第八節:Le début de l'amour
その頃、パーティー会場の端の方でイリア・ハーバードは一人飲み物を片手に佇んでいた。
兄は遥か先の上級生が集まっている場所で和気藹々と話し込んでいるので、そこに行くのは何となく躊躇われた。
賑やかな雰囲気は嫌いではない。寧ろ好きだ。
しかし、この空間は正に貴族の集まりといったもので緊張する。そして疲労感が表面に出てきたのだろう。
だから、今だけは此処から離れたかった。
「アイシア」
勝手に離れるのはまずいと考えたイリアはアイシア・ハイブライトに話しかける。
「イリア様、とうなさないましたか?」
きめ細やかな気遣いのできる彼は直ぐ様反応し、心配そうな面持ちでイリアを見ている。
感心しつつ、彼女は外に出ることを伝えた。
「そうですか。あまり慣れない場ですし、緊張されていらっしゃったのですね。では母上と兄上にお伝えします。あの時計」
そこでアイシアはステージ近くにある時計を指差した。
「スピーチが始まりますのであの小さな柱時計がⅨを指す前にはお戻りください」
「スピーチかあ。分かりましたわ。通路にもあるかしら? 休んでいるうちに忘れたらどうしましょう」
気品の漂う顔が困ったような表情を浮かべ、戸惑いの瞳をアイシアに向ける。
高鳴る鼓動を日頃より鍛え上げた理性で抑え付け、にこやかに答えた。
「ありますよ。だから心配しないでください」
上手い言葉が見当たらず内心では落ち込む彼のことなど露知らず。
「それならよかったわ。じゃあ、いってくる。ありがとう」
彼の細やかな気遣いがイリアを楽にさせた。彼女はドレスをふわりと舞い上がらせながらその場を離れていく。
「お気を付けて、イリア様――」
目を細め、彼は駆けていくイリアの後ろ姿を見送る。
「お気に召さなかっただろうか……」
彼女の後ろ姿が完全に見えなくなった後、彼は本音に近い独白を洩らした。
じわりと、背中に流れる汗。熱気だけで出来たものではないとアイシアは理解できていた。
喜んでほしいと思い、用意はしてみたものの、中に渦巻く『空気感』に彼女が気づかないはずはない。
──こんなときでも、血は我々の行く手を阻む。
****
芽生えた感情に困惑しつつ、人々に見られていると分かっている彼は平常心を保つ。
誰一人として、アイシアの中にある感情に気付くものはいなかった。
「アイシア」
彼にとっては実の兄、書面上では義理の兄、セイシェル・ハイブライトを除いては。
「兄上……」
セイシェルの前では彼もうら若き青年だった。
「ほう、イリアは離れたのか?」
彼は励ますように、哀れむように、アイシアに問いかけた。
様々な意味がそこには含まれていて彼は持てる力を以て焦り隠しながら、しらを切る。
「何のことでしょう」
「……素直じゃないな。お前、イリアのこと、好きだろう」
弟の努力に敬意を払いつつ、彼はアイシアの気持ちを言い当てる。
隠していたつもりなのに、と、アイシアは狼狽えたに違いない。
水をグラスに注ぎ、ゆっくりと喉へ流し込む。
いつもの無表情で無愛想なセイシェルとは違い、明るくて愉快な感じを受ける。
「目は、口ほどに物を語る。お前がイリアを見つめる瞳は宝石のように輝いていた」
ふふっ、と笑うセイシェルをアイシアは困惑気味に見つめる。
その視線すら、セイシェルは愉快そうに受け止めながら話す。
「そんなことをしたら、父上に殺される。いいのか?」
今日の彼は饒舌だと、アイシアは段々そのリズムに乗ってきた。
「分かっております。イリアは亡きソフィアの子。狂気を取り除くためにも、でしょう?」
「……私は、そんなこと、言ってないがな」
相変わらず度のつく真面目なアイシアにセイシェルは苦笑を漏らした。
「別に、父上のことなど、気にしていない。お前が苦心する必要もない。ただ、イリアに恋をするということは、だ」
彼は愉快そうに、瞳だけは真剣な光を放ちながらアイシアに告げる。
「お前にその覚悟があるか」
何もかもを捨てる勇気と、相手に捨てさせる勇気と、強く惹かれ合うほどの想い。これがなければなにもできない。
「なければ、止めておけ……」
そう言って、セイシェルはまたグラスを傾け、水を喉に流し込む。
清流の湧き水は冷たくて、どこかほろ苦く甘い。この微妙な味わいが愉快で切ない気分にさせるのか。
「兄上、あの」
そそくさと立ち去る兄に声をかけようとしたアイシアだが、彼は何も反応しなかった。
「……兄上、ありがとうございます」
ぶっきらぼうだが、セイシェルなりに心配してくれたらしいことを知ったアイシアは笑みを浮かべた。
兄を心から慕う笑顔で、彼の背を見つめる。
****
騒がしく、華やかなパーティーから離れ、休息をとるイリア・ハーバードは額の熱を掌で確かめる。
仄かに熱を帯びたそれが身体の気だるさを招いた原因だと判明し、安堵の息を洩らす。
「はあ……アイシアには悪いことをしたわ……私の為に開いてくれたパーティーなのに」
パーティーの主役がこれではアイシアも困るだろう。彼を困らせるのは避けたかった。
会場を出た先の通路に休息用に置かれた小さな机と椅子がある。
アルディが使うものよりは控え目だがそれでも華やかだろう。
自分の部屋もセイシェル以上の豪華さで恐縮した記憶がある。
アルディがここまでするのは決してイリアの為ではないことを彼女は育ての親であるフレア・ハーバードから聞いていたので何となく分かっていた。
肌で理解すると、よりいっそう恐ろしいのだが。
「でも、フレアお姉さま、私」
彼女はいつもフレアを姉と呼んでいた。母と言うには若いからだ。それに姉なら、甘えられる気がしたからだろう。
目を閉じて、悲しみを思い出す。
「フレアは何時だって、私の味方だった。何時だって……」
実の母や父のことも知っていたが、フレアは彼女にとって両親と姉を兼ねた最愛の存在。
実の両親にはカインという息子がいた。自分にとって彼は弟。だからハイブライトのことも何でも知っていたつもりだったのに。
「イリア、聞いて」
血相を変えてやって来たフレアにイリアは驚いたものだ。
「ソフィアが撃たれたわ。シリウスは連れていかれた。ハイブライトがノアシェランを抹消しに来た」
「フレアお姉さま……!」
その報せはイリアには悲しみよりもカインを案ずる気持ちをもたらした。
「カインは?」
「カインは無事。あ、そうそう。レイちゃんを保護したわ」
「レイ……」
「そうよ、イリア、私達の妹になるの」
フレアが後ろに向かって微笑んだのを見た瞬間、少女が物陰から顔を出し、恐る恐る近付く。
「……イリア、おねえさま」
傷付いた瞳が胸を締め付ける。ぎゅうぎゅうと掻きむしりたくなる衝動に駆られるのだ。
「レイ?」
イリアは呼び掛けた。ソフィアの死ぬ間際を、ハイブライトに連れていくまでの一部始終を見たのだろう。
「大丈夫よ、フレアがいるわ。勿論私も」
震える小さな手を握る。
恐怖で湿る手に触れながら彼女は決意する。
(何故、ハイブライトはこんなことをするの? 私が目的なら……)
ハイブライトに行き、アルディに会う。
それで、知るのだ。
両親は、ノアシェランは、アルディに何をしたのか。何故、ノアシェランに関わる者を排除するのか。
理由を知るために、ハイブライトへ行くのだ。
****
そのチャンスは早いのか遅いのか、今となってはよく分からない。
まだ母や父のことが気になる期間であったのは確かだ。
ある日の夕暮れ。
「駄目に決まっているわ。ジェイソン殿、何を考えているの? ソフィア様を手にかけた男の元にイリアを行かせるわけないでしょう」
離れていても聞こえるフレアの怒号。
ジェイソン・キースも来ているのだろうか。会話の内容からハイブライトが自分を迎えに来たことが分かる。
「フレア姉さま……!」
居ても立ってもいられず、イリアは玄関まで飛び出した。
いつも歩き慣れた木造の床。通路。全てが煩わしく思えてきた。
早く、早く、フレアの所に行かなければならない。
「イリアおねえさま!」
フレアの元にいたレイが不安そうにイリアに駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
彼女の様子からフレアはかなり不利な立場にいるのではないかと予想できた。
「フレアが、おじさんと言い争ってる。おじさん、怖い顔していて、イリアに会わせてって言ってるの!」
レイの返答は彼女の予想通りのもので、一刻も早く何とかしなければならない。
「レイ、大丈夫! フレアは私が助けるわ」
彼女の不安の元を絶たなければならない。
イリアはもう一度、彼女を安心させるように力強く頷いた。
「イリア」
レイはオロオロとしながら堂々と歩くイリアを見送る。それしか、できなかった。
通路を歩き、聖堂前に来ると老師とフレアが言い争っていた。お互い睨み合い、一歩も引かない様子だ。
「あなたも分からない人だ。イリアを渡さなければアルディがイリアを連れに来るでしょう。その時はあなたもレイもただでは済まされまい」
「その脅しには屈しない。私のことはどうだっていい。イリアはソフィアの忘れ形見。そして、私にとって大事な妹よ。アルディなんかに渡さない」
フレアはジェイソンの前を立ち塞がるようにして言い放つ。
彼女の愛情が、イリアには嬉しかった。その場で泣き伏せそうになった。
(でもダメよ、フレア姉さま。あなたにはレイがいる。あの子を一人にしちゃだめ)
ハイブライトに行けば、フレアの危機は救える。それに、自分の知らない母達のことも分かる。
願ってもない話ではないか。
「ジェイソン様」
「イリア!」
扉を引き、フレアとジェイソンの前にやって来たイリアは二人を見つめる。
「お姉さま、私、ハイブライトに行くわ」
「イリア!」
フレアの悲痛な叫びに胸をまた痛める。彼女は自分を妹のように思っているのだから、ジェイソンに何を言われても屈しなかったのだ。
「もういいの、もういいのよ。フレアお姉さまはレイのそばにいて」
どうでもいいなんて言わないで、レイのそばにいるのがフレアの使命であり、幸せである。
「それに、ジェイソン様だから、信用できる」
ジェイソンはアエタイトの長とも言える存在。わざわざフレアのところまで来たのは自分を無理矢理連れていくのは忍びないと思ったからだろう。
「私を信用してくれますか?」
ジェイソンは陽気に微笑み、イリアを緊張させないようゆっくりとした口調で話しかける。
「フレアたちに関わらなければ」
「勿論です、突然邪魔した私が悪いのです。あなたが来てくださればここからすぐにでも立ちましょう」
「……分かりました」
イリアは了承した。
これで、ジェイソンが引いてくれるなら、他には何も望まない。
「イリア」
フレアに呼ばれて振り向くと、彼女は瞳に涙を浮かべ、唇を噛み締めた。
「……私、幸せよ? フレア」
だってこんなにも、愛されたんだもの。
何時だってフレアは自分を愛してくれた。それだけで、嬉しいのだ。
「イリア様、参りましょう」
ジェイソンは呆然とするフレアを見て目を伏せ、ゆっくりと歩き出した。
息子も妻もいることを知った今では、彼もこんなことはしたくなかったのだろうかと、イリアは考えた。
****
回想を終え、一息吐くと、脳内に溜まっていた記憶の本が少なくなり、落ち着けた。
フレアの手前、強がっていたが混乱していたようで、一人になると疲労をはっきりと認識できたのだ。
今まで、慌ただしすぎたのだ。
それでも、彼女には見えてしまうものがある。必死に目を逸らして見るものの、チラリと見えてしまう。
セイシェルとアイシアが被っている仮面だ。何かを隠そうとしている。
「すごいなあ……」
探りたいと言う気持ちよりも彼らが決して無防備な一面を誰にも見せないところが、感動してしまう。
疲れないのだろうか、個を消して与えられた役を演じるのは。
「そういうわけにもいかないか。ハイブライトって色々すごい場所ね」
もう、生まれた時からハイブライトに生きてきた彼らには仮面を被らされることも、個とは何かも分からないかも知れない。
自分は、そんな場所から出来れば今すぐにでも出て行きたいが。
「こんなので大丈夫かなあ、私……ああ、やっぱり……ん?」
厄介なことに彼女は思ったことを直ぐに口に出してしまう性格だ。
前から人が来ていることにも構わず、率直すぎる思いをぼやいてしまった。
「ねえねえ」
積極的に話しかける性格でもあるのだが。
「……あ、イリア様……」
「こんにちは」
円らな瞳が不安に揺れている。まだ小さな掌が彼女には眩しく感じた。
「イリア様、こんにちは……えっと、レディシア・キースです」
彼女に最初に答えたのは赤髪が特徴的だが、色彩には似合わぬ控え目さで恐る恐る声をかけたレディシアだ。
「レディシア……! ジェイソンの……」
「あ、はい。父です。イリア様が一緒にいると聞いて会いたかったのですが……シャール?」
服の裾を強く握るシャールに気が付き、レディシアは心配そうに彼に声をかける。
濁りきった瞳がイリアを真っ直ぐと捕らえ、睨み付けている。
「……レディシア、行こう」
イリアには一言も話さず、レディシアを連れて帰ろうとするシャールの気迫に思わず怯んだ。
一方、イリアはシャールの顔を一目見て、直ぐにアクロイドのことだと思い出した。
──彼は、憎んでる。
知らないだろう、何も。それを、彼は憎み、ハイブライトも憎む。
まだ、幼い子供のうちから。
「私、退屈していたの。お兄様は公務で忙しいし……ハイブライトのことは名前しか知らなくて……」
「い、イリア様?」
突然のイリアの呟きにレディシアはサッと振り向いた。
彼女は申し訳なさそうにレディシアの元へ駆ける。
一言も発しないが鋭い視線で睨むシャールに心を痛めるが。
「お願い、レディシア、シャール君。ちょっと一緒に散歩してくれない?」
どうしても、一度一緒にいて、話を聞きたいと思うのだ。
本能的なものだろうか?
レディシアは困惑し、シャールは流石に驚き、目を見開いて此方を見ていたのだが。
「ねえ、お願い」
意図を掴みかねるイリアの誘いに戸惑う二人だが、レディシアは彼女に悪意を感じなかったのだろう。
「……僕で、良かったら」
「本当!? いいの?」
「あ、は、はい!」
「やったあ! ありがとうね!」
パアッと目を輝かせ、無邪気に喜ぶイリアにレディシアもつられて笑ってしまった。
「じゃあ行きましょ!」
「あ、えっと、はい……」
彼女の勢いに押されながらもレディシアは後を追いかけ、シャールはどこか納得のいかない表情で渋々ついていく。
****
「でも、よろしかったのでしょうか?」
「何が?」
「アイシア様やセイシェル様に……」
「あはは、レディシアは真面目なのねー。ちゃんと席をはずすことは言って来たわ」
「それなら……」
「心配してくれたのね、ありがとう」
未だハイブライト家の一人と一緒に歩いていることに慣れないレディシアは思わず聞いてしまった。
もし、一緒にいることを知られたらと思うと、後々何が起こるか分からない。
不安から、言ってしまったのだ。
「でも、何か言って来たら上手く誤魔化しておくわ。まあ、咎めることはしないと思うけど」
チラリとシャールを意識して、イリアは笑顔で返した。
視界に入る鋭い瞳は見えないと暗示しながら。
暫くは彫刻や細かな装飾を施された壁や机を、如何にも高そうな花瓶を見ながら歩いていた。
豪華と権威を表すための飾りに掛けるためにはお金を惜しまない。
ただ、この、ため息のつくような綺麗さの裏側には幾つの命が犠牲になったのだろう。
それを、イリアはふと考えてしまう。
「……あ」
緩やかな沈黙を破ったのは、意外にもシャールだった。
「シャール、どうしたの?」
今まで唇を一文に結び、決して開こうとしなかった憎しみに捕らわれたシャールには、レディシアの声すら聞こえていないのだろう。
壁に掛けられていた絵をじっと見ていた。
「まあ、綺麗な絵ね。今まで色々見てきたけど、これが一番好き」
イリアもシャールと同じ絵を見て、笑顔を見せた。
流れる清らかな川と新緑が芽吹く木々、それらを優しく見つめる銀髪の美少女。額縁は木だ。
この、シンプルで素朴な雰囲気が安心させるのだ。
「……母さん、母さんに似てる」
「そうなの?」
「うん……父さんと母さんと、俺で、近々行く予定だった……」
「此処に……」
「うん」
シャールは堰を切ったように、涙をこらえながらイリアに話した。
帰って来たら一緒に行こうと約束していたのだろう。だが、それは二度と叶わない約束になってしまった。
「私も、出来るならずっと木の家で、フレア姉さんと一緒にいたかったわ……」
ハイブライトに自ら行くと言ってフレアから離れたのに、恋しい。
木の香りに包まれて眠りたい。きらびやかなドレスよりも動きやすい服で思い切り走り回りたい。
ハイブライトにいたら、可笑しくなりそうだ。
「ティアナ湖……此処、ティアナ湖っていうんです」
レディシアは父から聞いた地名を呟いた。
それぞれの、抑えてきた思いが一枚の絵によって溢れ出す。
「イリア、そこにいるの?」
「……伯母様……」
しかし、口にすることは、決して許されない。
イリアは二人を庇うようにして前に出て、真紅のドレスに身を包むラサーニャをじっと見つめた。
「探したわよ、イリア。アイシアから九時には戻ると聞いたけどもう三十分過ぎているわ」
初めて見るハイブライトを仕切る女性に後ろの二人は竦み上がる。
「ごめんなさい、伯母様。気分転換に良いと思ってハイブライトを見て回っていたの」
イリアも、ラサーニャから何を言われるかは分からない。
恐怖心に苛まされる彼女に、ラサーニャは背を向け、素っ気なく言った。
「……そう。まあ、いいわ。アルディ様がお呼びよ、一緒に来て」
時間を大幅に過ぎたことは一言も咎められなかった。
「じゃ、じゃあね、今日はありがとう」
今度はイリアが戸惑った。
それでもラサーニャと一緒に行くために見送る二人から離れるしかなかったのだった。
****
「どうして、叔父様が私を?」
イリアはそれが疑問だった。
今まで叔父からは何も言われなかったのに、いきなりどうしたのだろう。
すると、ラサーニャも首を傾げて言ったのだ。
「私にも分からないわ」
その声は相変わらず冷めていて、イリアはこれ以上何も言えなくなってしまった。
それからは、やはり豪華で美しい装飾を流れるように見ながら歩く。
どれも天使だったり、美少女だったり、金髪の少年だったり。
どこか「美」を強調した物ばかりである。絵画の場合、額縁は金であるのも共通している。
ハイブライトの当主ーーアルディは、こういった物が好きなのか。
少し位、違うものがあっても良さそうだが。
「退屈そうね、イリア」
「え、あ、伯母様……そんなことはないわ。とても楽しいです」
「無理しなくていい、分かりやすいのよ」
イリアの引きつるような笑顔にラサーニャは苦笑気味に指摘する。
「そんなこと、ありませんわ、伯母様」
ラサーニャに誤魔化しは利かないと、遠目から見て思っていたが、それでも易々と認めるわけにはいかなかった。
「あらあら、随分嫌われているのね」
少しだけ、声が重かったのをイリアは感じたが、気にも留めない。
ラサーニャはイリアの警戒を背後から受け止め何とも言えなくなった。
何時だって、己の微妙な変化は淡々とした声色と凛とした表情で全て隠され、相手に気付かれることはなかった。
(何時だって、そうだったじゃない)
ずっと前から誰も気付かない。それで、もう諦めている。
相手に警戒される理由は地位、アルディの傍にいるからだ。
仕方ない、それがハイブライトの宿命ならば。
(イリアと親しくしようなんて無理よね)
心の呟きは決して表に出ることはないのだ。
「着いたわよ、イリア」
目の前にあるのは、応接室だ。
更に心が重くなる。狭い空間で、恐らく向かい側にアルディが座る。
何と、お互い見つめ合う構図になるのだ。それを考えただけで息が詰まる。
(こんなんじゃ、ダメね。先ずはちゃんと会わなきゃ)
怯む己にイリアは叱咤し、応接室の扉を開けようと用意する。
「叔父様……」
「アルディ様、イリアをお連れしました」
ほぼ同時にアルディに声をかける二人。すると、返答はすぐ来た。
「二人とも堅いね。遠慮しないで入っておいで」
中性的な声が扉の向こうから聞こえ、自然と手に汗が湧き、緊張する。
「どうしたの? 入っておいで」
歌うように滑らかな、奏でるように鮮やかな、誘うような妖しい声が流れる。
「失礼します、アルディ様」
ラサーニャはイリアの前に出て、ドアノブを引いた。
****
入って来て、先ず驚いたのは当主の容姿だ。
セイシェルと同じ茶髪だが、彼よりも遥かに透き通っていて、陽に浴びたそれはとても神々しい何かを感じた。
赤みがかった双眼と綺麗な肌。
どれも、人間味を全く感じられない。
その彫刻のように完璧な美しさがかえって不気味に思い、胸がざわめいた。
「やあ、イリア。会えて嬉しいよ。そうそう、ラサーニャは僕のことをアルディと言うけど君には僕の本名であるディアルトって呼んで欲しいな」
「お、叔父様……私には……」
「そっか。いきなりは無理だよなあ。大丈夫、少しずつでいい」
「ええ……」
優しげな声。
ずっと笑っている、彼。
スッと立ち上がったアルディに気付いたイリアは咄嗟に身構え、ラサーニャも様子を見守る。
足音一つ響かず、気が付けばイリアの目の前に来て、白い手を伸ばした。
「君は、美しいね」
そっと、彼がイリアの髪の毛を手に取り、見つめていた。
「ソフィアによく似て、美しい。ソフィアはもういないけど……」
恍惚として、ずっと髪を見つめている。
ラサーニャも、うっとりとするアルディに狂気を見出だし、動けないでいた。
声も出ない。
その手の冷たさが恐ろしい。
じっと見つめる瞳が獣のようで、今にも食われそうだ。
恐怖で全く動けないイリアに、アルディはこれ以上ないくらい満面の笑顔で、囁いた。
「……早くハイブライトに慣れてね、僕のかわいいイリア」
──忘れられぬ狂気的な恋と、相俟って生まれた憎しみと、支配欲の塊。
禍々しい感情が純粋な少女をはっきりと捕らえていた。