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緋の剣士に捧ぐ交響曲【第一番】  作者: 真北理奈
第二楽章:Début de l'angoisse
13/20

第十一節:En lieu et place de la haine de la lame

 心に秘めていた怒りと悲しみと、入り交じる憎しみ。

 見送る父の背中を見た、それっきり。

 誰もいない、母も頼れない。

 このやり場のない憎しみや怒りはどこへいけば良いのか分からなかったんだ。

 でも、この、憎しみは、夢を果たすために取る、刃に変えて、いつか。


****


 エレザ・クラヴィアによって案内された一室で、セイシェル・ハイブライトとシャール・レイモンドは互いに睨み合っていた。

 挑むように、強い光を讃えて。

 それでいて、どこかお互いを認め合うライバルのように見つめ合っていた。

「シャール、セイシェル様、やめてください。此処には警備隊もいるのですよ」

 ハイブライトが結成した治安を守る部隊。それ故にいつしか絶大な権力さえ持ってしまった過激集団。

 幸いにもまだ全て知られていない。

 機会は逃がしてはならないと焦るリデル・オージリアス・マクレーンが今にも戦いそうな二人に必死に制した。

「下級生、中級生、上級生に異文化を教えていたアクロイドを危険視する人もいる」

「アーサーか」

「そうです、ハロルド様のことを探っていたからアクロイドが何故死を選んだのか、アクロイドの関係も探っているに違いない」

 リデルは悩ましげに顔を歪めた。

 一方のシャール達は難しい話に混乱している。

 だが、今まで暗く光のないシャールの瞳が、僅かに輝きを灯し始めたことを知るレディシア・キースは嬉しくなった。

「シャール?」

「ん、レディシア、どうかした? 嬉しそうだけど」

「いや、その方がいいよ。シャール」

「わけわからないよ」

 そう言いつつ、シャールは穏やかに笑っていた。

 やはり、父は、正義のヒーローだということを、知ることが出来たからだ。

「どうしたって言うんだよ……」

 レディシアが笑う理由が分からず、シャールはただ首を傾げるばかりである。

(君には、笑顔が似合うよ)

 豪快に笑う彼が好きだった。

 不器用で、一直線に走る彼が好きだった。

 何よりも、彼の堂々とした振る舞いにレディシアは憧れを見出だしていたのだ。

 だから、人を妬む彼を悲しく感じた。幼いレディシアにとってもシャールはヒーローなのだ。

 故に、彼の悲しむ姿に胸を痛める。

「まあ、アクロイドが品行方正で何をやっても曲がらない頑固者であることは散々説明した。彼を怒らせた具体的な要因はアエタイトの税の引き上げと子どもが身売りをすることだな」

「セイシェル様……」

「ハイブライトにあそこまで芯の通った真っ直ぐな人が来ることに驚きだな。媚びない、誇り高い」

 セイシェルはどこかシャールを挑発するようにアクロイドのことを話し出す。

 だが、シャールは怒りもせず黙って彼の話を聞いていた。

 特に怒るような部分がないからだ。

 チラリとセイシェルの隣を見る。

 ソファの上にどっかりと座るリデルが表情を強張らせて展開を見守っていたからだ。

 しかし、シャールには彼がただ単にあらゆる形の振る舞いが出来ない不器用な人間に思える。

 すると、呆れたように息を吐いてリデルがセイシェルに向かって一言本音を漏らす。

「セイシェル様が言うと挑発しているように聞こえますね……」

 彼は気づいていないが不敵に笑ったままアクロイドのことを語るのだ。どうしても挑発しているようにしか聞こえない。

「それは酷い言われようだ。まあ、確かにこの物言いは悪い癖ではある。それは認めるが、私はシャールに興味があるだけだが」

 全く以て悪いと思っていないような返しをして、セイシェルは相変わらずシャールを見たままだ。

「奇遇ですね」

 鼻につく笑みや言動が不思議と嫌と感じないから何だかおかしいと、シャールは喉から絞り出すような乾いた声で笑う。

「やれやれ、ひねてるようですね……」

 二人はどうしてこうも攻撃的なのか。リデルは呆れるばかりだが、いつまでも他愛ない話を続けるわけにはいかない。

「さて、シャール」

 ふかふかとした座り心地の良いソファーから立ち上がり、懐から素早く何かを取り出し、彼の前に見せる。

 小さな、透明の小瓶。中にあるのは紙の端切れだ。

「アクロイド様の、手紙だ。シャール、これは君が持つべきだろう」

「リデルさん」

「大事にしておくれ」

 しっかりと、シャールはリデルの手から小瓶を受け取り、ゆっくりとコルクを外す。

「……父さん」

 紙切れを開いた瞬間、シャールはそれを再び折って仕舞い込む。

 そこで、安堵の息を漏らしたのは、此処に彼らを連れてきたエレザである。

「一時はどうなるかと思っていたわ。でも、渡せて良かった」

「本当だな。それより、シャール、分かったか?」

 彼はエレザに同意した後、再びシャールに問う。セイシェルが話さないから、ゆっくり聞けるだろう。

「……ええ。多分、俺、これを見なければ知らないままだった」

 一息置いた後、シャールはしっかりした様子で答える。

 辺りを見回せば通路や広間にあるような天使の絵と豪華なお菓子と色鮮やかな花ばかりがそこにある。

 それが、この紙切れを見た瞬間だけは酷く絶望したが、段々気持ちも落ち着き、取り乱すことはしなかった。

「……シャール、レディシア、聞いてほしいことがあるの」

「なあに?」

 すっかり彼女に懐いた様子のレディシアが無邪気に聞き返す。

「この綺麗な天使も、飾られた花も全て全て皆が苦労して払ったお金で出来上がってる。分かる?」

 二人は、無意識に胸を押さえ、顔を歪めた。

 言葉を知らなくて悩むレディシアも、言い表せぬ憎悪をもて余していたシャールも、エレザの言葉の意味は分かるらしい。

 脳裏に浮かぶは、それぞれの親の顔だ。

 痛くて痛くて、悲しくて、苦しくて、歯痒い。

「……セイシェル様、今暫く、二人を私に……」

 まだまだアクロイドのことを、出来るだけ話したいエレザはセイシェルに伝えようとしたが、それは言えなかった。

「お待たせ、リデル、エレザ」

 突然、飛び込んできた紫髪の少女。

「……ティア」

 リデルは最早話す気力もなくしたようだ。

 そんなことは構わずティアーーティア・オールコットがやって来るなり、脱力するリデルに抱きついた。

「リデル、会いたかったわ。イリア様といるのも楽しいけど事情を話したらあっさり行かせてくれたわ!」

「ああ、ああ、ああ、よかったな、いや、俺も会いたかったんだがな……」

「……リデル、扉、閉めたわよ」

「あ、エレザ、ごめんなさい」

 恐らく扉も開けたまま飛び込んできたのだろう。先をいう前にエレザが配慮して扉を閉めてくれたのだ。

「まあ! レディシア君。お久し振りね。覚えてる? お母さんがいつもお世話になってます」

「オールコット様……」

 唐突にレディシアに話し掛けたティアに彼はただただお辞儀をするばかりだ。

「リデルさん……」

 傍目で見ていたシャールが苦笑気味に振り回されるリデルの名前を呼ぶと彼はキッとシャールを睨む。

「君は喧嘩を売っているのか?」

「いえ、羨ましいなあと思っただけです。単純な感想ですよ!」

「シャール君」

「まあまあ、すみません」

 リデルの睨みもシャールは笑いながらかわすばかりだった。

 エレザはその様子を見てただただため息をつくが、一方でこんな日がずっと続けばいいと思う。

 ティアとセイシェルがリデルをからかい、シャールがそれに乗って、レディシアは慌てる。

 願わくば、ずっと続いてほしい。

「さて、そろそろ話を再開するぞ。その小瓶のメッセージの意味、過程、についてだ」

 リデルが両手を叩き、話を進めようとする。

「これからのことも話すから聞いておくようにな」

 半端にしか触れなかったアクロイドのことと、これからどうするかという話だろう。

 時間は止まらない。

 刻一刻と、進んでいくのだ。


****


『私は、アルディには敵わない』

 シャールが開けた小瓶の中に入っていた紙切れには小さく、丁寧な文字で書かれていた。

「当然だが、アクロイド様にも支払いは来ていた。シャールが六歳になった時かな。ハイブライトで働ける年齢は大体六歳から八歳だ。エレザも八歳からここにいる位だ」

 子どもを労働に使うのが当たり前なハイブライトで、違和感を覚えるアクロイドは異端だったのだろう。誰からも理解されず孤独な日々を送っていたに違いない。

「でも、上級生の一部やジェイソンは彼の思いを理解していたな。まあ、だから協力してくれるわけだが、近いうち、内容は分かる」

「近いうち? 今は教えてくれないの?」

 全て教えてくれると思っていたシャールは落胆し、視線を床に落とすが取り乱すことはしなかった。

 教えたら、何もかも台無しになるだろうと考えていたからだ。

 残念ではあるが、ここは彼らが話してくれるまで待つしかない。

「……そういえば、セイシェル様」

 ハイブライトに来てから耳に入れない日は無い、シリウスとソフィアのことだ。

 カイン・ノアシェランもアエタイト内の、同じ地区に住んでいた人間だ。彼は覚えていないかも知れないが面識もある。

「父と二人は、関係あるのですか?」

 恐る恐る聞いてみる。答えを知るのはとても勇気がいるけれど。

 セイシェルは表情一つ変えず冷徹に告げる。

「関係している。ジェイソンとアクロイドは親友だ。ジェイソンは二人のことを悩んでいたに違いないだろう、アクロイドも放って置けなかった。あの義理堅い性格だからな」

「……父さん」

 シャールは今度ばかりは肩を震わせ、目に一杯の涙を浮かべる。

「だけど、何で」

 リデルは疑問を口にしようとして、止めた。

 アクロイドがアルディからの追求を恐れたのは事実だ。

 最終的にノアシェラン一家を追い詰めたアルディだ、協力者を見逃すはずがない。裏切りには厳しい人なのだ。

 シャール達を巻き込みたくないと言う強い意思はそこにあるのだがーー……。


 カーン、カーン、カーン、カーン。


「!?」

 その場にいた五人は耳障りな甲高い鐘の音に驚き、立ち上がる。

 今日は何もなかった筈だ。

「シャール、レディシア、来い!」

 セイシェルは真っ青になって二人を連れていく。

「鐘が四回鳴るときは役人らが下級生を買うときだ。行かなければお前達の親に被害が出る。取り敢えず本館前の大聖堂の広間に行くぞ」

 周囲に走る緊張感に怯みそうになる二人だが、セイシェルを信じるしかない。それに、怯えた表情を見せたら周りも不安になるだろう。

「リデル、エレザとティアのことは頼んだぞ」

「は、お任せください」

 セイシェルの短い指示にリデルは頷き、二人を連れて部屋から出ていく。上級生が互いの部屋に行くのはよくある光景だ。

「よし、私たちも行くぞ」

 リデルが部屋から出ていったタイミングを見て、セイシェルもさっと出ていき、二人はそのあとに続いた。


****


「いいか、私がお前達を買う。大聖堂の広間に四つ、旗が立っているのだが一番左の旗の下に行け。あと、これをつけ忘れるな」

 セイシェルが二人にそれぞれ手渡したのは緑の中に金の鳥が刻まれたネックレスだ。

「取り敢えずそれを首にかけておけ。少し話があるが役人らが来て、手を二回叩いたらお前たちは去ってもいいという合図だ。そのあと、レディシアにはあることをやってもらいたい」

 矢継ぎ早に指示を出すセイシェルの言葉を二人は必死に聞き取っていた。

「ジェイソンのところに行ってもらいたい。身内であるレディシアなら顔パスでいける。私が行ってもおいそれとは通してくれないからな」

 ジェイソンはアエタイトを取り締まる警備隊の纏め役でもある。

 故に、彼に邪な感情を持って近付く輩のことも考えたのか、警備はかなり厳しくなっている。

 警備も心配性だと笑い飛ばした彼の大浦かさをこの時ばかりは恨むほかない。

「ジェイソンかヘレンに会ったら必ず『セイシェル様の指示で来ました』って言うんだぞ。勿論誰もいない時に、だ」

「……はい」

「命令はダメだぞ、ヘレンが怒るからな」

 苦笑気味にセイシェルが言うと、レディシアは強く頷いた。

「失敗すれば、エレザ達にも追求がいく。責任重大だ」

 ジェイソンに近付くことは多くの人間の目に晒されやすくなるのだ。セイシェルとしてもこのことをレディシアにさせるのは心苦しさを感じていた。

「でも、僕しかできないのですよね?」

「ああ」

「分かりました、やります」

「……すまない、助かる」

 セイシェルとは裏腹にレディシアは覚悟を決めたように、はっきりと告げ、歩き出した。

 それ以降、遠くには剣を腰に着けた若い男性達が歩き出したのを見て、話すことをやめる。

 あれが、役人ら、だろう。

「こっちだ」

 本館を出て、役人らの目になるべく止まらないようセイシェルは足を早める。

 二人は何も言わず、必死にセイシェルの後をついていった。急がなければ役人達の集団に呑まれてしまうという危機感が根底にある。

 足は悲鳴をあげ、座り込みそうになる弱気な心は誰にも支配されたくないという強い意思で抑え込み、漸く大聖堂の広間の前にやってきた。

「二人とも、あれが見えるか?」

 セイシェルは疲労感を全く見せず上を指差す。

 赤、緑、黄緑、紫の四つの旗が立っているのが見える。

 緑の旗をよく見たら、ネックレスと同じような紋章が見える。

「ネックレス、絶対に外すなよ」

「はい」

 二人がしっかりと頷くのを見て、セイシェルは立ち止まる。

「私は、この先には行けない。気を付けてな」

「セイシェル様……ありがとうございます」

 正直、不安だった。

 怖かった。

 でも、先に進むしか道はない。

 二人はセイシェルから背を向け、ゆっくりと歩き出した。

 彼の姿が小さくなっていく。

「レディシア」

 今まで沈黙していたシャールが神妙な面持ちで口を開いた。

「なあに」

 不安感を悟られないよう、レディシアは明るく答えた。

 それが、シャールには痛々しく感じ、謝りたくなる。

「怖いよな……ごめん、巻き込んで」

 自分の事情にレディシアを連れ込んだ。重大なことを任せてしまった。それに対する申し訳無さが溢れていく。

 思わず隣にいるレディシアを見ると、まだあどけなさを残す顔が真っ直ぐな笑顔で答えてくれる。

「シャールと一緒なら、大丈夫だよ」

 一緒にいれてよかった。

 彼を、大切にしたいと思う。

「俺もだよ、レディン」

「レディン……」

「そう、これからレディンって呼ぼうかなって」

 何となく、レディシアと呼びたくなかった。

「いいね、それ」

 レディシアも嬉しそうに笑うと、シャールの手を握り、広間に向かって歩き出した。


****


「そこの二人、レディシア・キースとシャール・レイモンドだな」

 広間の前には色とりどりの花が散りばめられたアーチがあり、前に立つ役人に呼び止められた。

「アーサー様がお迎えに上がった時、お前たちはいなかった。どこにいたのだ」

 低い声で、険しい顔つきで問い掛ける男に二人は怯んだ。

 しかし、直後に男は首元を見て、目を見開く。

 目線の先にあるのはセイシェルから貰ったネックレスだ。

「……通れ」

 やや慌てるように、前進することを二人に促す。

「セイシェル様がお見えになる。粗相の無いように」

 お決まりの台詞を告げて、二人に早く進むよう急かす。そんな彼らの態度の変化に首を傾げつつも、二人はセイシェルの示した旗の下に急ぐ。

「よし、行こう」

「うん!」

 セイシェルがどのような策を持っているのかが気になるが、程なくして緑の旗の下に辿り着いて安堵する。

 よく見たら旗が立てられたところを囲むように子ども達が本を手にし、拍手を送っていた。


 ーー彼らは、どうなるのだろう。


「シャール、レディシア」

「セイシェル様!」

「遅れてすまない」

 彼らより遅れて到着したセイシェルは珍しく心配したように二人を見る。

「これを見てくれたら通してくれました」

 シャールは首にかけたネックレスを指差し、彼に伝えると安堵した。

「取り敢えず、会が始まったら此処を抜けよう。途中退場していいか、番人にでも聞いてくる。待っていてくれ」

 そう言うとセイシェルはまた離れ、彼の言う通り、旗下に立つ役人に一言伝えている。

 遠くからでは分からないが役人が何かを伝え、二人ともが礼をして、戻ってくる。

「お待たせ、私とシャールは残ってほしいと言われた。レディシア、大丈夫か?」

「……え」

 震えが止まらない。

 一人でこの集団を駆け抜けなければならない。

「……レディン」

「シャール」

 恐怖に戦くレディシアの頭をシャールはぐしゃりと撫でる。

 自分を支えてくれる、力強い手だとレディシアは思う。

 最後まで、彼についていくと決めていた。

「大丈夫」

 勇気を奮い立たせ、シャールに笑顔で答えた途端、またしても鐘が鳴る。


 カーン、カーン、カーン、カーン。


 鳴り終えると、旗の周りにいた子ども達が清らかな声で歌い出す。

「我が愛しの、皆が愛すべき主よ。私は、何があろうとも、貴方だけを見つめ、貴方のために尽くそう。貴方の優しさを受け、私は美しくなる。私は貴方に永遠の愛と命を捧げ、側にいよう。この世の終わりまで……」

「……父の好きそうな歌だ」

 セイシェルは憂いに満ちた表情でため息をつく。

 心にずしりと来る重たい歌だ。

 シャールは苦に苛むセイシェルを見て、悲しそうに俯いた。

 彼の心にある苦しみを垣間見てしまったことによる罪悪感と、逃れられぬ定めを知ったからだ。

 しかし、彼らの思いは誰にも理解されず、役人らが子どもらに向かって物を差し出し、ある者は子どもらを連れていくのが見えた。

 その、異様な光景は後に悪夢として出てくると二人は顔を強張らせる。

「おや……セイシェル様ではありませんか」

 前方から、茶髪の、若い男が声をかけた。

 爽やかな笑顔と声が特徴的だ。

「アーサー殿」

 再びセイシェルは無表情でアーサー・トールスに対応する。

 普通なら怯むところだがアーサーは自分の調子で話しかけていた。

「最近の下級生は厳しく躾られていますね。良いことだ、丁寧で」

「そうですね、アーサー殿。しかし、私としてはもっと我が儘になってもいいような気もしますが……。おや、時間だ。相手が決まった子は会に行ってもよいと言われましたし、では失礼します」

 丁寧に、しかし、手早く話を済ませて旗下から離れようとするセイシェル。

「ああ、ちょっと待って下さい」

 爽やかな笑顔そのままに、アーサーはセイシェルを引き止める。

 ゆっくりと彼は近付き、そして、あることを聞く。

「セイシェル様、エレザとティアも下級生のところに迎えに行った時、いなかったのです。何かご存知ありませんか? ティアは純粋な性格ゆえ、悪い男にたぶらかされていないかと思うと心配です」

 笑顔は崩さないが、セイシェルを見る茶目は鋭い光を放っている。

 しかし、セイシェルは事も無げに笑い、アーサーに伝える。

「私は知りませんね。考えられるならイリアのところでは?」

「そうですか、足を止めてしまいすみません。教えて下さりありがとうございます」

 そう言ってアーサーは歩き出すセイシェルの後ろ姿を見送る。

 あの瞳に、あの笑顔。

 レディシアは震え上がる。

 本能で危険だと伝えていたからだ。

「レディシア、早く行くぞ」

 セイシェルも苦しげに言葉を発すると広間から本館に向かって歩き出した。


****


「まずいな、アーサー・トールスが怪しんでる」

「アーサー・トールス?」

 役人達を手早く巻くと、早歩きで本館まで向かう。レディシアを一人で広場から歩かせるわけにはいかないと考えたのだ。

「私は動けない。しかし、幸いにも上級生の交流会があるので、そこでエレザ達と合流する。シャール、お前は立場上、私の世話係になっている。来てくれるな?」

「分かりました」

「レディシア、ジェイソンの部屋は分かるか? 分からなくてもお前なら役人らも教えてくれる」

「はい!」

「すまない、力になれなくて」

「……いえ、大丈夫です」

 怯むレディシアにセイシェルは詫びをいれる。

 だが、レディシアは意を決して、幹部らの宛がわれた部屋のある館へ歩き出す。

「行ってくるね、シャール」

 祈るような面持ちでいるシャールに、いつものように声をかけて、離れた。

 セイシェル達も上級生の館に向かって歩く足音が聞こえ、一人になったことを改めて感じた。

 いつも、シャールがいてくれたから怖くなかった。

 でも、今は一人で、自分の肩には沢山の人の願いが乗っている。

 仮に、失敗したら――……。

(お前だけが頼りだ)

 レディシアは首を振り、足を速めた。

 セイシェルの言葉を、シャールの気さくな笑顔を糧に彼は走り出した。

 幸いにも、広間から本館までは中庭を突っ切ることができ、本館は人の出入りが多くて逆に助かったと思う。

 大人が入り乱れ、話に花を咲かせる中で自分の姿は視界にも入らないだろうと思ったからだ。

「……あれは」

 ふと、若い女性に捕まる自分と同じ髪色の、動きやすくも派手なドレスを身につける女性を見つけた。

 母は緋を良く好む。

 念のため近づいてみると、やはり母と、隣にいる若い女性も見覚えがあるとレディシアは首を傾げて思い出そうと努めた。

 当の本人であるヘレン・キースはレディシアのことには気づかず、すっかり話の中にのめり込んでいた。

「ちょっとさあ、話があるんだけど」

 不満げに話すヘレンに若い女性は苦笑しながら答える。

「また旦那さんのこと? まあ、ジェイソン様が掴みにくいのはわかるけど」

「待ってよ。今日はジェイソンのことじゃないわよ。アエタイトのことよ」

「珍しいわねえ、ジェイソン様のことは気にならないの?」

「しょうがないじゃないのー、優しいし、お人好しだけど何だかんだ正義感が強いからね。はあ、やれやれ」

「気苦労が絶えないのね……ってあれ?」

「まあ、レディシアじゃないの」

 二人の話が落ち着くまで待っていたレディシアに気付いた女性とヘレンが一斉に声をあげ、彼の傍に駆け寄る。

「レディシア君、お久し振り。エレザとティアが下級生の監視役になったって聞いたから一度挨拶しておかないとと思って」

「こ、こんにちは」

 戸惑いがちに頭を下げると女性が「かわいいー」と盛り上がりながらレディシアを抱きしめる。

「アンナ、何やってるの」

「だってー、まだ初々しいっていうか。えっと、今年七歳だっけ」

「そうよ、それより、後のこと頼んだわよ」

「……アンナ、様」

「やだーアンナ様だなんて! 困ったら何でも言ってね。それからティアとも仲良くしてやってね」

「は、はい!」

「……あー、アンナ、ちょっと急用ができたの。もう、大丈夫かしら」

「うん、大丈夫よ。ヘレン、あとは任せてね」

 えっへんと得意げな顔をしたアンナにヘレンは呆れたように笑いながらレディシアを連れてジェイソンの部屋に行く。

 正直、ここに母がいるのはとても助かる。

 少しだけ、恐怖心から解放されたのである。

「さっきの人、アンナ・オールコット。監視役のティアちゃんとエレザちゃんのお母様。エレザちゃんは孤児だったんだけどアンナとエルヴィスが引き取って育ててる」

「そ、そうなんですか。でも、ティア様とは……」

「そうでしょうね、レディシアの担当はエレザちゃんだもの」

 ティアとはリデルの部屋で少し会っただけだ。それも会話らしい会話はしていない。

 だが、リデルに形振り構わず抱きついたことを思い出し、彼はクスリと笑う。

「さあて、ジェイソンのことだし、どうせ本でも読んでるんでしょ。ああ、全く、能天気ねえ」

 どうやら悩みはまだまだ尽きないようでヘレンはため息を漏らす。しかし、もう慣れているのか不満を言うことはしなかった。

 部屋に向かって歩いていると「ヘレン様」と、聞き覚えのある爽やかな声がレディシアの耳に掠める。

 

 この、声は、悪魔の――……。


 レディシアは恐怖で身体が強張り、身動きさえ取れなかった。

「……アーサー・トールス、よね」

 ヘレンは振り返り、やって来た青年――アーサー・トールスの名前を呼ぶ。

 すると、彼はにこやかにお馴染みの挨拶をヘレンに話す。

「ヘレン様、ご機嫌麗しゅうございます」

「ええ、最近よく働くわよね。ラルクのため?」

「まあ、そんなところです。おや、レディシア君」

 和やかに話をするアーサーの視線がレディシアの方へ向けられ、彼は慌てて笑顔を作る。

「人見知りの激しい性格でね。勘弁してやって」

「怖がらせてしまいましたか……ごめんね、レディシア君」

 ヘレンがすかさず助け舟を出してくれたおかげで追及されずに済んだが、それでも心臓の音が鳴りやむ気配はない。

「じゃあ、アーサー殿、これから用事があるから」

「ええ、話が出来てよかったです。本当はジェイソン様のところに行きたかったのですが、どうやら家族水入らずの団欒のようですし、また今度にしましょう」

 彼は相変わらず笑ったまま二人の姿を見送る。

(……な、なに)

 彼が不敵に笑い、レディシアを睨みつけていたように見えたことに彼は怯えながらも、ヘレンに連れられ、すぐそこのジェイソンの部屋に向かって歩いていく。


****


「まったく、危なかったわ。でもまあ油断はできないけど」

 部屋の前まで来たところでヘレンが安堵の一言を漏らす。どうやら、アーサーの登場に震え上がったのはレディシアだけではないようで、彼は安心した。

「セイシェル様の指示、でしょ? そろそろ来ると思っていたわ」

「ご、ごめんなさい」

「何を謝るの? それより早く行くわよ」

 どうやらヘレンは全て知っていたらしい。

 ジェイソンのところに、と言われた時点で気付くべきだったのだろう。ヘレンを真っ先に頼ればよかったのに。

 それからは何となく黙ったまま、ジェイソンの部屋に向かって歩いていた。

 流石は幹部、それも上層部がいる館なのだから当たり前だが、豪華の限りを尽くしており、高そうな壷や珍しい花、有名であろう画家の名前が表示された絵画。

 服も扇子も持ち物も振る舞いも洗練されたもので眩しく美しい。

 飽くまでも、遠くから見ればの話で近付かれると緊張でそれどころではない。

「落ち着きがないのねー」

 ヘレンもレディシアのこの様子には思わず苦笑する。

(イリア様、こう考えたら物凄く注意されそうだよね)

 思い起こされるのはドレスにも構わず盛大な足音を立て、満面の笑みと容姿からは想像できない積極的で大らかな彼女。

 晴れやかな気持ちになる。

 イリアのようになりたいと思う。

 彼女のことを考えていると、ジェイソンのいる部屋に辿り着いた。

「ジェイソーン、私よ。入るわね」

 ノック一つせず、バタンと扉を開いて閉める。

「おや、ヘレン……に、レディシアか。ということは?」

 二人の来訪にも動じることなく冷静に今の状況を判断する。

「父上、セイシェル様の指示で来ました」

 レディシアはセイシェルに言われた通りに伝えると二人は頷き、ジェイソンは苦笑気味に言葉を返す。

「レディシア以外だとすんなり来れないからね。利用する形になって悪かった。ヘレン、明日はオールコット殿とセイシェル様で私の代理を務めてくれるんだろう?」

 明日の予定を確認するジェイソンにヘレンは「そうよ」と言って大きく首を縦に振る。

「さすがはヘレンだな。頼もしいよ」

「まあ、何の風の吹きまわし? とにかく後は頼んだわよ。あと、ちゃんと警戒してね」

「了解しました、ヘレン」

「レディシアも気をつけてね」

 ヘレンはジェイソンに小言をぶつけるとレディシアの頭を撫でて別れの言葉を告げ、部屋を出て行くために歩く。

「母上、ありがとうございます……」

 レディシアは母の後ろ姿を見て礼を言うとヘレンは立ち止まり、照れ臭そうに「どういたしまして」と言って、今度こそ部屋から出て行った。

 あんなに照れた母の顔を見たのは初めてだと考えているとジェイソンがレディシアにこれからのことを告げる。

「レディシア、これからアエタイトに行くよ」

 父の言葉には驚きを隠せなかった。

 アエタイト。ハイブライト内から出て大都市まで行くというのだろうか。監視役のことも考えると意図が読めない。

 戸惑うレディシアの肩をジェイソンは優しく抱き、弱々しく告げる。

「レディシア、ごめんよ。時間がないんだ……分かってくれるかい?」

 優しい声はいつものことだが、こんなにも消え入りそうなジェイソンの声を聞いたのは初めてだ。

 何かあるのだろうが、それを聞くのは躊躇われた。

「分かりました、父上」

「レディシア……」

 悲しそうな笑顔を見せる父に不安を抱きつつもレディシアは父の後をついていく。

 真意は分からないが、父なら正しいことをやってくれると、無条件で無限の信頼を寄せていたからだ。


『この子は守ってみせる』


 子を愛する父の、悲しい決意の声が、静かに響いていたことを、レディシアはまだ知らない。

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