第十二節:point d'éclair flottement rouge
がやがやと笑う子供達の声と走る列車の汽笛。
至るところに生える深緑の木々に囲まれ、店が立ち並ぶ大都市と田舎の長閑さを併せ持つアエタイト。
貧富の差が激しくなり、唯一外部と繋がる港を有している。
そこにある、小さな家の中。日射しが窓を照らし柔らかな光となって射し込む。
「よくここまで来られましたね」
土色の髪に白衣を身に纏う三十近くの男──皆が探していたハロルドが切り立てのパンと紅茶を来訪者に渡した。
「彼等は金に飢えている。渡せば直ぐに通してくれたさ。ハイブライトは快く思っていないだろうが僕らはハイブライトと友好関係を結びたい。そう思っているよ」
中に入り、リビングに設置された机と椅子に腰を下ろしたのは、まだあどけなさを残す絹糸のような光沢が美しい金の青年。
彼はカラカラと軽快にここまでの道のりを話した。
「流石、自由を謳うライハードの次期団長、アレン様」
アレン──アレン・フォン・ライハード。
ハイブライトと向かい合う自由で積極的な血潮騒ぐライハード家の若き次期団長。
「当主なんてやめてよ、ライハードには城などない。僕はあくまでライハードを保つ街を住み良くするために取りまとめを行うだけの役割だからね」
クスクスと、笑みを崩さない彼からはどのような感情を持っているのだろうか。少なくともハロルドには読めない。
「セイシェル君とジェイソン、それから──アクロイドの頼みで此処に来たんだよ、ハロルド。さて、その見返りくらいは欲しいものだね?」
「……アレン様」
ハロルドは曖昧に笑うと一枚の紙切れを彼に渡す。
「貴方は、恐ろしい人だ」
「何を言う、ハロルド。アルディとてやっていることじゃないか。まあ、彼は財産の意味を取り違えているわけだけど子は尊き財産であることに違いない。彼等は、我が国ライハードの発展のために尽くしてもらう」
猫のように気紛れな瞳が様々な色を魅せてくれる。若くして国のためと思考を張り巡らせるアレンにハロルドは称賛と恐怖を交えながら見ていた。
そもそもライハードはハイブライトとは半永久的に相容れぬ民主主義国家である。
税も収入に応じて納め、困窮すれば減税だけでなく保障までついている。その代わり、仕事に就かなければならない。
商売や産業が発展したのは労働を絶対条件とする善政のお蔭だ。
「お金を稼ぐには教育が必要だろう? あとはね、女性とは何かを経験することだよ。女性を抱くには働かなければならない」
複数の女と関係を持ち、学ぶという大胆さと傲慢さがハロルドの胸に痼を残す。
アレンのことだから、きっとそれを生業とする女性と関係を持つのだろう。
自由気まま、無邪気そのものが放つ狂気。
ライハードはそういうところだ。ハイブライトが安心と絶対を重んじるならばライハードは快楽と相対を望む刹那主義者の集。
「でも、楽しむには命がいる。命は脆い、それを散らすことだけはあってはならないよ、ハロルド」
「……アレン様」
「いいね、わかったかい?」
命だけは重んじるアレンだから、こういうことが許されるのだ。きっと、愛されるべき運命なのだ。
愛に愛されたアレンは、来るべき戦いの始まりを静かな闘志を燃やしながら待っていた。
****
「カイン、今度こそ負けないぜ!」
「ラルク」
中級生が訓練を重ねる道場で刀を模した棒を構え、ラルク・トールスとカイン・ノアシェランは向き合っていた。
先ず、攻撃を繰り出したのはラルクである。
迫力のある攻撃にカインは後退し反撃を試みるが彼は容易く棒を下から上に振り上げる。
棒を持っている手を狙われたことに気付いたカインは身を屈め、ラルクの足元を狙う。
「!?」
「ラルク、隙だらけだよ」
形勢は逆転し、間合いを詰めたカインが遂には彼の棒を凪ぎ払い、突き付ける。
それは、ラルクが負けたことを表していた。
「完敗だよなあ」
苦笑し、起き上がると入り口から拍手の音がする。
「カイン、格好いいわ! とっても素敵」
「イリア様!」
カインに会いにやって来たイリア・ハーバードはすっかり彼にメロメロである。
無理もない。彼の長い髪が軽やかに動く度に美しく舞う。
しかし、ここまで熱を上げているとラルクは最早呆れるしかなかった。
「分かりやすいなあ」
「何よ、ラルク。ラルクだってカインに見とれてた癖に」
ラルクの言いようにイリアは頬を膨らませて抗議するから更に彼は笑いを禁じ得なかった。
「ラルク!」
真っ赤にして睨むイリアを見て、漸く彼は笑うことをやめ、彼女のために働くことにした。
「俺、リデル様のところに行ってきまーす」
一応立場は彼の方が歳上である。
形式的に様呼びをして、彼はさっさと出ていった。
(どうしろと言うんだ)
困惑するのはカインである。
イリアと二人きりになってしまった。意識するに決まっている。
「カイン、そう言えば課題があったわよね。一緒にしない?」
「えっ……いいですけど、でも、よろしいのでしょうか。俺のような者がいて」
戸惑う彼に対しイリアは積極的である。無邪気とも言うべきなのだろうか。
身分を気にするカインからすれば当然であるのだがイリアには無いようだ。
ほんの少しの息苦しい空間に呑まれそうになった頃、バタンと扉を開く音がした。
「イリア様ー、セイシェル様が呼んでますが」
「ラルク……」
呑気な少年によって。
移り変わる状況にカインはまたしても混乱し、イリアは恨めしく彼を見る。
恋する乙女には少々反感を買われたが相手が相手だけに怒る気も失せる。
そもそも、自分が抱く感情が許されないものであることを知っている。だから認めるわけにはいかなかった。
「セイシェル様? イリア様、俺もご一緒します」
「カイン……」
先程とは打って変わって先々と歩くカインに一瞬何事かと思った二人だがセイシェルに会いたいのだと気付き何も言わなかった。
「カイン、行きましょうか」
「はい、イリア様」
期待した答えではない。
分かっていても落胆するイリアだが、こればかりはどうしようもないだろう。
それでもカインはイリアに微笑み、柔らかな口調で話してくれる。それが嬉しい。
今はこれだけでいい。
心が弾み、笑みが止まらない。
(イリア様?)
一方のカインもイリアが隣にいて、話しかけてくれることに安心感を覚えた。
あの笑顔がいつまでもそこにあればいいと思う。
許されざる想いと、自覚なき感覚は大きくなるばかりで不安と驚きを交えながら歩き出した。
****
本棚に囲まれているためか、それとも外の光を遮るようにカーテンが張られているためなのか。
深緑に身を包むセイシェル・ハイブライトは、あることを考えていた。
正しく言うなら、禍々しい思考に囚われていた。
間違いない。イリアはカインが好きだ。
遠く離れた自然に囲まれ、外部との関わりを絶つアシーエルのフレア・ハーバードの元で育てられた彼女だ。
実の弟と知っているだろう。
揺るがぬ事実を通り越して彼女は彼に恋している。それはセイシェルの心を抉る。
抑え込もうと努める度に囁く悪魔の声。
『幸せな二人を破滅させよ』
だが、セイシェルは首を横に振る。
愛のために自分を捨て置き、ハイブライトの狂気に呑まれたことを知っている筈なのに何もしなかったシリウスと母を憎んだ。
罪だと、罰しろと、何度も罵った筈なのに。
──彼らを守りたいと思う。
この、両極端な感情を何と言うのだろう。二人と話をしたら分かるかもしれないとセイシェルは考え、二人を呼び出した。
憎悪を見つめようと、彼なりの決意だった。
「セイシェル様!」
そんな彼の心境など露知らぬ無邪気で高い声が彼を呼ぶ。
「済まない、ラルク君。入ってくれないか」
「はーい」
相手が何者であろうとラルクには関係ないらしい。
響いた意気の良い声にリデル・オージリアス・マクレーンが可愛がる理由もわかる。
「カイン君、少し頼まれてくれないか。ラルク君、わざわざすまなかったね。リデルならこの部屋の通路を出た先で待たせてある」
「ありがとうございます、じゃ、俺はこれで!」
言うが早し、ラルクは豪快に扉を開き、走っていった。勿論勢いづいた扉は耳を塞ぐような音を立てて閉まる。
「……カイン君の友達は随分元気なんだね。何だか毎日楽しいと思う」
本当にそう思う。彼のように何も知らなければ、それでいて強い意思があるなら頼もしい存在だろう。
「俺は彼に救われたんです」
ラルクに呆れながらも誇らしげに語るカインに複雑な感情を持ったセイシェルだが、二人を呼んだ理由を早く話してやらねばならない。
「カイン君、少し頼まれてくれないか? 君にはかなり重大な役目を任せると思うが君なら大丈夫だ」
「はい、セイシェル様のお役に立てるなら何なりと」
控えめで言葉少なな彼が直ぐに前に出てセイシェルに向かって話す。
そんな、まっすぐな瞳をセイシェルは気を奮わせて見つめ返しながらあることを彼に持ちかける。
「ハイブライト内でも君の噂は持ちきりだ。剣の腕が立つと。そこで、イリアの世話係を任せたいと思っていたのだ。いきなりで申し訳ないが……」
「お兄さ……!」
突然の申し出にイリアは声をあげるがセイシェルはそれを華麗に無視し、カインに話し続ける。
「何分まだ足りないところもある。カイン君ならそれを充分に補えると思っていてね、どうだろう?」
イリアはおろおろとしながら事の行き先を見守る。嬉しい話ではあるが、カインの意思を無視したセイシェルに不信感を持ったからだ。
だが、彼女の思いとは裏腹にカインはにこやかに了承した。
「分かりました。セイシェル様の御頼みとあれば是非。それに、イリア様ともお話ししたい」
「カイン……」
あまりにも意外な言葉でイリアは呆然とする。
しかし、それ以上にカインと一緒にいられるのは嬉しい。例え、それに別の意図があろうとも。
思いもしなかったのはこれだけではない。ハイブライトを恨んでいるに違いない彼が自分を好意的に見ていてくれたと言うことが。
「私、カインにきっとたくさん迷惑をかけちゃうわ……それでもいいの?」
素直に喜べない。近くなるのは嬉しいけど。
本音を吐き出すとカインはイリアを安心させるように笑う。
「イリア様のお側にいられるとは光栄です。私でよければ何なりとお申し付けください」
あくまでも世話係としての笑顔。
それでも、それでも。
「これからよろしくね、カイン」
差し出されたその手は拒めなかった。
「良かった、私からもよろしく頼む」
「セイシェル様」
「様付けはいい。名前で。私には大した地位もない」
未だ緊張したままの彼にセイシェルは落ち着かせるように言ってやる。
三人の、兄妹。
「──セイシェル」
カインはこの時、初めてセイシェルの笑顔を見た。
名前を呼ばれ、嬉しそうに笑う彼を。
これは幻想か、それとも──?
「セイシェル様、イリア様、カイン殿」
静かで穏やかな空気の中、洗練された可憐な声が三人の名前を呼ぶ。
「エレザ」
セイシェルが、エレザ・クラヴィアの方を振り向くと彼女は三人分の食事を持ってきていた。
「カイン、ゆっくりしていってくれ」
「セイシェル……」
何か言いたげなカインには気にも止めず、エレザに話しかける。
「折角だから二人にしよう。エレザ、一緒に食べるか?」
「えっ、わ、わたしには」
戸惑うエレザにセイシェルは寂しげに笑い、エレザを見つめる。
「分かりましたわ、セイシェル様」
彼女が少し、頬を赤らめているのをイリアは見逃さなかった。
きっと彼女──エレザも悲しい恋をしているに違いない。そう思うと救われた。
「私たちも食べましょうよ。カイン」
「イリア様」
「様付けはいらないわ。だって私の方がカインに面倒見て貰うわけだから」
自分の為に気を使っているのはカインにも分かっていた。
またしても彼女に支えてもらった。自分には決してない明るさとひたむきさだ。
太陽のように明るく、野に咲く花のように綺麗だ。華はないけれど。
「机、小さいけど食べましょう。サンドイッチが好きなのよ、私。食べやすいし。カインは?」
片手で摘まむと大きく口を開けて頬張る。上品な彼女からは想像もできない姿だ。
「好きですよ。よく作ってもらいました」
野畑でとれた野菜と稀にしかお見受けできない薄い肉を挟んだだけのパン。
それを彼は嬉しそうに次々と放り込む。
「カイン、食べ過ぎよ……」
「ごほっ、ごほっ」
「ほら、言わんこっちゃない」
水を渡すと彼は思いきり飲み下した。
そう言えばラルクとの訓練以来、何も食べていなかったことを思い出した。
「可愛いわね!」
胸を高鳴らせるイリアに対し、カインはムッとしてこちらを見る。
「何だか面白がっていませんか」
「そんなことないわ、今日もよく頑張りました」
わざとらしく頭を撫でるが、彼は子供扱いされたことが気に入らなかったのか拗ねたままだ。
でも、悪くない。
それどころか、とても居心地がいい。
こんな日が続くようにと祈らずにはいられなかった。
****
エレザを誘い、食事をとるセイシェル。彼女はセイシェルの様子がどこか落ち着かないものであることに気付いていた。
サンドイッチとは言え、料理に腕のある者達が作ったものだ、美味しいと感じる筈なのに味覚が消滅してしまったように味気ない。
目が、体が、心が、遥か遠くにある何かに向いている。
全てが無色で、視界がぼやける。
その中で得体の知れない不安だけは鮮やかで息苦しく痛む。
緩やかに壊される恐怖。
「……エレザ」
思わずセイシェルはエレザに手を伸ばした。
「セイシェル様」
助けを乞う手を拒むことなど、彼女にはできない。咄嗟にその手を握り返した。
「大丈夫ですか?」
「……ああ、大丈夫だ。みっともない姿をさらしたな」
我に返るとセイシェルはその手をそっと放した。
何とか繕おうとするが彼女から心配の色は消えない。
「今日はもう休む。エレザ、ありがとう」
「はい、セイシェル様、お休みなさい」
手を握られた。
それを意識しながらも理性を持って彼女は召し使いとしての使命を果たす。
彼女は覚束ない足取りで奥の寝室に向かうセイシェルを名残惜しく見送りながら、音を立てないよう持ち場へと戻っていった。
ベッドに身を投げると益々強まる苦痛。
水滴が落ちる音がした。
真っ黒な水の中に波紋を作り出して落ちていく。
「また……落ちた」
いつしか彼は何もないところで呟く。
無限に湧く水滴。
暗闇の湖。
『来たのか、セイシェル』
聞こえたのは、澄んだ声。
妖しく、誘うような色香の漂う声。
「誰だ?」
操られるように彼は聞いた。
何故だろう。これは夢なのか、夢の筈なのに生々しい。
近付こうとすると今立っている場所からは進めない。
『まだ、来るべきではない。お前も、カインも、皆、幸せだ』
はっきりと一線を画す何者かの声。
『まだ、俺は動かない』
それっきりだった。
光が差し込んで、強制的に戻ってきた。
「お兄様!」
「……イリア?」
目を開けると不安そうに見守るイリアとカインが視界に入る。
「エレザ様が教えてくださいました」
カインに言われ、何となく額に手を当てると冷たく濡らしたタオルがあった。
もう熱を吸い込んで生温くなっているのだが。
起き上がろうとしたらイリアに止められた。
「まだ起きちゃダメよ。お兄様、お休みしなくちゃ」
イリアに宥められ、彼はそれに甘えることにした。
──それにしても。
(あの男、何もかも知っているのか……何故だ? 何故、私はあの声を男だと思うのか?)
あの声を自分は知っていると思う。理由はまだよくわからない。
「カイン」
熱に浮かされたまま、彼はカインを呼ぶ。
「何でしょう?」
円らな瞳が眩しい。
「山に行かないか?」
この前のこと、シリウスがいなくなったことを思い出した。
ラサーニャ・ハイブライトが自分を連れていった山。
神様にでもなった気持ちで見下ろした風景。
「行きたいです」
カインは嬉しかった。
セイシェルから誘われるのが。
「私もいきたいわ」
「勿論だ、イリア」
三人は不確かな約束をし、徐々に絆を深めていった。
──とても、幸せだったよ。
****
ハイブライトの中級生が寝泊まりする本館とは対照的にやや古さを感じる二人部屋。
ラルク・トールスはいつものようにリデルを掻き乱して部屋に戻り、相方の帰りを待つ。
カインとイリアはセイシェルに呼び出されたきり戻って来ていないらしい。まだ夕刻ではあるがそろそろ心配になってきた。
見に行こうと決意し、起き上がったと同時に扉が開く。
「あ、ラルク、ただいま。もしかして待ってくれた?」
爽やかに、何も変わらない様子でカインは戻って来たので一先ず安心する。
「イリア様、可愛いし、明るいし、いいだろ?」
「うん、可愛い人だね」
明るく笑うカインにラルクは安心する。
ハイブライトに来て以来、彼は無表情で人との関わりを避けていたからだ。
「あ、そうだ。途中までイリア様と一緒だったんだけどラルクにお礼がしたいし話したいことがあるから呼んでくれって。何かしたのか?」
意外な呼び出しにラルクは首を傾げたが、イリアだと思い、行くことにした。
「俺、忘れっぽいからなあー確認してくるわ」
「ラルクらしいや、行ってらっしゃい」
「何だよ、それー……」
「だって、本当だろ?」
落ち込むラルクを笑うようにカインはからかった。
それが心を許してくれている何よりの証ならまあいいかと思うラルクはまあいいかと流して、部屋を出ていった。
明るくて、真っ直ぐなラルク。
優しく自分を包んでくれるイリア。
気が付けば予想外に人と関わりを持っていた。
「セイシェルが全てだったはずなのに」
ハイブライトに囚われた兄に会う。目的はそれだけだ。
今はどうだろう。忘れていたに違いない。
「……山、か」
セイシェルの誘いを思い出す。果たされるかどうかも分からない不確かで脆い約束だったが。
何者の手にも掛からず、己の意思で咲き、散りゆく花を、木を、草を、いつから見ていないだろう。
更には光輝く明るい空も。
ハイブライトにも無論、美しい花は咲いているが何もかも人を魅了させるために人が作り出した。
創造主の思うように作り出した紛い物。
行きたいと思った。
山から、空を見てみたい。
自分のために生きるものは美しく気高く憎らしい。
「明日も、イリア様は来るのか」
彼女に会いたいと不意に思い、声に出した。
その意図は、まだ分からない。
****
真昼なら雑談の声や仕事と学業に忙しなく走る人々の姿が見える通路も夜となっては不気味なほど静かになる。
部屋を出て、少し離れた先にある天使の絵画を見るイリアがいた。
「イリア様?」
いつものように声をかけると、彼女はゆっくりと振り向いた。
「ラルク……いきなり呼び出してごめん。でも、貴方なら言えると思ったの」
太陽のような明るさは感じられない。悲しみに暮れ、落ち行くように虚ろな蒼が目に入る。
イリアはそれ以降、何も言わずに通路を歩き出したから彼もついていく。
相変わらず天使なり女神なり天界なりが好きなんだなと溜め息を堪えながら通路を歩いていた。
内心、純白を押し付けるハイブライトに嫌気が差していたのだろう。
信仰が行き過ぎると傷付く者がいるということをまだ幼心にラルクは本能として理解し、感じた。
「……どうしよう」
重く、リズムのない、振り絞って出した彼女の声にラルクは敢えて何も言わずに待つ。
自分から聞いてはいけないと思ったからだ。
「ラルク、ダメよね?」
イリアは不安そうに問う。
「実の弟に恋するなんて、ダメよね?」
もう耐えられない。
イリアはとうとう泣いた。
「分かってる、分かってる、こんなのだめだって。でもどうしたらいいのか分からない」
まるで血を流すように泣くイリアに自分は何が出来るのだろう。
一方の彼女もどうしたらいいのか分からない。更にはどうして激しい感情が表に出た理由も分からないのだろう。
抱いた恋慕を受け止めるには子どもだった。
得体の知れない感情が動き、身体を支配している恐怖心が涙になったのだろう。
「いや、いやよ、私はアルディのものじゃない」
もう止まらない。
どこで狂ったのか。
「ごめんね、ラルク」
唯一の微かな理性がラルクを思いやる。彼が何も言えないことは分かっていたのだろう。
血の気が引いていく。
恋に縁のないラルクでも、その先にある結末が幸せではないことを理解していた。
彼以上の理解力を持つ彼女はひたすら謝り続けた。
段々と小さくなる声。
今いるのは現実なのかと、ラルクは微動だにせず、イリアを見つめていた。