては淡い恋心が芽生え始めるようになるが、ソフィアはあくまでも二人と一緒に居続けたいと思い、シリウスに対する恋心を封じることにした。
月日は流れ、彼女が十六になるとアルディはディアルトとの婚約を持ち掛けてきた。それだけではない、アルディは突然シリウスを追放したのだ。
何故、シリウスを追放したのか。その理由が分からないまま、彼女はディアルトと婚約した。
(どうしてこうなったのか)
ソフィアはディアルトに問うが無駄だった。ディアルトはシリウスが邪魔だったと強く言うだけで詳細は話さなかった。
(シリウス、あなたに会いたい)
今思えば、シリウスは変わり果てた兄を憂い、アルディを去ったのだと分かるが、当時は何も分からなかった。
そんな中でのディアルトとの婚約はとても不本意なもので、シリウスが目の前からいなくなったことに対しては怒りを通り越して悲しみを覚えた。
ディアルトは力を求め、シリウスを排除し、シリウスはディアルトの変貌を憂いアルディを去る。
(どうしてこうなってしまったのか)
そう考えているうちに彼との間に第一子が誕生した。
子どもの名前はセイシェル。
父親こそ違えど、彼は間違い無くカインの兄だった。
アルディ内での窮屈な暮らしの中で唯一の楽しみと心のより所はセイシェルの成長である。健気に母を慕う彼の姿を見る度にいとおしく思うようになった。
――彼は本当にディアルトの子どもだろうか……。
自分を慕ってくれる無邪気な笑顔と、他者を気遣う優しい性格はシリウスに瓜二つだ。
『この子は私が守る』
アルディに留まったのはセイシェルの為だった。しかし、シリウスに再会してからは、大体予想出来る。
母の話はここで終わった。
****
「セイシェル」
シリウスの手を取ってアルディから去った時、どうしてセイシェルを置いていったのか。
母の話からはセイシェルを疎ましいと思った様子はなく、シリウスと一緒に居たいが為にセイシェルのことを考えたくなかったということもないだろう。しかし、どのような事情があれど母に置き去りにされたセイシェルは、母のことをどう思っているのだろうか。
「……セイシェル」
無意識に名前を呟いた母は手で顔を覆った。
「私、バカだった……どうしてセイシェルをアルディに置いていってしまったのか……ごめんなさい、ごめんなさい、セイシェル……」
哀れな母の姿にカインは何も言えなかった。しかし、セイシェルをアルディに残した理由は話すことはなかった。
(……知るべきだ)
アルディに行けば分かると、カインは単純にそう考えた。
そして、アエタイトに向かって行った時、アルディに訓練生を募集していたことを知り、カインはそこに入った。
全てはアルディにいるセイシェルに会うためだったが、カインの予想していた以上に厳しい現実が待ち受けていたのだ。
――彼を待ち受けていたのは身分差から生じる差別。
アルディ内の者は殆どが上級階級の生まれであり、下級階級の者に対しての扱いは酷いものだった。
アルディ内に入った時、訓練生の一人に試しにと剣の勝負を挑まれた。
恐らくカインの容姿から下級階級と思っていたのだろうが、勝負を挑んできたのだが、結果はカインの圧勝に終わった。そこで彼は目を付けられ、虐げられるようになった。しかし、カインはそんなことで怯むことはなかった。
理由は、権力に物を言わせて上を立つ人間が嫌いだったからだ。
湧き上がる怒りのままに立ち向かってくる訓練生の攻撃をあっさりと受け止め、強烈な一撃を喰らわせた。
その度に同級から浴びせられる言葉は決まって「町人生まれのくせに生意気だ」だった。
更に日が経つと裏庭に呼び出されるようになった。
毎日のように呼び出されては集団で罵られる日々が続いたある日のこと。
「生意気なやつ。お前なんかこうしてやる!」
今日も授業が終わると、同級生から裏庭に呼び出され、殴られる直前だった。
「やめておけよ、そいつに手を出すのは」
突然、制止するような声が響き、全員が動きを止めて声のする方を向いた。
「ら、ラルク!」
バサバサとした髪が特徴的な同級生であるラルク・トールスの登場である。
「はっ、てめえ邪魔するのか」
牙を剥く同級生に溜め息をついてラルクは言った。
「ふう、お前何も分かっていないんだな? じゃあお前の親父に聞いて見るんだな、カイン・ノアシェランって誰ですかって。聞いたら青ざめるぞ? シリウス様の息子ですって。ま、カイン・ノアシェランの名前を知らないわけないだろうけど。お前らはもっとよく周りを見るんだな!」
ラルクの口から発せられたカイン・ノアシェランという名前を聞いた途端、同級の全員が青ざめ、食い入るようにカインを見ていた。
「……アルディを……まずい、引き下がるぞ」
同級生はカインを凝視した後、呆然としている彼をそこに置いて走り去った。
その様子を見たラルクはやれやれと溜め息をつき、カインの方を見て言った。
「お前のことはあまり言いたくはなかったけどな、あいつら、人を見下すの好きだから釘を差して置いた。悪かったな」
ラルクが差し伸べてきた手をカインは振り払い、まくし立てるようにして彼に問い掛けた。
「母さんと父さんは此処でなにをしたの? 何でみんな恐れるの? 俺が、父さんが、母さんが、何をしたと言うんだ」
詳しい理由は定かではないが、自分の名前を聞いた途端、同級生の態度が豹変した。そのことから両親をかなり恐れていたように思われる。
何故、両親を恐れるのか。詳しい理由をどうしても知りたかった。
「……知らなかったのか……」
それを聞いたラルクは目を見開いた。
カインが両親のことを何一つ知らなかったという点に彼は驚くより他なかった。
(うーん、隠していたのか。でもカインが知らないのは意外だなあ。知らないなら知るべきとは思うが、話せば長くなるし……。
それに此処はアルディの中だからまずいよなあ)
あれこれと考えた末、ラルクはカインに向かって警告することに留めた。
「……あいつらもだが、アルディ内の殆どの人間はお前をかなり敵視し、恐れている。今回は偶々俺が通りかかったから無事だったが……あまり一人で行動しないほうがいい」
「ラルク……」
納得のいかないカインに向かってラルクはまあまあと言って更に続ける。
「此処はアルディ内だから、理由を話すことは出来ない。しかし、お前と一緒に行動する事は出来る。うん、それがいい」
我ながらいい案だとラルクは考え、もう一度カインに向かって言った。
「今の聞いただろ? お前、俺となるべく一緒に行動しよう。お前は知りたいことがあるし、俺はお前に習いたいことがあるからな。うん、いい案だろ?そういうわけで今後もよろしくな」
無邪気に笑うラルクにカインはゆっくりと頷いた。
いつも傍から見ていたラルクを見たことはあったが、多くは同級生にからかわれている姿だけだったのだ。
それが今はどうだろう。
アルディの人間と感じさせない純粋な優しさを与える彼はまるで救世主のように見えた。少なくとも、カインにとってラルクは救世主なのだが。
それからと言うもの、アルディにいる時は常にラルクと行動を共にしていた。
そこで分かったことはアーサー・トールスというラルクの兄がいたこと。
彼はセイシェルと行動を共にしていることだ。
ラルクのそばにいるのは単純に楽しいと感じるが、ここに来た目的はあくまでもセイシェルに会うことだ。そのためにはラルクとの信頼関係を築いておかなければならない。
(もしかしたらセイシェルに会えるかも知れないんだ。だから、なるべく自然にアーサー・トールスに会わなければならない)
ラルクを利用するようで申し訳ないと思ったが、目的が目的だけに手段を選んでいても機会は訪れないのだ。
仕方ないと考え、カインはラルクに取り入ることを選んだ。
****
どこまでも続く深緑の森。
アエタイトまではラルクと一緒だったが、そこからカインは一人で故郷に戻っていた。
「……はあ、こんな事になるなんて」
此処に戻って来た理由はアクロイド・レイモンドの自殺である。
アルディの重役だけに、彼が自殺したという報せはアルディを混乱状態にするに十分なものとなった。
勿論、それはカインにとっても大きな衝撃を与えることとなったが、そうなると心配なのは自分の両親の事だ。
(アクロイド様が自殺したのは、間違いなくシャールを守るためだ。そして、アクロイドを追い詰めたのは、アルディだ)
理由は分からないが、恐らく自分達の側についたことからアルディは執拗にアクロイドを攻撃したに違いない。しかし、アクロイドがとても義理堅い性格をしていたために、たとえアルディに追い詰められても頑として口を割らなかったのだろう。
「……許さない」
いつしか、無意識に口走っていたアルディに対する憎悪の言葉。
唸り轟く深い憎悪の籠もった声は深緑の森に消えた。
「さあ、早く行かないと」
見上げると深緑の森から光が射す。
両親に帰ると言った約束の時間は朝だったが、この様子からはもう昼が近いことを容易に想像させる。
急がなければと再び走り出すカイン・ノアシェランの視界には突如黒いものが目に入った。
「……?」
カインは立ち止まって確認する。
一瞬は思考が固まった彼だが、立ち止まり冷静になると黒いものはフードであることが分かり、それを身に着けた何者かが走っていたことが分かる。
不審に思ったが、一刻も早く母に会いたいと思ったため、先を急いだ。しかし、暫く歩いていると、生い茂る草花と土台となる地面が織り成す自然とは明らかに異なるものがあった。
(これは……血!?)
垂れ落ちたような赤い雫が拡散した跡。
それは赤い血であること以外の何物でもなかった。
「父さん、母さん」
何故か脳裏に浮かんだのは両親が微笑む姿だった。
この赤い雫は何処から始まったのか、カインはどうしても知りたかった。
深緑の森を物凄い速さで駆け抜ける彼はもう何も見えていなかった。突如湧き上がった不安だけが彼を支配し、抑え切れない感情の高ぶりが彼を動かしている。
脳裏にあるのは、やはり両親の微笑む姿だった。
これは何を意味するのか、カインはどうしても知りたかった。
だから、一心不乱に走った。
走って、走って、走って。
ただひたすらに走って、朧気ながら漸く見えてきたのは埋葬された者が眠る墓が並ぶ場所。
近くに住む人々は此処を『刑場』と呼んだ。
「……!」
恐る恐る近付き、何があるのか判別できるところまで近付いた彼の顔からみるみる血の気が引いていくのが分かる。
――誰かが仰向けに倒れている。
「……」
普通なら逃げるはずだが、倒れている人物が何者かが知りたくてカインは更に近付いた。
そして、目の前にある光景の全てが明らかとなった時、彼は絶望の底に叩き落とされる。
「……母さん!」
透き通るような金色の長い髪に優しさを具現化した美しい顔は血に染まっていた。目を背けたくとも背けることの出来ない事実を突き付ける。
――愛する母は、見るも無惨な姿となって、カインの元に戻って来た。
「母さんっ……!」
カインの発した叫びは深緑の森を貫き、辺りに流れる空気を切り裂く鋭利な刃となって木霊する。
――嘆き悲しむ声が、聞こえる。
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カイン・ノアシェランが此処に辿り着く数時間前、息絶えた女を見下ろす者があった。
「……母上、あなたは私を覚えていますか……? あなたの、愚かな自我によって生贄となった息子の顔を。セイシェル・ハイブライトの顔を、あなたは覚えていますか?」
アルディの長男、セイシェル・ハイブライトである。
彼は何故かもう息絶えた母に向かって問いかけていた。しかし、既に息絶えた者に幾ら問い掛けようとも答えが返って来ることはない。
――そもそも、彼は答えを求めているのだろうか。
どちらかというと独り言に近い。ただ、違うのは彼の声には明確な憎悪があることだ。
「あなたもアクロイドも自分の事以外何一つ考えていないのですよ。何一つ、考えていない。逃げること以外何一つ……ね。だから」
カッと目を見開いた瞳の中にある歪んだ光。
「ねえ、母上。同じことを繰り返す私の姿を見て、孤独になったカインを見て、愚かなあなたは始めて思い知るでしょうね」
持てる全ての感情を吐き出して言い放った。
「しかし、解放などさせない。されて堪るものか……苦しめ、ずっと永遠に苦しみ続けてくれ」